見舞い

 卍丸の持ってきたくしゃくしゃの紙切れを見て、センクウは軽く肩を揺すって笑い始めた。
 それを見ていた卍丸も、
「な?」
 にやりと笑う。
「まるでガキだぜ」
「たしかに。しかし卍丸。捨ててあったものを拾って読むとは、趣味が良くないぞ」
 とがめているようだが、センクウは未だに笑っている。
 卍丸のすることに悪気があったためしのないことを、よく承知しているのだ。
「おまえの名前が見えたから、拾ったんだ。そうでなけりゃあさすがに拾わねえさ。それにしてもよ、なんだっておまえ宛なんだ? そこんとこが分からねえ」
 卍丸は胸ポケットから煙草を一本取り出し、くわえながら、心底不思議そうに首を傾げた。
「俺しかいないだろう。影慶に宛てては一瞥されて終わり。おまえでは、からかうのが関の山と分かっているんだろうさ」
「言いやがる」
 たしかに、そのとおりかもしれない。
 卍丸は椅子から離れ、窓を開けると窓枠に腰掛けた。
「俺なら、自由に出歩けるありがたみってヤツを見せつけにいくからな」

「フフ。とはいえ実際は、影慶はともかく、おまえに言っても、困らせるだけだと分かってるからだろうが」
「へえへえ。どうせ俺は気がきかねえしな」
「そうじゃない。何かしてやろうと思っても、何をしていいかが分からないだろう? それとも、弁当でも作ると?」
「う……」
 料理など、まともにはできない。
 食えるものを作ることはできるが、野菜ならどんなものでも生でいける、肉もいざとなれば、という卍丸のそれは、「料理」という言葉を使っては、料理に失礼なようなシロモノたちだ。
 かといって、コンビニで買っていく弁当では、見舞い品としてはあまりにも、アレだ。
「気がきくくせに不器用というのは、難儀だな」
 センクウはそう言って、やけに嬉しそうに微笑んだ。
 突然何を言い出すのかと、卍丸は眉を寄せる。何かわけのありそうな笑顔に、心当たりがまるでないのもある。
 普段の卍丸には自分の感情を隠すつもりがないから、見ている者には彼が何を思っているのか、手にとるように分かる。
「つまり、その煙草」
 センクウは、卍丸の口元を指差した。
「あ、すまん。やっぱり、嫌か?」
「そうじゃない。わざわざそんなところで吸ってくれる」
「いや、これは、……まあ、体にいいもんじゃあねえのを、俺が好きで、勝手に吸ってんだからな。人に迷惑かけるわけにはいかねえだろうよ」
 以前に一度、煙草を吸っている同輩の傍で、センクウが咳き込んでいるのを見たことがあった。
 だから、煙も匂いもいかないようにと、窓辺に寄った。たしかに。
 センクウのためには違いないが、実を言えば、その以前の一件、気付かない無神経な奴に腹が立って仕方がなかったのだ。だから、そんな奴と同類にはなりたくないと思った、という理由もある。

 だから、感謝されると落ち着かない。
「で、どうするんだ、それ」
 卍丸はできるだけさりげなく、紙切れへと話題を戻す。
「親愛なる、とまで言われてはな。明日にでも、せいぜい美味いものを持っていってやるさ」
 自信たっぷりに笑うセンクウの顔を見ていると、いかにも美味いものが生まれてきそうで、つい空腹を覚える卍丸だった。


 翌日、特大の重箱に入るかぎりの料理を詰め込んで、センクウは羅刹の居る病室を訪れた。
 「暇潰し」の訪れを知り、羅刹の、不貞腐れたような不機嫌な顔が、にわかに明るくなる。
「もう少しマメに来てくれてもいいとは思わんか?」
 とりあえず今は、文句より、話し相手が現れた喜びのほうが大きいのだろう。台詞と表情がちぐはぐだった。
「そう言うな。事後処理でこれでも忙しいんだぞ。そろそろ落ち着いてきたから、こうして出てもこられるんだが。それで、ほら」
 センクウは、ベッドに添えつけのミニテーブルを引き出すと、その上に風呂敷包みを乗せた。
「うん? お、いい匂いだ」
「おまえには病院食など、腹の足しにもなるまいからな」
 手紙を見たことは、卍丸のためにも、秘密にしておかねばならない。
 かといって理解を演じるのも嫌なものだったが、今の羅刹は、退屈に殺されかけて平常の判断力を失っているらしい。
 いつもの彼ならば、もしや、とくらいは思ったろうに、いそいそと風呂敷包みを開きにかかっていて、何にも気付いた様子はない。
 紫紺色の風呂敷の中から、漆塗りの大きな重箱が出てくる。
 蓋をとると、目にも鮮やかな色とりどりの品が、ぎっしりと詰められていた。
「買ってきた……んじゃないな。おまえが作ったのか?」
「買ってきたのでないとすれば、俺以外に作れそうな奴がいると思うのか?」
「む、たしかに」
「医師の許可は得てある。存分に食ってくれ」
「すまんな」
 それほど病院の食事は少なくて不味いのか、羅刹の顔はぱっと明るくなった。

 それからもののニ十分もたたないうちに、二段重ねの重箱は、きれいに空っぽになっていた。
 いかにも満足げな溜め息を聞いて、
「それだけ美味そうに食ってもらえると、手間をかける甲斐もある」
 センクウが小さく笑う。
「毎日とはいかんが、また作ってきてやろうか」
「おお、それは助かる!」
 助かる、という言い草に、センクウはこらえきれずに吹きだした。
「殺人的に不味いわけでもないと思うが?」
「娯楽がなさすぎる。飯は不味い、することはない、話す相手もいない」
「それはそれは」
 これはもう駄々をこねる子供と同じだ。
 それからひとしきり、羅刹はあの手紙にあったような愚痴を吐き出して、ようやくすっきりしたように大きく息をついた。

「いや、どうでもいい愚痴ばかり聞かせたな。すまん」
「気にするな。話を聞いているだけで、どれくらい退屈かはよく分かる。ベッドの上に縛り付けられていると、隣の部屋さえ恋しいだろう」
「まあ、な。楽に歩けるようにさえなれば、さっさとこんなとこ出てやるんだが。それより、皆はどうだ? 変わりないか?」
「ああ。相変わらずだ。そういえば、さっきの弁当だが、気付いたか?」
「何にだ?」
「出汁巻き卵」
「ああ。少し焦げていたな。失敗したのか?」
「あれ、卍丸が作ったんだ」
「なぬっ!?」
「焼かせただけなんだが、途中で『やってられん』とスクランブルにしそうになってな」
「なんだ。味付けはおまえか。それならいい」
 羅刹はほっと、本気で安堵したようだった。
「おいおい。それはひどいぞ。あいつも、面倒臭がりなだけで、やらせればちゃんとやるんだ。エプロン姿もなかなかに似合っていたしな」

 卍丸のエプロン姿。
 想像……できないことは、ない。
 どうしたところで愛嬌のある男だから、たしかに、似合わないこともない。
「羅刹。おまえも似合いそうだな。が、そのまま料理というより、日曜大工でもしそうに見えるが」
「エプロンの柄にもよるだろう。板前の格好なら、問題ないな。……むしろ、おまえが板前の格好したら……」
 似合わない。
 二人同時に想像して、二人同時にそう言った。
 そして、二人同時に笑い出す。

「では、影慶はどうだ?」
「……想像できんぞ」
「ん〜、……水色に、白い花柄で、お玉片手に」
 ぽつりとセンクウが言う。
 羅刹は吹きだした。
「いや、これは凶器だな、もはや」
 自分で言って、怖いものを想像してしまったのか、センクウの笑みは僅かに引きつっている。
「最大の武器は花柄エプロンか。……嫌な相手だ。俺はそんな奴、絶対に敵にはしたくないぞ」
 羅刹は本気で怖気を振るった。

「俺もだ。では、邪鬼様は?」
「……黒の無地、とかいうものなら、似合いそうだな」
「ピンクのフリル」
 あえて無難なものを想像しようとする羅刹の、努力を無駄にする一言。
 笑うと傷口がまだ少し痛むのだが、こらえられない。
「独眼鉄と割烹着」
「よ、よせ、センクウ。これ以上はやめてくれ」
「似合いそうだが?」
「にっ、似合う似合わんではなくてな……っ」
「ああ、そうか。意外性を狙うならニ号の赤石だな。斬岩剣でネギを刻む、白い割烹着姿の赤石剛次。頭には三角巾つき」
 そのものの光景が……場所は何故か昭和三十年代ふうの小さな台所なのだが、そこで白い割烹着に身を包み、あの長大な刀でネギを微塵切りにしている姿が、あまりにリアルに目の前に浮かんできた。
 そこに花柄な人やフリルな人の姿も混じってくる。

「か、かん、勘弁、してくれ……っ」
「まだ少しネタはあるが、これ以上は本当に傷口が開きそうだな」
 羅刹としてはそのネタを知りたい気もしたが、今はまずい。
 とにかく傷が完治したら、その時にでもゆっくり聞くとしよう。
 その時までは、
「センクウ。ここでの話……」
「言われるまでもない。本人たちの耳に入ったら一大事だ」
「卍丸にも言うなよ」
「分かっている。あいつの口から洩れそうだからな」
 卍丸という男は、面白いことを独り占めしておけない性分なのだ。
「しかし……今ここに本人が現れたら、笑うだろうな」
 なにげなく、センクウが呟いた時だった。

 ノックもなくドアが開いて、
「よう!」
 卍丸が入ってきた。
 その後方には、影慶と、赤石。
 オーバーラップする、ステキな衣装たち。
「ぶはっ」
 羅刹の我慢は臨界点を突破した。
 いきなり笑い出した羅刹を前に、わけの分からない三人は唖然として立ち尽くしている。
「どうしたんですか、先輩?」
 赤石が不思議そうにセンクウをうかがった。
「いや、少しホラーな会話をな」
「ホラー?」
「恐怖と笑いは紙一重らしいな」
「???」
 まったくもって理解できず、顔を見合わせる卍丸たちであったとさ。

 
 ちなみに、この日の大笑いのせいで、羅刹の退院は三日ばかり遅れたそうである。

 
(おわり)

これで真大さんとの、記念すべきジョイント第一弾だった。