翌日、特大の重箱に入るかぎりの料理を詰め込んで、センクウは羅刹の居る病室を訪れた。
「暇潰し」の訪れを知り、羅刹の、不貞腐れたような不機嫌な顔が、にわかに明るくなる。
「もう少しマメに来てくれてもいいとは思わんか?」
とりあえず今は、文句より、話し相手が現れた喜びのほうが大きいのだろう。台詞と表情がちぐはぐだった。
「そう言うな。事後処理でこれでも忙しいんだぞ。そろそろ落ち着いてきたから、こうして出てもこられるんだが。それで、ほら」
センクウは、ベッドに添えつけのミニテーブルを引き出すと、その上に風呂敷包みを乗せた。
「うん? お、いい匂いだ」
「おまえには病院食など、腹の足しにもなるまいからな」
手紙を見たことは、卍丸のためにも、秘密にしておかねばならない。
かといって理解を演じるのも嫌なものだったが、今の羅刹は、退屈に殺されかけて平常の判断力を失っているらしい。
いつもの彼ならば、もしや、とくらいは思ったろうに、いそいそと風呂敷包みを開きにかかっていて、何にも気付いた様子はない。
紫紺色の風呂敷の中から、漆塗りの大きな重箱が出てくる。
蓋をとると、目にも鮮やかな色とりどりの品が、ぎっしりと詰められていた。
「買ってきた……んじゃないな。おまえが作ったのか?」
「買ってきたのでないとすれば、俺以外に作れそうな奴がいると思うのか?」
「む、たしかに」
「医師の許可は得てある。存分に食ってくれ」
「すまんな」
それほど病院の食事は少なくて不味いのか、羅刹の顔はぱっと明るくなった。
それからもののニ十分もたたないうちに、二段重ねの重箱は、きれいに空っぽになっていた。
いかにも満足げな溜め息を聞いて、
「それだけ美味そうに食ってもらえると、手間をかける甲斐もある」
センクウが小さく笑う。
「毎日とはいかんが、また作ってきてやろうか」
「おお、それは助かる!」
助かる、という言い草に、センクウはこらえきれずに吹きだした。
「殺人的に不味いわけでもないと思うが?」
「娯楽がなさすぎる。飯は不味い、することはない、話す相手もいない」
「それはそれは」
これはもう駄々をこねる子供と同じだ。
それからひとしきり、羅刹はあの手紙にあったような愚痴を吐き出して、ようやくすっきりしたように大きく息をついた。
「いや、どうでもいい愚痴ばかり聞かせたな。すまん」
「気にするな。話を聞いているだけで、どれくらい退屈かはよく分かる。ベッドの上に縛り付けられていると、隣の部屋さえ恋しいだろう」
「まあ、な。楽に歩けるようにさえなれば、さっさとこんなとこ出てやるんだが。それより、皆はどうだ? 変わりないか?」
「ああ。相変わらずだ。そういえば、さっきの弁当だが、気付いたか?」
「何にだ?」
「出汁巻き卵」
「ああ。少し焦げていたな。失敗したのか?」
「あれ、卍丸が作ったんだ」
「なぬっ!?」
「焼かせただけなんだが、途中で『やってられん』とスクランブルにしそうになってな」
「なんだ。味付けはおまえか。それならいい」
羅刹はほっと、本気で安堵したようだった。
「おいおい。それはひどいぞ。あいつも、面倒臭がりなだけで、やらせればちゃんとやるんだ。エプロン姿もなかなかに似合っていたしな」
卍丸のエプロン姿。
想像……できないことは、ない。
どうしたところで愛嬌のある男だから、たしかに、似合わないこともない。
「羅刹。おまえも似合いそうだな。が、そのまま料理というより、日曜大工でもしそうに見えるが」
「エプロンの柄にもよるだろう。板前の格好なら、問題ないな。……むしろ、おまえが板前の格好したら……」
似合わない。
二人同時に想像して、二人同時にそう言った。
そして、二人同時に笑い出す。
「では、影慶はどうだ?」
「……想像できんぞ」
「ん〜、……水色に、白い花柄で、お玉片手に」
ぽつりとセンクウが言う。
羅刹は吹きだした。
「いや、これは凶器だな、もはや」
自分で言って、怖いものを想像してしまったのか、センクウの笑みは僅かに引きつっている。
「最大の武器は花柄エプロンか。……嫌な相手だ。俺はそんな奴、絶対に敵にはしたくないぞ」
羅刹は本気で怖気を振るった。
「俺もだ。では、邪鬼様は?」
「……黒の無地、とかいうものなら、似合いそうだな」
「ピンクのフリル」
あえて無難なものを想像しようとする羅刹の、努力を無駄にする一言。
笑うと傷口がまだ少し痛むのだが、こらえられない。
「独眼鉄と割烹着」
「よ、よせ、センクウ。これ以上はやめてくれ」
「似合いそうだが?」
「にっ、似合う似合わんではなくてな……っ」
「ああ、そうか。意外性を狙うならニ号の赤石だな。斬岩剣でネギを刻む、白い割烹着姿の赤石剛次。頭には三角巾つき」
そのものの光景が……場所は何故か昭和三十年代ふうの小さな台所なのだが、そこで白い割烹着に身を包み、あの長大な刀でネギを微塵切りにしている姿が、あまりにリアルに目の前に浮かんできた。
そこに花柄な人やフリルな人の姿も混じってくる。
「か、かん、勘弁、してくれ……っ」
「まだ少しネタはあるが、これ以上は本当に傷口が開きそうだな」
羅刹としてはそのネタを知りたい気もしたが、今はまずい。
とにかく傷が完治したら、その時にでもゆっくり聞くとしよう。
その時までは、
「センクウ。ここでの話……」
「言われるまでもない。本人たちの耳に入ったら一大事だ」
「卍丸にも言うなよ」
「分かっている。あいつの口から洩れそうだからな」
卍丸という男は、面白いことを独り占めしておけない性分なのだ。
「しかし……今ここに本人が現れたら、笑うだろうな」
なにげなく、センクウが呟いた時だった。
ノックもなくドアが開いて、
「よう!」
卍丸が入ってきた。
その後方には、影慶と、赤石。
オーバーラップする、ステキな衣装たち。
「ぶはっ」
羅刹の我慢は臨界点を突破した。
いきなり笑い出した羅刹を前に、わけの分からない三人は唖然として立ち尽くしている。
「どうしたんですか、先輩?」
赤石が不思議そうにセンクウをうかがった。
「いや、少しホラーな会話をな」
「ホラー?」
「恐怖と笑いは紙一重らしいな」
「???」
まったくもって理解できず、顔を見合わせる卍丸たちであったとさ。
ちなみに、この日の大笑いのせいで、羅刹の退院は三日ばかり遅れたそうである。
(おわり)