いかつい顔に照れた笑みを浮かべて、 「実は、俺も、その、花は……き、嫌いじゃ、ないんです」 そう言った時のことが思い出された。 独眼鉄はお世辞にも整っているとは言えない容姿で、初対面の相手に好印象を与えることも少ない。 自分の外見に抱いているコンプレックスもあるから、余計に憮然とした態度で人と接することになる。 だがそんな彼に、はにかんだような笑い顔は、不思議とよく似合って見えた。
眉も太く、鼻も大きく太く、口も大きく唇も太い。そんな顔の中、木の実のような小さな隻眼が、かえって彼を悪相にしている。 剣呑な眼差しになると、その小さな目は顔の筋肉の中に埋もれて、ますます小さくなる。それで、なにを考えているかも読めないような不気味さが漂う。 だが、その目の中をちゃんと見てみれば、分かるはずだ。 心を覗かれることに怯えるような、それでいて、見てほしいと訴えるような、純朴な色が。
初めて彼の素の心に触れたのはいつだっただろう、とセンクウは過去を振り返った。 たしか、前々回の八連制覇の後だったのではなかっただろうか。 富樫源吉という男を、結果的に死に至らしめてしまった、あの戦いの後だ。
独眼鉄という男は、自分の感情をうまくコントロールすることが苦手だった。 カッとなれば、それを自分で抑えることができなかったし、気分が高揚してくれば、我を忘れることも多かった。 富樫源吉は、特に武術を習い覚えたこともないただの喧嘩屋だった。だが、その隙だらけで無駄の多い喧嘩殺法で、独眼鉄と渡り合った。 独眼鉄には仁王流を身に着けたという自負がある。その自負が、こんな喧嘩野郎に粘られるとは、と傷ついた。 ひとたび優位を確保するや、独眼鉄は今までの鬱憤を晴らすかのごとく、富樫源吉をいたぶりはじめた。
センクウはそれを見ながら、ただ眉をひそめただけで、止めようとはしなかった。 止めることが許されない、というのもある。一号生相手に甘いところを見せるわけにはいかないのだ。 だがそれ以上に、「こんな男の格を守ってやる必要はない」と感じていたのも事実だった。 己のしていることがどれほど無様か、教えてやるだけの情というものを、このときセンクウは、独眼鉄に対しては感じていなかった。 センクウは人一倍美しいものを好んだし、それは、人間に対しても同じだったのだ。 外見ではなく、態度や姿勢の美しさ、生き方の美学。そういったものが、センクウが付き合う相手を決める基準だった。
八連制覇は三号生の圧勝に終わり、翌日からは、それまでと変わらない日常に戻っていった。 センクウは放課後、いつものように自分の温室の世話をしに行った。 八連制覇の間放っておいたため、いくらか弱っている花があるはずだった。それを早いうちに、なんとかしてやるつもりだった。 まさかそこで独眼鉄に会うとは、思ってもいなかった。 彼に花など、まさに似合うまいと思っていたのだ。
独眼鉄は温室の周りを、所在なげに歩いては中を覗き込むようにし、時折は溜め息をつき、いつまでたってもそこをうろうろしていた。 いったいなんのつもりかと思いつつも、センクウは独眼鉄の「つもり」など慮ってやる気もなく、無遠慮に近づいた。 センクウの接近に気付いた独眼鉄は、その時、初めて見る情けない顔をした。 太い唇が緩んで端が下がり、小さな目の目尻も下がり、泣きそうにも見えるその顔は、余計に不気味に見えた。
「何か用か」 問い掛ける、というよりは追い払う調子で、センクウは冷たく言い放った。 独眼鉄はその声にびくりと身を震わせて硬直すると、直角になるほど背を曲げて頭を下げた。 「はっ、はの、……あの、その……」 頭を下げたまま、独眼鉄は必死の声音を聞かせた。 「は、花……花を、少し、分けてもらいたいと、思いまして」 「花?」 言葉にはしなかったが「おまえが花をどうしようというのか」と言わんばかりの声だと、センクウにも自覚はあった。 だがそれを咎めるもう一人の自分の声は、聞こえてこない。 独眼鉄がちらりと上げた目は、引きつったような眉の下、今にも泣きそうだった。
「あの……ハカ、いえ、その、置いて……、供えて、やりたいんです」 「供える? 何処に」 「……あの、一号生の、富樫、と言うたか、あの男に」 「自分で殺しておいてか」 突き放す言葉に、独眼鉄は頭を下げたままの姿勢から、更に項垂れた。 それから、立っている力も失せたというように、どすんと膝をついた。 「お、おっしゃるとおりです。でも俺は、なんか、どうにも、今思い出すと、なんてことしたんだと、自分が嫌で嫌で、なんかしてやらんことには、あの男が可哀想で可哀想で……、あんな、今思い出すと、あんな真っ直ぐに俺に向かってきて、なんていい奴だったんだと、どうしても、俺は……」 上から見下ろすと、大きいが低く丸い鼻の下、分厚い唇がぶるぶると震える脇に、涙と思われる雫が伝うのが見えた。 芝を握った太い指に、ぽつりと落ちる。
嫌で嫌で、と独眼鉄はまた呟いた。 ぐすぐすと鼻を鳴らして座り込んだまま、ごつい手を膝の上で握り締めている。 俺の見込み違いだったらしい、とセンクウは自分の人を見る目の甘さを認めた。 「それがどうした」と居直ってふてぶてしく振る舞いそうなものだ、と思い込んでいたが、実際には逆だった。 その時には我を忘れてむごいことをしようとも、後になってそれを心から悔やむ気持ちを、独眼鉄はちゃんと持っていたのだ。 センクウは、富樫という男と独眼鉄にも不似合いではない、飾り気のない白い花をいくつか選び、束にしてやった。 そこから、ちゃんと向き合った付き合いがはじまった。
その時々の振る舞いに惑わされることなく、見ようとして目を開いて見ていれば、独眼鉄という男は、たしかに短気であまり品も良くないが、カッとなりやすいと同時に、ひどく神経質……繊細でもあることが分かった。 だからいつもいつも、ついその場の勢いでしてしまったことや言ったことで、後になって悔やむ。 そしてそのたびに「もう少し考えてからにしなければ」と自分に言い聞かせるのだが、うまくいかない。 思慮の足りない言動で相手を怒らせたり不愉快にさせたりするたびに、嫌われただろうかと不安になり、さりとてうまく謝れもせずに「もういい」と投げやりになり、だがそれで割り切れるわけでもなく。謝ろうと決めて謝って、けれど態度がどうにも横柄に見られて「なんだその態度は」とまた喧嘩になり……。
そういった不器用なところが、センクウには可愛く思えてきた。 独眼鉄の本心は、決して他人にも自分にも無関心ではなく、なんとかうまくやっていきたいと望んでいるのだ。 それを表現できない拙さは、どこか子供じみたところがある。 外見のいかつさとは裏腹に、純粋で恥ずかしがり屋で、自分の心と体のギャップを笑われるのがなにより哀しいから、外見に合わせた振る舞いを選んでしまい、うまくいかない。 自分の感情や心を、どこか遠いところから見ているようにコントロールしてしまえるセンクウには、独眼鉄のそんな不器用さは、少し羨ましくもあった。
独眼鉄は、極めて稀にだが、温室に現れるようになった。 自分には似合わないし、粗忽者だからうっかりと鉢を引っくり返しては悪い、とひどく遠慮していたのだ。 だが何度目かの訪問の時、独眼鉄は鷺草の前でうっとりしたような溜め息をつき、長い間飽きずにそれを眺めていた。 「気に入ったのか?」 とセンクウが問うと、独眼鉄は硬そうな頬に少し血をのぼらせた。 「鳥みたいな、花みたいな、それでこんなに、羽みたいに細い花で、……そ、その、き、きれいな、花だと」
たしかそれに付け加えてのことだ。 実は花が嫌いじゃない、と言ったのは。 名前も知らないし、満足に世話もできないが、見ているのは好きなのだ、と。 だが、自分がそんなことを言ったりしたりするのは、どう考えても間違いのような気がして、こんなふうにちゃんと見たことなど、めったになかった、と。 その鷺草を鉢ごとやろうか、とセンクウは言った。 すると独眼鉄は真面目くさった顔で、こう言ったものだ。 「俺が触ったら、枯らしちまいます。それに、きれいなものはきれいな人のところにあるほうがみんな納得します」 あまりに真面目な顔で真剣に言うものだから、センクウはつい吹き出してしまった。 それからは、いくらか温室に来る頻度が上がった。
いろんな話をした。 いつも人から爪弾きにされて、それが悔しくて強くなろうとして余計に嫌われて、男塾に流れ着いたこと。ここでなら強ければ認めてもらえると思っていたこと。 「今は、違うようになったと思います。弱くても、こんなみっともなくても、それでも俺を置いてくれる……俺が本当に大事なことを間違えさえしなかったら、いてもいい、帰ってきていい、俺にとっちゃあ、うちみたいなとこだと、やっと分かりました」 そんなことも、言っていた。 これなら枯れないから、と花のイラストを集めた画集をやったのはいつだったろう。独眼鉄の部屋の本棚で、その画集はぼろぼろに擦り切れた得体のしれないカバーをかけられて大切に隠されていた。 新一号生たちとの四年ぶりの八連制覇の後には、独眼鉄は懺悔にやってきた。 またやってしまった、と。 「俺は神父でも牧師でもないぞ」 と言いながら、話を聞いてやったのがつい昨日のことのように思えた。
だがもう彼は動かない。 短く太く硬い指で、恐る恐る花に触れようとする、そんな姿を見ることは二度とない。 「センクウ」 「いや、大丈夫だ」 羅刹の気遣わしげな声に、頷いて答えた。 生きて帰れたら、独眼鉄の墓の傍には鷺草をたくさん植えてやろう。 そう思うと、余計に悲しかった。 彼はもう、それを見ることもないのだから、と……。
(終)
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