心の風邪薬

 風邪ひいちまった。
 たぶん、あれだ。
 八連でいろいろとあったから。
 怪我だって、俺と虎はほとんど瀕死だったし。
 アンちゃんのこととか、仇だったはずの奴のこととか、飛燕のこととか。
 普段使わねえ頭、使ったからだな。
 だから、そこにつけ込まれたんだ。
 たぶん。
 桃も虎も、みんなもう登校しちまった。
 頭ン中が茹だったみたいにぼんやりして、天井がぐるぐる回ってやがる。
 腹が減ってきたけど、とても自分で作る気なんか。
 ってぇことは、昼飯は我慢か……。

 俺がそんなふうに布団の中で転がってると、廊下を歩いて来る奴の足音が聞こえた。
 部屋の前でぴたりと止まる。
 戸が開いて、誰かが覗き込んだらしいから見てみると、何故か伊達だった。
 こいつ、そういえば一人だけ軽傷だったよな、わりと。
「……潰れてやがんのか」
 そう言われても、どうしろって。
 桃は平気でこいつと話してたけど、俺にはそれがよく分からねえ。
 なんか、どう答えていいのか。
 虎相手なら「うるせえ、余計な世話だ」とでも言えるし。
 桃になら、正直に、考えすぎたせいかな、とか言える。
 Jにだったら、腹減ったって訴えれば、なんか持ってきてくれるだろうし。
 まあ、俺は伊達と戦ったこともねえし、口きいたことだってねえから。桃はたまに話し掛けてるけど、伊達はいつも一人でいるし、松尾とかはビビってるしな。
 俺も話したい話題もねえのに、わざわざ声かける気になんてならねえし。
 そういえば、こいつ、なんだってここにいるんだ?
 桃と一緒で、教室にいたって寝てるかぼーっとしてるかで、鬼ヒゲも口は出さねえけど、ここ半月ほど、一応はちゃんと通ってはいたのに。

 とかなんとか考えて、俺が答えないでいると、どう思ったかは分からねえけど、伊達は顔を引っ込めて歩いていっちまった。
 あいつには言えねえよな。
 腹減ったからなんか持ってきてくれ、とか。
 ふざけんな、とか怒りそうだ。
 てめえでやれ、とか。
 言いそう。
 俺はいっぺんも見てねえけど、恐ろしいくらい強いっていうじゃねえか。
 それに、厳しい奴だ。
 雷電が死んだ時も、飛燕が死んだ時も、取り乱したりはしなかった。
 甘えてんじゃねえ、とか言われるに決まってるよな。

 ……雷電も、飛燕も、月光も。
 死んじまった。

 ほんのちょっとの付き合いだった。
 なんか、もっとこれからいろいろと、付き合ってみてえ奴等だったのに、ろくに話もする間もなく。
 なんか、それが残念だ。
 哀しいんじゃねえ。
 そりゃあ共に戦った仲間で、つらいとは思うけどよ。
 哀しい、なんて思えるほど、付き合ったわけじゃねえから。
 そりゃあショックだった。
 けどそれは、人が死ぬってことが、それが目の前で起こるってことがショックだったんで……哀しい、なんて気持ちじゃねえ。
 飛燕が殺された時だって、哀しいってよりは悔しかった。
 俺がもっともっと強くて、あいつが安心して交代できるほど、拳法とかにも通じてたら、交代して戦えたんだろうに。
 俺のために命張ってくれたことが、不可解だった。
 一度は戦ったものの、ただそれだけで、敵から味方になったってだけなのに、なんでこんな俺のためになんか。
 よく分からねえけど、それを思うとつらかった。
 ……ああ、駄目だ。
 頭痛ェ。
 こんな時にまで、あれこれ考えるもんじゃあねえな、まったく……。

 いつの間にか、ちっと眠ってたらしい。
 起こされて目が覚めた。
 ぼーっと目を開けて、何事かと思った。
 伊達だ。
 煙草ハスにくわえて、伊達が俺を見下ろしてる。
 思わず起きようとして、頭ン中がぐるりと回った。
 朝よりひどくなってねえかよ、おい……。
「飯、食ってねえんだろう」
 ガンガンする頭に、伊達の声。
 何かと思うと、乱暴に起こされた。
 ぐるぐるしやがる……。
 目の前が青かったり黒かったり赤かったり。
 そんな俺の膝に、置かれたのはトレイ。
 どんぶり一つ、乗ってる。
 白いもの。
 粥……だ。
「食っておけ」
 ……ええと、これは―――飯は決まった時間にしか出ねえし、寮長ってヤツがいなくなってからは、当番制の自炊で……今ここに誰もいないってことは……。
 伊達が、作ったのか?
 思わず目を見開いて伊達を見た。
 なんだ、と言いたげな顔。
 ……ますます分からねえ。
 つまらなそうに、こんなことしてるなんて。
 まあ、でもせっかく作ってくれたんなら、食わねえなんて悪いよな。
 そう思って、俺は金属製のスプーンを突っ込んで、一口……。

 風邪なんて久しぶりだけどよ、そのせいで舌がバカんなってるのかもしれねえけど……味がねえ。
 塩っけもねえし。
 なんかドロドロしたものが喉を通ってくだけ――――あっ!
 久しぶり。
 そう、久しぶりに風邪ひいた。
 前は、ガキの頃だった。
 アンちゃんがいた頃。
 俺がまだ小学校通ってた時で、三年生くらいだったっけな。
 みんなが風邪ひいてた時は平気だったのに、その後になってひどいのもらっちまって、朝起きたら起きれなくて。
 アンちゃんが学校休んで、ついててくれた。
 そん時だ。
 アンちゃんが作ってくれたのも、こんなヤツだった。
 粥の作り方なんて知らねえぞ、って。
 米入れて煮ればいいんだよな、なんて、俺に聞いたって知らなくて、結局なんか、これとおんなじような、味のないのを作ってきて、美味くねえってさんざん文句言ったっけ。
 あとで分かったんだ。
 アンちゃん、ホントにただ米と水しか使ってなかったって。
 ……まさか、なあ。
 これ。
 これも、か?
「伊達」
 初めてだな。ちゃんと呼ぶの。
「これ、塩とか、入れたか?」
 聞くと、
「知らねえよ。作り方なんざ、適当に聞きかじっただけだからな」
 やっぱり。
 やっぱりなんにも入れねえで、米だけだ。
 でも、せっかく作ってくれたもんなんだ。
 アンちゃんには文句言って困らせたけど、知らねえのに、作ってくれたんだもんな。
 ああ、なんか、すげぇ嬉しい。
 伊達って奴のことはよく分からねえけど、俺が腹減ってんだろうって気付いてくれるくらいの奴では、あるんだよな。
 俺が粥をかきこんでいると、伊達はふらっと出て行っちまった。
 あとでちゃんと、礼言わなきゃならねえ。
 なんか、そうしたらなんか、話せるようになんのか……ん?
 なんだ、この匂い。
 なんかの匂いだ。
 鼻はまだ詰まってねえから、なんとなくでも分かるが。
 ……線香……?
 ……………………。
 伊達……?

 墓参り、とか。
 墓なんて、あるのかどうかも知らねえけど。
 線香の匂いがしみついて、残るくらいに。
 燃え尽きるまで、ずっといたんだろうか。
 ……あんまり平然としてるから、気が付かなかったけど。
 俺たちが見てるのよりずっと、本当はこたえてんじゃねえか、もしかすると……。

 いつの間にか冷め切っちまった粥。
 味がないどころじゃなくて、不味くなって。
 でも。
 ……仲間が死んで、大事な仲間が死んで。
 もう帰ってこなくて。
 つらくねえわけがねえだろうに。
 それなのに、そんな時に、作り方だってろくに知らねえのに。
 俺のために、作ってくれた―――。

 

「下げるぞ」
 俺は布団に頭まで潜り込んで、ただ頷く。
 今伊達を見たら、みっともなく泣き出しちまいそうだ。
 余計なことを言っちまいそうだ。
 そんなふうに平然としてるけどよ、つらくねえのか?
 なんでそれなのに、俺に飯まで作ってくれて。
 人が死ぬことなんかなんとも思ってねえとか、三面拳のことなんか本当はどうでもいいとか。
 そうなのかもしれねえけど、そうじゃ絶対にねえんだろうと思う。
「……富樫」
 伊達の声で聞く、俺の名前は初めてだ。
「塩、どれくらい入れればいいんだ?」
 ああ、もう、なんでこんなによ。
 俺は情けなくなんかなりたくねえのに。
 鼻水まで止まらねえ。
 伊達とおんなじように、当たり前の声、出さねえと。
 気付かれないように、ゆっくりと深呼吸する。
「塩は、小匙に一杯くらい入れて炊いてな。で、火ィ止めた後に、やっぱ小匙一杯くらい、醤油をよ」
「醤油を?」
「生卵ン中にいれて、掻き混ぜて、そこにぶっこむと美味いんだぜ」
「ふ、ん……。そんなもんか。で、小匙って?」
「あ、あのなぁ……。分からなかったら、小せぇスプーンあるだろう。それでいいんだ」
「分かった。まあ、とっとと治せ。みっともねえ」
 出て行く。

 なあ、伊達。
 もし、万一でもおまえが風邪ひいてくたばることあったらよ。
 俺がとびっきり美味い粥、作ってやるからな。
 そんなこと、ありそうもねえけどよ、万一の話だ。
 あいつらの代わりになれるような重さはねえだろうけど、俺たちはもう仲間なんだからな。
 ああ、俺はさっさと治さねえと。
 そうしたら、今言い損ねた礼、ちゃんと言って。
 なんか話もしよう。
 そうだ。
 小匙、知らねえなんて。
 料理とかしたことねえのかって聞いてみよう。
 もう俺たちは、仲間なんだから―――。


(オワリ)

今回の題目。
伊達×富樫 食べ物 風邪 ほのぼの

リクエストってわけでもないけど
「見てみたいなぁ」と言われれば書いてしまうのが芸人魂!
それもこんな真っ当なネタ!!
ほのぼの〜シリアスという感じになってしまったけどサ。