天使の降る夜

 クリスマス。
 そんな洋モノのイベントを行うことが許された場所ではないが、それを正面きって「騒ぐための口実」と言われては、笑って認めざるを得ない。
 男・江田島、さすがに懐が深い(そうか?)。
 そんなわけで、一号生も二号生も三号生も、その日は放課後から延々と、「祭り」をしていた。


 ここは一号生寮。
 彼等の軍資金にはかぎりがある。
 バイトをしている暇もなければ仕送りなんぞのあるはずのない一号生たちの酒と肴は、一時間とたたずに尽きた。
 それをハナから見越していた賢い面々は、「もう終わりか」と冷めたものだが、夜通し飲む気だった連中はぶーぶーと文句を垂れ始めている。
 宥める桃、飛燕、雷電。
 彼等に任せて静観しているJ、伊達、月光。
 しかし、半端に酔いの回った五十人からの連中を、桃たち三人で鎮められるはずもない。
 少し考える顔をした我等が筆頭殿は、急に不気味なほどさわやかににっこりと笑って、伊達を振り返った。
 ぎくりとした伊達が慌てて顔を背けるが、もう遅い。
「付き合ってくれるよな?」
 嫌だと答えた日にはどうなるか分からない、天下無敵の桃スマイルだった。


 二号生寮では、食堂を宴会場にしてさんざん騒ぐ奴等を尻目に、一人、赤石剛次が自室で茶碗酒を食らっていた。
 クリスマスにかこつけて騒ぐ、という幼稚さが気に食わないが、飲める酒を飲まないのも馬鹿らしいと、半ば不貞腐れたような不機嫌ぶりで、一人で一升瓶をあけかけている。
 憮然と窓から表を見やり、夜風が冷ますそばから酒を煽る。
(ん?)
 眼下を、二つの影が疾った。
 一瞬のことだったが、赤石はそれが、桃と伊達であることを見抜いていた。
(たしか、一号どもも今日は飲んでるんじゃなかったか?)
 抜け出して、何処へ行こうというのだろう。
 伊達はともかく、桃が気になる。
 一見は優等生のくせに、とんでもないことを平然とやらかすのは、桃だ。
 あれに比べれば、よほど尊大・横柄・毒舌と三拍子揃った伊達のほうが可愛い。
 放っておくと何が起こるかも分からん、と、赤石は愛刀を引っ掴むと窓から飛び出した。


 三号生宿舎では、潤沢な軍資金をたっぷりと使って、思い思いの場所で和やかな飲み会が開かれていた。
 騒いでいる者たちもあれば、語っている者たちもある。
 それぞれが最も美味いように飲んで、食っているのだ。
 ちなみに、邪鬼の周りで飲む度胸があるのは死天王くらいのもので、彼等は羅刹の部屋に押しかけて、真面目なことからどうでもいいことまで、他愛ない話をしながら飲んでいた。
「あ」
 窓際で、舐めるようなスローペースでやっていたセンクウが、急に小さく声を上げる。
 何かと思って見やれば、答えがなくても分かった。
 雪だ。
「ホワイトクリスマスってヤツか」
 卍丸が窓から身を乗り出し、手のひらに雪を受ける。
「なかなか乙なものだな」
 羅刹が熱燗を飲み干す。
「こういう日には、物語の神くらいは、信じてもいい気になりますが」
 影慶がそう言って笑うと、邪気は鷹揚に頷いた。
 しばし誰もが、窓の外の雪に見入る。
「雪見酒ってのも、悪かねぇな」
 卍丸は元の場所にどっかりと腰を下ろし、新しい酒を注いだ。

 その時、バチッと硬い音がして、いきなり部屋の明かりが消えた。
 停電か、と思うが、他の部屋の明かりはついている。
「趣向だ」
 邪鬼の重い声が、微かに笑っている。
「このほうが、雪が綺麗だろう」
 闇の中、他の窓から洩れる光を浴びてゆっくりと沈んでくる、白い空の欠片。
 おそらくさっきは、何かを飛ばして蛍光灯のスイッチを切ったのだろう。
 邪鬼の美意識は全くもって確かで、死天王たちはその恩恵に預かることにした。
 言葉などいらない。
 銘々が好きなように酒を注ぎ足し、肴を摘まむ。
 しんと冷えて静まり返った部屋に、別の部屋からの爆笑が聞こえるのも、悪くはない。
 ふと、
「天使でも、降りてきそうだな」
 センクウが呟いた。
 その発想に、時が止まる。
 視線を感じて、自分の発言がロマンチックすぎることに気付いたセンクウは、いくらか顔を赤くして俯いた。
「ならば、これは天使の羽根、か?」
 面白そうに、しかし揶揄する気配はなく、邪鬼が言う。
 と、その時だった。

「うわあっ!?」
「!?」
 間近から大きな声が聞こえて、窓の外を大きな何かが落ちていった。
 一瞬のことだったが、どうやら人のようだ。
 センクウが、そして卍丸と羅刹が、窓から下を覗き込む。
 そこに、重なるようにしてくたばっているのは、見慣れた二人の後輩だった。
「あ、あいつら……」
 卍丸が上を見上げる。
 上は、屋根だ。
 屋根の上にいたのも謎だが、それ以前の問題として、三号生の区域に勝手に入り込んでいるとは。
 いや、いくら祭りの最中とは言え、気付かずに入り込ませてしまっていることも問題だ。それを言えば、真上にいた二人の気配に、今の今まで気付かなかった自分たちも同罪なのだが。
「ああっ、おい、伊達! 伊達っ!」
 下敷きになったほうを、上に乗ってしまったほうが慌てて抱き起こしている。
「……ってぇ……。くそっ! 赤石の野郎」
「おい、剣! 伊達! ここで何をしている!?」
 羅刹が怒鳴る。
「押忍! 失礼しました!」
 言い訳にならない言葉をびしっと吐いて、桃は伊達を引き起こすと逃げの態勢に入った。
 行かせてなるか、と卍丸と羅刹が窓から飛び降りる。二階からならば、足音すら立てることもなく着地できる二人だ。
 その時、宿舎を回りこんで走ってくる者があった。
「貴様等、そこを動くな!」
 斬岩剣を抜き放った赤石である。
 前門の虎後門の狼。
「だからやめとけっつったろうがよ!」
 半ば掠れた声で、伊達が桃へと怒鳴る。
「言うだけで、本気じゃ止めなかったくせに」
「本気で止めたら聞いたのか、ああ!?」
「んー……あはっ」
 がっくりと脱力する伊達に肩を貸したまま、さすがに観念したのか、桃も強行突破には出なかった。

「赤石。おまえまで、どういうことだ」
「こいつらが忍び込むのを見つけたんで、追ってきたんですよ」
「まあ、規則違反は認めますが、だからって思いっきり石投げることもないでしょう、先輩」
 いけしゃあしゃあと、桃は笑いかける。
「なんのためにここに入った」
「秘密です」
 駄目だ。
 無駄だ。
 この男には何を言っても通じる気がしない。
 赤石も卍丸も羅刹も、さっさと諦めて矛先を換える。
「伊達。おまえが説明しろ」
 卍丸が命じると、巻き込まれた不本意さゆえか、伊達はあっさりと口を割った。
「こいつが、ここなら酒も肴も余ってるだろうってんでな」

「ぬ、盗みにきおったのか!?」
「……そういうこと、になるな」
 青筋を立てる羅刹に、伊達は渋々と肯定する。
「ぬぬぬぬぬ」
 どうしてくれよう、と震える羅刹の腕。
 分けてくれと言いにくるなら、快く分けてもやろうが、盗み出そうというその性根が許せない。
 しかし、それでもケロリとした顔をしている桃を見ると、怒る気も失せる。
 桃も伊達も、どんなに叱り付けたところで、しゅんとなって反省するようなタマではないことは明白だ。
「羅刹。今日くらいは勘弁してやれ」
 上から、邪鬼の声が降った。
「は。しかし……」
「せっかくの『天使様』だ。な?」
 邪鬼は、隣のセンクウに向かって笑いかけた。
 一瞬は驚いたようだが、なんともいえないほど楽しそうに、センクウが笑って「ええ」と答える。
「そういうわけだ。その二人は上に連れてこい。丁重にな。それから、赤石。おまえも良ければ、ここで飲むか?」
 引っ込んだ邪鬼に代わって、いつになく上機嫌の影慶が言う。

「自分は、遠慮しておきます。では、失礼しました」
 赤石は一礼して引き返し始めた。
 どうやら困った盗人二人は、三号生幹部連のお預かりとなったようだ。
 厳罰が下ることはなさそうだが、少なくともいじめられることは確かだろう。
 そうして雪の積もり始めた道を歩きながら、桃に無理やり連れてこられたらしい伊達に、そっと同情した。
 あの様子では、さんざん「肴」にされそうだが、何をしてもこたえない桃よりも伊達が苦労するのは目に見えている。
(……少し、早まったかもしれんな)
 せめて出てきたところで捕まえて、盗品を奪い返すべきだったのかもしれない。その上で、わけを話して返却し、二人には俺から強く言っておく、と告げたほうが、少なくとも伊達のためには、良かっただろう。
 しかし、今から引き返したところで、できることなどない。
(すまん……)
 白い溜め息をつく、根が善良な二号生筆頭だった。


 一号生の寮では、すっかり尽きてしまった酒と、冷めた酔いに不服を唱えながらも、ありあわせのもので宴会が続いていた。
「戻ってきませんねぇ」
 飛燕がお茶をすする。
 雷電と月光が、同時に頷いた。
 何をしに行ったのか、おおよその見当はついている。
 それで戻ってこないということは、失敗したということだ。
 助け舟を出しに行くべきなのかもれないが、自分たちの大将の、あまりにも幼稚で悪戯で確信犯的な行動に、いちいちフォローを入れていてはとんでもないことになる。
「どうしましょうねぇ」
「放っておけ」
 あまり心配している様子のない飛燕に、月光が淡々と答えた。
「そうですねぇ」
 こうして、あっさりと救助部隊の出動は見送りにされたのである。

 桃と伊達は翌朝になって戻ってきた。
 出かけた時とまるで変わりない桃とは逆に、伊達はげっそりと疲れ果てていたが、三号生宿舎で何があったのかは、二人とも頑として話そうとしなかったという。

 

(おしまい)

最大の疑問は、何故この季節に(現在2001.7.20)に
クリスマスネタかってこと以外の何モノでもないと思うが?

この話、該当しうる時期はない。
邪鬼が生きている以上は八連の後、天挑の前なんだが、
あの間に「冬」があったのかどうか。
つことで、原作は無視して「八連と天挑の間には半年くらいあった」という設定。
そこんとこヨロシク(何