烏の足跡



2014年3月1日(土)

 ちょっと面白い本発見。
 『嫌われる勇気』というものです。
 アドラー心理学をベースにした話で、「変わりたいのに変われない」「自分が嫌い」「劣等感ばっかりだ」といった人向け。
 そんなもん何故私が買った?という感じもします(笑)。自分自身について悩みがないわけじゃないけど、たいがい自分で内省して考えれば答えは見えるから。
 ただ、だらだらと自分の中で考えてきたことを、きれいに整頓してまとめてくれたり、あるいはもう少し深く理解させてくれそうだったのでKindleでポチッと。

 対話型で進んでいくのですが、メンターにあたる哲学者と議論しにきている青年が、いい感じにウザいです(笑
 おまえどんだけ自分守ろうと必死なんだよ、という感じ。
 でも、上に書いたようなコンプレックスの塊みたいな青年を、この哲学者がどうやって解きほぐしてあげるのか、楽しみで面白くて風呂場でうっかりのぼせそうになりました。いつもどおり、ビニール袋に入れたスマホで風呂場読書です。



2014年3月3日(月)

 ジャンプコミックの「トリコ」の話です。
 第一部の終盤は、私にとっては「『トリコ』の魅力」ではないただのバトル漫画と化していましたし、必要とは思えないヘビーネスでした。それが面白いかどうかではなく、私がトリコで読みたかったものではない、という意味で、つまんなかったのです。
 しかし第二部がスタートし、「おいおい小松のブタっ鼻どこいったよ!?」と思った前回ラストやリンちゃんからのプロポーズを悟空なみにOKするトリコなんかに度肝は抜かれつつ、ビリオンバードの話は、ようやくトリコの世界に戻ってきたという感じでした。
 食べ物になる生命への感謝とか、美味しいものを食べるときの幸福感。
 連載間もない頃の、「読んでると美味いものが食べたくなる」という世界に戻ってきたように思います。
 どんなに凄腕の料理人になっても、ぶちゃいくなビリオンバードを可愛いですよと言ってがってあげる小松。彼が超人的なのは料理の腕になるよりも、食材や料理そのもの、そしてお客さんに対するひたむきさ、誠実さであったほうが良かったなぁとも思うので、こういう話のほうが好きです。

 トリコの世界について、私がずーっと疑問に思っていたことが一つ。
 それは、より美味な食材が出てきて、もてはやされ、流通するようになることで、見捨てられていく「普通の食材」の存在でした。要するにただのタマネギとかピーマンとかです。
 トリコの世界じゃそんなもの「美味しい」ものの内に入らないとしたら、それはその食材たちは、見向きもされず感謝もされない存在。
 そして、美味しいものを食べ続けているとそれより劣るものを美味しいとは思えなくなる……「もの」と言い切っていいかは微妙ですが、そうなりがちなので、だとしたらトリコたちって、ものすごく「下等な食材」に対して失礼な食生活をしていることになりかねません。
 だからいつかどこかで、トリコか小松に「え? これも美味いだろ?」とか、言わせてほしいなと思っていました。こいつにはこいつの味わいがあるんだ、みたいなことを。
 ビリオンバードの回で、僅かにそれに近いものが見られた気もします。とは言え「今まで食べていたものよりは美味しくはないはずなのだけど、久しぶりの本物の食材だから」とか「料理にかの腕がいいから」であって、「ありきたりなフツーの食材」が、そのまま、ありのままに認められた感じはしませんけど……。
 でも、愛情込めて手間暇かけて育ててあげれば、その分美味しくなる、というのは、アリかと思います。

 飽食の時代から一変、食物的困窮の時代で、「トリコ」が今後どう展開していくか、楽しみにしたいですね。不安もありますが(笑

 あ。
 ちなみにジャンプでは今、暗殺教室も楽しみにしています。
 いささかヘビーだった回を抜けて、今号からはケイドロ(笑)。烏間先生の超人っぷりに軽くびっくりしますが、ころせんせーとの「刑事」タッグに、生徒たちがどう向かっていくのか、めっちゃ楽しみです。



2014年3月8日(土)

 そういえば今年の夏はTF4。
 どうなるのか期待より不安のほうが若干大きいのですが、どうやら今作は恐竜ロボ、すなわちグリムロックらとの絡みのようで。
 ティザートレーラーが出ていたので見ましたけど……ハゲのおっさんが「我々はもう君らを必要としていない」とか言ってるシーンもありますし、「リメンバー・シカゴ」とかいう看板もあったりで、トランスフォーマーと人類の間は微妙な関係ぼく。
 そんな中で、廃車同然のオプをメンテするのが、今回の主人公のおんちゃんなんかな? で、宇宙から恐竜ロボらがやってきて、どうのこうの?
 よく分かりませんが、オプのデザインはよりヒューマノイドぽくなり、ビーはマルハナバチどころかスズメバチっぽくなり、ディーノもいるらしい?
 TFでないロボット映画としては面白そうだなと思います。でも、TFとしてみたいものを見られるような予感はせず……。
 でもま、夏になったらいそいそと毛机上に見に行きますよ、もちろん。
 ただ、ディセプ好きの私としては、メガトロン死亡で彼等はもう出てこないぽい、今後の実写TFにどこまでハマれるかは疑問な気も。
 いい意味で裏切ってほしいなぁ。



2014年3月9日(日)

 自分の部下・後輩に対して、「使えない」と言う人もやっぱり、「使えない」。
 と思う今日この頃。
 だって、仮にも上司という立場であり、部下を引率・監督・指導する責任のある身なら、「使えない人を、少し部も使えるようにする」こともまた職責の一つだから。
 「使えない」人が、他の普通の人、使える人と同じになることはないとしても、「前より良くなる」ように指導したり、注意してあげたりするのが役目なのに、ただできないことや欠点を挙げているだけなら、十分あんたも使えないし、あんたが「使えない」と言うその人は、あんたみたいに人の悪口言って笑ってない分、人間的にはすごいと思うよ?みたいな。
 むしろ誰かに自分の部下を悪く言われたら、「いや、私がきちんと教えてやれてないから」と自分が恥じるべきところではないかというのに、一緒になって悪口言ってるんじゃ世話ない。
 仕事の業績だって、そういう部下を使って、どうやって売上を作るかの話なんだから、「使えない」って言って放置してるだけでは職務怠慢。その人がどうすれば少しでも売上に貢献できるスタッフになるか、考えるべきであるわけで。

 他、その場にいない人の仕事の悪口で盛り上がってたりするのを見ると、「なんだかな」と思いますが……。
 「欠席裁判はよそう」というのは、前の勤務店の社長がよくおっしゃっていたことでした。
 懇親会という名の飲み会で、つい愚痴まじりにその場にいない人の批評になることもありますが、そうすると必ず社長は、「欠席裁判はそれくらいにしよう」「もっと自分の仕事の話をしよう」と言ったものです。
 会社を離れて思いますが、すごくきちんとした、道理の通った、真面目で義理堅く、厳しいけど優しいところもある人だったなと思います。
 そりゃしょせん中小企業にとどまっているわけだから、大会社のものすごい社長さんとかCEOには及ばない、普通の人だと思います。ジョブスとか幸之助さんとかゴーンさんとかに比べたら、普通の人でしょう。でも手の届く身近な人としては、立派な人だよなと。今更改めて思うのです。
 私が上のように考えるのにも、やはりあの会社で、バイトで5年、社員で5年、勤めてきて、学んだことだろうとも思います。(もちろん本で読んだりして考えたものもあったりしますが)

 同列の人が互いに愚痴言ってるくらいならともかく、監督責任のある身で、部下に対して「使えない」と評して笑ってるのは、みっともない。
 そして、「その人をもう少し"使える"人にするのも、チーフとか社員の仕事でしょう」と言った言葉に、「あれは無理ですよ」とかへらへら笑ってるなら、それまでの人。
 私としては、最低限の関わり以外、遠慮したいタイプですね。友達には、いらないです。



2014年3月20日(木)

 なんだかすっかりメインのザレゴトを放置してますが、ゲームザレとタロットの話で更新中なわけで。
 しかしたまには、漫画の話でも。
 今更ですが、「ジャバウォッキー」にハマりました。
 前々から友人に勧められてはいたのを、ようやく読んでみたら面白かったという。
 Kindle版があるのでそっちで落とそうかとも思いました。が、「横割りの見開きコマとか多いから、電子書籍向きじゃない」と言われて紙で注文。
 白黒コントラストの、かなり面白い画ですね。内容も好みです。

 発売を楽しみにしてる漫画というと、「トリコ」「暗殺教室」あたりはメジャーですが、他が「木造迷宮」「蕎麦屋幻庵」「猫絵十兵衛」といったところ。「ジャバウォッキー」は3/12に出た7巻で完結らしいし。(近くの店=以前の勤務店には入荷すらしてなかったことが判明)
 巻数が積み重なるコミッ類は、あんまり頻繁に発売される週刊誌系、集めるのは少数にしておかないとね……。トリコがまさか30巻近くも続くとは思っていなかったので、これは間違いなく誤算。
 でも新刊のコミックに、「打ち切りにならなければ……」みたいな作者コメントがあって、やはり人気下火になってきたんだろうなと思ったり。こういう言葉って、まったくそれを想定しないときには、出てこないものだと思うのです。

 なんにせよ、しばらくは待ってる新刊の出る予定もないし。
 つーかそろそろ、ダンボールに5箱のCDと4箱の要らない本、売ってしまいたい気持ち。



2014年3月22日(土)

 さっきふと思ったこと。
 「休日」というのは、やるべきどんなことにも縛られないタイミングのことを言うんだなぁ、ということ。

 仕事が休みとか、学校が休みとかいうだけでは本当の「休み」じゃないなと思ったのです。
 遊ぶ約束でも日常の雑務でもなんでも、「これしなきゃ」ということが既に存在してたらもう、「休み」じゃないわけで。

 今からしなきゃいけないこと、今日中にしなきゃいけないことが一切なにもない、白紙の予定だけが存在してるタイミングこそが「休み」。
 しかしここに、「ごはん作らなきゃ」とか「掃除しなきゃ」とかが出てきたら、それはもう「休み」じゃなくなるのです。

 幸い今の私には自由時間が山ほどあるので、そういう「休み」のタイミングが時々訪れます。
 それでも時々です。
 何故なら、自由に使える時間に、自分で選んでいることとは言え、やっぱり誰かとの約束とか、明日のバイトに合わせて多少時間合わせしないと起きるのがつらいだとか、たいていの場合はなんらかの"縛り"が発生するから。
 4連休くらいあって、なに一つ予定を入れてないとやっと、そういう「休み」のタイミングが手に入ります。
 そしてその瞬間に「しよう」とおもったことをやり、飽きたらやめる、「しなきゃ」がなにもない状態が続く間は、「休み」。
 けどたいていの場合、どこか一日は誰かと遊びに行く約束を入れてしまったりもして、「さあ今から思う存分なに一つ気兼ねせず好きなことできるぞ!!」という「休み」なときは、意外にないのです。

 ゴールデンウィークでもなんでも、まとまった連休があれば社会人も可能性はありますが、年中無休みたいな仕事選んでたらまず無理な感じ。
 養うべき家族がある人もなかなか難しく、特に、お母さんという立場の人は困難。
 一人で過ごすのが苦痛なタイプの人だと、楽しいことだろうとは言え友達と遊ぶ予定ばかり入れて、たしかにそれは娯楽ではあっても、「何時にどこどこに行かなきゃ」といった"縛り"が生じるという意味では、解放感は劣る気がします。ただ、そういう人は一人気楽な解放感よりも、誰かと一緒にいる安心感みたいなものを重視してるわけで、私のように「完全な休み」を、それほど楽しまないのかもしれませんが。

 ……ところでどうでもいい話、そしてここまでの話題にまったく関係のない話、最近このPC(IME)、「わたしの」とか「ひとの」と入れて変換すると、「私ノ」「人ノ」と、何故か「の」がカタカナになりやがります。すっげ迷惑です。



2014年3月24日(月)

 「西遊記」を読んでみてます。Kindleで見つけたので。
 時々テレビドラマにもなれば、漫画の題材にされたり、あるいはちらりとモチーフが扱われたりする有名な話、だけどきちんと原作を読んだことはなかったなと。
 そしたらまあ、思わず苦笑いせずにいられない場面の連続。
 まず、三蔵法師が情けない上に頭悪い(笑)。何一つ活躍しないし、かっこいいシーンとか感心するシーンがない。悟空たちと違ってただの人の身なので雲に乗れないとかいった点で劣っているのは仕方ないけれど、行き詰まればすぐに泣く、化け物がいれば必ず捕まる、悟空が忠告し守ってやろうとしてるのに言うこと聞かずに捕まるトラブる、旅にも化け物退治にもなにか一つ、一度として役に立たない、知恵すら出さない。
 猪八戒は単細胞な憎めないタイプで、悟空の助太刀したりしてけっこうがんばって戦ったりもしますが、沙悟浄の出番はほとんどない。竜馬も最初に触れられたきり後はただの馬。
 ヒーローの悟空とて、化け物と戦うと、小さな生き物に変身したりして忍び込むのは上手くても、戦闘時にはまず互角か、八戒が加勢してやっと互角で、しかもたいていそれでも勝てなくて、観音様だの菩薩だの龍王だの土地の神様だのに頼る。
 助太刀を頼みにあちこち飛び回ることになる悟空ですが、その移動距離、三蔵がいなかったら天竺まで何往復もできるんじゃないか?という感じです。
 ここまで主人公一行が活躍しない物語だとは思いませんでした。
 それはそれで、シチュエーションとかが面白いので飽きずに読めてしまうあたり、決してつまらなくはないのですけど。「さあ次の話はどんな活躍が見られるのだろう」というのではなく、「さて、次はどんな難儀な目に遭うのかな」というところで(笑

 それにしてもこの話、なんのつもりで書いたのかが気になります。
 だって、普通こういうヒーローものだと、読み手が感情移入する主人公たちが活躍するものです。けれどこれはさっぱり活躍しない。活劇はあるけれど、みんなしてあまり強くないしいい見せ場も少ない。どうしようもないからとあちこちの助太刀引っ張りだしてそれでもダメで、最終的に観音様とかが出てきて「こいつはこれこれこういう奴だから私に任せなさい」で出て行くと、それだけで「ははーっ」と解決。
 書き手は、なにを意図してこんな、「活躍できない主人公たち」を書いたのか。
 そう見ると、真に解決役となるのが必ず仏教界のお偉いさんであるところから、「ハンパものの妖怪や、ましてや人間ごときなんて大してなんの役にも立たないし力もないし、その点仏様ってすげーよね!! ビバ仏様! HO・TO・KE! HO・TO・KE! Yeah!!」に見えてくる始末。
 だからと言って物語中に、仏教のありがたい教えが分かりやすく込められているのかというと、たぶんそうでもないような。
 ある意味、そういう「存在としての微妙さ」も含めて、微妙さが面白くてついつい読んでしまう。
 そんな不思議な物語です。




Made with Shibayan Diary