烏の足跡



2012年11月1日(木)

 DS「ラジアントヒストリア」もプレイ中。
 ラジアータストーリーのスタッフが多数参加しているとかなんとかで、そこにこだわりのある人からは「ヤバいんじゃね?」と回避された悲しいソフト。
 私、ラジアーターストーリーは、エンディング以外はかなり好きだったんですけどねぇ。
 ともあれ、キャラ画とかがあまり好みでなくて特に気にもしていなかったのですが、評判がいいので買ってみました。
 これもフツーに面白いですね。ついちまちまとプレイしてしまいます。「IFの歴史を確かめられる」というのが、なにげにプレイのモチベーション★ 「え? こっち選択したらどうなったの?」とか思ったら、そこに戻って選択をやりなおせるシステムです。で、「正しい歴史」を見つけ出して、進めていくのが物語上の目的。でもゲームとしては、シナリオコンプが目的ですよねー?

 そして。
 ついに来ましたね! 「DQ 7」のリメイク!!
 私が唯一、まったく触っていないDQシリーズ。……え? 10? うん、あれはいいや、別に。
 結局、4はクリアした記憶はないのですが、複数の主人公の視点から物語を進めて、それが最後に一つになる、というのはなかなか面白かったと思います。キャラのストーリーによっては、どうでもいいものもありはしましたけど。
 5は昔から好きな作品です。パパと子、自分と奥さんと仲間、自分と子供、という三世代の冒険。伝説の勇者が自分ではないというのも、実はけっこうツボでした。
 6はプレイしたはずが記憶からなくなっていて、でもプレイしてみると「ああ、これたしかに見たわ」と思い出せるような印象的なシーンがあったという、つまり、浅い記憶には残らなくても、深い記憶にはしっかり残っていた作品。
 8はプレイしたのがそう昔でもなく、キャラの名前とか、おおまかなネタバレ、落ちだけ覚えています。テンションが面倒なので、またやりたいとは思いませんけど。
 9は、すれ違い要素無視して、ただ純粋にシナリオだけ追ってみると、やっぱりけっこう面白いですね。最初にプレイしたときは地図がどうのとかすれ違いで宿屋がとか、そっちの印象ばっかり強くて、肝心のシナリオをさっぱり覚えてませんでしたけど。
 この流れにあって、唯一リメイクされたことなく、私も触ったことがなかった7。

 2013.2.7でしたっけ。
 すっかりスレっからしたヘビーゲーマーが、久しぶりに、「ドラクエなんていう国民的なメジャーでライトなRPG」を楽しみにしています。
 でも、こういう心持ちっていいですね。
 「今更ドラクエ?」とか斜に構えていると、なんかワケ知り、ツウっぽい感じはしますけど、そういう自分を冷めた目で見ている自分もいたりして。
 「いや、やったことないし、評判はいろいろあるけど、先入観なしで遊んだら楽しいと信じて楽しみにしてるよ」と思っていると、自分がとっても健全で素直になった気がします気のせいにすぎなくてもねっ!!

 「ブレイブリーデフォルト」やったせいで、DS版のFF3もまた遊んでみたくなりましたね。
 あれも、思い出補正で「昔の、キャラに個性がなかった3がいい」と固定観念でプレイすると、ハナっからケチがつきますけど、そういう変なこだわりなくしてプレイしたら、やっぱりもっと楽しいと思うんですよ、我ながら。
 PSP版も最近出ましたけど、……DS版のほうが中古圧倒的に安いからね? うん、まあ、5台もあるPSP、最近ほとんど動いてませんけど。
 ここんとこDS系ばっかりなのでした。



2012年11月2日(金)

 「デッドマン」を読みました。横溝正史賞とったものでしたっけ。
 島田荘司の「占星術殺人事件」に触れた、「複数人間の体の部位から、一人の人間を生み出す」という猟奇殺人を扱った作品です。これは作中に、その作品を真似した模倣犯ではないのか、と疑われたりするシーンがあるように、明確に「占星術殺人事件」を取り込んで書かれたミステリです。
 部位の寄せ集めである「死体」は本当に生き返ったのか? そんなわけはないとすると、いったいどういうことなのか?
 ―――残念ながら、その部分のトリックは「僕」と「先生」のいる場所に、初めて別の人物が出てきたあたりでなんとなく分かってしまいましたが、なかなかおもしろく読めました。
 ラノベ寄り、かな。
 本格的な警察小説というわけでもないし、本格ミステリというのでもない。主人公は45歳の男性刑事で、その仲間も同年代の同僚、若い刑事とプロファィラーという、合計四人組。
 このキャラも、わかりやすく書き分けられていて単純に楽しめました。人物造形の深みみたいなものはありませんけど、さらっと読む分には分かりやすいほうがラクでいいです。
 ただ、正木刑事が40過ぎたおっさんだというのに、言動が「いい歳したおじさん刑事の傍若無人とか熱血、磊落さ、無神経さ」には感じられない軽薄さがあるとか、しっくり来ないのが残念です。単なる「分かりやすい紋切り型のキャラクター」であって、加齢臭とか(ぉぃ)今まで生きてきた人生をまるで感じられないというか。「小説用のキャラクター」であって、リアルさというか、説得力がないですね。なんかどうも、表面だけの設定で動いているような感じがしてしまいます。
 このあたり、横山秀夫氏とかだと、たとえ短編だろうとなにがしかのリアルさを「刑事」の中に感じさせてくれるのですが。
 好みの問題かなぁ。

 好みの問題かなぁといえば、「やっぱりこの人は、文章自体がものすごく上手いんだよな」と思ってしまったのが、京極夏彦氏。
 京極堂シリーズは冗長すぎて読めないのですが(初期2冊くらいで満腹)、「巷説」シリーズが好きで一通り読んでますし、コミカライズも持ってます。(これは絵を描いている日高さんも好きなため)
 少し前に出た、林蔵が主役の「巷説」ものの新書、まだほとんど読んでいないのですが、冒頭からの語り口がすっと頭に入ってきて、作品の世界に引き込まれるような感覚。苦もなく意味が入ってくる文章。
 本当に単なる好みの問題かもしれないのですが、「やっぱ違うなぁ」と思いました。

 好み……なのか。
 それとも。
 自分の中でかなり咀嚼し、味わい、飲み込んだものを丁寧に、選んで吐き出しながら綴っているのか。あるいは、聞き知った程度、少し調べた程度の表面的な「知識」だけを組み込もうとしているのか。
 登場人物の内面、感覚、視点にしっかりと重なって、あるいはブレないように計算しつくして動かしているのか。頭の中だけで描いた表面的な言動や感情を決めたとおりに書いているのか。

 こんなことは、自分自身がスバラシイ書き手でもあるまいに、偉そうに語れることでもないのですが。
 「人にとって」どうかは分からないものの、自分が書いたもので、自分にとっては、の話ですが。
 「借り物」を咀嚼せずに使おうとしただけのものと、どれだけ偏っていたとしても自分の中に沸き上がってきたリアルに忠実に書いたものとは、書いた私自身が読んでいても、違います。
 なんかやっぱり、「はいはい、このネタ、この設定が使いたかっただけね」というのと、知識が浅かろうがなんだろうが、そこにある「思い入れ」とか登場人物の「思い」が自分の中に強く沸き起こったものとは、あからさまに違うのです。
 キャラクターもおんなじです。
 単なる「記号」として配置したバックボーンも物語もないキャラクターは、やっぱりなんの個性もないですね。
 しかし、何一つ作中で説明はしなくても、何十回と脳内妄想もとい構想時に動かして様々な言動をとらせたり、シチュエーションに置いた末に配置したキャラクターは、たぶん、台詞一つ、仕草一つ、反応一つとっても、たった一文で表現されるものでも、なにかが違う……ハズ。読んだ人にそれが伝わっていないなら単なる自己マンなんですけどね!

 でも、他人にとってどうかなんてことより、私は、せめて作者自身がぐわ〜っと移入して、のめり込んで、面白い、活き活きとしていると感じられているなら、まずそれでいいように思います。
 なんていうかそれって、他人にとっての出来不出来なんか関係ない、「我が子」な感じ。生きた存在。たとえ私には合わないとしても、ちゃんとそこに生み出された物語。
 でも、作者自身が小手先で作ったと感じるものは、しょせん人形です。それでも誰かの好みに合えば気に入ってはもらえるし、大事にはしてもらえるし、「その人」にとっては生きた存在になるけれど、なんかそれって、「書き手」としては、書き手自身は、正味の満足はできないものなんじゃないかなぁと。

 商業でどうかは知りません。
 でも趣味でやってる分には、せめて「そのときの自分」くらいは、超自己マンできるものを生み出しているほうが、有意義な気がします。



2012年11月8日(木)

 ……旅行に行きたい……。
 本屋で働き、旅行ガイドを売るたびに「ちくしょういいよなこの人たちって普通にGWとかあって友達と三泊四日でどこそこまでとか行ってくるんだ」と思ったりするこの数年来。
 日光アレルギーゆえに、日差しの強い時間帯にふらふらすることはできないとはいえ、日に当たると灰になるわけではなく、フードつきのコートや手袋でガードしていれば行きたくもないのに強制参加だった社員旅行のグァムではしぶしぶそんな格好で殺人光線かこれはという照りつける太陽の下移動くらいはせざるをえなかったわけでもう二度と行きませんけどね!
 と今までの人生でそしてこれからの人生でもおそらく最低最悪だったと言える5年ほど前の旅行というか連行が、一番近い旅の記憶なんてイヤー!!
 東京まで人に会いに遊びに行くとか、そういうプチっとした楽しみは当然ありましたけど、なんかもうもっとちゃんと観光したい旅したい!

 なんかこうふと急に、正社員として働いて、貯めるつもりもないのにこの金使いの荒さでも自然と貯まっているいくらかのお金、「これなんに使うつもりなの自分?」と自問したら、ものすごく無駄なことしてる気がしてしまいました。
 老後か? 単なる生活の保証か? それがないと安心して遊べもしないのは事実だけれど、あと10年、20年もしたら今よりもっと体力も落ちるし体のガタも来るだろうに、なんで「一番タフかつ自由な時期」に遠出して遊ばずにいたんだろう?
 ええ歳したおっさんおばはんになってから、余暇持て余した壮年の旅行ツアーに出るのって、自分のしたいことじゃない。ましてや養わなきゃならん子供なんてものも相方もいないのだから、「この子たちが一人前になってから」とか「育てる責任が」なんてものは、ナイ!!

 というわけで、遊びに行きたい衝動がMAXなのでありました。



2012年11月10日(土)

 ジョーカー福留さんの本を読み、なかなか面白いことが書いてあるなと思いつつ、でも、「この人、"突き抜けたバカ"だから幸せな、あるいは成功した生活を送っているんじゃなくて、本質的には頭もいいし、なにより真面目で愚直だから認められてるんじゃないの?」としか思えませんでした。
 他の人からバカにされるような"変なこと"が対象でも、それに真面目に、一心に、愚直に、かつ、「生計を立てること」や「社員を養う責任」なんかはしっかりと理解しつつ臨んでいるから、良いのです。
 だいたい、たかがコンビニアイスでも、「評論家を名乗ってしまった以上、勉強しなければ」って発想自体が、"ただのバカ"のものじゃないでしょ。
 でも、「本当に好きなことなら、それで食っていけるくらい一途に追いかけてみなよ」みたいな、ありがちな励ましは得られるかと思います。

 という本に対する微妙な感覚はさておき、「アイスマン福留」という名前でやってるコンビニアイスのブログを見に行ってみました。
 ……いや、うん……なんか、微妙。「え? こんだけのことしか書いてないの?」と思ったのがあり、アイスの変わった食べ方もスタートから束の間だけ更新されてそれきり止まってるコンテンツだし、……評論家名乗って、メーカーからもある程度認知されていたら変なことは書けないのかもしれないけど、基本的には褒めてしかないし、その褒め方も似たり寄ったり。
 アイスについての豆知識みたいな項目も、「その程度?」と思わずにいられないようなあっさりした内容。
 ううむ。なんかもっと突っ込んでいろいろ調べてあったり、比較してあったりすると思っていたので、拍子抜けでした。

 そのため、他にも誰かアイスの批評してる人いないかなと探してみたところ、見つけた人は。
 個人のブログなので構いはしないのですが、とにかくダメ出しばかり。自分の好みに合わないものは「二度と買わないな」とか「リピしない」とか「期待はずれ」「これだったら○○のほうがいい」といった、マイナスの言葉がとにかく多くて、微妙。
 もちろん、味の好みが同じ人は、「この人がいいと思うものは、私にも合うかも」とか、一つの判断材料にはできます。それに、自分の好き嫌いを書く目的のブログなら、これでまったく構わない。
 でも、読んでも面白いもの、楽しいと思えるものが増えた感じがしないので、二度と読まないと思います。

 アイスマンさんのはどれもこれも基本的に褒めのスタンスだからアテになる気がせず。
 あるかたの個人ブログは「自分の好み」に応じて容赦なくダメ出しされるので楽しい要素が少ない。
 また見に来ようとか、参考にしようと思えない、というのが私の感想でした。

 自分自身がタロットの紹介を行なっていて、そういうことはないかと振り返ってみますと……自分の好みの話と、そのタロットの紹介部分とは別枠にしているし、「紹介」の部分は、私見とはいえ「自分にとって」ではなく、できるだけ「一般的に見たら」とか「こういう人にとってなら」と表現するようには心がけています。
 その上で、自分にとっては好きだとか、イマイチだとかいった感想もつけているのは、趣味が似ているなと思った人、あるいは逆の趣味な人にとっては、その「好き嫌い」も判断材料になるし、タロットのコーナー自体あくまでの私の趣味の紹介みたいな面もあります。「自分にとって」の部分は、何年かたったときや、なにか強く印章に残る出来事があったりしたときに、今と昔とで変わることもありますから、「今の自分メモ」も兼ねていますね。
 あとはやはり、できるだけ中立でありたいので、「私があまりいいと思わなかったものでも、それがこマミにフィットする人がいるだろう」ことを考慮して、否定的なニュアンスにならないように、とは考えています。
 読んだときに、「そうか、この管理人はあまり好きじゃないみたいだけど、でもこういうタロットなんだな。私には合いそうだな」と思ってもらえるのが、最低ラインかなと。「私はいいと思うのに、なんでケチつけるの」とか、「そうか、これは良くないものなんだな」と思わせるのは、避けたい。

 バカといえば、アホみたいにこまかいゲーム攻略も、わざわざすべてパッケージやカードをスキャンしてアップしているタロットのコーナーも、十分「バカ」なシロモノかもしれません。
 SS書きたいからってバイト休んだりしてたのも、世間的には迷惑なだけでしかないことですけど、「バイトに行けば6000円、SS書いても1円にもならないのに、それでもやりたくて我慢できない」くらい、バカになっていたことでもあります。
 今もそれは変わりません。ただ、昔ほど無責任でもいられないので、サボったりはしないだけ。
 でも最近、なんだかホントにSS書いてること少ないし、ゲーム攻略もタロットのコーナーもやりかけてること、やりたいことあれこれあるし、当然ゲームだってしたいしで、「……仕事辞めて、しばらくふらふらしようかなぁ」と、●歳目前のいいオトナのものとは思えない馬鹿な考えになりつつあります。
 私の人生訓は「バカになれなくなったらそこから先は余生」。バカなことをその時点でしていないのはいいけれど、なろうとしてもバカになれないのがもうダメだろと。どんなにささやかでもいいし、一日の内、一週間の内の少しの時間でもいいから、バカかというくらい真剣に、あるいは夢中になれるもの自体がなくなってしまったら、そこから先は惰性の生だろうと。
 あーあ、バカやって、笑い飛ばして過ごす時間が欲しいですよ。



2012年11月14日(水)

 三国無双6エンパは思ったより早く飽きてしまい、無双OROCHI2をプレイしている不思議な現在。
 何故こうなったかというと、実はきちんとルートがあります。あることに気づきました。
 で、他に書きつけるに相応しい場所がないので、ここで書くのですが(笑
 
 まず、6エンパをプレイして、「これなら戦国2エンパとか、三国4エンパのほうがずっと面白かったなぁ」と思ったのがあります。
 で、そこで「そういや戦国無双2で、本多正信が忠勝・半蔵・小太郎を相手に漫才しつつ戦闘指南、エンパ攻略するコーナー作ったよなぁ」と、我ながらあれが気に入っているのですが、それを思い出しました。
 で、読み返して、アホなことばっかり書いてるし、「攻略」としての役立ち度、分かりやすさはさておき、笑えるもの書いてるなぁと思い。
 そこで、久しぶりに半蔵と小太郎、忠勝を使ってプレイしてみたくなったのですが、PS2を用意するのが面倒なので、OROCHI2になったわけです。

 それに合わせて自分で書いた戦国SSも読み返してました。
 自分で言うのもどうかと思いますが、女性向けであることはさておくと、けっこういい話書いてるよなと思ったわけです(笑
 だっていま自分で読み返しても感動するもん!
 馬鹿かと言われそうですけど、自分で読んで冷めてるとかつまんないのなんて、そもそも書きたくないもん!!
 それでも、そのときにはノッてて気付かなかったけれど、今見るとどうしても覚めてしまうものだってあります。
 でも何故かこの小太半、特に「決着」のつく話は、自分で好きです。
 自給自足ですけど、だからこそ、自分にとって美味しい素材を、自分にとって美味しく調理できたんだなと思います。そして時々、それを味わってものすごく気に入ってくれる人がいて、幸せです(笑

 そしてまた久しぶりに、書きたくなりましたね。
 なんかもう画面見てて、小太郎の肌ってなめらかでさわり心地が良さそうです。これは私自身の感覚。すべすべさらさらしてそす。青い目もきれいだし。
 戦国3では半蔵とのつながりがさっぱりなくなって、完全に北条家に入ってしまい、そのせいで私の中に「続き」が生まれなかったわけですが、2の世界でまたいくつか、SS増やせたらなと思います。



2012年11月17日(土)

 またメタル病が発症しています。
 えーと……
 Holy Knightsの「BETWEEN DAYLIGHT AND PAIN」
 Ensiferumの「Unsung Heros」
 Age Of Artemisの「OVERCOMING LIMITS」
 それからJ.R.BLACKMORE & FRIENDSの「VOICES」(リッチー・プラックモアの息子さんかな)
 いそいそと取り込んで、PC作業しながら聞いています。

 Holy Knights聞いてて、最後の最後に突然日本語が聞こえてきてぶっ飛びました。思わず「なんじゃこりゃ!?」とアルバムの解説見たら、機動戦士ガンダムXのOPテーマのアレンジだそうです。ちゃんと日本語で歌っとるよこの人たち(笑
 劣化版Rhapsodyと言いたい人には言わせておいて、本家Rhapsody(FIRE)も最近は微妙なので、私は気にしません。ていうか、クサメタルは程よいB級感、ベタさ加減が好きなんですよ。
 ただ、聞き流していて「おい!」と初めて思ったのがこのカバー曲なあたり、ハートに響くキラーチューンはなかったってことですねぇ。

 Ensiferumは1曲めのインストが異様なくらいきれいなのですが、そこに突然デス声が乗るのが面白い。俗にヴァイキング・メタルと呼ばれるものなので、そこはそれ、男くさくてなんぼですけどね。どこか民謡のような、土着の泥臭さを感じるリフが好き。
 まあでも、この手の「民族臭ふんぷんたるメタル」というと、酒飲みメタルのコルピクラーニがマイ・ベスト。―――とか書いて分かる人が何人いるんだ orz コルピはね、なんかイライラするときに大音量でかけながら飲むのがいいんですよ!
 と別のバンドの話になりましたが、Ensiferumはデス声に比べて音が薄いというか、軽いのが残念。もっとがっつんがっつん、太い音出してほしいなぁ。でもメロディラインはいい感じに歌ってて気持ちいいんですよ。日本人に馴染みやすい歌謡曲要素っていうか。あと、ゲストだと思いますが、女性Voが繊細で美しいですね。これだけフォーク・メタルっぽい。

 Age Of ArtemisはANGRAのエドゥ・ファラスキがプロデューサーやってるそうで、一番好きだった頃のANGRAによく似てます。なので視聴して即買い。王道のシンフォ・メタルですね。既にこの時点で好物。
 でも、似てるからこそ、Voのパワーの差とかもよく分かってしまうのが……。悪くない、上手い、癖がなくて聴きやすい、でもなんつーか、パワーを感じない。惜しい! でも初期のANGRAよりは安定してるかも。
 なんにせよ、メタルそれほど聞かない人でも抵抗なく聞けそうなくらいにアクがなく、バラードはVoの声の良さがよく分かります。でもホントあと少し。あと少しなにか……。てか四曲目の「Take Me Home」メタルじゃなくて単なるロック&ポップスちゃうかこれ? 普通にいいバラードですよ。
 ちなみにANGRAはCarry Onにやられ、Rebirthは未だに最愛の曲。私にとっては文字通りのキラーチューン。しかしアルバムによっては一度聞いたら二度と聞かないものもあるバンドです。

 ブラックモアはメタルではないのですが、だからなんだと言われると……。
 Voが曲ごとに違い、それによって曲もけっこう様々。ヴィヴァルディの四季だっけこれ? 2曲めの冒頭。
 3曲めなんてタイトルが「ベートーベン」。どれもなかなか好きな感じ。
 J.R.はギターですね。よくもまあこんないろいろな音色出せるもんです。エフェクトとかじゃなく、ピッキングとかで生まれる音そのものの違いというか。と言ったところで音楽的素養のないヤツの感性頼りな話なので、信憑性はありません。
 なんにせよ、タイトルの「Voices」が示すとおり、一級Voのそれぞれの声に合わせた曲というか……バラエティ豊かでどれも良い! 個人的にヘビーローテになりそうなほど気に入った曲というのは見つかりませんでしたが、トータルで聞いていて、一番リピートしやすいのがこれかなぁ。
 ただ、「ジキル&ハイド」と「We are Rock'n Roll」歌ってるデイヴ・エッサーって、まったく知らないVoなんだけど、なにこの独特の声。思わずライナーノート広げちゃいますよ。SCHATTENSPIELERのフロントマン?
 Amazonで調べてもCD出てこないのでふつーにググッたら……ドイツのバンドかい! MP3ならあるなぁ。でも視聴すると声がけっこう違う……。2008年と2009年のアルバムなので、今とは少し違うのかも。

 今回は、大当たりこそなかったものの、はずれもない感じでした。



2012年11月18日(日)

 先日、「のぼうの城」を見てきたついでに原作を買い、一度買って読んでいるのにまた読みたくなった「水の城」も買い、そしてとっとと読んでしまいました。
 「のぼうの城」、けっこう面白かったと思います。そりゃツッコミどころはたくさんありますけど、野村萬斎さんののぼう様は、原作の設定よりしっくり来てたかな。
 原作では大男でのっそりした感じ。武芸もなにもかもダメ。のくせに田楽踊りは達者に踊る。そこが違和感。わざとなにもできないふりをしていたとも思えず、正直に言えば、「作者が前半部の設定を忘れてご都合主義で踊らせた」のではないかと思ってます。
 とはいえ映画も、たんぼですっ転んでいるような男が、船の上であの踊りを踊れるのかと言われると疑問なんですけどね。でもあれはさすが野村萬斎さんだと思いました。

 「のぼうの城」の原作、面白くないわけではないですよ。でも、映画のほうが好きだなぁ。
 丹波は佐藤浩市がめっちゃかっこいいし、和泉も靱負もハマってたと思います。上地の三成も意外に良かったし。吉継も正家もいい感じでした。ていうか佐藤浩市かっこいい。丹波超かっこいい。
 映画の難点は、水攻めの水勢が「これは嘘だろ」というほど苛烈なこと。あの……どんなダム作ってどんだけの量の水溜めたんですか? 水攻めのシーンは「水の城」のほうが現実的じゃないかなと思います。それとも、あれくらいの勢いになるんですかねぇ。
 原作は、必要のない説明が多すぎる気がします。そんな薀蓄は別に、作者がきちんと分かってて、風物として前提条件として自然に折り込めばいいものであって、ああだこうだと解説するもんじゃない。
 「のぼう」原作を上下合わせて1時間半ほどで読んでいますが、これ、特別早いのではなく、どうでもいいような解説を飛ばしているからでもあります。物語の面白さに関係のない解説は要らぬ!!
 このあたりも、少し前に書いていますけど、作者が十分に咀嚼に飲み込んで味わったものを、血肉にして書いているかどうかの差のような気がしました。

 ちなみに「水の城」、風野真知雄さんですが、……売れっ子の時代作家に私ごときがエラそーに言うことでもないですけど、このかたの書く女性にはどうしても魅力を感じられません。
 耳袋シリーズと、隠居じいさん三人の捕物帳なんかも好きで読んでますけど、出てくる女性がどうも……。「この作者、女性嫌いか、興味ないか、苦手かでしょ?」と思うくらい、ただの記号にしか感じられないのです。じいさまとかめっちゃいきいきしてるのに。
 「水の城」でも、甲斐姫がただのバカなジャジャ馬でしかないような。彼女が出てくると、途端に物語が書割と化す感覚を受けてしまいます。
 これに比べたら「のぼう」の甲斐姫のほうが可愛い。時代的にありえないような言動はとりますけど、でも現代の感覚でも分かりやすい、強気で可愛い女性です。
 とはいえ、戦の狂気におじけづいて逃げ出す百姓とか、剣の奥義をもう少しで極められそうだというところで呆気なく死ぬ剣客とか、このあたりは「水の城」のほうがいいシーンです。

 他に忍城攻めを書いた小説ってないのかな?
 いっそ司馬遼太郎のように緻密に歴史小説として書いた重厚なものか、山田風太郎的に大胆かつドキワクするようなアレンジ入った伝奇小説か、池波正太郎のような淡々とした中に滋味があるような時代小説かで読みたいですね。
 2万対500(武士のみ。百姓加えて3000くらい?
 水攻め。
 堤防工事に参加した百姓が理由での決壊。
 パッとしない城代。
 武勇の姫君。
 これらは史実なんでしょうか。どちらにも使われてますし。
 でも、三成がどういう心持ちで忍城攻めに赴き、取り組んだかは、歴史として記されていることではなく。

 そういや戦国無双3、私はほとんどプレイしていないのですが、甲斐姫がPC武将になってるからには、忍城攻めのステージってあるんでしょうか?
 なんとなくですが、もし無双シナリオがあるのであれば、それが一番面白いんじゃないかと思ってしまいました(笑



2012年11月21日(水)

 なにげなくタロットのコーナーなど作り、コレクションしているものを、随時増やしつつ紹介してますが……。
 ファイル名を01からスタートし、99を超えてしまったのでaを使い、法則を決めて使用しているため、今どれだけ持っているのか、すぐに分かるのですが……。
 現在、掲載したものだけで「L2」。
 01から99まででまず99個。そこでa0になり、a9まで進めてb0へ。dはちょっと飛ばしてあるので、abcefghijkで100個。これにLの0〜2があるわけで。
 つまり現在、202個
 もちろんこれでも、世の中のタロットのごく一部です。日本に流通してないデッキも相当数ありますしね。
 だとしても、個人が趣味で集めるものとしては、けっこうな量です。
 平均1個2000円くらいとしても40万円デスカ? 我ながら大した無駄遣いだなと思います。だって、200個もあったって、実用しているのは10個にも満たないのですから。
 でも実用品と言っても占いであって生活必需品ではないし、イラストを眺めると思えば画集でもあり。
 40万円って一度に払うとなかなかのものですけど、車持ってるとこれくらい、ガソリン代や保険なんかも含めれば1年くらいで消費しちゃわない?

 考えているのは、保管のことです。
 今は収納箱に入れていますけど、これだと下のほうに入れたものがなかなか出せません。
 できれば、20cmくらいの深さのある引き出しにずらっと並べておくか、本棚みたいなものにきれいに陳列しておきたいところ。
 私以上のコレクターさんをネットで何人か見かけていますけど、みなさんどうやって保管してるんでしょう……。




Made with Shibayan Diary