烏の足跡



2011年4月2日(土)

 就職活動、相変わらずハードなようで……。

 就職について最近の私がリアルに思うのは、「新卒のときは、自分がイヤな職種でないならどこでもいいから雇ってもらえるところに入って、とりあえずそこで三年、我慢して働いてみたほうがいい」ということです。
 なんでかというと、実際に社会人として働いてみないと、自分の適性とか向き不向き、ともすると本当にやりたい仕事が分からないんじゃないか、と思うからです。
 就活のときに自己分析とかいろいろしますけど、すべて、社会人ではない今の自分が、こうだろうと予想したり、ろくに揉まれもせず「学生の身分」の色眼鏡で自分を見て、そう思い込んでいるだけのことも多いと思うのです。
 でも、実際にどこかの会社に入って、社員という立場、社会人としての責任で働いてみると、「どうしてもこれは納得いかない」とか「私はこういうのが得意だと思っていたけど、実際には『できる』というだけで得意ではないし、好きでもない」とかいうのも見えてくるかもしれません。
 でも三年はやってみたほうがいいというのは、それくらいたたないと、学生眼鏡がはずれないからです。最初の一年や二年なんてのは、研修しながら給料もらってるも同然です。よっぽど能力が高くないかぎり、三年くらいはやってみないと、大した仕事も任されないし、会社、社会ってものの常識がどんなものか、社会人としての目で見ることもできないし、分からないのではないかとも思います。
 三年働いて、このままこの会社で続けようと思うか、職種はこのままでいいけど、この会社の理念とかに納得がいかないと思うか、職種そのものに違和感を覚えるか。
 そして、自分が「生涯この仕事ならやり通せる」というものがはっきり見えたなら、転職に本気になってもいいと思うのですね。

 あと、アルバイトをいくつもやっている人なら学生さんでも分かると思いますが、会社も店もそれぞれです。人、環境、保障、給料、それぞれに違います。
 一つの会社しか知らないと、それが正当なのか不当なのか、良いのか悪いのか、比較できません。少なくとも、自分の実感をもっては。
 それなら、可能性が広く開かれている時代に、何度かの転職を経験するほうがまだマシだと思います。30過ぎてからだと、男は大変です。女性だとさほどでもないのですが、やはり世の中、「30過ぎた男がパートって……(ちょっと社会的に信用できないなぁ)」と白い目になりますし、「30過ぎてバイト生活の男なんて、絶対に結婚相手の対象外」という女性が多いでしょう。
 これがリアルです。
 だったら、22で大学卒業して、3年どこかで辛抱してみても、まだ25。
 それに、社会人経験があって、社会的なマナーをもう教えなくてもいいだろう人のほうを望む会社も少なくありません。特に、新人研修のプログラムなんてもののない中小企業は、挨拶から教えないとならない新卒なんかより、社会的な振る舞いを一応は身につけてる人のほうがどう考えても即戦力です。
 25で違う職種とか会社に行って、また3年たったとしても28。デッドラインのような気もしますし、転職経験が多いと「またすぐ辞めるんじゃ?」と思われるリスクはありますが、20代ならまだ希望ははっきりとあります。
 それに、何故転職しようとしたのか、何故その会社を選んだのかを、しっかり説明して納得してもらえるなら、二度の転職で徹底して自分を見つめ直してきたことは、武器にもなります。それをうまく表現し、伝えることができるなら、武器ですよ、間違いなく。……それが苦手な人は、うん、やめておいたほうがいいのかも(^^;

 個人的には、高校卒業したらすぐに働いてしまって、数年、働きながら自分と、自分の人生の今後をよく考えてみて、その後で、本当に生きたい道につながる大学へ行くのも良いような気もします。
 少なくとも私は、そうすれば良かったのかもしれないなと思ってます。
 私がこんなことを書いているのは、自分がそうだから、ですしね。
 大学六年通って中退して、バイトで五年ほど過ごして、そこから社員になって五年近くたちますが、「なんで自分、小売なんてやってんだ? どう考えても適性は学者とか研究者だよなぁ」と思うのですね。
 ちなみに、後悔はしてません。ふらふら六年、更にふらふら五年、そこから五年かけて自分がはっきり分かった、というのが「私の人生」で、ふらふらの最中も楽しんできたし、生きるなら二百年生きるつもりなので(笑)、寄り道も回り道もしてるけど、これでいいと思ってます。
 ……っていうか、これである程度の年齢バレるじゃん(笑
 そんなわけで、です。自分の実体験に照らし合わせると、大学に行く前に働いて、働きながら、実際の大人社会の中で自分というものをしっかり理解して、その上で生涯の仕事を決めて、それに応じた大学に行くのがベストかもなぁと思うだけです。
 とはいえ、本当にそうしていたら成功したかというと、分かりません。二十歳にもならない、その頃の自分が社会に出て五年働いても、今のようなことを考えたかどうかは分かりませんから。
 だから後悔はしてないんだとも言えます。遠回りしたことが、私には必要な時間だったのかもしれないし。
 なにが正しいかなんて、結局分からないもんです。あと数年したら、私自身がまた違うこと言ってるかもしれないし。
 でも、だから、なにが間違いかも分かりません。ある意味、その時々で精一杯考えたり屁理屈こねたり、あるいは考えなかったり勘違いしてたり、してりゃいいんだろうなと。「数年後には違うこと言ってるかもしれないけど、同じこと言ってるかもしれない。更に数年したらどう言ってるか、それも分からない」。それでも、「今の自分はこう思う、こう考える」。それが大事なような来もする今日この頃。

 そんなこんなで今思うのは、どうせなら大学に行きなおすかなにかで、ちゃんと心理カウンセラーになれるような資格をとろうかなってことです。
 なにかをスタートするのには「遅い」と言われる年齢ではありますが、そんなものは「一般的」な平均値に照らし合わせればの話。「そう言われる」というだけで、「そうだ」というわけではなく。
 「やりたいなら、いつでもできる」、それが現実です。やるか・やらないかがあるだけで。
 私の好きな、志村けんさんの考え方、以前にも書いていますが、人の一生を80年として一日に置き換えたら、20歳でやっと朝6時。まだ目覚めているかどうかも分からない時間です。40歳で正午。60歳で夕方6時で、遅くまで起きているだけの健康があるなら、まだまだいろんなことができると考えられます。
 で、200年……譲って160年生きるつもりの私の場合、80歳になっても、まだまるまる一日あるわけです。スバラシイ!(←本気で言ってるのか

 ま、ともかく、最近ほんとに今の会社にいる動機が消失してきたので、勉強中の資金を稼ぐためと完全に割りきって、もう少し勤めたら別の道に行こうと思ってます。ま、それも少ししたらどうなってるか分かりませんけどね、こういういい加減な性分なんで。
 そんな私の就職観……人生観が、悩んでいる学生さんにとって、一つの参考意見となれぱ幸い。私の言うことが正しいとは限らないけれど、「そういう考え方もあるし、そう感じている人もいるんだなぁ」というくらいで、自分を見つめ直す鏡にでも使ってくだされば本望です。



2011年4月4日(月)

 焼きナスに〜、玉ねぎスライスと、油をきったツナ缶のっけて〜、仕上げにポン酢……。
 ……ウマー!!>▽<
 教えていただいたレシピでてけとーに作ってみましたが、うまうま★

 地域によっては買い占めだ品不足だ高騰だと相当大変なようですので、こうして美味しいものを食せる幸せをしっかり噛みしめつつ、いただきました。東京の東のほうでも、コンビニにお菓子とかもあまりないとか……。
 ありあわせのもので、手軽に、無駄を出さずにさっと作れるざっぱんレシピ。
 最近は開発してもいませんが(まな板置くスペースもないのにあれこれ作る気にもなかなか)、スチームケース系と合わせると、もっといろいろできそうな予感はあります。

 あ、そういえば、うどんにしめじなどのきのこ類をのっけて、市販のレトルトカレーをかけ、めんつゆ少し加えてスチームケースでチン、というのは、手軽で美味いカレーうどんです。



2011年4月9日(土)

 エリック・マーティンのカバーアルバム「Mr.Vocalist」の1と2を聞いていて、ふと思ったこと。
 1は日本人アーティストのカバーで、今井美樹の「PRIDE」を謳っていたりするのですが、このアレンジがかなり好きです。アレンジそのものをまず、上手いなぁと思ってしまいました。
 そして、2にはホイットニーの「I Will Always Love You」が入っていて、これは、ちょっとパワー不足、オリジナルのが断然いいなぁと思って。
 これを閣下が歌ったらハマるんじゃないか?と閃きました。
 ハイトーン、パワフル。
 よし、閣下だ。閣下なら!!

 で。
 3/2に発布されているミサ教典(ライブアルバム)を買おうかどうしようか、今もまだ迷ってます。
 迷う理由なんて一つきりですよ。
 STAINLESS NIGHTやELDORADO、1999、FIRE AFTER FIREなど、好きな曲もたくさん入っているけれど、―――長官がそこにいないんだよおぉぉぉぉ……。
 なんだろう、ジェイルもルークも嫌いじゃないのに、なんでエースがいないというだけで、購買意欲が揺らぐんだろう。
 ―――私にとっての聖飢魔Uは、長官抜きでは語れないんだなぁ……(しみじみ
 とか言いつつ、買うことにしました。……他のメンバーがいて、聖飢魔Uがそこにあるうれしさより、長官がいないことばかり切々と、ひしひしと感じそうな自分がここにいますけどね……。



2011年4月12日(火)

 東北震災から一ヶ月が過ぎましたが、相変わらず、「それ余震なんてレベルじゃないだろ!?」という大型の揺れに見舞われている被災地。
 私は、それほど無闇矢鱈に同情心振りまくタイプでもないし、自分の思い込みでカワイソイだジシュクだと張り切るタイプでもありませんが、さすがに、フツーに、「ものすごく大変で苦しい思いしてるのに、いくらなんでも自分のんきに過ごしすぎとちゃうか」と思ってしまいます。
 だからと言って、自分が鬱々としてもなにかジシュクしても、それで皆さんの助けになるわけでもないので、普通に、ちゃんと経済活動して、心身をライトに保てるよう、生活していきますけど……。

 ただ、一つ思うのは、震災直後にはヒステリーでも起こしたかのように行われた募金が、最近はもうほとんど……まあ、以前よりはまだ、きちんと募金してくれる人もいらっしゃいますけど、少なくとも半分以下、3……5……10分の1くらいだと思います。
 ジシュクなんかせんでもいいから、1円ずつでもいいから、今後も長くかかる復興のため募金続けていこうよ、と思ってしまう……。



2011年4月16日(土)

 少し前から「トリコ」にハマっていることは、以前にちょろっと書いたような気がします。
 で、こんなふうに気になった作品は、あま○んのレビューを見たりするのですが、そこでふと思ったことなど。

 あ○ぞんのレビューはよく荒れてますね。作品に対する自分の率直な感想ではなく、メーカー批判や、あるいは購入者・賛同者への批判などに終始することは珍しくありません。あと、作品ょ自分の価値観で批評することと、「誰にとってもつまらない」と決めつけてこき下ろすのとは別なのですが、そこをきちんとわきまえたレビューもあれば、まったく違うものも多々あります。
 トリコも当然賛否あって、全体として面白いかどうか、といった内容から、「この巻はバトルがなくてつまらない」といった部分的な内容のものもありました。
 それを読んでいてふとですね、「バトルしか面白くない人は、バトルのない巻を楽しめないし、バトルを大味でつまらないという人は、バトルが中心の巻を楽しめない。これって損じゃね?」と思ったのです。
 私は、バトルの回もドラマの回も、普通に楽しんで読んでいます。最近の巻では、トリコがIGOの会長・一龍さんと軽く師弟バトルしたり、小松をパートナーとして認定したり、初めてグルメ回に挑んでノッキングマスター次郎さんに助けられたり、小松の折れた包丁のため研ぎ師メルクを訪ねたり……。本誌では、ようやくゼブラのキャラクターが見えてきて、なかなかかっこよくて先も気になってます。小松がメルク包丁を手にした覚悟を決めたとき、トリコたち並のオーラを発揮することとか、この後の伏線になっていくのかなぁと期待したりもし、「もしかすると、相手を食材と思って愛すれば、どんな凶悪な獣でも、自分の命をケジメのつけ方、つける場所を、小松に委ねたいと思う、とかだったら小松最強?」とか妄想したり。
 バトルが多いからとか、逆にないからどうのとはまったく思わず、全部楽しんでます。
 そういう私に比べたら、バトルがないからつまらないって人は、損してますよね。

 私も人のことは言えませんが、ゲームでも本でもなんでも、「これは面白くない」と批判するのって、自分のそういう価値観を表現することでなにか自慢したがってるような節があります。「この程度のもの」とか言って何故か自分の高度さをアピールするような感じ。
 しかし、そんなことしても実際にはまったく高度でもエラくもなく、単に、「それを楽しむ感性がないため、楽しめる人よりも楽しみを損してる人」なんでないかと思いつきました。
 逆に、どんなものでもそこそこ「面白いね」と思えるなら、たくさんの楽しみに囲まれていることになります。
 なんでもかんでも面白いと思うことはありえませんけど、声高に、しかも愛も期待もなく批判しても、得るものなんて実はないだろうに。そういった批判は、それが好きな人にとっては不愉快なものですよね。そして、同意して一緒に声高に批判ユニゾンするような人は、まあ、少なくとも人格者とは到底言えないわけで。失うものはあっても、得るものはほとんどないような。
 でも「ちくしょう、俺にはこいつを面白いと思う感性が備わってないのか。もったいないなぁ。楽しんでる人はいいなぁ」と思えたら、なんかちょっと、面白い・いい人かもしれません。

 私自身がかなり批判的に物事を見るし語ることがあるので、本当に人様のことは言えません。
 それでも、エンターテイメントやアミューズメントは、それに価値がないようにコキ下ろすより、「自分はどう感じたか」は正直でいいとしても、「面白いと思えなかったなんて、自分の感性の狭さが恨めしいぜ」くらいでいたいなと思いました。
 そしたら、批評や感想が、非難や批判にならず済むんでないかなぁ。



2011年4月17日(日)

 超・今更ですが、デール・カーネギーの「人を動かす」を読んでます。
 ビジネス書です。かなり古典。大ベストセラー。「もしドラ」なんか相手にならない世界的名著と呼ばれるものです。
 今までは、表紙の堅苦しさとタイトルで敬遠していたのですが、ちょっと覗いてみたら、―――うむ、これはなかなか……読み応えがあるし、面白いし、分かりやすい。乱発するいろんなビジネス書を読んで、上滑りに「はぁん? へぇん?」と思ってるよりは、なるほどと思えたり、これはどうなのかなと思ったりするところが多いですね。
 「人を動かす」というタイトルなので、コーチングとかマネジメント、部下の使い方、みたいな印象があります。しかし実際は、ものっそ大雑把に言ったら、「多くの人に慕われて幸せに過ごすには」みたいな内容です。そういった自分になる結果が、人が喜んで協力し、動いてくれるようになるってことです。

 成功、とかいう言葉を掲げられてもピンと来ない私は、成功系の自己啓発本を読むと、内容でいいところはゲットしますが、全体としては、
「それができれば成功できる。でも、できないから実際に成功する人が少ない。なのにそれを、誰にでもこうしさえすれば成功できる、みたいに書いてる。でも、それって結局、自分が成功者だから、自分にはそう苦労せずに実行し、継続できたから簡単と思っているだけで、実際には、非常に難しいことなんじゃないか? 実際私も、多少それっぽいことはしてるし、やれる。だから案外平穏な心持ちでのほほんと過ごしてる。でも、ここまでして成功者ってヤツになりたいか? そんなに今の自分は成功から程遠くつまらん人生送ってるのか? は!? つまりこの本て、成功するために人を手助けしたいとか言いつつ、実際には、おまえらはこれができず実につまらん人生送ってるんだぜって言ってるのと同じじゃねぇのか!?」
 と、実にうがった面白い結論に達してみたりします。
 心配すんな、成功本に書いてあることができないから、私たちは凡人で成功者じゃないんだ! そんな奴は何冊そういう「成功本」読んだって成功するこたないから心配すんな!(ぉぃ
 とまあ、あまりにも今自分たちが置かれている現実から遠い、おきれいな世界と人格のことには、アレルギー反応のようなものを起こす次第です。
 エッセンスとして得られるものがあるので、あれこれ買って読んでますけど、残念ながら、「よし、それじゃあ私も」とは奮起しないのが現実です。

 その点「人を動かす」は、成功だのなんだのなんて、甘いエサは用意していません。
 ただ、自分が少しでも幸福に、豊かな人間関係の中で生きるためには、こういう態度っていうのがいいよね、こういうことを大事にするといいよ、と語っているだけです。
 たくさんの事例で(真偽は私も考えません。伝記ものみたいなエピソードとしてとらえてもいいんでないかと)、「もし自分がそういう扱いを受ける立場だったら?」をよく伝えてきます。
 うん、たしかにそんなふうに扱われたら、その人のためにどうのとは思わないよね。でも、こういうふうにされたら、たしかに嬉しかったりいい気分になって、その人にも愛想よくしちゃうよね、という感じ。

 とはいえ、「相手に心からの関心を寄せる」とかは、―――「あいつに対してそれができるか?」と思うと、「いや、無理。そこまでしてあいつに好かれたいと思わない」という結論になったりします。
 だから私はカーネギーにはなれない(笑
 でも、元々ある程度好意を持っている人とか、かわいがってるバイトたちとかとだったら、そうだな、ちょっとしたことだから実行して、それでお互い楽しく仕事できるなら言うことないよな、と考えます。
 そんでいいんでないかと私は思います。
 ものすごく魅力的ないい人になれば。それが自然に自分のうちから発露するもののようになれば最高に幸せなのだとしても、最初からそんなもの目指さなくても、「今よりもうちょっと」でいいんでないかと。
 もしかするとその内に、自分の器みたいなものが広く優しくなって、自然に、より多くの人に優しく接することができるようになるのかもしれないし、変わらないのかもしれないし。
 最高の状態が明確に描かれていて、どうしてもそうなりたいと思う人は、苦難に耐えてでも努力してそれを得ればいいけれど、それが曖昧で動機や決意も曖昧なら、その曖昧な分でも手に入る「もうちょっと」だけでも手に入れて、今より「もうちょっと」だけ幸せで、別に構わんのじゃないですか?

 世の中の9割以上を占める凡人の中から抜け出すには、世の中の1割の人しかしてないような苦労や努力をしなきゃならんと考えてもいいわけで。
 そんなん私には無理ムリ。
 そこまでして手に入れたいようなモンもないし。
 凡人は凡人らしく凡人なりに、コツコツと生きてくだけです。
 でももしかすると、自分が今大事にしたいもの・テーマ・人くらいはあって、それに対して日々真摯に向きあっていたら、世の中の3割くらいの「幸福な人」にはなれるような気もしますね。



2011年4月19日(火)

「STORMWARNING」 ten
「Blood Alliance」 Power Quest
「DEATH & LEGACY」 SERENITY
「In Paradisum」 SYMFONIA

 はい、またも洋楽まとめ買い〜。
 今回も全体的にツボヒットで満足です。
 ことに、前作、前々作あたりが「え?」だったtenは、セカンドアルバムあたりのインパクトを以て戻ってきた感。音楽は好きなくせに疎いので、どう表現すれば「その道」の人に伝わるのか、普通の人に伝わるのかがさっぱりですが、私の好きな王道パワメロorメロハど真ん中、なのです。
 Power QuestとSERENITYは今回初めて手を出しましたが、Power〜のほうは疾走感が爽快で、変なアクもクセもなく、非常に聴きやすい……これはパワメロ系か。イギリスのバンドのようですが、思う存分クッサクサしてます。いい感じ。SERENITYはシンフォニック系のゴシックメタルですかね。壮大な曲調に流麗な女性Voが乗るタイプ。それまたじっくり聴きこんでしまう良曲揃いでした。
 SYMFONIAは、ANGRAのトルキがやってるというので買ったのですが……こ、これは……曲はいいんだけど、録音が悪い…… orz ドラムの音が目立ちすぎて、ギターと、よりにもよってボーカルが引っ込んでしまってます。挙げ句、張りがある声ではないので印象ますます薄っ。もったいないなぁ。



2011年4月22日(金)

 英語。できたほうが面白いのですが、苦労してまで身につける気力はなく。
 結局、「読みたい本が英語だから、英語で読む」とか、「やりたいゲームが英語だから、気愛でやる」わけです。英語を身につけることそのものが目的ではなく、英語ができないと楽しめないものを楽しむのが目的、という、ある意味理想的な状況ですね!
 そんなわけで、英語耳がどうの、とかいうテキストを一冊買ってみました。
 慣れてしまえば聞き取れるものも増える、というのは、実際に3ヶ月間MASS EFFECT 2をプレイしつづけた結果として、よーく分かってます。そして、しばらくプレイしないと明らかに聞き取れる・読み取れる言葉が減ることも。
 というか、三ヶ月間、毎日とにかく日本語抜きで英語に接する時間を作る、というのをこのテキストも推奨しているのですが、はからずも私は去年の夏、それをやってしまっていたようです。
 また、「英語ができるようになって、何がしたいのか、という目的をはっきりさせて、そのためにがんばろう」みたいなことも書いてありました。
 えー……「MASS EFFECT 3はどう考えても海外で先行発売されるので、発売時にすぐにプレイし、そのときに日本語訳された動画を見なくてもある程度楽しむため」でいいでしょうか?
 なので、ビジネス英語も日常英会話も要りません。MASSを理解できさえすればいいのです!! なに、日常生活に役に立たなくたってそんなことはどうでもいい! そんなことのために英語が分かるようになりたいわけじゃない!
 という、呆れるほど潔い理由で、再び海外版のMASS 2をプレイしています。日本語版も持ってるくせにね。
 テキスト本に付属のCDには「星の王子さま」の朗読が、ノーマル速度・二倍速、三倍速、四倍速で収録されていますが、これが全部MASSの会話だったら最高なんですけどねぇ。……自分で作るか?(ぉぃ



2011年4月23日(土)

 困った……。
 一昨日くらいから、プレイステーションネットワークにも、X-BOX LIVEにもサインインができなくなってます。
 プレステはネットにはつながるのですがサインインができず、X-BOXはLIVEに接続できませんと出てきます。
 ver.UPとかに伴うものなのか、レオ○レスの罠か。(PS3はPSNのトラブルのようですが)
 ちょっと待とうよ……週に一度くらいのささやかな週末アドパがさぁ。そろそろMASS 2の配信されてないかなぁとかさぁ。
 勘弁してよね……。



2011年4月24日(日)

 去年の冬は、袖付き毛布の「ヌックミィ」を買って「いいものゲット」と喜んでました。今年もちゃんと愛用しています。便利!
 で、今年の冬の買い物で一番「買って良かったなぁ」と思ってるのは、電気ケトルですね。カップ1杯分なら1分程度でお湯が沸く、というアレです。それと、通販で買ったブレンディーの粉末紅茶。しっかり入れた紅茶と比べて云々はさておき、手軽にそれっぽいものがすぐ飲めるというのはありがたや。80本入りなんてすぐになくなると思っていたのですが……飲むときには一日に5杯くらい飲んでいるのに、まだ半分弱くらいは之コツてるような。

 そういえば。
 会社の休憩室には電気ポットがあって、保温のためにずーっと電源入ったままなわけですが……。
 こういう「すぐ沸く」タイプの電気ケトルにしたほうが、いろいろ便利なんじゃね?と思ってしまいました。
 だって、ポットのお湯が途中で足りなくなってカップ麺がものすごくハンパになったとかってこともありますし、節電もねぇ。電気ケトルなら保温しないので、沸かしている間だけです。たぶん、こっちのが電気使わないんじゃないだろーか。

 店で刷ったチラシとか配ってますけど、本を印刷する紙が足りないかもしれないとか、ダンボールがどうのとか言ってるのに、それでも作るわけで。
 既に買ってあった紙ならともかく、これから作らせる紙を使うくらいなら、それをちゃんと本とかの原料としての紙に回したほうがいいんでないか、と思ったりもします。
 もちろん、思いつきでしかないので、「紙」といっても紙質で原料が違うとか、いろいろ条件とかあって、ここでチラシ紙を節約したからって何も変わらないのかもしれませんけど……。

 私は今もまだ、コンビニでちょっとした小銭の募金は続けています。一度に100円入れることもないけど、10円以下とか、50円玉一枚のお釣りなら入れてしまえとか、その時々でちまちまと。
 東北震災用の募金箱があるかぎりには、続けていきたいと思ってます。



2011年4月30日(土)

 出掛けるアテのしようもないGWです。
 ずーっとGWの盆暮れ正月クリスマスもなにもないバイト・仕事をしているので、さすがにうんざりしてきました。一度くらいは、大型連休ってのにあやかってみたいです。
 もちろん、小学生〜高校生のときには、夏休みだなんだとありましたけどね。しかしそのころは「宿題」という必須項目があって、やらなきゃいけないことに追われていたのは変わりないですし。
 店でカウンターに立っていて、旅行のガイドブックを買っていく人を見ていると、羨ましくもなります。
 お金はあっても、海外とか、まとまった休みをとって出掛ける自由はほとんどない……。
 ヤメヨウカナー、という心のつぶやきは、日に日に大きくなっている感じがする今日この頃です。


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