烏の足跡



2010年9月2日(木)

 ビジネス書ばかり読んでい気がしますが、なにやらそういう気分のようです。
 本日の読書は「スティーブ・ジョブス 驚異のプレゼン」でしたっけ。
 プレゼンなんてする必要のない職務なのになにを読んでいるのか自分。
 だがしかしそんなことはまったく関係がないのが私の読み方です。
 「面白そう」であれば、実用度は関係ありません。
 でもまあ、プレゼンというより、これもイッシュの……「いっしゅの」と打ち込んで一発目の変換がこれって、どんだけMASS EFFECTなんだこのPC(イッシュというnpcがいるのですよ)。
 これも一種の「伝えるための技術」の本だと受け止めています。
 たとえば池上彰さんの「伝える力」なんかも良いし、面白いのですが、そこにあるのは……なんというか、無味乾燥な「事実」ばかりで、「ああそうだね、たしかにそうだね」という内容でした。ものすごく納得もするし、たしかにそうだ」と思うのですが、感動がないというか。
 「驚異のプレゼン」も、内容は、ジョブスのプレゼン技術を分析して、それを噛み砕いて伝えている「スキル書」なのですが、何故かこちらには感動があります。
 それはたぶん、根底にあるのが「事実を伝える」ことではなく「思いを伝える」ことだからのような気がします。
 「売る」ためのプレゼンではあるけれど、その中に「すげぇもん作ったんだよ、これ絶対みんな面白いよ、役立つよ、今までにない体験できるよ、超便利だよ、ぜひ使ってよ」という気持ちがあって、それを伝えるから、面白そうだと思って買う。そんな感じ。
 それは、事実をきちんと、分かるように伝えるニュース・コメンテイターの池上さんとは違うもののように思います。
 事実の伝え方と、気持ちの伝え方、といった違いがあるように感じました。
 プレゼンってのがただの事実の伝達でしかないなら、それはつまらない説明書の読み上げと大差なく。
 そこに演劇性とかいうものを持ち込んで「面白い」「感動する」「驚ける」ものにしたのがジョブスのプレゼンってことなのかな。

 だから、です。
 趣味であれ、モノガタリを作って書く以上、私が伝えたいのは「事実」や「出来事」そのものより、その中から生まれる「感動」とかなわけです。そういうもので、読んだ人の心を少しでも動かせたら、それが最高だなと思ってます。
 だから、この本は、直接的にはそのことに役立たなくても、面白く感じるのでせう。
 レビューなんかにもありましたけど、「これすげぇ面白いんだよ!」と伝えるのがジョブス的なプレゼンであるなら、それは、作品のレビューも同じことです。面白いんだ、という気持ちを、その事実をいかに伝えるか。
 まあ、私のゲーム雑記なんかをそんなプレゼンのように書いていたら時間かかってしゃーないわけですけど、でも、面白いということを伝えたいと思ってレビューを書くときには、実際に役立ちそうだと思います。すべてを活用できなくても、一部でも少しでも取り込んで参照し、実践したら、それだけでも。



2010年9月3日(金)

 「ヴァンキッシュ」の体験版が配信されたのでさっそくプレイしてみました。
 まず、日本語でしゃべることに超違和感(笑
 それから……チュートリアルで思ったのは、会話がダサいこと。ベタもベタで使い古されすぎたハードボイルド調の台詞とか、かっこいいよりむしろ笑えてしまうのですが。
 本編は……まあ、こんなものですかね。でも敵の見分けがものすごくつきにくくいし、武器のアップグレードのシステムも分かりづらいというか、直感的に選べず、いちいち「今装備してるのはアサルトライフルで、落ちてるのがスナイパーライフルだから、とりあえずショットガンに装備を変更してから拾おう」とか、面倒くさい。ゲーム性として、今後出てくる敵に合わせて取捨選択しつつ、弾の補充か武器の性能強化か、あるいは持ち替えかというところを任意に選べるようにしたかったのでしょうが……。
 一つだけ魂を込めて言うなら、敵を画面中から見つけるのが大変なのだけは勘弁してください。開発者のインタビューで、元は白色だった敵のカラーが、それでは視認性が低いから赤に変えたとかありましたけど、それにしたって、画面上で雑魚が小さすぎて探すのが大変すぎます。
 それでも大暴れできるタイプのものなら、乱射して潰していく快感ってものがあるかもしれませんけど、弾数は制限されているし、雑魚でもしばらく撃たないと死なないし……。
 同じTPSのMASS EFFECTを延々プレイしつづけた後なので、操作に少し戸惑うことと、比較で見てしまうこと、そこに好みが反映されるのは差し引いても、触ってすぐに、「これすげぇ」とか「面白い!」とならなかったのは事実です。
 なんだろう、GOD OF WAR 3とかは、触って間もなく「すげぇ!」と思うことができる何かがあるのに、こっちは、面白いゲームだろうとは感じても、「やりこめば面白いだろうけど、なんか面倒くさい」という感じ。

 同じ時期に「レッド・デッド」出るし、それじゃあこっちはやめようかなという気がひしひしとしてきますね……。
 もう少し遊んで、慣れてみてから考えますけど、思っていたほど「すごい」ゲームではないのは、私にとっては確かです。



2010年9月12日(日)

 ぽかぽかアイルー村をクリアしました。
 全クエストクリアして、全キャラ仲間にしたってことです。(DL除く)
 うん、まあ、可愛いです。それは否定しません。
 可愛さだけで遊べるタイプのものだろうと思います。
 ゲームとして考えたら微妙、なんて言う私でも、「マシロ可愛い、ツバキ可愛い、ケイコさん可愛い、ミルクちゃん萌え、サファイアお姉さんステキ、スミちゃん可愛い、キラは喋りがちょっとウザいけどでも言ってることは可愛い」とか思ってます。みんな女の子アイルーです。男の子アイルーは……どれも響かないなぁ。せいぜい、スパイス(トライに出てきた料理ネコかな)と、P2Gから持ってきたジュウベエ(元Yさんのオトモ)。あとカリスマも面白くて好き。話が笑えます。それからウルシとトレニャー。おまえ、この村で手に入れたものをポッケ村のハンターに持ってったりもしてるのかよ(笑
 仲良くなると言うことが三段階ほどで変化するのも萌えポイントですね。

 でも、クリアしたらそれまでですね。
 本家モンハンみたいに、プレイするほど上手くなるわけでもなく。
 全キャラと仲良しMAXにするというやり込みはこってますけど、そうしたからなにになるかと言われると、なにもないようだし? ギャラリー追加でもあるならやろうかと思うのですが。
 でもまあ、「終わり」があるのが普通のゲームですよね。
 モンハンみたいに、己との戦いになったらエンドレスとか(笑)、プレイしていること自体が面白いほど気に入っているゲームというのがレアなだけで。
 たぶんアイルー村は、一気にクリアしてしまわず、毎日少しずつ、アイルーの可愛さを味わいながらのんびりゆっくり、プレイするのが楽しいスタイルのように思います。
 なお、最後のクエストで出てきたモンスターは、本物とあまりにも違いすぎて微妙でした orz



2010年9月15日(水)

 リンキンパークの新譜を購入。
 悪くはないけれど……ロック? ううむ、違う気がする……。
 好きな曲調のものも多くて、バラエティにも富んでいて、アルバムとしては気に入りましたが、ロックかと言われたら私はうなずけない感じです。
 まあ、実際にはジャンルなんて別にどうだって良くて、聞いて心地良いかどうかですけどね。
 でも、PCに取り込んでぎょっとしました。いや、これ、絶対にメタルではないと思うよ?
 あと、ボーナストラックのライブ版「ニューディバイド」だけ、ものすごくアルバムの雰囲気と違うんだよなぁ。トランスフォーマーのEDだったし、好きな曲でもありますけど、アルバムの中に入れるにはちょっと変かなぁ。

 そういや来年の夏にはトランスフォーマー3が公開されるはずですね。
 ミーガンが降板したりしてますけど、私は、次回はシリアス路線のみでいくということでかなり期待しています。
 それにしても、ヒロインの交替はどう言い訳するんだろう。それとも、外見の違いを無視して「同一人物」ということにするんだろうか……。
 あとは、辺に新キャラ増やすより、生死不明になってるバリケードさんを出してくれたりしたほうが嬉しいなぁと思ってたりします。
 それから、いるだけメカはやめてねと。出てくるならちゃんと、その映画だけでもある程度個性が分かるようなシーンを入れてほしいです。2のラチェットなんてまさにそこにいるだけで、最後の移植シーンも超魔術状態だし orz

 ちなみに、同時にデビッド・フォスターがプロデュースしたバラード曲を集めたアルバムも買ってきてます。
 こっちは超がつくほどメジャーな曲ばかり集めてますし、安心して聞けます。
 最近はシャリースをプロデュースしてますね。彼女のデビューアルバムも先日購入してますが、……いや、オールウェイズラブユー歌ってた彼女はすごいと思いましたけど、アルバムは強く心に残る曲がなくて、どんなに上手くても、曲のインパクトがなかったら大したモンにはなれない、と思ったりもしたものです。
 聞きやすい曲は多いけれど、一度聞いただけで忘れられなくなるような曲は、そのアルバムの中にはなくて残念でした。
 ……あるいは、どんなに上手くても、ただ上手いだけで、特別な声やボーカルではない、ということなのかもしれません。
 今日買ってきたバラード集にはマドンナの「You'll see」も収録されていますが、聞き比べると、曲の善し悪しよりむしろ、「マドンナでしかない表現力」とか「ホイットニーならではの歌声」といったものがなく、誰が歌ってもこんなもんか、という感じがしてしまいます。上手いという以上の個性がないというか。
 そういう観点では、上手いかどうかは別にして、ブリトニーとかガガのほうが、はるかに「彼女ならでは」という個性と輝きを持って歌ってる感じがします。だからこそ好き嫌いも出て、シャリースみたいに「誰が聞いても、悪いとは感じない」ものにはならないでしょうけど
 とかヒヒョーカめいたこと言ってみたところで、こんだけ歌えるだけでやっぱりすごいと思いますし、これからもっともっと、シャリースらしさってものを歌の中、声の中に作っていって、束の間の花火に終わらず、長いこと活躍してほしいなと思います。



2010年9月16日(木)

 今日もCDの話です。
 聖飢魔Uトリビュートを購入……というか、予約していたものが届きました。
 かつて存在したトリビュートアルバムらしきモノだがしかしあまりのヒドさに黙殺されたというシロモノに比べれば、プロのバンドがカバーしているので期待はできるのですが……。
 えー、まあ、はい、なんというか、うん。
 ごめん、かろうじて「まあいいか」と思える曲、RXで聞いていて最初っから「いい雰囲気」と知ってたジョン・ウェットンの「ARCADIA」と、グランドイリュージョンがカバーした「1999」だけです。いや、でも1999もやっぱり薄っぺらい……。「アダム」は曲アレンジは好きだけどスピードと音とをまとめられていない感じがひしひしと。
 「JACK THE RIPPER」なんて、薄さとパワー不足が際立つばかりです。JACKはなにせオール悪魔総進撃でギター四人にドラム2セット、ベース二人でとか、そういうとんでもない熱量ですら演奏したことのある楽曲ですよ。最大出力を聞いてる耳には物足りないにも程がありますぜ……。
 もちろん、自分たちの持ち曲ではないということもありますし、録音の音質そのものもかなり微妙な気がします。金かけてないんだろうなという感じ。
 けど、それらを差し引いたって、なんだかなぁ。

 あとはなんのかんの言っても、ボーカルのパワー不足をすべてのバンドに感じてしまいます。
 聖飢魔Uファンゆえのシビアな感想かもしれませんけど、でもなぁ。
 買わなくても良かったかな、というのがものっそ正直な感想です。



2010年9月18日(土)

 「アメリカン・アイドル」シーズン8のアルバムを購入。ってCDの話ばっかりですね。
 アダム・ランバートとかクリス・アレン、ダニー・ゴーキーといったメンバーの出ていたシーズンです。

 アメアイもそうですし、スーザン・ボイルとかポール・ポッツらの出た番組とかもそうですが、それまで素人、あるいはせいぜいアマチュアだった人が参加する公開オーディション番組の出場者って、単に歌が上手いだけではどうしようもないんだなと思います。
 上手いだけなら、いくらでもいる。
 でも、ステージの上で堂々とパフォーマンスできる人は、その中のごく一部。
 そんな気がします。
 そして、評価されるためには歌が上手いこと以上に、人前で堂々と自分を表現できることが重要なのではないかと。

 自分の才能……才能ではなくても、自分の持っているものを信じること。それを恐れずに、笑って人前へさらけ出せること。
 その根底には、目前にいる人たちを楽しませたいとか驚かせたい、笑わせたい、そういう思いも欠かせないようにも思います。
 本当に人を楽しませられる人は、まずは自分自身をきちんと楽しんでいる人でもある気もしました。
 圧倒的な才能で他人を圧倒するならともかく……たとえばMJのように、でも、そこまでのパワーを持たない人が、他の人より多少抜きん出た力で人を巻き込むとき、そこには、エンターテイメント精神があるのではないかなと。

 こういうサイトで気ままに遊んでいると、自分が楽しければ良くて、そのためだけに書いたものをおすそ分け的にアップもしますが、自分が楽しみ、そして、人もこれで楽しんでくれるといいと思いながら書いたものとは、また別のようです。



2010年9月19日(日)

 カプコンさん、がんばってますね。
 デビルメイクライの最新作も開発進行が発表されてますし、もう一つ……「アスラズ・ラース」でしたっけ? これもまた楽しみです。
 あと、コーエーテクモが「仁王」の開発を再開したとか。もう正直、コーエーの作るアクションはどうでもいいとしか思えませんが、テクモです。しかもチームニンジャ。ニンジャ・ガイデンのチーム・ニンジャが開発に関わるなら、これはきっと……!
 そういや、ぽかぽかアイルー村はフロムソフトウェアとの共同開発なのか、クレジット入ってますよね。フロム……TGSでAC5の情報なんにも出てなかったらしいのがものすごく気になるんですけど?(汗

 それにしても、変だなぁ。
 カプコン、フロム、テクモ、セガあたりが、今の私が好きなゲームメーカーなんですが(あとコジプロ! ここはメーカーじゃなくプロダクションですけど)、どこもかしこもアクションゲームが強いところばかりだぞぅ?

 あとは、どこまでガセか分かりませんけど、近々MASS EFFECT 3の情報が公開されるんじゃないかという話もちらりと見ました。
 えー……正直、もし発売されるなせ、今回はもう迷わず、海外版の発売日に予約します。で、限定版あるなら絶対買います。だっていずれローカライズされるとしても一年くらいは間があるわけだしさー。
 2も限定版があることを知ったもののもう完売で、すっごい残念でした。



2010年9月21日(火)

 据え置きハードや携帯ゲーム機ではすっかりアクションがメインになった私ですが、実はケータイアプリだとRPGばっかりです。
 つか、あんな操作性の悪い機器でアクションやったってしんどいだけ……。
 最近は「幻想クロニクル」やってます。
 素材集めにダンジョンに入って、敵と戦っても素材が手に入るし、経験値とお金も入り、仲間との絆も上がるし、「戦うことで得られるもの」が複数あるので、ちまちま戦ってるのもあまり苦になりません。
 このあたり「面白さ」の一つの要素ですね、きっと。ある行為で得られるものが一つしかないか、それとも複数あるかで、その行為に費やす労力の価値も変わります。その「価値」が高いほど、繰り返すことの苦痛が少なくなるのではないかと。って、ゲーム作るのでもないのにそんなこと分析しても仕方ないのですが。

 「シンフォニー・オヴ・エターニティ」はゴーレムのダウさんがあまりにもいいキャラすぎてそれだけで面白くプレイしてました。
 「マジカル・ファンタジスタ3」もいまだに消してませんし、「ぼくの惑星」でしたっけ。カプコン作ですが、これもけっこうレベル上げと金稼ぎが必須でしんどいわりに、ぼちぼち遊んでます。

 んー、まあでもこのあたりは、ロールプレイングゲームというより、経験値とレベルがあって、キャラクターのスキルなどをカスタマイズができる「プチ・読み物ゲー」ってところですね。
 ケータイアプリの読み物ゲームは、いつでもセーブできる手軽さがプレイの理由かもしれません。
 複雑になりすぎないシステムに、ありきたりで似たようなものばかりでも分かりやすいストーリー、やり込み要素もあれこれ余計なものがあるわけではなくて、元々集まってくるもの、たとえば武器とか、モンスター図鑑とかを、「より集めてコンプリートする」といったものか、追加ダンジョンなんかがほとんどで、あれもこれもと集めまくらないとコンプリートと言えなかったりしない分、やりこみの敷居が低く、だから挑戦しやすいとも言えます。

 ここ最近プレイした据え置きハードや携帯ゲーム機のRPGっていうと、MASS EFFECTがまずそうですが、それ以前だと……ゼノブレイドとエンド・オブ・エタニティは序盤で放置してるし、あ、ケロロRPGか! これはちゃんとクリアしてます。
 ……結局、世界観そのものやキャラクターが好きかどうか、気に入るかどうか、な感じですねぇ。



2010年9月25日(土)

 三国無双6が発表されてますが……買うかどうかは、周泰とか好きなキャラクターのデザイン次第、というところまで、私の中ではキャラゲー化してます。
 その点が気に入らなかったら、とりあえずやる理由はない感じで。ゲーム性とかが増してるとはとても思えないし。
 テクモさんががんばって口出してくれれば別かもしれませんけどね。



2010年9月28日(火)

 それにしてもいろいろな本が出ています。
 ビジネス書を担当しているので、売れている本や売れそうな本はざっとだけでも内容を確認しますが―――ああしろ、こうしろと、言ってることは人それぞれで、こんなもの真面目に読んでたらますます混乱するんじゃないかと思ったりもします。
 私は、内容そのものを頼りたいのではなく、自分の中にあるものを確認するための鏡のようなものとして、「その言葉に私は頷くのかどうか、どう感じるのか」が、読んでいくときのポイントです。
 肯定するなら、その背景にある自分の本音とか感情。否定するにしても同じ。
 結局私は、本を読んでいるのではなく、自分を読んでいるのだろうと思ったりもします。
 あ、またなんかうまいこと言ったかも!(阿呆

 なにがいいとか悪いとかもっと、人に言われてちょっとその気になったり、流されてみたりもしますが、「引きずられる自分」「流されている自分」を自覚しているかぎり、舵はまだ自分の手にあります。
 他人の決めた良し悪しは分かったから、「で、あんた(己)はどうなのよ」という話です。
 人の言う意見を良しと思ってそれに従うという意思を持つのか、そうではないという意思なのか。

 たとえば、ゲームなんてものはたいがいマイナスの扱いで、こんなものをしていても、実質的に人生においてプラスのことはない、みたいなことを人に言われると、やっぱりちょっと気になります。
 でも、だからそこで、自分の感情の揺らぎも含めて、自分はどうするのか、なにを良しとするのかと考えます。
 そして結局、「このために失ってるものもあるし、それが貴重なものだとこの人は言うけど、別にいいじゃん。その貴重なものを持ってる人生じゃないとダメなわけでもないんだし、楽しい時間を過ごして、それを話題に語り合う人もいるし、そこで知り合った中に、もっといろんなことを語り合える人も生まれたりしてるんだしさ」と結論したりするのです。
 他人が決めた「より良い人生」が、実際に私にとってもより良い人生なのだとしてもです。自分で迷ったり間違ったりした先で、自分で選んで自然にそこに行くのでないなら、矯正する絶対的な必要性なんかないし、そこまでして「良い人生」なんて求めるのもちょっと偏執狂的だよねと思ったりもするのでした。



2010年9月29日(水)

 以前にちょっと思ったこと。
 たとえばちょっとイヤなこと、気に障ることとかあったとき、なかなかすぐには言い出せなくて、我慢することは少なくないと思います。
 ムカついたけど、わざわざ言って険悪になるのもイヤだしとか、ちょっと言いづらいしとかで我慢して、やり過ごす。よくありますね。
 それは私にもあります。
 ありますが、だからこそ思ってることが一つ。
 「前から思ってたけど」とか「今までに何度もこうでああで」とか言う苦情・文句は、たいがい、それだけで相手を不愉快にさせて、素直に聞いてもらえないってことです。

 言われる側に回ったら、思いません? 「だったらそのときに言えよ」とか「なにいきなりキレてんだよ」とか。
 今まで我慢してやったんだ、みたいな態度が気に障ることもあります。
 言ってることがどんなに正しくても、聞き入れたくなくなります。

 だから私は、前々から思っていたことだとしても、それをとうとう口にするときには、「今初めて思ったように言う」ことにしています。あるいは、前からちょっと気になっていた」程度にして、少なくとも、我慢の限界にきたから言う、という素振りは、極力見せないようにしたいと思うのです。
 さもなければ、何度か言わずに見送ったことを、もっと冷静に「自分の意見が正しいのか迷っていたから」とか「様子見ていたから」といったように、「今言う」「今まで言わなかったこと」の理由づけを、自分に対して明確にします。
 その上で、ただの現実として、「こういう問題があるんでないかい」「これはこうしてほしいと思う」と言う。
 そのほうがはるかに、相手は耳を傾けてくれると思うのです。
 とはいえ……人によっては感情のコントロールができない人もいて、そう簡単にはいかないんでしょうけどね。

 私は、自分が求めているものを間違いたくない、と思っています。それはこの巣の運営において、戦国無双コーナーであったゴタゴタを通して、はっきりと気付き、キモに命じたことです。
 「そもそも自分は、こうすることで、相手・環境にどうなってくれと望むのか」。
 たとえば、相手のどうしても困ったところを直してもらうとか、自分の仕事をやりやすくするとか、特に苦情のようなものを言うときや、こちらのワガママに近いようなことを求めるときには、それを確認します。
 その上で、「こうすること、こう言うことで、本当にその結果が手に入るのか」を考えます。
 よくよく見つめ直してみると、それはただ単に、自分の目先の不安や苛立を解消するための乱暴な決断でしかなかったり、あるいは、その後にもっと面倒なしこりが残る方法でしかないと気づくことがあります。
 「そうじゃない」と思い直して、自分の本当の気持ちを、もう一度よく確かめる……。
 まあ、こんなこと、内省好きで分析好きだからやってるのかもしれませんが(笑

 でも、短気に起こす前に、「自分は本当はどうなりたい、どうなってほしいのか」を考えて、「この方法で本当にそうなるの?」を考えられるなら、それはきっと、自分の助けになるような気がします。




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