またなにやら、厄介なウイルスが出回っているようですね……?
GENOとかいうヤツですか?
今のところうちは大丈夫、と思われます。
そもそも、ほとんどネットサーフィンなどせず、決まったところをちょいちょいとチェックするだけの日々。ただ、その「いつも行くところ」が感染しているとヤヴァいので、またおりを見てサイトとPCと、チェックしてみようと思います。
それはそれとして、またゲームの話でなんですが、急遽、X箱の「マス・エフェクト」を予約してしまいました。
前からちょっと気にはなっていたのですが、FTPタイプの戦闘画面があまり好きではなく(MGSやるくせにな!)、躊躇っていたのですね。
でもまあいいやと。王道SF的な、ドラマ重視のRPGで、戦闘は大雑把だということなので、これはやっぱりやってみるべと。
で、そのMGSシリーズ……ではないかもしれませんけれど、小島プロダクションの公式HPに、謎のカウントダウンが出現しています。
「5」なのか、「S」なのかはともかく、文字がドンと、モノトーン調の草原にうっすらと浮かび上がり、その上でカウントダウンが進んでいくという……。
……MGS5?
なんにせよ、22日に0になるので、楽しみに待とうと思います。
「天使と悪魔」を見てきました。
すごい端折りっぷりですが、あの長さを2時間におさめるならこんなもんかと思います。
スピード感のある展開で、ものすごく盛り上がるところというのもないのですが(原作を知ってる私の場合かもしれませんけどね)、気がつくとじっと見入っていて、久々に余計なことを考えずに映画に没頭してしまいました。私好みの展開スピードです。
ラストの展開も、原作のラングトンは「ありえねえだろ!」になって、その違和感が興醒めだったのですが、映画のほうはとりあえず無理のない感じでした。ただ、犯人がああいう終わり方をするのは、―――この続きを迂闊に書くと、読んでない人に犯人が誰かを簡単に推測させてしまうので(一般教養があればの話ですが)、以後に白字にして書いておきます。ただ「ああいうことはしないというか、できないんじゃないか?」と思ったということだけ、ここでも書いておきます。
あと、犯人が「なぜ」その犯行に及んだのか、「なぜ」そうする必要があったのかがイマイチ分かりづらいのが欠点です。
要するには、反物質という物体を利用して―――って、これもまた犯人が分かる手がかりになるので後ほど。
個人的に、リヒター警部(でしたっけな)の部下の、スイス衛兵隊の一員と思われる、ラングトンのお目付け役になった若い隊員が気に入りました。それともヴァチカン警察の刑事? どっちでもいいんですが、脇役なのにけっこう頻繁にカメラに映る(笑)。ラングトンと一緒に書庫に閉じ込められたり、最後までちょこちょこ出てきます。
それに、若い頃のルトガー=ハウアーを思わせる、ちょっと険のある冷淡な、爬虫類的な印象が好みです。しかもこちらのほうが細面でスマートです。そういや、ターミネーター2でT-1000役やった人にも似てるなぁ。名前忘れましたが(酷
さて、ここからは犯人に関するネタバレです。名前は書きませんが、推測するのに充分すぎるネタの提供になりますのでお気をつけて。
原作を読んだのがなにせ5年ほども前なので、大筋くらいしか覚えていません。なのでまた今度読み返そうと思うのですが、とりあえず映画から思い出し、推測する範囲での話です。
犯人が事件を起こした目的は、よーするに、「反物質」という科学の最先端を「恐怖」「神の敵」として世界に知らしめることで、それを否定し、教会とキリスト教を守るため、だと思います。
そのために、科学との歩み寄りを考える前教皇を殺害し、コンクラーベという非常に神聖な儀式すら「反物質による惨事が起こるから」と中止させ、それを世界にアナウンスさせ、「科学は神を冒涜する」という世論に持っていこうとしたのでしょう。
しかし映画の中では、最後にチラリと台詞で触れているだけなので、それだけでここまで推測できるかどうかが疑問です。
で、つまり犯人は敬虔なカトリック教徒なのですが、だったらいくら追い詰められたところで自殺するか?という疑問があるのです。
原作ではたしか、ヘリの上でラングトンと争いになって、ラングトンはヘリから落ちて無事、というトンデモ展開で、犯人もあからさまに自殺はしなかったはずです。それ同然になったとしても。(22日追記:原作でも同じ方法で自殺してますな……。そういえば、原作を読んだときに「自殺するか?」と思ったような覚えも)
あとは、ラストでちょっと感動してしまったことも付記しておきます。
事件が解決し、教皇が選出され、お披露目直前に呼ばれるラングトンたちに、新たなカメルレンゴ(ちなみに人の名前ではなく、教皇の侍従のこと)になった人物が、「宗教には欠点がある。人間に欠点があるから」と言ったりします。
この人物は、コンクラーベの中核を担う重要なキーパーソンで、愚直なまでに(信仰のない者から見れば愚かに思えるほど一途に、という意味です)「教会の法」を守ろうとするのですが、不思議と、頑迷な老人という印象派ありませんでした。なにかこう、もっと大きく広く、深いものを見て「尊守」を破るほどのことではない、というような……。無闇に「神のご意思」と生死を超越しているのではなく、覚悟の上でそうしている感じ。
原作でもたしかそうでしたが、人間らしさを失った宗教マシーンではない、人間みのある信仰者、という印象です。
そして、ぎりぎりで枢機卿を一人救出し、事件のために奔走したラングトンに対して「神があなたを遣わしてくれた」と言います。そこにもなんとなくですが、神の偉大さとか、なんでもかんでもありがたいことは神のおかげにする狂信的なものよりも、自分に恩恵をもたらしてくれた人を尊ぶ気持ちがあるようにも感じました。神も大事だが、この世界で骨を折ってくれた人そのものを、神を思うのと同様に大事に思う気持ち、というか。
10億という信者の混乱を防ぐための狂言(すなわちウソ)が最後につかれますが、そこには、なんとなく犯人に対する思いやりも感じられました。ただ権威を守れればいいというのではないなにかが。
宗教が金儲けに走ると、神の名を盾と武器にしたテロリストと変わりなくなりますが、本当にただ「神」を思う信仰と、その信仰のよりどころとしての象徴、あるいは集合体としての宗教は、こういうものなのかもなと思います。
無宗教で特に信仰心もない私ですが。