烏の足跡



2008年9月1日(月)

 そういや電王、10月ですか、また映画ありますね。
 そして11月には「イマジンあにめ」の第二弾が出るとか。
 ええ、買いますよ。ウフ。
 映画では良太郎の孫が電王に変身するそうで。え? バレ? いやだってこれ、普通に雑誌に載ってたし。



2008年9月2日(火)

 「COBRA」のリニューアルアニメーションDVD購入。
 えー、8000円して収録されているのは1話のみですか?
 てっきり4話くらいは入っているものだと orz
 まあいいです、続けて買います。
 すごいなぁ、30分のアニメに(特典映像はもっと入ってますが)8000円ですよ。オトナですね!
 ……いや、商売としてどうよそれ?



2008年9月3日(水)

 6月末から7月頭にかけてばたばたと新規アイテム導入し、8月の繁忙期。そして9月は暇になるかと思ったら一周年記念に、レンタルのゾーニング変更が明日と下旬とに突っ込まれ……。
 店長を見ているとほとんど休みなしで一日12時間以上も店にいるのが当たり前みたいになってて、だからなにも言えなくなるけど、「自分より過酷な労働している人がいるから疲れたとか言いにくい」雰囲気は嫌いです。



2008年9月4日(木)

 昼、14時に出勤しましたー。
 朝、10時に退勤しましたー。
 20時間労働でーす。
 わーい。

 ……アホかい!!

 という本日(昨日?)でしたが、夜3時頃の休憩時に携帯からチェックし拝見したメールが、折れそうな心を力強く支えてくれました。
 まあ、肉体労働だったので、接客してるとか価値にない会議に参加してるとかに比べればはるかに楽で、作業終了する頃にまだ走れる自分にちょっと驚きました。
 でも、明日(今日)は筋肉痛が確定していると思われます。あう。



2008年9月5日(金)

 一人で過ごす時間も、ちょっとした友達に触れる時間も、どちらも楽しめるのが一番幸せなのかなという話。

 私の好きな脚本家・演出家の鴻上さんとか、作家の嶽本野ばらさんとか、たしかそのあたりの人の著作の中には「一人でいられないからというだけで群れる友達は虚しい」みたいな内容があったりします。
 友達というものがくだらないというのではなく、一人でいられない「友達依存症」みたいなのはよろしくない、という感じです。
 一日に何度も友達とメールしてないと落ち着かないとか、メールが来ないと不安になるとか、あるいは一人で過ごせなくて暇だと必ず誰かに連絡してしまうとか……。
 メールという簡単な「つながる手段」があるため、ほんのちょっとの一人の時間も過ごせないようになっているとしたら、これはいささかビョーキだろうと思わずにいられません。

 私の場合、一人でいれば本読んだりゲームしたり好きなだけごろごろりと寝てたりあるいはモノガタリを書いたりと、すること、やりたいことはいくらでもあるので、会社以外で他人に会わない日々というのが一ヶ月二か月続こうと、まったく苦ではありません。
 ただ、何ヶ月もの間メールをする相手もくれる相手もいないとか、そこまで「一人ぼっち」で平気かと言ったら、それは無理。
 それでも「一人で平気」というのは、「友達依存症」と同程度のビョーキではないのかと思ってしまいます。

 どちらのビョーキだろうと、その良し悪しは私にはどうでもいいことですので、「それじゃダメだ」とか言うつもりはありません。それで本人幸せで安心していれるなら好きにすればというところです。
 ただ、ろくに意味もないメールのやりとりを煩わしいと思ってる人ばかりが周りにいるとか、なにしても協力する意思がないとかいうのは、私が「迷惑かけられる側」なら鬱陶しいと思いますが、まあ、それだけです。本人がどうしようと、それで好かれてようと嫌われてようと、知りません。

 だからなんだとか、なんでこんな話題かというと、基本的には一人で過ごす時間が多い私ですが、仕事で疲れたーってときに嬉しいメールで「もう一頑張りするか」とか思えたり、「今週暇な日ありますか?」という遊びのお誘いにウキウキしてたり、まあ、単純な構造してる自分が、幸せだなと。
 好きなものが自分一人の中にしかないとか、逆に自分の外にしかないよりは、どちらもあるほうが、得だし幸せだと思うわけでした。



2008年9月6日(土)

 だから何故ゆえに9月の暇なはずの時期に休日出勤があるのだらうか?
 と愚痴ったところで休みは増えないので、休むときのために文句は言わずにせっせと働こうと思います。
 でも来週は、久々に友達と映画行って、モンハンやる予定なので(←そこでもか)、一日しかない休みですがとても楽しみなのです。

 映画は、DMCと20世紀少年ですね。
 DMCのほうはともかく20世紀はかなり叩かれてますが、キャスト豪華ですし、原作読んでますから、とりあえずネタとして見に行こうと話してます。
 一日に2本行くか、1本にしておいて狩りまくるかはその日の気分次第で。

 今年の夏の映画は、「ダークナイト」がやはり最高でした。
 実は2回目見に行ってます。
 ストーリーも展開も知っているので、ゆっくり考えたり、伏線探しながら見たりで、二度目も楽しめました。
 二度目は、「バットマンとジョーカーは表裏一体」という部分が心に残りましたね。
 なんとなく、某大国と某テロ組織とを思い出します。
 片方が暴れれば暴れるほど、他方も過激になっていく。
 暴力で押しのけたものは、暴力で押しのけ返される。
 負の連鎖。
 それを立ち切ることができるのは、人間としての尊厳、みたいなものなのかもしれません。「相手のほうがクズだと決めつけてそれを排除することで自分が助かって、それでこの後胸を張って生きられるのか?」というような。
 もうそろそろ公開からだいぶたつので、白文字にしてバラしますけど、囚人たちは、「俺たちは社会の落伍者かもしれないが、だからこそこれ以上惨めな存在にはなりたくない」と思ったのかもしれないし、「死ぬなら明らかな罪をおかしている自分たちでいい」と思ったのかもしれない。でもやっぱり私は、捨てきれない人としての誇りみたいなものを感じました。もう一方は、自分たちさえ助かればいいと思って相手を殺した時点で、自分たちも悪人になってしまうし、この後一生後悔すると思うと、死ぬ覚悟は決められなくても、殺すこともできなかったんじゃないかと思います。真実はどちらか分かりませんが、こうやって考えることのできる映画はいいですね。
 憎しみには耐えられない、と言ってバットマンであることをやめようとするブルースが、最後には、光の騎士を輝かせるため、あえて汚名をかぶって暗黒の騎士となることを選ぶ。称賛されることのない、悪人と紙一重の存在として、人間のために戦うことを選びます。今後の物語でも、このテンションとクォリティを維持してくれることを心から望みます。
 次回作でもジョーカーが出るらしいんですが、ヒースが亡くなった今、どうするんでしょうね。「ブローバックマウンテン」もこの間借りて見ましたが、惜しい役者を亡くしたもんだと思います。



2008年9月7日(日)

 わくわくと、外出準備中。
 それはそれとして、明日のために部屋の掃除をしなければなりません。
 友達を上げるのに躊躇う部屋だけは勘弁っ、というわけです。
 特に汚しはしないのですが、本とかCDとかがですね、どんどん氾濫していくのですよ。
 とりあえず夜があけたら掃除機かけて、床拭いて……。
 毎日か、最低でも数日おきにやればいいことなんでしょうが、相変わらず掃除は習慣化しません。二週間に一度くらいでまとめてワタワタやる日々です。……一応二週間と言っておきます。一ヶ月……まあ、本とかCDの整頓だと、下手すると二か月……ぶるぶる。



2008年9月9日(火)

 昨日は唐突にネットにつながらなくなったので、ザレゴトもモンハン日記も更新できませんでした。
 PCの知識など「あるともいえない」というよりむしろ確実に「ない」ので、こういうことが起こると、どこにどんな問題があるからかもしれないのかとか、さっぱり分かりません。
 機械とか「取扱説明書」には比較的強いほうなのでテキトーになにかいじって直すんですが、「つながらなかったらどーしよっかなー」と思うとかなりドキドキです。
 ネットできなくて世間的な情報が見られないくらいはどうでもいいのですが、せっかく送ってくださるメールにまともな返信ができないとか(ケータイでチェックできますし返信も可能ですが、文字打ちが大変なのでイ覆うなく簡略化されます)、書いたものがあるのにアップできないのが寂しいのです。うぐうぐ。



2008年9月10日(水)

 人はお金のために必死になることはあるかもしれないけど、一所懸命になるのは人のためだけだと思う。
 言葉の定義や語感の問題でしかないんですけどね。
 ただ、全力を出して疲れきっても心地良いのは、好きな人、大事な人、あるいは自分自身のためにがんばったときだけだと思うんですよ。



2008年9月11日(木)

 なにげなく目についた「彫辰捕物帖」という時代小説を読みました。
 短編連作で、腕のいい彫り師の辰之助というのが主人公ですが、事件はシモのほうが関わることが多く、エロ・コメディな要素もふんだんに盛り込まれています。
 それでいてからっと明るい、あちこちで笑えるなかなかに楽しい読み物でした。
 見つけたのが中巻だったのでいきなりそこから読みましたが、上・下巻も注文してあります。



2008年9月12日(金)

 最近の肉2世は、見ていて妙にハラハラしますね。
 セイウチンが元に戻って、マンモスマンが血に目覚めてしまう、という展開になるんじゃないかと予想してみますが、いかがでしょう?

 21世紀のウォーズマンについては、私としては「ロボ超人なんだからAIのダウンロードで、20世紀の体を使って戦ってる」というのもアリだと思ってたんですが、普通に密航してたんでしょうか。いや、それは難破しかねなかったわけで、非常に危ないんですよ? 俺さえ良ければになってしまってるネプならともかく、アナタがそれやっちゃいかんでしょうと思います。その点、AIのデータだけをどこかにこっそりアップロードしておいて、なんらかの手段で20世紀の自分の死体にダウンロードする、という方法なら、物質的な重量は圧迫しませんよね。
 現在の立ち位置も、「弟子であるケビンを助けるため」というのがスタンダードですが、もっと大きく、「21世紀の若い超人たちのため」というのもオイシイんでないかと思ってます。

 ともあれ、またなんだかだんだんと噛ませ犬……もとい、自己犠牲精神発揮してそうな展開になってます。
 べつにいいんですけどね、ウォズ好きとしては、彼が痛い目・つらい目に遭えば遭うほど萌えるというドSマインドを標準搭載してますから。
 こう、セイウチンは元に戻らないうちに、血を浴びたせいで魔性に目覚めてしまったマンモスマンまでネプについてしまって、一対三で戦っていくうちに、観客席のパパ&ママもあって本来の穏やかな姿に戻ったセイウチンがウォズと組む、と。
 でもパートナー取替えではどちらも失格で、最後の最後に、アリサさんが助かって完全復活したケビンとタッグを組む……といいなぁ。

 しかしゆでたまご氏はジャンプの黄金律である「伏線無視」「過去との矛盾も無視」を相変わらず律儀に守ってくださるようなので(肉特集書籍に書き下ろしのウォズの過去が今までの連載シーンをすべて無視してて思わず噴いた。「氷の精神」は熊と戦ってたときに身に着けたんじゃなかったんかい)、なにがどうなるか、まだまだ油断はできません。
 でもいいんです。噛ませ犬だろうと見せ場と名シーンがちゃんとあるならね!



2008年9月13日(土)

 気がつくと、他人に多くを求めていたりします。
 自分に都合のいいように変化しろとか、あるいはあれをしてくれりゃいいのにこうしてくりれゃいいのにと。
 自分が他人からそうやってあれこれ求められたっていい気分にならないのなら、他人に同じことをするのをやめたほうが賢明。

 軟体生物のように、人と人とがつくる隙間に、するりと納まってそこを満たし、自身も苦痛を覚えないのが私の理想かもしれません。
 エレメントでいうなら、やはり水。



2008年9月14日(日)

 そういえば、ちょっと売れた闘病記本で「いらない命なら私にください」なんてキャッチコピー……失敬、魂の叫びがついてましたね。
 これもその人の、生きたい人の心からの訴えだと思いますが、「やれるもんならやりてぇよ」というのも、同じように心の叫びだと思う次第です。

 命は尊い、なんて幻想ですよ。
 そう思う人にとってはそうだろうけど、その尊い命、人格や心ををないがしろにされ傷つけられて苦痛を覚えている人にとっては、「私の命は尊くない」という感覚じゃないかと思います。
 私自身も、自分の命が自分にとって尊いとは思いません。

 尊い、なんて。
 そんなもの、周りの人が「尊いと思って大事にしてくれるかどうか」でしょうよ。
 価値なんて、そんなもんです。
 自ら死を選ぶ人を、愚かだとか考えなしだとか忍耐力がないとかなんとか罵ったり責めたりすることは、そう簡単にできるこっちゃありません。
 誰かが大事にしてくれて、救いの道、明日がちゃんと見えていれば、明日が来るのは楽しみだったり、特にどうということもないことですが、そうでなけりゃ、明日が来るのは苦痛以外のなにものでもない。

 愚かだとすれば、本当は愛してくれる人、助けてくれる人、道があるのに、自分で目を閉じて視野を狭くしてなにも見なくなって、自己陶酔的に落ちて行く人でしょうが……。
 でもね、広い視野や希望、そういったものを必ずしも持てるわけではないのが、現実です。そういうものが簡単に持てたら、誰も逃げやしませんよ。
 逃げでしかないとしても、何故踏みとどまれなかったか、そこをもっと考えないと、なにも変わらないと思うのでした。

 というか、最近の報道過多を見ると、うっかりと小さな事件も起こせないと思うのは私だけではありますまい。
 ほっといてやれよ、と思いませんか?
 身内や身近な人にとっては大事件かもしれませんが、日本国民大勢が知ることになにか価値や意味があるのかどうかも分からないような細かいことまで取り上げられて報道されて。
 誰がどこで何故自殺しようと、誰が誰を殺そうと(しかも身内)、そんなこと、その人と周りの人のことを考えたらそっとしておいてやったほうが良かありませんか? なんでそんな個人的なことまで世間に知らされなければならないのか。それを知って世間に私になにか得がありますか? 単に猟奇趣味とか好奇心満たすだけじゃないですか。
 ま、どうせ三日もたたずに忘れられ、どういう結末を迎えたかなんて誰も知らないケースがほとんどです。
 こんなふうに当たり前に報道され転がってるから、簡単に選択肢に入ってくるんじゃないのかなと思うのでした。




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