2007年10月16日(火)
オブリ話です。
「ライズ」を買ったものの、初日に遊んで以来放置です。
だってアサシンプレイが面白いんだもぬ。
現在オブリでは、「闇の一党」という暗殺者ギルドに加わってプレイしています。
戦士ギルドも魔法使いギルドも、なんだかプライドばっかり高くて鼻もちならない連中ばかり目立つのですが(いや、いい人ももちろんいますよ)、この闇の一党はアットホームに迎え入れてくれました。
無抵抗の人間を殺すことで勧誘されて加入するんですが、隠れ家に着いて、初見のときからみんなフレンドリー。一人だけカジート(獣人)の商人だけ、やたらと突っかかってくるというか、嫌悪感モロ出しで接してくるんですが、それ以外の人たちはみんな温かく迎えてくれました。
トカゲ人のおばちゃん、おっちゃんと、オークのアンちゃん。ウッドエルフのねえちゃんに、インペリアルなのかノルドなのか、ともかくけっこう美人のかわいこちゃん。それから吸血鬼のおっさん。
みんながすれ違うたびにあたたかい一言をかけてくれるのです。
しかしやることは基本的に暗殺。
最初は海賊船の船長を殺し、次は無害そうなじいさん。
それから、偽装殺人に手も貸しました。借金取りに追われてるので、取立人の前で一度殺されたふりをして(仮死状態になる毒のついたナイフで攻撃する)、あとで蘇生薬を使う、というクエストです。しかし、基本的に殺し以外は請け負わないギルドが、何故こんな依頼を受けたかといえば、その代償に依頼人の母親の命をもらう約束だからだという……。えげつねえ。
こういう例外もありますが、基本的には「見つからない、無駄な戦闘はしない」です。
邸宅の中で、他の奴に気づかれないように五人殺せ、とかいうクエストも面白かったなぁ。
巡回の兵士をやり過ごして砦や監獄の奥に入り込むとか。この兵士がワンパターンで巡回してるわけではないので、じっと息をひそめて待ち、チャンスに物陰をこそこそと移動します。
こんな具合に暗殺ライフを満喫していたら、ある日、―――以下モロバレなので白くします。一緒に暮らしている(?)支部のメンバーを皆殺しにしろという指令が!
中にスパイがいるのは確かなんだけど、それが誰かは分からない。唯一、その怪しい動きが起こった後に入っている「自分」は、嫌疑の外にいる。そういう理由で、支部を抱えている幹部からの直接の命令でした。
毒りんごをもらって、支部に帰りました。やっぱりみんな、あたたかく迎え入れてくれます。
そして、くそ、なんてベタなんだ。一人だけつんけんしてたカジートのあんちゃんも、「今まで悪かった、おまえの功績は疑いようもない。友達になってくれるか」と。ベタすぎるけどなんなんだよこれわーT□T
乱戦になると怖いので、一人ずつ、寝ているところを殺したり、別室で独りきりになっているところを殺したり。ええ、効果があるのかどうかはともかく、わざわざ扉閉めてから殺したりね。
すべて、不意打ち(隠密状態で、気付かれずに攻撃する)の強攻撃で一撃にしました。
一人殺すごとに、なにかが冷たく、空虚になっていくようでした。
全員殺した後には、まあこんなこともあるよなと、特に感慨もなくなっていました。
仕事を終え、指示されたとおり、幹部の待つ砦に報告に行くと、今後は俺の直属の部下だと言われ、名誉に思えと言われました。ちょっとカチンときたのと、あと、……なんかおまえが怪しいと思うの俺だけ?という気分。
でも、とりあえず青黒い毛並みの立派な馬は、素直にもらっておきます。一番足が速くて、しかも不死身の馬だそうです。シャドウメアという名前。
とりあえず、言われるままに殺しましょう。
私は殺戮の僕です。
事情は知りません。知ったとしても関係ありません。
殺せと言われれば殺すだけです。
ですからいつか、貴方を殺すことになったとしても、同じくなんの感慨もなく殺すことでしょう。
それとも貴方の言葉は真実ですか?
―――とまあ、そんな気分になった、本日までのプレイです。
2007年10月17日(水)
いい加減ゲームの話ばっかりですので、たまには日常のことでも。
久々に掃除しました。
久々ってアンタ!とつっこまれそうですが。
以前にも書いていますが、私にとって掃除というのは、日常のルーチンワークではなく、イベントなのです。
なので、やる時にまとめてやります。
仕事が週1休みで12時間労働当たり前という状態が続いているので、そこにゲームしたりしてたらまあ、掃除するかという気力も体力も残ってないというか、残ってるならゲームしたいなと(←阿呆
しかし本日は、2時に帰宅してオブリやって、なにげなく7時に寝たんですが、妙に胃&背中が痛くなって8時に目が覚めてしまい、ぐるぐると蠢いたくらいでは緩和されずにとりあえず食ったものは吐いてしまえということになり、そのままなんとなくそれなら起きてしまえという流れ。
で、起きてるならと掃除して洗濯して布団や枕干してさらにテーブル上も片付けました。あーすっきり。
夜型で生きているとですね、布団を干すというのがけっこう難題です。
今の部屋はモロに南向きに窓があるのでいいんですが、これが西側の窓だと、ベランダに日が当たる頃にこそ寝ているという有り様でして。
布団干したらどこで寝るねん。床か。どんな格好(服)でも寝れるけど、床の上ではちょっとなぁ。
これで天気がちょうど良ければ、……つまり微妙に曇ってくれれば買い物して飯食いたいんですけど、ええ、まあなんというか、世間一般の人にとってのいい天気です。
洗濯物とか布団干すのに手袋してフードつきのコート着なきゃいけないってどうですか。
余談ですが、うちの会社の社長とか店長、マネージャー、少なくとも私の両親よりははるかに、日光アレルギーであるということを気遣ってくれます。
しかし、これがどれくらい面倒くさく、行動が制限されるかの実情は、やはり軽く見積もってると思われます。
普通想像できんと思いますよ。洗濯物干すのですら「大丈夫だよな」と思いながらやってるなんて。
こんなアレルギーのない人なら「ちょっとしたこと」である買い物とかも、時間を選ばないといけない。その時間に仕事してるとなると、つまり、ろくに買い物にも行けない日々です。
食品とか日用品については24時間やってるスーパーが自転車で行ける距離にあるんでいいんですが、服とか、棚とか、そういったもの増やそうとしたら大変。
雨が降れば降ったで、天気はOKですが、今度は車がないという点で制限がかかりますしねぇ。
太陽なんて消えてなくなればいいのにねー。たぶん私は適応して生きていけるから(←いい加減にしなさい
ま、そんな愚痴はともかく。
あいにくの天気ですが、今日はぼちぼちと買い物に出ます。
テーブル上に置くちょっとした整理用ラックと、コロコロちゃん(あれです、粘着テープでゴミとかとる掃除用具)、あと、えらく手触り肌触りの気に入ったジャージを色違いでもう一枚、それから、プリントアウトしたゲーム関連の攻略メモをまとめておくファイル(←……
2007年10月18日(木)
暗殺者クエストをすべて終わらせました。
後半は意外な……ってこともないか。しかしなかなか面白い展開でした。
でも、気付いたんだけど、途中で。(以下白文字)「あれ? なんか指令書がえらく饒舌になっててルシエンらしくないな」と。
そうしたら案の定……でした。
それにしてもエグい。
後半の展開で立ち入った地下室は、犬の死体、人の死体がちらほら。
そのさらに奥には、大切に祭られている、かなりエグいオブジェクト。
そうして「証拠」の日記を持って戻れば、……これが一番エグくないか? 逆さづりの死体は顎が抉り取られ脇腹は切り裂かれて肋骨がモロ見えになり、あちこちに刺し傷や切り傷。挙げ句のはてに、すっぱだかのその死体は、ダイジなトコロがチョン切られていました。
思わずマジマジと観察してしまったではないですか。
しかし、これで一本、たしかに物語生まれますね。
「主人公」をどういうキャラクターに設定するかで、どんなことを思うかは異なると思います。だからこそ、自分だけの物語がここに。
私の脳内では、前回のプレイ部分でどんどん殺人に関して虚無的になっていったので、たぶん、「あれ?」と気付いても、さして追及もせずに今までどおり、指示に従ったと思われます。
その結果逆さづりの死体を目撃することになっても、別に驚きもしなかったでしょう。
やれと命じられたことをただ淡々とこなす、感慨のない暗殺者。
なにか言われた時の反応選択肢に「無言でいる」というのがあるので、常にこれを選び続けるというのも、それらしくていい感じでした。
しかし、前回プレイ分で怒りを覚えていれば、今回プレイ分の展開で思うことは全然違ってきます。
「あれ?」と気付いても、変だなと思っても、自分の保身については考えても、それ以上は追及しないでしょう。そして逆さづりの死体を見ても、自業自得だとしか思わないのかもしれません。
あるいは、こんな異常な奴等の仲間でいたくない、と、真っ当な世界に帰るため、九大神の祠を巡礼して浄化を受け、以後は償いのために生きるというのもありかな。
あるいはギルドメンバーを皆殺しにした後、世界を放浪しながらこれからの人生について考えるか。
あるいは、殺人が面白くて仕方なく、仲間もなにもないというキャラクターなら、終始嬉々として活躍してそうです。
2007年10月19日(金)
そういえば。
「男塾」が実写映画化されますね。2008年春公開ですか。
なんというか……、「原作のイメージを壊さないでくれ」とか「いいものを作ってほしい」とは、最早思わないのがすごい、原作のパワーです。私にとっては。
CGを使わないガチ撮りのバトルシーン。たとえショボかろうと……っつかCG使わなかったら70%ショボいと思いますけど、なんというか、バカバカしいほどの熱さ、暑苦しさが伝わってくるなら、それでいいんでないかなと。
ええ。
なんというか、原作の持つ、あの無茶苦茶な、そしてどうしようもない熱さ。
それを役者さんたちが表現できていれば、バトルシーンのリアルさだとか演技だとか設定だとかキャスティングだとか、べつにどうだっていいんじゃないか、と思ってしまうわけです。
なんかもう、男塾を実写で撮るって時点で、それそのものがギャグだし。
それに、CG使って動きやエフェクトをリアルにしたり派手にしたりすればするほど、男塾の持つ土くささと言いますか。青く熱く汗臭いド根性は、どんどん白けると思うのです。うん。CGと男塾は相反すると思います。そういう、筋肉使わないものに頼った時点で「塾らしさ」がゼロになる。
なにをもって「塾らしい」というのかといったら、「狂気の沙汰」なんじゃないかなと。この映画化話であらためて考えました。
1巻目、むしろ1話目で塾長か鬼ヒゲかが語ってるような覚えがあるんですが、「こんな時代錯誤なことはやめろ、狂気の沙汰だ」とか言われて、「それをするのが男塾だ」みたいなこと、言ってませんでしたっけ? 手元にコミックないし、長いこと読んでないのでうろ覚えですが。
ポルシェ乗って、いい服着ていい靴履いていい時計つけて、かわいこちゃん乗せて、カーステで流行りの音楽ガンガン流して、エアコンきかせて、シャレたレストランで食事して、支払はカードで済ませて。顔をゆがめて怒ったり笑ったり泣いたりするのはダサいことで、かっこ悪いこと。必死になるのはバカバカしくて、小手先技でスマートにごまかせるならそうしない理由もない。
だから無論、派手なバトルもCGで、ブルーシートの前で演じて、キーボードの前で合成して、スピードやなんやいじって、―――リアルにはなるかもしれないし見た目の派手さも出るかもしれないけど、その清潔で効率的なスマートはさ、はなはだ男塾らしくないと感じるのです。
他に効率のいい方法もあるし、楽もできるのに、わざわざあんな苛酷なことやってる。
死力を尽くして生きてる。
そのライブ感は、役者が演じることに死力尽くさないと出ない。CGで加工はできない。
まあ、ハンパになればなったで、「おいおい」とツッコミながらバカバカしさを笑えても、それはそれでいいなと思います。民明書房に笑ったようにね。
2007年10月20日(土)
好きなものがはっきりしているのに、それに向かわないのは愚かだろうか?
と、一行で済ませればえらく意味深長なんですが、そんな思わせぶりはあまりしたくないので、蛇足をつけることにします。
「イチロー哲学」という本を買いました。イチロー好きなのでね。
このシリーズの本(「イチロー思考」だったか、そういうのがある)、イチローの台詞を、けっこう無理やり自分の言いたいことに合わせて使ってる気がして微妙なんですが、イチローの言葉そのものを読み解くガイドラインにする分には問題ありません。「あれ? それ全然イチローの言葉と関係なくない?」とか思いながら読んでれば。
それはともかく。
とにかく野球が好きだからと、その一心で徹底して己に厳しくプロフェッショナルであるイチロー選手の言葉は、なにがしかの「好きなもの」を、はっきりと持つ身にはけっこう響くものがあります。
日に当たれないだ弱視傾向だなんだと面倒の多い我が身ですが、なればなおのこと、思うことが一つ。
「そんなものを言い訳にしないほど真剣に取り組めるものがあればどんなにいいかな」ってことです。
多少のリスクおかしても、それでも、そのことに携われるなら構わない。そう思えるほど打ち込める仕事につければ、どんなにいいかなと。
その快感にかなり近いものは既に知っているだけに、切実に思うこのごろです。
実際、ノリにノリまくって話書いてるときは、眠くて頭動かなくなったら寝て、目が覚めたら、何時間寝たかなんて関係ない、即座に飛び起きて続きを書く。いつ食べた、いつから食べてないも関係ない。
まあ、こんなテンションを一年中維持したらかなり危ういと思われますが(笑)、もう少し落ち着いてはいても、「さあやるぞ」という時に、このフルパワーを発揮するほど好きなもの、大事なもので生きていけたら。
前に書いてる気もするんですが、「適職=今までに一番金と時間をつぎ込んだもの」だそうで。
だとしたら私の場合、どう考えてもゲームと話書くことだろう(笑
はるか昔は、プロの作家になりたいと思ったこともありました。しかし、好きなものを好きなように書けるわけではないんだし、書くだけで食っていくには相当売れないとならないとかいう現実もあり、だったら趣味でいいや、WEBで読んでもらうだけでいいやと結論づけましたが。
今あらためて、別の理由で、プロ目指してみるのも選択肢か?と思いはじめてます。
書くことが好きだからとか、楽しいからとかいうより、それが唯一私が私自身に、「責任持ってやれ」と課すことのできるものだから。唯一、手間をかけてもいいかなと思えるものだから。
自分がフルパワーになったときのテンションと集中力、行動力を知ってるから、今の仕事がいかに、適当に片付けてるだけかもモロに分かります。
無双やAC4の攻略ページ作ってる・作ってたときのほうがはるかに鷹の目になってるよ(←ド阿呆)。いやでもマジに、データとって、繰り返し検証して、写真撮って、それ管理するのにシート作って、何度も読み返してチェックしたり推敲したりして、と……アホですか? アホですね。間違いない。
仕事場でも冗談めかして「本気にさせたらヤバいよ?」とか言ってますが、ま、本気にしてもらわなくて結構。だって誰も私がフルになったところ見てないんだから、「口だけ」と思っていればよろしい。
いやまあ、給料もらってる以上「プロ」なんだから、真摯に取り組むべきなんでしょうけどね。「べき」か。そう言われても聞きたくないなぁ。
コツコツとじみじみと真面目に生きていくだけでも、すごいことだと思います。私は基本的にそれすら手抜きしてるから。
ただ、自分のパワーの上限はまだ上だってことを知っているのに、ろくに使っていないってのは、ちっとばかしもったいない気がする今日このごろ。
今の仕事にははなはだ失礼なんですが、……だからこそ、思うわけです。
好きなものも、やってて手ごたえ感じることも、大事なことも特にないならともかく、そのためなら睡眠時間も食事も適当でいいというくらいに大きなものがあるのに、それに向かわないでいることは、いろんな意味で無駄、損失で、バカなことなのかなと。
まあ分かりませんがね。
十年前の自分が考えていたことを、今の自分は否定していることもある。何故それを否定するのかの理屈もしっかりあって、納得してることもある。バカだったよなとか、自分に都合のいい言い訳してただけじゃねえかとか、思うことも少なくありません。
だから、今の自分が考えてるいることも、後から振り返ってみれば、ただ都合のいい言い訳や逃げ口上にしか見えないのかもしれない。
けど、もしかすると本当に、パワーを出せるフィールドに行くことが、自分のためにも他の人のためにもなるのかもしれない。
ま、これは誰にも分かりません。
そんなもん、結果出てからしかなんとも言えませんよね。「こうだからこうなる」と決まったもんでもなくて、むしろケースバイケース、それぞれの人ごとに「あの人はこうして成功した」「あの人はこうして失敗した」ってのがあるだけ。多少の傾向はあるとしても。
だから最後にまた一言。
「バカなことした」「間違ってた」と分かったなら、なにも試さずなにも分からないままの人生よりマシかもしれない。
2007年10月21日(日)
好きなものがはっきりとあって、それに真摯に向かい合いたいなら、おすすめの本。個人的な趣味ですが。
「イチロー思考」「イチロー哲学」などと同じ著者のイチロー本。児玉なんとかさん。
岡本太郎の「壁を破る言葉」「強く生きる言葉」。
2007年10月24日(水)
小学校の5、6年を担任してもらった男性教諭がいます。
以前にも書いてると思いますが、6年生の国語の授業で「小説」を書くことになったとき、みんなは3枚、長くて10枚だったのに、私はなんでだか60枚ほども書いて、まだ終わってなくて、「提出期限なんか気にしなくていいから、好きなだけ書け」と言ってくれました。
その「小説」もどきは、実はあるPCゲームをもとにしたもので、完全にオリジナルではなかったんですが、当時のかなり大雑把なストーリーと展開を、自分なりに空想して埋めたという点でオリジナリティはあったと思いますし……当時からかよ、このパロディ好きはorz
まあ、そんなことでがっくりしてても仕方ありません。「小説なんてどう足掻いても現実のパロディでしょ。ましてや私に完全なオリジナリティなんか存在しませんよ」と言ってはばからない私ですので。
いや、そんなことはどうでもよろしい。
もし、の話です。
そんな「もし」の話にたまたまなったんですが。
もしプロになってそれで食えるほど売れることがあったり、あるいはなんか大きな賞とかとったりしたら、公衆の面前で感謝したいのは、その教諭です。
なんにも考えてなかったのか、それともあれこれ考えた末だったのか、当時20代後半だったと思うんですが、その先生との思い出は、いいものばかりです。怒られたこともあったはずなんですが、嫌なことほどよく覚えているはずの私が、ちっとも思い出せない。たしか、なにかしてみんなで怒られて、全員で1時間ほど正座させられたことあったと思うんだけどなぁ。記憶がかなり曖昧。
そしてまあ、「もし」そんなことになったら、謝辞をその人に捧げたいし、絶対に報告したいなと。
それから、ものすごく些細なことなんですが、今の職場に社員としてあらためて入ったときの新歓の飲み会で「うちに入ったんか。でも、夢はまだ捨ててないんだろ」と言ってくれたおとうちゃん(それくらいの世代の社員さん)。
一度か二度そういう話しただけなのに覚えていてくれて、そうやって声をかけてくれたことが、どうしても心から離れない。
恩とか感謝って、雇ってくれたとかなんとかじゃないんですよ。そんなものは利害関係。ギブ・アンド・テイクでしかないし、誰の目にも明らかで、はっきりしたこと。
聞き流して忘れてしまってもいいのに覚えていて、応援してくれる姿勢を、そんな言葉で伝えてくれる。そういう、気持ちでしか私は動かないから。
たぶん、「もし」プロになることがあったとして、ものすごく売れたとしても、会社にはなにも言いません。本扱ってるにも関わらず、サイン本とか言われても、ふざけるなとしか。「前に○○で働いてた」とか絶対に言いたくない。恩なんかなにもない。義理はあるかもしれないけれど、そんなもので儲けさせる気はさらさらない。
でも、その、声をかけてくれた人が持ちかけてくるなら、「いいですよ」と答えるでしょう。
人によると思いますが、私はそんなもんです。
私のしていることを一緒に楽しんでくれたり、応援してくりた人にしか感謝なんてできない。
感謝の気持ちってヤツを山ほど持ち合わせている人なら、誰かれ構わず少しでも関係のあった人に配って回ってもすべて本物かもしれませんが、私は大して持ち合わせていないので、配るなら本当に渡したい人にしかあげません。
そしてできるなら、渡したいなと思ったりします。
それでしか返せないから。
このサイトにおいてもそうですが、「ありがたい」とか「嬉しい」と思ったら、私にできることは、少しでも喜んでもらうこと、楽しんでもらうこと。
そのためには書くこと。
「復帰待っています」という嬉しいメッセージを送ってくれた人にできることは、復帰してなにかアップすること。
できれば復帰時には、全ジャンル一本ずつアップしたいなとか、無謀なことを考えてみたり……うん、難しいっつーか、無理だと思うけどね(滅
2007年10月25日(木)
刑事コロンボが好きです。
昔、テレビで放映されてたときには見てましたし、何故か家にコロンボの文庫版があって読んでました。自分が夫を殺したことを本気で忘れてしまう老ダンサーの話とか、今でもよく覚えてますし大好きです。
そんなコロンボのDVDが、最近やたらと種類が増えてるのはまあいいとしてデータベース系のものならともかくプラモデルのパーツついてるものとかは完結する前に休刊になられるとはなはだ迷惑なデアゴスティーニから、隔週で発売されてます。
これは45話きりだし、まあ大丈夫だろうと買い集めることにしました。
コロンボ。
いい。
脚本とか演出によってはかなり微妙な回もありますが、スピルバーグが監督してたりとか、かなり豪華なんですよねぇ。特に初期の頃。
コロンボに痛いとこ突かれて誤魔化すのに悪知恵働かせて、そのせいで墓穴掘る犯人とか、見ててハラハラします。
あ、そういえば。
話は完全にかわるんですが、はじめて出会いました。
「渡辺謙が好き」と言ったら、「御家人良かったよね」と返してくれる人に!!
いたんだね、あれを愛する同志が!!
DVDで発売されたら何万しても買う、と公言してる私は、ブレードランナーのBOX同様、発売されたら本気で購入すると思われます。
2007年10月26日(金)
まずい。
PS2「GOD OF WAR 2」がまずい。
面白い。
たまらん。
というわけで前半はGOW2について語り、後半はゲームそのものについて鬱陶しく語りたいと思います。
レビューの評価がえらく高かったのでついうっかり購入してしまったんですが。「エースコンバット5」の中古とともに。……ついうっかりにも程がありますね。
オブリはまだやってるし、ライズもまだやってるし、ニンジャガイデンはクリアしてないし、フォークスソウルもクリアしてないし、こんな有り様で何故また増やすか。
我ながら思いますが、それでもなんというか、これが我が人生なのでまあいいじゃありませんか。ゲームごときで人生を語るなと言われそうですけど、たかがゲーム、されどゲームです。
というよくわけの分からん前振りに、現在のテンションを感じてもらえればうれしく思います。
えっと、「洋ゲーのデビルメイクライ」といえば一番分かりやすいと思います。赤オーブがお金がわりだったり、緑オーブで体力回復、青で魔法ゲージ回復、となってるあたりも、DMCっぽいです。
まあぶっちゃけ、DMCの二番煎じって感じはモロにします。ひしひしとします。戦闘のパターン……一対多のアクションで、簡単操作で様々なモーションの攻撃ができるタイプなんですが、このあたりとかも同じ。
ただし。
二番煎じだろうと、面白いものは面白い。より良くなっているなら、そっちもそっちで美味ならば、二番煎じのなにが悪いって感じに、面白いのです。
面白い=正義です。
DMCとの大きな違いは、ゴツさとデカさとありえなさ。
DMCも充分以上に、ボスキャラはデカいしありえなさっぷりも大したもんなんですが、GOWはもっぺんありえないしデカいしゴツい。
まず、主人公が美形じゃない(笑)。マッチョのおっさんで、吹き替えは玄田さんですよね、これ。
前作でアレスを倒して、かわりに戦神になったって設定のようです。前作やってないんでそのあたりは設定とかOPでしか知りません。スパルタの戦士だったおっさん。
なんでその人がいきなり下界に降りて、巨大な神の姿で町破壊しようとするのかとか、このへんは前作やってないと分からないようですが、そんなことはどーでも構いません。
ともかく、その行動を見とがめたアテナによって巨大な体から人間サイズに戻されてしまい、しかし神の力をすべてなくしたわけではないまま、なんだか戦い始めます。
雑魚は雑魚です。わらわら出てくる人間。
しかし。
中ボスなのかな。
こいつが半端なくデカい。
自由の女神クラスの像が、アテナの力で動き出して襲ってくる。DMCのムンドゥスなみにデカい(笑
しかも、これが建物の中に拳突っ込んできて驚かせてくれたり、壁ガンガン殴って建物揺らしてたりする。
で、いよいよ対戦となると、叩きつけてくる拳を避けて、その拳に攻撃したりするのは基本なんですが、システムとして、派手な演出が実行されるようになります。
画面に表示されるボタンを順番にきちんと押していくと、それに応じて大技がきまる仕掛けです。
叩きつけた腕を引っ張って建物にめり込ませ、その腕をのぼっていく途中、叩き潰そうとする手を避けて、さらにまた避けて肩にのぼり、そこからジャンプして顔を切り裂き、また逆の頬も切り裂き……と。
的確にボタン押すだけでいいので楽ですが、この演出が派手で面白いのです。
雑魚との戦闘も、攻撃ボタン三つとガードボタンの組み合わせ、連打で簡単に暴れられる。
難易度を最初から選べるので、EASYにすれば楽チン♪ どんなゲームか分からないのでEASYで始めたんですが、ちょっとヌルすぎかなという感じ。NORMALで良かったかも。
なお、これまであれこれACTやってると、「あ、今から叩きつけくるな。叩きつけは衝撃波くるだろうから、横転回避に無敵がないなら、ジャンプで避けるべきだな」とか読めます。
が、読めない部分もある。
ボスが急にうなだれてなにもしなくなって、「あれ?」とか思ってると、やがて戦闘に復帰してしまう。なんだったんだろうと思ってたら、次に同じことが起こったとき、画面が動いて、ヒントがちゃんと表示されました。ここにあるもの使えよ、と。
つまり、ちゃんと見て考えないと倒せない……次の段階に進めないようになってます。
バカにできないなと思います、最近の洋ゲー。
昔は、突き放すにもほどがある不親切なつくりで、「親切にしても面白くなくなるわけじゃないのに、なんでここまで不親切なんだ」と思うこともありましたが、最近はなんとなく、洋ゲーのほうがゲームの根本に忠実に、丁寧なつくりになってる気がします。
オブリビオンもそうだし、ゴーストリコンとか、このGOWもそう。ライズフロムレアも、アサシンクリードも、ヘイロー3も、ここのところ私が注目してるのは、ほとんどが洋ゲーになってる現実。
日本のゲームは、キャラクターに頼ったシリーズものが多すぎかなと。それを悪いとは言いません。それもまた、ファンにはとてもありがたいものだから。ただ、FFとつけておけば売れる、みたいなノリが、売り手にも買い手にもある。たしかにCGの技術とかはすごいけど、ゲームとして、どれくらい本気でゲーム性の部分に力入れてるかとなると……焼き直しとか、ステレオタイプみたいなのがどうしても目立ちます。
日本の大作ゲームはここのところ、「どうだ、こんなきれいなの作れるんだぞ、すごいだろう」みたいな気配が感じられるような……。
ま、そんなもの製品を見て感じた印象で、それを作りだすためにクリエーターが、「面白いゲームだと喜んでもらいたい」と思ってるかどうかなんて、私には分からないんですけどね。
その流れで、三国無双5についてちょっと語ってみたり。
PS3「ブレードストーム」を持ってる私は、コーエーさんをマンネリだなんだと責めるつもりはありません。コーエーさんという会社は、決して堕落はしてない。ブレードストームは、面白いです。
けど、猛将伝出してセコく稼ごうとしてる、こんな後付けソフトなんか出さなくてもいい、これで完成形、つけたすものも差し引くものもなにもない、というものを出せ、とか。このへんは叩かれても仕方ない。
なんとなく甘えは感じます。
無双というブランド名だけでも売れるから。
三国無双5は大きくリニューアルされてますが、どれくらい真剣に、深刻に、無双でありながらPS2時代とは違うものを目指してあがいたのか、信頼ができません。
信頼したい。
なんかこう、プレイしてみたら「これはすごい、面白い」と思えるものになっててほしい。
ゲームをプレイする側の感想として「面白い」というだけじゃなく、「これは作るのに魂込めただろうな」という意味で私に「これはすごい」と言わせてしまう、そんなものであってほしい。ファンとして、そう思います。
愛はそこにあるのかと。
ファンが愛する以上に、製作者が愛していてほしい。
愛していたら、バカにされたくなんかないし、どうしたところでケチつけられるにしても、こっちは魂吐き出すほど力込めたんだ、うるせぇと堂々と威張りかえっていられるほどの気合がそこにあるでしょう。
うん。
「愛」なんですよ、きっと。
最近リリースされる洋ゲーとか、常に高評価を得るゲームから感じられるのは(賛否は当然あるにしても)、製作者の本気。愛。ギリギリ感。わくわく感。魂。
そんなに魂込めなくても売れてしまうタイトルの制作者たちにお聞きしたいのが、このあたり。
新タイトルだと壮絶な生みの苦労があるのは想像に難くないけど、シリーズ作品だとどっかで甘えてないですか。
実はこれ、AC4にも思ったんですけどね。たしかに面白いし、今だってちまちまと検証プレイしつづけてるくらい気に入ってますけど、なんか……パーツ数にしてもローディングの時間なんかにしても、これって本当に限界か?考え抜いた上での適正か?と思ってしまう。
私も、まがりなりにもヘタレでも小手先でも「つくりて」でもあるので、考えます。
売れるものを小器用に作って売れて、それはまあ儲かるし嬉しいし、そうでなきゃ食っていけないわけだけど、それってなんか、不完全燃焼だよな、と。
自分たちが魂込めて、真剣に、とことんまでこだわって、楽しんで、そしてまた楽しんでもらえたらいいなと我が子を愛して、客観性を失って自分にとってだけ可愛い子になっても仕方ないよなというプロ根性で、できるうるかぎりのパワーをつぎ込んだものを、本当は作りたいし、みんな待ってるんじゃないかなと。
本当に心を動かせるものは、そういうものであってほしいなと、考えます。
私は、何様ではあるけれど、私自身がとことんこだわって、楽しませたいと思って、がんばって作り上げたもので、世間の風潮とか流行を無視させたいと思ってます。どうせやるならの話ですけどね。
ほら、今ならケータイ小説がブームで、軽いものならみんな読むようになってる。ハリポタのおかげで長編小説もよく出てる。東野圭吾も売れている。でも、やはりまだまだ、「これなら読むけど」と、「普通の小説」には手を出さない人も多い。恋愛小説は読むけどSFは読まないとか、そういう人に「これだけは読んでしまった」と言わせたい。
自分が愛して愛して魂込めて生み出した我が子がその栄誉にあずかるのが、生みの親としての最大の喜びだと思うから。
必要とか流行に合わせてまず間違いなく売れるより、そんなもの無視して売れたほうが嬉しい。それほどのパワーの魅力を備えていたほうが、絶対に嬉しい。
そのために全力投球するのって、つらいに苦しいしケンカにもなるだろうけど、乗り越えて作り出せたときの喜びは、確実に大きい。
どれくらいの人が妥協なく、徹底したサービス精神と愛情で、もの作ってるんでしょうか。
なんか……日本のゲーム制作者のインタビューとか見てると、みんな洗練されたスマートなプロばっかりで、ゲーム好きのゲームマニアはいなくなってる気がしますね。ゲーマーが、客観的な、素人の視点をきちんと考慮したときに、熱いものができ上がる気がします。
ぶっちゃけ海外の制作者見てると、みんな目とか顔つきがゲームオタクだもん(大笑
2007年10月27日(土)
ぼちぼちとAC4の道場を書き進めていますが、……はてしねぇな、これ……。
しかしここでやめては私の攻略魂がすたる! というかなり自己満足な理由で、ちまちまと進めていきます。なんかもうここまできたら、誰かが見てるとか必要としてるとかはどーでもいいんですよ。
もちろん、あんな長文のものなだけに、読んでくれている人がいることは嬉しいし、役に立ったと言ってもらえれば最高ですけどね。まあ、9割9分まで、AC4攻略目当てできたかたは、それきり二度とうちには来てないと思います。うふ★
DMC3とかANUBISは意外に実用性があるようですが、……長いもんなぁ。しかも戦国無双の漫談攻略と違って、もともとキャラクターがいて彼等のファンがいるってわけでもないから。
でもほら、キャラクター作らずに、管理人があれこれ「教える」ような形になるとなんかやりづらいのでね。
……いえ。
AC4攻略と道場の続きを待ってます、なんていうレアにもほどがあるメッセいただきまして。
「アンタ正気か!?」と。いえ、失礼ですが、気分的には本気でそう思ったんですよ。あんな長文、読みづらくないのかなとか。ええ。いろいろ思ってはいるもんですから。
ありがたやありがたや。文字通り、これがいかに有り難いことか、思わず合掌してしまいます。
2007年10月28日(日)
結局一番困難なのは、やり遂げること。
手をつけるだけなら簡単だけど、やり遂げるのは難しい。
しかも、すべての過程においてできるだけ手を抜かずやり遂げるとすると、相当難しい。
小説も、書きはじめるだけなら簡単だし、思いついたシーンだけ書くなら簡単だけど、ちゃんと頭からケツまで作り上げるのは難しい。
絵も、人物の大枠を描くだけなら簡単でも、衣類の細部や背景まで、きちんと描き込もうとするとかなり大変だ。
私はたしかに、多少は絵も書くけれど、背景×、色塗れない、同じものを繰り返し書けない、という点で、完全に「ラクガキ」でしかない。
小説めいたものを書いていて、その部分だけはけっこう読ませる人もいるけれど、本当にその部分、その人が書きたい部分だけだと、それは私のラクガキと同じ。
ちょっと見る分には楽しめたとしても、まあ、ただそれだけのものだよね。
2007年10月31日(水)
ざっぱんということもないので、こんなところで。
こう、レトルトのカレーを食べていてですね、ふと思ったわけです。なんか味が足りないなと。
しかしルーから作る根気もなければキッチンのスペースもなく、ルーを買ってきてつくるほどの根気さえないという。
そんな私が思いついたのは。
「ほしい味だけ後から足せばいいじゃん」
というわけで、玉ねぎをスライスして軽く炒めたものをぶちこみました。
まあ、レトルトでなく市販のルーで作る時もそうですが、じゃがいもやニンジンは早めに入れてじっくり煮込んだほうが好きですが、タマネギとか肉は、別に炒めて食べる前に合わせたほうが好きです。