烏の足跡



2006年11月16日(木)

「君を思うと言ってほしい。」
「その言葉があるだけで、少しだけ救われる。」

 誰かに、ほんの少しでもいいから愛されていると思える時、ありますか?
 幸い私は、こうしてネットやってればあります。
 かけてもらえる言葉がそうです。
 それも、品物に触れて、その品物ゆえにかけてもらえた言葉より、私自身への言葉。
 出会ったきっかけはそうでも、品物の有無はともかく私へと向けてもらえる言葉。
 ネット上にそういうものを求めるのは、リアルからの逃げのような気がしないでもありません。
 が、たとえ逃げ込んだ先であれ、そこで少しばかりのあたたかさをもらって、それで現実に向かっていけるならいいじゃないですか。

 片手間でいい。
 PC立ち上げて、ふとした時に出てきた思いでもいい。
 でも、届けられる気持ちは、小さくても本当だと思ってます。
 片手間、ココロの片隅にでも、貴方の中に私がいる。
 これってかなり嬉しいことだと思います。

 ぐだぐだと、いつも「最悪死ねばいいしな」を最前提に命なんぞ大事にしてはいない私ですが、少しでも気にかけてくれる人がいるなら、粗末にしようとは思いません。



2006年11月17日(金)

 私に恩師という人がいるとすれば、小学校の低学年の時の担任と、高学年の時の担任。

 低学年の時の担任のK先生は、だいぶ年配の女の先生で、厳しさと優しさをもっておられた。と、大人になった私があの頃を振り返って思う。
 昔、いじめているというつもりもなく、みんなで友達をからかっていたら、それがその子にとってはつらかったらしい、ということがあった。いじめの典型だね。といっても、机を隠すとかいう悪意のあることではなくて、好きな子が誰だとか、ちょっとからかいが過ぎただけのことだったんだが。
 その時先生が、「楽しいからって自分のことだけ見てちゃ駄目よ。相手の子が本当に平気か、本当はどんな顔してるか、ちゃんと見てみないと」とやんわりとみんなを叱った。「貴方たちは、人に嫌な思いさせて楽しがるような子じゃないって先生は思ってる」と。
 小学校卒業後、一度、その小学校低学年時の同窓会をやった時、……って以前にも書いた気がするが、高校生くらいの時か、あるいは中学三年の終わりだったか。
 みんなで先生にプレゼントを買おうとしたのだけれど、さりげなく、どんなものがいいか聞きだそうとして失敗したんだったかなんだか、「それは貴方たちのお金じゃなくお父さん、お母さんのお金でしょう」と諭してくださった。だから、そんなお金で背伸びしてプレゼントしようなんてしてくれなくても、その気持ちだけでいいから、それより先生から貴方たちにプレゼントをさせて、と。
 この先生とは、大学合格後に難度か手紙をやりとりし、紅茶に凝っていると書いたら洒落たティーカップをくださったりもした。
 もうお年がお年だから、ご壮健でいらっしゃるのかどうか非常に心配なのだが、もしご健康でおられるのならば、一度お目にかかって、今度こそ自分のお金で、先生にショールくらいプレゼントしたいと本当に思う。

 もう一人、高学年時の担任というのは若い男の先生で、当時で28のはず。覚えているのは、「先生は二十歳までいったらそこから若返るから、みんなと同じ12歳だ」とかジョークを言っておられたから。
 このD先生とは、本当によく一緒にいた。体育の先生でもあったし、私はその頃は完璧なまでのアウトドア派で、水泳だの陸上だの器械体操だのと、とにかくいろんな大会に出てもいたから。
 この先生は、国語の授業で物語を書こうという時、原稿用紙5枚程度でいいものを私が面白がって何十枚も書いていたら、「期限なんかいいから、もう好きなだけ書けばいい」と言ってくれた。
 この先生が、ほんの小さなことだけれど、私の「物語を書く」ということを、認めてくれた最初のかたなのだ。
 結局、その授業の物語は完成せず、したがって提出もしていない。
 けれど、いつかD先生に、私の書いたものを読んでもらいたい、先生に読んでもらえるだけのもの……というか、先生が読むに耐えるものを書いてお見せしたい、と思ってたりする。
 あの時先生がOKしてくれなかったら、今の私は本当にいないのかもしれないのだから。
 できうればその話を、先生が気に入ってくれたり、あるいは「いい」と思ってくださったらいいと思う。そういう、自分で言うのもなんだが、「感動」をお礼にプレゼントしたいのだ。

 ……と、プロフィール(100質式)を修正していてふと思った、そのため以前にも書いたことがある気もするけれど、珍しくソフトでまともなザレゴトでした。



2006年11月18日(土)

 ここから数日は仕事は休みですが、戦国無双2エンパと、戦国コーナーの企画とで、戦国まみれの予定です。
 思う様遊び倒したいと思います。



2006年11月19日(日)

 エンパ中★
 仕事は休みですが、睡眠時間とゲームに費やしてます。
 明日はちょっと出かけて遊んできますが。
 それにしてもエンパ。
 演出というか、ムービーとかイベントとか、サービスのような部分での手抜きというか杜撰さというか、「おいおいこれかよ!?」と言うのが目立ちます。

 あのですね、私は「ほとんどのゲームは楽しみ方さえ把握すれば楽しめる」と思ってます。
 三国3のエンパが出て、それが思ったより面白くないと思って、でも遊び方が分かってみたら面白くて、こんな見解に到りました。
 製作者側の意図を正しく汲めば楽しいとか、自分なりの工夫や、考え方の変更で面白くなるとか。私には魔法の円盤もあるので、要するに、「楽しみは自分で見つけ作ればいい」と思ってます。
 ま、こんなことはゲームに限らないんですが、ここではゲームを、戦国エンパを例にとりましょうか。

 戦国エンパ、とにかく演出面(という言葉を使います)のいい加減さが気に入りません。ムービー使いまわし、OPムービーは無双2のムービーのコラージュ、ゲーム中のイベントシーンも三国からのモーション使いまわしっぽいのがあるし、EDは言って見れば文字、文章での解説で、三国エンパみたいにキャラクターが動くわけではなし。
 三国と比較して、なんで同じ無双なのにこんなにいい加減なんだと思います。

 ただ、そこで人の陥りやすい心理というものを思います。
 こういう「気に入らないところ」を自分で大きく広げて、つまらない気持ちを自分で膨らませて、普通に楽しめる部分まで、自分の頭でつまらなくしてしまう心理です。
 そんなことしたって誰の得にもなりません。
 自分はお金払ったゲームがつまらなくて損だし、メーカーだってケチつけられて、それをレビューにでも書かれれば売上落ちるし、ブログなどで「つまらない」と言えば、せっかく楽しんでいる人は水をさされたようになるし、買おうかどうしようか迷ってる人は、プレイしてみれば面白いかもしれないのに、手を出さなくなってしまうかもしれない。
 いいことなんか一つもありゃしません。

 私にとって気に入らないところはあるし、それはけっこう大きいのは間違いない戦国エンパ。
 でも、じゃあ楽しめるところがなんにもないのかといえば、そうじゃありません。
 エンパというゲームそのものがなければ、私の得る楽しみはゼロです。でもゲームが出たため、楽しみがもらえました。
 で、気に入らないところがあるからって、私からなにかが奪われたわけじゃありません。ただ、100手に入ると思ってたものが80しかもらえなかっただけです。
 それでも、80もらえたのは事実なのに、時々人は、もらえなかった20ばかり気にして、もらえた80の楽しみを、自分の頭と気持ちでゼロにしてしまいます。
 自分から捨てるんですよね、せっかく存在してるのに。

 今回も、何ヶ所かでそういうレビュー・ブログみたいなものを見ました。
 まあ、せっかく存在してる80の楽しみを自分でゼロにして、面白くないというならどうぞお好きに。私の知ったことじゃありません。
 ただ、ついうっかりそんな錯覚に陥ってるだけのかたがいるならば、そしてそんな錯覚を勿体無いと思うなら、面白いところ、気に入ったところを大きく評価して、マイナス面には目を瞑ればいいじゃないか、と申し上げたいのです。
 私は、EDは「ないよりいい」と思って見ることにしました。「智勇兼備の将・風魔小太郎は」とか出れば思わず笑えますし……。あと、献策の採用回数、半蔵が一番多かったらしく、彼がなんでだか書物書き残してたりします。似合わねえ(大笑
 それでも気に食わないならスタートボタンで飛ばせるんじゃないですか? やってないんで分かりませんが。飛ばせないなら、そこで飲み物トリに行くとかトイレに立つとか(笑
 ま、せっかく買ったんだから。4000円くらいのものでもお金払ってしまったんだから。そのお金を、自分の心持ちだけでドブに捨てたのと同じにしてしまうのこそ、勿体ないじゃないと思います。100と期待した楽しみが80しかないことよりはるかに損することになるし、勿体無いでしょう。

 案外、人付き合いも同じ。
 気に入らないところばかり見て「つまらない」「嫌な奴」と言って自分から損するのか、いいところをクローズアップして「まあいいか」「なかなか面白い奴」と思うのか。
 どうしても付き合わないといけないとか、付き合うハメになってしまったなら、買ってしまったゲームと同じく、自分で工夫したり考え方かえたりして、せめて嫌な思いはしないようにするのが利口かと思います。
 文句言ったって、自分の得にもなりゃしないんだから。



2006年11月20日(月)

 この巣の閲覧者のかたに対してありがとうと思ったら、私のすることはやはり、SSを書くことだと思う。
 かけてくれた言葉などで私がなんとも言えない嬉しさやありがたさ、時には救われたり癒されたりする時、お礼には、楽しい時間や、なにかリアルでも役立てていただけるヒントみたいなものなんかを差し上げたい。

 好きな人には楽しい時間をたくさん持ってほしいし、つらいことなら少しでも和らいだり、あるいは早く終わってほしい。



2006年11月21日(火)

 うーむ、すぐに過ぎていった三連休。
 寝る・ゲーム・書く・飲む・食うしかやってません。
 あ、KOFマキシマムインパクトなぞをやったので、ついまたギース外伝(コミック)二冊読みましたが、本当にそれくらいしかしてません。

 いやー、懐かしい。KOF94〜96あたりはSNK格闘ゲームの黄金期だった気がします。サムスピもあったし龍虎だって古びてなかったし。
 それ以降は、他のメーカーがどんどんクォリティアップしていくのに対して、SNKはバランスも悪いまま、システムもぱっとしないまま、映像はろくに進歩しないまま、落ちていった感があります。3Dサムスピとかビミョーすぎたもんなぁ。餓狼の3Dも。
 私がゲーマーになってしまったきっかけがSNKなので、ものすごく好きなんですが、それでも、好きなだけに辛口です。

 マキシマムインパクトも、ポリゴンモデルがどうも今時の3D格ゲーに比べてお粗末ですね。
 私、べつに映像が第一派ではなく、システムとかゲーム性、世界観優先型なんですが、……相変わらずキーレスポンス悪いし動きはもっさりしてるし。それだけに、見て反応するのがかなり楽なんで悪くはなく、こういうもっさり感をあえて残してるのかとも思わないでもないんですが。
 ちなみに私は、ビリー使いです。その他版権コーナー見てことあるかたはご存知でしょう。で、ストーリーみたいだけなので難易度ぎりぎりまで下げてやったら、三節棍中段撃ちだけで全て勝てました。いくらなんでもヌルすぎな気がしました。
 ま、最早SNKはキャラが好きで見てるだけのでどうでも構いません。
 いつの間にか増えていたアルバもけっこう面白くていいかなーと。
 でもま、続編とかどーでもいい感じです、はい。ゲームとしてはもっともっと私の好みにあった面白いものありますから。
 このKOFMIも、中古で1980だったから買っただけでつ。



2006年11月22日(水)

 100円だったので、DDSアバタールチューナー1、また購入。
 嫌いじゃなかったんですよ。むしろ面白いなと思いましたよ。分割さえされてなけりゃね。
 それよりも、泡坂妻夫の「亜愛一郎」シリーズを購入したのと、今更ながらシークレットガーデンのCD集めてるほうが楽しみです。
 そーいえば12月には初ボーナスがもらえるんですが……一年で満了、そのため半年間の場合かなり少ないらしいとか。
 ま、それでもバイトではもらえない+分なので気にしません。
 問題は、ルパンのDVD BOXに使うか、PCを買い換えるかです……。



2006年11月23日(木)

 うーん、一日で亜愛一郎シリーズは読破。面白かったけど……後になるほど変なところに凝り始めて、変なところで馬鹿馬鹿しさが出て、悪くはないんだけどなんだかな。あと、トリックとかオチ、分かるのがやたらと多かったです。

 推理小説とか、映画の「誰が犯人か」あたりはけっこう当たるんですが、それはたぶん、「作品として作者がどう出るか」という見方もするからかもしれません。
 だいぶ前の映画ですが、ブラピ主演の「SEVEN」ってやつがあります。七つの大罪に見立てた犯罪を起こしていく犯人を追う話です。
 これ、(とある個所)のシーンと、犯人の姿が出てきた一瞬のシーンで、「あ、こいつだ」と直観したのが当たって、そのとき一緒にいた、先に見てた友人に「こいつでしょ」と言ったらえらく驚かれました。
 だって(とある個所)は(一応ヒミツ)で、それが犯人のしてることなら犯人は必ず現場に(ヒミツ)を持ち込んでいるはずで、しかも見立て殺人みたいなことをするなら心理的に(一応ヒミツ)だろうし、だとすると(ヒミツ)だろうなと。
 そして、推理小説とか映画の鉄則、フェアな精神を守るなら、「今までちらりとも出てこず、あるいはただの通行人のように無個性で単なる背景でしかない人物が犯人ということはないだろう」という考え方があるのです。
 まあ、SEVENの犯人は(ヒミツ)でしたが。

 次は「戻り川心中」でも読んで、「難儀でござる」読みます。
 「難儀でござる」は面白そうです。こっそりおすすめ。特に日本史がある程度好きな人。私は帯と表紙で即決でした。
 「拙者、いっぱいいっぱいでござる」という書き文字と。あと、「信長に借金しにいかなければいけなくなった公家」とかいう文章で。
 歴史の大舞台の裏側にいた、ちっとも目立たないけれど確実に存在しただろう、「なんで俺がこんなことせにゃーならんねや……くぅ」みたいな苦労を背負った人の話が何本か入ってるようです。
 現在の私の脳は戦国無双モードなので、ついうっかり、「この信長に借金……か」という声が聞こえた気がしてそれだけで可笑しくなりました、はい。
 あ、なんかこういうバカネタで無双パロディ書いても楽しそうだなぁ。
 ちなみにこの本は、読んでもなおおすすめしたくなった時には、無双戯言でほざくと思います。



2006年11月25日(土)

 パトリツィオ・ブアンネとやらゆへ人のCDを買ってみました。
 イタリアのシンガーで、クラシカル・クロスオーバーとまではいかないけれど、60年代の歌なんかを積極的にアレンジして謳ってる人っぽいです。
 ロマンティック・シンガーとかいうふれこみ。
 私はどう考えても声フェチです。声の良さそうな人見るとチェックせずにいられません。

 聞いてみた結果は、……なんというか、まず楽曲自体が、「洋楽の演歌」です。60年代。とても今風のポップスとは違うし、クラシカルでもない。演歌。私は嫌いじゃないですというか、けっこう好きなのでOKです。
 声は、まあ、上手いですねと。
 特に声に惚れることはありませんでした。
 よって、はずれではないし売るつもりもないけれど、大当たりとは言えませんでした。

 どうしてもラッセル・ワトソンとかアンドレア、ジョシュあたりのクロスオーバー、声楽をある程度ちゃんと学んでる人の声と比べてしまうんですが、深さというか広さというか、声の向こうにまだ残してある余裕というか、その空間に響いて生まれるものというか、そういうものが感じられません。
 単に声質の好みというのもあるのかもしれませんし、クラシックを勉強してその発声を用いているか否かというのもあると思いますが。

 そーしてつくづく、私はラッセルの声が好きなんだなと思う次第です。
 だってシークレットガーデン買ったのも、ラッセルが一曲歌ってるからだし。
 ラッセルもジョシュも、シセルもサラも歌ってるんじゃなかったかな。「ユー・レイズ・ミー・アップ」を書いたのが彼等だからだし。
 で、曲そのものが気に入ったので5枚集めてしまつた仕掛け。

 くだらない頭の中のあれこれ雑多な観念だの思考だのを捨てて率直に思うのは、こういうきれいな声で、歌を上手く歌えたらいーなー、ということだったりします。
 ともすると、話を書くというのはあくまでも、今の私に実際にそこそこできることだから好きだし大事なだけで、なんにもこだわらない自分がなりたいもの、やりたいことは、歌を歌うことなのかもしれません。
 だからもし生まれ変わるなら、容姿と声と音楽の才能に恵まれていたいです。



2006年11月26日(日)

 結局、人が自分になにかしてくれようと、なにもしてくれまいと、肝心なのは、「じゃあ自分はどうするのか」でしかないと思う。
 人がどうしてくれようとくれまいと、だったらそれはそれとして、その環境下で、自分がどう楽しみ、どう生きるのか。

 うちは母親との折り合いがとにかく悪いし、昔……といってもほんの何年か前までは、「あの人がああだから私はこうなった」と思うことも多かった。これは、このザレをずーっと見ていてくださるかたなら、思い当たるふしもあるのではないかと思う。……いや、そこまで深く洞察されておられるかたがおられれば、そのかたは私より何歩か(何歩も)先のところにおられますね。私もせっせと歩いてます。
 でも、そんなこと言ったって、ねえ。
 私の生活になにか足りないものがあったり、私自身に欠陥があったりする、それが事実として親のせいだとしても、その責任を親にとらせるったって、無理です。
 生きてる内はスネかじろうとたかろうとなんでもいいでしょうが、親はあと十年かそこらしたら死ぬし、その間ずっと、関わり続けて生きるのも鬱陶しい。
 で、死んだ後は自分一人ですよ。それとも、その時にはその時で、誰か寄生する相手見繕うわけですか? 旦那とかかみさんとか。私は、やだな、そういう生き方。かっこわるい。つか相手が倒れたら自分も共倒れなんて、自分でコントロールしようがないだけに恐ろしい不安でならない生き方です。
 だったら、私は私一人、こんな私と付き合いつつ、こんな私で生きていくしかないなと思うわけです。
 親のせい、教師のせい、人のせいにしたって、解決にはなりませんし。荷物をその、原因の人に押し付けたような気がしてるだけで、本当は自分の肩に乗ったまんまです。いずれその重みを思い知るんでないですか。

 気付いてる人はとっくに気付いてることだと思います。当たり前のことだと思う人もいると思います。
 でも、私のようになかなかそのことに気付けず、実感できず、甘やかされてるくせにそのことを自覚してるのかしてないのか、相手の到らないところに文句ばかり思う、そういう人も少なからずいると思います。
 私より若いかたがたには、やりなおすなら早いほうが得だよと申し上げたいです。そのほうが自分が楽だもん。
 人を自分の望むとおりに変えるよりは、自分自身を、自分がもっと「おまえなかなかやるな」と思えるように少しでも好きな自分にしていくほうが、まだ簡単だと思いますですよ。



2006年11月27日(月)

 こんなところで時たま(時たま?)えらそーな、ものの分かったよーなことを書いたりするし、その時にはなにかきっかけがあったりもするし、時にはそれが、ここをご覧かどうかは分からないけれどお付き合いのある管理人さんとかに、「がんばれー」と言いたいからだったりもするんですが。
 これからも末永くお付き合い願いたいなと思う管理人さんなんかが、苦労していたり困っていたりへこんでいたりすると、ぶっちゃけ、こんな理屈なんかどーだっていいんですよ。
 どうするのがいいとか正しいとかは、気持ちに余裕ができて頭も働くようになってからでいい。
 それまでは、愚痴でも泣き言でも聞いてあげられたらいいのになと思います。いや、そんな信頼してもらえるほど大した生物ではないので、だったらせめて、その人の近くにそういうことのできる相手が傍にいて、思うままに吐き出して楽になっちゃえたらいいのになと。

 ほんとにつらい時には、「うん」って言葉と、肩でも抱いてあげるのが一番なんだと思います。



2006年11月28日(火)

 この日記ソフト、ワンクリックで一年前のものが見れるんだけど、……一年前の今頃か、ソウルキャリバー3やってたの。早いなぁ。ポケモンの不思議のダンジョンとか、悪魔城DSとか。
 ……って、一年前のこの頃はゲームしかやっとらんみたいですね、己。



2006年11月29日(水)

 またCD購入……。うーん、今月かなり手が早いなぁ。
 イル・ディーヴォの「オールウェイズ」と、ウェストライフの「ラヴ・アルバム」。
 私の好みは最近のJ−POPやラウド、ラップ以外なら歌謡曲から演歌、メタルからクラシックまで、と広めなので、一応系統書いておきますと、洋楽のPOPSです。
 どっちも男性4人のボーカルグループで、ボーイズUメンとか好きならいけるかと思います。……ん? ボーイズUメンでよかったっけ、あのグループ……(←ぉぃ
 ともかく、バラードとか、メロディアスなのをきれいなコーラスで歌うグループです。
 にしても8人とも顔濃いなー

 で、新しく買ってくれば当然聞きます。
 が、BGMにすると、その曲とイメージがはなはだ食い違うものは書けなくなるという弊害が。
 そんなわけで戦国もの書いてる時は陰陽座とかがいいんですがね。
 こんなバラード聞いてたら絶対書けません。



2006年11月30日(木)

 なにか食べたいという時にそばを出されれば嬉しいが(そばが嫌いでなければ)、うどんを食べたいと言っている時にそばを出されても嬉しくない。
 にんじんが見えるところにあるから馬はがんばって走るのであって、どこにあるか分からなかったらせっせと走る気にならない。
 自分にとって価値あるものが、他人にとっても価値あるものとはかぎらない。

 と、思った今日この頃。


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