烏の足跡



2006年9月1日(金)

 PSU中。
 このゲーム話はPSOコーナー内であれこれほざくとして。
 まあ、オフ部分はあれですか。今時ありえない不自然な動きに茫然とさせていただけましたのっけから。
 視点の動き方もPSOに慣れているからだけなのか、えらくもたついて感じられて微妙。
 まあ……エクストラモード目当てなんでいいんですが。



2006年9月4日(月)

 本格的にゲームモードおよび夏休み余波(8月に帰省することは避けてくれた学生バイトくんたちが結局このあたりでまとめてみんな帰るという別に他のスタッフへの思いやりでもなんでもないじゃんということがあからさまになる事態をいう)で相変わらず忙しいです。
 てか家にいたらPSUしかやってなくて、FF3は31日朝にラスボスに負けて以来触ってません。

 PSU。
 期待しすぎるとあれだし、ツボのありか間違えるとかなりしょーもないですが、楽しむことは充分にできる仕上がりです。
 オンでのトラブルやたら多いこととかもう発売告知されてる追加ディスクとか、なんだかななところもごっつい有り様ですがね!

 この間会社の人と話をしたんですが、最近のゲームメーカーは、「ユーザーを楽しませたい」とか「楽しませてやるぜ!」という思いより、「俺たちはこんなことできるんだぜ」という自慢とかアピールを第一に作ってる気がしないでもありません。
 なんか、ゲームを通して伝わってくるものが、「すげえだろ」というものになりつつあると、それは私は感じます。他の人はどうか知りませんが。
 また、ユーザーにしても、純粋にゲームを楽しむというより、変に穿った見方をしてあれこれ難癖つけてすぐ「クソ」呼ばわりする、変なヘビーユーザーが増えたのも、メーカーの姿勢に無関係とは思えません。
 ユーザーに変な挑発されて、メーカーがそれに乗りつつまた逆に挑発する。
 世知辛い、という気がします。
 まあ、私もこうるさいヘビーゲーマー系なのですが、少なくとも、「オラ見ろや! 金出せや!」な匂いがぷんぷんする某大企業製とか、オタク色全開のライトノベルファンをターゲットにしたようなゲーム以外は、うるさく言いつつも、その面白さを見つけて遊ばないと損だと思ってます、一応。
 これもまたずいぶんとヒネた遊び方ですが。



2006年9月5日(火)

 誰もご高説なんか承りたくない。
 自分と同じレベルで語り合ってくれるか、少し上か下のレベルで話を聞いてくれたり相談してもらったりするほうが、実にもなるし意気も上がる。



2006年9月7日(木)

 昨日、今日と雨です。
 雨。
 どんとこい。
 太陽が出ていなければそれで構いません。
 日差しにさらされるくらいなら、雨に濡れたほうがはるかにマシです。

 ところで前からちょっと思っていたのは、昔に比べて雨の降る日が減ったような気がする、ってこと。
 昔私が小学生くらいだった頃って、月に何日かは必ず雨だったような気がするんですが、最近では一ヶ月雨降らないことがザラのような。
 気のせいですかねぇ。

 雨は、好きです。
 匂いも、感触も。



2006年9月9日(土)

 サイトやってれば、自分の品物をとても気に入ってくださる「ファン」みたいなものができることだってある。
 幸せなことに、私にもそう言ってくださるかたがおられる。
 ありがたい、とても嬉しいことだが、たまーに、私の知らないところで、「本当にそうなの?」と尋ねたくなるような人も、いるようで。

 私の軽率な発言が最大の原因であることはとりあえず書いておいて。
 私が何本かの品物を撤去した後で、私と交流のあるサイトの管理人さんへ「貴方のせいで見られなくなったんじゃないか」みたいなメールが行ったらしい。
 そんなメールが行ってしまったのは、本当に私の軽率さ、愚かさのせいなんだけど。
 その管理人さんというかたがものすごく優しいというか、なんというか……いや、表現する適当な言葉が思いつかないんだけど。普通、私に腹を立て、あんたのせいでと言ってきてもまったく仕方ない、むしろ当然だと思う。なのに、自分が悪かったと思われて、それからも疎遠にならず私と仲良くしてくださるという。そのかたの莫大で甚大な好意に甘えさせてもらい、許してもらう形で今もお付き合いさせていただいているが、普通ならこれ、キレてどんなこと言ってきても私が謝るのが当然ってことだった。
 その点についてはともかく、その管理人さんへメールを出したという人。
 これは、私の「ファン」なんだろう。
 けど、あまりよく考えてはおられないなとは、思わざるをえない。
 見られなくなった、どうしてくれるんだ、というのは、自分の不愉快な気持ち。
 それを相手にぶつけることで、私とそのかたがトラブルを起こし、私が不愉快な思いをしかねないことまでは、考えておられない。

 そのかたが本当に「私の」ファンなら、それからはもう少し考えてくださるようになっていたら嬉しいなと思う。たまたま気付かずにちょっと突っ走ってしまったくらい、仕方ない。そもそもは私が悪いことなんだから、責められるべきはそのかたではなく、原因をつくった私だと思う。
 ただ、私の「書いた話の」ファンでしかないとなると、こんなふうに暴走してしまうようなファンなら、いなくてもいいと思ってしまう。
 「書いた話の」ファンであっても、それが原因で私が書くこと自体をやめかねないかもしれないことは、思いつかなかったんだろう。ともすると、それで見られなくなっても、実は別に大したことないのかもしれない。
 ただ、気楽に見られるちょっと面白いものが減るのが腹立たしいだけで、どうしても私の書いたものを見たい、見ていきたいと思っているのではないのかもしれない。

 初夏頃にこのザレで聖飢魔U聖飢魔U騒いだけど(笑)、信者はマナーがいいと評判だった、それは、自分がおかしなことをしたら彼等の評価も悪くなるかもしれない、彼等のファンとして恥ずかしいことはしないでおこう、と考えられるかたが多かったからだろう、ということを書いた。
 同じだと思う。
 その「人」のファンならば、自分の好き嫌いとか感情と同時に、その人にとってそうすることはいいことかどうか、それを思いやってこそのファンだと思う。



2006年9月10日(日)

 会社からのお達しで人間ドック、まあ健康診断を受けに行かざるを得ないのだけど、完全昼夜逆転してるヤツに、「朝8時までに来い、前の晩の夜21時から絶食してなさい、検査は13時頃に終わります」なんて、よっぽど不健康だぞ。
 普通の人の感覚でいくと、「夕方7時までに来い、その日の朝8時から絶食してなさい。検査は0時頃に終わります」。朝からまる一日なにも食うなってのか。しかもこの間、私は仕事だ。ふつーの人なら、夜9時から絶食ったって間はほとんど寝てるんだからどうってことないかもしれないがさ。
 しかも日のある内に出て来いというのか、この私に。
 診断のある日のコンディションがかぎりなく最低になってるのは目に見えている。いい迷惑だ、まったく。



2006年9月11日(月)

 「FC」とはなんの略か?

 ……いや、PSUやりながら、「オンやれば、『フォトン・チャージ』持ってって、とか頼むこともあるのかなあ」と思ったわけです。
 フォトン・チャージとはいわゆるMP回復薬だと思ってくだされば結構。
 MP消費の激しい戦い方をする時には、仲間にもMP回復薬を持っていってもらう(所持できる数が限界があるため)。で、なくなったら「MPきれたんで、ください」と頼む。
 まあ、これはPSOやってる時にも、MP回復薬である「フルイド」系アイテムを持っていってもらう、ということはやってたわけで。
 で、そういう時って、フルネームで書いてると時間がないんで、略称を使います。「モノ・フルイド」なら「モノフル持ってませんか?」とか、「デイ・フルイド」なら「デイフルでいい?」とか、「トリ・フルイド」なら「トリフル持ってきてるんでなくなったら言ってください」とか。
 そこで思ったわけです。「フォトンチャージ持ってきてますから」とか言う時、どう考えてもフルでは長すぎる。どう略するんだろう?と。
 「チャージ」? なんか違う。「フォチャ」? これも変だろう。「フォトチャ」? どうも短くない。
 と考えて、「FC」だろうなと。

 そこで思ったのが、一行目。
 仕事柄、「FC」と見ると「フランチャイズ」の略だという可能性が脳裏をかすめます。
 けどたいがいの人は、「ファン・クラブ」とか「ファミリー・コンピュータ」の略と思うんでないかなと。
 あるいは「ファイト・クラブ」?(注:ブラピ主演の映画。だったと思う)



2006年9月12日(火)

 「嫌いじゃない」は「好きでもない」と同義語だ。



2006年9月13日(水)

 検診検診めんどーくさいなー(棒読み
 でも明日は雨らしいからまだましだなー(棒読み
 そもそも十年来まともに太陽に当たってないやつが完全に健康体だったら微妙ににんげんじゃなくなってる気がするなー(棒読み

 そういえば昔、カルシウムとっても、陽に当たらないと意味がないみたいなことを聞いたんだけど本当なんだろうか。



2006年9月14日(木)

 検診思ったより短い時間で済んで良かったのですがなによりありがたいのは雨だったということです!
 わたくしお天気の神様、あるいは妖怪には愛されているのか、「家に帰ろう、でも傘がないなー」とかいう時には、たいてい、出る頃には雨足が弱くなっているか、やんでいます。土砂降りでものすごい音してても、帰る頃には小雨、なんてことがしょっちゅうあって(さすがに毎回ではないのですが)、ちょっと不思議。どう考えても、そのまま強い雨の中を帰ったことのほうが少ないのです。
 降って欲しい時に降るかどうかは、そもそもあまり降ってほしいと思うことはないので(今日のように朝と昼に長時間の戸外移動がある時など)、ここにも変な運のよさがあるのかどうかは不明。
 ともあれ、検診の途中からは、会社の人と「おなかすいたーすいたー」と言ってたので、帰りにラーメン食べました。チャーシューの薄さといい、煮タマゴにちっとも色がついてないことといい、スープはそこそこでしたがなんというか微妙なシロモノでも、空腹なら美味しくいただけました。もう二度と行きませんが。



2006年9月15日(金)

「おばあちゃん」
 敬老の日も近いということで、たまにはこういう話題。
 おばあちゃん、というと、私の場合次に出てくるのは「土曜日の『暴れん坊将軍』」だったりする。
 地方都市というか、片田舎ではこういったメジャー番組も放送時間はずれていて、水戸黄門が月曜の深夜11時だとかいう有り様。暴れん坊将軍は、土曜日の昼12時から放送していた。
 土曜日、小学校が午前中に終わって帰宅すると、居間にはばあちゃんがいて、一緒に暴れん坊将軍を見るのが定番だった。
 季節を問わずこたつが出ていて、もちろん夏にはスイッチはいれず布団もかけておかないが、そこで膝を突き合わせて、テレビを見る。
 時にはそのこたつの上の板を裏返し、麻雀ではなく(聞いた話だけど、あの板の裏に緑色の布が張ってあるのって、麻雀するためなんだって?)花札で遊んだ。
 とはいえ家庭仕様ルールなので、細かい役は省かれたりもしてたと思う。それでも、赤タンだ青タンだ、猪鹿蝶だと教えてもらった。
 両親が共働きだったこともあって、軽い「おばあちゃんっこ」ではあったと思う。

 若い頃の写真を見せてもらったこともあった。
 兄弟が多いのが当たり前、というのがあの頃の人たちで、たしかばあちゃんにもたくさんいたはずだ。ただ、私の記憶にあるのは妹さんが二人だけで、他の人はみんな亡くなっていたと思う。なにせ空襲とかね。地震とかね。いろいろあったから。
 ちなみにその写真、妹さんもばあちゃんも、えらい美人で驚いた。今と違って修正のしようなんかないわけだから、撮影した人の腕と、あとはもう本人の造形だけが頼り。すなわち、美人姉妹だったってことだろう。もちろん日本的な美人という意味で、今の可愛いとかきれいとは違うけど、涼しい目元に形のいい輪郭、嫌味のない口元や鼻、と、実は今でも鮮明に覚えている。
 自分の写真も家族の写真もいらんから、ばあちゃんのメモリアルだけもらっておけば良かったと思うあたりなにか間違ってるか己。
 ともかく、ばあちゃんにもあった少女時代、汽車が通った時、「はしたないから見てはいけない」と言われたのを、障子からこっそり覗いたりしたって話を聞いたことがある。
 けれど、それ以外に昔の話はほとんど聞いた覚えがない。
 あんまり、昔はああだったこうだったと言わない人だった。

 思い出は、きれいなところだけ語ってやめるほうがいいということで、ここで打ち切り。
 中学、高校と進む内に顔を合わせていることもろくになくなり、ボケがはじまって体も悪くなって、と、最後にはろくに姿も見ないで終わった。
 「もっと話しておけば」と思うには思うが、それはばあちゃんと話したかったというより、明治、大正の頃のリアルを、その時代に生きていた人に聞いてみたいという取材根性、好奇心なので……。
 そのせいか、高校、大学の頃にちょっと遠出したりした時には、人のよさそうなじいちゃんばあちゃんと話してばかりいた気がするなぁ。たまにハズレひくとろくでもない話を延々と聞かされるというリスクはあったけど(笑


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