烏の足跡



2006年6月16日(金)

 部屋から出ようとして、ドアの隅についている金具(ドアを開け放す時に壁についているリングをかけて固定しておくためのもの)に親指をぶつけました……。あう。
 けっこうパックリ切れたわりに痛くないのはいいのですが、一日で塞がってくれないと、仕事がなぁ。歩き回るので。



2006年6月17日(土)

 昨日だか一昨日だかでようやく入梅だそうで。
 久しぶりに昨日は普通に雨でした。
 雨は好きです。

 それはさておき。
 先日発刊された聖飢魔Uの本「ひとでなし」が、何処で探しても品切れ。出版社では重版未定。
 こんなことなら発売日に取り置きしておいてと頼んでおくんだった……orz



2006年6月18日(日)

 蒸し暑くなってきました。
 しかし基本的に暑さ寒さには強いのでどうということはないのですが、出歩ける時間が確実に減退しています。
 本を探して朝10時頃に往復15分ほど外にいたら、覿面、ブツブツブツブツ……ひぃぎゃああぁぁぁ……!!
 太陽なんか消えてなくなれー!(←前にも同じこと言ってる



2006年6月19日(月)

 本日のご飯(世間一般の家庭における晩御飯の内、取り除けられて残されたものを私が2〜3時頃に食べる)は、白まんま、豆腐一丁、焼き魚。
 ……いつの時代の日本家庭だここはと言いたくなるシンプルメニューですが、たまにはこういうのもとてもよろしいので良しとします。

 江戸時代の食生活は一日二食。
 朝と夕。
 メニューはこんなものだったようです。これに漬物がつくか、魚のかわりに煮しめがあるかというくらいで。
 庶民だろうと武士だろうとこんなもの。
 豪商でも、真っ当に稼いでいるなら無駄な贅沢は謹んでいるはずなので、ゃはりこれにもう一品つくかどうかってとこだったと思われます。

 時代ものが好きでいろいろ読んでいると、たまに、そういうシンプルなものを食べたくなります。
 ただ、それを心底美味いと思って食べるには、いろんなものが足りなかったり、ありすぎていたり。



2006年6月20日(火)

 あああああああああ、ありがとうございましたともう一度!
 聖飢魔Uの「ひとでなし」、無事入手できました〜〜vv
 紀伊国屋さんのネット販売教えてくださったかた、本当にありがとうございました。そしてありがとう横浜の紀伊国屋さん!!(←こんなとこで叫んでも無意味

 やはり何年たっても、信者といえるほどはもうのめり込んでいなくても、日本で一番好きなバンドと悪魔さんたちであることは間違いないので、裏話本が手に入るかどうかは、ほんとに……。
 手に入らないとなったら諦められるけど、ものすごく悔しい。
 手に入ったら、ものすごく嬉しい。
 ゾッドやジェイル脱退時のエピソードなんかも語られていて、そしてまた、バンドとしての彼等がぶつかって、そして乗り越えてきたいろんな問題も知ることができて、充実の一冊です。
 今は、まず気になるところから読んでます。

 ネットで少しばかりバンドやアルバムの批評見てるとですね、やはり私の極個人的な感想とはまったく逆の評価をするかたもおられて面白いと思います。
 私は、大雑把に言えば、「恐怖のレストラン」はオドロオドロしさだけを無理に全面に出したみたいに聞こえるし、気に入った曲というのがないのでイマイチ。「LIVING LEGEND」も、やはりマイ名曲といえそうなものはないし、無理にスタンダードなヘヴィメタルしたみたいで、なんかパワーを感じなくて2回くらいしか聞いていないという有り様。「悪魔がきたりてヘヴィメタル」はアルバムとしてはどうだかなと思うけど、記念として大事という感じ。
 他は、個々の曲で好き嫌いはあっても、おおむねそれぞれに楽しませてもらえたアルバムだと思ってます。
 で、一つ思ったこと。
「なんかこの人、大半のアルバムにイマイチみたいなこと書いてるけど、だったらなにが良くて全部聞いてるんだろ? いいなーって思えるものがないのに楽しいのか?」
 少なくとも私は、素人である私の耳にとって心地好ければ、私にとっての名曲です。彼等自身にしてみたらあまりいい出来ではないと思ってる曲でも。

 作り手の考えってのが、まずあります。
 こういう意図で作った、こうしたかった、こうしたつもり、というのが。
 けど、受け手がどう感じるかは、作り手の意図に遠慮したり流されたりする必要はないはず。これは音楽でも小説や絵やその他でも。
 作り手の意図とは違っていても、全然別の解釈されてしまっても、それでも楽しんでくれているならそれでいい。
 聖飢魔Uのアルバムについても、彼等がどういう意図で作ったものかは、もしかするとこの本読めば少しは分かるのかもしれないけど、少なくとも私は、それはそれ、これはこれだと思う。私はどう聞いて、気に入ったのかどうなのか。
 こう聞かなければならない、こう読まなければならない、なんてことは、ないものだと思います。



2006年6月21日(水)

 「大人の科学」という、付録つきの雑誌。
 今回これ、手作りプラネタリウムだったので買ってしまった。
 細い+ドライバーとハサミだけで、あとは組み立て説明書3ページほどを見ながら作るだけ。
 部屋真っ暗にしてスイッチ入れると、これがなかなか。
 ぼーっとするのには丁度いい。

 ところで。
 私は何故かネットの接続料、引き落としにしないでいちいち専用のサイトから支払っていたのだけど、いきなり今日、それが「サーバーSSLの期限切れです」とか出てきてつながらなくなって焦った。
 ケータイからアクセスできるかなーといろいろやってみた結果、接続料の支払い方法の変更は可能だったので、この際ふつーに口座引き落としに変更。
 ……たしか、口座引き落としにすると、残高が3ケタとかいうことがあって引き落とされないことも出てくるからと思ってやめたんだっけな。数ヶ月分ずつの先払いのほうが間違いがないなと。



2006年6月22日(木)

 私に対して、「真面目な人」という印象を持ったかたがおられた。
 私は、少なくともその言葉は相応しくないなと思った。
 真面目に見えることは否定しないけれど、真面目に見えることを言っている理由が、真面目という言葉では表現できないものだから。

 ここでいったん、話は少し逸れる。
 webは、匿名性ゆえに危険なことも哀しいこともあるけれど、よりダイレクトな、率直な言葉が溢れてもいる。
 日常で顔を合わせている人よりはるかに、いろんな言葉を、一方的ではあるけれど受信して過ごすことができる。
 好意や興味をもったかたのサイトへたびたび足を運んでは、作品とは別に日記やブログを楽しみにしているというかたも、かなりおられるのではないかと思う。
 たぶん、普段周囲にいるどんな人よりも、その管理人さんのことのほうをよく知っていたり、考えているということも、あるかもしれない。私にはあります(笑

 このザレゴトもそういったものの一種。
 そして、書いていればこそ誰よりも知っているけれど、ここに書き付けているのは私の一部で、人には決して見せていないものも少なくない。
 ある程度「濾過した」自分しかここでは見せていない。
 他の管理人さんたちも、そうだろう。……いや、人様に隠し立てせねばならんような本性は少しもないってかたなら別ですが。

 リアルでは語れない本音。
 意図的に隠せる部分。
 それによって、構成されている。
 だからものすごく、一部の面だけが先鋭化されて表現されているのが、このテの読み物なのかもしれない。
 それは、勘違いしてはまずいなと思う。
 簡単に「この人はこんな人」とはとても言えない。

 けれど、それでも、webに書き記した言葉を読みつづけた人が受けた印象は、一つの正解には違いないと思う。
 その人の一部を、言い当ててはいる気がする。
 分からない部分も圧倒的に多いし隠されているのかもしれないけど、「この人はこんな人だな」と思ったそれ、思われたそれは、きっと当たっている。ただ、全てではないし、あくまでもその人にとってはそうというだけで。 

 私に対して「真面目」と感じたかたは、昔からの戯言マニアさんではないから(笑)、それはあくまでも第一印象に近いものじゃないかと思う。少ない言葉から受けた印象。
 じゃあ、年単位の量の戯言を読んで来られたかたに、私はどう映っているんだろう。
 ……あ゛、聞かせないでネ? 褒め言葉もらってもおろおろするだけし、無論、けなされて嬉しいはずもござんせん、はい。

 だからなんだっつーと、私は思ったわけです。
 自分の言葉をたくさん読んできてくれたかたがもし自分を褒めたなら、それはきっとまぎれもなく真実、自分の一部がそうであることは本当なんだと思っていいんじゃないかって。



2006年6月23日(金)

 魚は、皮との境目にあるとろっとしたやーらかいところが大好きです。
 ところで今、猛烈に鮎が食べたくてたまりません。
 昔、近所にあった散髪屋さん(おとんの行き着け)のおやじさんというのが釣り好きで、そこのご一家と一緒に渓流釣りに出かけたことがあるはずです。記憶は曖昧ですが。
 その時、釣ったばかりの鮎を塩焼きにして食べたのですが……魚なんて白身のフライ以外食べたくもないという当時の私が、こんなに美味いものなのかと思ったほど美味しかったのは確かです。

 食べ物の味は、食べる時の気分や環境にも左右されるかと思いますが、船から下ろしたばかりのカニをですね、足が欠けているから売り物にならないんだよと、港のテントの中でヤツを食べたのは、一生の不覚でした。何故なら、以後どこでどんなカニ食べても、ほとんどは「イマイチ」としか思えない……orz
 地元にはそれなりに大きな港があり、カニが解禁になると、市が立ちます。まあ、一パイ4万とかする某高級カニなんで、庶民が気安く買えるもんでもないんですが、その市場をふらふら彷徨うとですね、あちこちのテントで客寄せ用に折れた足なんかを茹でたり蒸したりしてるんですよ。で、まとめ買いや契約とったりする料理屋とかにはどう見ても見えない私のよーな者にも、気のいいおじちゃんおばちゃんあんちゃんねえちゃんが、美味しいから食べてごらんよとあんよをくれます(もちろん、中にはケチなのもたくさんいますが)。
 これはやはり美味です。

 美味の記憶というと、漁船の上で食ったウニも良かったなぁ。いや、あれはウニではない別の食べ物だと思う他ないほど、違うモノの味でした。あれが本当のウニならこれまでに口にしたことのあるモノはなんだったんだというくらいに。
 北海道の、港の傍の食堂で(ほんに大衆食堂)食べたタタキ&イクラ丼も目から鱗でした。ごはん見えないくらいたっぷりこんもり盛られていて、しかも少しも生臭くなく、しかも味噌汁(おかわりOK)、酢の物、漬物つきで550円。ええー!?みたいな。
 陸の産物はともかく、水の産物に関しては、日頃スーパーにあるものと、そういう「取れたて」のものとの差は、雲泥ではないかと思います。



2006年6月24日(土)

 べつに暇でもなかったのに、「ダ・ヴィンチ・コード」読み返してました。文庫で買いなおしたので(死
 うーん、やっぱり私には「天使と悪魔」のほうが面白い。
 それから、「ウルトラ・ヴァイオレット」の文庫本。……まあ、なんていうか、文章そのものが上手くはないなと思います。
 んで、「志賀直哉は何故名文か」だかいう新書を読んでます。
 ……いったい何冊並行読みしてるのかっていえば、これに更に「逆説の日本史13巻」と、時代ものの文庫が3冊。
 なんとなく、インプット寄りのタイミングです、現在。

 「志賀直哉は〜」については、いつだったか、私の書いたものを、谷崎潤一郎と志賀直哉にからめて感想くださったかたがいらしたからです。
 あと、おそらくそのかたの好みにピッタリはまったからだと思いますが、美文と褒めていただいたこともあるので、ちょっと気になって。
 ずーっと書いてると、いくらか技巧的なことは意識せずともしてることがあります。
 けれど、いくらかは意識して……というか、「これいいなあ」と思ったものを自分なりに吸収、消化してものにしたいとは思うのです。

 私の場合、特に狙って修辞したりはしてなくて、気にするのはリズム。音読して心地好いのがいいなと。それから、文法だのよりは、すらすら読めて頭に入りやすいかどうか。意味がちゃんと通るなら、文法なんかどうでもいい。そもそも文法って、意味を通すための一番無難な共通ルールってことだろうし。
 webの旧友から、文章読本についてのメルをちらともらいましたが(アナタです/笑)、ぶっちゃけ、「一ヶ月に文庫本一冊分くらいの文章を、十年書きつづければその人なりに必ずこなれる(上達する)」というのが真理ではないかと思います。
 人と比べてどうだとかではなく、その人なりに、その人らしい味のある、良い文はそうやって作られていくんではないかなと。

 そういえばだいぶ前、士分の書いた小説を添削(おかしなところを直す)してほしい、と頼まれてお断りしたことがあります。
 その時には、私のその判断が正しいなんて保証はない、という理由でお断りしたのですが、今ならたぶんこう言います。
「それでできあがるのはRAVEN流に即したもので、そんなものは少しも貴方の文章や小説の肥にも足しにもならない」
 と。
 とある言い回しがあって、「私ならこうする」というのが私にあったとしても、そうしてしまったら私の文章になる。
 それじゃいけない。
 自分でより良い、より自分にしっくり馴染む表現を探して何年もうろうろしないと、本当に身につくことはない。
 もし今も見ておられたら、あらためてこう申し上げておきます。
 貴方にとって私の書いた文章がたまたまものすごく心地好かったから「上手い」とか「いい」と思われただけで、世間的にとか社会的にとか世界的に(!?)、本当に上手いかどうかなんて分かることじゃないですよね。誰か他のかたは私の書いたものを、「こんな変な文章3行も読めない」と感じ、「肌に合わないんだな」と思われるか、あるいは、「下手」と思っておられるのかもしれないのです。
 文章の上手・下手なんて、よほど極端であれば「これは上手い」とか「これは下手」と決められるかもしれませんが、広大な中間位置に関しては、そんなものより好みの問題かと私も思います。
 だからです。上手いと言われるより、ただ「好き」とか「面白い」と言っていただけたほうが嬉しいのは。



2006年6月25日(日)

 ……部屋を一度引っ繰り返して整頓しないと、えらいことになりつつあります。
 本が……CDが……そしてDVD(ゲーム込み)が……。
 本棚に入らないんで横積みになってる本たけで100冊近くあるんでないかという有り様です。
 あまりきれい好きではないんですが(掃除は普段の生活の一部ではなくたまの楽しみという奴です)、さすがにこれは見苦しい……。

 私の掃除は、巨大なゴミ袋とダンボール箱と共にはじまります。
 まずは、いらないものを捨てるところからはじめます。
 服とか売れない本(主に雑誌)なんかをとにかく捨てて、量を減らすところからスタートし、その後で、捨てたくはないけど手元になくてもいい本なんかをダンボールに詰めます。
 そうしてとにかく物量が減った状態からでないと、すっきりしない。

 ……やるかなぁ、今から。
 なお、現在夜中の1:00です。私にはま・ひ・る★



2006年6月26日(月)

 おスミさん(くどいようですがうちのPCです)のご機嫌が斜めです。
 頻繁に凍るわエラー起こすわ。
 嫌な季節になりつつあります。
 いい加減買えという気もします。
 なにせ初代のおトシさんも二代目のおスミさんも人様からのいただきもの。それぞれに、いただいたその時で、五年以上のロートル選手だったんでなかったかなと思います。
 今買えば、どんなに安いのでもこれ以上のスペックは当たり前に持ってるよというレベルの。

 買いなおすならノートにしようかという気もしますが……MO読み込めるような外付けってできるんですかね。そのへん、買うとなればちゃんと調べますが、目下新しいPCに興味ないのでなーんも知りません。
 ま、そのへんは周辺にいる詳しい人に聞くのですが。
 しかし私、基本的に、ものを捨てたくない性分です。
 と言いつつ昨日は案の定、着ない服なんかぽいぽい捨ててるんですが。
 両極端。
 愛用する、したとなれば本気で長いこと使っていくけれど、気に入らないとなれば一度しか着てない服でも捨てられる。
 「もったいない」と思う気持ちは、やはりどれくらい気に入っているかとか、世話になってきた思い出があるかに関わる感情のようです、私の場合。



2006年6月27日(火)

 こーゆー趣味のwebサイトは、自分が趣味で作ったものを展示して、通りすがりの人に覗いてもらうギャラリーだ。
 入場には一円ももらってない。
 なのに、中にあるものに文句つけるヤツがいる。
 私なら、にっこり笑って「じゃあもうお見限りください」と答える。直意訳すれば「もう来んなよウゼぇ」。タダで楽しんでおいて文句つけるたぁいい度胸してやがる。

 金の話じゃない。
 こちらが基本的には無償で提供している楽しみなんだから、金なんかどうでもいい。
 ただ、励ましの言葉とか楽しい感想、そこからはじまるちょっとした会話。そういうもので管理人側が喜べば、それが代価になっている。
 そういうものを頻繁にお支払いくださっている常連のお客様にならば、「これはちょっと」と言われてもいい。普段なにかとお世話になっている。タダで見ていく人が圧倒的に多い中でよく代価をくださっているのだから、こちらに負債があると言ってもいいし、なにより、こちらからあちらへの好意もある。
 これなら、この人の嫌がりそうなことだからやめよう、表現をソフトにしよう、とかいう気遣いだって発生する。

 けどまあ、ご贔屓のVIP様というのは、うちの場合、そんな簡単に、自分とは意見が食い違うというだけで自分の不愉快を伝えてきたりはなさらない。
 ありがたいことに、あくまでも私のために、「これは敵作りませんか」とか「こうしたほうが良くないですか」と言ってくださる。ほんにありがたや(−人−)

 こういう「お返し」として発生する以外の気遣いは、全て自分のためであればいい、というのが私のスタンス。
 過激なこと書けば反感も反発もすごい。それが言葉として寄せられれば嫌な気分になるだろうし、サイトを荒らされたり曝されたりしたら腹が立つ。だから、あからさまに敵作りそうなことだけは自重する。
 私の場合、そんなもんです。
 その上で、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、これは私はこう考えると鬱陶しいほどあれこれ喋り散らしてます。私は、「自分にとって無難で心地好いから」好きになってもらうのではなく、「こういうヤツだけどそれでもいいんですか」という大きくてありがたいかただけほしいから。贅沢〜。

 来訪者様の言葉に大きく揺れてしまう繊細な管理人さんは、大変ですね。



2006年6月28日(水)

 ある人からは、無神経で口が悪い、と嫌われている人がいるのだけれど。
 先日二年ぶりくらいにその人に会ったら(今の仕事先で、異動になる前に一緒だった社員さんなんですが)「うちに就職したのか。でも、夢はまだ捨ててないんだろ?」と言ってくれました。
 たしかその人にだけは、好きな話書いて、それで別に生活できなくてもいいけど、一冊か二冊くらいは本にしたいと思ってるってことを話したことがあって。
 それを、ちゃんと覚えててくれたということで。しかも、その夢叶えなよと思ってくれればこそ、言ってくれたわけで。

 まったく同じ一人の人のことなのに、私には、たしかにズケズケもの言うことあるけど、気に障ったことはないし、こういうこともあっていい人。
 けれど他の人には、気に障った言葉のほうが大きくて嫌な人。
 人って大変だ。



2006年6月29日(木)

 慢心と戦う日々。

 んーと、先日分で「上手いと言われるより好きと言われたほうがいい」とか書いているのですが、まずはこれにちょいと補足を。
 ふつーに考えたら、純粋に、「うわあ、面白いなぁ。上手いなぁ」って感じただけのこと。良し悪しを判断するつもりなんか、あるわけないでしょう、ふつー。
 なので、私も「上手い」と言われてイヤな気はまったくしません。
 正直に言えば、ものすごく嬉しく思います。
 好き嫌いとはまた別に、人様に見ていただけるものが書けているのか、という疑問に対する答え、それを支える自負になってくれます。
 誰かの目には「上手い」と映り、褒めていただけるものにできてるんだ、やったネ☆と。
 そこは正直に嬉しくないわけありません。

 ただ、怖いのが慢心。(たまたま戦国のほうでもこの言葉使ってるんで、そこから連想して出てきた話題です今回) 
 上手いと言われて、「わぁい♪」と喜ぶまではいいけれど、これで満足してここで終わったら……。
 局地的な好みの問題で、極少数の人にとって「上手い」ものでしかなかった時には、天狗になるだけなって周りからはアホ扱いです。
 だから常に、己に言い続けるわけです。「上手いかどうかなんて、この人の言葉だけで決められることじゃない。実はちっとも上手くなくて、私の変な癖がこの人の変な好みに(失礼)マッチしてるだけかもしれない」と。

 もしこの巣にあるものを、無料冊子にして各家庭に配り、その各ご家庭のまあ5割くらいで、家族の中の一人くらいが「面白いじゃん」と思ってくれたり、あるいは「俺の好みじゃないけど普通に読めたよ」と言ってくれたら、その時には「あ、今の段階でけっこう上手いと思っていいんだ」と思うことにしたいと思います。良し悪し決めるのはいつの時代も大衆です。
 私は、普段本を読まない人にとか、趣味じゃないとまでは言わないけど好みからは少しズレてるものを読んでもらって、その上でなお「全部読んじゃった」「けっこう面白かった」と言わせられたらサイコーだと思ってます、うん。それがモノカキ冥利。些細な引っ掛かりなんか捻じ伏せるほどのものってのが、やっぱ私にとっての理想だな。それが世間的にも通用すると判明しないかぎり、「上手だって言われても、それが確かの評価だって保証はどこにもない」と思いつづけることでしょう。



2006年6月30日(金)

 気がつけば六月も終わり。
 というか、気がつきもせずに、サイト開設○周年とかいう日を過ぎていた。
 つまり、私にとってはそんな日に意味はないということか。ちらりと頭の片隅をかすめることもなかったしなぁ。
 サイトを作ったということは、私にとって、楽しみを一つ作り出したということだからとても大きなことだけど、それがいつであるかには意味はない。
 十年くらいたてば、「よー続いたなあ」という感慨と共に祝うかもしれないけれど、今のところ、私には特に意味なんてない日のようだ。

 ……こんなこと書くと、「遅ればせながら」とメッセージを送ろうとなさるかたも、ともするとおられるのかもしれないけれど、それがほしくて書いているわけではないので、そんな無駄なことはなさらないようにお願い申し上げます。


Made with Shibayan Diary