烏の足跡



2006年6月1日(木)

 ケータイ購入。
 ……うん、基本的な使い方覚えるまでは持ち出すのやめときます……orz
 文字打つのでさえ「文字消すのどれ?」とかやってる有り様では、所持しているだけで人様に迷惑かけかねないので。
 まあぼちぼちと、アドレス帳作ったりメール打ってみたりしています、はい。



2006年6月2日(金)

 「ダ・ヴィンチ・コード」見てきました。
 2時間半、フツーに見ていられたのでまあ面白かったのではないかと思いますが、また見に行きたいとか、「ものすげーよかったー!」ってことはなかったなと。
 やはり映画化には元々無理があるタイプの内容だし。
 映像化した場合に見所が出るわけではなく、やはり薀蓄とか知識、好奇心、そういった人間の脳内に個々に呼びかけ訴えるものが、原作の面白さなわけで。
 バリバリのキリスト教圏内では険しく取り沙汰される反面、キリスト教についてろくに知識もないまま見ていてはたしかによく分からん映画かもなと。
 あとあれです。アルビノ設定のシラスの目が青い時点で手抜きだなと(酷

 今後公開予定の映画で見に行きたいと思っているのは、「ウルトラヴァイオレット」とやはり「パイレーツオブカリビアン」。
 ヴァイオレットは「リベリオン」の監督だし、ミラジョヴォさん好きだし。
 ダヴィンチのスタート前にパイレーツの予告が少し入ってたけど、前作よりファンタジー色がアップしてるよーな。オーリーとキーラは前よりかっこよくなっていそうで楽しみ。



2006年6月3日(土)

 けーたいかったよーと、何人かの知人・友人にさっそくメール送ってみたら、返信がみんな早すぎて、けーたいがぶるぶる震えっぱなしで怖かったデス(死
 文字打ち、慣れないとけっこー大変ね……。
 持ち歩いて人目につくことを前提にすると、私は、待受画面とかデフォルトのままがいいと思ってしまいます。なんか影絵のペンギンがうろうろしててシンプルでいいし。
 ちなみに、本体はANUBISカラーです(←分かる人には分かる/笑
 白は汚れ目立ちそうだし、黒は傷目立ちそうだし、青もいいかなと思ったけどキー押しづらくて、ほとんど色に惹かれて決めました。



2006年6月4日(日)

 トラブルや困難は、自分を成長させることもある。
 成長するとは限らないけれど、成長するチャンスかもしれないとは、言える気がする。
 あくまでもチャンスだから、ものにできるかどうかは自分のがんばり次第なんだけど。
 ただ日々を過ごしていてただなんとなく変化していった、その結果がただなんとなく成長方向だったというのではない、なにか本人にも手ごたえが分かる成長は、やはりなにかを乗り越えたり突破しないと、感じられないものなんじゃないだろうか。

 ちなみに、トラブルをなんとかまとめておさめるのに必要なのは、自分の感情を切り離すことのような気がする昨今。
 自分がどう思うか、どう感じているかなんてことはとりあえず脇に置いといて、「どうすれば片付くのか」を集中して考える。
 「嫌だ」だの「つらい」だの「ムカつく」だの、そういう感情が解決の邪魔して、簡単な問題さえややこしくしてる気がしたのさ。

 ……なんでとーとつにこんなマヂメな話って?
 6年ぶりくらいに会った旧友の雰囲気があまりにも変わっていて、話を聞いたら、いろいろとね。
 こんなに大したヤツだとは思ってなかったと、ちょっと惚れ直した。



2006年6月5日(月)

 カップラーメン。
 待つ時間は短い派ですか? 長い派ですか?

 以前パスタのゆですぎの話を書いた時に、某Xさんは、指定時間より長くゆでると教えてくださいました。カップメンも長い派でしょう、きっと。
 私は、パスタならあくまでもジャストな固さを求めるため、ほんの少し短くしつつ一度噛んで確かめ、更に茹でるかどうかを決めるのですが、カップラーメンは、短い派です。
 種類によっては、多少長くても少しも気にならないものもありますが。
 本日、ついうっかりとカップ○ードルを5分放置してしまいました……。
 食べ始めた時はいいんですよ。食べ終わる頃がつらいんですよTT



2006年6月6日(火)

 社員になって四日経過。
 閉店後の処理が、日に日に10分ずつ時短されていく★
 しかしまあ、初日は全て教えてもらいつつで、二日目は土曜日だからお客さん多い=遅くまでいる人も多いからなかなかレジを止められない、三日目は日曜でお客さんの引きが早い、四日目はさすがにやるべきことはたいたい覚えたし月曜日なんて尚更暇だというだけのこと。
 私は、自分でも思うが、スタート直後はえらく早いのだ。
 で、ある程度行くとつい勢いつきすぎてコケる(ぉぃ
 で、頭打ち。
 早いのは最初だけなので、これがいつまでも持続すると思われると困る。

 作業にはすぐ慣れることができるが、問題は、思考に慣れることだろうなぁと思ってる。
 常に気にかけているべきこと、目を配るべきこと。それが当たり前のように常に視界の中にあり、ではどうするかを、「なに考えていいのか分からない」ような手探り状態ではなく、さっと考えられるようになること。
 これの原因はあれかこれか、裏づけはどうとる、じゃあどうする。
 まあ、観察と分析と、なによりこじつけは得意なので、今のところ、バイト時代よりなかなか面白く働いてます。



2006年6月7日(水)

 ケータイの文字打ちに慣れるため、スケジュール管理のメモのところにミニ日誌をつけている。
 本当にただの一言日記で、その日の呟きみたいなものなんだけど。
 文字数が50文字程度までしか入らないから、いかに端的に述べるかの練習にも……なるかもなぁ。



2006年6月8日(木)

 身の回りにいる人に好き、嫌いのどっちかつけてみよう。
 点数つけるとどうなる?

 ……と言っておいてなんですが、点数は、つけないほうが良いと思います。
 ただ単に、好き・どちらかといえば好き・どちらかといえば嫌い・嫌いの四段階くらいでつけると、どうなるだろーね。



2006年6月9日(金)

 嫌いだと思っている相手にも、「じゃあその人にお礼言わなきゃいけないこととか、助けてもらったりしたこと、世話になったこと、喜ばせてもらったことってないの?」と問われて真剣に考えれば、なにかしらは出てくる気がする。
 好きも嫌いも、たいていは相手のどちらか一面を自分で取捨選択してみているだけだ。



2006年6月10日(土)

 自然に考え、自然に振る舞っているつもりでも、どこかで虚勢を張っていたり、自分を騙している。
 そうすることで得られるエネルギーもあるから、それが一概に悪いとは言えないけれど、気付かぬうちに自分を追い込み、追い詰めていることも間違いなくある。
 自分の本当の気持ちのありか、時々でも確かめ、あるいは探っておきたいものだ。



2006年6月11日(日)

 欠点があるのは当然のこと。
 だから他人がいる。
 以前に書いたことがあるけれど、誰かが貴方の尻拭いをして苦労していることがあるとしても、貴方だって誰かの尻拭いをしていることがあるはず。
 欠点はできるだけ減らしていければそれに越したことはないけれど、他人の欠点をカバーできる長所をちゃんと知ってることが、もっと大事な気がした今日の仕事中。
 落ち込んでいても、がんばれ、と笑ってあげることしか私にはできないけれど。



2006年6月12日(月)

 web拍手の撤去を考えています。
 理由は―――。
 
 私の考えるweb拍手は、「面白かった」という気持ちの表明です。
 そのついでに、その気持ちを言葉にしたメッセージがあれば送っていただけたら嬉しい、というものです。
 少なくとも、単なるメールフォームではありません。
 名前やメアドなど、送信者のデータを一切伏せて一言メッセージを送れる、そのために拍手を利用するというのは、私にとっては不本意な使われ方です。
 この巣では一言メールとして、やはり送信者のデータなしで送れるメッセージフォームも用意してあるのだから尚更。
 
 三種類ものメッセージ送信方法を用意してあるのは、感想など告げてやろうと思ってくださったかたが、どの方法ならば実行してくれやすいか、間口を広げるためです。
 付き合いがある程度深かったり、ちゃんと素性を明かしてコンタクトとりたい、匿名で言っていいことじゃない(とこの巣ではされている)、一言返信コーナーではなく自分のアドレスに返事がほしいという場合には、Mail。
 自分が誰か告げるのは恥ずかしい、でも語りたいことあるんだよな、というかたや、名前くらいは告げたいけどメアドはちょっと、とか返信は一言返信欄でいいしそうあらたまったメールでもないや、というかたは一言メェル。
 面白かったという気持ちは伝えたい。けどそれを言葉にするのは苦手。あるいは、感想はあるけどすごく短いからメールとして出すとちょっと失礼になるかも。そう思われるならばweb拍手、そしてそれに付随したメッセージ欄。

 少なくともこの巣では、「メッセージを送るためだけにweb拍手を利用する」というのは、やめてください。
 あくまでも、「拍手してやりたい」という気持ちがあり、それにプラスしてメッセージも送ってやろうという時のみ、あれで一言告げてやってください。
 聞いた話ですが、web拍手のメッセージ利用で非難や苦情の言葉寄越された管理人さんもおられるそうな。こうなると悪意ですね。拍手という、人からの好意を受け取るはずのところでそんなもの見るハメになるなんて。

 なお、無双戯言も今回はまったく同じ内容ですので、両方ご覧のかたは、無駄足は踏まれないようになさってください(笑



2006年6月13日(火)

 たまにはなんてことない日常の出来事でも書こうかと思うが、夕方6時に起きて夜中3時に家に帰って来る生活でなにが起こるか。
 えー……日々戦国無双の武将攻略に費やしていました、ここしばらくの間。
 あ、それから本読んだなあ。「逆説の日本史13巻」と、時代もの何点か。外れだったけど(死
 あ。
 パタリロの新刊読んだ。奥様パタリロ。
 はじめの2本くらいがほのぼのといいお話で終わったのでものすごく意外だったけど、面白かった。
 あと、そうそう、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」文庫を買ってきた。以前に四六判で読んでるけど、読み返すのにもこっちがいいなと。
 「ダ・ヴィント・コード」より「天使と悪魔」のほうが個人的には好き。
 タイムリミット内になんとか反物質の仕掛けられた場所、犯人等を見つけないとならないっていうスリルがあって、いいテンションしてるから。ダヴィンチはちょっとね。誰が黒幕かの部分が、最初は(以下バレなので白)警部かなと思わせておいて、執事かなと騙しておいてあの人なんだけど、最初の段階でラングトンの「敵」の警部じゃないかなと思えた分、今一つハラハラしなかった。それだけに執事の言動で、「まさかこいつ!?」と驚けるわけなんだけど。



2006年6月14日(水)

 「愛されていない」と感じるということは、時々、「愛されていることに気付かない」、「愛されているのだということだと思わない」ということと同じな気がする。
 まあ、私の言う台詞じゃないから、そんなことを思った元ネタをハラしておくと、「鏡の法則」という本です。
 たまたま9日分のザレとも共通したことが書いてあったので、こんなこたぁ誰でも思いつくことだよなと思いつつ読んだのですが。

 なるほどなぁと思ったのは。
 こっちがつんけんしてりゃ相手だってつんけんしたくなる、ってことかもしれない。
 相手が悪いんだと責めるばかりで、そういう嫌な関係になってることに自分にはどんな責任もないのかと言われたら、おそらく反論できない。
 私が誰か嫌いな人物にとっている態度を、では、誰が私に対してとってきたら、どんな気分になりどんな態度になるか。
 嫌いだと思っている相手に対してとっている言動を、そっくりそのまま自分が受けたら、と想像すると、「これじゃたしかにギスギスしたままでしかあれないな」と納得できるかもしれない。

 悪い面だけを見て悪く評価するのではなく、どんなにささいでも良い面を見て、その良い面に対して、今更でもいいから「ありがたいと思ってる」とか「ごめんね」と一声かければ、改善される関係もあるだろう。
 そんなことじゃどうしようもないことだってあるけどね。
 ―――まあ私は、今のところ現状にストレスはないのでこのままでいいんですが。



2006年6月15日(木)

 「天使と悪魔」のあらすじ・感想でもぼちぼち書いてみるので、ご参考になさってください(私信/笑
 一応、肝心な部分のバレは伏せておきます。
 個人的には「ダ・ヴィンチ・コード」よりこっちのほうが好きです。
 理由は前に書いているけど、「どうなるんだろう?」っていう、先を楽しみに思うワクワク感、ハラハラ感が、「天使と悪魔」のほうが高い感じ。
 どちらのあらすじも書くので、「読みたいけど長いし難しそう」と思ってるかたがおられれば、ともすると参考になるかもしれません。

 「ダヴィンチ」は、おかしな死に方をした美術館長・ソニエールが残したダイイングメッセージに、主人公・ラングトンの名前があるところから事件に巻き込まれます。
 死体の傍のメッセージの中にラングトンの名前があったことから、警部に犯人だと疑われてしまう。
 で、ソフィーという暗号解読官の女の人(館長の孫娘)と一緒に、犯人探しを兼ねた逃亡をせざるを得なくなるというわけです。
 その逃亡&犯人探しというのが、館長の残したメッセージから次の行き先を解読してそこへ行く→またそこにあった謎のメッセージから、示されている場所へ行く→その先にあったものの謎を解くために次の場所へ行く→……という繰り返しな感じ。
 そうしながら、アナグラム(文字の並び替えによる暗号)だとかなんだとか、暗号を解読していき、また、それにキリスト教の聖杯伝説が絡んできます。
 最終的には、「聖杯とはなにか、それは何処にあるか」を探す旅に。
 この背後に、ラングトンを追う警部、オプス・デイというキリスト教系の宗教結社みたいなもの、シオン修道会というやはり結社みたいなものがからんだ、宗教的暗闘が加わってきます。
 一番端的に言えば、「聖杯とはなんであるか」を知り、「その聖杯の謎を徹底的に隠すことで聖杯を守ろうとする」シオン修道会と、「その聖杯の謎というものはキリスト教にとって致命的なダメージを与えることにもなるから、いっそ闇へと葬ってしまおう」というオプス・デイとの戦いです。それにラングトンとソフイーが巻き込まれてしまうわけです。
 でも、この、誰がどちらで、何故そんなことをしようとするのか、が、映画ではちゃんと描かれていませんでした。分かりづらかったです。小説ではまだ分かりますが、それにしても込み入った事情で、ストーリーのハラハラ感がその解説部分で埋もれてしまってるような。
 キリスト教やそれにまつわる伝説について、もともとよく知っている欧米人が見ればすんなり分かることでも、もとからその方面に知識のない人が見ると、解説のほうに頭を費やしてしまって物語りが楽しみにくい、とでも言えばいいでしょうか。

 これに対して「天使と悪魔」は、ある科学者が殺されるところからはじまります。
 殺された科学者が作った「反物質」(1グラムで原爆一個分に相当するほどのエネルギーを出す)が盗まれ、しかも、新たなローマ法王の選挙を行っている真っ最中のヴァチカンに置かれることに。
 殺された科学者の胸に、「イルミナティ」という文字の焼印が押されていたことから、イルミナティの研究をしているラングトンにお呼びがかかります。
 そしてラングトンは、その科学者の娘とともにヴァチカンへ。
 イルミナティというのは、昔、教会に弾圧された科学者たちが作った結社。それが、何人もの枢機卿ごとヴァチカンを吹き飛ばそうとしています。
 実行犯からの宣告電話から、次の有力な法王候補である4人の枢機卿が誘拐され、一時間に一人ずつ、公共の場で殺され、さらされるという企みを知ります。
 ラングトンは、その電話の中で実行犯の口にした言葉にヒントを見出し、なんとか四人の枢機卿の殺される場所へ先回りし、犯人を取り押さえようと奔走。
 殺害に選ばれる場所は、かつて弾圧された科学者ちが、その智恵をもって謎を解くことで辿りつける四つの場所。
 爆発までの猶予はほんの5時間、次の枢機卿が殺されるまでは1時間という中で、二人は次の場所を探して奔走します。
 ……という感じで、「ダヴィンチ」より対立関係が日本人にもわかりやすくなってます。イルミナティvsヴァチカン。科学vs宗教。
 爆発までに間に合うのか、次の枢機卿は助けられるのか、というタイムリミットサスペンスの要素に、「ヴァチカン内部の者が犯人に手を貸している」という点があり、誰が裏切り者なのかというスリルもあります。
 ラングトンも犯人のせいで危機に陥ったり格闘したりと何度も危ない目に合うので、こっちのスリルも「ダヴィンチ」より上かなと思います。最後はぼろぼろ(笑

 ぶっちゃけ、「ダヴィンチ」をちゃんと読みきって、まあ面白かったと思えたなら、「天使と悪魔」読まないなんて損だなと。
 どっちが面白いはそれぞれにあるだろうけれど、「ダヴィンチ」楽しめたならこっちだって読んで損はないはず。


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