2006年3月31日(金)
「戦争」
本当に思うことについて書いたら、賛同する人はまずいないと思われる。
口先だけの「それっぽいこと」ならいくらでも言えるが、虚しいだけだ。
少なくとも。
世界平和だの平和的解決だの国際的な協調だの。
そんなものは、エルフがいるだの魔法が使えるだのと同じくらいのファンタジーで、そんなものが実現するはずだ、実現すべきだと言うところから、全ての無理が始まってるんじゃないかと思ったりするわけである。
そうなったらいいなという夢はいつだってあるが、どこでもドアは永遠に存在しない。
2006年3月30日(木)
「OASYS」
富士通のワープロ。
小学生の頃、おとんが買ってきたワープロモドキに触れたのが、あれこれ文章を打ち付ける事始になった。
やがて誕生日にワープロを買ってもらい、高校入学のお祝いにもワープロを買いなおした。(当時はPCなんてある家がレアである)
それがOASYSで、実は今も、私の部屋にある。
あるが……壊れてしまって、フロッピーディスクからの読み出しができなくってしまっている。
この、ワープロのFDをなんとかPCで使えるようにできないかと、いろんな人に聞いてみたことがあるが、いまだに解答は得られていない。(分かるかたいたら教えてネ)
このワープロで打った物語も、いろんなものがある。
いつか必ず、リメイクしたい長大な話もある。
私には財産なのだが、理解はされない。
2006年3月29日(水)
「香水」
昔々のこと。
小学生も低学年くらいの頃のことのはずだ。
なにかの雑誌に、「お母さんの使っている化粧水を、ティッシュに少し含ませてどこかに置いておくと、そのいい香でお母さんはいい気分になるでしょう」みたいなことが書かれていた。
まだ無邪気だった私は、「そうなのかー」とお母さんを喜ばせ、もちろん自分もいい気分になるために実行したが、結果は、「こんなもので遊ばないで」と叱られただけだった。
まあ、親から見ればそうだわな。
しかし、子供心がものすごく傷ついたことも事実。
多少は打算もあってのことだが(ママンの機嫌がいい=自分たちへの対応も優しくなる)、大半は喜ばせてみようというだけのことだったのに怒られればな。
そして思うのだが、私にはそんなふうに叱られた記憶はいくらでも残っているが、褒められた記憶は、一つもない。
学校の成績も、スポーツの成績やなにかの大会に選手に選ばれたりしたことも、「しっかりやれ」「ちゃんとやれ」「がんばりなさい」とは言われても「すごいじゃない」とか言われたことは一度もない。
小学生の頃は90点以下の点数なんてとらないのが当たり前で、それは親にとっても当たり前になってしまったんだろうなと思う。
よくある話だろうが。
ともあれ、こうしてグレた(ぉぃぉぃ
2006年3月28日(火)
「暴れん坊本屋さん」というマンガがある。
マンガ家で、書店員でもあるというかたが書いている本屋の実録話。
……あー、あるある、そーなんだよ、いるんだよこーゆーヤツ!!の連続です。
書店で働かなければ分からない、意外なことを一つだけここで暴露しておきます。
たとえばCDやDVD、ゲームは、たいていのものは、発売予定日が告知されていれば、その日までに「これは何枚ください」と発注できるものです。
極限られた商品のみ、予約発注できないということもありますが、基本的には、一ヶ月も前であれば発注すれば手に入ります。
が、本は、極一部の限られた商品以外、書店からは「何冊ください」と言えないのです。
これは、勝手に出版社・問屋が「この店はこれくらい売れるだろう」と決めて送りつけてくるものです。(勝手にとは言っても、実績などから生み出される数値ではあります)
そのため、「この本はうちの客層なら50冊くらいあっても売れる」と思っても、3冊しか入ってこないなんてことはザラ。
今ならFF12の初回攻略本、50冊くらいあっても売れるだろうに、実際に入ってきたのは10冊で、その日の夕方には売り切れました。
こういった話がいろいろと載っていて、書店に勤めている人はもちろん、本屋をよく利用する人にとっても、なかなか面白いマンガです。
ちなみにもう一つ。
本を探す場合ですが、これは「最低これくらい分かっていれば」という限界値があります。それは「新聞に載ってたアレ」程度では分かるわきゃねぇんですが、普通に考えるよりは意外に曖昧でもなんとかなります。
(注:その書店に在庫としてあるかどうかは、書店ごとにデータベースを持っているかどうかなので別です。ただ、探している本が存在するかどうか、注文できるかどうかを調べる場合と思ってください)
一番いいのは、本のタイトル(漢字などの表記も全てそのままきっちりと)・出版社・著者の全てが分かっていること。これは確実にデータ検索できます。
本のタイトルが、この中で一番重要です。まあこれさえ分かっていればなんとかなります。ただ、似たようなタイトル、漢字などの表記が違うだけで同じタイトルなどもあるので、詳しければ詳しいほどいいのは言うまでもありません。
次に、たとえばこんなのでも調べられます。
「○○という人の書いた本で、先月か今月出たヤツ」
これは、調べられます。その著者名と発刊月に間違いがなければ大丈夫です。
更には、
「○○という人の本で、3000円以上するヤツ」
でも調べられます。1000円前後だと候補が膨大ですが、極端に高い、安いがあればいけます。
また、こんなのも可能。
「○○という人の本で、タイトルはちょっと分からないんだけど、これと同じシリーズの本」
たとえば、「御宿かわせみ」という副題の時代小説。これのタイトルはそれぞれ全て異なるんですが、この副題が共通していれば簡単に引っ掛かります。
「タイトルに『○○』って単語が入ってたのは間違いない。それで、たぶん最近出た本」
でも、見つかる可能性はあります。ただ、ググる時の同じだと思ってください。その単語が含まれる本全てを検索してくるので、あまりにもよくある単語だと、膨大な数の本が引っ掛かります。しかも、この「最近出た」って、本当に最近発行されたのか、それとも最近あんたが見かけたり知ったのか。最近たまたま話題になっただけで、発行されたのは四年前ってな本もザラにあるので、気をつけましょう。
タイトル不明、著者不明、金額不明、発刊年月不明、副題も不明、……基本的には、これで分かると思わんでほしいものです。
まさかそんななにも分からない本を探しに来る人いるの?と思われたあなた。いるんです、マジにorz
足りない部分を補って探してあげられればこその本屋で、一書店員として、それを見つけてあげられた時には「やってやったぜ」な気分なんですが。
限度ってぇもんはあるんです。
……まあ。
探し物が見つかるかどうかは、尋ねる書店員にもよります。
しかしそれはほとんど連想ゲームの世界で、たまたま店員に知識があれば、ものすごく曖昧でいい加減なキーワードからでもピンときて分かることもあります。
が、全ての書店員が本に興味あって働いてるわけもないのが現実です。特にバイト。
「あんた本屋なんだから分かるだろ」なんて、ごもっともなレベルのこともありますが、ふざけんなとしか言いようのない場合も、マジにあります。
2006年3月27日(月)
「命」
そもそも私は、生きていたいとは思っていない。
死にたいとも思わないだけで、まあ死んでもいいなとは思っている。
生きていくほうがはるかに面倒臭い。
死ぬのにもけっこうパワーが必要で、そんなパワーを出すためには、やはり相応のものが必要なのだ。
だから、とりあえず生きているだけだ。
2006年3月26日(日)
ラッセル・ワトソンのCDが届いたので一日中聞いていた。
やっぱいいね!
この人は、オペラやアリアはクラシカルに歌うが、ポップス、ロックは普通のロック・シンガーのようにも歌う。
声もオペラチックな声と、少しハスキーなロック・ポップス調の声を使い分けている。
しかも二枚目のアルバムにはライオネル・リッチーとデュエットしてる曲があってびっくり。女の人をフューチャーしてデュエットしてる曲なら他にもあるし、他の人のものでも聞いたことあるけど、こんないい声した男が二人で一曲歌うのはレア。
私は四枚目にあたるアルバムから聞いた。
三枚目と四枚目の間でポリープの手術をしているとかで、そのせいか、選曲も声も違うような気はする。
二枚目を聞いていると、オペラ声とハスキー声とがまるで別人のようで、すごいと言えばすごいんだけど、「自分の声として歌い分けている」という感じはあまりしなかった。
その点、四枚目のほうが振れ幅が小さいというか、どちらもラッセルの声だなと分かる。単に手術後、歌い方をかえたとかそう極端に偏った声は出なくなったというだけなのか、それとも、双方の声をより深く自分のものにしたからか。
なんにせよ、ラッセルの歌う曲はオペラやアリアよりロック、ポップスのほうが好きだ。
オペラなどなら、こういう美声で素晴らしく歌える人は他に何人でもいるけど、ポップスなどをこうまでポップスらしく、しかもこんな美声で歌える人は他に知らない。ジョシュやアンドレアにしても、ポップスを歌ってもやっぱりオペラチックなわけで。逆に普通のポップス、ロックシンガーだとこんなに良い声では歌わないし。
なお、中古でケニー=Gのアルバムを二枚見つけてしまい、それも購入したため今はプレイヤーに入れておくCDに悩んでいる。
……ケニーGはソプラノサックス奏者です。
2006年3月25日(土)
「爪」
何故か今、右手の人差し指、薬指、小指だけ爪が長い。
そもそも私には爪を噛むくせがあって、そのせいで基本的に、他人が見たら深爪にしか見えない状態がデフォルトなんだが、たまにこうして伸ばしたりする。
伸ばしすぎて、稀に剥がす。
剥がすと、近くにいる人に見せて嫌がられる。
剥がした瞬間には「あっ……」と言ったきり言葉も出ないほど痛いし涙目になるんだが、やがて痛みは痛みでしかなくなる。
そして我ながらアホなことに、「腹刺されたりしたらもっと痛いのかなぁ」とか寝惚けたことを考えながら、傷口をじーっと見つめるのであった。
2006年3月24日(金)
よくやること。
パスタを茹でようと大きなナベに水を張り、火にかける。沸騰するまで時間がかかるので、その間ちょいと、と思ってPCの前に座る。
そして気がつくと、ナベの湯は三分の一以下に減っている。
これが大ナベに大量に湯を張るパスタならいいが、魚の煮たのをあたためなおそうとしていた時などは、コンロの立てる「ピー」という警告音ではっとすることも、少なくない。ひどい時には、その音すら聞こえていない。
喉が渇いたなと冷蔵庫を探し、ビールくらいしかないのでまあこれでいいかと部屋に持ってくる。
そしてとんと机の上に置いてPCに向かい、気がついた時には数時間が経過し、すっかりヌルくなっている。
幸いこの季節ならそれでも飲める温度だが、夏は……まあ、言うまでもない。
……すみません、一昨日はこれ両方やりました……orz
2006年3月23日(木)
ついまあなんというか……ラッセル・ワトソンのアルバム3枚、注文中。
だってさぁ、いまだにうちのCDプレイヤーの中の常連なんだもん。
もうこれは買うしかないだろと。
2月から3月にいろいろゲームが出るからと確保しておいた資金が、PSUの延期やデビサマの即売りのせいでかなり浮いていて、貯金すりゃいいのにやっぱり使ってしまうから駄目人間。
なお、現在のCDプレイヤーの中身は、
・ラッセル=ワトソン「アモーレ・ムジカ」
・千綿ヒデノリ「rule」
・H.I.M「Dark Light」
です。節操ないなぁ。
そして、最近ちょっとPE'Zが気になってます。
なお、ジョニー・デップとナベケン様がでかでかと載っていたので、っいうっかり今月のCut(雑誌)買ってしまいました……。
「リバティーン」観に行きたいデス。
2006年3月22日(水)
「彼氏・彼女」
それっぽいのがいることもあるものの、どれもいつの間にか自然消滅している。
蠍座は執念深いというが(私は蠍座である)、入れ込んだことはない。
入れ込めば、まあ、がんじがらめに縛り付けそうな気はするから、だから最初から深入りしないでおこうとするのかもしれない。
真剣に愛してないほうが心地好い距離ってこともある。
2006年3月21日(火)
自分で言ってて、「これはどうなんだろう」と思ったこと。大してまともなことじゃないのですが。
まあ、残酷描写が好きです。
ホラー、スプラッタ平気です。
たまに見たくなるし書きたくもなります。
しかしそんなもの、ホラー小説とか書くのでないなら別に入れる必要もない要素です。
と分かっているのに、なんでだか別にどうでもいいような(注:微妙なニュアンスですが、いい加減に書いているという意味ではないのです。あれこれこだわらなくても読者のできる、そういった意味でいい加減だってなんとかなってしまう=どうでもいいような、です)パロディ小説にそんなものを組み込もうとしてたりします。
別にそんな要素入れなくてもいいのに、何故か入れたい。
何故入れたいのかと思うと、やはりそれは、「他の誰かが書かないもの」というところへ落ち着くのかなと思います。
まあやっぱり思うわけです。
萌えられればそれでいい、美味しければそれでいい、というオナペットみたいな使われ方じゃなく(←ひどい言いようですな)、他の誰かのと大差なく十把一絡げに読まれるのではなく、「こいつのはちょっと違うぞ」と一目置かれたいとは。
自負であり自惚れであり目標であり手に入れたいものが、それです。
その結果が残酷描写ってどうなのと言われそうですが。
ただ、片方ではありえないほど生ぬるいものを書いているので、その反対側ではそれを「こんなもの生ぬるい夢さ」と告げるべく、ガリガリしたものを書きたいわけです。
私の本命は、そのガリガリしたほうなので。(なお、戦国SSの話です)
パロディだから、元ネタのキャラには人それぞれに解釈があり、それぞれにリアリティを感じる部分は異なるわけですが、半端なそんなものならぶち壊して塗り替えるほどのものを書いてやりたいとか。
「こういうのもありよね」と思われつつ、それでも説得力を生むだけの造形はしたいとか。
相変わらず私は身のほど知らずというか、傲慢です。それができていると思うほど傲慢ではありませんが。
実はひそかにプロフィールを書き換えていて(簡易版と100質版)、そこできっちり自己のパーソナリティについて「傲慢」とカミングアウトしています。ご了承ください(なんのこっちゃ
2006年3月20日(月)
ちょっとした注意を受けたくらいで「怒られた」という人は、今までよっぽどいい加減に過ごしてきたんだなと思う私である。「怒られた」と人に向けて告げるそこに、不当にイヤな目にあわされたというようなニュアンスも感じる。
そういう軟弱者のことはさておき、仕事をしていれば、適度に褒めることと叱ることは大切だと思う。褒められることも当然あっていいし、だから叱られることがあるのだって当たり前だろう。誰だってミスをする。気付いてないことはある。到らないこともあるし、育ってないところもある。
が、叱ると罵る・脅すは絶対に違う。
声を強めたり荒くしたりすることが効果的なことも当然あるが、ほとんど脅すも同然に、キレてるのかと思うほどに怒鳴りつけて語気を汚くしているのを見ると、むしろ私はその人を叱りたくなる。
それがいい大人の叱り方かと。
相手が店長なんでできないんだが。
社長は、仕事のことに関して店長に、あれがダメだこれがダメだどうなってるんだと叱ることがあるようだが、そんなことより、店長のその人間性はどうでもいいのかと思わないでもない。
いくら仕事がトロくてイラだったからって、靴脱いでそれでバイトの頭叩いたことがある人だぞ。そんなもの冗談にもなんにもなってない。
せっかくバイトくんが、「あやしい客います」と報告したのに、「今苛立ってるから話し掛けるな」と流したような人でもある。
そのくせ自分はバイトのやる気を削いだことはないような口ぶりで偉そうに喋っている。
僕もまだまだだけど、とか、僕も悪いところはあるけれど、とか言うこともあるが、そんなものは口先だけで本当は少しもそんなふうに思ってないだろうと感じられる。絶対に自分の非を認めない人なのだ。必ず相手が悪いことにする人。
そういうバイト先であるから、このまま社員にならないかと言われても、この人と一緒に仕事はしたくないなと真剣に考えてしまう。
また、物理的に不可能としか思えない仕事量を要求されて、それができないからと毎度叱られるのではやってられんなとも思う。
免許なし、昼間はダメという巨大ハンディを許容してくれるとしても、私は、自分の人生を仕事ですり減らしたくはない。もちろん、なにかを我慢して誰かのために働くから給料をもらえるわけで、つらいのは嫌だなどとは言わないが、ものには限度ってものがあるだろうと。
そもそも接客業なんてホントは大っ嫌いだしね己。
2006年3月19日(日)
「スキー」
冬になれば昔は毎週末のように家族で出かけていたが、高校くらいからほとんど行かなくなった。
今でも好きではあるのだが、一度休むともう外に出たくなくなるというか……朝早く起きるくらいなら寝てたほうがマシというか。
ナイターなら嬉々として行ったんだが。
しかしなにより大きいのは、ろくに見えてないほど悪化した視力。
今かけている新しい眼鏡はともかく、昔使っていたのは大きめのサングラスのフレームを使っていたため、「眼鏡の上からでもつけられる」というゴーグルに入らなかった。
裸眼ではろくに見えないし、コンタクトはまったく合わなくてダメ。眼鏡をかけているだけだと雪面の反射が眩しくてダメ。
更には、太陽光線。高校時代くらいから発疹が出るようになってきたので、本格的に昼スキーはイヤになりつつあった。
今でも、ナイターならば行きたいと思うのだが、板もウェアもなにもかもそろえないといけないだろうしなぁ。
おとんは御年60になったものの、「毎週行くなら行ってもいいけど、一度か二度しか行かないなら、準備と手入れと片付けが面倒だからイヤ」と言う。
ごもっとも。
2006年3月18日(土)
「学校」
楽しかったのも良い思い出もいい先生や心地好い友達も、基本的には全て小学校ばかりだ。
私の通っていた小学校は、すぐ傍に川が流れている。
堤防を走らされるマラソンなんかはイヤだったが、木々の並んだ堤防も、サルビアの花壇が続いていた(今はどうか知らない)川の傍も道も、いい環境だったと思う。
中学、高校、大学と進むうちに、どうでも良さはアップしていった。
中学では、やりたくもないのに委員長だのなんだのを押し付けられて、ほとんどそのせいで、「やりたくもないし、やるとも言ってないのに押し付けられた以上放棄する」、という強硬手段を学習した。
一見真面目でしっかりしてるように見えていたんだろうが、どっこい、仕切るのは好きでも面倒見るのは嫌いなんだよ。今も昔も(←確信犯か
高校では、さすがの進学校だけあって落ち零れ(現国と英語だけは良かったが)、負けることを覚えた。勝つために努力が必要なら、そんな努力するより負けていればいいという考え方に到った。勝ってもなにになるわけでもないならなおのこと。
そしてこの頃から、親も騙して学校をサボりはじめる。
大学は、好きな講義は最前列で毎回必ず出席したが、必須なだけで面白くない講義はほとんど出ないという有り様で、留年→中退。
こうしてかつての「優等生」は、今では立派な劣等生である。
駄目街道をいったいいつまで走りつづけることやら。