2005年10月16日(日)
昔はCDなど、ヒジョーに几帳面に保管していたのだが、枚数が増えるとそんなこともしていられなくなるようで。
いい加減、氾濫が……。
買ったものもさることながら、もらったサンプル盤などがまた幅をきかせていて、相当な枚数になりつつある。
売れるものはとっとと売ってしまうので、残っているものは、売るわけにはいかないものか(サンプルはあくまでも個人的な視聴や店のプロモ用なので、転売は厳禁)、売りたくないものということに。
うーむ、スペースを作るには根っこから引っくり返して掃除せんとなぁ。
2005年10月17日(月)
ささいなことだが。
バイト中、休憩を回す。よーするに、「次は君が入ってね」と順番に回していく。
この休憩時間は、基本的に「仕事時間のほぼ真ん中」になるようにする。
早くシフトインした人から入り、他の人より長く勤務する人には、優先的に好きな時間を選んでもらう。これが基本。
こういった状況で、私を含めて複数人、「18時から24時」という勤務時間のスタッフが存在した場合。
「休憩いつがいい?」「後がいい? 先がいい?」と聞くと、「いつでもいい」「どっちでもいい」と答えられることが多い。
相手に譲る、という気遣いのつもりで「貴方にお任せします」と言っているのだろうが、これも毎度だと迷惑だってことに、気付いてほしいものだと思う。
希望を言われないから、なにを基準に決めていいのかが分からない。結局、毎回私が「我儘」になる。「んじゃあ私が先入るよ」「じゃあ今から休憩行ってきて」と。
我儘。
言うほうは楽だろうと思われそうだが、気を使ってあえて我儘になってることもあるんだと、気付いてほしいものだ。決めてくれないから決めてるんだってことに気づいてほしい。
いくら私でも、毎度自分の勝手でいいのか、本当に希望はないのか、気にしないわけにもいかない。
「貴方のお好きなように」と毎度言われていると、「今日も好きなようにしていいの? おなかすいてたりしないの? 学校で疲れてるから一服入れたいとか思ってないの?」と逆に気を使う。申し訳ない気になる。
本当に私のことを思って気遣いしてくれるなら、たまにはちゃんと「今日は先に入りたい」とか、我儘を言ってくれないと困る。
私も言い、相手も言う。だから安心していられる。
まだバイトに入って間もない人ならともかく、もう二年とか一緒に仕事をして、あれこれと気安く話し合える仲。
もちろん、「僕が先入っていいですか。もう腹減って腹減って」とか言ってくる人もいる。そういう人が「今日は僕どっちでもいいですよ」と言えば、私も安心して決められる。本当に構わないからどっちでもいいって言うんだなと。それなら、お互いの仕事の進み具合を見て、きりのいいほうから入ろうとか、私が空腹だから先に入りたいとか、言いやすい。
「貴方に従います」は、気を使って相手を楽に、自由にさせているようで、指揮権と判断の責任を押し付けて自分は楽に、従っているということでもある。
社員とバイトというように明確な立場の違いがあるならば、そこには率いる者と従う者という明確な関係があるからいいが、それのない同じバイトの間で、他愛ないことも話せるほど仲良くなっているのに、いつまでもいつまでも下手に出て「貴方の好きなように」と言われても、正直大変なんだよ、実際ね。
2005年10月18日(火)
なつかしの「一世風靡セピア」のCD。
アニメ男塾のOPである「汚れつちまった悲しみに」が、ちゃんと聞いた初めてのものだったような。
あの歌、好きです。
最大のヒット曲である「前略、道の上より」も好きです。
当時、初めてなにか、同人的なサークルみたいなものに触れた覚えがあります。
その時に参加させてもらったサークルの主宰者さんが、このセピアの哀川翔の大ファンで(セピアには柳葉敏郎も所属してたんだったり)、それに似たペンネームを使っていたことを今も覚えていたりします。
サークルったって内輪なもので、同人誌を出すとかコミケで売るとかではなく、参加者のイラストなどを集めてコピーして製本し、それをみんなに配って楽しむというようなものだった記憶。
いやー、それにしてもライブ音源の曲が3曲ほど入ってるんですが、下手ですねぇ。音程狂いまくるし歌詞間違うし(笑
2005年10月19日(水)
しまった……orz
この後、買う予定のCDが既に5枚。あぎゃー。
リッキー=マーティンの新譜出てるし。リー=ライアンも思ったよりいいし。D-SIDEだっけか。これもなんか気に入ったし。デーモン小暮のアルバム二枚見逃してたの注文したし。
しかも、ソナタ=アークティカとテラ=ノヴァも買おうかどうしようか煩悶中。ストラトヴァリウスもまた出してるし。
どっかに100万円落ちてないかな……ちゃんと届けて一割もらう(もらえるのか?
2005年10月20日(木)
涼しさが寒さに変わる頃合。
寝具の調整が難しい。
毛布だと寒いが、布団をかぶると暑い。
しかしまあ私にとっては、外出可能時間帯がのびるので、ありがたい話だ。
今なら17時頃からなら遠出できるよ!!
2005年10月21日(金)
ゲームする。話書く。仕事する。
この三つのみで構成されているらしい日々。
今日は、特に書くことがありません。あい。
きゃっきゃと話書いてて楽しかったなーと、それだけです(笑
2005年10月22日(土)
CD6枚一挙購入……。
今夜のBGMはこの6枚を順次。
ふ……。
これで今月はもうなにも……あ、ポケモンDS買わなきゃ!(駄目すぎ
2005年10月23日(日)
……週末の3連続シフトイン。
一日置いて、また6連続シフトイン。
話書く時間とれんっちゅーねん!!
と、己の趣味と生活のかかった仕事をはかりにかける愚者っぷり。
本来ね、こんなものはね、仕事の合間の余暇にだけ進めるべきことなんだよね。
でもね、書かずにいたら間違いなく首くくってるか道踏み外していたろうと思う私には、書くことはなによりも大切で、自分の中心にあることなんだよ。
これがままならず、ままならないまま生きるしかないなら、そんなものは最早余生に過ぎず、密度も濃度もなく、だったら、どんな手段を使ってでも取り返すか、人生そのもの投げたほうがマシだ。
というわけで、折衷案として寝ないことを選択します。
2005年10月24日(月)
ソナタ=アークティカは焼いてもらった★
ベストとしてこれまでのアルバムを通して聞くと、なかなかに感慨深い。
Full Moonとかもやっぱいい感じ。
明日……というか日付的には今日、「チャーリーとチョコレート工場」、やっと見に行く。
しかし。
待ち合わせが昼1時。ぐぅ。
2005年10月25日(火)
ここしばらくの無聊を慰めるかのごとく。
昼起きる。
外食する。
喫茶店で時間つぶし。
映画見る。
飯食べる。
飲む。
と、怠惰な娯楽の半日を過ごしていた。
飯は美味かった。酒も美味かった。ただ、気に入ったバーなのだが、マスターの「しゃべり」はまだまだ甘い。楽しく客に喋らせるより、自らが面白いことをしゃべることが目立つ。バイトのサポートスタッフが、せっかくエピソードを語り出しているのに、その話を既に聞いているからといって、自分が代わりに語り出してしまうのは、いけない。うむ。
映画は「チャーリーとチョコレート工場」。
私は、面白かった。DVD出たら買おうと思う。
原作の小説に忠実だが、ウィリー=ウォンカの過去が入っていることと、EDが異なる。
このED……ブラックユーモアに満ちた風刺的、結構文字通りに黒い童話を、無理やりホームドラマに引き寄せた感はあるが、私は、個人的には、好きだ。
原作でも映画でも人間味の薄いWWを、人間に引き戻している。それがないほうがWWのキャラは立つのかもしれないが、反面、「リアリティのカケラもない変な偶像」でしかなくなりもする。
映画という、より大衆に向けたメディアの中でならば、あの終わりかたはありだし、私としては、いいと思う。
そして相変わらず、ティム=バートンの作り出す「町」の風景には驚かされる。
現実にそっていちいち辻褄合わせをしないケレンも良かった。
ここからは完璧にネタバレなので白く。
全く個人的な話なのだが、私としては、最後の父子の和解、抱擁シーンで、親父さんにもWWにも、手袋を外してもらいたかったなと思う。
手袋は、相手に直接触れるとことで不快感を与えないためのマナーのような一面を感じる。つまり「相手との距離」。手袋を外さない人というのは、誰にも自分を触れさせる気のない、誰にも触れる気のない人を、私には思わせる。
規範を守る守らない、自分の意志に従う従わないを抜きにして、父親は息子をやはり愛していた。たぶん、いなくなった後でそのことに気付き、息子の活躍を誇らしく思っていた。それを表すなら、最後はまず父親が手袋を脱いでほしかったし、それを見てWWも、手袋をとって、抱擁し合ってほしかった。本当は愛されたかった、捨てたくなかった父親の思い出を、素手で抱き締めてほしかった。
原作版のラストは、チャーリー一家が工場に移住する。勢いに飲まれて移住するハメになる形だ。それでも、移住後は幸せなんだろうと思えはするが無理がある。
映画版のラストは、WWがチャーリー一家の「家族」として迎えられる。父親の本当の思いを知り、和解し、その上でお互いの道を歩む中、離れて暮らす父親とは別の家族がWWにもできる。童話よりお伽噺的大団円だが、私はこちらのほうが好きだ。
現在、BGMに悩んでいる。
リー=ライアン、いいよ。
D-SIDEも聞きやすい。
リッキー=マーティンもこれまでよりロック寄りになって骨太になった。
デーモンのアルバムは……「WHEN THE FUTURE〜」のほうはイマイチだが「S}YMPHONIA」はメロディアスでエモーショナルな曲が多くて気に入った。
その上ソナタ=アークティカのベストがある。
MAXIMの「NEW WORLD」もまだ聞きたい。
3連走のプレイヤーでは、入れ替えが必須ゆえ……。
そして、もう一つ迷っているのがお・さ・け。
別に断とうとかなんとかではない。
ターキーを一本くれるというんだが(昨日飲んで今日その話というのはいささか面白い偶然)、何年のものにするかで……。
12年あたりがいいか、もう少し若くするか、たしか25年くらいのものがかなり好みだったような気もするが、今では味の好みも変わっているだろうし。
ポール・ジローとワイルド・ターキー。
これが現在の私の気に入りの酒でござんす。値段はともかく手に入りやすく、そこそこ酒のあるバーや料理屋であれば置いてあるのがありがたい。
昔は、ブランデーだのなんだのをストレートで飲んでも、いや、水割りにしたところで美味いともなんとも思えず、初めてストレートで飲んだ時には「喉が焼けるだけで噎せるばっかしじゃん」だったのだが、気がつけば普通に飲んでる。
もちろん、サワーとかみたいに飲むものではない(あれは私にとればジュースである)。
たしかに私はかなり強いほうだが、酔うのはけっこう簡単に酔う。ただし、冷めるのも早く、酔い始めてから前後不覚にまでに要する酒量が多いタイプ。
昨日一緒に飲んだ知人は「荷物を忘れたりはしなかったけど、家に帰り着いたあたりの記憶が朧」と言っていた。その1.5倍は飲んでて、私は帰宅後、風呂に入りPC立ち上げ一仕事し、無双4猛将伝の台詞書き出してそれを登録し、更新かけて本読んで寝てる。
ちなみに金額は、二軒合わせて4万程度(食事込み)。もちろん、支払いは相手持ちである(←もちろんかよ!
「バットマン ビギンズ」から。
えー……じさま好きの私としては、アルフレッド、フォックス、ゴードンにわきゃわきゃ言ってました。……見るトコ違ってると己。
もちろむね、C=ベールも好きだからね。
でもあれだ、アルフレッド役は前の人のほうがいいかも。今回の執事は体格良すぎ。っつかベールが小さいのか、みんなしてバットマンよりでかいってどーよ?
ナベケン様の出番はちょびっと……。うがーっ。まあ、文庫で先読んでてオチ知ってるからあれだけど、よーするに……なわけだし。立ち回りもさぁ。時代劇の殺陣ではない振り付けで、どうもキレがないというか、なんというか。
ナベケン様にはやはり和風な殺陣がお似合いです。っつかあれですよ。静と動の差がない。メリハリがない。ただ剣振り回すだけの、まあそのほうがリアルなのかもしれないけど、なんか見ごたえのない立ち回り。
やっぱあれだよね。「椿三十郎」のほうだっけ。最後の一騎討ち、一瞬でカタがつくんだけど、その一瞬の息詰まる緊迫とホントに一瞬の動。あれくらい突き詰めた美学があるわけでもなく、単に派手に剣振り回してるだけじゃいかんよ、うむ。
……って、やっぱり見るトコ違ってる気も。
物語としてはどーなんだろう。
面白くなくはなかった。飛ばそうとは思わなかったし。途中トイレに立ったんだけど、「録画してるから一時停止したくないし」と立ちどころに迷ったくらいで。だから面白かったって言っていいのか。
でもなんつーか、これだ!っていう山場がないのも事実な気が。
今までのバットマンに比べては少し渋すぎか。
あと、小説版ではあった、私的には美味しいシーン、いい台詞があれこれカットされてたのも悔しい。
フォックスの言う、打ち明けてくれればもっと気持ちよく協力できるのに、みたいな台詞とか。最後のアルフレッドの台詞とか。
バットマンになるところを描くならば、最後のアルフレッドの台詞こそは削っちゃいけない気がするんだが。いつかはバットマンをやめないといけない、その時にやめられるのかどうか、この危険な冒険の虜になって、やめ時を見失うことを私は恐れている、みたいな台詞なんだけどね。
それにしても、小説版読んでない人には分かるのかな。「いいコートだな」のシーン。小説で読んでると、「ああ、あの時コートあげた乞食だ」って一発分かったけど、そうでない人には、あの乞食の顔見覚えておくしかないわけで。
そんな私の映画での気に入り台詞は、ゴードンの「一台ほしい」だったかも。
さあ、次は「君に読む〜」と「ルパン」だ。
「君に読む物語」。
恋愛ものは小説にしても映画にしても苦手なんだが、まあおかんに見せてやるのにも良かろうと。
……ええですね。老いても愛し合ってる夫婦。
生活共同体としての家族しか感じたことのない私としては、「ホンマかいな」とあくまでもファンタジー、お伽噺のような気がしてならないのだが。
語り過ぎない演出が気に入った。
いちいち台詞にしないというか。
小説だと書かないと分からないから書くしかないことを、映画では語らずに見せられる。
ことにラスト間際。
「コーヒーを入れに行くから留守にする」と言って立ち去る黒人ナース。去った後でじいちゃんがテーブルの上のカップに気付く。
台詞はなにも入らない。ただ、「あれ?」という感じでカップに気付き、中を見る。ただそれだけ。だが充分に分かる。中にはコーヒーがあるんだ。
そして見ている側も確信できる。「彼女には会わせない、今夜は駄目」と言いながら、会わせてやるためにあえてそんな嘘をつき、ナースセンターを留守にしてくれたんだってことが。
私としては、じさまがカップを覗くシーンも不要だと思う。カップに気付くシーンは……「じさまがナースの心遣いを知る」ことにしたいなら必要だけど。まあ、分かりやすくしたんだろうし、台詞がないだけで私としては満足。
原作を読んでいて映画を見ると、これは少し損かもしれない。
老人が一人、品のいい老女のもとを訪れて、物語を読んであげる。それは、ある若い男女の恋物語。最初は気が乗らない老女も、物語を聞きながら「二人は恋に落ちたのね」と興味を持って聞くようになる。
そしてどうなるかは、まるで先入観なく、余計な推理を働かせず見たほうが絶対にいい。
映画は風景も美しいし、かなりいい出来だと思うからなおのこと。
本当に、無駄な台詞がほとんどないのがいい。無言というものをうまく使ってる。
「ルパン」。
まあとっつぁんがかっこよかったんで許します。
けど女の子の顔濃すぎな気がしたり。
イマイチ「なるほど!」と唸れるルパンらしさもなかったし(いかにもな香水間違ってかけちゃったシーンでラストの正体バレまで読めたぞオイ)。
ゴエが女にデレデレしないとことか、次元が次元らしいとことか、「殺し」のシーンがこれまでよりはっきりしてるとこくらいか、良かったと思えるのは。
「Shall we dance?」も借りてきて見てしまった。
……まああれだ。
オリジナル版は「しがない三流会社の、退屈で平凡を絵に描いたような男」であるところがキモだった。
リメイク版は、弁護士という、どう考えても高いクラスの生活を送ってる富裕層が主人公で。
夫婦間の問題を掘り下げてとか言われても、大して掘り下がってないし。
感性の違いなのかもしれないが、やはりリメイク版は、ツボやキモを外してるように感じる。
つか、街中でダンスしてしまうのが、ギア様ではサマになってしまうのがどーしよーもない。役所さんの、日本でのシーンだと「変なオヤジ」そのもので、人が見たら「バカじゃねーの?」「うわ、変!」で、ちっともサマにならない、だから人目をどーしても気にして、それでも踊ってしまうのがいい味なんだと思うんだが。
やっぱお国柄の差だよなぁ。
あとは「ギア様老けたね……」の一言に尽きた。