烏の足跡



2005年10月1日(土)

 愛ってどんなものですか?

 在っても見えないものです。
 そのくせ無いのに錯覚して感じられたりします。
 在ると信じれば、無いと思い知るまでは幸せなものです。

 本日、そんなことについて考える他人事が発生。
 私は、相談されただけです。
 難しい問題ですね。



2005年10月2日(日)

 「チョコレート工場の秘密」(本)買った。
 デップ様ーッ!!という勢いで見に行きたい「チャーリーとチョコレート工場」(だったっけか)。
 原作はどうなんだろうと思ってぱぱらぱら読んでみたら、語り口がまず面白くて(つまり訳にちゃんと味がある)導入も見事。ありえねーほどビンボーなんだが(笑
 あ、こりゃ読めるわ、と思って購入。
 映画もねー。なにかと小汚い・胡散臭さ爆発した役の多いデップ様にしては、ありえない耽美系のすっきりきれい顔作ってて別人にしか見えねーよ。まあ胡散臭さは健在だけど。
 パイレーツ2の公開はまだかいな……。



2005年10月3日(月)

 今月はなにかと出費がかさむ……。はうはぅ。
 まあ、たいがいは本とCDであって、別にやむをえないものてはないんだけどねー。
 ……いまだに、貯蓄という単語からは二十光年くらいかけ離れた位置にいる。



2005年10月4日(火)

 エビグラタンに、ボラの刺身。これが私の今日の夕飯
 なにその取り合わせと言いたいが、買ってきたのは自分である。
 同時に食べるつもりはなかったのだが、なんとなく一緒に……。
 ちなみにグラタンは、昨日作ってあまったホワイトソースでこしらえたものである。
 そして明日はドリアの予定。
 ええ、作りすぎたんですホワイトソース。



2005年10月5日(水)

 久しぶりにDMC3。
 しかもなにをトチ狂ったかいきなりDMDモード。
 ええ、ミッション1で死にましたともさ!! コンボを忘れているのでトドメをさしきれない雑魚が増えて、あっちでこっちでハイパー化しおるんだもん……。
 というわけでHARDにてやり直し。これなら苦労せず進めるんだがなぁ。
 と油断していたら、ワンコ戦で死に掛けました……。

 そして、ソフトは売り払ってきました。
 どうせスペサルエディション出るし。少しでも高いうちに売るのが利口。
 にしてもバージル。
 武器が二本とも剣だから、ダンテに比べて地味になりそうな予感がしている。ベオウルフも前方に強い武器だし、ケルベロスとかアグニみたいな足してるだけで背後を気にしなくていいという戦い方はできそうもない。
 なお、SEが出たらたぶん、そっちの攻略もやると思います。



2005年10月6日(木)

 そーいえば。
 10/27に男塾の格闘ゲームがPS2で出るね……。
 ファンとしては買いたいような気もしつつ、あの原作にもアニメ絵にも遠いポリゴンだかドット絵だかに違和感を覚えつつ、格ゲーとしてどれくらいの完成度なのかといえばはなはだ疑問で、そういや昔ファミコンで横スクロールタイプのアクションゲームもあったよなとか思い出しつつ、やっぱ買わないだろうな。
 年末に向けてACT目白押しだし。結局見に行けなかった「バットマンビギンズ」DVD買おうかどうしようか悩むし。「真夜中の弥次さん喜多さん」どうしようか悩むし。

 「チャーリーとチョコレート工場」は、足になってくれる人をゲットしたので、近々見に行く予定。
 その話をバイトの同僚にしたら「デップ目当てでしょ」と言われた。バレてるネ。まあでも、いくらデップ様好きでも、「シークレット・ウインドゥ」は微妙だったし、「ネバーランド」も真ん中ダレたし、デップ様さえ出てればなんでもいいわけじゃない。
 「スリーピー・ホロウ」「シザーハンズ」は面白いと思えたけどね。あと無論「パイレーツオブカリビアン」。
 そういやパイレーツには、最後の剣闘は意味がないと言い(不死身の相手に剣を向ける理由はない)、酷評をくだしている人もいるようだが、海賊映画のフォーマットというか、冒険活劇の基本をおまえは知らんのかと言いたい。
 剣豪やヒーローのいる時代劇にチャンバラがほしいのと同じだ。
 ドラマがメインであれば殺陣なんていっそないほうがいいが、あれだけ娯楽に徹した映画ならば、チャンバラがあったほうがドキドキする。
 それに、全ての金貨を集めれば呪いが解けるのだし、その呪いが今しも解けようとしているその場にいるのだから、「相手が不死である以上、勝てるわけのない決闘に持ち込んで、かえって油断を誘い、その隙に全ての金貨を揃えて死ぬ体に戻して倒す」という計算があっても別におかしくはない。
 それに、話の流れとしても、あそこで戦わずのらくらと詐術で逃げてしまったら、アドベンチャーとしてのワクワク感が削げてしまう。

 「最後の恋のはじめかた」と「マシニスト」も早く借りてこなきゃなぁ。



2005年10月7日(金)

 弥次喜多さすがにフルレンタル中……。

 今日の一言(謎
 たとえばある価値観、先入観、偏見。
 自分は振り回されないようにしようとしても、周囲の他人がみんなして振り回されているのであれば、自分だけ頑張ってもしょせんは無意味。
 私はこう、と片意地張るのもいいが、それじゃ激流の中の石ころだ。
 しょせん石ころに過ぎない凡人が頑張ったって、削れて小さくなるだけでしかない。
 場合によっちゃ、「ホントはこうだけどね」というのを内に大切に秘めて、一緒に流されておいたほうが、本当に大事なものは守れることもある。



2005年10月8日(土)

 昨日(木曜)から来週の金曜まで、バイトが休みなし……おいおいおいおいおい!?

 バイトと言えば、最近いい加減ヤになってることが一つ。
 このバイト場に、仕事はできる社員がいる。
 ただしその人は、自分より能力の劣る人を「バカ」と言う。
 「俺はちゃんと考えているよ」というポーズ、自己アピールのために、「本当は分かってる、認めるところは認めている」というようなことを言っているようにしか見えない。
 誰彼構わず、とにかくなにかあれば愚痴を言い、誰のことも必ず「あいつはここがダメだ」と言うのを聞けば、「どうせこの人、今私の目の前ではなにも言わないけど裏であれこれ言ってんだろ」と、こんな奴のために仕事頑張る気なんざ出てきやしない。
 「仕事」として頑張っても見返りもないなら、クビにならない程度に楽にやりゃいいや、と思いたくなるもんでしょバイトなんて。

 そういう自分を棚に上げて「最近のバイトはやる気ない」とか言ってるのを聞くと、「やる気出させないような職場と上司なだけじゃん」と言ってやりたくなる。
 たとえどんなに我儘で身勝手な価値観でも、バイトだってそのバイト先や上司に「価値」や「魅力」の判断をするものだ。あの店は、バイトにとって価値も魅力もない、単に適当に稼げればそれでいい場所でしかないし、そうしている責任っつーか原因は、間違いなく、上の人間にもある。スタッフたちの仕事に対する意識の甘さ云々ってのも当然あるが。
 仕事のできるこの人が、バイトに愚痴を言うのをやめて、かわりに本人に直接でもいいし、誰かに「あいつはこの頃がんばってるよな」と間接的にでもいいから褒めるようにすれば、私思うに、間違いなくバイトのやる気は上がる。
 やれば認めてくれると思えるから。
 誰だって褒められれば嬉しいし、実力のある人から認められれば励みになる。
 なにより、「あいつはダメだ」と言うことで、聞いた者まで「あいつはダメなのか」と思ってしまう、それがどれほどの害になってどれほど人のやる気削いでるのか、少しは考えないんだろうか。



2005年10月9日(日)

 「弥次喜多」見た。
 こんなもんだろうなという感じ。
 それほど笑えるということもなかったけど可笑しくないわけでもないし、感動したというほどのこともないけれどいいシーンだなと思うところはあった。
 あえて「良かった」ところをあげれば、弥次・喜多カップルが、どこにでもいる極普通のカップルに見えるところだろう。
 ホモってことにこだわりすぎず、さらっと当たり前みたいに表現してるから。極普通の、仲のいいカップル。べたべたしすぎずラブラブしすぎず。微笑ましいような。
 あと、回想として出てくる弥次さんとお初のシーンは良かったんでないかなと。女のあからさまなあてつけぶりが恐ろしくもいじらしかった。



2005年10月10日(月)

 しがらみゆえに安心して安定していられるという事実もあるが、そのしがらみが鬱陶しいのもまた事実。
 ああ、放浪したい……(←また放浪欲求が膨らんでいる様子

 本日のささやかな疑問。
 パキスタンで大きな地震があり、大勢の人が亡くなった。
 天災は凄まじいが、自爆テロなんぞで殺されるよりは救いがある気もする。
 それはそれとして、新聞。
 なんでわざわざ「邦人親子」の死亡を報道するんだろう。
 ご家族には大使館だか外務省だか知らないが、ちゃんと連絡はされたはずだ。
 もし身元が判明しないとあれば、新聞などで「心当たりのあるかたは」と呼びかける意味もあるが、既に身元も判明している人の存在を、何故わざわざ報じるのか、私にはイマイチよく分からん。
 ニホンジンだから、その死は他の1700人とは異なって特別に重いものだってんだろーか?
 身内のかたや友人・知人には間違いなく重い生死でも、新聞で触れ歩くほど特別なことじゃないだろと思うんだが。
 ニホンジンが混じってたよと報道するそこに、無条件すぎる愛国心みたいなものが滲んで見えるのは私の気のせいか。
 ニホンジンなら国内で、交通事故だのなんだので毎日死んでるじゃん。
 ホント、新聞の報道のしようというものが、よく分からんこの頃だ。

 そもそも新聞は「自社の見解」を書くものか?
 事件に意味付けをするものか?
 そうではなく、「事実」を報道するものではないのか?
 「こんな見解が出ている」という「事実」を報道するならばともかく、どう見ても既に「解釈」された内容にしか見えなかったりすることが多い。
 意味付けや解釈は、「事実」を読んだ者がすればいいことじゃないのか?
 新聞には、否定や肯定、解釈をする機能は、あってはならないんじゃないのか?
 見解を書くならば書けばいいし、それを読者の解釈の参考にさせるのもいいが、それは「事実」を報道するという機能とは別にして、言ってみれば一つの「コーナー・コラム」として作るべきではないんだろうか。
 私には、記事に「事実の報道」以外のものが混じる新聞は、ゴシップ誌と大差ないように思えてしまう。



2005年10月11日(火)

 放浪欲求に似てはいるのだが、いつもと同じことしかしない、見ないのもまたつまらない。
 今まではあまり興味のなかった方面に、なにかのきっかけを得て興味を持ち、あれこれと調べたり聞かせてもらったりしていくことが楽しい。

 新しいことを知りたい、という気持ちは、いつまでもなくしたくない。
 同じことばかりをしていたくはない。
 本当な大切なものは何年たっても手元に残すが、それとは別に、今までは知らなかったことにも手を広げたい。

 安定というのは、私は嫌いだ。
 むしろ怖い。
 安定していればこそ安心するし、油断もし、惰性も生じる。
 いつか崩れることを思ってしまうし、崩れそうな前兆に怯える。
 小さな欠片が落ちるのももったいなく思ってしまう。
 なにがなにやら定まらず、がむしゃらに目の前にものにぶつかるしかなければ、不安なんて感じてる暇は無い。
 進むか(留まる)、退くか、欠片が落ちるのなど当たり前のことだし、それがどうしたと開き直れるのも、不安定という言い訳があればこそだ。



2005年10月12日(水)

 うーむ。……うぅーむ……。ううぅーむ。
 男塾やROOKIESはもう書かないのですかというメルがあってから、実はこそこそと読み返している自分のもの。
 詠みたいという気持ちをくれるならばそれに応えたいとも思うのだが。
 今はどうやら無理らしい。
 読み返してもこれぞというインスピレィションが来ない。
 来る時には来るものなので、またしばらくは放置する他あるまい。
 聞いているBGMも多大な影響を及ぼしているかもしれない。
 まあなぁ。Gacktや(借り物)クィーンっぽい感じのロック(モーツァルトというアメリカのバンド)を聞きながらでは、なかなかなぁ。

 ROOKIESは、近頃、隔週で出ている廉価版で、詠みたいところだけを購入しなおしている。
 やっぱ目黒川のあたりがいいね。
 そして相変わらず岡田も新庄も好きなのだが、切り取りたいセーショーネンの風景というものが閃かないのだ。
 さりとて、「これきりです」という宣言は、どのジャンルにおいてもする気はない。
 現実になにか障害が生じるか、私が死ぬのでなければ、細々とでもどれも書き綴っていきたいのだけど。

 にしてもまあ、今読み返すと、男塾は同人的香が強いなと我ながら思う。
 いかに気侭に書き散らしたか。
 それだけに突拍子もないキワモノ設定の話も多いが、青春の1ページだよねっ★



2005年10月13日(木)

 食べ物の好き嫌い。
 昔は多かった。
 しかし今は、あまりない。
 昔は、茄子なんてあえて食べたいものでもなかったが、今の私が一番好きな野菜は、茄子だったりする。今日の夜食(私にとっては昼飯)はマーボーナス★

 大学時代、一日の食事が食パン一枚とかいうことが当たり前の期間があった。
 CDだのに使うから、一ヶ月の食費を5000円程度に押さえ込もうという無茶である。
 もちろん、ちゃんと自炊するなりして、100円でいろいろ食べることはできるが、そういうものではない。作る時間ももったいないため、たまにはコンビにで一食に500円とか1000円使うことすらある状態での、一ヶ月5000円。
 こうなると、「不味い」という理由でどうしても食えないもの以外は、食わないと損だと思い始める。
 ファミレスなんかでハンバーグなど頼むとついてくるニンジンのソテーなども、美味いとは思わなくても、食べるようになってしまったのである。

 マトモな人間ならば、そこまで削って食べたくもないもの食べるくらいならば、CD我慢して一ヶ月に1万円は食費に使おうとなるのだろうが、私はそうではなかった。
 「お金がないなら食わなきゃいい」という、生き物としてどうかという論理で生きていた。うむ。
 たとえこの生活をすれば好き嫌いなんて減るのが確実だったとしても、誰にもオススメはしない。うむうむ。

 食べ物といえば、私の好きな池波正太郎。
 この間からずっと「剣客商売」を読み返しているのだが、つい、そこに書かれている素朴な料理、凝った料理を食べたくなる。
 ネギだけの味噌汁。
 こんなもの、現実に夕飯の食卓にのぼれば「手抜きか!?」と思いかねないが、この小説の中で出てくると、これがまた美味そうでたまらない。
 たまごそぼろとか、茄子の煮浸しとか、浅蜊ご飯、鴨鍋……ああ食いたい。

 江戸時代は一日二食だったような覚えがある。
 そんな生活の中、日のあるうちはせっせと体を動かして、おなかをすかせて帰ってくれば、白い炊き立てのご飯にネギの味噌汁がほかほかと湯気を上げているだけで、ごくりと喉も鳴りそうだ。
 一杯目はそのまま食べて、二杯目にはちょっと贅沢して生卵を一つ味噌汁の中に落としたりしてみるのもいいだろう。それで香の物などをポリポリすれば、ご飯と味噌汁と漬物しかない食卓でも、幸せな気がする。
 こうなったら私も、美味い食事を……いや、食事を美味く食べるために、朝・夜の徹底した二食(といっても時刻的には夕・朝)生活にしてみたい。

 っつーか鮎の塩焼き食べたーいッ!!(←突然なに



2005年10月14日(金)

 ……最近、遊びに出かけてない……orz
 遊びたい遊びたい遊びたいよ〜ッ!!(駄々
 そう言や飲んでもいない。
 飲みたい飲みたいみたいよ〜ッ!!
 毎日見る顔することが同じでしかないなんてつまんない。
 あぅあぅ、遠くへ行きたい……(←ナニソレ



2005年10月15日(土)

 森村誠一の「非道人別帳」(短編・捕り物帳)6巻読んでみた。
 ……大御所様には申し訳ないが、あんまり面白くない。
 江戸の風物も、説明されているだけで感じられないし、推理ものとしての謎も、推理も半端。
 「人間の証明」とか、あの系は面白く読めたのだから、得手・不得手というところなのかもしれないが。
 あーあ。都筑さんも笹沢さんも、池波さんも柴田さんも藤沢さんももーいない……。


Made with Shibayan Diary