烏の足跡



2005年9月1日(木)

 九月でございます。
 早九月。
 あと二週間で無双4猛将伝!とか思いつつ浮かれて過ごそうと思います。

 それはそれとして、我が家は一応、県庁所在地の、町の中にあるのですが、もともとは田畑だったところを住宅地にしたため、周囲には田んぼが残っております。
 仕事へ行く時に否応なく目に入る田んぼ。
 ほんの二十ンチ足らずの苗が、いつの間にか大きく青々と育ち、そしてまたいつの間にか頭を金色に染め始め、そしてまたいつの間にか恭しく頭を垂れ、いつの間にか自重に耐えかねてみすてりーさーくるでも描くがごとく倒れ(いつも不思議。なんでこうなるの?)、そして人がせっかく寝ている昼間にコンバインの音と共に刈り取られてゆきました。
 ほんの数ヶ月の間に、着々と、コツコツと、地味に地道に育っていきます。
 思わず、大したものだと感心してしまうほどに着実に。
 人間はこうはいきませんからねぇ。

 しかし、せっかく立派に育っても、枯れるという寿命を迎えることなく人間様に刈り殺され食われてしまうのだと思うと、少しばかり残酷な光景にも思えました。



2005年9月2日(金)

 親のせい、とか。
 こういうことがあったせい、とか。
 こういう育ち方、育てられ方をしたせい、とか。

 探すのはいいし言うのもいいし、そうだと決めるのもいいと思う。
 思い込みであることもあるし、真実であることもある。
 どちらにしても、責任転嫁することで少し気が楽になるなら、やりゃあいい。

 けれど、「だから私は悪くない」「だからこんな私でも仕方がない」、「だからしない」「だからできない」「だからしなくてもいいでしょう」「だからできなくても仕方ないでしょう」のままでは、痛い目に遭うのは自分だ。

 私自身が、「親のせいだよな」と思いたいことが多々あるからこそ、言う。
 私がこんな私で、のらくらと机上の空論ばかりふりかざし、実践は乏しいまま(ある方面、しかも社会生活にはあまり役立たないか反する方面には無駄に豊富だが)、現実に対する現実感も曖昧に過ごしているのには、まあ親の「顔」や「言葉」「しつけ」「背中」というものが、それなりに、いや、かなり影響しているんだいっ、と断言してしまおうか、いっそ。
 でも、だ。
 それがもし真実で、私は少しも悪くないとしても、だ。
 私は、こんな私で生きていかざるを得ないのである。

 貴方が少しも悪くないとしても悪いとしても、結局はオマケにすきない。
 貴方は、そんな貴方で生きていくしかないのである。
 そんな貴方で、少しでも楽しかったり幸せだったり嬉しかったり、するようになる他ない。
 「私のせいじゃない」というのは、たとえ真実だとしても、生きていく上では甘えにしかならないのだ。(ここはあえて「だろうと思う」とは言わないでおく)
 他人のせいで背負い込んだ不幸とか苦痛の種だとしても。

 選べるのは三つ。
1.「こいつが悪いんだ」という奴から搾取する。
2.命ごと放り捨てる。
3.背負っていく。

 好きなものを選べばいいし、選ばざるをえなくなる。
 1は、その当人が生きているかぎりにはいいが、相手が親だったりしたら、まあ先に死ぬ。その後どうすんの君? それにこれは、かなりみっともない。かっこわるい。ダサい。情けない。
 2は手っ取り早いし、私は別に止める気もない。むしろ私自身、「3が叶わないなら、まあ最悪2があるし、死ねるっていいよね、苦痛も永遠じゃないんんだから」といささか現実感の欠落した危ない発想でいる。
 だができるなら、3がいい。というか、基本的には3にならざるを得ない。それなら、どうせなら、できるなら、「他人の作り出した重荷でも、潔く背負っていく」くらいのかっこよさがほしいなぁと思う。

 以前、このザレで少し書いた気もするが、三年ほど前に某ホームセンターで働いていた時、「誰かが私の尻拭いをするのね」と言った人に、「でも、貴方も誰かの尻拭いしてるんだから、別にいいじゃないですか」みたいなことを言い、ひどく感心されたことがある。少しほっとさせられたようで、私には嬉しい出来事だった。
 それで言うなら、全てが同じだ。↑はプラス思考の発言だが、マイナスに発言すれば、今回の話題に通じる。
 「誰だって他人のせいで背負うハメになった荷物を持っている」のだ。他人の尻拭いしたせいで背負い込んだ荷物の一つや二つ、抱えているんじゃないのだろーか。貴方のせいで他人が背負うハメになった荷物だって、あるわけだ。

 そして、何通りかの人間ができる。
 ハナから他人のせいになんかしない強い人。
 「人のせいだ」と思おうと言おうと、愚痴は愚痴としてあるとしても、「仕方ねぇや」と背負って、立って、がんばる人。
 人のせいにしつづけるだけでいつまでも背負わず、立たず、怠けつづけ甘えつづける人。
 きっぱりとどちらかにはなれず、がんばったり甘えたり、うろうろしつづける人もいるだろう。これが案外多いかもしれない。



2005年9月3日(土)

 ふと思いついて、京極夏彦の「巷説百物語」を三冊、読み返している。
 やっぱり面白い。
 WOWWOWでドラマ化されていたはずだが、あれはどうだったんだろう。
 又市の格好からして原作をぶっちぎっていたんで、あまり見たいとも思わなかったんだが。



2005年9月4日(日)

 最近、とゆーか数ヶ月前から、こっそりとマジレンジャーにハマっている……。
 テレビのある居間には存在しない私なので、知人がDVDに落としてくれたのを、響鬼と共に3話ずつくらいまとめて見ているんだけど、まんまと、まんまと!
 ウルザードの正体が気になるとか、メーミィがステキとか、五人が兄弟であるため、ホームトラマ的なある程度自然で多彩な人間模様があるとか。
 なんでもなかんでも「○○する勇気」と勇気にこじつけるのはどうかと思うし、ロボのデザインはどう見てもかっこよくは見えないのだが(バリキオンかっこいいけどねー、黒馬ロボ)、先が楽しみになってしまっている……。



2005年9月5日(月)

 ……アニメ絵は気に入らないけれど、DS「悪魔城ドラキュラ」入手。
 まあゲーム画面にはイラスト関係ないし、主人公がドラキュラ側だと武器がいろいろあるし。
 とかなんとか前にも書いた気がするが、DSが現在、ソフトなしの状態だというのもあって、友人から安価で譲ってもらった。
 ぼちぼちジリジリ進めよう。



2005年9月6日(火)

 アニメ絵は気に入らないが、それなりに面白いので良しとする「ドラキュラ」。
 やはりボス敵が随所に出てくるACTは、その攻略方法を考えるのが楽しい。
 それはさておき。
 2画面ある、その片方にマップを常時表示しておけるようになったのは、ありがたい。マップなしで己がどこにいるか、どこに行けばなにがあるかを把握するには、いささか広すぎるからなぁ。
 しかし、タッチペンは無理やり使わせた感が否めない。
 今までであれば攻撃を当てることで壊していたブロックを、タッチペンで触って壊すようにしたが、いちいちペンを用意するのが面倒くさい。
 倒したボスを封印するのに、その封印の図形をペンで書くというのも、やはり無理に使う場面を作っただけにしか思えない。何故なら、それを書くのが面白い、ということがないから。

 画面をタッチしなければどうしようもないアクションとか。
 必要ではないけれど、ペンを使うことが間違いなく面白い操作とか。
 そういう、タッチペンを本当に活かしたゲームってのは、まだまだ少ない気がする。



2005年9月7日(水)

 たしかに! と心底思ったこと。

 店で働いている。
 一応、ペットの連れ込みは禁止なのだが、小型犬くらいならば抱いて入ってくる人もいて、本当はこれ、注意すべきことなんだろう。
 が、
「うちの店なんにも言わねーよなー。まぁ、粗相したら飼主がちゃんと責任とるってんなら、吠える子もめったにいないし、いいんだけどねー」
 と、いう具合に皆で離していた。
 ら。
「犬猫なんかどうでもいいけど、走り回るガキなんとかしたいよね」

 世の中のお父さんお母さん。
 犬猫でさえ、「人がたくさんいて知らないところでも、ママ(パパ)が一緒にいれば安心。吠えることはない」と身に付けられる。
 ガキくらい、せめてもう少し言うこと聞くようにしつけろや!
 大声あげて走り回ってたら注意くらいしろや!
 犬猫と違うからこそ泣き喚いたりして仕方ないのかもしれないが、だったらほしいと言ってなくくらいは仕方ないとしても、店内で追いかけごっこしてるのを気にもしない親こそ、「ガキの持ち込み禁止」にしてやりてぇよまったく。



2005年9月8日(木)

 畠中恵の「おまけのこ」入手。「しゃばけ」「ぬしさまへ」「ねこのばば」に続くシリーズ四冊目。
 ついうっかりと買ってきてすぐ読み終えてしまい、ついうっかりと、長編である「しゃばけ」以外を読み返してしまった。



2005年9月9日(金)

 DS「悪魔城ドラキュラ」クリア。
 うーむ。ソウル集めにアイテム集め、武器合成と、コレクター魂をくすぐる要素があるので、とっとこ二周目に突入してはいるが、やはり「月下の夜想曲」ほどハマった感じはしない。
 「月下」はなんであんなにハマったのか、むしろそれが謎なのだが。血を吸うほどに攻撃力が上がる刀「ムラマサ」を使って、延々と半魚人を切りまくったのも良い思い出。コマンド式の必殺技は出しにくいものが多くてほとんど使わなかったけどねー。



2005年9月10日(土)

 ……フリーズして、書いてた内容が消えました。
 書き直す気力はありません……。



2005年9月11日(日)

 フジ子・ヘミングのピアノが好きだ。

 私は、音楽に関する基礎素養すらない有り様で(いや、ト音記号の楽譜くらいは読めるが)、コードだなんだよく分からないし、耳が肥えているわけでもない。ぶっちゃけ、音色は耳に入るが「曲」として把握できる曲は、私にはかなり少ない。下地がないから根付きにくく、更に聞いた絶対数が少ないからだろうと思う。どうも歌のようなダイナミズムを感じ取れないくらいである。
 が、それでもフジ子さんのピアノは、私にとって「良い」。

 たしかに、耳の聞こえない天才ピアニストとして有名になったけど、CDを聞いて「なるほど」と思ったりはしない。上記のごとく音楽音痴(歌の下手な音痴ではないぞぅ)であるから。
 ただ、他のピアニストの出す「音色」より心地好く感じるのだ。

 どう違うのかと言えば、「イマイチ」な人の場合、音というものが、鍵盤を叩くとつながってるハンマーみたいなものが弦を叩いて、それが響いたその結果この音になりました、という単なる物理現象でしかない。ひどい時には音そのものが耳障りでならない。
 フジ子さんの奏でる音色は、物理現象には聞こえない。その違いである。
 音ではなく音色。文字一つ増やしたい深みというか、味わいのあるのを感じる。
 たぶん、ロックギタリストのメロディアスなソロを聞いて、「もっと泣かせれ」とか思うのと同じ感覚だろう。陳腐な表現だが、「楽器が歌っている」かどうか、という差なのかもしれない。

 音楽音痴の私が好きなクラシックの奏者というのは、どうやら曲の表現とかいうムズカシイ話以前に、音色が深いという点にあるような気もした。
 それでも、パッと聞いて「この曲はこの人の演奏がベストだね」なんてほど造形深くは全然ない。
 でも、サティとか、曲がシンプルなだけに奏者出す音色の良し悪しが如実に分かる気がするよ。聞けないヤツは、ほんっとーに聞けたもんじゃない。

 最近はジャズ、マイルス・デイビスにハマッてる。やはり同じ曲を演奏していても、音色そのものが深くて良いと、気持ちがいい。ファンキーなものもいいが、やはりバラードのほうがゆったりとその音色を味わえていい。
 「コレゾ!BEST!」という廉価シリーズの「ジャズ・バラード」が、値段のわりに奏者は有名どころが揃ってるし聞きやすくてお気に入りである。バラードのオムニバスなので癖もないしねー。
 あとは、シャンソンで私好みのを見つけたい気分。やっぱフランス語がいいよね、と探すが、……ジャズは「ブルーノート100」とか出てるのに、ないよなシャンソン。誰か、このCDはオススメっすよ!ってのがあったら教えてクダサイ。



2005年9月12日(月)

 あんれー?
 という具合にメールが変。
 送信には問題なさそうだし、メルフォから届くものも問題ないのだけれど。
 送信側が、普通に、自分のPCのメールソフトを利用して送信してきたメール。
 今はこれの件数が少ないから確かなことは言えないのだけど、ここ最近で二通あったものが、二通とも文字化けしてしまっている。
 ……何故に(汗
 WINアップデートして以来な気がする。
 使ってるソフトにI.E.が干渉してるのか?

 ともあれ、TOPにも書いているのですが、ご用のかたはメルフォをご利用ください。
 添付があったりする場合は、本文もまた、添付ファイルとしておつけいただけば、これは大丈夫なようです。



2005年9月13日(火)

 近頃寝る時間と起きる時間が異様に不規則……。
 今日は夕方4時に寝てついさっき、夜中の0時に起きた。
 バイトがあれば嫌でも夕方5時か6時にには起きざるを得ないのだが、だからといって寝る時間がそれだけ早くなるわけでもないこともある。
 やれやれ。



2005年9月14日(水)

 池波さんの「剣客商売」読み返し中。
 ああ、やはり良い……良いよ、文章も物語も。
 私は自分の文章を下手とは全く思っていないが、それでも、「こんなに味わいのある文はとても出てこねぇ」とつくづく池波さんの筆致には参る。
 当たり前の風景を書くのにも、私なら、そういった情景を織り込むことは思いついても、その有り様をこんなふうには書けない、という具合で勉強になる。
 全てが素晴らしいとは思わず、「こういう気の持たせ方は、一度や二度ならいいが繰り返されると白ける」といった点もある。が、それは些事。やはりもっと大きな部分で、あまりにも美味な文が溢れている。

 解説で常盤新平氏が「池波文学は音読にもいい」と書かれているが、まったくそのとおりで、声に出して読んでもスラスラ読める。リズムがいい。
 漢字と仮名のバランスもよく、見た目もすっきりしている。
 私も、物語を書く時にはリズムを重視する。音読してテンポよく、調子をついて読み進められることを意識している。それで、「ここは一息に読んでほしいから句読点なし」「ここで一息ついたほうがキリがいいから点うっとこ」という決め方をすることもある。
 物語は、奏でるものだと思いたい。そして、そう感じさせるようなものを、いずれはこの手で書きたいものだ。



2005年9月15日(木)

 「悪魔城」。
 ソウル・コンプ。
 マップ・コンプ。
 武器合成・コンプ。
 ボスラッシュモード・最高景品ゲット。
 あとは敵に全てのアイテム落とさせるのみだが、ずいぶんさくさく達成されてしまった感が否めない。
 ビジュアルがアニメ絵になったのも「低年齢層がここからプレイしやすいように」という意識のようだし、とするとゲームの難易度や収集難易度も低く設定されてるんだろうなぁ。
 そのかわり、防具のないユリウスモードは真剣に攻撃避けなきゃならんので、本気でキツいんですがね!?
 まあ、メインストーリーで主人公をlv99にするまで、ぼちぼちうろついていよう。ソウルも全種類集めたってだけで、全部9個ずつ持ってるわけでもないしな。

 そして明日は!(日付的には今日だが)
 4猛将伝が出るね!
 けど私は話書いてそうでそれが怖いです。


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