烏の足跡



2005年8月18日(木)

 無双3。
 ……売ったんだけどねぇ。300円で中古見つけたらほしくなった
 そしてまたプレイ。
 司馬懿でねー。
 ………………。
 そうか。
 たしか攻撃中に方向変えたりできるようになったのって、エンパからだったっけ。
 C4もダッシュ攻撃も曲がらないので、えらく使いづらい。
 でもやっぱ、ちょっとしたイベントごとに武将固有の台詞が出るのが嬉しい。



2005年8月20日(土)

 ケータイデンワ。

 これまたカウンターに立って接客していると、電話したまま買い物する人がかなり多いことに気付く。
 ケータイが流行りはじめた頃は、それは「みっともない」あるいは「失礼なこと」だったのではないかと思う。
 つーか個人的に一言言わせてもらえれば、相手が店員だろうがなんだろうが、それはみっともない上に失礼なことだからやめれ。
 レジの順番が来るまでとかは喋ってりゃいいから、自分の番になったら話はいったんやめて、切ってかけなおすなり、そのまま少し保持するなりして、買い物が済んでからまた話せよ。

 ……と思うが、これがあまりにも日常的な光景になってしまった今は、「こう思う私が前時代的なのか」と思ってしまうほどだ。
 ちなみには私は、ケータイは持っていない。
 持っていないから、ついウカウカとこんなだらしない風潮に染まらずに済んでいるだけなのかもしれないが……こんなものを読んでいる貴方はどうでしょう?
 「うんうん、そうだよね」と思っているのか、ギクリとしているのか、「そんなことくらいで」と思っているのか。
 まあどう思っていようが私には関係のない話なのでどうでもいい。
 ただ私は、もしケータイを持つことにしても、こんな真似は絶対にしたくないと思っている。

 公共の場で大きな声でぺちゃくちゃ喋りまくるのも、だ。
 ケータイに限らず。
 つい大きな声になったら「恥ずかしい」と思う程度の品性を持ち合わせていたい。
 つい大きな声になってしまうこと自体は恥ずかしいことでもなんでもないけれど(旧友に会って興奮したとか、ものすごく面白い話題で盛り上がり始めたとか、そうしたら自然に大きな声になるものだろう)、それで人に「うわ、うるせぇ」と思わせてしまったら、恥ずかしいと思いたい。

 こんなもの、個人の価値観というか、方針なので、人にどうしろとは言う気もない。言うべきなのかもしれないが、面倒だし(ぉぃ
 だからただ思う。
 私は、新しいとか古臭いとか現代的だとか前時代的だとか、そんなことではなく、せめて少しくらい、自分の品性とか格を必要以上に(というかこれ以上)貶めないようにしたいよなぁ、と。
 「今時そんなの」とか「ダサい」とか、そういう他人の目に振り回されて、ダサいどころか下劣になるのは御免なのだ。



2005年8月22日(月)

 「好き」ってのは、相手と意見や嗜好が違っていても、それでも付き合っていきたい、と思える感情だと思う。
 相手と食い違う意見を、「私はこうだな」と言えず「君はそうなのか」と言えないなら、それは友達でもなければ「仲の良い人」でもないのではないか。
 なにも意識的に反発するように「えー!? 私はこうだよ!?」と主張することはないが、少なくとも、本当は違うのに「私もそんな感じ……」とか嘘をつくのは、相手を信頼していないし、自分のことも信頼されていると思っていないということだ。

 違うところなんて、いくらあってもいい。
 同じところがまったくないのでは大変かもしれないが、だいたいまあ四分の一くらいの確率で、本当に「私もそう!」「俺もだ!」と言えりゃいいんじゃない?



2005年8月23日(火)

 話を書いているとゲームする時間がない。
 ゲームしてると話書いてる時間がない―――ということは、まずない。
 何故ならば! 私には、「話を書く>ゲームする」という明確な図式があるからだ。
 ゲームなんていつでもできる。やってる最中になにか閃けば、そんなもの中断したって少しも困らない。
 だがネタとやる気と波は、その時に掴まないとどーにもならんのだよ!(←誰に語ってんのやら

 しかしながら、話を書いていて時間がなくなり、「あーぁ、やりたかったなぁ」と思うと、次の発想は、「まあ3時間寝られりゃいいか」。
 波に乗れない上にゲームもいまいちな時の暇な時間は苦痛で、気がつけば本が増えて出費がかさむというヒィギャアァァな有り様になるが、波が来てるときの仕事は、はなはだ邪魔、迷惑、鬱陶しい。
 行けば行ったで、別にやる気がないわけでもないが(せっせと働こうが働くまいが、拘束されてるのは同じだからね)、つまりそもそも、行きたくないのは間違いない。
 が、実家にいてはそんな真似できるはずもなく。……一人暮らしなら今もやりかねないくらいには社会不適応者というかダメ人間です。

 こんな時、シフト製作担当の社員が、「ねえ」と申し訳なさそうに話し掛けてきて、「来週の○曜日なんだけどさ、入れなくなって……。ごめん」とか言い出せば、「えーっ、また今月も締め付けくらってんですかー?」と不満そうなことは言うものの、内心、「よっしゃキターッ!」。
 本気で、寝なくても食わなくても生きていける生物になりたい。まあ後にしわ寄せがくるかどうかを不問に伏せば、一般的な人よりははるかに短い睡眠時間とデタラメな食生活でも特に病気もせず生きていけることは判明しているが。
 でもあれだ。
 やりたいことがあって、それをやれる体力や気力がある時に、十年後とか考えてセーブして暮らすより、走れる時に突っ走って、走れなくなったら、それなりに生きていける生活にシフトしたっていい。
 今やるか、後でやるかの違いなら。
 その「やりたいこと」が、別に閃きなどに左右されない、コツコツと技術を磨くものだったり、あるいは旅行だとかいうものならどうでもいいが、私のこれは、十年先のことなんて分からない。
 ハマれるもの、熱く萌えられるものがないから書かない・書けないというこの一年くらいの状態ならば少しも構わない。現に、ネタが出てくれば、短時間でもちゃんと走ってるから。
 けど、アイディアとか言葉を出す、シーンを作り出す力そのものは、いつまでもあるのか、あってくれるのか。せめて今の私が書いている、書いてて少なくとも自分は楽しいし、ええなぁと思ってる、そんなものが十年後もまだ書けるのか。

 ……ああ、そういや高校生の頃にも、似たようなことを思ったなあ。
 それに答えるならば、高校生の私よ。今はまだ、己はバカだぞ。まだ余生じゃないぞ。



2005年8月24日(水)

 買ってきたのさ「ラビリンス」!
 さっそく、メイキングから堪能。
 ……ジャレス(魔王)役にロックシンガーを起用することは最初から考えてあったとかで、候補に上がっていたのが、実際に演じたデビッド=ボウイの他には、スティングと、マイケル=ジャクソンだったらしい……。
 スティングは「デューン」(SF)に出てたりもするし、それを見るかぎりでは、「ああ、ジャレスにはスティングでもいいなぁ」と思えるけれど、マイケルはな……。「オズの魔法使い」を題材にした映画に出てるのを見たことがあるが、当時から、気取っているのがバレバレな演じ方で気に入らなかった。歌は好きだと今でもそれは変わりないけれど(特にアルバム「バッド」までのもの)、マイケルが演じたのではナルシストな道化にしかならない気。傲慢でどこか投げやりで、実は孤独な貴公子役なんて、とてもマイケルにはできんだろ。

 ともあれ、メイキングを見てあらためて、今から20年前の映画業界人の努力というか、熱さのようなものを感じた。
 今見ると、「あからさまに背景が合成」ってシーンもあるし、人形はあくまでも人形、現在作られる映画に比べればボロはある。現在のVFX、CG技術で作ればもっとすごいんだろうなとも思う。
 が、私はこの、手作り感というか……「現実と見分けのつかない仮想」ではなく、「夢見たような空想」の世界を愛する。
 絵だということが分かる背景だが、美しい。合成しているとモロに分かってしまうことでさえ、サラ(ヒロイン)が迷い込んだ、現実とも空想(夢)ともつかない世界の違和感に、一役かっているようにさえ見えてしまう。……これは、好きという思いが先立つがゆえのヒイキかもしれないけれど。

 メイキングで、「ジャレスはゴブリンの王だけど、それを嫌がっている。王に生まれたから仕方なく王でいるだけで、仕方なく気まぐれに統治しているだけ」というトークがあった。
 それを踏まえて見ると、今までとはまた違った側面も見えてきた。
 OPとEDで流れるテーマ曲「Under World」は、ジャレスの心境を歌ってるのかなと。
 「ただの永遠さ、長いことではない」というのは、今まではサラに向けて、「だから私のところへおいで」と言っているのかと思ってきたが、あれは、ゴブリン王国から出て別のものになることもできない自分に言っているようだと思った。
 EDで追加される「パパ、ここから出して」というのは、ジャレスの言葉なのかと。
 平穏で、しかも自分の意のままになる世界に君臨していても、どんな魔力があっても、愛する者のない世界。サラにこの世界へとどまってほしい、なんでも願いは叶えてやるから、という最後の口説きとか、今見たら可哀想だったヨ……。

 しかしだ。
 それにしてもどーしよーもないのが、つい股間に目がいってしまうジャレスのタイツ。も……もっこりがね……。
 騙し絵空間では黒いレザーかなにかのズボン履いてるのに、他はグレーのタイツ……。なんであの衣装に……?(汗



2005年8月26日(金)

 私は答えを知っている。
 語れば頭を納得させられる程度には確かなものだ。
 ただ、その答えを教えることが正しいのかどうかは分からない。
 「今」の段階で間違っていたり迷ったりする、それもまた大事なことなら、そこから自分で答えを探し、やがて見つける、気付くことこそ大事なら、私が答えを言うことは、単なる私の、自己顕示欲か。



2005年8月28日(日)

 私は幸いだと思った。
 多ジャンル扱ってて、特定ジャンルの更新がなくなることもあっても、「待ってますけど、他のも見てますから、無理しなくていいです」と言ってくれる人はいても、「そんなものやらずにこれをやれ」とかいう阿呆からメールが来たことはないから。
 来訪者数の絶対的な少なさに救われている面もあると思うが、小説をメインに扱っている関係上、頭の稚拙な人はゆっくりしていかない、お気に入りにしないという理由もあるのかもしれない。
 その点、イラストサイトは大変だ。
 どんなに頭が悪くても、絵は見ればそれだけで把握できるから(適当な言葉が思いつかないが、要するに、小説と違って、頭を使わなくても楽しめるということ。決して絵に対する卑下ではない)。

 私も決してアホじゃないわけではないが、それでも、他人のアホぶりを見て「こうしするまい」と学ぶ程度の頭はあるさ。



2005年8月29日(月)

 ……立志モードが面白そう。無双4猛将伝。
 他のゲームのエディットに比べると「遅ればせながら」な感もあるが、今回は顔、頭、声、体格まで選べるようで。
 っつーか、特定の武将に仕えて、それを途中で裏切るも良し、仕え続けるも良しなんて、私に台詞を集めろと言っているようなものだ。うむ。
 コレクター魂が騒ぐよ……うひ。



2005年8月30日(火)

 修羅道中は黙々と台詞集め中……。
 地味に更新かけてます。
 今回は張コウ、甄姫、周瑜、孫権、月英、孟獲あたりで大幅に追加があり。あと劉備に、プレイヤーが関羽限定の台詞発見!
 にしても、激励台詞。なんか、えらく冷たいのと親身なのがあるのを見ると、善行度(仲良し度に直結?)によって変化するのかと思うほどだよ。

 「ソウルキャリバー3」も楽しみだが、PS2で出る「キャッスルバニア2(副題忘却)」もチェックせねば。
 「キャッスルバニア」は小島氏のイラスト台無しのポリキャラに萎えまくったが、今度のは無駄に耽美な気も。
 それはさておき、ベルモンド一族が主役だと鞭しか使えないのが、ドラキュラ側の関係者が主役だといろんな武器を使えるのが楽しい。今回はモンスター召喚して利用するとか。
 ……まあ、相変わらずACT部分は、微妙な気もするけどね。プロモ見るかぎりでは。



2005年8月31日(水)

 今日の暴言。一応白く。

 大して上手いとも思えない文章を「上手い」と褒めている人を見かけると、うちもそうなんだろうなと思ってしまう。
 私の目はどれほど確かなのだ?
 私は自分で自分の書いたものを下手と思ってはいないが(下手でしかないものを衆目にさらせるほど図太くない)、それでも上手くはないのか。上手いと思っていいのか。
 ……まあ、上手くはなかろうと、私自身が読んで楽しければ、それでも書くし、それを楽しんでくれる人がいるのなら、アップするんだけどね。


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