烏の足跡



2005年6月1日(水)

 映画「SAW」を見ていて(レンタルで)、犯人の気持ちがものすごくよく分かってしまうのはあまりよろしくない。あの映画を見て、怖いというより、ゾクゾクしてしまうあたりが我ながらどうだろうかと。
 いいなぁ。書きたいなぁ。ああいう破綻者楽しいだろうなぁ。。
 それは置いといても、(この先ストーリーの一部バレなので白)なんで鎖につながれた足とノコギリが揃った時点で、出るためには自分の足を切るしかない、と気付かないんだ? ノコで鎖切ろうとするかフツー? それとも、考えたくない方法だから、思いついていても目を背けたのか? まあ、自分がつながれているなら、鎖を切りたいのも分かるから、そういう心理状態になっても不思議じゃない。私もたぶん、鎖を切れないか試すだろう。自分で自分の足、ノコ引きたくないもんなぁ。が、観ている側で予想つかなかったという人は、不思議だ。

 不可能である、ということは、時に救いだ。したくてもできないから。
 可能であるから犯罪者になった天才や権力者が、何人いるのだろう。



2005年6月2日(木)

 久々にPS2「無双4」と「ANUBIS」をプレイ。
 が、ブランクが長い上に操作方法をかなり忘却しているので(脳内はDMC3仕様である)、テケトーでどうにかなる無双4はともかく、ANUBISはトレーニングモードから始めた。
 まあ細かいことについては、ここでズラズラ書くより、久々にANUBISページにザレておこう。
 ただまあホントにつくづくと、演出のうまいゲームだなと改めて。
 緊張と緩和、スローモーと急激な動き。これがうまく組み合わせられている上に、アニメとCGのつなぎめがほとんど分からないくらいにローディング時間がない。
 ああカッコイイかっこいい……。

 そしてレンタルしてきて「DEEP BLUE」を見た。
 良かった。
 まあストーリーというもののないドキュメンタリー系に、良いも悪いもない気はするが、小さい子のいるご家庭にはぜひ一枚ご購入をと(←どこの回し者だ
 作中、シャチがアザラシ、および赤ちゃんクジラを襲うシーンなんかが出てくるあたり、小魚の大群に大き目の魚が飛び込むとか海鳥が突っ込んでくるとかよりはるかに「殺してる」って場面だ。
 が、クジラやアザラシに感情移入して見れば残酷かもしれないが、シャチにしてみれば、食わなければ生きていけないし子供も育てられない(乳をあげられない)のである。そして、映画の中では襲われているアザラシはペンギンを襲うし、クジラだってプランクトンを何万と食ってたりする。
 そういう生命の連鎖の中で、それぞれが必死に生きている。
 自然には恵みはあっても一切の容赦がない。
 必死に生きているイルカを、食わなければ生きていけないクマもまた必死で、そこには善悪なんてものはない。
 ただ、誰も戯れに命をとりはしない。
 月単位で飲まず食わずで卵を守るコウテイペンギンパパとか、6時間も獲物を追いつづけてやっとエサにありつくシャチたちとか、自分自身が生と死の境にいるわけで。

 テレビのドキュメンタリーみたいにあれこれ解説はしない。出てくる生物の名前は一部しか言わないし、なにをしてるのか説明しないままの部分も多い。
 けれど、澄んだ海がどれほどきれいで、自分たちが海水浴に行く海がどれほど汚いかは分かる。
 そして、説明されないからこそ、「この魚なんだろう」とか「どれくらい大きいんだろう」と興味を持てる。自分で調べたくなる。
 「そうね。このサメ(?)さんたちかわいそうなことするよね。怖いよね。でも、この魚食べても一口くらいだよね。このサメさんたちは、たったこれだけ食べた後、なかなかエサをとれなくて、また何日も我慢することだってあるんだよ。それでも必死に生きてるんだよ」と教えてあげることが、教育ではないのか現代日本(謎



2005年6月3日(金)

 今日は「スカイキャプテン」見た。
 最初はてっきり、もっと現代劇画SFっぽいのかと思っていたんだが、雑誌とかで見てたら、かなりB級アリエナイザーでつい。
 感想。良かった。
 面白かった。余は満足じゃ。

 なんじゃこのデザイン的なロボットは、第二次大戦から30年くらい後の架空世界なんでまあ良しとして見つつ、序盤に起こるヒロインのアクションが微妙すぎていっそないほうがいい気はするものの、変な湿っぽくならない、コメディを織り込んだ明るくクールなつくりが気に入った。
 そもそも特大のツッコミ場所が、「そんな小さいガラス管探すのに戦闘機繰り出して、攻撃で割れることは考えとらんのか貴様!」と……。
 取材が第一でカメラのことばかり気にしてるヒロインが、またかわいい(私好みの美人さんではないが)。いい加減にしろよと思ってるっぽい主人公も、あまりの取材根性に笑っちゃったんだろうなぁ。
 機体に秘められたヒ・ミ・ツもなんだかとてもよろしい。
 つーか女中佐のフランキーが出てきてからのヒロインが「おおジェラシってる〜」と大層かわうい。フランキーかっこいいしー。
 最後の最後に、「ああ、やっぱりこうきたか!」と思わせておいて、このオチか!
 何度も見返したくなるかどうかはまだ分からない私だが、これならもし劇場に見に行っても、「あーおもろかったー」と満足して席を立てたろうと思う。

 さあいよいよ6月。
 「戦国自衛隊」と「バットマン」が待っている!
 「ジルオール」も待っている! 限定版で予約シチャッタヨ。



2005年6月4日(土)

 鈍感な人は人を傷つけても気付かない。
 敏感な人はやたらと傷つきやすくてたまらない。
 どっちも、一緒にいて楽なわけはない。
 それならいっそ、鈍感なほうが自分は得かというと、そうでもない。
 周囲の人間の忍耐にも限界というものがあるからだ。いつか、鈍さでは防ぎようのない反撃を食らう。

 しかし逆に見ると、鈍感な人は傷つけられることにも鈍いから、おおらかで屈託がなかったりもする。
 敏感は人は自分が痛がりだから、人のこともあれこれと気遣うことがある。
 結局は、どっちもどっちってことなんだろう。
 それを人は自分の都合次第で勝手に「あいつはいい奴だ」「この人はイヤだ」と言うだけなんだろう。



2005年6月5日(日)

 朝は良い。
 この季節、4時から5時くらいの夜明けがことに良い。
 昼間なぞペッペッだ。
 外に出れば湿度はやや高めで大気は心地好く、車どおりが耐えて半日ばかりたつ住宅地(しかも通り抜け防止に道が複雑)には、周囲の田んぼから漂う水と稲と肥料のものらしい甘い匂いしかしない。
 ときおり、どこかで雑草を燃やす煙の香ばしい匂いが混じることもあり、これがまた良い。
 山の上には朝焼けの色、あるいは名残が広がり、雲はゆるゆると動いていく。
 まことに良い。
 このまんま時間が止まり私だけが動けるならば、のらりくらりと一日でもうろうろしているだろう。
 樹木を植えた遊歩道のベンチに寝転んでうたた寝するのも良い。
 多少衣類が湿るくらいは気にならない。まだ蚊なども出てこない時期と時間であるから、ぼへら〜って過ごしていても余計なことを気にしなくて良い。
 嗚呼、白夜の国へ行きたい(←また放浪欲求か

 しかし、そんな朝の中、向かう先がコンビニというのがいささか哀しい本日であった。



2005年6月6日(月)

 「バットマン ビギンズ」の文庫があったので買ってしまった。
 ……訳間違ってねぇかそれ、日本語として意味通らねぇだろ? というところとか、誤植と思われる部分がある、なんともまあお粗末な代物ではあったが、ストーリーやおおまかなものさえ分かればいいということで。映画脚本のノベライズに、期待なんてするほうが間違ってる。「コンスタンティン」はそこそこ良かったし、「24」はなかなか上手いと思ったけどねー。

 小説としては、文章とか描写の面で「ダミだこりゃ」だが、映画は楽しみになった。
 少なくとも「コンスタンティン」よりは面白そうだ。
 なんというか……技量も届く目もないから語ってないだけで演出ではないとしか思わないが、両親を殺された後、その傷を背負ったまま成長して大学生くらいになったブルース=ウェインが、自分の心の中にすくった怒りや憎悪を具現化させる(発散させるでもあるようだが)ために無茶に挑んで、それを乗り越えて力にしようとしていく様が、言葉そのもので書かれてはいないけれど、フツーに分かった。
 つまり、いちいちブルースの心理を記述することはほとんどないのだが、彼の行動なんかにちゃんとそれが感じられたということだ。
 映画でもうまく表現されていれば、ブルースの成長と変化というダイナミズムがここにあるはず。

 また、愛すべき脇役のゴードン氏(警部だか警部補だか本部長だか忘れたが)ががんばるのも良い。けっこうオイシイシーンなんでバラさないが、うむ、オイシイシーンもあったぞ。
 執事のアルフレッドは相変わらずトボけてるようだし、協力者の技術者もまた良い感じ。
 っつーか、ゲイリー=オールドマンがゴードン役やって、モーガン=フリーマンがその技術者役よ。これでクリスチャン=ベールがブルース、しかもナベケン様が出るとあっては、私は役者だけで楽しめる。豪華。

 ストーリーのキモではないのでこれは白くして書いてしまうが、犯罪が当たり前にはびこって、それを誰も止めようともしないゴッサム=シティの中で、不正がまかりとおるこの街をなんとかしたいと思って足掻くゴードンやヒロインが、物語に筋のようなものも与えている。
 不正に抗いたくても、意志だけではどうしようもない現状。くじけそうになりながらも踏ん張っているところへ、謎の蝙蝠男が現れる。
 力はあっても、ただの人間が自らを鍛え上げ、その上で武装しているに過ぎないバットマンは万能ではない。悪人と戦って叩き伏せることはできても、彼は悪人を殺しはしない。あくまでも法に裁かせる。
 その法がないがしろにされたままでは、彼がどんなに活躍しても無駄だということで。
 法の側で正しくあろうとがんばってくれるゴードンとヒロイン(検事)は、大切な味方であり仲間にもなったはず。
 なんというか、これからのバットマンの活躍が、決して彼一人の超人的なものではなくて、信頼できる誰かとの共闘であることがすがすがしい。

 バットマンと言えば、ヒロインがいる。
 そして、たいてい実業家ブルース=ウェインと恋に落ちる。そして、正体を教えるかどうか悩んだりする。
 今回もその定番に洩れないが、今までの中で一番しっくりきてるなと思った。具体的なことにオイシイ部分になるので言わないけれど。
 ラスト間際のアルフレッドの台詞も、現実的でとても良かった。映画でもぜひ入っていてほしい。ブルースを単なるヒーローではない、昔から世話をしてきた、大切な、大事な、愛しい坊ちゃまと思っていればこそ言える、極めて現実的な台詞。

 ひたすら派手なアクションが好きなバットマンファンにはいまいちと言われるのかもしれないけれど、ブルースがどうやって戦う力と戦いに臨む意志を身に付けたのかが描かれた、記念すべき誕生秘話。
 かつてないほどだっさい(らしい。ちらと雑誌で見たが、今までのものより圧倒的にゴツい)バットモービルも、コンセプトが未来的な車というより戦車に近いなら、それはそれでいいんじゃないかと。そもそも技術者が装甲車として危険地帯での活動に使用するとしたら、くらいのコンセプトで作ったものだからフォルムが未来的なはずがないし、外見よりは実用性重視だろう。試作みたいなものなわけだし。ここから始まって、もっと空気抵抗を減らしてとかなんとか、バットマンの行動により適するように、莫大な資金も投じて改造していったのだと思おう。うむ。



2005年6月7日(火)

 「がんばって」という言葉は嫌い。
 ―――と、よく言う。「だからといって自分はなにをするでもなく、無責任だから」とかなんとか。そんなことを思っている人もいる。
 たしかに、精神的に負担の大きい人にこの言葉は、限界なのに更にやらせてしまったり、どうしていいか分からないのになにかしようとさせてしまったり、いい結果にならないことが多い。
 それは分かるが、「がんばってという言葉は嫌い」とあまりにも安直に言う人は、本当にその言葉に重苦しさを感じているのかどうか、と思う。
 単に、「そう言われているしなんかそれっぽいからそういうことにしている」だけなんじゃないか、と思った。
 つーかそもそも「無責任だから」って、なんで他人の抱えてる問題とか仕事に、他人が責任持たにゃならんのだ? そんなもん自分で抱えるもんで、他人の手助けなんてあったらレアで気にしてもらえるだけでも果報じゃねぇか? それを「無責任だ」なんて、それはよーするに「おまえも手伝え、なんかしろ」ってことで、じゃあその報酬になんかくれるわけか?
 他人を見てというより、己を振り返ってみてのことだ。
 私は言葉そのものより言い回し自体のほうが気になるタイプなので、言われてカチンときたことはないのだが、なるべく使うまいとはしていた。

 あまりにもテケトーに「がんばって」とバラまくのは気持ちが入ってないようで好きじゃない。
 けれど、それで全ての「がんばって」を悪者にするのは、あまりにも短絡的で、言葉の上っ面、勝手な観念に踊らされすぎている気もした。
 してあげられることなんかないよ。貴方のために自分の時間犠牲にしたり財布の中身減らしたり体力使ったり、まあ傍にいれば少しはしてあげられることもあるかもしれないけど、離れていちゃそもそもそれらをするためにすら手間やお金が必要で、そこまでするほどの情愛はないよ。でも、今のその仕事がうまく片付いたり、抱えている悩みが解決したり、すればいいねとは本当に思う。あなたが楽になったりうまくいったりすればいいねとは。そんな気持ちとして「がんばって」と言うのまで、ひどいことなんだろうか?
 それはただ、「がんばって」という言葉を悪者にし、使った人を悪者にし、甘えて助力を当然と思って、そんな言葉を嫌うことで八つ当たりしているだけなんじゃないだろうか。
 「攻撃してもいい」という悪者がいるのは、楽だから。だから「がんばって」という言葉を悪者にしていることは、ないのだろうか。

 応援したい。なんとかなるといいねと思ってる。でもそれを表すいい言葉なんて思いつかない。思いつくままの言葉を率直に口にすると「がんばって」になる。
 そんなことはないのだろうか。
 応援する気持ちだけでももらえれば、それはありがたいことじゃないのか? 具体的な手助けで楽にしてもらえないとダメなんて甘えすぎちゃいないか。言葉一つに目くじら立てて気持ちも見えないような有り様でできることなんてなにもない。
 だから、そこまで追い詰められて余裕のなくなった人には、「がんばって」という言葉は禁句なのだろう。がんばらなくてもいいよ、とりあえず今はぼーっとしなよとリラックスさせてあげることのほうが大切なのだろう。
 だがそこまて追い詰められている人は、どれほどいるのか。どれくらいの人がまだまだ余力を残しているのに、楽がしたくて甘えているのか。そして「がんばっては悪い言葉」なんて時と場合によるものを言質に開き直っているのか。

 「がんばって」という言葉を、必要以上に悪者にしていないだろうか。
 私は、少し気にしすぎていたような気もする。
 私は、「すみません」の大安売りが嫌いな生物なので、適宜「ありがとう」などもっと明るい言葉を使いたいと思ってる。だから同じように「がんばって」も大安売りする気はない。
 けれど、そうとしか言えない応援したい気持ちなら、他の言葉を作り出すより、その一番率直な一言に託してもいい気がした。探しあぐねないと出てこないような作った言葉より、簡単な一言で。無論、「がんばって」ではしっくりこないなら、言葉使いのはしくれとして言葉探しに労は惜しまないが。

 深刻に受け取って悪者にしたい人はすればいい。本当に追い詰められているなら申し訳ないとも思う。
 ただ、よほどねじまがった皮肉屋でもないかぎり、この言葉を悪意で使う人はいない。そのことくらい、ここを読んでいて、「私もそんなふうに思ってるかも」と思った人は、覚えておいてほしい。
 その言葉に抵抗を感じるなら使わなくてもいいし私の考えに共感してくれることもないけど、どこまでの思いが篭もっているのかは分からなくても、思いはたとえ微かでも、単なる社交辞令でしかなかった場合でさえ、そこに悪意を込めて放つ人なんてめったにいるもんじゃないということだけは。
 だから、「がんばって」という言葉を人に言わないのは自由だけれど、人から言われたその言葉に神経とがらせる必要はないんだってことを。

 ……おお、なんか偉そう!(←自覚してるならよせ



2005年6月8日(水)

 たまには少し感傷的なお話でも。はじまるよ〜(←阿呆

 なりたくて、でも断念したものがある。
 それはレーサー。
 せめてバイク乗りだった。
 バイクに乗ってかっちょよくツーリングするのを趣味にしたかった。
 理由があきれるほど単純で、それだけに強烈なのだ。なにせ「かっこいいじゃん!」だけだから。

 ……無免許時代はさ。
 そんな時代はさ、乗り回してたんだよ、バイク。
 金銭価値の違う友達が、「誕生日プレゼント」と言ってバイク新車一台ポーンとくれて「はあ!?」というのに3秒くらい間があったこともあったりしてさ。
 バイクがかっけぇよと思い始めた小学生の頃、夢は750、でも大きくて重そうだから400くらいが現実かなぁと思いつつ、免許をとる日のことを夢見ていたのさ。
 けれどまあ視力はどう矯正しても0.2くらいまでしか上がらず、コンタクトならといわれたけれど目が過敏でそもそも日頃から抉り出したくなるくらい痒くなるので目薬が手放せないし、免許をとるどころか、無免許だろうと乗れば命が危ういところまで行き、なにより決定的なことには完全防御しなければおんもに出られない有り様で、否応なく断念せざるを。

 今でこそ完膚なきまでインドア派だが、自分で言うのもなんだが私は運動神経というものは人並み以上で、昔は夏は山でも海でもプールでも、冬は毎週末のようにスキーをしていた。風が当たらない上に渋滞になるとすぐトッ捕まる上にパトも振り切りにくい(←待て)車は嫌いで、バイクが好きだった。
 小学生くらいの時にはほぼ完璧なまでのアウトドア派で、中学でもそれはほとんど変わらなかった。
 高校くらいから夏の炎天下に長時間いると首筋がボコボコと変形しはじめ、大学では30分も太陽に当たれば手の甲に発疹が生じるようになる、今では春先の9時頃の5分ですら。
 水泳は得意だし好きでもあるのに(実はそれ以外のスポーツは、やってはいても好きだと思ったことはない。特に「試合」が存在するようなやり方は)、室内プールでしか泳げない。しかし室内プールは独特の止まった水の匂いがしてイマイチだ。
 スキーは完全防御しやすいが、私がすきなのはスピードと風であって、衣類の中で蒸されることじゃない。
 ここ10年ばかりは、海にも山にも出かけていない。

 時々、空を飛ぶ夢を見る。話も飛んだが気にしないように。
 超能力のようなもので飛ぶこともあるし、腕を広げれば風に乗れることもある。背中に大きな翼があったことも一度だけあって、初めて飛んだヒナ鳥の気持ちが分かるような気がしたものだ。ちなみにコウモリさんの羽じゃなく鳥さんの羽だヨ?
 飛びたいなと思う。飛べたらいいなと。
 なにかから逃げたいとかなんとか、そういう解釈は不要、夢の中で飛んでいるととても心地好いから飛びたいのだ。
 だから、怖いけどハングライダーとかああいうのをやりたいなとも思う。
 目が覚めるととても残念に思う。
 頭の軽い私は、ともすると本当に飛べるんじゃないかという気さえする途方もない常識外れで、高いところできれいな景色を見ているとなんの冗談でもなく腕を広げれば風に乗れそうな気はする。もっとも、「無理、無理だってオマエ!」と理性は働くのでこうしてここに生きているわけだが。

 昔、小学生の頃友達と他愛もなくバイクのかっこよさに惹かれ、憧れたのは「KATANA」だった。デザインと名前が気に入って、「大きくなったらこれに乗る」と、将来にもこの車種があるのかどうかなんてそんなことまで頭が回るはずもなく、ワクワクしていた。
 おとんにバイクの免許をとるためにしなければならないテストみたいなものについて尋ねたりもした。うちのおとんは1000cc以上の大型にも乗れるしトラック運転できる人だからな。
 初めて乗ったのはスクーター。しかも、家の前の駐車場(すなわち公道でないので法に触れないとかなんとか当時。そうなの?)。おとんが「乗ってみろ」と教えてくれた。たった20キロも出ていなくても車に同乗しているのとは比べ物にならないほど速く感じられたことを覚えている。
 以降、おとんや友人の後ろに乗ることばかりだったが、悪友どものおかげで本格的に乗った時のことは、決して忘れることはできまい。体感速度のケタ違いな怖さにブルッたし、少しの横風にあおられてハンドルを持っていかれそうになり、けっこう力がいるものだと知り、その後にそもそも250ccのバイクで80キロも出していればちょっとした風でもとんでもない抵抗になるものなんだと思い知り、さりとて1000ccクラスは重すぎて扱えず、750でもヒーコラし、結局は当初描いた現実的なレベルの400ccにおさまり。

 だが今は乗れんのだ。
 今手元にある眼鏡では0.1も見えず、度を強くすると眩暈がひどくてままならずコンタクトは相変わらずダメで最早眼鏡を作りなおす気力もなく(正確には眼鏡に金を使う気になれない)、自分の命だけならかかっていてもいいが他人を跳ね飛ばしたりするのはさすがにイヤで、日差しの問題もあって昼間はダメで夜は更に見通しが悪く。
 なのにバイクに乗ってる夢なぞ見た日にゃ(←ほらここで話つながった
 飛べない空を飛ぶ夢なら夢は夢だと分かりきっているから残念なだけだが、かなっていても不思議ではない、むしろ簡単にかなえられるはずの夢なのにこの目と体質のせいでパアだパア。
 視力だって、悪くなり始めた中学一年の頃なんて、ゲームもしなければ読書なんてしてる暇もないくらい部活が忙しく、なのになんで悪くなったんだとしか。
 簡単にかなえられるはずだった憧れだったはずなのになぁ。小学生らしい他愛なさで、「じゃあ免許とってバイク買ったら一緒にツーリングいこうぜ」なんて約束をして。

 自分次第で簡単にかなってしまう夢なら、こんな形で潰れてほしくはなかったと今でも思う。なにせ運動神経には自信があり、実際に運転はできていた以上、これは本当にかなうはずの憧れだったのだ。
 ささやかだがバイク乗りは私の夢で憧れで現実的な目標で、それがありつづければ「大きな目標のために今をすごす」ことを少しは学べたかもしれないという思いもある。今現在の目先のものしか見てないのらくら人生ではなく。
 スタンドをなかなか立てられず、そしてまたコーン(正確にはパイロン)が並んだところを8の字にバイクを引きずらなきゃいけないと聞いて「じゃあ力つけないと」腕立て伏せなんかはじめてしまったり、自分でメンテナンスできるとかっこいいなと分かりもしないバイク雑誌を読もうとしてみたり。
 おかんはともかく、バイク乗りのおとんはそんな私の目標を後押ししても妨げることはなかったろうし、そうすれば共通の話題というものがあって、それは私が大人になるほど近しくなれるもので、ともすると日曜には今も、ツーリングに行こうぜと誘い合えたのかもしれない。

 ……とかなんとか、はてしなく落ち込もうと思えば落ち込めないこともない。
 が、幸い私は物語を作るという別の楽しみを見つけた。
 それは憧れでもなんでもなく「できること」で「していて楽しいこと」だが、インドア派にもなれたことが幸いし、いくたりかの才能っぽいものくらいはあったと見えて共感してくれる人もいてくれ、決して無碍にはできない。
 バイクを選び、そしてつかめていたら手に入ったものもあるだろうが、そうでなかったからこそ、物語を作ることに熱中していればこそあるものも、たくさんある。
 憧れは今も残りつづけてバイクの夢には溜め息が出るが、それは大事にしまっておける。

 先日、仕方なく昼間、幸い曇りなのでしぶしぶと出かけた繁華街で、小学校の頃バイクの話で盛り上がり、中学、高校と同級生だった奴に出会った。
 なんだかんだで大晦日のソバのごとく細く長く友達だった奴で、つまりその時々の「一番のお気に入り」ではなかったけれど、少し大人になって考えてみれば、そいつが遊ぶ仲間にいるかいないかはけっこう大事な問題だったのであり、月日と共に変化した「一番」とは違う永遠のナンバー2。いやホントにそんな感じ。
 そしてある意味、私が一番好きだった友達はナンバー1の奴等ではなくそいつだったんだと、後に気付いた。……そういやサイト作りたての頃にこいつのことをネタにとって「手紙」シリーズの一つにしたっけな。うひ。
 ともあれそんな奴に会い、だからアホらしいくらいあっさりと盛り上がり、苦手なはずなのに「なにしてたんだよ」とか「どうしてんだよ」という話になり。
 遊びに行こうぜと言われて誘導された駐車場には一台のオートバイが停めてあり、「そう言うと小学校ン時、すっげーバイクの話したことあったが? おまえもバイク乗ってるんけ?」(モロ方言)と不意打ちを食らった。
 忘れてなかったのかと思うと、たまらなんださ。じーんとね、こうじーんと。
 夜行生物になり果てたことと視力のことを話し、「もう無理やな」(つられて方言)とケツに乗せてもらってフラフラと遊びまわった。「なんや。昔ツーリング行こうって約束したんでなかったか」(やはり方言)。覚えてたそやつに泣きそうになったわさ。今もまだもし私が無事であればその約束を思い出し誘ってくれたのか。私もそやつの細く長い友達であったと思っていいのか。
 曇りの日に感謝しつつ、たとえ雨がパラつこうが知ったことでもなく、むしろバンザイお天気。

 たいていのことはどうでもいい。
 憧れてるものなんてまずはない。
 そんな中でのレアものが「バイク」で、これは過去形にならず現在形。
 幼稚園の(正確には保育園)頃「おおきくなったらなりたいものはなんですか」と問われなにも思い浮かばず「みんなが憧れる仕事」の一つとしていつの間にかインプットされていた中で一番最初に思い浮かんだ「お医者さん」という言葉をとりあえず出してしのいだという夢のない、しかもそれを自覚し適当に誤魔化しておく、更には誤魔化したという自覚さえある私が、唯一今も憧れている。
 そして私はじっと、ぷつぷつの出ている手の甲を見る。ひぃぎゃあぁ〜〜ッ!



2005年6月9日(木)

 今週は仕事します。
 来週も仕事します。
 再来週の週末頃からその翌週の頭まで、休むためです。
 ええ、ゲームしてます。
 とりあえず三すくみパーティの実現がかなうのかどうか、これが楽しみ。
 インフィニットでもレムオンのイベント起こすの難しいんだろーか。
 とりあえず黄金に輝く畑だかなんだかのスタートは確定しています。



2005年6月10日(金)

 よーやっと「トゥルーコーリング」(文庫)の1巻を読み終えた。
 なんかボチボチ、ボチボチと読み進めていたので。
 面白くないわけでは決してなかったんだけどね。

 いや、むしろ面白いと言っておこう。
 死者に助けを乞われると、一日をやりなおしてしまう、という奇妙な能力を持ったヒロイン。そのことを信じてくれる人なんてのはまずいない。
 お調子者でギャンブル好き、トラブルメーカーの弟は、ヒロイン・トゥルーのことを大事に思ってるんだけど、それでもやはり、頭がどうかしたんじゃないかと疑わざるを得なくて。
 そういう、誰も味方がいない、かろうじて弟だけは、「姉さん大丈夫なのか」と思いつつも協力してくれたりするけど、そんな中で孤軍奮闘する。
 「貴方はこのままじゃ死ぬから、ここには行かないで」なんて言えないし言ったところで信じてもらえないまま、トゥルーの行動はやはり奇異に思われて、本当に可哀想なくらい。
 その可哀想さ加減のせいで、読むのがスローだったのである。

 でも2巻ではそれを信じて協力してくれる人(モルグの上司)が出てきて、ずいぶん安心して見ていられるようになった。
 目下心配なのは、せっかく思い思われっぽい新しい恋人と、うまくいってくれるのかどうか。ああ頼むからトゥルーちゃん見捨てんといてー変な目で見んであげといてーと願ってしまう。
 今のところ一番気に入ってるのは第二話目。
 火事の犠牲者から助けを求められる話。せ、せつねー……。

 しかしまあなんというか、今に「ルーク(現恋人)が死体になって運ばれてきて、助けを求められて奔走する」とかいう話が出てきそうで、そこまで案の定な話が入ると萎えるような気も。
 トッルーのママンに関する謎もあるし、全部読む気ではいるけどさー。
 丁度明日(世の中一般の10日のこと)3巻出るし、30日には4巻も出るみたいだから、のんびりまたボチボチ読んでいこうっと。

 火事といえば「炎のメモリアル」。
 これも見たい映画。
 「バックドラフト」よりはるかにヒューマンドラマ寄りでサスペンス要素抜きの消防士の物語。
 演出の良さと役者の好演のおかげで「バックドラフト」も私は好きだが、自分だって命は一つしかなくて家族や恋人がいる消防士が、そのたった一つしかない命をはって炎に立ち向かう、そこに重点をおいた「炎のメモリアル」のほうが、ドラマとしては圧倒的に面白そうだ。
 久々にトラボルタがオイシイ役やってるし。

 ああ、あとあれ。8月に「ネバーランド」がDVD化されるねぇ。
 ジョニー=デップ主演の、ピーターパン創作秘話物語。
 なんかけったいなイッちゃってる役が多いデップには珍しく、ずいぶんまともな役のような気がして。
 なんであの人は、すっきりした格好すればあんなにスマートないい男なのに、汚い格好してもハマるんだろう。
 「パイレーツオブカリビアン2」の公開はまだなんだろーか……。



2005年6月11日(土)

 「最狂女装計画」が面白そう……。7/23頃だったかDVD化されるおバカコメディ。
 なんだか今月は映画関係の話ばっかりしてるな己。
 「戦国自衛隊」もあす(感覚的に)封切りだしなー。
 再来週は、週の頭頃は映画を見に行き後半はゲームという、とんでもなくのらくらな七日間になりそうだ。ああ楽しみ。



2005年6月12日(日)

 雨が降った。
 久しぶりだと思う。
 あれー?
 昔はもっと雨の日多かった気がするのにな。



2005年6月13日(月)

 PS2「イリスのアトリエ2」を借りた。
 ……まあ、ゲームシステムは、面白いと思う。
 でも私があえて言うならば、このゲームは「それだけ」のものでしかないな。
 つまらんとは言わないが、二流以下だ。鬼?
 好みの問題で言っているのではなく、RPGとしての致命的な欠陥を既に二つばかり目の当たりにしているので。



2005年6月14日(火)

 ……あのねぇ。
 トクベツ扱いって、嬉しいよね。
 ちょっとしたことでも。
 みんなにはダメって言ってることなんだけど、「まあこの人にはいいかな」ってトクベツにしてもらえたら、嬉しいのだ。 



2005年6月15日(水)

 個人的な嗜好の問題だが、私は、「そういうもの」を人に見せるのに、同志がいると分かってはいても羞恥を感じて戸惑ったり躊躇ったりする人のほうが共感できる。
 「そういうもの」=主に妄想。


Made with Shibayan Diary