2005年4月1日(金)
とりあえずカプコンの出したDMC3の攻略本はゲットでちゅ。
自分で使いつつ、これでこの巣のヘタレ攻略内容もグレードアップ……の前に、もう少し読みやすいようにしないといけないなと思ってます。
ピンポイントで分からないことがあった時、行き詰まった時、ぱっと探せるように。
フレーム構成にしようと着々と準備中。
2005年4月2日(土)
FF10−2が、新品で1600円だったので買ってきてみた。
が。
実はカバンの中に入れたまま三日間に渡り、そんなものがあることを忘れ去っていた私……。
いかにどうでもいいかが如実に分かるネ★
面倒臭いんで、ストーリーと変身だけ楽しむために、インチキデータ使う気満々。
はあ。
世の中は春、新入学・侵入者……もとい、新入社の季節だというに。
天気の丁度いい日を見計らい、プチ放浪でもしてこようか……。
2005年4月3日(日)
言ってから、「言わなきゃ良かった」と後悔する人。
言わずにいて、「言っておけば良かった」と後悔する人。
私はまぎれもなく前者なのだが。
言って後悔したことは腐るほどあっても、言わずに後悔したことはほとんどない。
だからといって、「だから、口は噤んでいたほうがいい」とは思わない。
何故なら、言っている数のほうが圧倒的に多いから、言って後悔した記憶のほうが多いだけだから。
後者な人はまったく同じ感覚で、「どうせ後悔するなら言ってからのほうがいい」と思っているのかもしれないなぁ。
2005年4月4日(月)
もう四月だというのに妙に寒い。
石油ヒーターのタンクが丁度カラなのだが、給油するかどうかで迷っている。
どうせ一日か二日のことだろうと思いつつも、指先が冷えるのはなぁ。
PCに向かうにせよゲームするにせよ、不自由だ。
2005年4月5日(火)
知人のとこで、マジレンジャーと響鬼を見た。
……なんか面白そう……(死
響鬼は、「子供が見て分かるのかこれ?」という気がフルスイングしている。
かっこいいけどねー。
特に今、BLACKがDVD化されているのを借りて見ているから、それとの比較で、やはりクウガ以降の仮面ライダーはスタイリッシュになったよなと。
やたらと数が出てくるのは性に合わんのだが……。
マジレンジャーは、五人が兄弟だというのがいいのかなと思う。末っ子のレッドが微妙に立場ないあたりが生ぬるく微笑ましい。
どうせ夕方起き出してきて昼間で起きてるんだから、自分の部屋にテレビがあれば、こそりと毎週見てしまうのかも。
……私の部屋にはモニターはあるがテレビはないのさ。
なお、その前にはちとした料亭で食事をば。
ああ、久々に美味い刺身と天麩羅食べたよ……。
2005年4月6日(水)
「インビンシブル」見た。
……ビミョー。
飛ばすことはなかったものの、それはどう考えても、「SFアクション」というのが私の嗜好に合ってるからでしかない。
五人いるはずのエレメントの戦士が、四人になってしまっているのがなんのマイナス要素にもなってないこととか、アホらしいくらいにわざとらしい「愛が最強」みたいな台詞とか。
むぅ。
こんなものを映画館で見た人は可哀想だ。
「フィフスエレメント」もあらためて借りてきたので、今度こそ見てから返そう。
それはそれとして。
「コンスタンティン」だっけか? キアヌ主演の新作。これはちょっと見たい。別にキアヌは好きでもなんでもないけど、ネタ的に面白そう。心配なのは、ラストがマトリックス・レボみたいなアホなものじゃないだろうなということ。ありそうなんだよなぁ。
2005年4月7日(木)
うちに帰ってきてテーブル上をみたら、パンが三種類とバナナ。
……これが今日の私の晩飯か……?
グレるぞ(←これ以上は無理
体調悪いとか用事があったとかでなにも作れなかったならそれはちっとも構わんから、一言メモくらい置いてくれと思う。
いっそなんにも作ってなくて「自分で冷蔵庫のもの使って作って」とメモがあったほうがマシだ。
2005年4月8日(金)
いきなり春っぽい。
っつーか暑い。
特に仕事場暑い。
薄着のスタッフが暑いんだから、上着着てるお客さんはもっと暑く感じてるだろうに。
「お客様最優先」とかいう主義を掲げつつ、結局は建前なのだなと頷く日々である。
2005年4月9日(土)
よーやっと「フィフスエレメント」見た。
面白かった。
素直に「面白かった」ととりあえず言える。……ちっとも素直じゃないな己。
随所に挟まれるコメディシーンがいい感じに間をつないでくれて、テンポがいい。さくさく進む。
ホテル船で制御室に行った時なんかめっちゃかっこいい。
なにが不満かというと、ヒロインのリールーと、どういう交流があって、彼女を「愛している」と言えるようになったのかという点が空白であること。
最初の出会いは、「よく分からんけどかわいい女の子だな」と惹かれてるのが分かる。これはいい。一目惚れに近いんだろう。でも、その後は地球人には分からない言葉を使われてろくに会話もしないまま、乗り込んだ先でも別行動になってて、ちっとも二人の心が通い合う場面がない。
それなのに、愛を知らない女の子に愛を感じさせるほどの深い思いを、いったいどうやって発揮できるのか。
言葉が通じないまま、それでも必死に生命を守ろうと苦闘する女の子の健気さに打たれるとか、なんかそういうシーンを入れてほしかったなと思う。
それ以外にはなんの不満もなくダレることもなく見れたから、私の中ではヒット。DVDが廉価で出てたらほしいなと思うくらいに。
2005年4月10日(日)
かつて好きだった人を、嫌いになることはある。
だが、かつて嫌いだった人を好きになることは、あるんだろうか?
あるとしても、その回数というか確率は、圧倒的に低いように思う。
これが人間という生き物のサガか。
2005年4月11日(月)
「Another Centuries Epsode」をやってみる。
面白いと勧められたから。
……ものっそつまらん……。
ACT部分がタルすぎる。やたら遅い移動速度に地味な攻撃、ストレスだらけの方向転換(カメラ修正込)。
「簡単な操作でできるアーマードコアみたいなもの」と言っていたが、どこが。そりゃアマコアに失礼すぎやしないかと本気で思うわいな。
ガンダムとかロボットアニメファンなら面白いのかもしれないけど、初代とZと78小隊くらいしか見てない私には(他はちらっと見て放置)、どーでもいいことばかり。
ファンにとれば、再現されている動きを見て、操っているだけでも面白いのかもしれないから、誰にとってもつまらんとも言わないが、私にはジャンク同然。
時間無駄にした気分。
2005年4月12日(火)
やはり私には、「言えば良かった」と悔やむことはなさそうだ。
思い返せば、そんなふうに悔やんだのなどかなり昔のことばかり。
それもたぶん、「言えば良かった」というより、「本当は行きたくないのに、自分を騙して、楽しみにしてるようなふりなんてしなければ良かった」といった後悔に近い。
しかし今もってあるのは、メルを書いたりTelしたりしている時、受話器をとる前、「余計な口出しか」とか「こんなことをわざわざ告げて、かえって困惑させたり迷惑になったりしないか? 自分の言うことか?」と迷うこと。
迷うだけ、とりやめる回数も増え、悔やむ数も減ったが……。
本当に肝心なことだけを告げるなら、いくらか交流のある相手ならば、一言メールの長さで事足りるし、むしろほんの30文字程度におさまることだけ書いたほうが、偽りにならなくていいのかもしれない。
2005年4月13日(水)
小説を読み返していた。
笹沢左保の時代もの。
うちにはそれなりの数の本があるけど、何度も手にとって読み返しているのは、やはり捕り物帳が多かったりする。
つくづく己、好きなんだな。
だから当然、自分でも書きたい。
書こうとしたことはある。
でも、時代考証という壁がドカンと目の前に。
どこかで書いた覚えもあるが、そういうジレンマから出てきたのが、オリジナルにある「SLEEPING MOON」。
「何故かいつも寝ているけど頼りになる人」ってのが、実は時代劇の空想の中から生まれた役どころなのだ。
イメージしていた時は、もっとグウタラで陽気でお気楽で、いい男なのに、ダラしない格好で一日中ごろごろしてる。浪人っぽいけど帯刀して出かけるわけでもない。むしろめったに出かけない。
貧乏寺の庫裏を借りて住んでいて、近所のかわいい女の子なんかが(当然おきゃん)「もう、またごろごろしてるんですから!」とか言いつつ、たまに掃除に押しかけてくる。ほっとくといつ食べるのかも知れないから、と近くの長屋人たちがなんだかんだで食事とか運んであげる。
だから、長屋にヤクザなんかが押しかけてきたりしたら、仕方なくのそのそ出て行って追い払ってくれる。
もちろん、頭が良くて推理ができなきゃ捕り物帳っぽくならない。
パターンとして、捜査に行き詰まると知恵を借りに来る同心というのがほしい。どうせなら岡引も活きのいいのがほしいから、死んだ父親が岡引で、自分も手札をもらいたてとかいう若くてまだまだ経験の足りない、でも度胸と正義感、人情だけは一人前のヤツがいたりするといい。
これもパターンとして、ライバル同心か岡引ですごくイヤミでイヤな奴も当然ほしい。でも、本当にイヤな奴じゃなくて、ほとんどの人からは好かれてないんだけど、本当にその人をよく知っている人は、「案外あの人もいい人だ」とちゃんと愛されているくらいで。
とかなんとか妄想していたのが、どう転がってか、妙に冷めた男が主人公の位置におさまってしまった不思議。
銭形平次にとっての八五郎、みたいな位置付けで「セイジ」というのを作ってみたが、いる意味なくなってるし(自滅
あとやっぱり、生活観というか、風情が足りんとつくづく思う。
生活とか行事の描写が、物語に本当に溶け込んでいるようには、自分の目には見えない。とってつけたようにしか。
時代考証に手間かかるから、という理由であったとしても、本当にいいものにできれば、「ファンタジーと捕り物帳(あるいは時代娯楽小説)の融合」として感じてもらえるだろう。
魔法とか不思議な生物とかがクローズアップされがちなファンタジーの世界で、そんなものは当然として特別扱いせず、その中に生きる人間を通して現代を映す、みたいな。
理想理想。
語るだけタダだからほっといてね。
2005年4月14日(木)
夜桜見物に行きたいと思いながら、月の具合が悪いのでとりやめつつ、見頃を失おうとしている。
満月でなくてもいいから、冴えた月明かりだけで桜が見たいのだ。
そしてまた職務質問される運命か(←阿呆
2005年4月15日(金)
今朝(正確にいえば14日朝9時頃)、どうしても刺身が食べたくなった。
どうせあと一時間くらいで寝るのだし、近頃肉付きもよくなってきてるしと一応は我慢しながら、目は時計ばかり気にしてしまう。
スーパーの開店時間を気にしているのだ。
そしてとうとう一時間が経過した時、私は潔くお出かけしましたとさ。
たとえスーパーのものであれ、刺身は高い。
分かっちゃいるが、食いたいんだからどうしようもない。
どうせ贅沢するのならと、つい、隣にあったカニ身まで……。
そして、マグロにせよブリにせよイカにせよ、先日食べたものとの味の違いを思い知りつつ、ショウユは家のものを使ったので美味いからまあいいかと(ぉぃ
にしてもあれですな。
マグロなど、実は口の中にある時の味そのものはそんなに大きく違うわけじゃないと感じます。
そのかわり決定的に違うのは、舌触りと、飲み込む直前、そしてその後に残る味。上物はここに美味を感じる私です。
そういや、あと少しで初鰹と言われるものが珍重された時期。
しかし実際に鰹が美味いのは秋。
あと、マグロは本マグロがありがたがられますが、本当に美味いのはインド洋あたりからきたヤツだとか聞いたような覚えもあります。
……スーパー産の刺身なぞ食っていたら、余計に港のほうに出てそこの魚屋で刺身買いたくなりました。がくり。