烏の足跡



2005年1月16日(日)

 ぬいぐるみの話。
 実家に戻る時に、かなりいろんなものを処分した。
 そんな中に、処分しきれずに持って帰ってしまったぬいぐるみがいる。
 わんこ二匹にくま一匹にヘビ一匹。まあ、ヘビはくきくき動いて面白いので持って帰ってみただけ。ひそかに、マフラーがわりになる(ぉぃ
 くまは、もらいもの。私にぬいぐるみを寄越すというのもずいぶんとけったいな趣味だが、ふわふわ感が素晴らしいので、受け取ってしまった。ちなみに、ゲーセンで一緒に遊んでてとったものだったりする。
 そしてわんこ二匹もまた、ゲーセン土産。
 いや、実をいえばヘビすら、ゲーセン用の景品なのだ。

 なんか、市販のぬいぐるみより出来がいいのだな、こいつら。
 しかも原価は800円くらいなので、市販されていたとしても2000円くらいのもの。
 だが縫い目はしっかりしてるし生地もいい。造作も整っていて、とても景品用とは思えないものがある。
 ひそかに、ぬいぐるみ好きですヨ己。まあ金出して買おうと思うほど好きなわけでもないけれど。

 何故今更そんな話をするかというと、話考えてた途中で、ぬいぐるみを出すことにし、その具体的な抱き心地みたいなものが非常に気になったからだったりする。



2005年1月17日(月)

 一度も悪いことをしたことがない人に、教育者なんて務まらないんだろうなという気がする。
 「ヤンキー母校へかえる」とか、あるいはその原作に相当するような本とかが何冊もあるけど、なるほどなと思える。
 悪いことをしたこともない人に、してしまう人の気持ちなんてものはおそらく分からない。善人は悪人の感覚や気持ちなんてものを、ほとんど推測できない。自分とは異質すぎるから。
 悪いと知っていて、してしまう気持ち。あるいは、悪いことに走らざるをえないような、たとえそれが弱さや甘えであっても、つらく苦しいなにか。
 そういうものを、善人は「我慢すべき、できる」と言い切る。けれど、そう言ってしまったら決して理解はできない。
 そう分かっていてもしてしまう気持ちを、まず本気で汲んでやれなければ、「この人なら分かってくれる、信じてくれる」という信頼関係は築けない。
 同じことをしたのではなくても、同じようなことをしてくれば、気持ちは少し近づける。
 「ああ、そうだな、うんそうだ」と言う言葉に実が篭もっているかどうか、上っ面の誤魔化し同意でないかどうか、彼等はいつだって聞き耳を立てているものだ。本当に「ああ分かる」という気持ちが篭もっているのかどうかと。

 夜回り先生こと水谷氏が子供の信頼を得ているのは、彼が非行に走ったことの有無は別として、本気で理解したい、受け入れてやりたいという思いがあればだろう。
 世間一般のお手軽な常識とか大人のルールばかり適用しないで、「何故そうするのか」の根本的な理由、子供たちはどこかで傷ついているのではないかということを、親身に見つけようとする。
 だから、触れた子供が立ち直ることもあるんだろうと思う。

 先日分に少しからむけど、どんなに正しいことでも正しい人でも、それだけじゃなんにもならないんだろう。
 そして、正しい人は自分の正しさゆえに、間違っているほうをあっさり否定しがちになる。「頭がおかしい」とか「理解できない、したくもない」とか。
 私に言わせれば、それも充分、欠陥人間だ。



2005年1月19日(水)

 来週あたりから、ゲームの新作(マイ)ラッシュがはじまる。
 嬉しいような、恐ろしいような。
 財布の中身がね〜(滅
 無双4もそろそろ予約してこねば。
 毎度思うが無双シリーズ、限定版で買うとちょっとしたパンフなどがついてくる。約3000円ほど高くなってもいいから、そっちで買うかどうかも悩みどころ。

 いずれまたここで、ほぼ毎日のようにゲームの実況中継が始まるのだろう。
 そんなものを人に見せてどなるかというと、躊躇っている人の背中を押して仲間を増やしたいとか、あるいは興味を持ってくれたらいいとか、そういう理由でザレに書き付けている。
 あとは、自分でいずれ読み返したときに、「アホやこいつ」と楽しむため。



2005年1月20日(木)

 かかずにいれば、間違いなく腕は落ちる。
 絵は。
 小説は、ただかけばいいというものでもない。むしろ、かきすぎて質が落ちることもある。
 だが、かかずには決して上達しないのは、どちらも同じ。
 どうすれば上手くなるだろう、なんて考えてる暇があったら、とにかくかく。かきながら、模索する。模索するばかりでかかないんじゃ、まったく無駄というものだ。



2005年1月21日(金)

 つい、「いい人」であろうとしてしまう。
 いや。
 正確に言えば、つい「いい顔」をしてしまう。
 そういうことはないだろうか?

 いずれ、今月末にでもこの続きを。



2005年1月22日(土)

 たまに思うこと。そしてあらためて考えたこと。

 上手くもないものを上手いと褒めて。
 大していいとも思わないものを「好き」だと言って。
 作り主が自分の作品に対して意識的で懐疑的で、もっと上手くなりたい、と思っているなら別にいいだろうけど。
 実はド下手な人がそれで勘違いして、「私のかくものもなかなかイケてんのね!」と思ってしまうのは、かえって残酷な気がする。

 一方で、嘘でもいいからおだてることで、自信をもってかけるようになり、かくことが楽しくなり、その結果こなれて上手くなっていくなら、それは少しも悪いことじゃないんだよな、とも思う。
 上手・下手に関わらず、作って・見せる、ということを前提に楽しんでいるwebサイトであれば、こちらが正解なのかという気もする。
 みんながみんな、今より上手くなりたいと思ってなにかをつくっているわけじゃなく、拙くてもなんでも、自分のつくったものを「人に見せるに足る」と思うから、陳列しているんだろう。
 だとすれば、その人の作品レベルが少しも変化しなくても、そんなことは他人の知ったことじゃない。
 むしろ、おだててつづけさせることでこなれて上手くなっていくなら、閲覧側としてはいいことだし、もし調子に乗るだけで上手くならなくても、ワタシにはなんの関係もない。
 楽しくやってる、いっしょに楽しめる、それが一番肝心なことだろう。

 それでも私はやはり、心にもない世辞は決して言わないでおこうと思う。
 自分の言葉を軽くしたくない、という理由がここにある。
 下手なものでもなんだかんだと大騒ぎ絶賛するような人の言葉では、もし褒められても、それが本当のことなのかどうかが分からない。
 つまらないものはつまらないと言う人間が、「これいいよね」と言えば、少なくともその人にとってそれは「いい」ものだったと分かる。つまらなければつまらないといったはずなのだから。
 私は自分の言葉に、それくらいの明確さを与えておきたい。
 こいつが上手いと言ったら、世間的にはどうかともかく、こいつには上手く見えるものなんだと思ってもらえるだけの、実のはっきりした言葉。こいつが「ありがとう、嬉しい」となんかわけの分からん大騒ぎしていたら本当に喜んだんだなと分かってもらえるように。こいつが好きだと言うなら本当に好きなんだろう、と。

 もちろん、世の中には私のよーなのとは違い、上手い下手なんてことは気にせずにものを見ている人もいるんだろうから、そういう人の賛辞は、いつだって心からのものなのかもしれない。が、少なくとも私は、そういう人間の言葉は信用できない。そんな白い人間がいるとは思えないのでね(人間は自分を基準にし、自分を投影して他人を見るという典型でございますな)。



2005年1月23日(日)

 出会いって、ウソでもいいから求めたいものなんだろうか?

 でも、「本物の出会いでなくていい」という気持ちが、かえって自分を正直にして、素直に振舞えるなら、そのせいでそれがやがて、「良い出会い」になることも、きっとある気もする。

 最初に見せて、与えた印象を崩したくないからとストレスになっていくことに比べれば、「ヤりたい!」だけで出会って、それっきりだと思うから対して気取りもせずにいて本音も話す。
 だからこそ、ホントにフィーリングが合うと分かった。
 そんなことも、ある気がするのだ。



2005年1月24日(月)

 文章が下手だと小説家にはなれないか?

 なれる。
 ド下手でもなれる。
 その場合必要なのはアイディアと、そのアイディアで一冊書き上げる根気

 疑うなら「リアル鬼ごっこ」を読んでみよう。



2005年1月25日(火)

 プロフィールのところの100質を、時々読み返して書き換えている。
 そうして気付くのは、初めてこのプロフを作った時と、好きなものの数などが増えてはいても、基本的な姿勢や考え方がちっとも変わっていないこと。
 本当に己、小説書くことが好きなんだなとつくづく思う。
 建前もなにもかもとっぱらって、「それだけしてても生活できるのが最高の状態」なのだと確信を持って断言できる。
 ちゃんと社会の一員として、とか本気でくそくらえらしい。
 一生働かなくてもいいだけのお金がほしいもの。
 別荘ほしいだの宝石ほしいだの車がほしいだの一着ン十万もする服がほしいだのとは全く思わない。
 好きなゲームして音楽聞いて本読んで、好きなように話書けたらそれでいい。



2005年1月26日(水)

 他人に求めるのをやめてしまえば少しは楽になる。
 後は自分で叶えるのみ。



2005年1月27日(木)

 「ゴツド・ディーバ」見た。
 映画としてはビミョー極まりないが、映像作品としては良かったかと。
 ジルが美人だしねー。
 ただ、メイン人物以外をCGにする理由ってなにかあったんだろうか。



2005年1月28日(金)

 DDS2中。
 ……エンカウント率高くてイライラする……。
 一つのダンジョンがやたら長くてイライラする。
 声優か予想外に下手でかえって白ける。
 総じて、なんかとーでもいい感じ。

 前作の完結編ということで、ストーリーだけは見たいが、なんかもーただそれだけかも、今のところ。
 PARでも使ってとっととストーリーだけ見て、高いうちに売り払おう。



2005年1月29日(土)

 DDS2中……なんだけど……。
 ひょっとしてここラストダンジョンですか?(爆
 以下、モロバレなので白。本気でモロですので。

 昨日進めたところまでは「なんかやけにあっさりバラしてくよなぁ」と思っていただけだが、今日はもうなんてゆーかなんですかねコレは。
 いきなりロアルド死ぬしアルジラ死ぬしサーフ死ぬしヒート死ぬし、かと思えばまあサーフが戻ってくるまでは予想の範疇内として、更にその後でゲイル死ぬしシエロ死ぬし。
 自分たちがデータ、AI、プログラムだったってことに対してもあっさり受け入れすぎてなんかリアリティないし。
 挙げ句にラスダン(予想)前には全員生き返るし(厳密にはそうじやないんだが)、セラとサーフは合体するし。
 なんか、「神もなにもかも実は『情報』である」というSF設定を見せるためだけに作られているような気がしてならない。だからなんなのか、というか、だったらどうなのかと問い掛けるものがなにも感じられない。

 しょせん、メガテンの本道を離れればこんなものか。
 ペルソナシリーズも、一本目はジュヴナイル的で良かったかと思えば罪・罰にいたってはあまりそういった訴えるものがなくなって上っ面の物語撫でてるだけになるし、魔神転生シリーズはいつの間にか消えたしなぁ。

 なお、発売前のウワサでは「1での選択が2に影響する?」とかなんとかあったけど、これはウソくさいし。
 2内部での選択で、エンディングが変化したりするんだろうか。
 なんにせよ……ゲームとしての魅力という点で、2は1より下。己的には。
 っつーかさ、ヒートがパーティ・インするのがラスダン直前って……ヒートファンにはものすごく寂しい気がする。
 一枚のディスクに納めるゲームとしても、もしこれだけなら、あくどい金利主義以外のなにものでもない。
 たとえばこれで、選択肢によって進むルートが完全に異なり、全く違う展開、別のダンジョンにも入るとかいうなら分かるけど。
 ジナーナとルーパにもう一度会えたのがせめてものマイ救いか……。



2005年1月30日(日)

 ショーック……。
 1/27発売のルパンマガジンに、大沢在昌の書いた小説ルパンが載ると言われていて、ものすごく楽しみにしてたのに、載ってないよママンT□T
 しかも、今回は間に合わなかったが次は云々、といった告知もない。
 規格立ち消えか? 書けないってのか?
 どんな大作家でも実力のある人でも、書かなかったら、私以下だ。
 どんな大したことのないものでも、書いただけ私のほうが上だ。
 頼むから、少しくらい遅れてもいいから、国内ハードボイルド小説ではされなりに知名度も実力もある大沢ルパン、見ーせーてーけーれーッ!!



2005年1月31日(月)

 21日分の続き。熟成させてみようとして、ますますワケが分からなくなりました(滅
 そもそも「好かれる」「嫌われる」ってなんだろうとか、何故好かれたくて何故嫌われたくないのかとか、そんなことまで考えていったら果てしなく……。

 たまたま先日、相談されたことともつながるのだけれど、「嫌われてもいい」と思い切るかどうかで、過ごしやすさはいくらか変わる気はする。
 もちろん洗面的に嫌われるとなると、相手の近くにいるだけでストレスになるから問題だろうけど。
 いつも、どんな部分も好きでいてもらう必要はない。
 あいつああいうとこは嫌いなんだけど、他はおおむね好き、とか。
 ムカつく時もあるけどけっこういい奴たよ、とか。
 そういうレベルでいいわけで。

 特にwebに関して言えば、すぐ傍にいていつでも嫌でも顔合わせなければならない相手というのはいない。嫌われてしまうと仕事が・生活がうまくいかなくなるということもない。嫌われずにいれば利用できるということもない(露骨な言いようだが、リアルでは当たり前にみんなしているだろう?)。
 それなら、リアルよりもっときっぱりと、嫌いな奴には嫌いな奴用の対応で充分だという気がする。
 それでもこちらは大人の対応を、と思う人はそうすればいいけれど、私は、こちらへの好意も配慮もない、自分の言いたいことを言ってくるだけのメールなどには(いちいち言うまでもないことだが、SSなんかで面白かったとか楽しんだというなら、言いたい放題言ってくれれば嬉しい。それがどんなに読み手独特の楽しみ方・解釈だとしても、その人の頭の中の品物は、その人だけのもの。こう読み取るべき、なんて冗談じゃない)まともに相手をしてやる気はない。
 たとえば注意や意見にしても、私のことを思いつつ書いてくれているものか、単に自分とは食い違っていて、そこから生じた苛立ちとか腹立ちをぶつけてきているだけなのか、そんなものは見れば分かる。
 私は、好意をくれる人には私の持てるかぎりの好意やサービスで答えたいと思うけれど、そうでない人にいちいちいい顔する気はないのだ。

 ―――とまあ、思い切ってしまうと、楽になる局面もある。と思う。


Made with Shibayan Diary