烏の足跡



2005年1月1日(土)

 あけましておめでとうございます。
 本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 というところで、佐藤愛子のエッセイを読んだ。
 少し、イヤなツキモノが落ちた気がした。

 具体的なことは書かない。
 けれど、あらためて思ったことを。

 人間、誰も聖人じゃない。
 完璧な人間なんていない。
 絶対にどこかに欠点がある。
 間違うこともある。
 そういう人間に触れて生きていれば、腹が立つこともあるし、傷つくこともある。
 こうしてくれればいいのにとか、なんでこうしてくれないのとか。

 「理想的な完璧人間」を、求めるからツラい。
 自分にも、他人にも。

 間違うよ。
 そうすべきでないこともするよ。
 うまくできないよ。
 分からないし理解しないし考えないし。
 分かっているのに分からないふりさえして。
 分かると面倒だから考えないことも多々あって。
 ムカつくし気に障るし信用なんかできないし。

 でも、だから、なんなわけ。
 それが当たり前の人間。
 理想どおりにはいかない。
 なのに理想を求めれば、至らないところばかり目について腹も立つ。
 先日分にリンクするけれど、至らないところを注視してばかりいないで、できていることをもっと評価して認めないと、ツラいばかりだ。
 人間なんだから、欠陥・欠点あるのは当たり前。だから、間違ってもいいよ。間違ったことをもしすまないと思ってくれるなら、それでいい。もし、間違っているのにそうと気付かないとしても、気付けないというのも一つの欠点。
 自分を振り返ってみた時、自分では気付いていないところに、とんでもない欠点や欠陥が絶対にないと、誰が言えるのか。
 ああしてよこうしてよこれはやめてよ、そうやって理想ばかり押し付けないで、そんな欠点まるごと、付き合うほかない。それならそんな欠けた部分ごと、受け入れる大きさを自分が持ちたい。



2005年1月2日(日)

 もっそりDVD借りてきた。
 ヴァン・ヘルシング。
 マッハ。
 シー・ビスケット。
 アンダーグラウンド。
 仕事続きで暇な時間はあまりないが、まあ、ゲームせずに映画見ててもいいだろうと。

 そういや。
 ハウルを見に行ってきた。
 ……ビミョー。
 キムタクの声は予想外にかっこよかったけど、それだけ?
 オチもいわんとすることもなにもかもが中途半端で、ナウシカとかラピュタとか見た時みたいな、心に残る・感動するシーンというのがまるでなかった。
 面白くないとは言わないけど、美輪サマのお声はステキだったけど(ぉぃ)、キムタクの声も良かったし、バイショウさんの声もよかったけど……。
 映画館で見る価値は、ない気がした。

 明日からは、上記映画の感想でも書き付けると思われます。



2005年1月3日(月)

 ヴァン・ヘルシングから見た。
 まあ面白かったと思う。
 でも、あくまでも個人的な好み(ツボ)の問題だけど、「すげーっ、かっこえーっ」とか、真剣に見入ってしまったとか、考えさせられたとか、そういうことはなかった。
 カールはいい味出してたけど。アナはスタイルが……(ハァハァ

 また何回も見ようとは思えなかったけれど、借りて見たなら別に損したのは思わないし、映画館で1500円くらい払ったとしても、まあこんなものかというレベル。
 今日はこの後マッハを見よう。



2005年1月4日(火)

 今日はマッハの話。
 ストーリーとかは、まあ先の見える極普通のもので可もなく不可もなく。
 けどムエタイアクションがかっこよかったので、この映画の最大のポイントはばっちり楽しめたと思う。
 変に形を決めすぎない戦闘シーンとか、CG合成とか一切していない本物の超絶アクション(人間の肩や頭を踏んで向こう側に逃げるとか、ものすごい狭い隙間を走ってきたまま側宙してすり抜けるとか)とか、主人公・ティンの躍動を堪能した。ムエタイも……あれは振りが決まってるからでしかないとは思うものの、飛び上がっての回し蹴りで、それをかわされた後、着地もせずにそのまま逆の足で蹴るとか、とにかくバランス感覚の優れたアクションに驚いた。

 さて、今日はこの後、シー・ビスケット。
 ちなみに、1.19発売の「ゴッド・ディーバ」を予約してきた。
 あのB級まっしぐらで全力投球しきったみたいな、SF+ファンタジー(神話)の特異な世界を眺めているだけでも楽しそうだな、と。
 変に大作で「面白くないことはなさそうだけど」というものより、こういうもののほうがつい買ってしまうし、ハズレたこともほとんどない。
 ……はっ!? ただでさえゲームだなんだと多いのに、また金使うのか己(自滅



2005年1月5日(水)

 シー・ビスケット。
 実話を元に映画化したんだっけ?
 ともあれ、面白かった。
 こういう地味な展開の話はとにかく苦手な私ではあるものの、競馬シーンが素敵。全力疾走する馬の、あの細い脚でどうやってこんなに速くと思えるようなフルスピード。ホントに、あれで一瞬でも脚の運びが狂ったら転倒→骨折→殺処分、なんだから……。走る芸術と言っていい。
 競馬というギャンブルには興味ないけど、競争馬は好きな私であるからね。

 ストーリーもシンプルで、役者の好演に引っ張られている感じ。
 株価の暴落で、それまでの財産が一気に消えうせたその時代、三人の男と一頭の馬が出会う。
 一人は、資産家で株価暴落による大恐慌後もそれなりの財産をたもてた実業家。ただし、愛する一人息子を事故で失い、その痛手から妻とも離婚してしまったハワード氏。この人は間もなく、優しくて美人な後妻を見つけるけれど、なにか満たされないような思いを抱えている感じ。時代の暗さにいつも触れているせいか、どうしても前向きになりきれないというか。
 一人は、たぶん馬を愛する人。スミスさん。最終的には調教師ということになるんだけど、暴れる馬を落ち着かせたりする名人で、単に馬を愛し理解し大切にしている人って気がした。この人は、それまでの馬車の時代から自動車の時代に入り、馬という生き物を生活の一部にしていた過去から取り残されたような感じなんだろうか。
 一人は、もとは資産家(学者かもしれない)の家の長男で、なんとなく乗馬が好きだった青年。けれど大恐慌で家は破産して住むところもなくなり、草競馬の馬主かなにかのところに預けられてしまう。必ず連絡するといった父親から連絡もなく、いつもなにかフラストレーションを抱えているような。自分のエネルギーと才能を爆発させる場所を求めて息苦しがっているような。
 最期の一頭は、小柄であったがために競走馬としては見てもらえず、「ちゃんとした馬」の調教のためにわざと負けさせられたりしていた馬。本来は穏やかで、むしろ怠け者といえそうな性格だったのに、そのイライラと憤りでものすごく気が荒くなってしまい、ますます騎手も見当たらなくなっていた。

 この、何故か馬を見る目はたしかなハワード氏夫妻が、見事だけれど足を骨折してしまった馬の世話をしているスミスと出会い、そして馬のシー・ビスケットと出会い、騎手のレッドと出会う。
 そうして、お互いに癒し癒されていく物語。
 お先真っ暗で明日も見えない時代に、小さいくせにとんでもないガッツのある馬がいた。一頭で走らせるとさして速くないのに、前に別の馬がいると、負けてたまるかと本気を出すようなヤツ。
 負けて、そこでやめてしまうのか。それともまた闘うのか。一度、ウォーアドミラルという名馬(これはもう非の打ち所のない名馬)に負けた後、馬主のハワードがそう言って演説する。それは、その時代に生きていた人の闘志を掻きたてる。
 なにか……力強さを感じさせてくれる良い映画でござんした。

 以下はバレなので白。
 ハワード氏はたぶん、レッドを失った息子のように見ているんだろうな。
 バレバレの嘘で「金を貸してほしい」というレッドに、「いくらだ」と聞いて、「10ドル」と言われて20ドル札を渡す。「とっておきなさい」と。無条件に自分を愛し、受け入れてくれる父親的なハワードのおかげで、レッドもずいぶん癒されたろうなと思う。

 それに、ラストが良かった。
 ウォーアドミラルとの再戦時、レッドは怪我をして乗れなくなってしまう。その時、レッドはライバルのジョージを騎手に推して、辞退はさせないでくれと願う。
 ジョージはクレバーな騎手で、レッドたちの助言を堅く守って、見事にアドミラルに勝利する。
 それを聞いて、またその後を見ていたレッドは、ものすごく悔しい。本当なら賞賛を浴びるのは自分だし、ビスケットの相棒は自分なのに、って感じで。
 それで、怪我がまだ治りきらないのに、無理をしてレースに出る。けれど、隣の馬との接触なんかで足は痛むし、力が入らないとたぶん馬の緊張感もうまく高まらないのか、ドン尻。
 その時、一緒に出走していたジョージが、馬を抑えて(手綱をしぼっている)わざと横に並んでくる。シービスケットを走らせるためだ。競り合う相手がいると俄然やる気になるビスケットのために、わざと横に並んで刺激してやる。
 そこから、一気にトップに踊り出ていくんだけど、このジョージがかっこよすぎだ。一つの勝負の勝ち負けより大きなものを、レッドとビスケットが背負っていることでも感じてたのか、もっと単純に、友達を助けてやりたかっただけなのか。
 なんにせよ、ジョージの意図を読んだところからワクワクした。これでコイツきっと走るぞ、と。展開は読めているけれど、前にいる馬をゴボウ抜きにしていく様は爽快。

 ただ哀しいのは、私には序盤、ハワードさんとスミスさんの見分けがつきませんでしたが!?ってこと……T△T
 あとになって考えて、「あのシーンはハワードで、こっちはスミスか」とか分かる程度。……見分けつかねぇんだよ似たような年で似たような髪の色で似たーなツラしてっからっ!!



2005年1月6日(木)

 誰からも嫌われない人は、誰からも本当には好かれないような気がした。
 誰かにものすごく嫌われる人は、特定の誰かにはものすごく好かれるだろうとも思う。
 これは、音楽の話をしていてのこと。

 ハードコアやデスメタル、スラッシュメタルというジャンルのバンドは過激なことを歌うし、それをそのまま私生活で実践気味の人もいる。
 人種差別バリバリとかね。
 たとえばその人種差別のことを例にとると、曖昧に、「別に嫌う必要なんてないじゃない」と言ってるかぎりには、大したシンパは得られないのだ。むしろきっぱりと白人以外はクズだとか言ってしまえば、強烈なシンパが生まれる。それが正しいとかどうとかは別の問題として。

 誰からも嫌われないためには、なにも否定しないというスタイルがいい。
 けれどそれは、なにも肯定しないということでもある。「このCDいいよね」を肯定してしまうと、「そのCDはクソだ」と思っている人を否定する仕組みになるから。
 つまり、誰にも同意しないということでもあるのだ。
 つまり、誰からも同意されないということでもある。

 時々、誰かに好かれるのは恐ろしいと思うこともある。
 優等生の悲劇にも通じる。「優等生の悲劇」というのは、いつも100点をとっていると、100点をとって当たり前になってしまい、どんなにがんばって100点をとっても誉めてはもらえず、90点をとってるのに「どうして90点なの」と責められかねないということ。逆に劣等性は、いつも40点しかとれないものが、たまに70点とっただけで、「なかなかやったじゃない」と思ってもらえる。「おまえもやればできるんだよ」と言ってもらえる。
 人に好かれるというのもその仕組みで、相手の理想(ワガママ)をかなえることで人に好かれていると、ほんの小さなことで失望されたり非難されたりしはじめる。「こういう人だと思わなかった」と。
 そんなくらいなら、攻撃・排除されない程度に嫌われていたほうがよっぽど気楽だ。気侭でいられる。好かれようと思わなければ自分でいられる。

 自分が本当に好きな人に嫌われさえしなければ、それでいい。
 そう。
 私は、自分の好きな人にさえ嫌われていたほうが気楽だと思うほど、寂しい生物ではございません。



2005年1月7日(金)

 いささか腑に落ちないことの話。
 新聞には毎日、奈良の女児誘拐殺害事件の犯人についての欄がある。
 読んでいると、たしかにこりゃイッちゃってるヤツだなと思うんだけど……。
 なんというか、その犯行に関わる言動についてならば分かるんだけど、虚言癖があって、同僚には妻子がいると語ったりしていた、とかなんとか書かれている、これがよく分からない。

 犯人の人格を、そんなところまで書くのはなんのためなのか、と思うのだ。
 なんか、ほとんどゴシップ誌みたいな気がしてならない。「こういう変な奴なんだぜー」と暴露して面白がっているような。
 「虚言癖があり、自分の性向を誤魔化すような発言を多々していた」、程度ではならなかったのか? なんで、妻子がいるとか娘が一人とか二人とか、遊びに来るときはくしカツ持たせるとかなんとかかんとか、そんな細かいことを書くんだろうね。
 新聞には(一応)嘘は書けないから、「ロリコンであるのを隠すための発言をしていた」とは書けない。あからさまにそう見えても、断言はできない。嘘は書かない・誤った情報は載せない、を徹底すればね。そもそもロリコンってなんなのかとか、本当にそういうつもりで嘘をついていたのかとか、そんなものは本人にすら分からないことなのかもしれないわけで。
 だから、「こういうこと言ってたと同僚が言ってますよ」というものを書き連ねて、読む側が勝手に判断するのに任せてるのかもしれないが……。



2005年1月8日(土)

 急になにを思ったか、PS「マーメノイド」プレイ中。
 万人ウケは絶対にしないだろうと思われつつも、私のお気に入りゲームの一つである。
 連撃のシステムが面白いから、つい引っ張り出してしまう。あとやっぱ世界観かねぇ。
 そーしてつくづく、私は薔薇より百合が好きだと思うのであった(死

 これもまた、今の技術で作り直してほしいものの一つ。
 映像も、99年では世界のゲーム映像のなんかの3位に入ってるとかいうが、今から見ればなんじゃこりゃ。
 モーションの少なさは容量の問題だろうし、もし今作り直せば、もう少しパターンを増やせるはず。
 テンポは……あえて私は、ほぼ元のまま希望。
 古いオペラというかミュージカルというか、もったいつけた台詞回しに、台詞の間にいちいち踊ったりポーズとったりする、このままがいい。
 もし普通のRPGみたいに動いてしまったら、それはそれで、一つの大きな美を失うことにしかなるまいよ。



2005年1月9日(日)

 映画「アンダーグラウンド」。同名のものもあるのでことわっておくと、ケイト・ベッキンセール主演の吸血鬼vs狼男のほう。
 ……微妙。
 ガンアクションもなにもかも、微妙。
 ホラーとしても恋愛ものとしても微妙。
 実は犯人あの人でしたもありきたりすぎ。いっそ嘘じゃなく本当に恩人だったほうが絶対良かった。それでも、恋人をとる、と。

 そのほうが良かったと思うんだよな。
 かつて引き裂かれた恋人たちのルシアンとソーニャ。ルシアンが、自分にはかなえられなかった望みや思いを託すなら、いっそ、恩人であるビクターと、セリーンが戦わなければならなかったほうが良かったかと。
 ビクターに唯一勝てる存在、ビクターを殺した存在を、それでも愛せるのかどうかとか。
 それにからめたほうが物語としては私好みかも。



2005年1月10日(月)

 「ごめんなさい」とか「すみません」とか、言うだけでなにも変わらない奴は嫌いだ。
 今、その時、うまくいかなかったことについて、素直に謝るのはいいけれど、いつまでもそのままで少しも変わらず、謝ればそれで終わってしまうのは冗談じゃない。
 謝らなくていいから少しはマシになれ、人と同等にできなくてもいいから、自分にできる本当にぎりぎりまでやれ、と言いたくなる。
 仕事のことだけどね。
 謝るばかりでなにも変わる気も変える気もなく、「ごめんなさい」を免罪符にされちゃたまらない。
 仕事以外のことでも、同じように思うことは少なくない。



2005年1月11日(火)

 マツケンならぬナベケン様の「仕掛人 藤枝梅安」をレンタル中。
 渡辺謙サマですよ。
 仕事中に見つけてしまい、つい。

 でもあれですな。
 ナベケン様はかっこいいし、体が大きいところとかも梅安に合うけど、なんであの人はどーしてもあんなに不良っぽいんだろう。
 さいとうプロが劇画化してるコミックスも持ってるんだけど、あれは原作にかなり忠実で(ところどころ違ってはいるが)、もう少しぬぼーっとした顔してるような、とは思いつつも、「ああ、池波作品のヒーローらしいなぁ」と思って読んでる。
 しかしこのTVドラマ(と思われる)版、ナベケン梅安は、脚色のせいか、どうにも……。
 ホントに不良っぽすぎる。なんというか、がらっぱちで感情表現もはっきりした、不良中年。もともとの梅安はもっと落ち着いていて野太い雰囲気なんじゃないかと思わずにいられない。もう、完全に別の梅安。
 それはそれで、別ものとして見るわけなんだけどね。

 やっぱりナベケン様は政宗と斬九郎……。
 ラスト・サムライみたいな抑えた人格と演技をしてくれれば、梅安もに合うんだけどなぁ。でも少しいい男すぎるから(斬九郎原作の「二枚目を自分で崩したようなところがある」という叙述にピッタシだ)、むしろホタテマン(安岡力也さんだったっけ? 顔は出てくるんだが名前が……)とか勝新のほうがハマる(ハマッた)かも〜。ごつくって大きくて見掛けはすごく恐持てなんだけど、いい先生。よかよか★(←何

 ちなみに、時代劇大好き人間の私としては、マツケンサンバで松平の健サマが売れてくれるのは、とても嬉しいのであった。暴れん坊将軍は、私の土曜のヒーローだったもにょ。なのになんでレンタルビデオないんだろう。謎だなぁ。
 銭形平次もうちの店には一本しかないんだよなぁ。しかも橋蔵版の長編のみ。鬼平はあるのになぁ。
 水戸黄門もなんで第一部と第二部だけしかないんだろうなぁ。お銀参入の部とか飛猿参入の部とか、あるいは二人、助さん格さんそれぞれがメインに活躍する回だけをピックアップしたオムニバスとか……なんでないのかなぁ。ちなみにうちにはたぶん、飛猿が桃太郎と間違えられる回を録画したのがどっかにあるはず。てへ★
 っつーか斬九郎の第一シリーズDVD化してくれないかなぁ(←また言ってる
 隠密同心とか長七郎江戸日記のTV版とか、見たいのいくらでもあるのになぁ。



2005年1月12日(水)

 スパムとかあやしげメールが一日に10通近くも届いていると萎える……。
 しかもそのテのメールしかないとなんだか切なくなる……(笑



2005年1月14日(金)

 昨日は新潟で雪下ろし手伝ってきました。ちゃぶかったデス。

 そして今日のバイトでつくづくと思ったこと。
 社員にNさんという人がいる。この人はなかなかの出世頭なだけあって、しっかりしててちゃんとしてて、いろんな正しいことを知っていて、それに違和感など特に感じずに実行できるような人だ。
 特に仕事上でも人間性の上でも、欠点とはっきりと言えそうなところは見当たらない。
 が、人間的な魅力はなにも感じないのである。
 マネージャーという立場上、人を評して使う必要もあるのだけれど、その人物評を聞いていれば「なるほどな、たしかにな」と頷くことばかりなのだが、「この人は人を見る目のあるすごい人だぞ」とは感じないのである。
 仕事上で付き合うなら、とりあえずこの人の言うことを重要視すればいいだろうとか、トラブルの対処なんかはこの人に聞くのがいいだろうとかは思うけれど、力になってあげたいとかは、まるで思わない。
 分かりやすく言えば、「友達になりたくない」「一緒に飲みに行きたくない」、そういう人物なのである。

 しっかりしててちゃんとしていることは、人間的な魅力とはあまり関係ないってことか?



2005年1月15日(土)

 ファミリー○ートで売ってる弁当「三種の鶏丼」。
 食べた友人と私が同様に思ったこと。
 なんでこうも甘い味付けばかりなんだよ( ̄д ̄;


Made with Shibayan Diary