烏の足跡



2004年11月16日(火)

 愛はどこに住んでいますか
 どこに行ったら買えますか
 誰に言ったらもらえますか

 愛はどんな私が好きですか
 どんな私に来てくれますか
 どんな私を抱きしめますか

 愛っていったいなんですか
 私の胸にもあるものですか
 貴方のそれは愛なのですか
 貴方は愛を知っていますか



2004年11月17日(水)

 いつだってそこにある
 百%でなくていいなら
 誰でも必ず持っている



2004年11月18日(木)

 キン肉マンU世(プレイボーイ)の話。
 連載再開されたと思ったら、呆気なくケリのつく若大将。なんじゃこりゃ、とちょっと、いや、かなり気落ちしたけれど。
 ……いいのか、あの展開……。
 そりゃあねぇ、楽しみだけどさぁ。
 個人的には、夢のタッグランキングでおなかいっぱい。
 スカー&ケビンがあれだけ低い(低くはないが)のにはちょっと驚いた。もっと上でも良かったと思うんだが。
 肉兄弟タッグは……あれは最強でしょう、やっぱし。



2004年11月19日(金)

 久々に、話を書いてて自分が盛り上がってる。
 なんとゆーか、キャラクターを書いててなら珍しくはないんだけど、「話」そのものでテンション上げてる感じ。
 人様にとってどうかはともかく、自分では楽しくて楽しくて仕方ないと言ったらいいか。
 PSOの、今書いてるヤツなんだけど、キャラクター性をいかしつつ物語自体になんとか面白さを、という感じに書いてる。ハラハラドキドキしながら読んでもらえたらいいよなぁ、と。

 原稿用紙にして二十枚分くらいの分量は書いた後で、なんかイマイチだと思って消す、というのを三度ほどやってる。
 けっこう思い切りがいる。
 手抜き・気抜きのものはできるだけ置きたくない、という矜持のもとにこの巣を作っているけれど、それでも、これだけの分量をすっぱり諦めてまで、より良いものがないかと探して書き直すのは、やはりあまりない。
 正直、金とって見せてるわけでもなし、クォリティに苦心したって自己満足からは決して出られない。だからいつも、「これくらいならまあいいか」と思えるところが妥協点なんだけど、今回はそれが高い。

 細かいところはいいんだ。そんなとこ実は見てない。
 ただ、物語のテンションというか、なんというか。
 クォリティなんて客観できなくて、これも人様が見たら別にいつものとなんにも違わなかったり、それどころか別に面白くもなんともないのかもしれないけれど。
 自分の中で、かなりノッてるわけでつよ。

 サスペンスとかミステリーって、作者が結末とかオチ、キモの部分を知ってるから、客観するのが難しい。
 読んでる側が「え? どういうこと?」「これからどうなるの?」「どうなっちゃうの」とハラハラしてくれないといけないんだけど、それがうまくできてるのかどうか、ものすごく分かりづらい。
 これは、キャラ萌えを刺激すればいい話とは全然違う。
 PSOでも、ラッシュならこういうところだろうとか、ガッシュならこういうところだろうとか、タイラントならとか、「キャラ萌え」のためのツボはある。それを利用すれば、簡単にそこそこ面白がってもらえる話にはなる。これはホント簡単。
 けど今書いてるものには、それプラスαがほしい。こういうキャラが動けばこその話ではあっても、ストーリーの展開自体を楽しんでもらえるものになったらなぁと思ってる。

 PSOとゆーと、うちの巣にある話で誰にでもオススメしたい、読んでもらえるだろうと思えるのは「Nightmare」しかない。これは前から何度か言ってるけど、あれだけは、人間性そのものみたいなものを、PSOというゲームを題材に書いてるだけみたいなもんだから。
 公式BBSでも好評をもらえて、ものすごく嬉しかったし、自信の源にもなった。私にとっても大事で、いつもこれくらいの書けたらなと思うようなモノだ。
 以来、ほとんどがキャラ萌え主体で書いてきて、それは他のジャンルでもほぼ言えることで、ストーリーとかテーマ主体なんてのは珍しい。「睡る月」は物語重視だけど、他にはいろんなジャンルの中に一本とか二本、あるかどうかで。
 だから久々なのだったり。物語手繰るのが、その中に織り込んだキャラ動かすのが、これだけ楽しいのは。
 ぶっちゃけ、今実家にいなかったら(親の目なかったら)、180%仕事休むね。で、徹夜してでも徹朝・徹昼してでも書きつづける。
 まあでも、否応なく仕事に行く、その間の抑圧がうまい具合に働いていると言えないけでもないんだけど。

 とかなんとか、自分では盛り上がってるけど、こんな目論見が上手くいってるのかどうかなんか知らない。案外つまんなかったり、すぐネタバレして先が読め読めで、先が読めても面白いならともかくつまらなかったり、するのかもしれないけど。
 まあ、気にしない。
 そんなこと気にして書くのがつまらなくなるのはバカらしい。
 私が楽しい。
 だから、書く。
 一年くらいして冷静に振り返るとつまらなさ加減に消したくなるとしても、今楽しい。
 これが肝心なのだ。
 うるせえよおまえらの知ったことかよ、と自分の楽しさだけ可愛がって、フル投球する感じに、楽しい自分を全力で、わき目も振らずに楽しむ。(←たまに、自分の作るもの自体を、好きなはずなのにつまらなく感じたりしてしまうかたへ、こっそりと。こういう気持ちの有り様は、あなたの心のもやもやを、少しくらいは晴らせないでしょうか)

 で、もしそれを読んで「面白かった!」と言ってくれる人がいたら、今のところの私の人生では、それが一番嬉しくて幸せで、生きてることがスバラシイと思える瞬間で、その人はその瞬間、私の最愛の人になるのだ。
 安直でもいいさ。お調子者でもなんでもいいさ。
 私はまだまだバカになれる。
 「バカになれなくなったらそこから先は余生」。これが私の人生訓。だから私はまだ、余生を送ってはいない。ここに生きている。これはスバラシイことなのだ。



2004年11月20日(土)

 不肖・宮嶋さんが好きだ。
 なんというか、等身大のワガママと常識と非常識とを、照れたり恥じたりせず(本人はしているのかもしれないが)真っ向勝負で投げてくる。
 投げかけてくるとか、問うてくるのではなくて、投げっぱなし。
 相手(読者など)が受け止めるかどうかは、あまり問題にしていないように思えて、そこがとても好きなのだ。
 俺個人になんか文句言う前に、おまえらにはどれくらいたしかに言えることがあるんだよ、と言い返してきそうな不肖・宮嶋さん。
 報道カメラマンです。
 ミリタリーオタク?
 まう、そういう面もあるとは思うけど、「空爆されたらサヨウナラ」とか、非常に面白い。



2004年11月21日(日)

 メルいただいて考えたこと&思ったこと。
 返信も兼ねてるっぽいけれど、もっと多くの管理人さんに対して、問い掛けてみたいこと、語ってみたいことでございます。
 今月末にも似たような内容のザレが出るけれど(つまりもう書いてあるけれど保留しているのだ)、前哨戦ということで(謎

 ショージキなとこ。
 この巣に来てくださるお客様には、ランクがある。
 あってしまう。
 偽善をとっぱらえば、みんなそうだと思う。
 特に大好きで大切なお客さんというのが、存在する。
 やっぱりね、いろんなジャンルのもの読んでくれて(あるいは苦手ジャンルだから手がのびないけど読みたいとは思ってくれて)、ザレも見てくれて、気にかけてくれ、しかも声までかけてくれる(頻度はまるで問わず)。こういうかたがたは超VIPです(笑
 毎日でなくてもいいけど、ふと気が向いたら覗きに来てくれて、年単位で付き合いのあるかたとかも、そりゃあ大切です。大好きです。当たり前です。
 こういうVIPなかたがたに比べたら、ハナから自分の好きなジャンルの小説しか見る気を起こしてくれない人は、確実にワンランク以上下です。当たり前です。キレイゴト言わなければ、これが本音です。
 好きジャンルしか見ないにしても、根気良く更新を待ちつづけて一年とか経過したかたは、やはりお得意様です。思い出した時に見に来て、更新されていないとすぐ立ち去るにしても、ないかなーと求めて来てくれているかぎりにはホントにありがたい人です。
 反面、間もなくお気に入り登録も消して、とっとと諦めてもう来なくなったような人は、一度も来なかった人よりは上というレベルでしかありません。
 上っ面の失礼とか無礼とか恩義とかなんとかかんとか忘れて素直になれば、私にはそうです。まあ、下ランクのかたはこのザレ見てるわけもないんで、安心してこういうこと言えるんですが(笑
 こんなザレを来るたびに覗いてしまう貴方は、充分にお得意様です。

 この巣は営利目的ではないんで、お客様あってこそのもの、ではまったくありません。
 できるだけたくさんのお客様を呼び込まないと立ち行かないわけではありません。完璧にありません。完膚なきまでにありません。
 ぶっちゃけ、誰一人見に来てくれなくても存在だけは可能です。全ての無料公開サイトがそうです。誰も来ないと管理人が凹んでやる気をなくすだけで、存在だけなら、お客さんなしでも半永久的に可能なわけです。
 その点からしても、優先順位は明らかです。顧客の満足以前に、運営のしやすさが大事、オーナーの過ごしやすさが肝心。それをムリムリと削ってまでサービスしクレーム処理しないといけない場所では、完全にないわけです。
 私なんぞは、千人のライトユーザーより十人のヘビーユーザーを満足させられれば、それでもいいんじゃないか、とか思ったりしました。メルいただいて、つらつらと考えて。

 正直にいきましょーよ。日頃の建前はともかく、今ここでは。
 頻繁に更新しないと「もうどうでもいい」と来なくなってしまう人喜ばせるためにせっせと更新したって、なんか虚しくないですか。そんな人のために自分がストレス抱えてまでがんばって更新しようと絵描いたり小説書いたり、ホントにしたいですか。
 私は、自分の答えが「NO」だと気付きました。いや、心の中にはとっくに存在してたそういうエコヒイキな本音を、認めることにしました。
 待てない人は来なくなってもいいです。さして私のことも私の書くものも好きじゃないってことですし。そんな人を大事に大事になんて、するわきゃないっスよ、私わ。そんな被虐趣味も博愛精神も存在ませんマイハート。
 そりゃできればファンは増やしたい、たくさんできたらいいなと思いますけど、自分の実力相応の数しか持てないものなんだと思えば、増やそうと考えるだけ無駄ですしね。なのに媚び売ったって仕方ない。媚びにひっかかってくるような人なんて、結局はにわかファンで、すぐに離れるだろうとも思いますし。都合悪くなったら、どころか、都合が良くなくなったらとっとと消えます。自分のワガママなオーダーがかなえられないとソッコー消えます。そんなもんです。
 こーゆー、自分の萌えさえ満たされればいいという下位ランクの人のために、あれこれ苦労しません。してやるもんですか。してやらないともさ。おうともさ。

 好きジャンルが更新されてなくても、ザレ見に来てくれたり。原作知らないのに覗いてくれたり。あるいは、もうホントに根気良く、好きジャンルの更新を待っててくれたり。そういう高位ランクの人のが確実に大事です。その辺は私も人間ですので、超エゴイスチックでございます。同じ人間に文句は言わせませんことよ?
 で、そういうかたがたも当然、自分の好きなジャンルのものが更新されること、期待はしておられると思います。けど、必死こいて「更新しないと」なんて思わなくても付き合ってくださって、今もまた、ここ見てくれているんだと思います。
 だったら、「更新すること」自体に必死になる理由なんて、なーんもないわけですよ。
 離れていくならそれまで、その程度だってこと。そんな人は知りません。サヨーナラー。
 食らいついて離れないステキなVIP様が、「これぞRAVEN節!」とか「またこいつ相変わらずアホやね〜」と、私らしいと納得してくれるようなものを書くことこそが、私の返礼です。そういうものを根気良く待てるかただけがVIPになれる、と言ったほうが正確かもしれませんねぇ。で、VIP様の愛には、愛をお返しするのです。そりゃあ無尽蔵に分け与えるほどは存在しない私の愛ですから(そもそも存在するのかどうかもあやしいが、あるにはあるっぽいよ?)、発現は稀ですけどね。でも、たとえば塾更新するでしょ。その時に「ああ、○○さん読んでくれるかなぁ。読んでくれたらいいなぁ。楽しんでくれたらいいなぁ」と思います。もう名指しで思い浮かべるかたがたが存在します。愛してるんです(←いや、そんな愛いらないと思う……

 それに、自分で言うのはめちゃくちゃ恥ずかしいんですが、「ファン」に近いような存在。どうしてできてくれたのかなと思えば、それは「私だから」でしょ。
 どんなアホでもバカでもクズでもなんでも私は私。私はこの巣で、品物・ザレを通して「私」を表現してきました。意識するしないに関わらず、全てが「私」の断片であることは間違いありません。
 そういう「私」になんか引っ掛かってくれたからこそ、長いこと傍にいてくれてるんだと思うんです。
 だったら、私は私でありつづければいい。
 いつか、自然に変化していく私を、みなさんが嫌いになったり飽きたりする、それは仕方ないと諦めて(明らかにきわめて)、私は正々堂々、私でさえあればいい。
 ともすると、それだけが、VIP様をこれからもつなぎとめておける力なのかもしれません。この辺は確信なんかありませんけどね。そうかもしれないって程度で。

 真剣に取り組んでつくった作品であれば、必ず来てくれた人を満足させられるとも限らず。
 私にとっては手抜き・気抜きでしかないものでも、感動する人もいるかもしれない。
 だったら、受け手のことなんかあれこれ考えても仕方ないなとも思います。
 私は私。その私が存分に楽しみ、その楽しんだものを、とりあえずここに置きます。手抜き・気抜きは置きたくないというのは、見に来る人に失礼だとかいうカッコつけた理由もありますが、それ以前に、駄作を置いて「つまんない」と思われたくないっていう最大の理由が存在してます。せめて自分自身でくらい「こりゃスゲェぜ!」「きてますよ〜!」と思えるものを置きたいだけです。私にとって私のサイトが、つまらないものになるのだけは勘弁、なのです。
 冷静に見たらクォリティなんかかーなーり下でも、だったらいずれ我に返った時にでも撤去すればいいだけのことで、「楽しみまくった私の結果」をおりゃーっとここに並べます。
 もしそれを楽しんでくれる人が出たら、本望です。ホントに本望です。

 で、その高ランクのVIP様っていうのは、そこに置いてある品物以上に、管理人の味わいみたいなものが好きだから、来てくれるんじゃないかと思う私です。誰が書いたっていい、とにかくこのキャラ出てればいい、というんじゃなくて。この人の書く、なんかこういう味わいのあるものが好きだ、みたいな。
 VIP様は、管理人を楽しみに来てくれるんじゃないかなぁ、と。
 だから、その管理人らしさの出てないテケトーなもの・上っ面だけのものより、管理人の味と色が出たものを、少なくてもいいからちゃんと置くほうがいいんじゃないかなぁとか。
 つまりは、管理人自身がめちゃくちゃ気合入れてノリまくって楽しんだものっていうのが、クォリティは二の次にして、一番求められてるんじゃないかってことです。それにクォリティが重なったら、心に残るマイ・ベストにしてもらえるんじゃないかと。

 貴方は楽しんでますか? 自分のサイト。自分の創作。
 楽しみましょーよ。
 楽しむためにはじめたんじゃないですか?
 楽しむためにやってるんじゃないですか?
 他の誰かが楽しんでくれるかどうかなんて分からないんだし、だったらせめて自分だけでもサイコーに楽しくないと損じゃあないかと。
 私は、「私がサイコーに楽しんでるものをまるで楽しめない人は、別に来てくれなくていい」ということにしてしまいたいと思います。
 webサイトって、そういうもんなんじゃないですか?

 とかなんとか、ちょびっと(?)偉そーにあれこれ語ってみましたが、なにか拾えるものがあったでしょうか。
 「私はこうじゃないなぁ」という形でもなんでもいいので、なにかになれたら、やっぱり本望です。こんなとこを懲りずに(これはホントに、飽きずにというより懲りずにかと思う)読んでくれるVIP様に、私ができるほんのいくばくかのことですので……。



2004年11月22日(月)

 夢枕獏の「腐りゆく天使」
 石田衣良の「ブルータワー」
 「Good Luck」
 このあたりのものをざらりと読む予定&読んでみた。

 Good Luckは、……なんとゆーか、べつにそう大してひねくれているつもりはなくてもひねくれ者の私としては、有名になると読みたくなくなるという典型的な症状でもって回避していたけれど、クリスマス用に色違いの特装版が出て、つい。
 本文は、子供用の絵本なんかにできそうな、シンプルで教訓的なもの。
 白い騎士と黒い騎士がいて、それぞれに「魔法のクローバー」を探すのだけど、黒い騎士は傲慢で、白い騎士はいい人。そんな感じ。で、結局白い騎士がクローバーを手に入れるという話。
 ただ、運と幸運は違う、という考え方はいいかなと思う。
 本文の内容そのものに触れてしまうのはモロにNGなんでやらないけれど、この基本的な姿勢くらいは紹介してもいいだろお。
 この本で言う「運」てものは、本当のただのラッキー。寝ていて転がってきただけのもので、完全に偶発的にしか手に入れられない良いこと・もの。
 「幸運」は、自分がちゃんと下準備していたところに生まれる、ある意味、「成果」に近いもの。
 チャンスはいくらでも、いつでも転がっているけれど、それをものにするためには、それなりの用意がいるって感じだ。
 まあ、手軽に30分足らずで読めてしまうし、1000円しないし(税込み価格で1000円なんだが、消費税の端数を切り捨てると999円になる)、良いのではないかと。
 ちなみに私が一番頷いたのは、「書くのには八時間、考えるのには三年かかっている」というあとがき。これに加えて、「たった八時間で書いたのか」と思う人は黒い騎士系、「三年もかかったのか」と思う人は白い騎士系、とある。つまり、下準備に着目するか否か。
 どんなものであれ「書く」側である私には、ここが一番よーく分かった。



2004年11月23日(火)

 誰にだってマイナスはついている。
 それを埋めてプラマイゼロにするとか、プラスにするとか、それは違うような気がする。
 マイナスはマイナスのままで、それとは別に、プラスがあればいいじゃん?
 それじゃダメなら、俺こそあんたがいらない。



2004年11月24日(水)

 FF10と、いずれ出る12は、やってみてもいいかなと思う。
 いかにも女性ファン狙いましたみたいなキャラがいないから。
 けっこうFFシリーズについて、ゲームとして辛口に見ている人も、「10はゲームとして面白いと思う」と言ってるし。おっさんとオネエサマと獣がいて、二枚目半くらいの主人公にかわいいヒロインにギャルという構成なら……。

 12もねぇ。ブタ鼻めの主人公という時点でそれなりに惹かれ、モミアゲマンにちょっと心が動き、ウサミミさんもすごい美人ってわけでもないあたりにドキドキし、ヒロインはまあ普通にかわいいからいいかと保留。
 そんな具合に、あとは本当にただ、ゲームとして面白ければ、キャラがイヤだからという理由で蹴ることはない感じ。
 今のFFはRP・Gじゃないと思ってプレイする気でいるし。シネマティック・バトル・アドベンチャーとでも言うか?

 まあ、10はいずれ中古でと思ってる。
 面白いんだろうなということは、リサイクルソフトの在庫や動き方と、いまだに攻略本を買っていく人・注文する人がいることでも分かる。
 何年も前に出たゲームのくせにいまだに動きがあるんだから、これは名作と言って間違いないんだろう。それ以前と10−2はさっぱりなんだけどね。



2004年11月25日(木)

 「ブルータワー」面白い感じ。
 今まで石田衣良のもので「良かった」と思えたのは、私の場合は「うつくしい子ども」(たち、がついたかもしれない)だけだったけど、青塔はなかなか。
 9.11の塔のイメージと直結させて語るところには膨大な無理を感じてまるでダブらせることができないものの、物語部分が面白いからいいや。

 悪性の脳腫瘍で、あと1、2ヶ月しか生きられない主人公。
 腫瘍のせいで頭痛から昏睡状態になると、200年後の未来へトリップしてしまう。夢とは思えないリアルな感覚、つじつまのあった世界。
 そこには、「現在」の主人公を囲む人間模様と、そっくり似た人間関係もある。これはまあ、ファンタジーということでツッコムのは良くない。むしろ、「現在」と「未来」とで、本当の友人は本当の友人、心の中では逆な奴は逆な奴、という様相も呈している。
 「現在」では、妻は不倫してるし自分の命はあと僅かだしで、もう絶望するほどの気力もなく苦痛だけを共にして生きてるような主人公だけど、本気で心配してくれている友人やかわいい女の子もいたりする。
 それが「未来」にも映されているから、安心感がある。うむ、味方がいるってのはとてもいい安心感になってる。「現在」の会社でのプレインとも言えた男と、アタマはそう良くなくても活動型で頼りになる男が、「未来」ではアタマの切れる秘書と、タフなボディガードとして傍にいるのだ。それも、いきなり「未来」に放り込まれて混乱してる主人公が、身内的な雰囲気を感じ取ってやっと安心するあたり、とてもオイシイ。
 もとより愛なんてなかった妻とは別に、年下のかわいい女の子といい感じなのもとてもよろしい。
 救いがあるっていいネ。

 そういう「未来」世界は、インフルエンザから開発された死亡率のめちゃくちゃ高いウィルス(生物兵器)のせいで、ボロボロになっている。
 生きている人間は皆、2キロを越える高い塔の中で暮らしている。
 その塔も、デフォルメされたように過激な貧富の差などから、決して楽園ではなく、いつテロが起こるかも分からないような有り様。
 「現在」では死病に命を蝕まれている主人公が、「未来」で、塔を守るために戦うのだ。

 9.11を映しているのは、あからさまによく分かるが、それでも自然にダブるという感じでないのは惜しいところとして、楽しみに少しずつ読んでいる。
 一気読みしてしまうほどのパワーはないけれど、ちまちまと毎日こそこそと、ページをめくる楽しみがある感じ。

 9.11というと、「マイケル・ムーアへ」を買ってきた。
 戦場に送られた兵士から、マイケル・ムーアに当てたメールを集めた本。
 不肖・宮嶋さんのとこでも書いたけど、ぶっちゃけ、戦場を知らないままでどんなこと言ったって、しょせんは机上の空論でしかないよなと思う。
 逆に言えば、戦場に立って誰かを殺したり殺されそうになったりしている状況で爆発する感情は、善悪なんか超越した真実だと思う。敵国の兵士とかをクソ食らえと思うのも、憎むのも、なにもかも。そんなところで人類愛とか説いたってただの道化だ。
 もっとも、こんな「本」なんて、どこまでが真実か知れたものでもない。フィクションが混じっていないとは言えないけれど、それでも、一つの問題提起や疑問、思考の端緒にはなると思うのであった。



2004年11月26日(金)

 昨日分の記述について誤解が生じそうなので追記。
 「マイムル・ムーアへ」という本について「きっとこういうことが書かれているだろう」と分かる人には言うまでもないことなんだけど。
 この本の内容、すなわち兵士からのメールは、「ブッシュなんかクソ食らえ」であるよ。
 決してイラクに対する憎悪とかではない。
 むしろ逆に一個の人間として、テロリストは許せないが、戦争に関係のないイラクの人たちの助けにはなりたいと思っていたりしている人がほとんどだ。

 要するに、テロリスト=合衆国を攻撃してきた相手こそは憎いし、それと戦うことは誇りだとしても、このイラク侵攻&占領は、どう考えてもそういう意味には思えなくなっている、ということだ。
 はじめは、大義のため、正義のためと意気揚揚と出かけた共和党派(右翼)系の兵士も、戦場の現状(様々な準備不足や場当たり的な作戦、兵役の強制延期といったこと)を知り、また、マイケル・ムーアの著作や映画を見るにつけ、疑問や憤懣を覚えてきたという内容。

 昨日書いているのはね、イラク人側から語ったほうがよく分かるかもしれない。
 たとえば、ここに一人のアメリカ人がいて、兵士だとする。でもその人は別に、信仰についてああだこうだ言ったりしないし、生活の援助に従事してくれるわけだから、別に嫌いなわけでもなんでもない。それこそ、国籍・民族が違ったって、人間だもの。お互いの大切なものを否定しさえしなければ、異なる部分を持っていたってうまくやっていける。たいていの人は。
 けれど、アメリカ側からの攻撃に民間人が巻き込まれて、娘や孫を失ったとしよう。
 そうしたら、アメリカという国、アメリカ人という存在、それに荷担する者を、ことごとく憎んでも仕方ないとしか言えない。そこで、「全てのアメリカ人が悪いわけじゃない」とデフォルトに思える人もいるかもしれないけど、そこで「アメリカ人なんて最低、皆殺しになればいいのに」と言ったって、もう無理がない。そんなものはもう、善悪とか人類愛とかで語れるものじゃない、と私は思うということである。

 「マイケル・ムーアへ」を読んでいると、「合衆国を守るため」といった理由で兵役につく。無論背景には、金がもらえるから(奨学金とか)貧乏な学生が志願することが多い、といったトリックもあるし、そういった青いティーンをうまく取り込む募集官の存在もあるけど(キャッチセールスみたいに思われそうだが、そんな人ばかりではないはずと思いたい)、多少思い込みはあるとしても、「国のために立派な仕事をしてくる」というつもりになって、兵役につく。
 さて。
 今の日本でそういう志願兵制度があったら、どれくらいの人が志願するんだろう?



2004年11月27日(土)

 最近の、ざっぱんとすら言えない変な食い物。
 ポテトサラダ丼。
 まんま、あっつあつのごはんにひんやり冷たいポテトサラダを乗っけただけのものである。
 で、あったかいごはんと冷たいサラダとを一緒に食う。
 これこそ本当に、バイトから帰ってきたらテーブルの上にはそれしかなく、冷蔵庫あさっても面白いものが作れそうになかったので出現した荒業。
 でもひそかに美味い。

 あとまあ、残った豚汁にごはん入れて雑炊にしてみたり、ごく普通にうどん入れてみたりしてる。
 あ、あれもなかなかイケたな。
 スープスパゲティ用のレトルトソース。別にホワイトソースのものでもいいんだけど、あれにご飯入れて煮込むと簡単リゾットになる。ちなみに具は足したほうがいい。いい具がなければツナ缶が無難で便利ヨ。水気の少ないホワイトソースは、牛乳を加えて利用するヨロシ。



2004年11月28日(日)

 久々の〜一気書き〜。
 かかった時間は〜たった2時間(死
 でも、フルスイングしました。
 クォリティとかは今は分かりません。
 思いつくまますぎて。
 ただ、書きたいと思ったものを書けて大満足です。

 昨日、岡本太郎さんの本を買ってきたんですよ。
 元から大好きな人で、以前に一度見かけて立ち読みして、「面白いかも」と思ったまま放置したらずっと視界から消えていて、それがたまたまバイト先に置かれていたので速攻買い。……今月、本買いすぎ。まあいいけど。

 昔、某友人が言ったことに、めちゃくちゃ納得したことがありました。
 Taro先生の「太陽の塔」。あれを見て、センスがないだのダサイだの変だのと周りがコキ下ろしていた時に、
「じゃあおまえら、あれくらい変でダサくて笑えるもの、作れるの?」
 って言ったんですよ、そやつは。
 いや、無理。絶対に無理。なんか無難なのになる。みんなに理解できる、そのかわりちっとも面白みもない、ただスマートなだけのものとかになりそう、大半の人。
 その後にあらためて太陽の塔を見ると、その可笑しみというか、なんかトボけた具合というか、あとバランス。造形のバランスが不愉快じゃなくまとまってることとか、とにかく、やっぱりこれは誰にでも表現できるハンパなものじゃないよなと思い、Taro先生に興味がわいた次第です。

 近頃になって「自分の中に毒を持て」とか、Taro先生の著作が文庫になったりしているけど、まあ、あまり読みやすい分かりやすい文章ではありません。
 それだけに「強く生きる言葉」(イースト・プレス刊)はずっとほしかったのですよ、見かけてヌカったその日以来。Taro先生の言葉が端的に載ってるのでとてもいい感じ。
 やっとそれをつくづく読むことができて、そこから出てきた話です。
 ちなみに、こちらで一つだけ、先に明かしておきたいコト。「38番の名前は逆」。意味は、もし読んでもらえたら分かりマス。

 以下にいくつか、私の好きな言葉を抜粋してみるので、もしピンときた人いたら、ぜひ読んでみてちょ。

・親の顔色をうかがっていいなりになるとしようか。
 が、それが君自身の人生なんだろうか。そうじゃないだろう。
 親の人生をなぞるだけになってしまう。
 そんな人生に責任が持てるかい。
 自分自身の生きるスジはだれにも渡してはならないんだ。
(太字にしたとこが、ポイントだと思ってます。間違ったりしたら、すぐ人のせいにできてしまう人生より、「自分で選んだんだから」と全力で受け止められる人生のが、いいと思うのだ。親にかぎらず、誰かの顔色うかがってその人のためになにかしても、うまくいけばその人のおかげで自分の成果はちっぽけになるし、失敗すればすぐ卑怯者になれてしまう。あーヤダヤダ)

・こんなに弱い。
 なら弱いまま、ありのままで進めば逆に勇気が出てくるじゃないか。
 もっと平気で、自分自身と対決するんだよ。
(弱いから駄目だとか、そんなふうに思わないで。弱いなりの自分にできる精一杯。できないことはできなくてもいいじゃん。誰にでもできることなんて、世の中にはない。これは実はSLEEPING MOONのテーマの一つ)

・人に認められたいなんて思わないで、己を貫くんだね。
(私に力をくれる言葉)

・よく、大人たちは若者の気が知れないとか、だらしないとか、
 自分たちの時代のズレを、若い世代のほうにおっかぶせる。
 未熟なら未熟なりに、成熟したら成熟したなりの顔をもって、
 精いっぱいに挑み、生きていけ。
(どっちが偉いなんてことはないよね)



2004年11月29日(月)

 たぶん。
 自分自身が自分のいいところを認めてからでないと、自分の悪いところも直せないと思う。
 私にはこういういいところがある、と思った上でないと、もっとこんな私になりたいとも思えないだろうから。



2004年11月30日(火)

 あなたは何故、サイト運営してますか?
(以前に予告した、既に書いてあった部分というのがここ)

 別に考える必要もないことなのだけど、ヒイキにしているいくつかのサイトで、管理人さんが悩んだりうだったりされているのを見て。
 そのかたがたに意見を告げる気はないのだけど、たまたま「何故」と考えてみまして。
 そんで、自分が日ごろ思ってることもあって。

 趣味でやってるwebサイトって、ぶっちゃけ、逃避先か休息場、かつお立ち台なんだと、私は思います。
 目の前の人に面と向かって発表したら、反応が怖い。だから、一方的に公開して、否定的な意見はタブーというこの場で、気楽に気侭に、自分の世界に逃げ込むか、そこでのんびりするか。で、認めてもらうのが目的。
 違います?
 ただ自分の描いたもの・書いたもの、アップするだけで満足はしてないでしょ。それを見た誰かに共感してもらいたいから、アップするわけでしょ。で、自分の技術にせよ嗜好にせよ、そこにシンパしてもらって、ほっとしたり楽しんだりしてるんでしょ?
 それでいいよな、と思うわけです。心地好いものだけ求めて、楽しんで、安心して、ヤなこと忘れて、「ねぇ、見て。ねぇ、褒めて。ねぇ、頷いて」で。賛同者と心地好さだけ求めてなにが悪いんだと。

 なのに、ここもしょせん現実の人間の溜まり場なんで、否定されたり拒絶されたり非難されたりすることもあったりします。
 そもそも見てもらえないとか、反応がないから面白くないとかいうこともあると思います。
 そういう理由で楽しめなかったりツラかったりしてくると、運営することに対して尻込みしはじめたり、懐疑的になってきたりするんじゃないでしょーか。
 まァ、来訪者の反応の有無とか、その反応の内容はこっちじゃコントロールできないので、時にはイヤなこともあるのを覚悟でないと、管理人はつとまらないとも言えます。
 気に入らない発言とかはスルーしてしまえるスキルがないと、見る側も作る側も、電子の海の回遊はままならないとゆーか。

 しかし問題は「外」じゃなくて「中」にもあるような気がすることもあったりします。
 管理人さんの側が、変に気取ったり「ちゃんと」しようとしすぎていて、そのせいで自縄自縛してるような場合です。
 気取るっていうのは、「自分の絵・話見せてるのはそれ見ていいと思って、共感したり、私を認めてほしいから」「だから褒めて」「だから批判はやめて」とかいうあたりの本音を誤魔化して、変にプロ意識で振舞おうとするっちゅーか。「より良いものを」とか「一定のクォリティのものを」とか、
 そんなものどーでもいいから好き勝手に自分の楽しいもの描いて書いて、置いておけばいいのにあれこれ気取りはじめると、それは枷。「好きなもの」じゃなく「いいもの」を目指し始めれば、楽しいだけでなくなるのは自明。
 あと、作ることだけで満足してる、とか言うとか。見てもらうことは二の次みたいに。だったらそもそもサイト作らないだろ、っちゅーにね。こんなのは気取ってるとしか言いようがありません。「見てよー、いいって言ってよー」って思わないまま運営してる人って、私にはなにが面白くてやってるのか理解できません。そういう人もいるとは思うんですけどね。
 「ちゃんと」というのは、いわば配慮のしすぎ。あれ書いちゃダメかな、これはまずいかな、とか。大勢の人が見るんだから、誰かが不愉快になりそうなことは書かないようにしなくちゃ、ちゃんと警告入れなくちゃ、とこういう感じに。
 ある程度は大事です。でもそれはあくまでも、「自分に跳ね返ってくる厳しい反応を減らすため」くらいでいいのに、過敏になりすぎると、気遣いばかりで疲れてしまうでしょ。しかも、そういうヌルめのサイトだと思って通って、それに慣れた人は、ちょっとキツいこととか書かれているとすぐ反応するわけです。
 配慮は大切ですけど、来訪者の顔色うかがうまでになったら、これはちょっとおかしいんじゃないでしょうか。
 だいたい、誰を不愉快にする心配もないものって、要するに「無」でしかないでしょう。自分の大嫌いなものを好きだとベタ褒めされていれば、それだけでなんかムカつくという人だっているし。優しい言葉を見れば偽善だ虚偽だ欺瞞だとしか思わなくて唾棄する人もいるし。もちろん、これは嫌いと言えばそれが好きな人が腹立てることもあるし。なに書いたって描いたって、それが嫌いな人は絶対にいます。たまたま見ていないか、見ていてもスルースキルを持ってるだけで。
 だったら、あれこれ気にしたって仕方ないわけです。「これはイヤ」といわれるたびに自重したり気にしたりしてたら、サイトやめるしかないわけですよ。でも、なんでそんな、わざわざ「イヤ」だなんて言って寄越して「私」を不愉快にする奴のために、自分の楽しみなくさないとならないんですか? ねえ?

 「私が楽しむため」と思い切ってしまったらどうかな、と思うこともあります。
 上に書いてることは私自身にも当てはまってるので、自分でもそう思いますし、人にもそう思うことがあるのです。
 もー、「褒め言葉か賛同の言葉しか聞かないから」と宣言して、好き勝手やる。
 その中で、あくまでも自分の良心とかに基づいて、負担にならないレベルで、思いやりは忘れない。ビクビクしながら顔色うかがう態度ではなくて、あくまでもホストとしてのサービスである配慮。
 サービスには普通、金もらっていいんですよ? 楽しませてあげてるんだから、金とったっておかしくない。なのにこういう趣味のwebサイトは無料公開。
 面白かったら金もらったっていい筋合いのところをタダで見せてやってんだから、これ以上のサービス要求するなよ、と言ったっていいんじゃないかと。
 お店だと、サービスに苦しい思いしてまであれこれ配慮するのは、それが儲けにつながるからでしょ。ムカつく客にすら、「もう来んな」とはなかなか言えない。まして普通のお客さんの、「ちょっと店員の態度悪いんじゃない?」には「いや、それくらいで」と思っても謝るしかない。お客さんが来てくれなくなったら、利益が出ないからです、これは。お金を支払わせている以上、そしてそれで成り立っている以上、宿命なわけです。
 でも別に金もうけてるわけでもないwebサイトなら、「ウチのやり方とかスタンス気に入らんなら来んといて」と追い出したって、なんの痛手にもなりません。よっぽど酷いことすれば大勢の人に見限られて「見てもらえない」という事態招きますけど、多少のことならビクともしない。
 それなのに、必要以上に来訪者の反応を気にするのが、サイト運営に対して精神的に行き詰まる原因の一つじゃないかな、とか思ったりします。
 変にあれこれ気にするのなんかやめて、開き直って、「私が楽しむ」ことを最優先に、中心に据えてみたらいかがかと、時折、言いたくなることがあったりもするのです。その上で、苦しくならない程度に気取って、「ちゃんと」もすればいいんでないかと。あくまでも負担にならない程度に。

 もっとも、こんなことは私の思考と感覚の範囲から言ってるだけのことで、もっといろんな事情とか理由とか、ある人もいるかと思います。
 けど、もし当てはまってるかたがいたら、これで少しでもすっきりと気楽に、運営に取り組んでもらえるようになったらいいなと、思ったりしてます。見当ハズレなところで役にも立たず、無駄にザレただけになる可能性もありますけどネ★
 ただまあ、一度考えてみてくださいませ。「何故」を。


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