烏の足跡



2004年10月1日(金)

 皮膚科へ行こうかと思いつつ、病院は日中しかやっていない罠。
 天候の悪い日を選んで行くしかないかと思えば、今日は台風。
 歯医者通いが次回で終わるかと思えば、今度は皮膚科通いというのもなんかヤだ。
 しかも遠い。
 歯医者は自転車で5分くらいの、すぐ傍にあるんだが、一番近い皮膚科の病院まで、3キロほどはある。
 往復で合計30〜40分も日に当たりたくはない。
 いっそ太陽なんてなくなればいいのに(←生物死に絶えます



2004年10月2日(土)

 「今」間違ってることなら山ほどあると思う。
 けれど、「将来」それが間違いだったかどうかは、決してその出来事そのものでは決まらないと思ったりする。
 「今」しているそれ、考えていることが間違いでも、「将来」なんらかのプラスを生み出さないとも限らない。

 大事なのは、大切にすることかもしれない。
 間違って迷って悩んでもだえていることを、苦しいし嫌だと思うのとは別に、無碍には扱わないというか、そういう自分を否定しないというか。
 そうして迷って苦しんだ経験があれば、同じことを悩む人の気持ちも本当に理解できる。
 言葉は他愛なく単純だが、「うん、そうだね」が単なる相槌なのか、それとも心底から出た理解の言葉なのか、意外に感じ取れてしまうこともある。
 だからどうだとか、どうすればいいとか言葉にはならなくても、切々と分かる、ということ。
 正しい道ばかり選び、ほとんど間違うこともなく成長した人は、すくすくと健康で決して悪くはないけれど、人の悩みを「くだらない」と言いがちになる。何故分かりきった正解を、せっかく教えてやってるのにとらないのかと。
 間違ってきた人は、同じ間違いをしているのではなくても、間違う、迷う、今の時点では正しいとは思えない道に、それでも踏み込んでしまうという、「間違い」そのものを理解し共感できる。

 かつて自分が間違ったことを大切にするなら、それはいつまでもマイナスでありつづけることはないのではないかなー、とか。
 無論、「今」その重みに押しつぶされてしまっては元も子もない。
 どこかでちゃんとガス抜きは、したほうがいい。たとえそれが、人から見ると間違ったガス抜きの仕方でも、取り返しのつかないものなんて時間と命くらいのものだ。
 自分がつぶれてしまうよりは、多少人に迷惑かけるほうを選べばいい。かけていいと思ってはいけないけれど、かけてしまうことに神経質になるこつはないと思う。
 少しばかり迷惑かけられて離れていく人は、元からあなたのことなんてなんとも思っていないのだし、気にすることはない。
 喧嘩しても文句言われても、それでも残ってくれた人のほうが、あなたに賛成するかどうかは別としても、よほどあなたを認めている。



2004年10月3日(日)

 痛みが引き。
 腫れが引き。
 痒みが引いたら。
 水ぶくれぶつぶつ。

 きもちわるいよおおおおおぅぅぅぅぅぅT皿T

 あまりにも気持ち悪いので、ムキーッと一皮剥きました。
 こんなもの見てるくらいならただれたほうがマシです。
 というか、本来なら乾いて硬くなってから剥ける皮膚を、や〜らかい内に剥いただけだと思います。そうですよね? ね?
 見たくないので長袖着てます……。



2004年10月4日(月)

 今日もまた剥いてます。むきむき。
 十数年ばかり忘れていた夏の終わりの風物詩を楽しんでいる感じで剥いてます。むきむきむき。
 さすがに風呂に入ってこする気にはなれないので、せっけんでさわさわ洗っておきます。
 ためた湯につかるのもなんだかイヤなのでシャワーにしとく予定です。……寒いのにTT
 ああ、おハダがカサカサしてます。
 早く元のベイベースキンに戻りたいです(←放置方向でお願いします



2004年10月5日(火)

 本日ちょっと思ったこと。
 バイト中、おばはん二人が
「主婦の大変さもわかってほしいわよねぇ」
 と言いつつ、家事の手抜きに文句を言われたことをブツブツ言っているのを耳にした。

 あのな、うちのおかんは朝九時から夕方六時まで働いてて、しかもうちのおとんは家事なんてことは一切しない人。
 どう考えてもあんたらの倍はいろんなこと片付けて生活してきてんだよ。
 家のことだけやってるくらいで、忙しいとか大変だとか文句言うんじゃねぇよ。

 ……と、思ったのであるよ。
 朝は遅くとも七時に起きて、子供が学生の頃は弁当作ったりもしなきゃならんこともある。子供が部活の朝練だったりすると、「お母さん寝てるから勝手にご飯食べて出かけて」って人もいるだろうけど、うちのおかんはちゃんと起きてパンとか焼いといてくれた。
 朝は七時から夕方は八時くらいまで、社会の仕事と家の仕事でずーっと働き続けてるわけだ。
 疲れるから一日八時間くらいはしっかり寝たいと思えば、十時には布団に入りたいだろう。でもちょっとテレビ見たいと思ったら、一時間、二時間、睡眠時間を削ることになる。あるいは夕飯時につけておくか。

 私は自分のおかんのことは好きか嫌いかと言われれば嫌いなほうだが、それでも「とんでもなく大変な生活を、よく黙々とン十年もこなしてきたよな」とつくづく感心してはいる。よーやるよ、と。
 そういう私でも、働きに出てない専業主婦の、あるいは週に三日程度・一日に四時間程度しか働いていない主婦の言う「忙しい、イヤになった」には「ふざけんな」と言いたくなる。労働時間と量について、私は少なくとも今、おかんよりは少ないんだから文句なんか言える立場じゃない、程度はわきまえている。
 うちのおかんの仕事テーブルを見れば、家事というものは、てきぱきこなせば三時間程度で片付けられるものだと分かる。主婦ってぇ人は、およそ半日の自由時間を持ってるわけだ。
 自分の無能や怠惰を棚に上げて愚痴で会話できる親に育てられたガキは、ろくなモノにならんぞ。もしかすると。

 世の中には、勤めに出て家事もやって文句も言わないおかーはんとか、パートでも週に五日くらいは一生懸命働いて家計を助けて、そんで、会うと家の「いい」話をにこにこしてくれる人とかもいる。
 お父さんは一日に十二時間とか働いてて忙しいんだから、家のことと子供のことは全て自分の仕事で責任、旦那に相談はしても煩わせたりはしない、と決めてがんばってるお母さんも知ってる。
 本屋でぺちゃくちゃ一時間も無駄話していられる人の言う「大変」は、忙しくないからこそ出てくる言葉だろうと思う。
 子供がグレててとか、親父が酒乱でとかいう家のおかーはんのほうが、そういう言葉は言わない気もするのだ。
 人に向かって「大変なの」なんて軽く言える内は、本当に大変なわけもないし、問題でもないんだから。本当に大変だったら立ち話でそんな言葉は出せない。深刻な「問題」。人に愚痴ったって仕方ないことをヒシヒシと感じるほどの「大変」を抱えて、それでもがんばってる全国のおかーはんは、偉いと思うのであった。



2004年10月6日(水)

 GBA版のFF1.2を借りた。
 私はアンチFFだが、嫌いなのは7以降の無闇やたらにキャラクターに走ったもの。
 何故3はワンダースワン(WS)で出ないままになったのかといまだに不満な程度には、1235は愛している。

 というわけで、1・2はWS版で持ってたりする。
 FC版でやり、WS版でやり、今更プレイしても仕方ないと思うのだが。
 SOR(Soul Of Re-birth)が気になったので借りたのだ。
 だって、ストーリー中で死んでしまうミンウ・ヨーゼフ・リチャードと、スコットでパーティ組んで遊べるっていうから。
 私はリチャード好きなのであるヨ。「きみのおとうさんになっていいかな」には笑った(←笑ったのか……

 で、クリアデータのあるソフトを貸してくれたから、そのままスタートさせた。
 ……あのー、これって、死亡時点でのステータスが反映されるんでしょーか?
 スコットのHPは700あるからいいんだけど、ミンウが435しかなくて。リチャードと合流するまでは、戦闘が一つ終わるごとにセーブしなきゃ進めなかった……。
 シドもいたし、とりあえず楽しみに進めようと……思ってたのに、ついうっかりセーブ個所間違えて消した……・△・
 まあ、自力クリアデータからはじめるか。

 というわけで、普通に本編(2から)もリプレイしている。
 基本は、「ミンウが仲間になったら、フィン城のキャプテンを倒せるようになるまで先には進まない★」。
 ……WS版はワタクシ、ここでHP3000代くらいまで鍛えました。
 キャプテンより強くなりすぎると、攻撃しても熟練度上がらなくなるし、そうなると味方同士で戦っても無意味になるんで、それでやっとこ先に進むという。
 無論ここで、キャプテンが落とす「おうごんのよろい」を全員分確保し、トード・カーズの本もがっつりためて売却してお金にかえ、マリアに「ほのおのゆみ」を装備させるのも言うまでもない。
 ただ、攻撃と防御のバランス悪くなると、混乱した時の同士討ちで全滅する恐怖が……。
 たしかWS版は、ジェイドの中でその憂き目にあい、それ以来触ってなかった記憶があったりなかったり。

 いろいろとWS版からの変更点も目立つ。いつでもどこでもセーブできるため、べらぼーに難易度下がってるとか、コマンドキャンセルが効かなくなってるとか(WS版は、選択した時点でその行動に対する熟練度が加算された)。
 にしても……成長効率が悪くなったなぁ。武器熟練度が10いってから、HPを上げすぎたせいか(GBA版の強さの基準はHP?)ちっとも上昇しおらん。
 まあ、やっとリチャード仲間にしたことだし、ここから地味地味と上げるか。一応SORを視野に入れて、リチャードは黒魔法+槍&ケアルを鍛えまくっておこうかと。



2004年10月7日(木)

 FF1のほうをプレイ中。
 一つ正直に言っていいですか。

 LV3の若者に倒される「国一番の騎士」に守られている国なんて、すがすがしく滅びてなくなればいいのに。



2004年10月8日(金)

 FF2話。
 いまだにリチャード育成中。
 HPやステータスはともかく、MPと魔法レベルがネ……。
 白魔法はミンウが一通り持ってるのでいいとして、主に黒。スコットが魔法剣士タイプであるのは知っているけど、たしかレベル4くらいだったから、それよりは高くしようかと。あとヘイスト・バーサクあたりのレベル上げ。
 これに付き合っている他三人は、いろんな武器を持ち替えて、どうでもいい魔法を唱え、平均スキルを上げている。

 FF1話。
 展開のチープさがかえって懐かしくてたまらない。
 いきなり海賊と戦って、二つ目の町で船入手って、いまどきのRPGなら絶対にやらない展開だ。
 にしても、魔法がMP制になったのがちと残念。回数制のあの不自由さが良かったのになぁ。せっかくファイガ覚えたのに二度しか使えなくて、節約しつつボスまで進むあの道のりの長さといったらもう!!

 何故出ないのかFF3。
 WS版でも出なかった。1、2ときて、4にいかれた。
 PS版でも出なかった。しかもCGはOPとEDだけで、だまされたと思った人も少なくあるまい。
 FF3は面白くないのか? なにか問題でもあるのか?
 個人的には、「次々と属性チェンジをするため、属性を見破る魔法を使わないと戦いにくい」という敵相手に、モンク・モンク・モンク・白魔でガチンコ勝負挑んだりとか(それが通用するまでレベル上げたさ……。ちなみにこの時点では、戦士の装備できる剣は、属性のついたものがメインなのである)、「魔剣士(サムライ)以外のジョブで攻撃すると分裂してしまう敵」相手に、通常パーティで戦い抜いたりとか(つまりはほぼ一撃必殺レベルにまで鍛えた)、いろいろやったんだがなぁ。
 昔こんな(↑)ネタで1ページマンガをラクガキしたっけなぁ。



2004年10月9日(土)

 あらまFF3がニンテンドーDSで出るんですって!?(←とあるかたのサイトの日記から知りマシタ★
 PSPとNDS。
 どっちにするかは悩みどころ……でもなかったりする私の場合。
 正直PSPはゲーム機じゃなくて、マルチメディアプレイヤー。その機能をフルに使わないなら、あまり意味がない。また、その機能に応じてソフトを集め始めたら、キリがない。
 それよりはNDSかなという気がする。
 PSPのソフトラインナップは、どれもこれもPS2で出るソフトの補完やアレンジのようなものばかりで、今のところ完全にオリジナルのソフトの発表というのがどうにもショボく、大きなタイトルは全て既に売れたものばかりだから。
 ただ……やはりPSPも値段次第だよなぁ。
 購買層にとっては、機能がどうすごいなんてことより、それを使って目的が果たせるかどうか、だけ。つまり、やりたいゲームがプレイできるかどうか。
 ソフトさえ魅力的であれば、PSPの全機能は理解できなくてもいいし。映画とかはねぇ。外に持ち歩いて、どこで見るの? あんな小さい画面で疲れるでしょ。そんなくらいならうちでのんびり寝そべってDVD見るよ。って感じだなぁ。

 で、ここからは1プレイ話。
 アースの洞窟の、ヒルギガースが必ず出る通路でかせぐのもお約束★
 ここでLV35くらいまで上げて、グルグ火山は飛ばして氷の洞窟へ。そーしてとっとと飛空船を浮上させたらガイアの町で装備を整え、試練の城へ。そーしてとっととクラスチェンジ。
 基本デスヨネ?
 ヒルギガース通路は、一歩歩けば必ず出るから効率がいいね。

 んで、ナイトと忍者の魔法をそろえにあちこち飛びまわって、ふと、土のエクストラダンジョンへ。
 敵は弱いが……一面砂漠のループマップでうろうろしてたら、カトブレパスに石にされた……。しかも金の針が一本しかなくて……。
 全滅してもセーブしたとこからじゃないのか、あれ。でも自動生成ダンジョンはつらいなぁ。セーブできるのが幸いだけど。



2004年10月10日(日)

 おかんとおとんの話から、メールいただいて考えたコト。

 子供をしっかり育て上げる自信がない。今までペットを飼ってもそうだったけど、思うとおりにならないとイライラしてムカついて、かわいいなんて思えなくなった。だから、私は子供は作らないし、それを求められたくないから、結婚もしない。

 と、いう発想は、存在する。
 賢明だとも思う。
 自分の過去の行動を冷静に顧みて、「自分の思いどおりにならないのはイヤ、と私は思ってしまう」「親の思いどおりに生きさせるってのも可哀想、そんなのは親として失格」と思うんだから、バカでは絶対にない。賢い人の意見だろう。

 でも、それは逆なんじゃないかとも思う。
 子供という、言いなりにさせていいわけもなく、ペットみたいに「いらないから捨てる」とか「人に譲る」なんてことのできない(はずの)存在を抱えてしまうことで、忍耐とか責任感、寛容さってものが育つのではないか、と。
 そして現代は、そういう覚悟がないままになんとなくガキを生産する人がいるから、親の子殺しだの子供の虐待などが平気で新聞に載るんじゃないかと。

 賢明な判断。
 けれどそれは、厳しいことやつらいことを回避し、それから逃亡するための、こざかしい言い訳とも言えてしまう。
 社会への責任感、家族への責任感。
 こういったものの欠如というテーマからも、現代社会を観察することはできそうだ。

 ただ。
 最後にここまでの話をひっくり返してはおきたい。
 責任感だのなんだのを、持たなければなりませんよ、という「常識」も、実は単なるまやかしなのだ。
 本当にそうなのだろうか?
 自分一人、他人にやたらと迷惑かけることなく生活できるなら、何故それ以上の責任だのなんだのを身に付けなければならないのか?
 社会にとって便利な責任感、というだけではないだろうか?

 とまあ、話をややこしくしたところで、本日のザレゴトはこれにて終了。



2004年10月11日(月)

 ただ漠然とそこにいる「自分」に、価値なんかあるはずがない。
 全ては、なにになっているか、だ。
 空気は多くの生き物を生かしている。ダイヤモンドは美しい。歌手や役者は人に娯楽を与えている。仕事をしている人は人の暮らしの役に立っている。優しい人は周囲の人をほっとさせたりなごませたり、あるいは救うこともあるだろう。厳しい人は緩みがちになる場を引き締める役割を果たしているかもしれない。
 だから、価値がある。
 なにもせずただ空気と水と食料を消費し、プラスのものを周囲に生み出さないならば、ただの邪魔だ。いなくてよろしい。自分のしていることを全て無意味で無価値、自分自身をそう思うなら、一生の間に消費する資源のこと、撒き散らすゴミや汚物のことを考えて、とっとと消えればいい。消えることが、いなくなることが、その人の価値になる。邪魔をしないでいる、浪費をしないでいる、ということが。

 自分を無意味だとか無価値だとかつまらないとか、言うことでニヒリストを気取ったり厭世感を出したり、あるいは冷静さか客観性があるんだとひそかに自慢しているのかもしれないが、本当にそう思うなら、自分にとことん幻滅してるなら、とっとと(ピー)。
 心のどこかでそんな自分がイヤだと思うなら、なにか周囲にとってプラスのことをすればいい。自分にとって都合のいいこと、プラスになることを少し我慢して、周りの人になにかしてやったり、優先してやればいい。自分のことばっかり考えて自分のことばっかり優先して、周囲のほうを否定したり非難し、周囲の者に我慢や妥協ばかりさせているから、「私」は無価値で無意味でクズなわけだから。
 自分を変える必要はない。ただ、いつもなら開放している「ワガママな自分」を少しだけ閉じ込めておくだけだ。「私」は「私」のままで、価値ある存在にもむしろ邪魔な存在にもなりうる。

 自分自身に幻滅し、自分を嫌いつつ、そんな自分でいることががイヤなら、明日は少しだけ、「私はこうしたい」っていうのを我慢して、誰かのしたいことを手助けしてみたらどうだろう。

 なにをするか、なにを言うか、そして、それがなにになっているかが「私」の価値。
 プラスもマイナスもある。
 なにも考えずに生きていても、必要・有益・無害・無益・邪魔・有害のどれかにはなっている。
 なにも考えずに行動している普段の自分が無益以下だと思うなら、せめて無害になろう、あるいは有益なことをしてみようとするか、さもなければ図太く居直るか、あるいはさっさと(ピー)かのどれかだ。

 ……(ピー)などと過激なことを書いているので最後にフォローしておくが、(ピー)しかないような、誰にとってもなににとっても無価値でしかあれない人間なんて、まずいない。
 有害なこともあるけど有益なこともあるって人がほとんどだったりする。時には誰かに必要とされていることもある。
 ただ問題は、本人がそれを感じられない、信じられないというだけなのだ。自分でそう思えない、そうと分かる事柄がない(ように見える)というのが。
 逆に、自分では役に立とうとしているつもりが、かえって邪魔だと思われていたりすることもあるし。
 ともあれ、そういう場合は、少し前に書いているとおり、ボランティア・奉仕活動でもしてみるのがいいのである。見返りのない、ただ自分が消費し貢献する仕事を。
 自己満足でいいのだ。「いいことしたぞ」という気分の問題なのだから。



2004年10月12日(火)

 ひたすら書く。
 とにかく書く。
 日記でも愚痴でも批判でもなんでもいいから、とにかく書いて言葉を文字にする。
 毎日書く。
 だからこそ内容はなんでもいい。
 一言とかじゃなく、まあ、十行くらいは書く。
 箇条書きではなく、文章を書く。

 小説というものはそれだけで書けるものじゃないが、少なくとも「文章力」は、書きまくればアップするんじゃないかと思う。
 下手は下手なりに、ちゃんと上達するはずだと。

 書いて、反応をもらうのもいい。
 とてもいい。
 何故なら、自分の意図したとおりに伝わっているかどうか、という文章力を試されるから。
 まるで意味がとれないとなると、文法的に完璧我流すぎる、ということだろう。
 けれど、自分の意図したのとは違う読まれ方をしたら、いい機会だ。
 何故そう読まれてしまったのか、という理由が必ずそこにあるからである。

 私なんぞがこのザレでしょっちゅうやってるのは、強調したい・告げたいポイントが曖昧で、そのポイントを説明したり際立たせるためのもののほうをメインとして受け取られる、というパターン。
 要するに論旨がはっきりせず、いろんな「言いたいこと」が等価で詰め込まれているのが原因だ。このザレはその誤解込みで意味があると思っているので、よほどひどい時以外には修正したり補足したりしないが。

 あとあれだね。
 声に出して読んだときにリズムがいいとよろすい。

 どうすれば上手くなるのか、とか。
 私にも確かなことは言えないが、書かないのでは絶対にダメだろうとは言える。
 書いてもちっとも上達しない、ってこともないとは言えないが、書かないでいるよりはマシなはずだ。
 どうすれば上手くなるんだろう、と考えてるより書く。
 「文章の書き方」とか、読むだけじゃなく書く。

 書いて、読む。
 「自分」ですら、時がたてば別のものになる。
 過去の自分と未来の自分とでは、違うところがある。
 完全に同じ自分ではない。
 すると、かつて書いて、かつて読んだ時には不自然でもなく、おかしくもなかったはずの文章が、今読むとヒジョーに読みづらい、ということも出てくるだろう。それは上達の証かもしれない。
 ……ただしこれは、過去自分が書いたものを読み返すのはトッテモ恥ずかしいという苦役を伴うのだが。



2004年10月13日(水)

 FF1話。
 何故か2を後回しにしてやっている。
 過去のカオス神殿まで辿り着いて、もそもそとEXダンジョンへ。
 とりあえず火と土と水はざっくりと、帰還ポイントまで辿り着けた。
 風は……あ、在り処がねー、分からないのねー……。どこかしらん……。

 にしても、それぞれに面倒くさい仕掛けがあるのね。
 土の、道を塞いでるヤツとか、火の一歩ごとに敵出るとことか。
 でも水はいい。水が気に入った。
 人魚まみれもドラゴンまみれもサイコーだ!!
 いっそドラゴンとは戦わず、一緒にここに住みたいと思ってしまったではないか。
 しかも、運が悪いのかなんなのか、条件クリアした時には、残っていたドラゴンはたったの四匹……。こんだけ殺しまくってもいいんですかバハムートさん……。
 なお、オメガと神竜は倒せず、殺されて帰還いたしますた。

 ああ、エンカウント率の高さがイラつく……。



2004年10月14日(木)

 こだわり、というものは困ったもので。
 私は「こだわり」ゆえに、某有名マンガが読めない。というか、二巻目まで読んで放り出した。
 なにのことかとまで書けば、確実にそのマンガのファンの人は気分を害するだろうから書かないでおくが、内容が面白くないから、というのではなくて、或るこだわり……「その名称を使うなら、それらしいものにしてくれ。今あんたの書いているものはその名称で表現されるものじゃないじゃないか」と思わずにいられなくて、読めないのである。
 なんというか……無論、オーソリティになってから使え、というのではない。
 ただ、他の名称でもっと相応しいものがあるのに、なんとない珍しさとか上っ面のイメージだけでその名称使っただろう、という感じか。
 どんなに面白いと言われても、事実面白かったとしても、こんなことが理由で読む気になれず、くだらねぇと思ってしまうのである。

 どんなものも、もっと素直に気楽に受け入れて楽しめる人が羨ましい。



2004年10月15日(金)

 久しぶりに12時間寝倒した。
 一度目は覚ましたけれど、またすぐ爆睡で。

 FF話。
 風のダンジョンへえっちらおっちら。
 場所教えてくださったRさん、ありがとうございます〜〜vv
 なんか……暗いイベント(?)フロアが多いデスね……。
 鬼ごっことか妖精さんのおうちとか、明るいところもあるけれど。ちなみにあれは悪戯と言ってすませられるものではないと思います。金が有り余ってカンストしてるので、山盛りエーテルとか買い込んでいってるからどうでも良かったけどさぁ。モンスターよりあの性悪妖精を殲滅したくなりました。
 目下、せっせと進んでいます。

 でもまあなんつーか、2のSORはとても嬉しいファンサービスだけど、1のEXダンジョンは微妙。ストーリーもなにもなく、ただ黙々と進んでいくしかない上に、戦闘はかったるい。戦闘自体が楽しいシステムならいざ知らず。しかもエンカウント率が……。
 あんなもの入れるくらいなら、土でノーム、水で人魚、火でドラゴン、風で妖精といった、それぞれの里でちょっとした頼まれごとして、それを解決するためにダンジョンに行き、クリアすると秘蔵のアイテムもらえる、とか、多少なれどストーリー仕立てにしたほうが良かったんでないかと。
 萌える人間いるんだから。「わー、人魚さんまみれ〜v」とか、「とかげっとかげっ♪」とか……。


Made with Shibayan Diary