烏の足跡



2004年8月1日(日)

 なんだかんだ言いつつまだやってるDDS。
 二周目は鬼のように楽である。なにせ一周目でLV90くらいまで上げてかなりはスキルを習得しておいたので。
 二周目、サーフLV55にして、マントラを全て覚えた。なにかメッセージが出てきていたが、イベントとかあるんだろうか?

 それはそれとして肉の話。
 うろうろとサイトを巡っていくんだが、自分が好きなものを求めるから、あちこちで、クロエの正体についての意見を見る。
 彼じゃないほうが良かった、というのがやや目立つ気がする。
 リアルタイムにPB読んで、あくまでも「新キャラ」としてケビンとのかかわりを妄想していた人には、いきなりそこでウォーズ出されても、という感じに戸惑いのほうが大きかったんだろうなぁ。私はクロエの正体がモロに判明するあたりからしかほとんど読まなかったから。そこから溯って読み始めた形で。
 私はリアルタイムでずーっと熱心に読んでいたわけではないから、どっちでもいい。ウォーズなら初代からの下地がでかいから、いろいろと使いやすいと思うだけだ。ロビンに関わることで、人間関係というものに深みも出てくるし。
 実際、うちで書いてる肉って、親子間の屈託や軋轢がメインのような……。
 自分で読んでてふと、なんで肉でこんな真面目なテーマや題材動かしてるんだという気がしたりする。が、丁度いい具合にロビン・ケビンがいるんだからいいかと開き直るのは言うまでもない。



2004年8月2日(月)

 PSOの更新したついでに、自分で「nightmare」読み返してたけど……いや、あれが一番面白いわ(死
 つか、他のは全て「オイシイ」にあやかったようなオハナシだけど、あれだけは小説で、ゲームとは関係なく、容赦ないテーマもあるし。

 実は続編で、より強い相手(データ改竄したキャラ)に追われる立場になった「ユキ」が出てくるものも考えていた。それまではリアルでの強さをいかして∞世界にひそんだ死神みたいな存在になってたのが、自分が狩られる立場になったらどうなるだろう、と。
 けれど、この一話目を越えられないかぎり、二話目は出せないなと思う。
 そしてたぶん、それは意識的には無理だと思うのだった。なにかがピピッとこないかぎり。



2004年8月3日(火)

 ネタな夢を見てた。
 なんだかバーチャルリアリティのゲーム空間の住人みたいな感じで。
 夢の中で寝てたら、ものすごい雨の音で目が覚めて、なんじゃらほ?とすぐ傍の窓のカーテンを分けてみると、真っ青な空。狐の嫁入りとは思えない豪雨の音だし、おかしいなと思えば、空の一部だけが灰色になってる。もしかして、あそこだけ豪雨?とか面白くなってしっかり起きてカーテンを開けてみると。
 それは雲じゃなくて小さな島で、浮遊した島の左端から、滝が落ちていた。浮遊島のすぐ傍にはその島に届きそうな大木があり(絵本チックな偽物っぽい木。道がついていたり、窓らしきものもあった)、その近くで三人ほど、見上げている人物がいるようだった。

 これだけでも面白そうだったのだけれど、窓のむこうを何人もの人の頭が歩いていく。みんなあの島を見に行くのかなと思ったのだけれど、歩いていく方向が変。窓の外をまっすぐによぎっていくのだから、浮遊島のある方向ではない。しかも、全員思いつめたような顔をしている。
 何事だろうと思って着替え(その瞬間に、誰かに話し掛けることになるから、どんな服にしようかと考えた。その気分が妙にリアル。一人用のゲーム中ならまるで気にしないで「話す」を選べるのに、ネトゲなのか、相手から自分がどう見えるかを、現実以上に気にしたのだ)、外に向かう。
 なにかの共同宿舎なのか、玄関は学校の出入り口みたいに、下駄箱がずらーっと並んだ感じ。ざわざわと騒々しい。玄関のガラスドアの向こうにも、浮遊島は見えていて、何人かはその足元近くで見上げている。
 けれど、そこに人が集まっているのではなく、やはりどこか別の場所に向かっている。
 出ようとすると、だいぶ前に急にいなくなったはずの女の人がいる(ゲームに現われなくなったのではなく、目の前で飛び出していったようだ。なお、このあたりから「ゲーム」という感覚ではなくなっている)。帰ってきたのかと思って見やるのだけど、様子がおかしい。半分は放心して、半分は思いつめたような、ちょっとアブない感じ。彼女と仲の良かった人が話し掛けているが、上の空。
 そこでふと、妙なことに気付く。かなり多くの人が、白い花か羽根飾り(大きいの一本じゃなく、細かいのでもこもこしたヤツ)を身につけている。
 なんなんだろうと思っていると、それを渡している人たちがいた。が、どうも胡散臭い。近寄らずに見ていると、その白い花、普通は服やカバンにつけてあげているのだけど、それを手渡された人が悲鳴を上げて(だが声は聞こえない)、自分の手をしきり振っている。渡された花を落とそうとするように。その手から見えたのは、花の茎が手に這いこんで根付いたようなものだった。

 なんだか事件である。執拗にすすめてくるのをかわすと、無理やり貼り付けようとする。それを腕をおさえて防いで、人が集まる方向へ、なにがあるのか見に行く。
 宿舎の脇の通用路を歩いていくんだが、その道中、やはりあちこちで花を配っている姿を見つける。と同時に、なにか変な液体をつけようとするのもいる。白い花や羽と同系統に危険なように思えて、それもなんとかかわしていくと、すぐ目の前に、昔ながらの知人が二人いた。一人は小柄な少年で、一人は自分(夢の中の)と背丈も年頃もかわらない青年。
 でも、二人とも様子がおかしい。少年のほうはなにか企んでるような、邪悪な感じがするし、青年のほうは意思がないみたいに無表情というか、ぼんやりしている。
 二人は花も羽もつけていないけれど、ノースリーブを来ている少年の肩に、例の妙な液体が、☆形についていた。
 こいつとぶつかったら、というより、こいつにぶつかってこられたら、これが付着することになるのか、と思って、警戒しつつ進んでいくと、広場に到着した。が、自分は丁度その入り口あたりからは入れない。かなりの人数が詰め掛けているらしい。
 そこでいきなり少年が振り向いて、同時に青年に掴みかかられて、両手首をとって押さえることになる。少年になにやら言われて(アクションを一つと台詞はあえて省略)、「昔だったらな」と答えながら哀しいのか悔しいのか、泣けてきた。そのまま、どうやって抜け出すかと考えていたら、少年に脇腹を刺され、抉られてしまった―――。

 その、ぐりぐり押し込まれる感覚(痛みはないが、押し込まれる感触はある)で、目が覚めてしまった。
 ああ、いいネタだった★



2004年8月4日(水)

 32時間寝ていない状態から安い酒で3万yen分くらいは飲んできて書いているので(寝てない時間なら39時間経過)、支離滅裂でも気にしないよーに。

 現在書いてるモノ
・ガンツ&アズールのゴーストネタ
・Void 2軍時代ネタ
・贈り物惇泰
・ロビン先生夜這い計画(←最低だ
・ケビちゃん目標達成記念日
・桃伊達たまには露骨にいきたいけど何故躊躇う己!?なR指定
・眠月ムーパパ二話目
 ―――書きたいものではなく、書いてるもの。ちょろちょろ書いては他のに移る日々。

 DDS。
 人修羅に会ってきた。
 「地母の晩餐」のダメージが9000台ってナニ!?という感じで、出されたら即死確定。つまり回避するしかない。
 しかも無効・反射・吸収スキルつけてると一撃死出してくるとか。
 ともかく、40ターンくらいまではねばったが、ダメだった……。
 LV75で挑んだのが無茶でしたな。やはりLV99、ステータスも可能な限りアップさせてからでないと。あと、リアル運必須で。

 そんなことより、なにか条件満たせばエンディングはイベントが変化するのか、それとも思いっきり続編があるのか……。
 他はあれこれツッコんで考えればなんとか予想はつけられても、あの猫なんなのよ!?とかいう疑問があったりさぁ。
 システム面では……「喰らう」というのが独特だとか言われているが、そんなもの呼び方の違いだけで、なんにもなってない。敵を倒した戦闘で得た経験値、を「食って糧にしたポイント」って言ってるだけじゃん、というのが続ければ続けるほど浮き彫りに。
 なんつーか、システム面だけなら面白いと思ってプレイしてるけど、それ以外は全部、誇大広告と中途半端だ。よし、アルコール入ってる勢いですき放題書いたぞ!(←自覚してるならやめろ/←ツッコむくらいならホントにやめとけ



2004年8月5日(木)

 今日は地獄の伝道師。使い方を一歩間違うと危険な、心の処世術の話。

 人を好きだと思う気持ちは、たいてい、本当の質量よりも膨らんでいる。
 仕方なくでも付き合わないといけないから、好きだと思っておいたほうが精神的に楽。付き合っておけば得なことがあるから、好きだってことにしとくとツラくない。人を好きだと思える自分がなんだかいい気分。
 とかいう理由で割増しているんじゃないかと。

 人の言動で傷つくのが嫌なら、まずは好きな人を減らしてしまえばいい。
 同じことなのに、どうでもいい・関心のない人に言われたならば平気でも、好きな人の言葉だから気になってしまう、ということがある。
 それなら、自分で妄想して膨らませている部分をきっちり分別して捨ててしまえば、ずいぶんと「どうでもいい相手」になる。
 何故好きなのか、どこが好きなのか、―――なんて考えるよりもっと簡単に、「本当は大して好きでもないんだよね、こういうとこイヤだし」と思ってみるだけでも幻はかなり殺ぎ落とされる。そう思った途端に、「そういや毎回こういうのでヤな思いしてたんだよな。好きな相手だからって我慢したり見逃したりしてきたけど、そんなとこあるヤツのこと、なんで好きなの? それすごいヤじゃね? 俺自分に言い訳して自分のこと洗脳してね?」とがらがら崩れる。
 そうすれば、それまでよりはかなり高めの確率で、「いや、別にあんたにどう言われてもどうでもいいし」とかわせるようになる。好きな相手には好かれたい→好かれたいと思えば自分が嫌われていないかも気になる→相手の言うことに振り回されたり不安になったりする、といった面倒事も解消できる。

 好きという気持ちを自分で膨張させるのは、先に挙げたような理由だったりする(他にもあるだろうけど)。
 けれど、そうして膨らんだ架空の好意のせいで自分が傷つくのもバカらしい。
 ある程度は、意識的にでも無意識的にでも「好き」を増大させてハッピーに過ごし、いざとなったらそれを切り捨てられると、更にいい。
 通常は「なかなかいいところもある奴かも」「嫌いじゃない」「好き」「うん、好き」「まあこういう困ったとこもあるけど、でもこういうとこはすげぇいいしさ」「いやぁ、いい奴だ」「尊敬するって」と気持ちを膨らませておいて、相手の言動が頻繁に自分を傷つけ揺らし始め、それがつらくなったら、最初の「いいところもある奴」にまで戻せばいい。
 そんなものはそう難しくなく、「こういうとこはたしかにちょっといいかもしれんけど、こことかムカつかね?」と思えばいい。「ダメな奴」一辺倒にまですることはなく、「いいところも悪いところもある」というフラットな状態にまで持ち込めば充分。

 自分を守るなら、必要以上に人を好きになるのをやめればいい、ってことだ(絶対そうだとは言わないし、そうすれば全て解決するわけでもないが)。
 そうすれば傷つけても傷つけられても、ずいぶんその痛みは小さくなる。
 ただ、言うまでもないが、そんなふうに「どうでもいい奴」ばかりになった生活は、スッカスカで無味乾燥。むしろ「そんな自分が一番どうでもいい奴?」といったダークな気分にもなりかねない。
 本当に自分を大切にするなら、「好き」を拡大して楽しくすごすことも大事だろう。

 肝心なのは、夢見る力と目覚める力、両方を備え、使いこなすこと。
 そして、本当の「好き」という部分まで削り取ってしまわないよう、縮小時にも思い込みはできるかぎり発動しないこと。
 そして、そういうふうにコントロールして生きていくことを、悪いとか卑怯と思わず、「べつにいいじゃん」と楽しむこと。
 世の中、できるだけ多く楽しんだ者が勝利者だ。



2004年8月6日(金)

 そろそろバレもいいだろうと、プレイボーイ、肉ネタ。

 スグルや万太郎のケツは下品だけど健全なのに、ロビンのケツは無駄に卑猥で不健全なもののような気がするのは私だけデスカ?(死
 つーか素顔出るのかなぁ。イヤだなぁ。出ないほうがいいなぁ、いくらもう前世代のキャラだからって。
 っちゅーかロビンじいちゃん(ロビングランデ)かっけーよ!!(←ホラ出たじじい好き!
 じいちゃん萌へ〜★(←ホントに本気
 ママも美人だけど……あの鉄面部分……。アリサさんもつけてるんだろうか、ロビン家に嫁いだがために……。

 ケビンが出てくる話ばっかり書いているけれど。
 実を言えば、ケビンは「使いやすい・オイシイ」キャラであって、嫌いじゃないけど好きでもない。つか妄想抜きにして原作だけ見たら、ロビンの息子でハンサムっぽいのが人気の理由で、(―――危険すぎるので自粛―――)ではないかと。グレたのは仕方なくても、奇声ばっかり発するし、逆恨み全開で万太郎と戦ったかなり変でイヤな奴だよなぁ……(←いずれネタにする予定
 アレが三枚目外見で同じことやってたら、と思えばけっこう如実に分かる。自意識過剰の自惚れ屋の気取り屋。であればこそ私も嫌いじゃない、むしろネタにしてかわいがりたい程度には好きなんだけど。
 ファンの勝手な妄想を抜いた、原作から理論的に推理できる範囲のキャラクターとしての好き嫌いを言えば、私は、実は一番好きなのはウォーズさんですらなく、ビジュアルでアシュラさんと(U世で心にも惚れた。子供を愛するがゆえにチェンジする怒りの面がT□T)、性格でスグル&万太郎だったり……。

 万太郎かわいいし、分かるから。一番新しい26巻でいうと、悪魔の胎内前でケビンが来た時、つっかかっていくわけだけど……その前のコマ。
 可哀想だよ、あれじゃ万太郎。「ケビンが来ればもう大丈夫」なんて言われてものすごいケビンコールで。万太郎の立場に自分がいたら、やってらんないでしょ。「ボクは? ボクはどうでもいいの?」と。
 それを殺してケビンと仲良くするなんて、そんなデキスギくんは気色悪いしウソくさい。
 「ミートの体早く取り返して」発言も、必然だろう。万太郎にとれば、どう考えたってミートのほうが大事なんだから。自分が万太郎だったら、をまた考えれば明白。切羽詰ってきたら、リング上の二人がどんなに必死かなんて、頭から抜け落ちる。「なにやってんだよ、ぐずぐずしてたらミートが!」になったって、なんの不思議もない。胡散臭い公平さじゃなく、ただひたすらに身内(ミート)のことしか考えられない幼さは、至極真っ当だ。
 まあ、そういう人間の、当然持ってる、弱かったり醜かったりする部分が苦手な読者には、ひたすら反感ばかりかったようだけど(本当は「苦手な」ではなく「愛でられない」と言いたいが、それはさすがに傲慢すぎるか己)。
 人間なら(この場合超人も込み)誰でも持ってるそういう気持ち。枯れてない若さや青さ、幼さの持つ素直な寂しさや嫉妬、憤り、身勝手さ、自己中心的なところ。
 だから万太郎は、かわいい。「あちゃー」と思いつつも、根はものすごく優しいいい奴だと確定しているから(確定しているのはマンガゆえ)、成長を見守りたくなる。楽しみに思う。
 私がそれなりの年齢だからかもしれないが。

 だいたい、スグルとロビンの関係とは違うんだから。
 あれが王位継承戦あたりのスグルとロビンなら? 観客より誰より、スグルが思うと思う。「ロビンが来てくれた、これほど心強いことはない」って。
 敵として戦って、いがみ合ったこともあり、味方として手を借りたこともあり、八年かけて本当に信頼し、本当に尊敬できる仲になった。
 だから、普段バカやってるスグルはともかく、本気になったスグルは、「至らないところの多い私だけじゃ不安だ、ロビンがいるなら安心だ」的に、ロビンの助力を心底うれしく思うだろう。
 テリーとも同じで、喧嘩もし、見捨てようとしてできなかったり、いろいろと経てきている。だからこそ、正義超人三羽ガラス、と言われるんじゃないかと。
 他のプロッケンJr.とかラーメンマンとかウォーズマンとかバッファロマンとか、そういう超人との間にはない、ぶつかり合って傷つけ合った過去がある。それを乗り越えてきたからこそ、より強い絆が生まれたんだと思ってる。それこそ初代の最後の言葉だ。「友情は成長のおそい植物である。それが友情という名の花を咲かすまでは、幾度かの試練・困難の打撃を受けて、堪えねばならぬ」。
 アシュラさんいわくの「ザ・坊ちゃんズ」は言いえて妙というヤツだ。

 まだそういう試練も困難もろくに経験していない万太郎とケビンが、物語が進む中で少しずつ理解しあい、尊敬しあえるようになっていったなら、これは初代よりさらにステキなマンガだと言っていいかと。
 今は嫉妬してるっぽい万太郎が、物語の終盤近くで、スグルとロビンを見るようなところを見せてくれたら、もう言うことない。U世は某塾より、よっぽどうまく「次世代」を用いているけれど、その醍醐味がそこにあると言っても過言じゃないかと。

 あと私、万太郎はともかくスグルは、赤ん坊の頃はアホ面(つまりは造作じゃなく表情)していたかもしれないけど、ロビンなんかメじゃないほどの超絶美形だと信じてます。そりゃもう、アタル兄さんの男前さも、真弓パパの渋さも追いつかない、美形が多い肉一族でもダントツのいい男だと! 見たら誰彼構わずトリコになるような美形希望(←そろそろこっちの世界に帰ってらっしゃい
 ……それが汚いケツ見せてたりするかと思うとちょっと怖いけどネ……。
 おお、うまく冒頭のケツの話にリンクしたぞ!(←ケツケツ下品



2004年8月7日(土)

 悩みがあると人は解決を求めるけど、その際にひとつだけ、陥りやすい罠がある気がした。
 それは、その問題の根本的で永久的な解決を望むのか、悩みを抱えて憂鬱な気分が解消されればいいのか、これを無視してしまうということ。
 なんとかしなきゃ、で人が考えがちなのは根本的な解決のほうだが、こんなもの、よっぽどの決意や「そうしなきゃ後がない」といった切迫感がないかぎり、できるものじゃない。そこまで真剣に容赦なく考えられもしない。
 たいていは、今の自分の沈んだり苛立ったりしてる気分がなくなれば、それでいいんじゃないだろうか?

 自分、あるいは周囲の環境を徹底して変えたいのか。
 あるいは、さして変わらないままでもいいから、この気分だけ晴れればそれでいいのか。
 どちらかを、間違ってはいけないと思う。

 んでまあ、根本的な解決が必要な場合なんて、まずなかろうってのが私の目に映る世界で。
 そこまで必死な変革が必要になっていたら、失敗した時にはもう死ぬ他ないくらい切羽詰った状況。
 逆に言えば、もう死ぬしかないと明日にも首くくりそうな気配でないなら、自分の気持ちをなごませるだけでいいってことだ。今の自分にはできないことが、一年ほどした時の自分にはできるようになっているかもしれないし、助けてくれる人、考え方なんかが見つかるかもしれない。
 私は、そう思う。



2004年8月8日(日)

 失って哀しいのはその人自身なのか、その人がくれていたものなのか。
 もし後者ならば、同じものをくれる代わりの誰かさえいれば、それでいい。
 そんなふうに代用のきかない大切な人など、さて、いるのだろうか。



2004年8月9日(月)

 やけにイヤなところで切っておいた昨日分。

 私なりの、私の場合の答えは、「いる」。
 それは、完全に同じものをくれる人なんていない、という理由からである。

 たとえば、話していて楽しい人。
 この人がいなくなっても、他にも話していれば楽しい人はいるし、かつてその人と楽しんでいた以上に盛り上がることもある。
 けれど、疎遠になってしまった「今」でも、ふとその人のこと思うと寂しくなる。
 つまり、今一緒にいる人とどんなに楽しく過ごしていても、以前共にいた人の代わりにはなっていない、ということ。

 では、完全に同じものをくれる人がいたら?
 なんて質問は、ナンセンス。
 「完全に同じものをくれる人」なんていないんだから。外見、声音、語調、話題、趣味、守備範囲、大まとめにすればあらゆるものに対する様々な価値観。
 これら全てが同じだなんてことは、こりゃまずありえない。DNA構造が一つも違わず、成長過程もまるで違わず、存在している空間座標すら同じでないかぎり無理じゃないかと。つまり、不可能だろうと。

 貴方にも私にも代わりはいない。
 だから、かつて楽しく過ごした思い出がある人との間には、忘却という魔物しかひそんではいない。
 その魔物に食われないかぎり、楽しかったことへの寂しさなんかが、お互いに残り続ける。
 そしてたぶん、そんな寂しさを、勇気をもって確かめ合えれば、一度切れた縁も、別の形にはなるかもしれないが、取り戻せると思うのだった。



2004年8月10日(火)

 シャーロック・ホームズなんぞを読み返している。
 本編の内容より、ホームズやワトソンの語る言葉=サー・アーサー・コナン・ドイルの引用してくる、あるいは発した言葉に含蓄があり、実はうちの文庫にはあちこち傍線が引いてあったりする。
 数年の時間を隔てて読み返すと、何故こんなものに引いたのか分からないこともあるし、新たな線が増えることもある。

 売るつもりがこれからもない、つまりはずっと手元に置いておきたい本には、案外この傍線がちらほらしている。
 世の中には手垢の一つもつかないように保管し、書き込むなんてもっての他だという人もいるが(友人にも一人、私のこの癖にひどく不機嫌になるのがいる)、私は、本は内容を読めればいい派。
 いいことが書かれていれば傍線は引くし角は折るし、風呂場にも持ち込む。
 そういうことをしないのは、内容がいいというより、ファン的に、コレクション的に買ったものだけだ。あるいは美しく保たれていることが必要な画集系。

 中にはまだ一度も読み返していないくせに、何故か売れずにそのままになっているのもあるし、ネタになりそうという理由で確保してある古典、短い間に何度も読んだもの、いろいろある。
 今から20年前に買ったものもあったり、しかもそれが、当時読んで分かったのかどうか怪しい書物だったり、己の蔵書をあさるとけっこうワケが分からない。
 「悪魔の系譜」なんて、今読んでやっと理解できるんだがなぁ……。
 



2004年8月11日(水)

 社員の人事があると聞いた。
 いなくなる一方で、来る人はいない。
 負担が増えることは間違いないが、そんな仕事上のことはどうでもいい。

 どんな人でも美点があれば欠点があり、一長一短。
 今度いなくなる人にも困ったところはあり、その人に担当されている部門のバイトくんからは、愚痴や文句も聞いている。
 けれど、「イヤだ」一方で固まってしまうことなく、いいところはいいところで別勘定していれば、いなくなるのは寂しいなと思う。
 間違いなく、他の社員にはないいいいところがあって、それはともすると、仕事の面では足を引っ張っていることもあるが、一緒に働きやすいという点では、とてもありがたかった。

 どんなに他をこき降ろされていても、ダメ一辺倒ってことはない。
 親しみやすく、気軽に、気楽になんでも言い合えて、かつゲームの話題で盛り上がれる(ぉぃ)人が一人減るのは、寂しいと思うのであった。



2004年8月12日(木)

 ファ○リー○ートの「広島風お好み焼き」。なに入ってんだか知らないが、ちょっと食えんほど不味い……。

 DDSは売っ払った。
 マントラ全種・全員取得のデータを一応残しておけば、続編なんてぇものが出てもいいかな、と。
 人修羅は……なんか、DDSよりよっぽど思い入れの強いゲームだし、愛着もある主人公なので、倒すことはどーでも良くなったとゆぅ……。
 倒せば究極のマントラが!とかいうのでもなさげだし。

 マニアクスではメタトロン専用技だった「シナイの神火」、ベルゼブブ専用技だった「死蝿の葬列」、これを主人公たちが使えるというのも、あまり嬉しくなかったんだったりして。
 「これはメロンちゃんの必殺技でしょ!?」とか「ブブ様が使ってこそだろ!?」とか……やはり変な思い入れが。
 人間のオトモダチより仲魔がいいヨ……。

 全員が全マントラ取得するまでは60時間くらいかかってるが、クリアだけなら20時間で可能。ボリュームとしては少な目のゲームに7000円はねぇ……。
 4500円で売ってしまったので、実質2500円とゆーことに。そうでもしないと、価格と内容が釣り合わん気がする。

 というわけで、久々にマニアクスをプレイ。
 長い間放置していたのが気に入らないのか、のべ人数で五人(主人公除く)、レベルアップしたが、その内贈り物をくれたのはダンテ様だけ。しかもパール
 ホントに、なんでこの人はギフト率バカ高い上に宝石ばっかりくれるんだろう……。



2004年8月13日(金)

 ちょっとしたことから、「絵と小説と、どっちが難しいか」という話になった。
 「絵だろう」という絵描きと小説書きがいて、「小説だろう」という絵描きと小説書きがいた。
 しかしこれは、絵と小説とにまったく同等の適性と興味を持った一人の人に比較させないと、比べようがない気がする。
 私は、小説のほうが習いにくいんじゃないか、難しいんじゃないか、と思うんだが、自分はどうかと言われれば、絵は描けないことはない、程度で、小説のほうが頻出する。自分にとってはどっちが難しいか、と言われたら、圧倒的に絵なのだ。色は塗れねぇ頭身揃わねぇ構図なんてよー分からんパースなんて無理言わないでという感じで。
 やっぱり究極的には、個人の適性だよなと思ったのであった。

 そーゆーと、初代キン肉マン読み返してて思ったんだけど、アタルがじいさんになってもまだソルジャーのかっこしてるのって、Aマークが胸やら膝についたあの衣装を着たくないからか?
 もしかしてあの格好がイヤで家出したとか?

 エリート教育がイヤでグレて家出した、となるとアタル兄さんとケビンはそっくりだ。
 ケビンもいずれは、そういった自分の我が儘さを認めて飲み込んで、アタル兄さんのような大した男になってくれるだろうか……。
 あ゛、言うまでもないけどこの巣で出てきた「あの」アタルとは違うからネ?



2004年8月14日(土)

 「冬のソナタ」。
 別に、見たいとは思わない。国産ドラマもことごとく見ていない私には、TVドラマというもの自体が合わないわけで。
 今まで一つもまともに見ていないのに、これだけ見るわけもない。
 ただ「曲がまたいいのよね」と言われ、ちょっと気になった。

 そう、「冬ソナ」は80年代を思わせるベタベタでコッテコテの純愛ドラマらしい。
 知人が言うに「砂浜で追いかけっこしちゃうような感じ」だそうで。つまりあれだ。「まてよ、こいつぅ」「うふふふ、つかまえてごらんなさぁい」。
 あるいは、「白血病で余命いくばくもない恋人が出てくるヤツ」だそうな。

 そう聞かされても内容に興味は覚えない私は根っからドラマというものがどうでもいいらしいが、80年代的な音楽は好きなのである。
 そんなわけでサントラ借りてきた。
 これでもかというほど叙情的な曲ばっかりで、泣きメロも好み。
 日本語でも英語でもないところに違和感は覚えてしまうけれど、主題歌をうたってるリュウという歌手(?)も、いいんじゃないだろーか。やはり80年代の歌謡ポップスみたいで。
 現在流行ってるヒップホップ、ラップ系が好きな人にはダサくて聞けたものじゃないのかもしれないけれど、80年代の過剰気味叙情が嫌いでないなら、ドラマ、あるいは曲、オススメかも。



2004年8月15日(日)

 エアコンなしの部屋にいて、汗は出るのに寒気もする。
 しかも腹具合もイマイチ。
 この季節に長袖着込んで鳥肌立ててるのもどーだろーか。

 今はもうなんともないけれど。


Made with Shibayan Diary