烏の足跡



2004年7月16日(金)

 本屋にいると膨大な本が目に付く。
 それでも、出版されている全ての本ではないのだが。
 共感できるか否かは後にして、ちょっと興味を覚えたら覗いている。
 その中で、半分ほど「なるほど」と思ったことがあった。

 不登校とか自閉症とかの子供を預かり、ケアしつつ教育するような私設の機関がいくつかある。
 そういうものの一つで、寺の坊さんだかなんだか知らないが、おっちゃんが主宰しているものがある。
 その人の(あるいはその人の運営するグループの)著書の中に、ちょっと気になる一節があった。
 おおまかに言えば、「自分の価値を見失っている子には、奉仕活動をさせる。不思議と、社会貢献することで、そういう子がしっかりしてくる」みたいなことだった。

 で、昨日分とからむ。
 道理だと思う。
 人の価値、自分の価値なんてものは、なにもしなければ存在しないものだから。
 ただいるだけで価値がある、なんてものじゃない。
 たとえそうだとしても、それじゃあ実感するのが難しい。
 では、なにが価値なのか。どうすれば自分の価値を実感できるのか。
 なにもしてもらわなくても、なにかしてあげることなんじゃないかと。

 なにかしてもらった相手になにかしてあげるのは、貸し借りの関係。返さないとマイナスで、返してやっとゼロになる。
 けれど、具体的にはなにもしてくれない相手に、見返りを求めずになにかすると、「なにかしてやったぞ」というプラスになるのだ。しかも、その貸しを返してもらわないから、プラマイゼロにならない。

 なにかしてもらえることが自分の価値、という面もある。けれど、それはある程度の価値があってはじめて、なにかしてもらえるということでもある。なにもしてもらえなかったら、あるいは、なにもしてもらえないと感じてしまったら、その人は無価値(と感じる)ということになってしまう。
 自分にその「ある程度の価値」もない(と感じる)なら、「自分は無価値だ」なんて言ってないで、なにかするしかないんだろう。
 人のためになにかしてやった、というエネルギー的マイナスが、心理的なプラスとして戻ってくる。
 ためしに、道端にポイ捨てされている空き缶を一個、普段なら無視して通り過ぎていくものを、ちょっと拾っていって、ゴミ箱にまで運んでみればいい。
 誰に見られていなくても、そんなにささいでも、なんだかくすぐったいような気分になる。「なんかいいことしたな」と、ちょっとだけ自分がマシになった感じがするんじゃないだろうか。

 価値なんて、じっとしてたって生まれない。
 自分がなにかして初めて、それが評価されて価値になる。
 世間的に認めてもらえる価値のほうが、自分も納得しやすいし、気付くことも感じることも容易になる。
 だから、奉仕活動をするのが手っ取り早い。
 そういう仕組みなんじゃないだろうか。

 いったい自分はこの世にとってなんなんだろう、と悩むなら、悩んでないでなにかしてみればいい。道端のゴミをちゃんと片付けてみる、というくらい、一日に一度は必ずできる日常のことだ。早起きしてそんな時間は作らなくてもいいから、ふと目に付いたゴミを無視しないようにする、というだけでもだいぶ違う。
 大人物になろうなんてのは大それた考えで、そこまで巨大な価値があるのは、極少数だ。そんなものは、求めれば自滅するしかない。
 ただ、小さな価値なら、自分で作れる。それは間違いない。

 人によっては空疎というweb空間だが、情報の量に対して質の悪い、密度の低いところばかり見られても困る。
 こういうローカルな趣味的なつながりの中でなら、リアルよりよほどまともな関係があることだってある。
 その中に、誰かを楽しませられる、という小さな価値が存在している。
 自分の価値に迷う人がいるなら、自分が楽しむためにサイトを作り、賞賛を期待しているだけでなく、来てくれる人を楽しませたいという気持ちで、なにか作ってはいかがだろう。
 それがかなうことは、自分の楽しみのついでに誰かが楽しんでいるより、もしかすると大きな満足をくれるかもしれない。



2004年7月17日(土)

 DDS(デジタルデビルサーガ)の軽プレイ感想。

 前知識のないプレイヤーは、置いてきぼりにされないんだろうか?
 ……ってのがしょっぱなの……。
 メガテンの系譜についてある程度の知識があり、雑誌なんかでDDSについてのおおまかなことも知っているから、特に疑問も覚えずに見られたけど、そうでないとわけが分からない気がする。
 演出もねぇ……。地味だよねぇ。背景美術とかはすごいのかもしれないけど、やっぱり無難なカメラワークのせいか、迫力やスピード感に欠ける。独特の金子絵を用いたポリゴンが、リアルな風景演出には無縁というのもあるか。
 こういう、映像演出って面を考えたら、FFシリーズはすごいよなと思うね。後期FF自体が好きじゃない私でも。(とは言いつつ、主人公があんまり美形ではないこととか、バニーちゃんの誘惑に負けて12は気になってるダメ人間。ほとんどのキャラの露出が高いのは気に入らんけど)

 「女神転生」シリーズではない、というのは間違いないにせよ、だったらなんで3の悪魔のポリゴンそのまま使ってるんだ、とかいうツッコミもできたり。ペルソナとかサマナー系、魔神転生なんかも含めた、もっと大きい枠の中のものということなんだろうけど……なんかこお、しっくり来ないのは否定しない。
 正直、こうまで「悪魔」に関わるシステムが違ってしまったら、「敵=悪魔」でなくてもいいんじゃないかと。新しく、普通に「モンスター」とか「エネミー」とか、別の名称で設定して、デザインから名前から全て「メガテンの悪魔」から離れてしまっても一切問題ないように思えてしまう。
 とはいえ、まだ中盤まで進めただけなんで、この後の展開によっては、善悪の対立―――というか、「善なる我等」に「所属しないもの=悪魔」の図式が成立し、「悪魔」が出てくる必然性がはっきりする可能性もある。
 ペルソナ以上に、会話(交渉)もできないし仲魔にもできない(ペルソナは悪魔そのものが仲魔にはならなかったけれど、憑依・具現しているような形でそこに存在はしていた)ことについては、理屈ではそうして説明できても、なにか釈然としないものは感じている現状。
 うーん、パーティに目に見える変化がないのがつまらないせいかなぁ。せめて、捕食した悪魔の種族なんかによって、主人公たちの悪魔姿が何通りかに変化するのであれば(サマナーシリーズの造魔みたいな感じ)、少しは違ったかも。

 買うかどうしようか迷ってる人に、いつもなら「買ってみなー」という勢いであれこれくっちゃべるけど、DDSについては今のところ、「こんなものやるよりマニアクス買ったほうが面白い」かも。
 現在、ゲームの舞台になっているジャンクヤードという世界について、真実がちらほら見え始めたところまで来ているけど→バレかもしれないので白……デジタルデビルの名のとおり、ヴァーチャルリアリティによる死後の生、ってオチなのかねぇ



2004年7月18日(日)

 肉ばっかり書いてる。
 出てくるんだから仕方ない。
 他のジャンルで「書く」と約束しているものもあるのが心苦しいが、肉はあくまでもその他の中のものにしかなるまいなとも思ってる。20本くらいは出るかもしれないけど、他のメインジャンルのように100本とかはいくまいな、と。ルキズは、題材として書きたいものが多いので(他のジャンルでは書きにくい青春モノだというのもある)別枠で確保してるけど、そういうふうになる気配もない。
 一頻り書き殴ったら、たぶんそこでパタリと終わるだろう。

 にしても……26巻の表紙、若いアシュラさんと年寄りサンちゃんでバンザーイ。
 なお、私は肉U世を、「半人前のジコチュー新世代超人たちの、一人前になるまでの成長物語」だと思ってる。
 親へのアテツケでグレるバカ息子とか、戦ってる仲間の苦痛なんか気にもしないで「早くミートの体取り返して」というマンタとか、青臭いほど若々しいジェイドとか。
 初代たちとは、完全に趣が違う。
 ガキで半人前の彼等が、戦いの中で成長して、本物の友情や信頼を作り上げていく物語。
 もし作者ご自身がそのつもりで書いているなら、これから先がいっそう楽しみだ。マンタの「ミートの体〜」発言が、そういう意図のものなら、キレイゴトばっかりの、仲間割れすらケレンくさいたいていのマンガにはない成長ドラマまで、期待できる。



2004年7月19日(月)

 DDS。
 セミボスなのか、ラスボスなのか。
 物語にまだまだ説明されていない部分が多いことを考えると、セミボスであってほしい。ここからまだ続くと思いたい。
 が、世の中には、エンディングで無理やり全部説明するような駄作もあるわけで。
 形態変化&主人公たちの数十倍の巨体、という姿のボスにお目見えし、とりあえず様子見に一度戦ってきたが。

 そこまででやり残していることもあるので、現在はマップの隙間埋め中。



2004年7月21日(水)

 ……こんなん勝てるかボケ〜ッ!!
 という本日のDDS(←またか
 ……とまあ、アホみたいに強いイベントボスを巡ってきた。
 これ見ると……あれ、セミじゃなくてラスボスっぽい気もしてきた……。



2004年7月22日(木)

 ……ロビンさんあんた……(汗
 と思った今週のPBでした。
 今までは目についたらパラバラ読んでいただけなのに、何故か探してしまう今日この頃。
 にしても……やっぱりあの親にしてあの子ありか。



2004年7月23日(金)

 コミック文庫版のキン肉マンを買ってきた(爆
 とりあえず、山場の超人タッグ〜VSフェニックス戦前までの巻だけど。
 ツッコみたいところは多多あるが、あんたはいつもムチ持ち歩いとんのか!とロビンに言ってみたい……。
 ああ、またバカなネタが増えていくヨ、ママン(←誰



2004年7月24日(土)

 DDS一応クリア。
 ……なんつーか……ワケ分かんねーよ!!としか。
 ラスボスだったし、あれ。
 バッドエンドで、なにか条件満たすと本物のラストダンジョンが出現するとかあるのか?と思うくらい、なんの説明もされずに終わりやがってる。
 で、あまりにも半端なので攻略サイトを探して覗きに行ったけど、二周目で人修羅(メガテン3の主人公)と戦えるってだけで、エンディング分岐などについては、誰も見つけていないようだった。

 ジャンクヤードがどういう場所で、サーフたちとセラとの因縁はなにで、あの船がどういうもので、なぜ、なんの目的でジャンクヤードに再生させられたのかとか、一切合財明かされない。あの猫なんなのよ?
 物語としても、背負ってるテーマを充分に伝えているとは思えないし(物語自体が半端にして語られないまま終わってるんだから世話ないが)、ひょっとしてこれ、メーカーの自己満足で完結した超駄作?

 展開として考えうるのは、
1.一周目をクリアして二周目に行くと、展開が変わる
2.「全てを喰らいつくして」の台詞に従い、人修羅まで含めた全ての悪魔(元住人)を倒して塔の頂上に辿り着くとセラの正体が分かる
3.途中出てくる選択肢の選び方でエンディングが分岐する
4.続編の発売が決定している

 4だったらアトラスに火つけてもいいと思う、マジで。
 可能性の高いのは3だろうけど、それなら誰か一人や二人くらい、グッドエンドというか、続きや別展開になったという人がいても不思議じゃない。
 人修羅は想像を絶する強さのようなで(無効・反射・吸収属性を見つけると一撃死させてくるらしい。ブルブル)、LV99にした後はノイズ(パラメーターアップアイテム)を集めて強化するしかないとかなんとか。そこまでしても、運次第の戦闘らしい。とすると、人修羅含めた全ての敵を倒して……という条件ならありそうだが、そんな、二周目必須で、達成できる確率の低い、相当なリベンジをした果てにしか見れない本当のストーリーってのもな。

 正直、買い取り金額が5000円近い今のうちに売り払おうかという気が目一杯している。
 が、分岐などがないともまだ言えないので保留。
 私はプレイヤーに考える余地を与えるRPGが好きだが、物語のオチもなにも分からないまま、「勝手に想像してね」の度合いがこうも高いのは論外だ。「こうかな、ああかな、きっとこうだ」と推測するに足る、ある程度のガイドラインは必要だし、なにより、テーマというか、伝えたいものがほしい。
 生きるために他者を食う、ということ。その重みや意味、現実をテーマとしてとるなら、もっと描きようはある。食ってる最中に「エサ」の悪魔化が解けて人間の姿に戻るとかな(←ヤバすぎ

 なんにせよ、こんなものの攻略ネタでファイルサイズでかくするのは無駄に思えてしまったので、ザレの攻略ネタはすっぱり消し去ってみた。
 メガテン3が私としては会心作だっただけに、続くDDSの煮え切らなさは最低最悪だと言ってやろう。別の展開が見つかるのでないかぎり。
 なお、マイベスト3RPGはSS「CYBER DOLL」、PS「WILD ARMS」(アルタFでも可)、PS2「真・女神転生3 マニアクス」って感じだ。
 我ながら、10年近くも昔に出たCYBER DOLLに対するこだわりは少し異様かと思うが、サイバーパンク好きなんだから仕方ないだろー。……なんて言ってたらやりたくなってきた(滅)。ああ、マジでリメイクされないかなぁ(←98%無理



2004年7月25日(日)

 ビミョーに頭が痛い。
 しかしこーゆー時ほど冴えてもいる(当社比
 が、ここしばらく、眠気も食い気も出ないほどモーレツにノッたことってのがない。
 仕事がひかえているとそういうわけにもいかないのがツラい。
 たまには一ヶ月くらい、書く以外なにもしない時間があったらなぁ。なお、食う・寝るも最低限でいい。それでも生きていけることは実証済みで、医者に「おまえはたぶん人間じゃない」と言われた経験が。
 三日に一度二時間くらいしか寝ず、食事は一日に食パン一枚で一ヶ月。これでピンピンしてるのは、なにか変な修行してるようだと……。てへ★



2004年7月26日(月)

 そーだよなー、とつくづく頷きながらとあるかたの隠し日記を拝見してきました。
 ご縁の深いかたです(笑
 読んで速攻で書き出すと、たいてい私の考えは浅く衝動的なので、数日マジメに考えてみて書いてます。

 たとえ一言メールでも、「なにか言ってあげよう」とするってことには、かなりのエネルギーを必要とすると思います。
 自分がどうかを考えれば分かるはずで。
 最近ではあちこちに一言メールやweb拍手が設置されていますけど、ただクリックするだけの拍手ですら、「面白かったな」と思っても送らないことがあるでしょう。ましてやメールとなると、一言でもなかなか。
 「面白かったです」だけじゃなにか失礼な気がするし、かといって、なにを読んで・見てどう思ったかを事細かに書くのには、少しばかりの思い切りが必要です。
 思ったことを言葉にするのが苦手な人というのもいて、そういうタイプの人にとれば、どんなに感動して、どんなにその気持ちを伝えたいと思っても、どう書けばいいかうろうろしている内に、疲れてしまってメッセージを送るところまで行けないこともあります。
 私自身、よっぽど衝撃的だったり感動したりしないと、あえて感想とかは送りません。それでも、感想を送らないからといって、楽しんでいないというわけではなく、毎日楽しみに通っているところもあります。

 そういう中で、一言でもメールを出すということ。
 まあ、中にはなんにも考えてなくても、「○○良かったです」の一言をさりっと送れるかたもいますが、たいていはそこに、「いいなぁ」と思っただけでなく、それにプラスして、その気持ちを伝えたいってという思いがあるんじゃないかと思います。
 つまり、たかが一言でも、けっこうなエネルギー、思い切り、すなわち管理人=作者への尊敬とか親愛がないと、メールなんて出せないわけです。
 メールをくれる、掲示板に書いてくれるってことは、そのまま、「私」へのあたたかい感情だといえるはずです。

 うちで利用してるマナーについての100質に「自サイトを閉鎖した時、言われたくないことは?」みたいな質問があります。
 どこのサイトの管理人さんか忘れましたけど、「久しぶりに来てみたら閉鎖されていてショックでした、は嫌。そんなにたまにしか来ないなら」云々、みたいなことを書かれていて。
 たまにでも来てもらえるだけありがたいと思えよと思ったことがあります。
 それとおんなじです。
 自分が望むような賞賛の言葉じゃなくても、「かわいいです」でも「かっこいいです」でも、覗きに来てくれて、見てくれて、更には褒める言葉を送る手間をかけてもらえること自体をありがたいと思わないんでしょうか。
 思い上がりもはなはだしいってヤツです。

 いろんな理由でサイト運営して、品物を飾ります。
 少し前に書いてますけど、「えっへん」と「ほっ」のために展示してるんじゃないかと思います。「こんなのかけるんだよ、すごいでしょ」と、「私(のかいたもの)も捨てたものじゃないんだなぁ」です。
 褒めてくれる言葉に不服を覚えるのは、少しばかり「えっへん」の度合いが過ぎます。もう少し謙虚になってはいかがかと思わざるをえません。
 私は、自分で言ってりゃ世話ないレベルでかなり虚栄心の強い生物ですけど、それでも、読んで、楽しんでもらえたら、それは「有り難い」と思います。ひらがなで書くお礼の言葉のワンランク上、漢字どおりの意味です。「めったにあるこっちゃない」を含めた意味です。
 特に、うちみたいにろくにリング・リンクも登録していないようなサイトで(無双検索一つのみなんですヨ)、他は全てweb検索か、リンクしてくださるサイトさんから飛んできてもらう他ない場所で、ここを見つけて、覗いてくれたこと。「有り難い」ことです。
 そして読んでくれ、なにか感じてくれ、更には励ましの言葉や喜びの言葉を送ってくれるということ。これはとてつもなく「有り難い」こと。そう思ってます。

 こーゆーことよりなにより、その日記を拝見して私が一番「ほへー」と感心というか、感じ入ってきたのは、「上手くなりたいなら努力しないといけない」という姿勢でしたけど。
 こういう「有り難い」閲覧者の気持ちを踏みにじるような発言なんかしてないで、「こう言われたい」「こうは言われたくない」ってものがあるなら、自分の望みが実現するように練習しなさいってこと。
 私はそうするよっていう姿勢。
 私もそうありたいものだと、しみじみ思いました。私はひたすらに好きなだけ思いつくままに読みまくり書き殴るくらいしか、文章の上達方法なんて知りませんけど。

 楽しみのために書いている。それをアップして、下手なら下手で無視されるのも仕方ないけれど、だからこそ、楽しんでくれて、メッセージを送ってくれたかたの思いは、有り難いもの。だから大切にしたい。
 だから、顔も知らない、時には一言メールでHNも分からない相手だけれど、妙な愛しさを感じるんだなと(←そんな愛しさは怖いかと
 そうも思ったのでした。



2004年7月27日(火)

 ちょっと珍しいお酒をもらった。
 不味かった
 口に合わないというだけかもしれないが、いや、きっとそんなことはない。
 その土産を持ってきた友人と一緒に飲み、二人して流しに駆け込んだんだから、絶対に不味いのだ。少なくとも日本人の口には。
 現地の人は飲んでるのか……?と当然の疑問を浮かべれば、
「いや、これたぶん外国人用の土産専用」
 とのこと。
 ……どこの国の人が美味いと思って飲むんだろう……。



2004年7月28日(水)

 歯医者で7000円……。
 予想外にかかってしまった。
 きゅーりょーびまでまだだいぶ間があるんだがなぁ。
 そういう時に真っ先に削ろうと思うのが食事回数であるあたり、やはりなにか間違っている己の生活。



2004年7月29日(木)

 最近、異様に生活が不規則になってたりする。
 一日が12時間しかないかのよーであったり、逆に36時間くらいあるかのよーであったり。
 たとえ昼の10時に寝て夕方5時に起きるのであれ、ほぼそれと同じ時間に就寝・起床していれば、まだしも規則的ではあったのだが、ここの一ヶ月ほどは無茶苦茶にも程がある。

 それでなにが一番つらいかって、食いたくもない時に食事に付き合わないといけないこと。
 別に三日や四日食わなくても死にやしないんだから、ほっといてくれ……。
 変な時に食べると、相変わらずの吐き癖が暴発して無意味なんだがなぁ。
 しかも今、ブリッジかけた歯が馴染まず、もの食うこと自体に気が乗らない。
 ああ、ホントに一切食事しなくても生きていけたらいいのに……。



2004年7月30日(金)

 ガタガタブルブル……。
 言葉を使う者として、慣用句などの覚え違いには気をつけている。
 自分が間違った使い方をしていない、とは思ってない。なにせ覚え方が、「間違った使い方をしている人の言葉から」であることがほとんどであるから。
 どこかで辞書などを引いて正確な意味を見ていないと、間違ったままで記憶しているのが当然ということになってしまう。
 たまたま今朝の(これは本当に30日の)新聞に挙げられているものを見たが、「的を射る」や「押しも押されもせぬ」、「物語のさわり」と使う「さわり」の意味はちゃんと知ってても、「姑息」が一時凌ぎという意味で、「憮然」が失望してぼんやりしている様、というあたりは「マジですか!?」と認識をあらためた次第……。

 日本語の使い間違いが云々、と現代人を責めるような書かれ方をすることが多々あるが、自己弁護でもなんでもなく、これは仕方ないとしか言いようがない。
 なにせ言葉というものは、辞書から覚えるものではなく、生活の中から耳で覚えることが大半で、国語の授業などで出てこないかぎり、辞書的な意味について再認識することはない。
 つまり、現代人の言葉の使い方が、と問題にするなら、原因は現代人の知能の低さとか意識の低さではなく、先人のそれらだということになる。
 マスコミ、生活の中、そういったところで正確な使い方をしない人が増えたから、間違った使い方を耳コピして覚えこんだ世代ができた仕掛けだ。

 では、使用方法の間違い、意味のとり違いなどを修正するためにはどうすれば、となると、日本全国民がもう一度辞書と向き合い、「次世代」に正しい用例を覚えさせるくらいしか思いつかない……。
 ただまァ、私の場合は、自分の役に立ち糧になることだから、と国語辞典を1ページ目の「あ」からぼへーっと順に読んでいく、というくらいのことはしてもいいかなと思ったりする。
 ただし。
 誤用されることが多く、間違った認識のもととっくに広まってしまった言葉については、私がたとえ正しい使い方をしても、かえって「間違っている」と言われてしまうし、読み手にとって違和感を生じさせてしまうというのが現実問題。
 以前に一度、「的を得る、じゃないか」とメールをもらったことが……。あと「怒髪天を衝く」の「衝く」は「突く」じゃないかと言われたりとか。
 それを思うと、従来の意味に戻そうというのも一つの動きなら、新しい意味・使い方に刷新してしまえ、というのも一つの動きではないかと思ったりするのであった。「あはれなり」(あわれだ)の意味が古語と現代語で違っているようにね。



2004年7月31日(土)

 気がつけば七月も終わりです。
 夏になります。
 書くと言いつつ書いてないけれど書きたいものが、どんどん増えていきます。
 でも、一番ホットなものを最優先します。
 こればっかりは開き直ります。
 しばらくは肉にかかりきりになると思われます。

 ああ、でも実は、セン伊達の盆がらみもさることながら、二年間あたためているとある大きな話が、動かせそうな気配もしていてつらいのです。
 ものごっつい、己を分裂させたいところです。
 当初赤石を相手にと思ってましたが、赤石伊達なら他のサイトさんにいくらでもあるでしょうし、それならほとんどこの烏屋でしか見られないセン伊達にしよう、と。

 それはある日、伊達が塾の前で、一本の安全ピンを拾うところから始まるのです……。
 あああああっ、書きてーけど長いんだよこれッ!!
 一番肝心なのは、おスミさん(くどいようですがマイラバーPCです)の耐久力。お疲れになられますと、一行打つ前にいきなりブラックアウトして立ち上げなおし、なんてひどいことをなさるのです。
 いくらなんでも、これじゃ書けませんてば。
 仕方ないので、昼間にうちの親父さまのPCくんでもコソリと立ち上げて、文字だけがっつり打たせてもらおうかと思いつつ、その昼間は寝ているか家にいない私でありました。
 はっきり言って、文章打ててtxt形式で保存でき、そのままPCで読み出せる、ただそれだけの機能だけついた、熱や長時間労働に強い機械がありゃ私はそれで充分です……。


Made with Shibayan Diary