烏の足跡



2004年7月1日(木)

 ちょっと気になってること。
 所十三の「DINO2」という恐竜マンガに、ウマソーという名で呼ばれるトリケラトプスの子供が出てくる。この子は、ちょっとしたアクシデントから、ティラノサウルスを母親だと思って成長することになる。はじめは「生まれてくる子供のエサに丁度いい」と思っていたティラノは、名前も「ウマソー」とつけるのだが、育てていく内に情がわいてきて……といういいお話だ。
 このコミックは、単なるお涙頂戴ではなくて、恐竜について、いろいろな調査などをもとに、作者の仮定や想像を織り込んで読みやすくしたもので、根底にあるテーマは、「命」というものだろう。その雄大さや強さが描かれることもあり、とても面白い。

 ちょっと作者は忘れたが、絵本に「おれはティラノサウルス」「おまえうまそうだな」という続き(?)ものがある。
 この「おまえ〜」のほうは、アンキロサウルス(だと思った。詳しくは見ていない)の子が、これがティラノサウルスを父親と思って慕い、やがて別れる話。このアンキロの子にティラノがつける名前も「うまそう」だったりする。

 ちょっと似すぎている。
 私は所十三さんのコミックは好きだけど、熱烈なファンでもないし、逆に敵愾心みたいなものもない。だから、ご本人に向かって「どうなんですか」と言う気はない。もちろん、絵本の書き手のほうにも。
 盗作か、偶然似ただけかは分かることじゃない。
 以前に神林さんの後書きを引用したことがあるが、同じような暮らしをしていれば、思いつくものだってそう大差はないのが実際のところ。そこから、本当にたまたま同じような着想をすることだってある。
 どちらか、あるいは二人のえかきさんに、「どうなの?」と問うのは、熱烈なファンかアンチのすること。私は、どっちでもいい。
 ただ、やはり気にはなるのだ。



2004年7月2日(金)

 絵でも小説でも、上手い人ほど、自分のものの粗やまずいところが分かるんだと思う。
 下手な人ほど、自分のものに満足できる。

 上手くなりたい、と本気で思うなら、いつかどこかで、自分の凡庸さに気付くものではないかという気がする。
 どんなに「それ」が好きでどんなに打ち込んでたとしても、自分の凡庸さをひしひしと感じられないうちは、たぶん井の中の蛙だ。
 自分の凡庸さが見えた後で、それでも続けないと、本物にはならないとも思う。
 大したこともないものを、どうすればそれなりのものにできるのか。明確な答えなんか出ないかもしれないが、それでも黙々と続けていけば、少しずつなにかが変わるかもしれない。

 世間に認められるかどうかは別として、その人自身の最高レベル、到達できる限界というものは、必ずある。つまり、「最高の自分」が。
 そこに到達しても、社会的な価値はなにも出ないかもしれない。
 「好き」というのは、そういうものとは別に(気にはなっても、だ)、より上に行きたいと思うことでもあると思う。

 「それ」ができる自分を好きなだけなら、井戸の中。そこのお仲間相手に、臆面もなくお粗末なものを披露しているだけにとどまる。
 同じカエルさんでも、「それ」が本当に好きなら、柳の枝に飛びつけるまで、誰が見てなくてもずっと、ぴょこたんぴょこたん、苦しくなって時には休んでも、繰り返しているんじゃないかという気がする。―――と書いても元ネタが分からない人もいそうだが、これは花札の絵柄。



2004年7月3日(土)

 面白いけど痛い実験。
 自分の好きなものを、わざと「嫌い」と言って人に話してみよう。
 特に、自分と趣味が合うと思う人を相手にやってみよう。

 本当に嫌いだから「私も嫌い」と言う人。
 「私は好きだけどな」と言う人。
 話を合わせて「私も嫌い」と言う人。

 本当に趣味が合うなら、「私は好き、貴方も好きそうだと思うけど」という言いそうなものだ。
 「私も嫌い」と答えられたら、その点においては嗜好が異なるのか、あるいは、追従さんということだ。
 まあ、どういう答えが返ってきても、楽しい結果にはならないけれど。



2004年7月4日(日)

 シャドウハーツ2中。
 前回取り損ねた、ルチアの最強武器と、カレン用の「マタハリの勝負服」を手に入れた。
 女の子には装備すると外見が変化する衣装系アクセがあって、どれも露出が高い。言うまでもないが着せ替えている
 でも、男はない。どうせああまでカッ飛ばしたゲームなんだし、ウルにダデーと同じ軍服コートとか(前作の衣装と言いたいが、「親父のコート」はアリスと一緒に墓の中だし)、ヨアヒムのローズボンデージは装備すると外見変わるとか、ゼペットのステージ衣装とか、そういうのあったって良かったのにぃ。

 にしても……二周目をプレイしていてもつくづく感じるが、私はアリスにシンパできないなぁ。カレンのが絶対にいい子だと思ってしまう。もともと清純なお嬢様系は苦手だってのもあるけど。つーかおきれいすぎてウソくさ……。
 敵作ったか?



2004年7月5日(月)

 おなじみの巡回コースから、自然と脇道に入って辿り着いた先で、触発されてまいりました。
 そんなわけで、唐突にキン肉マンU世なんてものが出現していますが、これ一本きりになるかどうかは神のミソシル。
 元からロビンとウォーズマンのコンビが好きだったので(単体ではアシュラさん大好き生物。出てきてひゃっほーとプレイボーイを開く日々)、クロちゃんの正体がウォーズさんだと分かった時には、狂喜乱舞していました。
 別に女性向に考えたことはなくても、女性向のものでも楽しめる守備範囲の広さが自慢です(←どうでもいい
 そんなわけで、泣きの要素を入れたら自然と女性向に。某所で見てきたSSがなければ、書こうとは思わなかったでせう。

 昔書いてた初代キン肉マンもののロビンとウォーズさんは、飼い主とポチだったなぁ。勘違い天然気味になついてるウォーズさんに、苦笑しつつ相手してるロビン先生って感じで。
 映画版でロビンメモをめぐってロビンが連れ去られるヤツ、あれでパロディやったこともあったっけ……。ワープロ壊れてて読み返せないのが幸いのような気がするが。



2004年7月6日(火)

 本屋にいると、老若男女、問わずに客が来る。
 小さい子供には、商品を渡した時に「ありがとう」と自然に言える子と、ぶすっと引っ手繰っていく子というのがいる(その中間もいるが)。
 また、親にも二通りいて、「ありがとうって言いなさい」という人と、もう次に行く先のことを考えていたりするだけの人がいる。
 まったく感覚的でなんの根拠もないが、明るい声で「ありがとう」と当たり前のように笑って言える子は、そういう子にしつけた親は、スバラシイと思う。よほどのことがないかぎり、グレやしないだろうな、と。

 結婚関係の雑誌を見に来たカップルで、あれこれ引っ張りだして片付けようとしない女と、「元に戻せよ」という男を見かけたことがある。
 そんなのいいじゃん、と応じるような女と、散らかっているのを気にかける男とでは、こりゃ結婚してもうまくいかないだろうなと思った。

 人間観察、他人のことならけっこう楽しい(←おぃ



2004年7月7日(水)

 自分とは近い感性で、違う趣味を持っている人の話が面白い。
 自分と同じ趣味を持っているのに、違う感性の人とは、とても付き合えない。

 自分ではさほど興味のないジャンルの話でも、聞いているといろいろと面白いことがある。
 F1カーの給油は、1秒で12gくらいのスピードで行うんだよ、とか聞いて、「へーへーへー」と3へぇ(←最早古いのが流行語のさだめ
 普通の車は40〜50gしか入らないわけだから、もし同じ方法で給油すれば、ほんの数秒で終わることになる。もちろん、それだけ一気に流し込むには、当然、使うパイプだって直径が40cmくらいあるものなんだけど。

 ただ、話してくれる相手の話し方や感情にも大きく左右されて、「知ってるんだぞすごいだろう」な奴とか、自分の世界入っちゃってる人のはどうしようもない。純粋に、自分の好きなものの面白いところを紹介してくれる話だと、こっちも素で、「どうやってるの?」とか「こういうの見たことあるけどあれは?」とか、ひきだしを開けてもらいたくなる。

 知ってたところで「だからなに?」なことでも、知らないよりは面白い。



2004年7月8日(木)

 小学校高学年か、中学生くらいだと思うが、「ルパン三世の小説」がないかと尋ねてきた。
 存在はしてる。実際にうちにある。ゲームブックが流行った頃に丁度出たもので、ゲームブック仕立てのものと、普通の小説とが私の本棚にはある。
 が、今では問屋の情報を検索しても引っかからないくらいマイナーなものだ。売る気はないが、売ればそれなりに高額かもしれないな、なんて思う程度にはレア。
 ともあれ「ある」ことは知っているが店に「ない」ことも知ってる。
 それでも探したいというなら、それをできるだけ叶えてやるのが私のモットー。

 が、聞いていくと妙なことに気付いた。
 「最後の冒険」とかいうタイトルがつく、という。
 ちょっと待て、それはモーリス=ルブランの本家「アルセーヌ・ルパン」ならそういうタイトルのものがあるが、三世ものにはなかったはず。マニアをナメるな状態でパッと思い浮かぶ。
 が、「アルセーヌ=ルパンじゃなくて、ルパン三世?」と聞くと頷く。
 何度かやりとりした後で、勘違いしていることが分かったが……。

 本家ルパンと三世をごっちゃにするようになったか。
 それだけ海外生まれの一世じゃなく、日本生まれの三世のほうがメジャーであり、ルパンの代名詞になってきたってことなのかもしれない。
 大ファンとしては嬉しいが、複雑な気もするのは事実だった……。



2004年7月9日(金)

 きっかけはあるけれど、決してその「きっかけ」のみのことを考えてではなく、一般論として気になったので思考してみたこと。

 何故書く(描く)んだろう、ということ。

 私の場合、大学時代のけっこう煮詰まっていた時、イヤなこと考えないでいるために(これは後にそう気付いただけで、当初はそんなことを考える余力もなかった)、空想の世界に浸っていた。
 それでも現実とも向き合っていたから、さほどひどい逃避ではなかったけれど、その弱逃避が少し上向きになった時、ふと、「書いてるとしあわせだから書いてるのかもしれない」と思ったことがある。
 逃避という意味があろうとなかろうと、つらい時でも楽しい時でも、そんなことは後回しに、とにかく自分の作り出す物語に向かい合っているとしあわせだから、こうして書いているのかもしれない、と。

 それよりさかのぼること数年。中学、高校時代は、見せ合っていた友人に「見せつける」要素が強かったように思う。
 無論ながら自覚はない。
 整合性もなにも考えず、ただ好きなキャラをかっこよく、あるいはかわいく活躍させることだけが全てで、テーマも「こんなこと言ったらすごいかも?」程度の見栄ゆえのもの。
 相手の気持ちとかは考えず、ただ上っ面でいい、「すごいね」「おもしろいね」と言われることが快感で、そのためにしていた面が強いように思う。

 そうして、自分のダメ人間っぷりが年とともに際立つ昨今、「これ以外になんの価値もないんじゃないか己?」というのもあって書いている(死
 いや、そんなに悲観的に「これしかないっ」とすがってるわけではなくて、むしろ「これなら少しくらい逸脱してても」と楽観的逃げの姿勢で。だからダメ人間なんだヨ?(←自分で言うな

 頭の中に浮かんでは過ぎていく、「ちょっと面白いこと」「気になること」を残しておきたいというのもある。小説という形にまとまらなくても、シーンや台詞、ネタ状態のままで書き付けておくのも、加えていいだろう。
 かっこよく言えば、自分の現在地を記しているような意味合いだ。

 あとは……思いついたものを形にできるということ自体で、自分の価値をはかることもあるかもしれない。誰が見ていなくても、「できる」と自分が知ることで自分に価値をつけるような。

 いろいろ、あるようだ。
 一気に明日分までアップするとして、次は「何故見せるのか」について。なにせ明日は昼から翌日昼までのロングランで仕事だ……。



2004年7月10日(土)

 何故見せるのか。
 書(描)いたものをサイトにアップして公開するのは?

 おおまかにいえば、「えっへん」と「ほっ」のためじゃないかという気がする。
 「こんなことができるんだよ」という自慢と、人に反応してもらって(無論、好意的なもの限定だ)得られる安堵。
 どちらも自意識ゆえ、自己満足のためだ。
 それプラス、人を楽しませようというサービス精神があるかもしれないが、よくよく考えたらそれって、自分の作るもので楽しんでくれると確信しているわけで、ずいぶんな自信だよな(汗

 他にもいろいろあるかもしれないが、この「えっへん」と「ほっ」。
 これを自分で否定すると、途端につらくなる。
 褒められたいの当たり前じゃん。
 上手いねって言われたら嬉しいじゃん。

 だから、ほとんどのサイトにおいて、批評的な発言はNGにされるんじゃないかと。
 自分の力量を世間に問うつもりなら、こんなところでコソコソしてないで、投稿すればいい。プロを目指せばいい。
 なのにそれをしない以上、そんなものはどうでもいいんじゃないかの。
 むしろ、世間に通じませんよ、なんて言われるのがイヤだから、投稿も持ち込みもする気はないとか。
 ただ褒められたい、そうして自分のしていること・自分の技術・自分自身に自信を持ち、安堵したい、すごいでしょうと優位性を感じたい。
 そうなんじゃないか、という気がする。

 ただ同じ趣味の人と楽しくやりたいなら、閲覧者としていくつかのサイトでの常連になり、そこの人たちと親しくなるのだっていい。
 にも関わらず自分の品物をアップするのなら、「えっへん」か「ほっ」がありそうな気がする。「えっへん」ったって大威張りじゃなくて、「私の小説(絵)も捨てたものじゃないな」くらいの小威張り込みね。

 ……そーして一番肝心なのは、それでいいじゃんってこと。
 自分が「このままじゃいけない」と思うのでないかぎり。



2004年7月11日(日)

 アイスノンで冷却。
 扇風機照射。

 ただ、私ではなくおスミさん(PC)。
 ……ご、ごめん、こんなクソ厚い部屋で長時間動かして……っ。
 でも幸いに今日は雷雨★
 ……はっ!? ってことはいきなり停電する可能性考えたら、PSOオンやらなくて良かった気も!



2004年7月12日(月)

 朝七時頃に寝て。
 夜十一時に起きた(死

 途中何度か目を覚ましてはいるが、起き上がるとかなにかするということもなく、すぐにまた寝て、この始末。
 疲れてるのかなぁ……。



2004年7月13日(火)

 まーなんつーか、ものすごいうろ覚えで肉U世のネタ書いてたけど、ものすごい勘違いしてたね私。
 ケビンってマンタ戦前である程度親父のこと吹っ切ってたっけか。
 そういうわけで少し修正。
 いや、U世のピックアップコミック誌見て思い出したよ正確なトコ。
 そしてクロちゃんとの体格差ってこんなにあったっけか?とあらためて驚いた今日この日でした。



2004年7月14日(水)

 うーん、肉ネタばっかり出てくるけど、どれもこれもケビンがひどい目に遭うコメディばっかり(死
 PSOのRAmrトリオみたいに、下敷きが女性向なところはあっても、内容そのものはそれをネタにとったギャグがメイン、ってのばかり。
 でも、ざらっと探してみた感じ、ケビンとクロエ(ウォズ)の話でこういうネアカなのってなかったし、だからこそ思い浮かぶのかという気が。
 ……だからってここまであの親子を変にして、ファンを名乗って信じてもらえるだろうかという疑問はあったりする……。



2004年7月15日(木)

 いい加減、さすがに修理に出すべきかと思わないでもない我が家のGC本体。
 のらくらとPSOオフで洞窟を進んでいたら、デロ戦への読み込み中にエラー起こしやがった……(滅
 にしてもそのプレイ中、エリア3の最後の三部屋で赤箱が四つ出るという異様なことが起こってる。箱から二個、敵から二個。
 どれもヴァリスタとか暗殺者とかカットラリとか、しかも属性ないものばかりだが、これだけ連続して出たのは初めてかもしれない。

 と、どうでもいいことを振っておいて、マジメな話。
 ここ数日間、あるかたと何度かメールをやりとりしていた。
 とても有意義に。
 端的にいえば、そのかたが私の書いたものを読んで、共感したということを教えてくださったのだけど、結果、そこから私が自分自身について振り返ることもできた。
 こんなザレまで覗いておられるかは分からないけれど、ありがとうございますと言わせてもらいたい気分に。

 以前から何度も不思議に思い、時にはそれらしい答えを見つけみた気分になることもあるが、何故、時にはwebという文字の付き合いのほうが、リアルよりも切々としてくるのだろうか?
 リアルで顔合わせて相談に乗っていたりすることもあるけれど、それよりはるかに多く、私は自分の本心、言葉を伝えられている気がする。
 面と向かい合うことが起こるリアルでは、どうして考えざるを得ない「今後」が、webには乏しいからだろうか? だから、格好つける必要もなく、貸しも借りもなく、無責任であるがゆえに、逆に誠実に答えられるのかもしれない。
 リアルで相談受けるとすると友人・知人からだから、どうしても今後の付き合いがあり、それが気まずくならないように、という配慮が出てくる。その結果、相手のためになる以前に、私がまずいことにならないように、という防衛心理が働く。そんな仕掛けなのかもしれないなぁ。

 HP上での書き込みがどうのとかで、小学生の女の子が同級生を殺傷した事件(それいえば、新聞だかコラムだかで、何故か報道は「殺した」という言葉を使いたがらないとか読んだなぁ。クソクラエだ)。
 あの事件の後、新聞のコラムで、「webという空疎な人間関係」みたいな書き方をされていた。ちょっと実際のところは覚えていないけれど、なにかそういうニュアンスだった。
 正直、ものすごい冷めた。
 本当にwebの世界をしっかりと味わって、その明暗を身にしみて感じた人間ならとても言えないことだから。
 ろくに触りもしないで「危険なもの」とか「空疎」と決め付けるそのお手軽さに冷めた。
 リアルで顔つき合わせてりゃ心の篭もった付き合いになつてるってのか、え!?みたいなのもある。むしろ私は嘘ばっかりだ。しかも、楽しませるためとかの楽しい嘘、いわゆるホラではなく、誤魔化しとか回避の嘘が多い。そういう自分がイヤだから、webではそういう嘘はつきたくない、と思ってるのかもしれないが。

 ともあれ、楽しませてあげられたことや、なにか心に、リアルの生活に響くプラスのものをあげられたこと。
 それこそ、切実に。
 ともすると、ほんの小さくてもいいから、暗い気分を救ってあげられたとしたら。
 それが何年に一度、どれくらい乏しい確率で起こるかもしれないとしても、やはりやめられないなと思う。
 そしてふと、「人の価値」について明日分へ。


Made with Shibayan Diary