烏の足跡



2004年2月16日(月)

 まあ、ともかく三国無双エンパイアーズは買うと思われ。
 シミュレーション的な部分においては、移動メインで戦ってる時間が少ない、なんてことになってそうで怖いけど。めちゃくちゃそこが心配だけど。
 エディット武将に全ての武器持たせられるとか、モデル増えてるとか、声が選べるとか(! やっとだよやっと!)、その辺が遊べそうだから。
 無双3・猛将伝とのデータコンバートはどうなるのか、エンパイアーズのデータで無双3+Mの部分も遊べるのか、それともデータを移行させられるだけで、本家とはまた違うゲームなのか。

 ブランドに頼るセコい商売しおるな、とは思うものの、まんまと騙され気味に買うワ・タ・シ。



2004年2月17日(火)

 掲示板いらねぇかなー、と最近思う。
 署名自由の一言(より若干スペースの大きい)メールフォームを、どこに移動しても必ず表示されるようにしておけば、掲示板よりこっちのほうが使い勝手いいんじゃないかと思えたり。
 そもそも掲示板は、他の人も発言を見るわけで、管理人との軽いやりとりのためなら、掲示板も一言メール+返信コーナーも変わりない。
 横レス、先レスOKにしていても、管理人抜きでとか、あるいは話題に混じってきてくれることもほとんどないわけだし。
 うーむ。



2004年2月18日(水)

 ここんとこ戦国しかやってない(滅
 だからこっちに書くネタもない(ぉぃ

 やはりそれがらみだけど、戦国無双の販促ポスターと、キャラクターごとのミニポップを全種類もらった。孫市はハナからいないらしい。騙された。ぐすん。
 風雲新撰組の販促用ミニのぼりももらった。
 ―――なんか参加型の企画でもして、それの景品にでもしようかと思わないでもないが……いらんか、別に。



2004年2月19日(木)

 ファミマに「さくらまん」があった。ここんとこずーっと、春になっても売ってなかったのに、何故に復活?
 昔、カラオケ屋でバイトしてた時、帰り道のファミマでさくらまんと桜緑茶を買うのがマイブームだったことがある私である。
 あー、うまうま。



2004年2月20日(金)

 簡単に言ってくれる、と思ったりした。
 うちのことじゃないんだが、ただ見る側のかたは、かきての苦労を案外知らない様子。この説教くさかったりするザレを覗いているかたには、無論ながらある思慮とは思うから、ここで書いても無意味な気もするんだけど。

 正直、小説でもイラストでも、日産するようなペースってのは、異常。自分でやっといて言うことじゃないけど。
 小説の場合、構成なんかをまつたく考えずに書き始める私でも、一本書くのに四時間程度は確実にかかるが、その前の段階で、あるいは書いているのと同時進行で、どうはじめてどうさせて、どう終わらせようかを考えているわけだから、更に時間を要している。しかも、その「はじまりかた」「肝心な部分」「おわりかた」のうち前後二つは、絵には必要とはされないポイントでもある。絵にもストーリー性はあるが、前後は自分のイメージだけでいい。それを作品にはしなくていい。肝心な部分の支えとして、作品の一部にはしなくてもいい。そこが決定的に違う。

 小説を、そういう絵のように書くとすると、前後はあらすじ程度の箇条書きで、書きたいシーンだけが丁寧に書いてあって、そこが終わったらまた箇条書きになってるようなものだ。
 知っているサイトさんで、その「肝心な部分」だけを思いつくままに書かれているかたもあるが、ご本人もそれを小説作品には数えないだろう。一種、これは絵板のようなものの文章板?かと思ってる。(余談:これはこれで、新しい楽しみの形態だからとても面白いと思ってたりする)

 絵にしても、背景や表情、細部の模様とか色の置き方とか、自分で納得いくだけの手間をかけた作品には、かいている時間だけなら、小説よりも長い拘束時間があるだろう。
 どちらにせよ、「肝心な部分だけの抜書き」で良しとするのでないなら、どちらも、相応に手間はかかるのは確か。小説は絵よりも見せなければならない枝葉が多いため、作らなければならないもの(書く以前に頭の中で)も多くなる。
 絵は描いている時の手間、小説は頭の中に用意するものの量。
 日産するというのは、自分の時間のほとんど全てをそれに費やすに等しい。

 私がそれをしているのは、そうすることが楽しい、つまり、自分の時間を全てそれに使おうという気になっている時だけで、他にやりたいことがあれば、現状のようになるわけで。
 ま、うちはそのペースが半分、売りになってるようなところがあるが、日産しようとしたら寝る時間ないんだよ、マジに。二日に一本程度で、一日に5時間ばかりの睡眠時間が確保できる。(書いてる時間以外に、書き直し、読み返して修正、htmlファイルにするなど、結局は一本アップするのに、書いているのと同じ程度の時間がかかるのである)
 正直、小説も絵も、一週間に一本ほど増えれば、更新ペースかなり早いほうだろう。他のこともしようと思ったらね。



2004年2月21日(土)

 話は三分以内にまとめましょう。
 まとまらない時には、次回に持ち越しましょう。

 ―――バイト終わって終礼。報告事項等のあと、社員からの一言があるんだが、某社員さんは話が長い。同じことを何度も繰り返すせいもあるし、こちらの質問について、答え以外のことをあれこれ余計に喋るせい。
 はっきり言って、どんなにもっともなことでも、これでは効果半減。
 というか、少し聞けば言わんとすることが分かる人にとっては、ポイントからずれたことをくどくど言っているように聞こえるし、理解力の弱い人にとっては、なにが言いたいのか、なにがポイントなのか分からなくなる。

 しっかりと聞いてほしい話は、短くまとめて端的に。
 ……このザレは、まあ長いこと多いけどネ(死



2004年2月22日(日)

(あるかたへのメールとあまりにもかぶっているように見えるかもしれないので、もしそのかたがご覧の場合のため、前もっておことわりを。カンケイありませんので。以下は、バイトの休憩中に持ちかけられた相談から、思ったことです)

 誰からも100%好かれてる人なんていない。
 逆に言えば、誰しも誰かからどこかで、なんらかの文句や悪口は言われてる。
 更に言えば、どんなに仲の良い相手も、100%貴方のことを好きなことは、まずもってない。
 それが、当たり前。
 100%を求めるから、つらくなる。誰かに嫌われたりすることに過敏になる。

 世界中の誰からも嫌われているのでないなら、いいじゃん。
 おおむね好きだと思ってもらえてるなら、それでいいじゃん。



2004年2月23日(月)

 めがてんマニアクスからの話。だけどゲームの話ではないので。

 アサクサ復興後、地霊のかたがたがお住まいになる。その仲のサルタヒコが「友人は大事にしないと駄目だぜ。アサクサ住まいの大先輩からのアドバイスだ」みたいなことを言う。
 日本とゆー国には、たくさんの神様がいた。俗に八百万(ヤオヨロズ)の神というように(八百という数字は、日本では「ものすごくたくさん」の意でよく使われる。「大江戸八百屋町」とも言うように)、とにかくいろんなものに、いろんなところに、神様がいた。

 いろんなものに神様を見出す国と、天という一ヶ所にたった一人認める国と。
 民族の考え方・感じ方の違いのようなものを感じる。
 どっちがいいってことじゃないが、マニアクスやりつつ、こんなふうに気安く話し掛けてくれる神様があちこちにいるとしたら、ちょっとステキな国なんじゃないかと思った。
 なんというか……罪を裁いたり罰したりする神ではなくて、ものすごい力を持ってはいるけれど、自分たちも間違ったりバカやったりするだけに、人間のこともわかってくれる神様。
 ギリシア(ローマ)の神様もそんなところがあるし、北欧神話もいろいろと関係ややこしかったりするけど、オーディンにも抜けたところがあったりする。

 ともあれ、そういう神様を信仰することはないと思うけど、「いる」と思っていればそれなりに楽しかったりするのかもしれない。
 誰にも聞いてもらえない愚痴を、毎日お参りしている裏のお稲荷さんに零すとかね。そういう広がりが生まれる。ヤキモチな弁天様が「きーっ」となってるところ想像するのもかわいい。
 私は、冷たい目でルールを守っているかだけ見ていて、守っている人にしか優しくない某神様よりは、迷惑かけられてもいいから、一緒に笑ってくれる神様がいいと思ったりするのであった。



2004年2月24日(火)

 主婦でなくとも、家庭で料理を作る人にとって、それはあくまでも役割か。
 創意工夫なんて、料理そのものが好きとか趣味でなけりゃ、しないものか。
 まあ、そうだろうなぁ。
 なにせ毎日のことだから、「とにかく食えるもの食わせておけばいいだろう」になっても無理ない。好きでもないことを毎日しなければならないとしたら、そんなもんだろう。
 だったらいっそ、作っておくのはやめてくれ己で作るからと思う今日の夜食も、代わり映えしないお好み焼きであった……。



2004年2月25日(水)

 ファミコン誕生二十周年だっけか?
 とにかく、GBAで「ファミコンミニ」として、何本かの名作ソフトが復活している。
 今から二十年後、そうして復活して更に売れるようなゲームが、今どれくらいあるんだろう?
 グラフィックなんかで誤魔化しているばかりで、二十年たっても変わらずに愛されて、その時初めてプレイする人にも面白いと思ってもらえるようなゲームは、ほとんどない気がする。
 今のゲームのグラフィックを、二十年前のものに戻したら、どれくらい売れるだろう。

 映像ももちろんゲームの要素だから、それが素晴らしいことはすごいことだと思うし、美麗な映像が面白みを引き立てることはあるだろう。
 でも、引き立ててもらっているからすごいだけに終わってるものも、少なくない。
 グラフィックがいまいちでも、他の部分で強く私をひきつけてくれるゲームのほうが、実は愛着あったりする。サイバードールしかり、ウェルトオブイストリアしかり、ジルオールしかり。
 前者はシステムと世界観。後者二つは本当の意味での「RPG」。(今RPGと銘打たれているものは、ちっとも「ロール・プレイング」じゃない。EXPで成長することがRPGじゃねぇんだよと言いたい私)
 グラフィック、容量、そういったもののために不満足な仕上がりになったようなところがあるゲーム。こういうものをこそ、リメイクしてくれんかな。もうほとんど完成したゲームのインターナショナルだの別機種版だの出すよりは。



2004年2月26日(木)

 年齢的なものもあるのだろうが、アルバイト、社員、店長、いろんなところからの愚痴や悩みを聞いたりしている。
 それぞれがそれぞれに不満を持っていたりするのだが、たとえばAさんが「どうだかなぁ」というBさんについて、Aさんの話を聞いている時には「たしかにそうだ」と思う一方、Bさんの話を聞いても、同じことを思う。
 それこそ、立場の違いだけでも「正論」は無数にある。

 肝心なのは、どれが正しいとかどれをとってどれをつぶすということそのものでなく、互いに抱いている不満などを、理解したり調和させたりするつもりがあるのか、ハナから諦めてしまうのか、ということだ。
 諦めてしまうなら、全ては「言ってもはじまらない」ことになる。
 ……それでも鬱屈した思いは、どうしても外に出てしまうのだけれどね。
 「もういいよ」「言っても仕方ないから言わないよ」と言いつつもそれが愚痴になるということは、心のどこかで、まだ期待しているのでも、あるだろうけど。



2004年2月27日(金)

 ありえない話。
 このザレでは無双ザレでか忘却したけど、「どうせエディットするなら声も選びたいよねー」という話を二度くらいしている。
 たしかに、そういうことは書いた。
 だからって、「コーエーさんが読んでるんじゃ?」は、ないデスよ絶対!!

 そんな意見くらい、他の人だっていくらでもどっかで零してるだろう。
 ろくに検索エンジンに登録することもなく、リンク・リングすら気の向くままのこんなところ、辿り着いた人のほうがレアだ。
 そりゃリサーチ・サーチとしてねweb上での反応とかを収集したりすることはあるだろうけれど、うちはありえねぇ

 私があれこれ身勝手なゲーム批評とかしてるのは、ほとんど自己満足のために等しい。
 ああだったらこうだったら、と勝手に脳内補完して、自分がプレイして一番面白いゲームをバーチャルプレイしているようなものだ。
 意見としてしっかり聞いてもらいたければ、メールするなりなんなり、ちゃんとこちらの所在とか名前を明かした上で(発言への責任という意味である)提案する。ただこんなところでダラダラ零したりしない。

 まあ、もし覗かれてても、それは構わないとは思っているけれど。
 面の向かって提案する、となると遠慮して云えないうなことでも、ここでは勝手にほざいてるから、それだけこっちのひきだしを大きく開けてる。こんなところでも覗いていって、「なるほどなぁ」とでもネタ拾っていってもらえて、それがより私の好みの品物という形で返ってくるなら、それに勝ることはない。
 けど、見られてないに2万ガバス賭けてもいい(←何故ガバス



2004年2月28日(土)

 ガバスついでに、ファミ通の話。
 浜村通信を愛読している。かつてゲーメストの編集長だった、石井ぜんじさんのコラムを「コインジャーナル」なる業界誌で愛読していたように。
 先週発売号の話は、とても好きだ。
 仕事でなかなかコミュニケーションの時間がとれない息子さんと、FF11のヴァナディールで一緒に遊んでいる、という。
 息子(のキャラクター)が作ってくれた料理は、今の浜村さんのキャラにはあってなきがごとしなんだけど、その気持ちが嬉しくて食べてしまう、とか。

 ゲームばっかりして、と「ゲーム」をワルモノにして真面目ぶって、そのくせ自分は仕事でなけりゃゴロゴロしてて遊んでもくれないお父さんに比べたら、ゲームの世界で一緒に遊ぶことのできるこのお父さん、なんてステキだろう。
 親子にかぎらず、兄弟でも友達でも恋人でもいい。なかなか会えないけれど、とオンラインの世界で行動をともにできる。
 「ゲーム」というものが好きな二人なら、自分たちの代理のキャラクターに自分を託して、一緒にいることができるわけで。

 なかなか会えない人と、ゲームの世界でなら一緒に話をし、行動できる。電話より、ほんの少し近い距離だと思った。



2004年2月29日(日)

 以前、三国無双で登録させてもらっていた検索サイトさんが、どちらもリニューアルしているので、また登録させてもらおうかな〜、と思いつつ、なんだか面倒になってきた(死
 多くの人に見てもらいたいという思いはあるのだが、反面、人が増えれば視線を意識せずにもいられなくなるから、結果、自分の思うままの失踪……もとい、疾走ができなくなる。
 時々、web巡りも自分とこの掲示板とかメル見るのも、嫌になることがある。

 自分が楽しむために書いて、それを誰かも楽しんでくれたなら言うことはない。
 ……というのが私自身にとっての最良スタンスだと思っている。
 人が見ることを意識して、人に見られるものとして書くことは、二番目でいいわけで。
 誰かを喜ばせることを第一にして活動するほど、慈善的になんかなりたくもない。

 他人のことなんか気にもせず、ただ自分のしたいことをして、書きたいものを書いていたほうが、おそらく強烈。
 好き嫌いも激しく分かれるだろうけれど、気に入ってもらえれば、その度合いは大きいんじゃないかとか。
 塾時代、あるいは塾ものを探してこられて知り合ったかたと、無双から知り合ったかたと、「更新が途絶えていても通ってくる」とか「他のジャンルのものも覗いてみようとする」というかたは、私に分かっている範囲では、圧倒的に塾関係のかたが多い。そのことにも、関係しているような気がする。
 無双での私は、ただの道化師か―――とか思ってみたり。

 「楽しんでいただけて幸い」という言い方を私はよくするのだけれど、これのもともと持っていた意味を、忘れているっぽい。
 好き勝手にやってるのにも関わらず、楽しんでいただけるとは幸運だ、くらいの意味があって。
 一度初心にかえって、それを読んで誰がどう思おうと知ったことじゃないから、今、自分の書きたいものだけフル投球でいってみようか……。
 しばらくはラクガキかな、半蔵の。血河を泳ぎ屍山を築き、のダークなノリで。


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