烏の足跡



2003年12月16日(火)

 とうとうWA、全キャラLV100。
 まあ、一度に大量なEXP稼ぐ方法があるわけで(バグでもなんでもなく)、それを使えば一気に5レベル6レベル、LV80代になっていようと上がるだけなんだが。
 あとは他の極め要素極めて、それからEXニューゲームでは、お気に入りのイベントシーンを堪能することとしよう。

 それにそれとして、某雑誌にシャドウハーツ2の体験版がついていたので、買ってきた。
 ちょっとやってみた感じ、走ってる姿が壮絶にかっこ悪いものの、戦闘は連携も組めるようになって、ジャッジメントリングもカスタムできたりと、プレイヤーが好きなようにキャラクターをカスタムしていける要素が増えていて、面白そうだ。
 ソロモン王の七十二柱だなんて、私好みすぎるネタも突っ込まれ。

 1月はメガテン3改(←違)、2月はシャドウハーツと戦国無双。
 今年ものっけから、ゲーム三昧確定。



2003年12月17日(水)

 現在のバイト先の店長って人のことから、いろいろと。

 なんか、三日徹夜とか当たり前で、一週間も十日もうちに帰らず、車に着替えとか積んできてお湯屋で風呂は言って寝るのは車の中、なんて生活を続けている。
 それだけ、店のことでしなければならないことが多い現状。
 はっきり言って、私などが「残業続く〜」とか言ってるのとは、レベルが違う。もっとも、私にしても学生さんたちにしても他の人たちにしても、バイトもう一つしていて家には寝に帰るだけとか、朝までバイトしててそのまま学校行って夜またバイトとか、そういうこともあるんだから、「そのバイト」での仕事量には歴然たる差があっても、それぞれに忙しい人はちゃんといる。
 それでも、現在のM店長の仕事っぷりは尋常ではない。
 案の定、三日ほど休むことになった。

 お疲れさんなことへの同情は別として冷静に考えてみると、そこまでしなきゃ追いつかない仕事ってのはつまり、その人の能力をはるかに超えてしまってるんじゃないか、ってことだ。
 それだけのものをM店長におっかぶせてフォローしない「上」とか、さっさと定時(決められた時間)に帰る本部マネージャーとか。
 期待だけして責任だけくれてやって結果だけ求めて、そんなことをするだけのフォローや援助はしてるのか?
 すごい横暴に見える現状である。

 M店長は「俺の店、俺は真剣」と一生懸命にやっているが、実はこれもどうかと思う。
 自分のキャパを超えたものを無理やりに抱え込まなければならないような提案なら、断ればいいだろうに。
 なんかこれ、店のサービスの姿勢によく似てる。
 「やれ」と言われればヘーコラたいていのことはやってしまう。「いや、それはできません、勘弁してください」と断ることがあまりにも少ない。そんな我が侭通したら、同じ条件でもちゃんと罰金(延滞のお金とかね)払ってる人に悪いだろ!?ってことまで通してる。
 ケースバイケースではあるけれど、「質」がいいわけではなく、単に「甘い」のがこの店のサービスで、それがそのまま、「上」と「店長」「社員」の関係にもあてはまって見える。
 やれと言われても、無理なら断って、今ある仕事をしっかりとこなし、自分の器、スキルを上げてからとりかかったほうが、もっと余裕を持って挑めるだろうに。
 やりたいことも、あれこれ一度にやろうとせず、「十年先のビッグな店」目指すつもりで、着実に確実に、進化させていけばいいと思う。特に三国志とかね、アレキサンダーの遠征とか、そういう話も好きな私としては、彼等の描いた「一生かけての超大事業」みたいなのを「すげぇスケールだ」と思ってるから、「そんな半年や一年なんてスパンで一気に辿り着こうなんて考えるから無理が出るんじゃないか」とも思ったりするのだ。
 「一年後には今より10いい店」じゃなくて、「十年後には今より150いい店」を目指してもいいんでないかと。今年は6しかできなかったけど、それでしっかりと覚え、消化し、身に付けたことがある。だか次の年は同じ程度の労力で8できた。次の年は10、次の年には12、とやっていけば、同じ程度のリベルアップになる。
 しかもも無理に無理重ねる「今年のうちに10」なんてのは、達成前につぶれる危険性だってあるのに。……もっとも、十年先までもたずに店そのものがつぶれる可能性もないとは言わないが(死

 ―――と思う反面、「俺の器は5しかないのに、10のものを入れなければならない」状況で、必死こいて落とさないようにやってたら、結果、10のものが入るだけの器になっていった、ということもあるとも思う。
 これは、無理の度合いと、その人の性格とかの適正次第だろう。

 「いい店にしたい」という思いはいいが、私は、「立派な店」は「立派な人」(地位とか権力とかはほとんど関係ない。勝手についてくるとは思うが)でないと作れないと思ってる。もっと自分を大事にしてやりつつ磨いてやったほうが、「立派な人」になり、「立派な店」ができるんじゃないかと思うのであった。



2003年12月18日(木)

 壮絶なまでの物議はかもしていないが、なんだかあちこちで気にかけられているっぽい「ヒーターの設定温度は15度★」について、誰も求めていないとは思うが、何故かを一応くらいは納得してもらえるように語っておこう。

 よーするに私は「寒くなければいい」のであって、「あたたかい」ことは求めていないのである。うむ。
 寒いと感じないで済む温度設定というのが、この部屋とこのヒーターでは「15度」と表示されるあたりであった。外気の冷え込みが少し厳しい時は16度くらいにはしているが、これが17度になると、やがて、暖房器具の作り出すあたたかさ特有の、妙にムアッとしたあたたかさになってしまう。これはイカン。

 更には、うちのPCおスミさんのコンディションである。
 はっきり言って「彼女」は、17度くらいに設定しようものならば、4時間後にはフリーズ連発で抗議してくるようになる。
 「彼女」のヒートアップしやすい性格を適度になだめておくには、10度以下くらいが丁度良かったりもするのだが、それではあまりにも私が可哀想なので、平和的に協定を結んで15度というところまで譲歩してもらったのである。

 あとまあ、あんまりあたたかい部屋にしておくと、部屋の外との温度差が激しくなって、出た時に無駄に寒く感じるのもあまり好きじゃない。
 私自体が、実は体が寒いことならいくらでも我慢も無視もできるが、指が動かないのは困るというだけだから、15度で充分なのである。おスミさんが長期労働に抗議しはじめれば、13度くらいまで下げることもある。

 ともあれ、その部屋やエリアが広ければ、暖房器具から離れたところが「寒くなくなる」ようになるには、暖房器具の傍は20度とかないといけないのかもしれないが、8畳程度の部屋ならば15度で充分。
 暖房も冷房も、「あたたかくなる」まで、「涼しくなる」まで使うと、エネルギー代もけっこうバカにならないが、「寒くない」「暑くない」程度でやめておけば、少しは安上がりに済むし体にも良い。
 つまりは、そういうことなのだ。



2003年12月19日(金)

 CDとゲームを売ってくる。
 一瞬、WA3を考えたんだが、アースガルズとジークのためにやめますた。
 未だに、元祖や2は「またやりたい」と思えるからおそらくこの先も売ったりはしないけれど、3はもういいや。クリアすらしてないけど、もう一度動かす気になれない。主人公サイドとかのみ考えると、もう一度みたいシーンもなにもない。単に、アースガルズが自我を持っていく過程とか、ゲスト出演っぽくもちょっと情けない感じのするジークが捨てがたいだけ。

 で、しめて7000円ほどになったそれでそのまま、DVD「リベリオン」と「bond」を買ってきてしまう(死
 しかしそれはそれとして、「酔拳2」「スリーピーホロウ」「ナインスゲート」「ベルリン天使の詩」「ブラックナイト」と、ややジョニー・デップ寄りにビデオを借りてしまう。
 ジョニー・デップ(ディップが正確なのか?)といえば、少し前にDVD販売された「パイレーツ・オブ・カリビアン」。公開当時はまったくどーでもいいと思っていたのに、今は気になる。単純勝つスリルのあるアクション・アドベンチャーが好きなもんだから。
 あと、今は公開中の「ラスト・サムライ」。見に行ったバイトの仲間が、「トム・クルーズと渡辺謙がめちゃくちゃかっこよかった」のみで感想を語ったので、ものすごく見たい。ストーリーがどうのなんてのは、モロに好みとか視点の問題なのでアテにならないが、男が言う感想の「かっこいい」はけっこう信頼できる。女の言う「かっこいい」「かわいい」は映画なんかの面白さに通じるそれらとはズレてることが多いが(全てそうだとは言わないヨ?

 昔……といってもほんの五、六年前は、今ほど映画に心ひかれなかった。
 更に数年さかのぼると、ほとんど見ていなかった気もする。
 いまだに映画館とは縁が薄いが、今はあれこれと気になれば手を出す気になっている。
 たいてい、ちょっと変な視点から見るからあれこれと余計なツッコみかますんだが、それでも、自分がものをつくる時の参考や下地として、そういうチェックもしないと損ではある。
 物語とか役者を楽しむのとは別に、そういう見方もする。「面白かったけどどうだ」とか、「面白くはなかったけどこうだ」とか。「自分ならこうする」は、それが上質なアレンジではなかろうと、エッセンスとして自分のストックになる。
 自分の頭だけで考え出せることなんかたかが知れてる以上、ジャンルは問わず、多くの「作品」に触れるのは有意義なことだと思ってる。
 ……そんなこと考えて映画見ようとはしてないが。

 残念なのは、そういえばちゃんと見たことがなかった、と思い出した「ローマの休日」がレンタル中だったこと。
 私はあんまり恋愛ものには興味を覚えないんだが、どれを見ても読んでも面白くない、ということは決してない。昨今の変に屈託してリアルなものより、昔の「名作」の中にあるような、少しお伽噺っぽい恋愛ものは、けっこう楽しんで見られたりするのであった。



2003年12月20日(土)

 白井恵理子さんの「GOGO玄徳くん」の中に、かなり鋭い4コマがあって、私は気に入っている。
 「どうしてもムカついて許せない人物がいるのなら、それはおそらくあなたにそっくりなのだ」という言葉が入っているものだ。

 必ずしもそうだとは思わないが、そういうことはある。
 なんだこいつ気に入らねぇ、と思ってはたと振り返ると、己のしてることもそいつと同じなんじゃないかと思えて、かなり滅入った。また、元々己のそういうところはどうだかなぁ、と思ってたものが、他人のものとして目に飛び込んできた途端、こりゃたまらんわとげんなりしたこともある。

 主義主張趣味嗜好なんかの相違はどうでもいいが、性状が、しかも己自身で「なんかヤな奴だよな己のこういうとこは」と思う部分が似て見えたりしたら最悪な気分だ。そいつを見るたびに自分の欠点まで突きつけられるから。
 逆に、気に障ってたまらないそいつに、己が似ているんじゃないか、と気付くから最悪な気分になることもある。他人の欠点にムカついた後で、自分にもこういうとこってあるんじゃ……、と気付くパターン。
 なんにせよ、どちらがどちらに似ているのであろうと、こればっかりは御免こうむりつつ勘弁してもらいたい相手になる。

 好きや嫌いなんていう、感覚頼みの感情には論理的な理由なんてない、とはよくいうが、これっくらいの理由なら発掘されるようだ。
 「好き」だと思う場合についてこういう掘り下げ方をすると、はてしなく偏狭な奴だと思われそうなのでやめておくが。
 しかし一番端的にいってしまうならば、「好き」なのは「己を満足させるから」でしかないんじゃないか、とは、思ってる。「己のなにを」かはそれぞれでも。



2003年12月21日(日)

 ビデオ見た感想。
「ブラックナイト」
 まあ、こんなもんだろう。そこそこ笑えてそこそこ面白い。けど別に、ひきつけられるようなこともない。ネタ的に分かっていても、「黒の騎士」登場シーンはかっこよかったけどね。
 でも、全体的にC級だなと思いつつも、ツボはちゃんとあって。
 ロープ戦法とか教えちゃったりね。英国随一の騎士ノルティが、剣を踏んで飛ばして受け止めるヤツ、主人公もあっさりやっちゃったり。スニーカーもらって足元軽くなったせいで、やけにはしゃいでるノルティも楽しかったなぁ。
 いろいろと面白くはあったけど、ヒロイン可愛かったけど(ぉぃ)、妙味、ということについては乏しいのは間違いない。なんかもっとこう、一ひねりほしいところ。コメディって、大作になりようがないから制作費とかの関係上、難しいんだけどね。

「スリーピーホロウ」(モロバレ注意)
 ジョニー・デップって、役ごとに顔つきとかまで違って見えて、けっこう好きな俳優なんだけど、これはジャケット見て、「加賀タケシ?」と思った私(爆
 「ジェヴォーダンの獣」と微妙にかぶってるから、どうだろうと思ってみてたけど、ジェヴォと違って、首なしの騎士という化け物(幽霊)は本当にいて、殺人はそいつのせいなんだけど、それを操ってるのは人間、ってとこはまあまあ。
 でも、主人公のキャラクタライズが曖昧。母親を魔女扱いして父親が殺してて……なんていう過去持っているくせに、それがほとんど現在の性格づけにというか、映画の中に反映されていない。主人公が科学捜査を主張して迷信を信じないのは、そういう過去があるせいだとして、それでも化け物の存在、魔女の存在を信じなければならなくなる展開の中で、ちっともいかされていない。
 スプラッタ趣味とか、モノトーンに近く彩度を落とした画面とか、けっこういい感じで面白いのとはべつに、なんか足りない。
 そういうとこは、ジェヴォのほうがぎっちりと練ってあって無駄な設定も少なく、良いように思う。

 そしてまた「リベリオン」見る。
 マトリックスよりいい、すごい、という人もいるが、安易に想像がつき生み出せる世界観であることを考えると、それはあまりSFとか見ていない、分かりやすいものを求める人の感想だろう、という気がする。
 たしかに、マトリはとてもじゃないが、1だけ見たり、リロだけ見たりして分かるものじゃないし。
 でもやっぱ、どことなく……いや、思いっきりB級テイスト漂わせつつも、かっこよかったり上手かったり(時々の演技が)するから、これもやっぱり私的には好きだ。
 映画評みたいなところでも、一見娯楽SFのようでいて、「感情を取り戻せば戦争も起こるかもしれない」というシビアなテーマを持っている、と書かれていることが多い。
 だがそれを充分に表すなら、―――以前にも書いてるけど、感情を取り戻すことへの恐怖、不安、そういうものもがっちり織り込んでほしかった。人間に感情が戻ればまた悲劇が起こるかもしれない、という問いに対して、「それでも、信じて選ぶ」というところをクローズアップしてほしかった。
 なんというか、感情を取り戻した主人公が、心の自由を取り戻すために体制に反旗を翻すわけだが、それも「戦争」だろう。国と国とが行う「戦争」と、そう違うわけでもない武力による争いだ。そのことに気付かないよりは、気付いて葛藤したりね。その部分について鋭く突っ込む人物がいても良かったと思う。
 あと、結局は体制側の人間は、粛清という名での大量虐殺行ってるようなもんなんだが、「戦争も殺人事件もない世界で、公的な力によって起こる唯一の人殺し」というのが、少し印象として薄い気もして、惜しい。
 また、一部の人間が、しかも「上」の奴がちゃっかり感情を持って芸術品とかを堪能しているんだが、それにも特にバックボーンがなくて薄い。そこだけ見ると、「上」の連中にとっては、感情のあることが「特権」みたいで、「いいもの」と解答されてしまっているようじゃないか? いっそもっと「上」に、感情を抑制しているんじゃなく、感情の存在しない「新世代」みたいなのがいても面白かったろうなと思う。……そうなると、2時間という枠の中におさまらない気もするが。
 私がこんなふうに、ああだったらこうだったら、こうしたほうがどうのこうの、と言い出すのは気に入ったものだけだから、結局、DVD買っちまうほどだし、かなり好きなんだけどさ。



2003年12月22日(月)

 頭を下げる時、腰まで引けるとなんだか卑屈に見える。
 申し訳ないと思って頭を下げる時でも、腰まで引くことはない。本当に悪いと思うなら、相応のお咎めを受けるのも覚悟の上のはず。卑屈になって「勘弁してくださいよ、ね?」なんてやらずに、堂々と、潔く頭を下げればいい。
 ……とまあ、別に悪い子じゃないんだろうが、腰まで引けたお辞儀をする人を見て、思ったのであった。



2003年12月23日(火)

 時代小説が好きな私だが、誰彼構わずに手を出して、どれでも楽しめるということはない。
 基本的に、短編が好き。
 そして、「ヒーロー」とか「ヒロイン」がいてくれるほうが好き。
 時代の風景や世情と共に、やはり出てくるキャラクターが面白くないと、小説そのものも面白いとは思えなくなってしまう。

 池波正太郎氏の「剣客商売」は、固定キャラクターたちの彩りと、その世界に広がっている、ごく自然な「恩義と尊敬の関係」が好きだ。
 柴田錬三郎氏の「御家人斬九郎」は格別に好きな一冊なのだが、これも主人公とその母、懇意の岡引たちの面白さと、ひねりのきいたショートストーリーがたまらない。
 笹沢左保氏のものも、やはりキャラクターの巧みさと短い中に凝縮された物語の面白さが決め手で、気になるタイトルがあればついチェックしてしまう。

 ……と並べてくれば、時代小説好きには一目瞭然だが、全て大衆娯楽小説であり、大作家である。
 他にも高橋克彦氏にしろ勝目梓氏にしろ(主にエロティックバイオレンスを書かれているが、このかたの書かれた時代ものも二冊持っていて、ものすごく気に入っている)、好きなのは九割まで大作家。
 そこまでのネームバリューがないとなると、鳴海丈氏くらいか?

 そんな私であるからして、あまり数も出していない、ちょっと名の落ちる作家のものは、けっこうシビアな買い方をしてしまう。
 ちょっと冒頭数ページ読んでみて、その時点で「お?」と思えなければ買わない、というやり方だ。
 それで長編だと、つまらなくても最後まで読まないとオチすら分からないから、とたいてい「ダメ」となる。
 それが、久々に冒頭で興味をひかれ、つい買ってしまえるものに出会った。
 鈴木英治「手習重兵衛 闇討ち斬」(中公文庫)である。

 バイトしながら見かけて気にはなっていたが、短編でないのが確かで、ちょっと躊躇っていた。
 しかし返品されるさだめとなってバックヤードに突っ込まれているのを目撃し、こっそりと(ぉぃ)開いてみたら、これがけっこうイケる。
 まずもって、さっと頭に入る読みやすい文章。のっけからなんだか介抱されてるらしい主人公と、面倒を見てる、人の良い坊主頭な人。しかもタイトルからして、主人公は手習い師匠(いわゆる寺子屋の先生)だろうと思える。たぶん、浪人者だろう。手習いの先生やれるような人柄で、剣の腕もすごいことになる。なんだか面白そうだ。

 読み進めるには、面白い以前に「読みやすい」ということが大事で、少し読んでみた文章の具合から、これは読めそうだと購入決定。
 そうして実際に読んでみると、言葉遣いの点とか、情景描写が本当にただの物事の説明の域を出ていないとことか(←何様)、人間描写は「書いて伝えただけ」っぽいところとかあるけれど、ケツまで一気に読める程度には、読みやすく面白かった。
 シリーズとして次のも出るなら、また読もうと思うくらいには気に入った。
 いろいろと気になるところがあって、独自の味というものも曖昧で、やはり先に挙げたような大作家の作品と比べるとどうかという気もするが、肩の凝らない娯楽作品としては、かなりいいかもしれない。
 変に陰惨なところとかもないから、明るくさっぱりと読める。

 ただやっぱり、不満はいくつでも挙げられる。具体的に挙げたって、読んだことがあって面白かった人には不服だろうし、興味のない人には無意味、読もうかと思ってる人には興味を殺いでしまうから、やめておく。
 ともあれ、主人公の負わされている「こと」についてはなんの解決もされていないのだから、必ず次の巻はあると思う。そこではせめて、「笑顔がいい」から人に好かれるんだという主人公の性格、その笑顔を、物語中で描写してもらいたいと思う。
 照れたように笑うのか、快活に笑うのか、それが人の心をどう動かしてとらえるのか。おかみさん連中の母性本能をくすぐってしまうような笑い方なのか(主人公は二十三。現代だと三十前後くらいの風貌になる)、屈託なくて見ているほうの心まで晴れ晴れとするのか。
 つまり、読者を小説の登場人物、主人公を見ている側の人物に重ねて「ああ、なんかいい人だ」と思わせるような部分がほしい。そうすれば、皆が主人公を慕う気持ちが自然に分かる寸法だ。
 次回、そういう部分で更に面白くなることを期待。



2003年12月24日(水)

 うちのはちゃめちゃな世界でならあり得ないことはないだろうけど、そうするわけにはいかないという話の話。

 またふと発作的にPSO話を追加した。
 私は、NPCを組み込んだ話というのはあまり書きたくないと思ってる。特に、そのNPCが自キャラと関わる場合だ。
 何故なれば、そのNPCが好きな人には、あまり嬉しくない状態だろうから。
 ぶっちゃけ、「彼は私のキャラと仲がいいのっ」というようなジェラスな感じになる人がいるからだ。
 特に、キリークというのは男女問わずに人気の高いNPCの一人だから、使うにも実は、ものすごく気を使う。
 「こいつらなんか嫌いだ、関わりたくない」と思っている状態でならばまだしも(つまり、今までに書いてあるものの状態)、好意とか興味を持たせるのはまずいと思ってる。
 もちろん、人の話は人の話、として自分の空想とは切り離して受け止められる人もいるだろうが、以前、とあるPSOサイトで、なんだかそういうクレームがついたらしいことを日記から拝見してねェ。

 NPCは誰のものでもない、という状態。公式に設定された関係以上のものを、特に自キャラ(脇役クラスのどうでもいいキャラではなく、特に実在キャラ)との間に持たせるのは、タブーのような気がしている。
 もちろん、他の誰がどう扱ってどう関係させようと、それは私にはどうでも構わないのだけれど、私は、できるだけやりたくないと思っている。キリークを含めた、NPCの熱心なファンの中には、強烈に嫌がる人もいるだろうから。

 思っているが、「人の話は人の話」として、私の作るPSO世界の話を楽しんでくれるかたから、大笑いなネタをいただいてしまってサアどうしましょ。
 鉄夫婦にキリーク加わっての三角関係だって。ごめんなさい、素で吹きだしますた。
 でもやっぱこれはできません。ホントにキリークファンは多くて、それぞれがご自分のキャラクターとなにか関連づけた物語なんかを空想されておられることも多いから、やるとしたら、本物の「裏」コーナーでしか展開できましぇん。



2003年12月25日(木)

 手、広げすぎ。我ながら思う。とうとう紅茶講座コーナーまで作ってるし。
 もともと、自分の趣味でもあるからコーナー作りたいと思っていたところへご要望もあったので、ほいほいと。
 この巣、なんかもうカオティックすぎて、総合マップの書き換えを検討中。どういうものがあるのか、どこにあるのか、分かりづらすぎだ。

 ともあれ、ざくざくと基本的なことだけ並べてみた紅茶講座。ちょっと覗いてみて、ティーバッグであれ、試してみようと思われるかたが出てくれればなによりである。また、元から紅茶に興味を持っていたかたのお役に立てれば幸いということで。

 で、こういうことやりつつ、今度はタロット占いのコーナーでも作ってやろうかと考えるんだから風呂敷広げすぎ。
 本館・別館・離れ、とかいう構成になりそうな勢いで広がりすぎ。
 といっても、私は自分でカードをめくるエセ占い師であり、CGIを作って提供するわけではない。
 相談者を目の前にすることもなく、当たる占いができるのかと言われそうだが、だからもしやるとすれば、「タロット占い」ではなく「タロット・カウンセル」とかになると思う。
 カードを一つの扉として、これまで目を向けていなかった問題について触れられるかもしれない、というスタンスで。
 ……というだけで終わるはずがなく、絶対、各カードの意味とか、代表的な占いの方法とか、紹介するコーナー作り始めるんだろうな。
 そうなるとSS書く時間も食われるし、カウンセルはじめたヨといったところで、こんなのに相談持ちかけてくる物好きがいるのかどうかが最大の問題で。
 とりあえず、当分は保留。



2003年12月26日(金)

 たまたま書こうと思ってたら、たまたま他の管理人さんもボヤいておられたこと。
 サイトなんかあちこち見ていると、「どれがなに?」なことがよくある。
 クリックできる場所がわかりづらいとか(下線なし、ポインター持ってっても色とかの変化もなし、ポインタそのものの形状さえ変化しない設定というところさえある)、どういうコンテンツへ飛ぶのか見当もつかないタイトルだとか(BBSを「おしゃべり広場」としている程度ならばともかく、中身とほとんど関係のない自己満足的な名づけ方をしている……)。
 それから、作品のところも、説明がまったくないところ。
 ほとんどのところは、タイトル=内容であるとか、解説みたいなものを書き添えてあるとか(うちはこのタイプ)、ポインターを合わせると解説が出るとか、ちゃんとされてるけど、たまにまったくなんにも解説がないところがある。
 たとえば、■にリンク張ってあって、どこにも説明が出ないし、書いてない。ファイル名を見ても分からない。

 たとえば、オリジナルとか、あるいはパロディでも、「その人の作り出す世界そのものを楽しみたい」人なら、解説なんかなくても片っ端から見て、それでいいだろう。
 けどパロディなんて、「自分の好きなキャラの話・絵」を見たいことがほとんどで、興味のないキャラとかCPを覗くなんてことはまずない。

 説明がまったくない作品ばかりあるところは、正直なことを言えば、私はまず見ない。よっぽど絵とか小説が上手くて、自分が好きなキャラクターでなくても損な気分にはならない、というならともかく。
 というわけで、人への親切というより、見てもらいたいならば当然の配慮として、実際にそのものを見なくても、誰がいるかくらいは分かるようにしたほうが良いのではないかと思うのであった。



2003年12月27日(土)

 拉致られてた。
 クリスマスパーチーに。
 誘われて断れなかったとかではなく、本気で誘拐モードな感じ。
 さーバイト終わったぞー、と外に出たら待ち伏せされていた。
 そのまま車の中に引っ張り込まれて、スタコラサ。
 一瞬、本気で怖かったにょ……TT

 でもまあ、楽しかったからいいけど。
 久々に、リッター単位で酒飲んだ気もするし。
 おかげで頭の中はぐーらぐら。ウフフ……(壊



2003年12月28日(日)

 「パイレーツ・オブ・カリビアン」DVD買っちゃったヨ(←馬鹿フルスロットル
 基本的にファンタジーがかった冒険ものは好きだし、海賊好きだし、一匹狼の海賊ってのが、ものすごい矛盾してる気はするがなんだかかっこよさげで。
 呪いだよ。それを解くためのメダルと、それを持つ主人公とヒロインだよ。
 なんだか楽しそうじゃないか。

 とりあえず、面白かった。
 アドベンチャーであり恋愛ものでありアクションであり弱ホラーであるのまでは分かりきっていても、こうまでコメディだとは思わなかった。
 まあ、コメディ要素はなくてもいい映画だと思う。けど、個人的には、それが適度に肩の力抜かせてくれて、アクセントとして丁度良かった。ものすごい決闘とか立ち回り見せてくれるのに、ビンで後ろ頭どつかれてバタンQとか。女に引っぱたかれて毎度同じアングルとアップでカメラのほう向かされるのとか。
 なにより、冒頭のジャック(ジョニー=デップ演じる海賊)の登場が楽しい。たった一人、とても「海賊船」とはいえない小さな船はマストも一本きり。しかもそれが浸水してきてて、港についた頃には、海上に出てるのはマストだけ。その上に立って悠然としてるあたり、のっけから笑わせてくれるし、かっこいい。
 こういうのが大好きだ。
 なにも説明しないけど、一発で興味を引かれ、魅力を感じ、なんか変な奴だぞ、と人物の内面を窺わせてくれる。

 ストーリーも、煩雑になることはなくすっきりとまとまっていて分かりやすかった。
 ヒロインは美人だし、もう一人の主人公ウィル(オーランド=ブルーム。ロード・オブ・ザ・リングのエルフ・レゴラス役の人)も頑張ってくれる。あんたら根っから海賊向きやね、というようなシーンもあって、理性的に考えると問題なんだろうが。素人がそんなに的確に船上で状況把握して指示出せるかよ、みたいな。けどまあ、こういうノリの娯楽映画でそこまで徹底しても仕方ない。スーパーヒロイン大歓迎。
 だがやっぱりこの話は、ジャックだろう。あっちについたりこっちについたり、ころころと態度を変えているようで、実は一貫して、一つの目的のために動いている。そういういかめしさとかを全然感じさせないところもイカしてる。

 ほとんど不平不満もなく大いに楽しませてもらったけれど、一つだけ。
 「なんでアステカの金貨の呪いは、ターナー氏の血で解けるのか」。これが分からないんデスガ?
 細かいことなら他にも気になったものはあるが、これはもう、ラスト近くになるほど「なんでそーなんのよ」と疑問ばかりでかくなり、説明がないままに終わってしまった。
 そのせいでつい、小説版まで買うバカがここに。
 といっても原作ではなく、映画の脚本をもとにしたようなもので小説として評するなら、ストーリーに助けられている駄作(ぉぃ)じゃないかと思う。映画では「表情などから見てとる」しかできなかったものが、言葉になっていて「なるほどー」と思ったり、「そういう解釈なの?」と思ったり、そこそこは面白かった。が、呪いとターナーの血の関係については、こちらでもなんの説明もない。

 まあ、説明されないから面白みが半減ということはないけど、すっきりしなくなってしまったのは確かで、とても惜しい気がしたのだった。



2003年12月29日(月)

 超久々にshinobiのコーナーなぞ復活させてみた。
 元々、geocityじゃ入りきらなくなってカットした部分で、下ろしっぱなしにするつもりもなかったし。
 何故急にというと、kunoichi発売から少しして、「俺的にはshinobiのほうが面白い」という友人がちらほら出てきたため。
 そこで「旅日誌どうなったんだ」と言われて、リアップである。
 なんだかアレ、秀真と「プレイヤァ」のコンビがなかなか好評だったようで。
 でも後半ギャグなんだけどいいのカナ?

 ここからはちょっと真面目な話。
 霞ヶ関のとあるビル。昭和10年だか、よく覚えていないが、それくらいの時に作られた、公務機関のビルみたいなものだと思うんだが、それの取り壊しが決定したとか。
 管理・維持費用もバカにならないし、耐久力という面でも、また、利便性ということを考えても、このまま使いつづけるのがまずくなったからだろう。
 その後にはおそらく、また新しいビルが建つんだろうけれど。
 近代的というか現代的というか、なんの趣もクソもないビルなんだろうなと思うと、なんだかげんなりする。
 内部はともかく、せめて外観とかだけでも、元の重厚で荘重な、当時の息吹を持った文化的なものにしてほしいと思ったりするんだが……まあ、無理な話だろ。

 MIDORIさんから、今年もドイツのクリスマス的光景の写真が届いた。
 写っているのは市庁舎だそうな。
 日本じゃありえねぇ「市庁舎」だよなぁ、と思うにつけ、なんかホントにげんなり。

 金かかるのも分かるけど、なんていうか、利便性以外のところに金使うこと忘れたら、世の中はどんどんつまらなくなると思う。利便性、生活以外のところでいくら金使って遊び、それを大事にするかが、その民族の本当の豊かさなんじゃないかとか。
 世の中に死に金が多いから、こうなってんじゃないかという気も。
 死に金ってのは、品物・満足感に変貌せずに流れている金のこと。私の言葉では、だけど。金庫の中のン億円とか、ころころ転がるだけの金とか。
 いっそどっかの大金持ちが、自分の屋敷から見える範囲の風景を、文化的にかつ美しく保存するために投資しないだろうか? その人は、自分の屋敷着から見えるきれいな風景を買うわけよ。支払われた金はその景色の中に済む人の手に渡って、建物の修繕費なんかに使われる。美観を維持するために当然、町の清掃なんかも必要だろう。そういうのも、「良識」なんて甘えてないで、ちゃんと組織を編成させて、給料支払ってやってもらう。
 ―――と書くとなんか大金持ちの道楽に巻き込まれているように見えるかもしれないけど、似たようなことを国家ぐるみとか町ぐるみでやってるとこ、ちゃんとあるじゃないのさ。大金持ちがやるんじゃくて、税金とか、そういうのでちゃんと資金確保して。

 今更こういう極端な方向転換しろったって無理なのは分かってるけど、文化を感じさせる建物が一つ消えて、合理性だけに傾いていくんだろうことを思うと、なんだかくどくどと愚痴ってみたくなったのであったとさ。



2003年12月30日(火)

 「SVC CHAOS」をやった。
 SNK vs カプコンの、この間PS2で出たヤツ。
 ……す、すさまじいまでのクソゲー?
 だって難易度ビギナー(一番下)にして、のっけから本気Mr.カラテにぶつかったはいいが、「コオーケンコオーケンコオーケン」でほとんど動けもしないままに削られまくるんだが?
 かと思えば、一般のキャラにぶつかると大斬り(幻十郎使用)とかしゃがみ強キック(デミトリ)だけで進めるし。
 真面目に作る気あったのかこれ?
 もともとSNKの格ゲーは、キャラ優先でゲームとしてのバランスはクソなことが多かったが、ここまでひどくなってるとは思わなかった。
 ビジュアルも五年前からどれほど進歩したのかも分からない、ほとんど使いまわしじゃないかって有り様。
 たいていのゲームは、どんなにクソでも「ゲームとして面白いところ」を見つけられるものだが、こんなもの、ゲームと呼ぶのもイヤだ。
 かつてSNKの格ゲーをこよなく愛していたから、マジでこの有り様がイヤだ。

 仕方ないのでプラクティスモードにし、デミトリの「ミッドナイト・ブリス」を全員にかけて遊ぶ(爆
 知らない人には説明するが、これは、ヴァンパイアの王たるデミトリが、対戦相手を強引に女性化させて血をいただくという技。対戦相手が女性だと、衣装が変わったり様子が少し変わったりするものである。
 少し小柄で細いオンナノコになるだけで格好はちっとも変わらないリュウ・リョウ・京とか、ジョシコーセーになる庵とか、スケ番になる暴走庵とか、女性化してもいただくのは遠慮したいヒューゴとか、軍装がかっこいいベガとガイルとか、セクチーなギース様とか(←何故「様」をつけるか。
 一通り楽しませてもらったけれど、今回のヒットはお面が変化するMr.カラテと、野暮ったくだっさい子になるダン、しかしやっぱり、案の定と言っていいのかどうか、花魁になる幻十郎が私的にはかっさらいたい気分で(←お待ち
 庵子ちゃんもかわいかったけどね! ドラマCDの草薙家の一族思い出しちまったじゃないか……。
 あと、オリジナルフィールドではたしかご令嬢ふうになったデミトリが、今回は……ご、ごつい上に衣装はモリガン? 笑わせてもらいますた。

 と楽しんだので、とっとと売っ払う(←ぉぃ
 4600円也。
 で、「武刃街」を買う(←ぉぃぉぃ
 Gacktは好きでも嫌いでもないが(人も曲も)、体験版でちょっとやってみた感じ、お手軽に楽しめそうだった。で、店頭デモ見てたら、空中に浮いてる敵(?)に空中連続攻撃当てつつ進んで、向こう岸に辿り着く、とか、なんかアクションテクニックの駆使しがいのあるギミックもあるみたいで。
 とりあえず1/29のメガテン3改まではこれでつないで、次は2月の戦国無双。孫市!! 飛び道具かよ孫市!! セカンド使用キャラに決定。信長いるのかなぁ……。で、その後はシャドウハーツ2もある。
 そのあたりになると、どう考えても三国無双の熱は分散して相対的に低くなることが目に見えているので、そこまでに、ガリガリ書きたいと思ってマス。



2003年12月31日(水)

 「後巷説百物語」について。
 少し前に、というか、刊行と同時に読んだ。おかげでまあ、「巷説」は文庫、「続」は新書、「後」は四六判というバラバラな揃いよう。

 解説とかであれこれ難しいこと言われて、ものすごい理屈でこの小説を世に出しているような書かれようだが、私思うに、妖怪好きで、みんなにももっと妖怪に興味持ってほしいから、面白く楽しくハララハ読めるこういう妖怪小説を書いてくれてるだけなんじゃないのか? だから面白いんじゃないのか?
 目一杯、そんな気するんだがね、解説屋さん?

 ともあれ、読み始めた時は「なんじゃこりゃ」的に、キャラクターのはっきりしない主人公たちに戸惑った。誰が誰か分からんくらい、どうでもいいというか(ぉぃ
 不思議なことに目のない巡査と、がちがちの儒の塊かつ武士の塊と、洋行帰りの論理屋と、彼等の中間に立つような主人公(?)。
 ここまで二冊の「巷説」で出ていたような強烈なキャラクタ性がないから、なんじゃこれは、と思ったのである。
 しかし、山岡百介が「一白翁」(一と白で百という字になる)として出てきて、物語そのものは又市たちの活躍に関わるとなって、ようやく面白くなってきた感じ。

 読み終わった後も、「現在」に存在している四人は、単なる狂言回しでしかないような気がしてならない。
 んが。
 それもまた意図なのかもしれないと思う。
 江戸を舞台にした物語においては、百介の凡庸さは、強烈な他のキャラクターたちの間にあっては、一つの個性としてはっきりしていた。
 けれど、その強烈な、どこかあやしい個性の持ち主、なんだか不思議な人、怪しい人というのが、維新によって江戸と共に消えてしまい、均一なキャラクター、ほとんど大差のない、扁平な科学の明かりに照らされた時代になったことの象徴のようにも見える。
 その中では、百介すら特異な存在のようで。
 維新を経て、「異界」が少しずつ失せてしまう、その過渡期のような印象だ。

 思いっきりバレだが、最後には百介も天寿をまっとうしてか、死んでしまうんだが、そうしてまた一つ、「異界」に触れていた場所がなくなったともとれる。
 その一方、かつての又市のごとく、怪異を利用して八方丸くおさめるという手管を、主人公が使う。
 どんどん消えていく「異界との境目」と、消え残るそれ。
 解説とは違う形で、変な読み方をしてしまっている気もするが、なんかそのあたりのことが含まれているような感じた。

 そんでまあついでに、又市という人がなんで人助けみたいなことをしていたのかを考えてもみて。
 たぶん、優しいとか温情深いとかいう理由じゃない。
 おそらく、哀しい有り様をできるだけ見たくないから、なんじゃないかという気がする。
 だから、にっちもさっちもいかなくなったような状態を、怪異を利用した大芝居と得意の騙りで、八方丸くおさめてしまう。
 親切にする気なんかさらさらないが、哀しいものはできるだけ見たくないやね。なんかそんな人のような気がしたのであった。


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