烏の足跡



2003年10月16日(木)

 参考にするならば、いいと思う。甲斐もあるし、価値もあると思う。
 しかし、ただ真似するだけなら、「オリジナル」の半分の意味や価値すら、出るかどうか。

 経営方法とかものの考えようの本とか、いろいろある。
 そういうこととからめて、以前にも似たようなことを書いている。そっくりそのままやったって仕方ない、あんたの場合ってのは、その人の場合とは違うんだから、みたいなことを。
 現在、もっと具体的に、あからさまなその例を見ている。

 とある量販店が商品につけるPOPというものは、非常に端的で、あまり内容を説明しておらず、むしろ買い手のインスピレーションとか、興味のみを引っ張るようなものだ。彩色も強烈で、使う色数は下地を含めて三色以内。きっぱりしている。
 しかし、それと同じことをただそのままやったって、ろくなものになってない。実際に、なってない。

 そうじゃないだろうと思う。
 その付け焼刃POPを書いた人には、その人らしいとても素敵なPOPスタイルがあった。そのスタイルにのっとって作るPOPは、非常に凝っていて、つい立ち止まって見てしまうし、読んでしまう力があった。
 そういう、せっかくある魅力的なものが、付け焼刃の猿真似ではまるで発揮できていない。
 ありきたりな売り文句や挑発文句で、「どんなんだろ? 覗いてみるかな」という気をつい起こさせるのには程遠い。
 完璧、真似だけしてちっとも自分のものにはなってないいい例になってしまった。

 真似してるだけじゃ、オリジナル以上のものにはならない。これは断言してもいい。
 むこうには自分で考え出したり編み出したりしただけのベストマッチな適性がある。それを、同じ時間研鑚しているんじゃとても追いつけるはずがない。
 要素はもらえばいい。ヒントはとっていけばいい。それを参考にして、自分ならばどうするだろう、ということを考えて吸収しないと、意味がない。

 しっかりとした下地や適性なしに、上っ面だけ真似たって仕方ない。
 某所の端的なポップからは、「売り文句はストレートでなくてもいい」ということだけを学べば充分だろう。それに気付かず、「ここのはとてもいいから、真似してみなさい」という「上」に、ちょっと冷めてしまう己であった。
 ……実際見て、前のと今のとどっちが魅力的か、わからんのかね……。



2003年10月17日(金)

 学ぶことは大切かもしれない。
 けれど、それと「学校でちゃんと学んでこい」とは、まったくの別の話だと思った今日この頃。
 とある本のタイトルを見て、それそのものはいい話だと思ったんだけど、ちょっとした義理で顔を出した講演会、その本をダシにした話。
 「アホか」の一言に終わる。

 学校に行きたくても行けなくて、勉強したくてもできなくて、やっと通えるようになり、もっと学校に行きたい、勉強したい、という思いは、いい。
 そういう向学心に溢れた少女がいて、ままならないことで悔しい思いをしたりしている、というそれは、いい。
 しかし、それと「学校は大事なところ」とは別問題だ。

 学ぶ意思があれば、どこででも、なにからでも学べる。
 学校というのは、一つの「機会」になる場所でしかない。
 ただ受験用の知識を詰め込むだけの学校すらある中で、こういう「ある少女の思い」をネタにして、学生のあるべき姿にまで話を広げるのは、いい加減すぎる。
 学校なんか大っ嫌いで、そんなくらいなら働きたいと思っている少年が、仮に不登校の対策として親が農家である実家などに預け、農作業させたとして。
 それがとても楽しいと思い、作物が日々育つことの中からなにかを学んでいけたとしたら。

 大事なのは、「学校に行くこと」でもないし、「学校にいけること自体が恵まれていることだ、だからちゃんとそこで学べ」ということでもない。
 学ぶ意思があり、学び甲斐のある場所を見つけることができるということ。
 それじゃあないのか?



2003年10月18日(土)

 私、年相応の言動をすることは、ほとんどない。
 よほどなにか真面目な状況でないかぎり、かなりアホだと思われる。
 今日は、べつになーんにも考えず、「リローデッド、置っくだけ〜♪」とか鼻歌ってしまったら、それをバッチリ聞かれてしまい、思いっきり吹き出された……。
 笑わすつもりとかなかったんだけどなぁ。

 そう。
 「マトリックス・リローデッド」ですよ!
 これは映画を見に行ってしまったわけで。
 DVD買っちゃったわけで!
 私の好きな映画は基本的にアクションなんだが、それもいろいろとポイントがある。全てを満たしていなくても、どれかが納得いくまで高められていれば、それでいい。
 「リローデッド」はSFというだけでまず興味をそそり、ああいう「なにが現実か分からなくなる」話が好きでもある。「アヴァロン」もそうだし。それから、映像美(たんに「きれい」という意味でなくて)という意味でも、作りこんであるものは好きだ。

 展開としては、冒頭からいきなりトリニティのアクションで「何事か!?」と思わせる手が上手い。「ツカミ」がいいのはとても好きだ。マンガでも小説でも、最初の数ページ、最初の一話が勝負である。
 集会のダンスシーンに使われていた音楽が、土着的な、リズムセクション主体の音楽であるのもいいと思った。……うん、やっぱりネオとトリニティのラブシーンはいらんけど。Hシーン入れる意味ないだろ、あれは。二人が愛し合っていて、かけがえのない存在になっている、ということは、ベッドシーンでなくても伝わる。むしろ、エレベーターの中の情熱的なキスシーンだけでいい。やることやっちゃったら、叙情も余韻もなくなるじゃあないか、と思ってしまう。二人で会場を離れる、というところで切ってしまって、あとは「事後」からまた見せればいいんじゃないかなぁ。そういうほうが好きだなぁ。

 レンタル開始されて間がないので、ストーリーの内容に関わるバレはやめておくけれど、アクションシーンがこれでもかというほどに盛り込まれ、カーチェイスも迫力があり、アクション好きには、その動きを見ているだけでも楽しめる。
 だが、アクションに重きをおかない人には、駄作と言われるのも分かる。それくらい、多い。「ストーリーの薄さを派手なアクションで誤魔化している」、という批評を聞いたことがあるんだが、それも言えていると思う。といっても、ストーリーが薄いというのは、アクションの厚さに比べると、完璧に薄い、という意味。アクションを省いて出来事だけを書き抜けば、非常に短くなってしまう。
 しかし、こういう批評は微妙に的外れでもあるんでないかと思う。だって、マトリックスはその「アクション」に力入れまくって、そこを見てもらいたい作品だろうから。ストーリーや世界設定などは、ありがちではあるが、悪くもない。物語を、多彩で派手で「ありえない」アクションを華麗に駆使して盛り上げていく。そういう映画だ。そもそも、現実ではありえない動きをする、ということ自体に意味がある世界でもあるし。

 なんにせよ、私としては登場人物の言葉の意味を理解するために、アクションを堪能するために、繰り返し見るに耐える一本。映画作品購入したのなんて、何年ぶりだろう……。



2003年10月19日(日)

 思えば夏のはじめくらいから、完全に体調に問題のない日、というのがナイ。
 微妙に風邪をひきっぱなしというか、常に漠然とどこかがおかしい。
 くしゃみが連発するとか咳が出るとか、鼻水がひどいとか頭が痛いとか、吐き癖が出るとかetc...
 さりとて、仕事に行くのが億劫だとかいうほどのこともなく、日々それなりに普通に過ごしている。

 先日テレビで、インフルエンザとSARSの初期症状がとても似ているから、見分けがつかないということをやっていた。
 だから、インフルエンザの予防接種を受けておいたほうがいい、と。
 そうすれば、似たような症状が出ればSARSではないか、と分かるというか、懸念できるということなんだが。
 しかし、そうなったら隔離なわけで。被害を最小限に食い止めるという、つまり他人のために摂取しておこうということだぁねぇ。

 ウィルスと人間の、イタチごっこっていうヤツですか?
 減ってもいいと思うんだけどね、人間。私がその中に含まれてもいいから。



2003年10月20日(月)

 毎日がとても楽しい。
 仕事も嫌ではない。いやな仕事になってくると、行くのも働くのも面倒で億劫でどうしようもないんだが、今は、「仕事か〜」とぽてぽてと出かけている。
 ゲームも楽しい。猛将伝やって侍道2やって、今更またShinobiやったりデビルメイやったり、シャドウハーツもちょこっと進めて、放置してあるWA3を、アルターコードF出る前にはクリアしておけとプレイし、そしてまた、思い出したようにPSO。オンでUに会う時までに、忙しくてプレイできないUのため、マテリアルと、できうればスピガー手に入れたくて。……いろいろやりすぎじゃ己
 映画も面白い。今までに見て気に入ったアクションものを、ざらっと流している。トリプルX、アウトローが主人公であることを最大限に活かした展開っていうのがないのが残念ではあるけれど、面白いことは面白くて。ザ・ワンの対決また見てたりとか、酔拳2見てたりとか。
 どうなることかと動かしてみた同盟も、今のところは順調。できるなら、後になるほど管理が忙しくなればいい。登録するだけになるのは、できるかぎり遅らせたい。そうならなければ、なによりだし。
 話のネタも次々出てくる。
 マンガもそこそこ。小説は最近、当たりがないが。

 やってることがことごとく、在宅であるあたり不健康っぽいが、心は極めて健康である。
 それが、なによりだ。



2003年10月21日(火)

 ママンがスリッパを買ってきてくれた。
 今まで履いていたヤツ、もうペロンとめくれてきてしまったから。
 どんなのを買ってきてとは言わなかったんだけれど、しっかり趣味はバレている。
 もこもこのアニマル柄♪
 ……夏には夏のを買おうっと……(汗

 それはともかく。
 歩いているとスポンと脱げる。
 イヤン(TT



2003年10月22日(水)

 やりたくないことなら、やらなきゃいいと思ってる。
 やめたければやめればいい。
 なんでも、好きにすればいい。
 それが「自由」ってことだ。
 ただ、「自由」という言葉をこのまま使うには、自分のしたことの責任は全て自分でとる、という覚悟も必要なわけで。
 他人に尻拭いさせつつ勝手きままに振る舞うのは、「自由」の意味を取り違えているだけだろう。

 学校行きたくないなら、行かなきゃいい。
 働きたくないなら、働かなきゃいい。
 それで自分の親におんぶにだっこで甘えても、親がそれを許すならいい。
 ただ、知ったことかと放り出されて、ひどいなんていう権利は、ない。
 自由ってものは、責任を果たした上で、果たすことを前提に、与えられた権利でしかないわけで。

 好き勝手するなら、土台もその後の付属品も、全て自分で作り、片付けなければカッコつかない。
 ちょっとばかり、ジョシコーセーの話を聞いて思ったのであった。



2003年10月23日(木)

 侍道な話。
 好みの刀を探してみる。
 郷四郎からぶんどった「朧月夜」は、中段構えで使い勝手はいいが、やはり今ひとつインパクトにかける。
 団八から蹴り食らわせて戦闘に持ち込み強奪した「金毘羅・婆沙羅」(字はうろ覚え)は、二刀流はかっこいいものの、どうも攻撃力に欠ける。コレという押しもなくて、ちょっと保留する。
 次はどうしようかと思って、忍者刀・二刀流の「烏峠」を使ってみる。一発は軽いが、けっこう小技がキャンセルきいてよくつながるので、さくさくと楽しい。
 居合刀はどうだろうと、いきなり半左衛門の「斬魔刀」(だっけか?)。一発の威力がでかいことと、普段は納刀した状態から、まさに斬る時だけ抜くのはものすごい好みなんだが、刀への負担もでかくて、すぐに硬度が減る罠。技覚えようと道場で遊んでたら、瞬く間に硬度2になったわさ(汗

 なるほど、こりゃ居合刀使う敵って、ガードあんまりしないわけだ。ガードして負担溜めておくと、自分が攻撃した時にポッキリいきやがる。ということは、いったん抜いたら、一連の連携でトドメさすくらいのことはしろ、と?
 まあ、居合ってそういうものだけどね。抜いて、一発で仕留める。仕留め損ねたら、見切られて終わりと思わないとならないというか。……これは時代ものの読みすぎ解釈だろうけど。

 斬魔刀をぎりぎりまで鍛えたら、次は上段の「鬼包丁」へ行ってみようか、それとも忍者刀の「夜葬」へ行こうか。夜葬は、甲賀式(だと思う)が強力だからなぁ。ガード不能で、相手に連続して使われるとたまに死ぬし。ひぃ。
 下段は、あの構えからしてどうも……。片手剣はやっぱ「神風」かなぁ。脇構えは奈美ちゃんの薙刀からいこうか。

 そういうと私、まだ一度も遊郭利用してないや……。今度、金が溜まったら遊郭で一遊びする生活してみよう。



2003年10月24日(金)

 実はひそかに、総合TOPのデザインを変えようかと考えている。
 しかし、今の形がなかなかマイ・ベスト的にはまっているので、難しい。

 自分がアナログ民なものだから、画像をいくつも張りつけたくはない。
 スクロールしないと選べないものは、できるだけ減らしたい。
 どれが何処に通じるか、クリックできるものは分かりやすくしたい。
 デザインとして、同系のものは近くに置いた形にしたい。
 インデックスページを置かないんだから、いきなりフレームは使いたくない。(フレーム非対応のブラウザ使ってる人って、アナログ民より少ない気もするけど)

 そういった諸々の私流を考えると、これというものがなかなか見えてこない。
 元からしてデザインセンスなんてものはスズメの涙だしな……。
 それに、もしやるなら、相互にしてもらっている相手サイトさんのうちで、前のgeoからリンク修正がしていないところには、全て連絡も出してしまいたい。その時には、リンク箇所を総合TOPに統一しようかという思いもある。
 無双が個別トップ用のバナーを持たず(まさかこんなに増えるとは自分でも思ってなかったから、作らなかった)、リンクを総合TOPにお願いしているから、それに統一しようかな、とか。

 まあ、たぶん当分、このままだろうけれど。



2003年10月25日(土)

 野球の話。

 昔々、まだ小学生くらいだった頃の私の娯楽は、やはりテレビだった。中学に入ると音楽になり、しかも後半からは書き物に移っていったから、以降はテレビなどまるで見ない生活。大学時代にゲームにハマるまでは、テレビなどあってもなくても良かったようなものだったかもしれない。
 今は、とりあえず夕飯時にうちにいれば、親が食事中にテレビを必ずつけているので、見ることになる。
 最近はもっぱら、プロ野球。

 なんというか、巨人はたしかに、今年は近年にないほど悲惨な結果になった。
 けれど、それでまだ監督二年目の原さんが辞めてしまうのは、さすがにちょっと嫌だった。昔、4番・原好きだったのもあるし。
 あんまり優秀な監督じゃないのかもしれない。カリスマ性みたいなことを言えば、長嶋さんには遠く及ばないのかもしれない。
 けれど、去年はちゃんと優勝してる。今年は、どうやら選手の故障とかも相次いだようで、結果につながる試合ができなかったとか。
 たとえそれが監督の能力不足ゆえだとしても、まだ二年目だ。
 「巨人は勝たなければならない」という妙な思い込みが、こういうことを起こしてるような気がする。
 勝負なんだから、勝つこともあるし負けることもある。勝つことは大切だし、そのために厳しいトレーニングをしているんだろうけど、最も重要なのは、「本気で勝ちに行くこと」であって、結果として勝つことでは、ないような気もする。
 原さんには、もう少し監督してもらって、その後、どうしても結果が出ないとなった時に、辞めたって良かったんじゃないかと思わずにいられない。
 しかしこれも、「勝たない巨人は魅力がない」という風潮(?)のせいなんだろうか。

 対照的なのが阪神で、負けても負けても、根強いファンはずっと応援していたし、とある阪神本に、「本気でやってて負けてるなら野次るな、手を抜いてるようだったら容赦なく野次れ」という言葉があった。それがトラキチ魂だと。
 言えてる、と思う。
 本気でやってて、必死にプレイしてて、それでも負けてるなら、野次るのではなく応援すればいい。「なにやってんだコラ!」というのは、手抜きが見えた時だろう。
 日本人には判官贔屓という習性があるけれど、勝つことを全てとせず、ずっと愛してきたからこそ、今年の阪神ファンは極限まで盛り上がっているんだろう。
 しかしその星野さんも、体調不良とかで辞任してしまう。
 テレビを見ながら、余裕のある表情の王さんと、厳しい顔の星野さんを見ながら、もともとの性格の違い以上に、今負わされている期待と責任の重さというものを考えてしまった。
 王さんも本来が求道者的な人のようだから、勝負を楽観したりはしないだろう。けれどなんとなく、久々にここまで上がってきた阪神との勝負を、純粋に楽しんでいるようにも見えた。勝てば言うことはないけれど、負けてもいい試合ができたのならば、それも来シーズンの糧になる、というような、そういう余裕が見えた気がする。
 星野さんには後がないし、ここまで来てしまっただけに、「もう一息、どうせなら日本シリーズ優勝」という重い期待を背負っている。いい試合そのものを楽しめるような余裕は、ないのかもしれない。

 私は正直、どっちが勝ってもいいと思ってる。
 どちらのファンでもないというのもあるだろう。
 けどなんとなく、他にも理由がある気がする。
 プロだから、それでお金もらってんだから、勝たなきゃいけない?
 それは違うと思う。勝負している以上、負けることは絶対にある。球団の財政が厳しければ、いい選手はよそにとられてしまって、余計につらくなる。結果、勝ち負けの態勢というものは、そう簡単にひっくり返すことはできない。
 阪神がそれを行えたのは、やはり、彼等が負けても愛しつづけてきたトラキチたちが、しっかりと根底を支えてきたからだろう。そこから阪神を愛する選手が生まれてきたからだろう。
 ここで一発、派手にひっくり返ったのは間違いない。
 そして今、日本シリーズで二つのチームが、いい勝負をしている。二試合目の大敗は、さすがに「なにやっとんだ阪神!」と思うくらい悲惨な試合で、そんなにあちこち噛みあわなかったのかと呆れたが、ぎりぎりまで目が離せない均衡した試合展開を、以後は見せてくれている。
 いい試合だと思う。どっちが勝ってもおかしくない試合、というヤツだ。こういうゲームが面白い。
 なんというか、ぎりぎりで勝負しているから、負けてもすがすがしいんじゃないかという気がする。悔しくて悔しくてたまらなくても、どこか相手の力を認めたような、次を見てろとやる気になれるような、そんな試合をしているんじゃないかと思う。
 プロっていうのは、そういういい試合を見せてなんぼじゃないかと思う。
 球場に来てくれたお客さんに、入場料払って良かった、と思える試合を見せるのがプロだろう。たとえ負けても、ぎりぎりの、本気の試合を見せられれば、その興奮は支払う価値のある大きなものだ。
 勝つところを見に来る、んじゃない。
 負け試合になった途端、入場料払って損した、なんて言われるような試合じゃない。
 なんか、そういう試合をしているようで、それを思いっきり具現した年になったようで、今年の日本シリーズは、とてもいいと思う。



2003年10月26日(日)

 ふらふらとネットの海を漂っていたら、聞き捨てならん発言を見つけたもので。

 別に大したことじゃないんだけど、「歴史ものの小説とかで、時代を無視した言葉が出てくるなんて、作者はふざけているか、真面目にやる気がないかだ」とその人は言う。
 なんつーか、勘違いしてるなぁ、と思う。
 たしかに、小説というものの全体的な演出として、相応しい語調・語彙といったものはある。そういったものを総合して、一つの世界を作り上げるのも立派な手法だ。

 けれど、時代劇好きな私はいつも思ってる。
 人権とかを害するのでないならば、面白いことより大きな正義は、エンターテイメントの世界にはない、と。
 時代考証が確かであることが、その作品にとって重要なことなのかどうかは、それぞれに違う。
 私の大好きな「必殺」シリーズの映画は、時代考証を無視した部分があちこちにある。
 はっきり言って、江戸時代の夜なんて、月明かりしかないんだから、時代に相応しく撮影したら、ほとんどなんにも見えなくなってしまう。
 俳優さんの着ている着物がデニム地だろうと、あからさまに「ライト」という光が当てられていようと、座頭市が金髪だろうとタップ踊ろうと、面白ければそれでいい。
 その中でなにを語るかが問題だ。

 時代考証というものがあり、本来ならばどうであるかを知った上で、あえて破るならいい。破る理由がそこにあるだろう。「本当のことを知りながら嘘を美しく描くのと、本当のことを知らずに適当に描くのは違う」みたいなことを、作家の都筑さんが作中で書いている、と私はこのザレで、二度は書いているような気もするし。
 小説だって同じで、時代の雰囲気なんかを重要視するのでないなら、時代を無視した言葉が出てきても悪くないだろう。
 だいたいそんなこと言ったら、三国時代の中国を書くのに最も相応しいのは、当時の中国語(中国じゃないが)ということになる。ファンタジー世界を書くのに最も相応しいのは、そのファンタジー世界の言語ということになる。固有名詞からなんから、全て異なるだろう。
 山を「山」というのは、私たちがこの世界の日本人だからだ。別世界のほにゃらら人は、それをなんというのか。

 結局私たちは、「現代のこの国」以外の世界を書くときには、常にトランスレイト・翻訳しているということになる。
 だったら、読み手の年齢層などによっては分かりづらい言葉を、現代風の言葉に翻訳することだってあるはずだ。
 私も、無双ものの中であえて、横文字のカタカナ言葉を入れることがある。それは、言葉が生み出す雰囲気を、あえてライトにしようと思えばのこと。
 そういう、全体の雰囲気をどうしようとしているのか、といったことを無視して、闇雲に「時代に相応しくない言葉」などとこき下ろすのは、ねぇ。

 世の中の小説はすべからく重厚な文学であるべきで、それ以外のものはクズだ、小説なんて呼ぶのもおこがましい、と信じているならそれでいい。
 アンタに認められる文学になるくらいならクズのままがいい、と私は思ったのでありました。



2003年10月27日(月)

 複数のアクションゲームを、まとめてやると困ること。
 ボタン設定の違いでとんでもない行動をする。これに尽きる。

 侍道では、カメラ位置の修正はR3(右スティック押し込み)で、L1では抜刀・納刀を行う。しかもこのゲーム、民間人の傍で抜刀していたりすると怖がられ、侍度が下がってしまう。
 対して真・三国無双は、L1でカメラ位置修正、R3で名乗り。
 よって、無双をやってから侍道をやると、カメラ位置修正しようとして思わず抜刀してしまう。
 侍道やってから無双やると、カメラ位置修正しようとして思わず名乗ってしまうのである。

 他にも、デビルメイクライやってからShinobiやって、ジャンプのつもりでダッシュしてたり……。
 できるだけconfigでボタン設定は統一しようとしているんだが(×=ジャンプとか)、たまに忘れる。しかも、変更した後になって、デフォルトの操作性を思い出し、またアホなことやってたり。
 なお、侍道でピンチになると、つい○ボタン押してしまう……。乱舞出せねぇってそんなことしたって!

 ところで、侍道2はやっとかすみルートに。ありがとうフ○ミ通!
 しかもなんだかオコサマにはダメな感じの展開でありがとう!!
 なお、私は「侍」の青年主人公がスタンダードでかっこいいと気に入っていたので、年齢的にもかすみちゃんと釣り合うレベルで、とってもグッドですた。
 それにしてもかすみルート、もしかしてここから3パターンのEDに派生するんだろうか……。うち2種はリセット一回して見てるんだが。かすみちゃんと組を切り盛りするEDってあるのかなぁ……。



2003年10月28日(火)

 うーむ……微妙に頭痛いし喉痛いしダルいんで、死んでます。
 おかげでネタもすっぱり出てきませんがなTT

 とかなんとか思いつつ、ちゃっかり無双の攻略ページつくってるあたり、もう終わってる己。



2003年10月29日(水)

 先日、こちらからリンクしているサイトを一通り巡って、閉鎖されているところを削除する、という作業を行った。
 ほとんどのサイトは現在も動いておられて、今後の活動がまた楽しみなのだが、中にちょっと、気になった閉鎖理由を見つけた。
 別に悪いことでもなんでもない。
 しかし、そう簡単に「このジャンルで書くことは書いてしまった」などということがあるのか、と私は思う。
 その時点では発想のタネが尽きてしまい、書きたいものを全て書ききった気がしても、それから後にまた出てくることはないのだろうか。

 まあ……己を参考にしては意味がない、とは思う。
 たぶん、全ジャンル合わせて、短編が大半を占めているとはいえ、400本前後はSSがある。この巣の総文章量は、アホだと思う。ザレゴトとかまで含めたらかなり膨大な量になるだろう。
 それだけの量産ができる人間は、決して「平均」「標準」ではない(質は問題にしない
 そんな私だから、二十本や三十本の話を書いて、それで「尽きた」なんてことがあるのか、という気がするだけだろう。
 それに私は、一人のキャラクターに複数の解釈を用意するから、「この人はこう」と一つだけの像を追究するかたとは、おのずと生産量も異なるんだろう。

 なんにせよ、半年ばかり更新がなく、書きたいネタが思いつかない(どんなにきれいな言葉を使って表現しようと、要するにそういうことだろう)からといって、「もう書くことはない」と閉鎖なんて、ちょっと早まっている気がした。
 うちの塾コーナーなんて、この二年間で2本くらいしか私自身での新作更新はしていないが、それでも私には、閉鎖するつもりはない。
 私にとって男塾というのは、マンガの楽しみというものを、一番強く教えてくれたルーツ的な存在だからだ。良作・名作なら他にあるだろうが、理由なんか知らない、私はとにかく「魁」が好きなのだ。
 だから、かつて五年以上の時を経て再発熱したように、またぶり返す可能性も決して低くはない。書きかけで止まっている話もあるが、これは書く気がなくなったのではなく、書けるだけの熱と勢いが、他に向いているというだけのこと。展開も入れたいシーンも、メモ一つとってなくても全て覚えている。だからいずれ必ず、続きを書きたいと思っている。

 どのジャンルにも、実は当分「終」マークをつける気はない。
 それこそ、閉鎖するなら物理的な事情での放置になるだろう。
 塾は私のルーツだ。
 PSOにはプレイヤーたちの分身とも言えるキャラクターが生きている。
 ROOKIESは高校生のちょっとゆがんだ日常として、まだ書きたいものが残っている。
 無双は今一番熱い。暑苦しいくらいに。
 その他の中に組み込まれている版権物は、数こそ少ないがまた増える可能性は高い。
 オリジナルには私が死ぬことと、完結すること以外のエンド・マークは存在しない。
 更新の頻繁なジャンルに興味のないかたは、もうとっくにお気に入り登録なんかも抹消し、巡回ルートからもこの巣は外していると思う。だから、また塾熱が再発したとしても、気付いてもらえる可能性は高くない。むしろ、「一度訪れて、更新が止まっていると知っているサイト」には二度と足を運ばないことのほうが多いから、ほとんど自己満足的な増殖になるだろう。
 わざわざ昔付き合いのあったサイトさんに、復活しました、なんて首突っ込むのも私の趣味じゃないしね。(第一、今はほとんどが「暁」だろう。私、「暁」はどうでもいい、正直なところ)
 せいぜい、今度はリングとか検索サイトに登録でもさせてもらうとしようか、と考えていたりする。また発熱した時の話だけれどさ、いつかまた、来るだろうことは自分で知っているから。



2003年10月30日(木)

 ……とかまあ、塾関係のサイトを久々に巡ったこともあって、自分の塾ものを読み返してみたんだが。
 なんつーか、稚拙だ……。
 今のほうが上手くなったかどうか、は分からないが、文章そのものに隙が多い。
 手直ししたいところだが、そうすると全てのSSにチェックが入りそうな予感も。
 ぼちぼち、直していくかのぅ……。

 というわけで、読み返していて思ったことをツラツラと。
1.
 ……ワータイガー・オミトの話を読んでいると、無双のこねこ周泰なんてまだまだ甘いということに気付く罠(死
 恥ずかしさレベルの次元が違うヨ、ママン……。
2.
 レアな隠しページにあるくせに、『Party Party』は自分で今読んでもすごく好きだったりする私はやっぱりもう終わってる。
3.
 しかも『悦虐』もいいと思うあたり後がない。
4.
 真大さんからの預かりものを見ていてふと、「あれ? 青い鳥の話ってどれだっけ?」と自分のものの一覧を眺め、欠落していることに気付いて慌てる。
 だが読み返してみると、イマイチ青い鳥の姿と彼とがダブらず、だから移転時に削ったのかもしれないと思い出しつつ、だったら改めて片翼の鳥に見立てた話を書こうとか決意してみる。
5.
 センクウさんはいろんな種類いるが、一番しっくりくるのはTender Eyesシリーズでないなら、ガラス製のヤツだなと思う。イカれたケダモノとトラスタは、さすがにちょっと弾けすぎ。……好きだけど。特に『将来設計』の地獄漫才。
6.
 それにしてもなんでこう、隠してあるヤツは今見ても文章的に手直ししたいところがないのかが不思議。
7.
 唐突にセンクウさんが描きたくなる。しかも、『Party Party』のである。だが画力が追いつかずに断念してみる。
8.
 ところで、気付いた人はいないかもしれないけど、ファンタに出てくる雷嵐の愛馬の名前は、「ドクガンテツ」をなんか洋風にしてみたんだったりして、そのついでに設定部分を少しいじり、マンジーとラセツにもつけてやる。バートとディナである、安直。
9.
 ああ、やっぱり塾好きだ、伊達好きだ、死天王好きだと思う己。たぶん、生涯足は洗えまい。それこそ本懐。遂げて死ぬなら本望である(←大ゲサ



2003年10月31日(金)

 ……ごめん、大それたことしてるわ己。
 こんなヘッポコがhtml講座なんて、世の中ナメすぎてる?
 でも、こうも考える。
「熟知している人の説明は、初心者には意味不明」

 そう。
 自分では分かりきっているから、自分では簡単に説明しているつもりでも、実際には難解だったりすることがある。
 PC触り始めて間もない人には、「コピペして」って言ったって、「ソース」って言ったって、分かんないもん。
 私だって分からなくて、いろいろと聞いたりしたもん。

 というわけで、コピペとかソースくらいのことは分かるし、HPを作るくらいのことはするけれど、まだまだこなれていない、という初心者管理人さん向けの、ヘッポコによるヘッポコのための講座なのだ。

 本当ならこういうものは、いろんなブラウザで確認もできて、更には詳細にhtmlとかを理解している人がやるべきなんだろう。
 けど、そんなことちっとも分かってない私でも、この程度の巣は作ってる。だから、この程度のものにするためまでなら、教えてあげられる。
 ただそれだけ。
 8割以上の管理人さんは、こんな巣よりもいろいろとテクニカルかつ効率的な管理とデザインをしているとは思うけど、その残る2割弱の人のため、ぼちぼちと項目を追加していきたいと思う。……え? 1割もいないんじゃないかって? ……意地悪……T□T


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