烏の足跡



2003年10月1日(水)

 「ショウ・タイム」見たけどネ……。
 ………………。
 のぼりっぱなし?
 もうナニも言いたくないデス……。

 気をとりなおして、中古でPS2「シャドウ・ハーツ」を買ってきた。
 旧SNKが作ったRPGといえば、クソゲーの名も高い某アレである。なわけだから、これも買うのは躊躇っていた。
 けれど、近頃刊行されたクソゲー本にもリストアップされていないんだから、まあ普通に遊べるんだろう、と。とはいえ、中古で1280で売られてるんだから、さほど面白いものでもないには違いない。
 でも、「2」はちょっとやってみたいと思っているので、その前に「1」を。
 ちょっとやってみた感じでは、エフェクト飛ばせないのがストレスで、無駄に時間を食いはするが、悪くはない。
 ただ、つくづくと、ポリゴンのリアリティって、テクスチャにあるんだなと思ってみたり。どんなに滑らかなポリでも、服にちっとも材質感が感じられないのである。うーむむ。
 ま、苛立たない程度の短時間ずつ、少しずつ進めていくには丁度いいと思いつつ、無双3・猛将伝もあるし、侍道2まであと一週間くらいだし、クリアせずに放置される確率もまた、高いと思われるのであった。



2003年10月2日(木)

 うちにはね、世界各国の(←満更ウソでもない)ハニィたちから(←これは多大なる疑問を含む)贈ってもらったものなんかが、あったりするんだけれどもね。
 その中には、私の好きな紅茶関係のものとかもね、あったりしてね。
 今日なんかたまたま友人が来たし、だいぶ寒くなってきたからと、紅茶をいれることにしたんだけどね。

 いい加減この語調は鬱陶しいからやめよう、うむ。
 癖というか、なんというか。
 人から贈ってもらったものの封を切る時に、それが手ごろなサイズのものだったりすると、ぢつはキスするという妙な癖があるのである、己。
 今日あけようとしたのは、小さな角砂糖がブロック状に詰まれて透明セロファンで包んである品物。クリスマスシーズンに、紅茶と一緒にいただいたものである。
 他にも砂糖はいろいろあったので、一年近くたってようやくリボンをほどくことになった。
 なにも考えずにその癖が出てしまったというか、なにも考えずにやるから癖と言うんだと思うが、そうしたらそこにいた友人が、目を丸くしてしまったのである……。
 まあ、冷静に考えると、かなりなんだかなな行動だとは思うが、贈ってくれた気持ちとか、もらった時の嬉しかったこととかを思うと、そうなるわけですよ奥さん(←誰

 こんなアホな行動にすることはないけれど、もらってからだいぶ時がたって、ようやく使おうとしたものなんかを見て、その贈り主のことを思い出した時、ありがたいと思う気持ちが残っているならば、それを一瞬でも噛み締めてはどうかと……。
 たとえそれが、今はろくに付き合いのなくなってしまった人でも、贈り物をしてくれたその時にはそこに確実にあった、形になるほどの好意というものに、「ありがとう」と言うココロだけは、持ち合わせていたいと思うのであった。

 キザだとか言うなそこ!!(←無理な注文



2003年10月3日(金)

 真面目な人というのには2タイプいて。
 一方は、他人がどんな態度でいようと構わずに、ひたすら真面目に動く人。
 もう一方は、他人が不真面目だと腹を立てる人。「俺は真面目にやってるのにあいつらサボりやがって」と。
 前者は、周囲の人間に「申し訳ないな」という気持ちを起こさせることがある。無論、周囲の人間次第ではあるけれど。
 後者は、不真面目な周囲に反感を持たれて、かえってより不真面目にしてしまうことがある。
 で、どっちが多いかといえば、明らかに後者だろう。
 「真面目にやれよ」という一言が、「仕事はちゃんとしよう」とか「決められてるんだからしっかりやろう」というだけなのか、「俺だけ負担が大きいのはイヤだ」という感情混じりなのかは、けっこう分かってしまうもの。
 後者タイプのエセ真面目くんには、ついつい冷笑的になってしまうのでありましたとさ。



2003年10月4日(土)

 接客業。
 実は嫌いである。
 接客の基本はスマイル、というのはもっともだと思っている私としては、どんなにムカつく客にでも、こっちの気分がどれほど最低な時にでも、愛想良く対応しなければならないのが嫌いなの。
 しかし、嫌いだからといって、不得意でもないっぽく。
 伊達にン年も、あれこれとバイトしてきてないわけか己。

 今日はちょっと嬉しかった話。
 己のバイトタイムが夕方から深夜であるため、たまにお客さんから「いつも遅くまで大変だね」と言われることがある。
 こんなことを言ってもらえるのも、お客さんにとって気持ちのいい対応ができているからだろうと思うと、まず嬉しい。やっぱり、どんなに些細でも、「あの人はいいよな」と思ってもらえれば嬉しいものだもの。
 今日は、前に注文とか探し物で二、三度言葉をかわしたことのある若いOLさんから、「会社でちょっとヤなことあったんだけど、貴方と話して少しホッとした」と言われた。

 働いている時間が時間だから、深夜店に来たお客さんにとって私が、その日のうちで最後に会う者になる可能性は低くない。
 仕事の帰りに、他にはもうやっている書店もないからと立ち寄って、家に帰っても家族は寝ていることも多いという時間。
 本当に些細なことだけれど、会社とかサークルとかでイヤなことがあった時、ちょっと立ち寄った店の人の感じがいいだけで、少しだけ救われることも、あるのかもしれない。

 別に、真面目に働く気なんかない己で、手なんてものは巧みに抜いてなんぼと思っているから(無論その「巧みに」とは、支障が出ないように、ということも含める)、接客なんてものも、「こうすべき」と言われているからそうしているわけじゃない。
 相手が親友であれ客であれ、会話しなければならないならば、相手が笑っていてくれたほうが自分にとって心地好い。ただそれだけだ。
 自分がムスッとしてて相手が笑うかといえば、それは無理だ。
 だから、まずは自分から笑うしかない。
 「作り笑いでもいいから、とにかく笑え」と教えてくれた某店長の言うとおりだった。最初はぎこちなくてもいいから、自分の感情なんてものは仕舞っておいて、俳優か女優にでもなったつもりで(大袈裟な……)、とにかく笑うことを心がけるのが、接客の基本だろう、たぶん。
 今では、別に考えなくても笑える。心からのものが出るためには、やはりお客さんからもこちらに好意的に働きかけてくれないと無理だが。

 まあ、なんにせよ、自分のことを「感じいい人だな」と好きになってくれる人がいることは、とても嬉しいしありがたいことだ。それが、月に二度ほど来るだけのお客さんで、シフト次第では会わないことも多いとしても。
 接客がどんなに良くても、それだけで「他の店じゃなくてあそこに行く」なんてことは、まずない。一にも二にも、利便性と品揃えである。どんなにサービス悪かろうと、近くていろいろあってしかも安ければ、みんなそこへ行く。
 だから、接客なんて、店(会社)のためにしてることじゃない、とも言える。自分のためだ。自分が愛想良く、感じ良くなることで、お客さんもいい感じになる。結果、いい感じで時間が流れる。
 「大変だね」とか「今日も仕事ですか、毎日いませんか」と声をかけてくれるサラリーマンとかおばちゃんとかOLさんとか、あるいは「ありがと〜」と明るい声で言ってカウンターから離れる女子高生とか、「いい感じのお客さん」は、自分次第で増やせると思ってる。
 そんで、そういう人の相手をすれば、自分だって気分が良くなる。
 「いいお客さん」は、自分で作るのが一番なのである、うむうむ。



2003年10月5日(日)

 クリームコロッケ。
 好きなの。
 ……ただそれだけデス。
 たまたま今晩の夜食(己には昼食感覚)に、かにクリームコロッケがあって。
 美味しいなぁ、と。

 一人暮らしをするまでの私は、えっらい偏食家だった。
 しかし、日々いかに食費をおさえるかの限界に挑んだんじゃないかという、しかも、節約とかいうんじゃなく「食わない」という手段でそれを実行した私は、たまに食うもの、出てくるものならば、なんでも食っておかないと損だと思うようになった。
 そんなわけで、極普通に、ある程度のものは食べるようになったのである。
 昔は野菜なんて、ほとんど食わなかった。刺身も魚は食わなかったし、美味いとも思わなかった。
 ピーマンだのなんだのは、セオリーどおりに嫌いだった。キャベツもだ。
 食わず嫌いというのもけっこうあった。

 しかし、今もって食う気がしないのは、ブロッコリーとかセロリとかの、「頭もこもこ」系くらいである。
 そうなってみると、自分の周りにいる人のほうが、嫌いなものが多いことになってしまった。
 納豆食えるしキノコ類は大好きだし、イカタコOK、肉魚は無論大丈夫。

 で、冒頭のクリームコロッケの話に戻る。
 スーパーなどで売っているものもいいんだが、ある女友達がものすごい料理好きで、よく夕飯に招いてもらった時期があった。一人で食べると美味しくないから、と電話をよこすのである。
 それでのこのこと出かけていくと、ある日、そこには私が初めて見る、お手製のコロッケがあった。うちのママンはそんな面倒なものは作らない人だったし、会社からの帰り道に、美味しいコロッケを売るお肉屋さんがあったのもある。そんなわけで、私は初めて、素人料理人手作りのコロッケを食べることになった。
 普通のじゃがいもと牛肉のから、カボチャ、クリームと、いろいろあった。
 それがまた、お世辞ではなくとても美味しかった。あまりに美味しかったけれど、二人で食べるにはけっこうな数だったので、もらって帰ったらダメかとおねだりしてしまった。
 その日は、一人で食べるより、絶対に美味しい時間になったと思っている。

 そのSさんは大学卒業後に上京し、何度か手紙のやりとりはしたが(当時はPCを持っていなかったしケータイもそれほど流行っていなかったのだ)、今はもう、さっぱり音沙汰もないし、していない。
 けれど、コロッケを見ると時折は、彼女のことを思い出す。マヨネーズが苦手で、市販のサンドイッチとか食べられないんだとか、そういう話もしたっけな、と。
 特別な相手ではないけれど、そんなふうにして記憶に残り、まだ消えていない人がそれなりにいる。それはとても、しあわせなことだと思うのでありました。



2003年10月6日(月)

 連日食べ物の話でなんだが。
 帰ってきたらテーブルに、マーボーナスと、うどんの麺が置いてあった。
「マーボーうどん、ナス入りを作ってみろということか?」
 と考えた私はたぶん、バカである。
 けど、作ってみたらけっこう美味い気もして、実行してしまった私がたぶん、一番バカだろう。

 実際にはちゃんと、おなべの中にうどんのつゆがあったんだが、それを利用してマーボーうどん。
 結果?
 けっこう美味かったヨ。



2003年10月7日(火)

 とても素直に、人を好きになれる人がいる。
 反面、あまりに無防備というか考えなしすぎて、つく傷も深いようだ。
 こういう人を友達にすると、たぶん、ものすごくこちらの負担も大きくなるだろうとは思う。
 選ぶのは、「だから」か、「それでも」か。



2003年10月8日(水)

 どんなに素晴らしい理想だろうと、それに少しでも反するものを許せなくなるほど狭量になってしまうなら、そんな理想は迷惑でしかない。
 正しければいいというわけじゃない。

 なんていうと実に大層なことのように見えるかもしれないが、実際にあったのは、ほんのちょっとしたこと。
 最近入ってきた新人のバイトさんで一人、「ちゃんと教えてくれなかった」と腹を立てて、半泣きになって店長に訴えたという子がいたとか聞いて。
 仕事を早く覚えようとかね、しっかりやろうとかね、それは立派なことだけど、その時の状況次第では、教えるのはまた今度でもいい、と判断されたかもしれないわけだし、そんなことをいきなり店のトップに言うのも、あまり普通とはいえない。
 こういうことをされると、「この子は、真面目である以前に、なにもかもを自分の思い通りにしたい子なんだろう」と感じてしまう。

 どうしても、他人の思想とか道を押しのけないと通せないものもある。どうやったところで争いが発生することもある。けれど、回避できるなら回避して、その上で実利を得ればいい。
 自分のことしか見ないままの理想なんてものは、他人には鬱陶しいだけなんだってぇことで。
 ま、そんな大袈裟な話にならずとも、そりゃあちっと短絡的すぎるでしょう、と教えてあげることは果たしてできるだろうか。目下、そんなことを考えつつ教えている。
 「水清ければ魚棲まず」とか。
 「白河の 清きに〜」とか。
 ついつい、定信と意次を思い出してしまう私であったとさ。



2003年10月9日(木)

 人は誰だって、白いものと黒いものを持っている。
 白いものだけを見せているから善人に見えても、それはただ、黒いものを必死に押し殺しているせいかもしれない。
 黒いものばかりが目立つからものすごい嫌な奴にしか思えなくても、其の人の中には、思わずはっとするような白いものがあるのかもしれない。
 自分に見えるものだけが、その人の全てじゃないわけで。

 けれど、見えるものでしか判断のしようがないのもまた、事実である。
 だから、黒いものはできるだけ隠して、人は付き合っていく。
 ただ、黒いものがあることを自覚し、その存在を認めた上で白いものを表に出していくことと、黒いものを否定して、それから目を背けて白いふりをしていくのとは、違う。
 そして、時には黒いものだって、ちゃんと解放してやらないと、いつしか人を内側から破裂させてしまうかもしれない。

 人間って、面倒な生物だね。



2003年10月10日(金)

 嫌いなもののことなんかまったく頭の片隅にも浮かばないで、好きなものとか、楽しいことのことを考える時って、シアワセだ。
 なんの屈託もない場所で、そんな相手のいるところで、のへら〜と過ごしているととってもシアワセだ。
 好きなものが多いっていうことは、とってもシアワセなことなのだ。

 ……なんか変だな、今日の己。

 それはそれとして、「侍道2」だよ!!
 バイト先で予約しておこうとしたらさ、なんかメーカーとトラブルあったらしくて、そこの会社のゲームは仕入れないとかで。ほしいと思って来てみたら「うちじゃ扱ってません」と言われるのって、けっこうヤな感じなんだけど? 私は前もって理由とか分かるからいいけど、その「理由」がまた告知できる類のものでもなくて、説明していいと思えるものでもなくて。なんだかなぁ。ビッグタイトルというには問題のあるゲームだから、それでもいいのかもしれないけど。
 というわけで、他の店に買いに行ってみた。

 行けるところが広がったせいで、イベントにかち合わないけれど(TT)、攻略本が出るまでは、ただのんびりと、刀を集めながら天原の町を散策してみようと思っている。
 詳細な攻略本が出れば(簡単なのは同時に発売している)、どうせ刀集めとか技探しとか、イベント起こしにかかりきりになるんだから、それまでに「ただ生きてみる」ということを堪能するのだ。
 ふーらふーらとあっちに行き、こっちに行き、日が落ちたらうちに帰って、朝まで寝るという素晴らしい生活。ただ、町のあちこちにある箱を蹴り壊し、中に入っていたお金を猫ババすることは忘れない(ぉぃ
 いきなり奉行所とかヤクザに近づくのは、ちっとも「普通の生活」ではないので、流れ者の浪人らしく、町人たちのまとめ役に近づいて、仕事をもらう。赤ん坊探しとか人探しで、200文とか400文のお金をかせいで、ちょっとばかり労働の喜び。
 探し人を見つけても、連れ戻すのにはちゃんと、相手の性格に応じた対応で説得しないとならないらしくて、こういうところはパワーアップしてて良い。しかも、話し振りとかを聞いていると、「どう言えば帰ってくれるかな」と自然に考えてしまう。とても良い。もちろん、こんなものは繰り返していればパターンになるだろうけど、それまでは堪能するのだ。

 システム面では、「捌き」のやりようが前作と変化したんだけれど、このせいで戸惑った。ちゃんと説明書読んでからプレイしろていう感じ?
 道場に行ってみたら、たしかにチュートリアルっぽいことはやってくれるが、門下生の相手をしていたら刀の硬度が減る減る。そして折れる。おい待てコラ! と思わずリセットかましましたがな。稽古が終われば刀も体力も元に戻るというならともかく、そうでないなら、こりゃもうちょい刀鍛えてからでないとやっとれんよ。

 なお、外見はいきなり渋い達人タイプにすると、己のヘタレプレイのせいで泣きたくなるので、別にヘタレでも似合いそうな青年タイプでやっている。達人モデルは、もっと強くなって、いい刀手に入れたら使うんだい★



2003年10月11日(土)

 侍ミチ。
 善人道を極めてみて、次は奉行所に味方して進めてみて、次はヤクザに味方し、一通り堪能する。
 その後、違うエンディングになるにはどうすればいいんだろ、と模索してみたら、しょーもないエンディングに行き着く。
 その次は善人道へ進みつつ、最後近くの選択肢で突然、関与放棄。うーん、一応エンディングは増えたけど、なんだかなぁ。

 なお、遊郭の前に立っている用心棒(忘八みたいなもんだろう)のあんちゃん、団八っつぁんが、上半身裸に臙脂の着物、バンダナという、なんかとっても腐女子の煩悩を刺激しまくりな気配。
 しかし私としては、そんなことはどうでもいいから、あんたの武器がほしい。どうすれば戦えるのかなぁ、などと殺伐としたことを考えてみる。

 気に入ったのは刀狩。そーして、小坪! 「侍」の坪八のちっこいのがいるよ〜〜〜ッ♪
 次はひたすら小坪くんに構ってすごしてみようか……(←阿呆



2003年10月12日(日)

 侍ロード。
 前作よりも、ゲーム性はアップしたのかもしれない。自由度が高い、という意味でだが。
 しかしシナリオとかキャラクターとしては、ダウンした気もする。
 何度か繰り返して遊んでみると、たしかに魅力的なキャラクターはいるんだけど、その人たちとの交流が少なすぎる。
 というか、「ツボ」がない。
 前作では、共闘できた。属した勢力によって、必ず誰かと共に戦えた。エンディングへのルートによっては、なんとない友情があることが分かったり、思いがけず信頼されていることを知らされたりして、嬉しかったものだ。
 吉兆一筋のチェルが、吉兆の次にはあんた、みたいなこと言ってくれたり。斬れればそれでいい刈部が、少しばかり気に入ってくれたらしいところとか。冷静な忠義者の知床が聞かせてくれるいきいきとした台詞とか。鉄心が「あいつを死なせてはならん」と思ってくれてるとか。坪八らしい、ストレートではないけれど確かに分かる友情みたいなものとか。
 共に戦っていて、別れ際や「行く・残る」の選択肢に反応して聞かせてくれる台詞なんかは、ストーリーの中で丁寧に語られることはなくても、多少速攻・即席っぽい感情で薄くはあっても、「ツボ」だった。

 それが今回、まったくない。
 シナリオ展開のせいで出会っていないのかもしれないが、五つほど見たエンディングの中で、それらしい「NPCとの間に生まれた絆」みたいなものは、ほとんど見れない。
 それに、前作では戦闘中に話し掛けることができた。また、会話の選択肢に「どれも選ばない=沈黙する」というものがあったし、会話の途中で動けて、そこから無言で立ち去ってしまうということもできた。今回はそれができない。
 選択肢はどれか選ばないとならないし、会話中は動けない。話している途中で問答無用に抜刀して斬りつけるということがほとんどできない。
 そういう部分での自由度は激減している。
 選べる選択肢が多い、エンディング(までの分岐)が多いという意味での自由度は上がったし、そこまでの間に自分がどう暮らすのかも自由になった。けれど、いざ事が起こった時の自由度は、間違いなく減っている。

 恒例の、「己ならこうしたい」というのは、あるにはある。だが、やたら長いので割愛。
 一番シンプルに、最低限で言うならば、「前作と今作を足したものを、3として出してほしい」ということ。
 沈黙が選べる。会話中でも行動できる。NPCとのもっとはっきりとした関わりがあり、絆なども見られる。こういうものを、2のシステムに加えてほしい。時間はたっぷりあって、好きなことができる。その中で、NPCとのイベントももっと起こり、その結果がエンディングへのルートにも関わる(決定してしまうというよりは、消去法。これを起こしてこうすると、このエンディングはなくなる、という)。
 その中で、自分の生き様というものが、エンディングが確定した後の物語に繁栄される。
 何事も起こらないまま、なにも分からないまま、十日が過ぎてしまう、というエンディングだっていれてほしかった。無理に幕府の隠密なんか出さずに。隠密が出てくるならば、隠密用のエンディングルートと物語があれば良かったのだ。

 とはいえ、まだ全てのエンディング、イベントを見たわけではないので、断言はできない。ただ、今のところどうしても、NPCとのかかわりは希薄なままで過ぎてしまっている、ということだ。せいぜい、名なしっ子くらいか? しっかりと関わるのって。かすみなんか、どうすれば味方できるのかも分からずに失敗しまくってるし。

 あとは、オマケの叫び。よって白字
 NPC、これがこうならツボだった集。

 団八。殴りこみについてきてほしかった……っ(←心の叫び)。殴りこみ前の選択肢で、「死ぬにはいい日だ」とか選んでると、「道行きが男ってのは冴えないが、こんな生き方してちゃ仕方ない」とか。「風は斬れん」だと「青門組に乗り込んで、無事で済まそうっていう先生の腕前ってヤツが見たくなってね」とか。ああああ、団八と一緒に戦いたいの〜〜〜〜ッ(←魂の叫び
 舞風。もっと会えるようにならないもんだろうか? 彼女の、遊女としてではない顔が見れたら、それもまたツボだったろう。やっぱ惚れてほしいよなぁ。一流の花魁に惚れられる男。ええのぅ……。
 名なしっ子はあれでいい。堪能した。お手紙はちゃんとツボだ。バッチリだ。「いっしょにいく」は達人タイプでやってたもんだから、「嫁さんいないのに子持ちか」と思わず遠い目になってしまったわ。
 弦庵。助けたかった。ああなる前に、自分が先に気付いてやって、止めてやりたかった。本来の医者の道へ引き戻してやりたかった。「あんたのやってることは、あんたの嫌いな人斬り侍と同じだ」とか言ってやりたかった。郷四郎という男が彼の前に立つ前に、主人公の手で燃やしてやれないものなのか。そして逃がしてやりたい。本当の「医の道」をもう一度見つけるんだ、とか。タイトルが「侍道」なら、そういう台詞だってありだろう。
 千代。関われないのか、あの人と? もっと胡散臭くするか、あるいは弦庵に肩入れして、主人公に秘密を打ち明けてくるとか。千代は祭り行く選択ってないのか、え!?
 九三郎。千代もそうだけど、幕府の隠密だっていうなら、彼等と関わることで紅屋につなぎがとれて、幕府に肩入れして進めるストーリーが発生したって良かったろうに。もっと序盤から、関わりたかった。なんかこぅ、主人公が不意打ち受けて危機一髪、もう意識がない、というところで。気がつくと自宅。傍に九三郎がいて、薬屋なんで、少しくらいの怪我なら手当てはできるけど、心配なら弦庵先生に見てもらいなさい、とかさ。で、俺を襲った連中は?と聞くと、あっしが来た時には先生だけが倒れてましたよ、とか。でも、もしかしてこいつ?と思わせる。こういうのがツボだも〜。
 紅屋は上記参照。隠密のまとめ役として、軽々しく動くことはないけど、もっと早くから会いたい。仕事も、紅屋に会った後は千代か九三郎に会えば、隠密としての仕事っていうのができたりさぁ。
 郷四郎。信頼されていると、同心では面が割れてるから、とか仕事の手伝い頼まれたりしないもんいかなぁ。で、おかたい真面目くんは、価値観を揺さぶってやりたい。大義と正義、人情、人の道。そういうもので揺さぶりをかけて、それでも大義に生きるとか、決めるからこそ重みがある。それを御奉行様がやっちゃったのは、それはそれでかっこよかったけど、どうせなら御奉行様はぎりぎりまで分からず屋にしておいて、郷四郎にやらせても良かったはず。で、そういう郷四郎の生き方が、最後に奉行の目を覚まさせて、「若いおまえには未来がある。これは、わしの役目だ」とかあのエンディングになれば、ダブルツボ達成。
 宗助。デートしたい(爆) というか、デートに誘われて、ついていくんだけど、それが実は悪人の捜査。チャラチャラと浮かれたふうでいて、実は油断なく見張っている。で、抵抗する浪人どもと斬りあいになったりすると、ものすごく強い。でもその後、「アタシはこういう荒っぽいことって嫌いなのよねぇ。どんな悪人でも、やっぱり後味が悪いわ」とか。冷静で頭が切れるところは見せてもらえたから、後はぜひ、腕前のほどを堪能したかった。つか、私は宗助を「宗さん」と読んで仲良くしてみたいぞ! で、二人して郷四郎をからかいたい(ぉぃ
 京次郎。どうせなら、「二人でこの天原を地獄にしてやろうよ」とか持ち掛けられるくらいのことはしたかった。全ての町で、全ての住人を殺す。メインNPCも単なる町人も、いる奴は全員、二人で殺していく。で、最後に、一対一で戦う。どうせなら、これくらいやってほしかった。いや、ゲームという媒体でこれやるの、問題もあるんだと思うけど。でも、京次郎をメインに据えるなら、彼女の心はこれを求めるはずだと思う。ボスも殺す。奉行所も潰す。町民も消す。そして、最後の最後には、一人だけが残る。これぞ京次郎のツボだと思うのは私だけか?
 半左衛門。徹底して奴の右腕になりつつも、お互いのことは信頼していない、というところがツボのはず。いつ二人の間で抗争が始まってもおかしくない、という雰囲気をしっかりと漂わせたままエンディング、というのも、分かりやすいものばかり求めるのでないなら、かなりゾクゾク来る展開だろう。倒して青門組のボス交代、はちょっと安っぽいよなぁ。

 長々とこんなところまで読んだ人、いる?(汗



2003年10月13日(月)

 自分の嫌いな人が、人に好かれているだけで許せないとか。
 そんな奴になんで構うの、って、そりゃその人にとってはいい人に見えるからで。
 ある人にとっては悪い人、嫌な人に見えても、他の人にとってはそうでないこともある。
 その中には、その人の悪いトコ、イヤなトコを知らないから、気付かないから好きでいるっていうこともあるだろう。
 でも、それを「教えてやる」って、……あのさぁ、それって君が一番イヤなヤツになってるよ?

 日常生活では、あまり説教がましいことは言いたくない。ここで勝手にほざくならともかく、人に対して、人へ話し掛ける言葉として出せるかと言えば、私はそこまで勘違いしてはいない。
 けれど、さすがに言わずにはいられなかった。
 「それやっちゃったら、あんたがものすごいヤな奴でしょう。ほっときなさい」と。
 それが分からなくなるほど見境なくなっていたわけではないらしいのが幸い。

 なんでそういう心情になるんだろう、と後で考えてみる。
 満更分からないでもない。
 たぶん、ジェラシーなんだろう。
 嫌いだ、と思う相手というのは、自分より劣ると感じることも多い。自分より劣っているくせに、自分より人に好かれている、というのがムカつくのもあるのかもしれない。
 結局、ものすごいエゴだろう、これ。

 昔、走り書きのように書き付けた言葉がある。
 詩というほどまとまってもいない。
 でも、自分で書いておいて自分で読み返して、「うまいこと言ってるじゃないの?」と思うものがいくつかある。

 「羨ましい」ならいいのに、「妬ましい」だと哀しい。

 そんな昔の言葉を、思い出してしまったわさ。



2003年10月14日(火)

 バイト先の店の、道路を挟んだ向かい側にコンビニがある。
 そこの店員ってゆーのは、あんまり上等ではない。
 が、中にはもちろん、「いいなぁ」と思える人がいる。
 愛想の良い、優しげなぽっちゃり型のおねぇちゃんとかおにいちゃんである。

 なってない「の」は、箸とかつけ忘れることも珍しくないし、「取り外してあたためてください」を一緒に突っ込むこともよくある。愛想なんてあるわけもないし、客が並んでいたって、1レジ二人。隣のレジ開けろとおっさんに怒鳴られてブスッとした顔してる。
 これじゃ怒鳴られても仕方ない。もし、まだ一人では任せられない新人の研修中ならば、そのことをちゃんと説明した上で、一人でやらせる、あるいは手伝う、決めればいい。それに、ブティックとかならともかく、飲食物を扱うような店に来る客の中には、急いでいる人だってかなりいる。私たちにしても、限られた休憩時間の中で買い物に出たりするから、できるだけ急いでほしいという思いがある。
 一所懸命にやって遅いなら、それはいい。けれど、ダーラダーラとやって遅いのは、……しばいてイイ?

 ともあれ、帰りに寄って夜食を買う時なんかに、「帰っても飯がないかもしれない」と思ったら、弁当を購入することがある。
 先日、ピラフと何種類かの揚げ物がついている弁当を買った。
 手馴れた、感じのよいおにいちゃん店員は、箸と先割れスプーンの両方をいれてくれた。
 これだよ。これなんだよ。
 ものすごく些細なんだけど、「あ、これを食べるなら両方あったほうがいいよな」と判断してくれること。そういうことを教えること。
 「箸で両方食えるから箸入れておけ」というのも間違いではないけれど、スプーンもつけてくれたり、あるいは「おつけしますか?」と尋ねることが、ワンランク上の気遣い、サービスというヤツだ。
 たったこれだけのことだが、おかげで気分良く帰途につける。とてもありがたいことなのであった。



2003年10月15日(水)

 早く寝なければ、と分かってる時ほど、ネタが出る。
 誰か助けて……(←無理

 というわけで、4時には寝るつもりが6時になり、そこから何故かまたアホなことに手をつけたため、実際には13時に寝たバカがここに一匹。


Made with Shibayan Diary