2003年7月1日(火)
いつかは終わる時のことを考える。
それは人付き合いであることもあるし、自分のしていることであることもある。
この巣についても、「終わり」を考えることはある。
終わるとすれば、「閉鎖」か「放置」。
「放置」は、私が死にでもしない限り、まず起こらないと思ってもらいたい。
「閉鎖」は、……死亡しないがきりには「放置」するつもりがない以上、絶対にこちらになるわけだが、今のところ、どういう理由で行いそうか想像がつかない。あるとしたら、事前に「あと三日で死ぬのネ」とか分かった時だけか?
なんか「ネットで嫌なことあって」とか閉鎖してしまうサイトもあるけれど、私はそこまでこの空間に、都合の良い甘えた心地良さを求めてはいない。よっぽどのことがないかぎり、そういう理由で閉鎖するつもりはない。
ネタ切れはない。総合のプロフィールから飛べる100質問でも、似たような問いがあって答えているんだが、私に書きたいものがなくなるとしたら、それは私の感覚が麻痺したか消えたかだろうと思ってる。伝えたいこともなく、感じるものもなく、見えるものもなくなったってことだろう。そんな気がする。
ジャンルが変更されたり、更新されるところが変化したりはしても、ペースは落ちようとも、なにかは増えつづけていくだろう。
まあ、自分の意思でピリオドを打つなら、どんな理由になろうともそれはそれでいいとして、問題は不慮の事故とかで死亡した場合。
……親兄弟にPCの中身は見られたくないよなぁ……(汗
―――と、ここまでは昨日分として書いていたものの転写。現在6/30の日付にあるものは、6/29のものと別ファイルに分断させるわけにはいかなかったので。
時間がない金がないとは言いつつも、そういえば今日(30日)は給料日じゃん!? と気付き、とりあえず、なんだかんだと言いつつも、近所にある内科にいってきた。
だって、なんていうか、自慢の玉のお肌が台無しなのヨ!?(←いっぺん死なせてOK
いや、久々にパパリンと顔合わせたら「内臓悪くなってないか?」とか言われ、何事かと思えば、顔がなんだかドス黒い上に赤いまだら模様で……ひぃぃ。
目元とか黒いよ、どう見ても健康な人間の顔色じゃなくなってるヨ。
そーいや一昨日はとーとー吐いたしなぁ、とか思い返して、懐の暖かいうちに行ってきたのである。
歩いて五分くらいのとこ。
ただし、日がさしているので、太陽さんにいぢめられるのは覚悟のうえである。年々夜行性の度合いが上昇しているのも問題で、こっちも皮膚科行けという気もするが、それはまあおいといて。
そしたらば、なんか受付のおねいちゃんの顔に見覚えがある。「はて?」と思いきや、「あの、○○○(←バイト先の店の名前)の……?」と言われる。ああ、お客さんか!!
たったそれだけのことで、急にその病院に親近感を覚えてしまうあたり、おまえ本当に不信感持ってるのか、という気がしないでもない。
いやまあ、なんていうかほら、人間って利害より好悪の生物だし?
ところで、どうして病院って、あんなに女性の就業率高いんだろう? 右見ても左見ても看護婦さん(今は看護士と言うべきなんだろうが、この伝統的な言葉は消えないことを願ったりしてみたり)ばっかりで、男は診察してくれたじいちゃん一人だけ。
……なんか、ええ職場やなぁ、とか……。
ともあれ、胃腸の薬だけはもらってきて、検査結果待ちである。
自分の血を見つつ、なんかやっぱり妙に朱色っぽいなぁ、とか思ったりした朝であった。……つか、そしてまた寝る時間なくなる己。
2003年7月2日(水)
いきなりディープなネタだが、今のバイト先で、半年くらいは一緒に仕事をした(担当コーナーは違う)人が一人、自殺してしまったらしい。
新聞のお悔やみ欄に名前が乗っている、と店長から教えられた。
正直なところ、そんなことを言われても私は、哀しいともなんとも思わない。知人ではあれど友人ではなく、その人の好きなものがなにか、嫌いなものがなにか、なにも知らないままだったのだから。
そんな状態で「うう、なんでぇ?」とか思うほど、私は……まあ、敏感というか多感なナマモノではない。
店長にしてみれば、一年とか二年、いろいろと話をしたりもした相手だ。店長になる前に受け持っていたコーナーの子だから、単なる知り合いではなかっただろう。
話を知らされてショックを受けるというのは、理解できる。
だが私に同じものを求められても困る。困りながらも、「いや、俺あの子のことよく知らないからどうでもいいし」と言って敵作っても仕方ないので、神妙にしておいたことは言うまでもない。
ただ、死んだその子を可哀想だとかどうしてだとか、親身に思ったりはしないが、店長からの話をいくつか聞いているうちに、死にたいと思ったその子の心中なら、分かる気はした。
一度も死にたいと思ったことのない人には、自殺しようという思いはよほどに強く深刻で、重大な問題によるものだとしか思えないのかもしれないが……。
2003年7月3日(木)
まあ、二時間しか時間がないなら、寝るつもりはない。
寝ようとしてすぐに寝付ければ、二時間眠れるわけだが、値つけなければ無駄だ。爆睡かまして遅刻というのも嬉しくない。なにせ、急な用事とか事故とか、そういった余所から降ってわく事情以外では、遅刻だけはしたことがないのだ。あっても一度か二度。せいぜいで、友人との待ち合わせで時間丁度くらいというところ。仕事など、公的な用事ならば、最低でも五分前には到着していなければ信用などしてもらえないし。
というわけで、ちょっとした時間にこそこそと、眠らないためにゲームなど。
こういう時には三戦2(三国志戦記)等とてもできない。思考能力はあるけれど、こんなところで使いたくないから。
ここは一発、メガテンの出番である。
これ、実はまだクリアしていない(爆
マガタマ購入資金として金作ってたり、気に入りの悪魔に食わせるミタマ召喚代稼いでたり、仲魔のレベルあげにいそしんでみたり、やっと今日になってトウキョウギジドウクリアしたが、主人公のレベルはとうに77。
でもまぁ、二周目やるつもりもないから、このままクリアまでに、悪魔全書も埋めたいとか思っているので、主人公のレベル的にはまだまだだ。
とりあえず、魔王ロキ様にはがんがんミタマ食わせて、パラメはことごとく30前後にしてある。このロキ様、戦闘でもそこそこ役に立ってくれるが、本業はナンパである。「悪戯」+「カリスマ」で老若男女構わずにナンパナンパナンパ。
それにしても、紫色のボデーに白いマントの他はフンドシ一丁のロキ様。金髪なびかせて二枚目なのに、フンドシ。……いや、今まではポリゴムじゃなかったから、マントで体隠していたわけで、つまりマッパだったわけで、それでは今回まずかろうというわけで履かされただろうことは分かるんだけどサ。
にしても、LV75とかになってから進んだギジドウは恐ろしいほど簡単だった。ボスがことごとく3ターン程度で死んでくれるという……。
2003年7月4日(金)
バイトの後輩が、「自分のバイトしている店で買い物とかレンタルするのって恥ずかしくないですか? 自分の趣味分かっちゃうし」などということをのたまった。
たしかに、恥ずかしい場合もあるだろう。
しかし私の場合、ビデオ借りるならアクションものかSF、アニメだとルパン程度だし、本となるとマンガからフィクション・ノンフィクション問わず、更にジャンルも恋愛もの以外ならほぼ網羅、哲学書から啓蒙書、歴史資料、美術関連書籍と広範囲。雑誌もゲーム誌、ビジネス誌、スポーツ誌、情報誌、ときているから、別に恥ずかしいもなにもない。
帰り際に社員にレジ売ってもらうと、「そんなのも読むの?」といわれることしばしば。
ものすごくいろいろある中に、ギャルゲーの雑誌混じってたりボイズラヴのコミックあったり、タトゥーの雑誌だのもンのすごくアヤしい本だのあったって、そんなものはただ趣味とか守備範囲の広さしか物語らないもの。
それに私には、伝家の宝刀がある。
「うん、ネタだから」
この一言で全てが片付く日々であった。
2003年7月5日(土)
テレビで紹介されたから、と「魔法の杖」という本が、ここ半月くらいの間によく売れた。
「開いたページに書いてあることが、貴方の質問への答え」という本で、見開きで、使いまわしのイラスト一点(全部で十種類くらいしかない)と、一言ぽつんと書いてあるだけの、ほとんど詐欺みたいな本である。いくらそれがデザインといえど、なんか無駄な気一杯……。
ともあれ、こんなものを買ってどうすんのかなぁ、と思う。
自分の悩みとか考えに対して、肯定的な答えが出れば「やっぱりそうか」と安心して慰めにするんだろう。
そして否定的な言葉が出てくれば?
信じないんじゃないのか?
だったらそんなもの、たいていの雑誌についている星占いで代用するなり、市販のタロットカードでも買うなりすればいいことだ。
まあ、こんなものは「占い=相談」だと考える私の私見で、占いを頭からずっぽり信じる人にとれば、いい指針になるのかもしれないけどさ。
2003年7月6日(日)
胃カメラ飲んできた。
なんつーんですか? 面白い体験ですた。「あー動いてる動いてる、膨らんでる〜」とか思いつつ、できれば映し出されている映像見たかったけれど、医者のおっちゃんが邪魔でモニタは見えず。しくしく、せっかくなのに……(←そういう問題じゃない
それはいいんだが、私はどうやら、麻酔の切れるのがやたらに早いらしい。
1時間くらいは続くから、といわれているのに20分くらいで感覚戻ってくるかな……。
やはりこれも肝臓のせいなんだろうか?
なんかの漫画で、酒も薬も麻薬もほとんどきかないのが、肝臓の解毒能力が高いせいだとか説明されているのを見た記憶はあるんだが。
アルコールに関しては、確かに酔うハナから覚めるくらいのことはしてるが。
なんにせよ、胃は「稀に見るほどきれいだね」とじっちゃん先生に言われた。
しかし私はそんなところより、思っていたより$がかからなくてほっとしているのであった(←最低
……いや、それはそれとして、現在なんかめっさ胃が痛い(重い)んだけど……?(汗
2003年7月7日(月)
……いつの間にこんな数字になったのやら……。
50000 hitしてしまった。
ものすごく不思議だ。
キリ番狙ってるかたと、ザレゴト読むかた以外、総合トップになぞ用はないはずである。
で、キリ番申告なんてここ幾久しく受けていない。ということは、それ狙いで来ているかたというのが、さほどいないことでもあるように思う。
一昨年の6月に立ち上げて、途中、二度の移転でいくらかの数字はカットしているが、二年の間は「一年間で2万」だった。それがアナタ、なんでこの一ヶ月半で1万ばかしイキマスカ!?
ひとえに、皆様のおかげです。いやホント、ザレゴト読んでおられる物好きさんたちがいなければ、まずもって確実に、こんなに回るはずないですから。
……はっ!?
そういや己、二周年とかなんにも考えなかったなぁ(爆
50000というキリのいい数字に到達したからには、なにか記念話とかイラスト書いたりしようかしらん? とは思いつつも、総合トップの話である。塾から無双、オリジナルまで全て含めたオールスター話でも書かないことには意味がない。
まあ、二周年程度ではあまりどうとも思わない。もう少しキリのいい数字にならないと。苦労して苦労してなんとか二年間運営してきました、というほどつらかった覚えもないし。
とりあえず、無双のTOP絵でも差し替えようかなぁ……。
2003年7月8日(火)
深夜にアップする関係上、ザレの日付と書いている出来事の内容は一日ずれるのだけれど、七夕である。だからといって何をするわけでもない。
七夕……。子供のためのお遊びイベントにしか過ぎないのだろうか。
短冊に願い事を書いて、笹につるす。
書いた願いが、それだけで叶うはずのないことは百も承知の大人には、なんの意味も面白みもないイベントなのだろうか。
五月に見える鯉幟の数も減った。
そういった「過去」の風情を、ただ続けていくことに意味はないだろうが、確実に、美しいものは消えているんだなという気がする。
そしてたぶん、美しい風情、というものは、人の心の余裕や遊び心と深くつながっている。そんな気がしてしまった。
そーいった観念的なことはどうでもいいとして。
この土曜から現在まで、一食しか食ってないという現状のほうが問題か?
とか言うと人は驚くんだが、実のところ、この程度のことは珍しくもないし、別に「ひどい」ことでもない。
大学時代、食費を削って遊んでいた。朝に一枚トーストかじるだけとか、個別梱包のキットカ○ト一個だとか、そういうので平然と生活していた……というか生きていた。半月とかずっとそんな生活続いたりもしていたが、それくらいしか食べないほうが、よほど体調はいい。
なにより、頭が働く。
衣食住にはとりたてて関心も執着もない。
そんなものより、もの書く意欲が夏バテのごとく減退していることのほうが、私には切実な問題だ。
2003年7月9日(水)
ここんとこのお気に入りCDについて。
「Love in Roses」という洋楽オムニバスアルバムである。収録曲は全てラヴ・ソング。主にバラード。
ドラマの挿入歌を集めたとかいうアルバムらしいが、ドラマのほうは私にはどーでもよろしい。
純粋に、収録曲がけっこう「厚い」のである。
あちこちで聞いたことのあるような名曲がそこそこ揃っている。チャカ・カーンの「スルー・ザ・ファイア」とか、キャリン・ホワイトの「スーパーウーマン」とか……。シカゴの「素直になれなくて」が入ってなくてちっと残念だったりもしたが。シカゴは「愛ある別れ」もいいけど、己としてはやっぱ「素直〜」だなぁ。
他にもエリック・クラプトンとかロッド・スチュワート、a〜ha、フィル・コリンズとか、いろいろ。
こういうオムニバスものは、その一枚で終わらなくなるから怖い。
この人のアルバムチェックしてみようとか、次々に手がのびる。
ちょっとジョシュ・グローバンが気になる危険な今日この頃……。
2003年7月10日(木)
どーして女のヒトは801が好きなのだろう?
全員というわけではないが、ずいぶんと市民権を得てしまった感がある。
ずっと疑問だった。
これはもう、かれこれ十年よりも前から、疑問だった。
なんで少女漫画の恋愛じゃなく、少年同士・青年同士の恋愛に走るんだろう、と。
いろいろと言われていることはあるけれど、私自身がなんとなーく納得したのは、結論ですらないが、ただ一つ。
反応が違うのは確かなのだ。
いくつかのジャンルに分かれているこの巣で、登場女性が「レイプ」ということに関わってしまった話が、たった二つだけある。
一つはPSO、キャラクターの持ち主であるプレイヤーさんのこともあるから、今は撤去してしまって存在しない。これはもう、明らかにそこに出てくる人が、そういう目に遭ったという描写をしている。現場は書いていないが。
もう一つは、やはりPSOで、これは言葉だけなんだが、「レイプも何度されたっけね」という文が存在しているものがある。
801ものでなら、いくらでもそんな話がある。男塾にも、PSOにも、無双にもだ。
だが、そのどれにも、誰も嫌悪とか苦痛といったものは感じたと言わない。
なのに、現場がない、過去の話に過ぎないものなのに、されているのが女性だとなると、反応が来る。
だからどう、とは分からないが、これは一つの道しるべのような気がするのである。
されているのが男だと、「萌え」とか言うのに、されているのが女だと、拒否反応を示す。
だがそうすると、レディースコミックとかはどうなるんだろう、という問題も出てくる。
これに答えるなら、レディコミを読もうという人は、そういう悲惨な話を期待して、あるいは許容する覚悟をもって、開くんだろう。それはともすると、覗き窓から他人の情事や苦痛を眺めて楽しむという、「倒錯的」と銘打たれるような性向に通じるものもあるのかもしれない。
あるいは、絶対に安全な位置から、都合のいい形で感情移入したいのかもしれない。
迂闊に「いらない部分」にシンクロしてしまわないように、簡単に現実に立ち返れるように、対象は男(受)。そして、「愛されているから」とか「愛ゆえ」とか、「無理やりされているのに気持ちいい」とか、ものすごく都合のいい部分だけ捏造してシンクロし、楽しむ。
また一方では、「攻」側に感情移入することで専制君主的な自由恋愛を満喫した気分にでも浸ろうというのだろうか。
それとも、女性が暴行されることに対する拒否反応というのは、同性という理由による「味方」意識なんだろうか。
ねぇ、ここを読んでおられる女性の皆さん。かつ、うちの巣の801ものを読まれているかたがた。なんで801好きなんですか??
2003年7月11日(金)
音楽がないと話が書けない、と気付いた。
今、PCのROMドライヴが狂ってるため、どうしてもCDかけながら、ということができない。夜中に作業する上に家族と同居であることを考えると、ヘッドホンなしでCD回すこともしたくない。
壁の薄いアパートで一人暮らしを八年ばかりも続けると、いかに他人の生活音が筒抜けに聞こえるかは身に染みる。
昼夜逆転している生活がマジョリティに反していることは承知しているし、それは社会生活のサイクルも無視したものでもある。だから、普通に朝起きて会社に行き、夕方帰ってきて夜寝るような普通の人を、夜中の物音で起こすのは悪いと思う。よって、歩くにもなるべく音を立てないよう、流しを使うにしてもなんにしても、こそこそとやる癖がついてしまった。
音はけっこう聞こえてしまうものだ。気遣う以上に、親に「なんで夜に起きて昼に寝てるの」とかやかましく言われたくないから、夜中の私はほとんど隠密行動である。
よって、ヘッドホンなしでCDなど聞けやしない。
耳に悪いような音量で、書いているイメージに合う曲なんかを連奏させながら、書く。
これができないと、捗らない。
仕方ないので、プレイヤーを床に下ろして机の脇に持ってきてしまった。
最近のお気に入りはface to aceの「I know…」。
2003年7月12日(土)
最近のバイト先を冷静に見てみる。
なにか違ってるよなぁ、と思わずにはいられない。
現在、いろいろと大きな変革が起こっている。それは、チェーン全店で足並みを揃えて、今この時にはじめよう、としていることでもあるが、店長がちょっとした研究会に毎月出席し、そこで経営のノウハウなどを学んできているからでもある。
それそのものはいいことだろうが、新人もまだろくに慣れてもいない時期に、いろんなことを一気に動かそうとすれば、うまくいかないのも、不思議ではない。
社員は二時間、三時間の残業どころか、12時間オーバーの労働が当たり前で、店長は休日出勤も当たり前。店に顔を見せなかった日など、研究会(講習会)のために出張している時くらいしかない。
いくら店長だからといって、休む日がないというのもおかしい。
週に二日は休みになっているはずなのだ。
それが、何故休日出勤までしているのか。
こんなものはもう、やる気の表れでもなんでもない。
この店全体に「下を信任しない」という悪い癖があるせいだろう。
店長は社員を信任しない。社員はバイトを信任しない。先輩は後輩を信任しない。
よく「大人物、良い上司というものは、部下に大きな仕事を任せ、責任とやる気、やり遂げる達成感というものを味わわせ、部下を育てようとする」とか言われる。「そして、その部下のミスや失敗を、しっかりとフォローしてやる」と。
要するに、部下に一任し、失敗した時には、自分はなにもミスしていなくても、一緒になって尻拭いしてやる、ということだ。
その覚悟と度量があれば、それはまあ、たしかに大人物だろう。
そういった人の下で働けば、少しものの分かった奴なら、まんまとやる気にもなるだろう。
バイトのミスでも、社員が詫びたりすることはある。自分のしたことでなくても、「申し訳ありません」とお客さんに謝る。だがそれ止まり、その程度ではどうしようもない。
なにせうちの店、バイトには外線電話をとらせない。電話応対がろくにできない、と言って。
だから、どんなに社員が忙しくて、手が塞がっていて、何コールも鳴り続けている電話でも、バイトはとらない。
まあ、バイトの身にしてれば、することが少ないのは楽でいい。迂闊にとって面倒な相手で、更に応対ミスって怒鳴られたりする心配はまったくないんだから、バイト側から見れば、楽なものだ。
だが、電話がなかなかつながらないとなると、かけている取引先とか、客は?
仕事なんてものは、まずは教える。教えて、やらせてみる。それでなにか失敗したら、フォローしてやればいい。「しまった」と申し訳なく思うバイトは、それで一つ成長する。
たかが電話も、やってみて失敗したりすれば、きっちりと応対するのは難しいんだと分かるだろうし、なにより、電話での口のききようというものを覚えていくだろう。
以前にバイトしていた同系列の店では、バイトも普通に電話をとっていたし、レンタル品の延滞連絡も、バイトの仕事だった(現在の場所は、延滞の可能性のある在庫のチェックも含めて、社員の仕事)。もちろん、やらせる人間は選んでいたが、客と話すことに充分慣れてくれば、「やってみろ」と言われるものだった。
そして、いかにお客さんを怒らせないようにするのが大変か、どういうテクニックでクレームを生まないようにし、また回避するのか、身に染みて覚えたものである。
社員に権限を与えずに、なんでもかんでも「店長が決めること」「店長の指示を受けること」にするから、レスが遅れる。バイトにさせてみればいい仕事まで社員がやるから残業が続くし、バイトの「意識」は「任されないほうが楽」「しなくていいんならしない」と低いままになる。
バイトはバイトで、先輩も後輩もほとんど差のない内容の仕事しかしない。となると、残れば先輩が片付けてくれるから、と後輩は必死になることがない。片付けるほうの苦労を知らないで過ごす。
店長はちゃんと休むべし。その間の対応は、どうしても店長自身が話す必要のある相手でないかぎり、社員をあたらせて、保留・後日の約束、社員の判断での取り決め、ということにすればいい。それの報告だけ、きっちりさせれば片付く。
社員は少し、自分のしている仕事をベテランのバイトにやらせればいい。そうすれば、現場での作業が、どういうふうに支えられているかが分かる。分かれば、仕事に奥行きも出てくるし、見えるものも増えてくる。それに、社員の大変さというものが分かれば、思いやりや、連帯感、親近感も生じる。
先輩のバイトが管理系の仕事にとられれば、後輩が頑張るしかない。「なんかあったら呼べ」と少しは放任し、手間取っても間違ってもいいから、苦労することそのものに慣れさせればいい。間違ってしまうのは仕方ない。フォローしてやり、どうすればいいかを教えてやる。そのかわり、「片付かなかったら残ってやって帰れ」と少し厳しいことも言って、ケツ引っぱたいてやるのもいい。自分で苦労して、大変だと分かれば、それを楽々とこなす先輩に、どれだけ助けられているかも分かるだろう。また、時間内に片付けられるようにならなきゃ損だ、とも思うだろう。
ちょっと苦労したりつらいだけでへたれるような奴は、さっさと出て行ってくれることにもなる。
「責任」という重みのあることをやらせないから、いつまでたってもこうなんだろう。
教えて、見極めて、信じて、やらせる。
失敗は、するものと覚悟して見守る。
うまくできれば、褒めてもやれるし、また、任されてこなしたほうの自信や自負、やる気にもつながるし、経験にもなる。
でっかくいえば、「人を育てる」ということをせず、ただ「使う」だけだから、こういうことになっているんだと思える。
いつまでたっても下がヒヨコでしかないから、上の親鳥がバタバタ飛び回らなければならない。いつまでたっても、兄鳥は親鳥の指示がないと、餌をとりに行くことも許されない。弟鳥は、自分で取りに行くことを教えられず、兄鳥・親鳥の運んでくるものだけ食ってるから、飛べもしないし大きくもならない。
いっぺんこのあたりのことを、いったいどう思っているのか、もっともらしい講習会に出る前に、考えたことがあるのか問いをぶつけてみたいものだ。
が、そんなことをしてギスギスし、鬱陶しくなるのもイヤなんで、放置。
さて、どうなることやら。
高見の見物、といかないのが少々つらいところだが。
2003年7月13日(日)
私は「そう」考える。
私は、「何故私が「そう」考えるか」を考える。
私は、「何故私が「そう」考えるか考えようとするのは何故か」を考える。
……というように、人の本心は探っていけばキリがない。
が、自分について考える時には、一時の甘えは捨てて、真剣に、辛辣なくらい冷静に考えたほうが、後々楽になれる。
それは自分についてのことでなくても、自分の関わっていることについても同じだ。
私はなんのためにHPというものを作り、運営しているのか。
何を求めているのか。
どうしたいのか。
どうありたいのか。
振り返る機会があって考えてみたりした。
何度も何度も、繰り返し書いていることだし、そんなものはこんなところで語るより、実行して見せてなんぼだろう。
それでも、自分に言い聞かせるように、あらためて書くならば。
底の底、根の根にあるのは「楽しいから」だ。
書こうと思えばこの後数十行に渡ってコマゴマと書けるが、鬱陶しいんでそれはカットして、と。
「楽しいからしてる」「楽しんでいる」「楽しみたい」というその根本を、まさに根本として据えておくことを忘れなければ、全てがそれを根にして決まる。
楽しいなぁ、と思うために全てがある。
人を楽しませることも、そう。
「いいね」と言ってもらえることも。
「これいいよね、いいよね」と話すことも。
「こんなんできたけどどうよ?」と問うことも。
私の言葉に触れた人が、答えて・応えてくれることも。
だからどんなことを書くか。
だからどうするか。
だからなにを出すか。
だが、楽しむことも「楽しまなきゃならない」「楽しませなきゃならない」と義務や使命にした途端、それを叶えることで手一杯になることがある。
私は私を必要以上には縛らない。
「必要以上」というのは、その束縛すらも自分の楽しみにできるならば、歓迎するということだ。そして、苦痛でしかない束縛なら、ぶった切って捨ててしまえということだ。
私には、ここはバトルフィールドだ。
「ものを書く」なんてものすごい文系のことをしているのに、体育会系的に「バトル」なのである。
ただし、人様のものとではなく、自分とのバトル。
しかしその勝負を、私は楽しんでいる。楽しめるかぎりには、勝負していく。
疲れて楽しめなくなったら、その時には、休戦するだけのこと。
なにせ私一人で行っている勝負なんだから、停戦・休戦は自在だ。
ただ、サイトを運営し、アップしていく以上、見ている観客がいることは、忘れない。
しかし、観客の視線に縛られることはない。
声援は力になるけれど、私は、順番は間違えない。
プレイクタイムが長引けば、試合再開を待ちきれず、立ち去ってしまうかたもいるだろう。現に、男塾関係で知り合ったかたのほとんどは、退場されてしまったと思う。
だが、人を引き止めるために、苦しいだけの試合をして見せるつもりはない。
「楽しいからやってる」ということを、私は忘れない。
息続きませんからちょいと休みます、と言ったら、帰ってしまった人がいても、仕方ない。それは単に、私の力が、その人たちを引きとめるのに充分ではない、ということだ。
私は、本気でやってる。
だから、媚びる気はない。
いつか試合再開となった時、噂を聞きつけて戻ってきてくれるかもしれないこととか、期待して見送ればいい。また、バスケの試合は休みに入ってバレーボールになったけど、なんか面白いから続けて見てるよ、という人もいてくれる。
それが私の「得点」だ。勝負で得たポイント。
けれどそのポイント取得は、試合の結果勝手についてきたものでしかないことも、忘れない。
誰よりも先に、まず私が楽しいと思えること。それがこの巣の一番底に敷いた、絶対のルールなのである。
そして、私が楽しめる範囲の中で生み出したものを出して、それで楽しめるかただけ、通ってくれればそれでいい。
多くの人に見てもらいたいという気持ちがないわけはないが、穿き違えたくはない。これは私が楽しみのために始めたものだから、楽しくもないのに「やらねばならない」ようなものではないんだし、そんなものにしてまで続けてまで、賞賛・賛同者を増やしたくはないってことを。
だって浅ましいし。
そこまでして人に褒められたいのか、認められたいのか、と考える時、またその理由を掘り下げて考えれば、浅ましいの一言に集約されていく。
人の賞賛とか同意を得ようとするのは、「私を見なさい、称えなさい、すごいでしょ、偉いでしょ」ってことのような気もする。そして、そんなふうに人の言葉を聞かないと安心できないってのは、ちょっとカッコ悪いしね。
なにより先に私自身の楽しみのために、行っている。
人を楽しませて「なかなかこいつやるなぁ」と思ってもらえればそれも嬉しいから、楽しませることにも真剣になる。
同じものを楽しいと思ってくれる友達と話すのも楽しいし。
勝負のための一手一手だから、「おっしゃ」と思えるものを出していきたいとも思う。
そういったことの結果として、見に来てくれる人が増えるというのが、私の目指すものだ。
2003年7月14日(月)
現在、毎度の食事ごとに薬を飲む生活が続いている。
とはいえ、一日に二度食べるか一度きりかという不規則さだから、オイシャサンが聞いたら「その辺からなおしなさい」と怒りそうだ……てへ★
それはいいとして(←よくない)、以前、バイトの休憩中に薬(錠剤)を飲もうとして、「水〜」とかとりにいったら、「水ないと薬飲めないなんて、子供だなぁ」と言われたことがある。
……ね、ねえ、そんなものなの……?(汗
それって、大人だ子供だというんじゃなく、単に薬を頻繁に飲んできたかどうかなんじゃないのか??
ここからはメガテン話。
とうとう主人公のレベルは84に。邪神マダさえ召喚できる領域に到達してしまった。
まァ、マガタマを全て集め、シヴァ様を召喚して限界まで育てるまではやるつもりでいるから、まだまだ先は長いんだけど、いるのはカグツチ塔3(ターミナルNO.)。アーリマン・ノア・トールは倒したが、そこから先には一歩も踏み出していない。
現在うちにいる仲魔たちは、皆してかなり強めのスキルを所持している。魔法攻撃主体になりそうな悪魔は吸血(敵HP・MPを吸収)持ってたり、高揚系スキルを所持していたり(火炎高揚だと火炎系魔法威力が1.5倍)。
現在のエースは一通りの魔法攻撃ができるという主人公自身の他、魔神ミトラ様である。なにせ物理反射というありがたい特性を持っているし、力が高めなのでタコっても強い。ナンパさせても「言うこと聞かないなら石にしちゃうゾ?」というおっとろしいスキル所持者なのでかなり頼れる。
メギドラをメギドラオンにパワーアップさせるというズデギなことをしてくださったしなぁ。
問題は、今後増えるスキルのうち、ほしい三分の魔脈を、どれを消して覚えさせるか、あるいは魔脈を諦めるか、というところ。
これがあるから、仲魔育てが楽しい。そして、いろいろと悩んだ末に、ほしいスキルでも比較検討の末に切り離して「マイベスト」にしてきた思い入れがあるから、なかなか合体材料にしたくない罠。
しかし、御魂で鬼のように強化した魔王ロキだが、ナンパスキル以外はさほど「強い」わけではないので、これは作り直そうかと考えていたり。やっぱ最高威力の魔法か、大ダメージ出せる物理技はほしいよなぁ。氷結高揚つけてあれば、マハブフダインもかなり嬉しいんだが……。
以下はどうでもいいうちの主力たちのパラメなので、物好きな人、ノクターン分かる人・興味ある人だけどんぞ。よって白小字。
・主人公(LV84)火炎高揚+マグマ・アクシス、竜巻、ショック・ウェーブ、絶対零度、メディラマ、三分の魔脈
魔法攻撃なら基本系はなんでもござれで、雑魚戦ではプレスターンを増やしてくれることも頻り。火炎系が通じるボスが相手なら、仲魔には援護・回復・ターン増加させてこいつがマグマ・アクシスで焼き殺すのがセオリー。
・龍王ユルング(LV70)電撃高揚+ショックウェーブ&ジオダイン、ラクカジャ、デクンダ、テトラカーン、サマリカーム
電撃系スペサリスト。状態異常攻撃をしかけて来ないボスには、魔法無効の特性ゆえに絶大な強さを誇るにょろりん。体力も高く防御系が充実しているので、にょろにょろと雑魚戦よりもボス戦用。にょろ具合がトテモ愛しいお気に入り。
・夜魔ニュクス(LV74)氷結高揚+絶対零度、マハジオ、火炎吸収、マカラカーン、吸血、ランダマイザ、煌天の会心
はっきりした弱点がなく、攻防ともに役立ってくれるマダム。ボス戦では攻撃、補助、自己回復でしぶとく立ち回る。欲を言えばもう一つくらい最強魔法系を覚えさせたかった。
・魔神ミトラ(LV81)火炎高揚+プロミネンス、真空刃、天罰、メギドラオン、ランダマイザ、メディアラハン、死の契約
現在のエース。火炎、衝撃、神聖、万能の魔法攻撃が可能という多彩ぶりで、氷結に弱いものの、回復からナンパまで、あらゆる局面で活躍中。物理反射の特性をいかして、カウンター仕掛けてくる相手も平気でタコるヲトコマエ。
・魔王ロキ(LV59)マハブフダイン、ファイアブレス、フォッグブレス、タルカジャ、煌天の会心、二分の間脈、悪戯、カリスマ
御魂で強化しまくったために現在でも使用可能ではあるものの、高揚系がついていないのがネック。作り直し検討中。呪われた後でバロンとビャッコでも交配しようかしらん……(←交配言わない
・鬼女ランダ(LV76)地獄の業火、ランダマイザ、デカジャ、デクンダ、全体攻撃、煌天の会心、デスカウンター、チャクラの具足
通常攻撃で全員しばいてくれる上、物理攻撃を受ければ跳ね返すのみならず、高威力のカウンターまで発動という、ガチンコ戦のスペシャリスト。物理無効の相手用に火炎魔法も一つだけ所持し、ボス戦用には補助系も充実。
・夜魔リリス(LV81)LV12の夜魔リリムから、いきなりこのレベルの悪魔にまで変貌を遂げるつわもの。現在はリリムから引き継いだスキルしかないが、今後そろうものも含めて最終形態を予測すると、「マハジオダイン、メギドラオン、吸血、ラクンダ、タルンダ、肉体の解放、静天の契り、三分の魔脈」となるっぽい。
2003年7月15日(火)
七月も後半にさしかかるとはとても思えないほど、この二日ばかり、気温が低い。
おかげで長袖を着ないと寒くてやってられなかった今日の昼。
そんな気温とはなんの関係もないが、今ほどパソコンというものが普及し、一家に一台はあって当たり前のような状況になる前にも、我が家にはパソコンがあった。
「マイコン」と呼ばれていた時代のシロモノだ。
PC 6001、という機種である。
パパリンが仕事に使ったりするために買ってきたものだったはずだが、ほんの小学生くらいだった私にとれば、それもゲーム機だった。
マイコンマガジンとかいう名前だったと思うが、それにゲーム用のプログラムが載っていて、それをパパリンが打ち込んで、ゲームを作ってくれたのである。
もちろん、ファミコンが普及する以前のこと、あるいは普及しはじめた丁度その頃のことで(と書くとおおよそ歳がバレるが)、今の携帯ゲームに比べれば無論のこと、ゲームウォッチ(だったっけ?)なるイニシエの携帯ゲームと比べてさえ劣るような粗末なものだ。
それも、ソフトがどんな媒体かというと、CD-ROMなんかとんでもない。カートリッジのはずもないし、ディスクシステムのようなものでもない。ただのカセットテープである。
ゲームプログラムを保存したカセットテープが、パパリンの部屋の棚の中には、最盛期でざっと80本はあっただろうか。いかにチャチなゲームばかりだといえど、中にはシューティングもあり、RPGのはしりみたいなものもあり、大した量ではあった。
中には市販されていたゲームソフトもあって、「黄金の墓」というアドベンチャーは、ゲームなんてものがろくに存在していなかったあの頃には、「本格的な」ゲームに見えたものだ。今から見れば、あまりに他愛なくつまらないものだとしても。
その当時、私(とその兄弟や学友)にとって、一番身近にある遊び場は、家の前の駐車場、近所の公園、学校の校庭と並んで、パパリンの部屋だった。
「家」という生活の場にあって、そこだけが小さな異世界だったんだろうな、と今にして思う。
今は私の部屋にもパパリンの部屋にも、パソコンがある。
私の部屋にはつないであるもので三機種(PS2、GC、DC)、しまってあるもので二機種(NG-CD、SS)、携帯ゲームで三機種(GBA、WS、NGP)というゲーム用ハードがあるが、異世界という様相はまるでない。
それだけゲーム、すなわちコンピューターというものが一般に普及して日常になったということなんだろう。
特別なもの、でなくなってしまった。というか、PCに触らない日がないわけである。完璧に、生活の中に組み込まれてしまったと言っていい。
なんとなく、在りし日の小さな異世界が、いとおしく感じられたりしたのであった。