烏の足跡



2003年6月16日(月)

 私には悪い癖がある。
 別に他人に迷惑はかからないから、どうでもいいことなのかもしれないが、テンションが上がってきて、気合入れてなにかを書こう、閃きを得ようとする時、ものすごい音量で音楽をかけるのである。
 無論、そういう時間は通常、深夜になるので(生活サイクルの関係)ヘッドホン使用。
 耳にいいわけはないんだが、なんかこぉ、一人ライヴ状態に持っていきたくなるのである。

 しかし。
 現在、ウィルス検索かけてもスキャンディスクでも異常は見当たらないくせに、異様なほどの不調に見舞われ、CD-ROMはまともに読み込まないことのあるPC。
 なんか、ウィルスバスター入れてからいっそう調子悪くなった気がすんだけどネ?



2003年6月17日(火)

 相変わらずまあ、五時間もかけて書いていたザレを削除する。
 何故にそんなに時間をかける!? とか驚かれるかたもいるかもしれない。
 まず第一に、長い。長い上に真面目なネタだと、それが誤解を生じさせないか、内容以外の余計な意図が混じっていないか(つまり「それを読ませてどう感じさせたいのか」という内容の裏の部分)、また、意味は分かってもらえるかどうか、頻繁に読み返して修正する。
 いくら話があっちこっち飛ぶ上に、論文というほど体裁を整えないにしても、なにが言いたいのか、ただでさえワケ分からんものが余計にややこしくなるのが常である。
 その上、頻繁に凍る(爆
 何回電源落としたっけなぁ……(遠い目

 なんにせよ、迂闊に真面目なザレ書こうとすると、同じ文章量の話書くより時間がかかる。同じ量を、SSなら一時間もあれば書けるぞというくらいに手間取る。
 が、やはり良くないと思ったら消す。
 これは私が話を書く時も同じである。

 勢いとノリで書くだけに、流れが止まるとにっちもさっちもいかなくなる。理性で間を埋めようとしても、あくまでもそれは助走。勢いに乗って走り出せなければ、だらだらと寸刻みの助走だけが続いてしまう。
 もらいもののPCオスミさん相手に、凍る止まると平気で言い放つのには、実はここに理由もある。
 くださったかたに失礼一方なら、言わない。なにせ以前のPCよりメモリは格段に大きいし、いろいろなものも一緒に入れてくださって、本当に感謝している。エラーの理由を突き止めてなんとかしてやれないのは、私自身の至らなさがなによりである。

 平気で言う(書く)のは、ぎゃーぎゃー言葉にはしてみたところで、深刻ではないからだ。むしろその一時の感情では「待てやこら!」となっても、冷静に自分にとっての利を考えると、決して厭わしいものではない。
 このフリーズ、確かに時間はとられるが、純粋にテキストの質を考えると、マイナスばかりではないのである。……ってことは以前にも書いてるけどさ。
 あらためて、少し詳しく書いたりしてみる。
 前回にこんな話をした時に、オンの友人が「キーボ操作で上書きできるから、そうするとマウスいじらなくていいから楽だよ」と教えてくれた。この日記ソフトでは無効だが、小説を書いている時(テキストエディタ)にはこれが使える。数行打ってはマメに保存することが、本当に楽になった。多謝♪
 しかしそれでも、たまに忘れる。忘れて十数行が消える。ひどい時は数十行が消える。
 ひぃ、とは思うが、「書きたいもの」が頭の中から消えるわけじゃない。「なにを書こうとしているか」はちゃんと残っている。
 「文」というものはそれを表現するための外装だ。以前のモデルを見ずに、また新たに外装を作るということは、「絶対に抜かせないものがなにか」を明確にすることでもある。
 また、新たに書こうとすることで、最初に書いていたよりいい助走になることもある。実際に、ある。
 もしその時に書いていたものをベストと思えば、エラー表示のボックスを退かして、見える範囲だけでも、と書き写すくらいの手間は惜しくない。それに、偶然良いものになった、というのではなく、どうしてもこれを入れたい、というものは、繰り返し繰り返し自分の中で反芻しているから、ちっとやそっとでは忘れない。
 そしてまた、その時のノリが本物であれば、中断されてくらいで止まりはしない。

 とゆーよーに、他のかたはどうか知らないが、私の場合、文章を書いている途中の凍結はマイナスばかりではないのだ。
 むしろフォトショとかいじってる時のほうが痛い。なにせ、どれを使うとどうなるかとか、把握しているわけじゃなく、やってみてなんとなくで使っているばかりだから、「どうやってあの状態まで持っていったっけ?」というのがまるで分からなくなることが……ひぃぃ。
 しかしま、メインにいじるわけでもないし、けっこう余計なところでの記憶力はいいので、なんとなく覚えていたりはするから、さほど深刻なダメージにはならない。だいたい、ものすごくいろいろと技術を駆使して塗ったり貼ったりしてるならともかく、扱うのは線画、それをちょいと見られるようにいじる程度だしな!(←まったくだ

 これは凍結による一部消滅だけに限らない。
 なかなか思い切れなくもあるが、ノらない話は設定やイメージそのものからして、上手く設定されていない可能性が高い。こうなると、たとえどれだけ打ってあろうと、初稿を完全に取りやめて、頭をリセットし、まるで新しくスタートさせたほうがマシなこともある。
 「既につけた形」にこだわると、かえって身動きがとれなくなることもある。それを壊して、エッセンスだけを取り出し、新たな構成や外装、内装を求めるのだ。
 理性できっちりと構成からなにから考えて書く人には、あまり用のない方法だろうが、私にはきわめて有効。
 しかし、先に書いたとおり、なかなか思い切れない。既に書きかけたものを削除できずに残したまま、考えはじめてしまう。これではあまり効果がない。保険があってはならないのだな、どうやら。
 エッセンスだけを頼りに最初から書き付けていくしかない、というところまで追い込まないと、腹が決まらない。頭をリセットできない。分かっているのに、躊躇う。情けないことだが。まだまだセコいな、己。

 ただ、私の持ち味は、感覚によるフロート(流れ)型のところにあるんだと思っている。それが良いとかどうということじゃなく、そのほうが己の場合、より良いもの(己的に。自分が気に入るように)になりやすいと思うのだ。
 ある程度感性の似た人、同じ情景を想像しやすい人は、その流れに乗せてダーッと運んでしまえる。合わない人は……ワケ分からんのだろうなぁ……(−−;
 ともあれ、自分の得意スタイルくらいは分かっているのだから、たまにはきっぱりとファイルをゴミ箱に放り込んで滅却し、いったん頭から消すことも、私には重要なのであった。

 ……なお、現在そうして書き直したいトップバッターは、無双の無謀企画にある品物数個……。
 何故ノりが悪くなっているのかは自覚している。PSOまで頭の中に混在しているからなのだ。思いついたネタは全て無双に回す、くらいにのめり込んでいた時期は、さすがに過ぎてしまった。
 だがまだまだ愛はあるし、ネタに感ずるところや思いついているものはある。書くだけなら三日もあれば全て仕上げられるが、流れないものにはしたくない。せっかく皆さんからいただいたリクエストだ。いまいちインパクトに欠けたものになるとしても、心地良く流れる程度のものにはしないと気がすまない。できるなら、「こうくるか!」と思ってもらえるような、リクエストして良かったな、と思ってもらえるようなものにしたいと思う。
 見る側としては、その場しのぎのものでも、「周泰出てればいいや」と楽しめるのだろうけれど、ここは私のちっぽけなプライドなのである。
 というわけで、書きかけてどうにも続きに流れないものどもは、いったん全てポイしてしまった。web上に冒頭だけ出しているものは、アップされてみたら全然別のものになっていた、ということもあると思う。
 ま、冷めておらず飽きておらず見限っておられないなら、まだ諦めないでいてもらいたい。必ず書きますのでね〜。



2003年6月18日(水)

 私の好きなSF作家の一人である神林長平さんは、とある文庫のあとがき(対談)で、こう言っている。

「何を書くかじゃないんだよ。どう書くか、なんだよ。文芸ならね。文で芸をしなきゃいけない。アイディア自体はあまりオリジナリティっていうのはないですね。だって、考えてもみてごらんなさいよ。皆こうやって息をしてて、同じような政治状況の世界で同じような飯を食ってるんだから、思いつくことだってほとんど同じわけだよ。どこにオリジナリティが出てくるかっていったら、そのアイディアをどう表現するか。(以下略)」

 同じネタを使って書いても、その話が面白くなるかどうかは、各人の技量次第だ。
 そしてネタってものは、たいてい似たようなものをみんな思いつくのである。うむ。

 ……と、真面目なことでポンと頭を叩いておいて、あとはホントのザレ私事。

 近頃どうにもおかしい。頭はもとからだが、胃の様子が変なのである。
 具体的にゆーと、意味もなく吐きそうになるのである。それも、吐き気がするというのではない。胃が搾られつつせりあがるような感じになる。これがまた、ものすごく文字通り、逆流とかいうことではなく、ホントにただそんなふうに胃が動く(感じがする)だけなのだ。だから、吐くまいとするのはいたって簡単で、なんの問題もない。
 ただ、これは連発して起こるから、仕事中に来ると大変。
 喉になにか埃でも引っかかったように、咳き込んだりすると、ついでに襲ってくる。涙目になっちゃうヨ……。
 ものを食ってるかどうかも関係ないし、いったいなんなんじゃこりゃ。



2003年6月19日(木)

映画(ビデオ)を見るぞ、見るぞったら見るぞ!
 アニマトリックス見てリローデッド見てきて(映画館いったの久しぶりだ。なお、今日じゃない)、その反動でアクションものばかり借りてきた。ああ、そういやロビンの出てるインソムニア忘れてたっ! ロビンが悪役ですよ、悪役。
 とはいえ借りてきたもののうち二本は、前に見ないままに返してしまった「ザ・ワン」と「MIB2」。あとは「トリプルX」に「ブレイド2」「酔拳2」。

 マトリは面白かった。アニマトも良かったし。双子かっこいいし。モーフィスもイカすし。でも恋愛要素は……。もっとさらりと流してほしいんだが、まだなにも言えないか、とも思う。レボまで全部見ないと、その中でどういう位置付けにありどういう役割と意味をになうのかも分からないからなぁ。
 なんにせよ、第一部よりアクションが増えてて爽快ではあった。終わり方は謎を残していて重苦しいが、これはレボへの布石だしな。

 レンタルビデオは借りた日からすぐに見ないと、見ないまま帰すことになる罠。
 連続して三本、一気に見てしまう。
 まずは「ザ・ワン」
 面白かった。というか、これはもうストーリーというより、設定そのもの(125ある平行世界それぞれに住んでいる「自分」を殺していくごとに、残った「自分」たちに殺された「自分」の力が流れ込み、強くなる)と、ジェット・リーのアクションの華麗さにかかってる。
 冒頭で出てきた時には「あー、東洋人だなぁ、スタイルがなぁ」と思っていたが、ラストのジェットリーvsジェットリーは、その動きの力強さと速さ、または流麗さに見とれるだけだった。
 惜しむらくは、「指輪の跡」の扱い。あれは外したときにアップにはしないほうが、絶対に良かったよなぁ。

 「MIB2」はもう、1を見ている者には美味しいことがたっぷりだろう。五年前の1の時には新人だったJが、今ではベテランとして一目置かれ、皆にてきぱきと指示を出しているところとか、Kが黒スーツを着てJの横に並んだ時とか、それだけで感無量。
 ストーリーも展開が早く、次々に興味の焦点を作り出してくれるので、飽きずに一気に見てしまった。これは借りている間にもう一、二度は見直してもいいかと思うくらい、気に入った。

 「ブレイド2」は、見た順番が悪かった……。上の二本の後で見たから、アクションではジェット・リーに叶わず、ストーリー展開そのものの巧みさではMIB2に叶わない。
 単体で見ればウェズリーのアクションもかっこいいはずだし、ストーリーだって悪くはないはずなのに、どうしても他二本よりは見劣りしてしまう。
 勝ってるのはリーパーズのキモさくらい?

 少し間をおいて「トリプルX」も見てしまう。これは……なんつーか、意味がないというか……。いや、ザンダーのする無茶は面白い。バイクアクションなんて「おお!」とか思うくらいイカしてる。でも、別にこれ、「無茶ばっかりしてるれっきとしたエージェント」でもできることばっかりだ。
 なんか、アウトローだからこそできる無茶、というところがあまり存在しない。つまり、設定そのものをいかしきっていないという点で、良質とはいえない。
 面白いし、かっこいいけど、それとは別の次元の問題としてね。

 でも四本とも、途中ではや送りしたりせずにちゃんと一気に最後まで見られたから、アクション好きの私にとっては、全部面白いものだったことには違いない。



2003年6月20日(金)

 体験版でPS2の「ゆめりあ」、借り物でGCの「PN3」をプレイしてみる。

 「ゆめりあ」は……主人公のベタベタなボケ&ツッコミっぷりは気に入った。他はちょっと萌えないなぁ。女の子とのコミュニケーションがメインであるのは分かるけど、戦闘でまでいちいちヒロインたちのアップとか見たくない。それも台詞ワンパターンだし。友好度が上がれば台詞は変化するのかもしれないが。
 物語そのものは普通に楽しめそうなので、誰かに借りるか、あるいは中古で1000円くらいにまで落ちたらやってもいいかもしれない。……つまり、新品で購入したくなるほどのものではない、ということで。

 「PN3」は、基本的には左右にひらひら回避しつつ連射しているだけでどうにかなってしまうという、大雑把すぎるにも程がある感じ。しかしまあ、ダンスを意識して作られた動きが目玉らしいから、いいんでないかね。……そのわりにはあまりバリエーションない気もするが。
 エナジードライブ(コマンド入力式の必殺技)出す時の動きがいろいろと楽しいくらい?
 でもま、初心者でもなんとかクリアはできるような作りになっていて、悪くはないと思う。
 ただし、最初のステージですら苦労する人はいると思われ……。ここクリアしないことには練習&経験値(というか、金。これでコンティニュー回数とか強いスーツ(武器&防具にあたる)を買っていく)のための練習ステージにも行けないわけで。
 しかし己的に最大の問題は、移動がしにくい、ということ。左スティックを上に倒して前進、はいいんだが、右に入れるとその場でゆっくりとカメラが回転し右を向くだけ。左に入れると左。後ろに入れるとくるりとターンしつつ一歩下がるだけ。なんで素直にスティック入れたほうへ走らないわけよ?
 180度振り返るのに使うのがZボタン、しゃがむのがY、Xでロックオン切り替え、L・Rボタンでサイドステップ。ということは、人差し指は基本的にLRにかけているわけで。ちょっと右向きたい、というだけなのにスティック+Z、なんてツーアクションする必要があんのかよ……。
 適当にべしべしやってるだけで進めるのはいいが、操作性には多大な疑問を感じざるを得ない。

 が、操作できないわけではないし、練習ステージを繰り返せば、その時手に入れられるスーツ全て揃えたり、強化しきったりもできて、つい一時間くらいぶっ続けてしまったり。
 つまり、「面白くないわけではない」ということだ。



2003年6月21日(土)

 土曜日に(私の生活サイクルでいくと、ここを書いているのは金曜深夜になる)またU氏とPSOる予定なので、のこのことあちこちのキャラの育成をしてみる。
 オフで動かすのは週に一度あるかないかなのだが、U氏に会う時に、出したキャラで行けるところが少ないのはアレなのである。だからちょこちょこと、今日はJ兄弟+アンタレス。
 弟のほうはざっと坑道を一巡りし、兄貴のほうもまた坑道を一巡。そうしてアンスにとりかかる。
 こいつはオンでエラーくらってプチロスった挙げ句、オフでもエラーくらって数時間(レベルにして8レベルくらい)パアにしたという因縁つきのキャラ。
 つい、洞窟終わったらセーブ、坑道終わったらセーブ、と地道に中断してしまう。

 それはそれとして、赤いものはブレイバスとヴァリくらいしか見ずに進んだのだが、遺跡の最後の広間にて、バルクロちゃんが赤いものを落としてくれる。
 飴かな、飴だろな、とそろそろと近付いてみると、Dパーツ1.01ですた
 そりゃあさ、うちにはもらいもの一つと以前に発掘したもの一つ、という正規品だけでも二つのD1あるさ。けど新しく拾ったの、数値見るかぎりけっこういい品物なんだけど……。
 嬉しいが、ここは遺跡の最後の部屋である。そして、いつまたエラー食らうかわからないのである。
 ここが中盤くらいなら、その場でゲーム終了→セーブするが……。
 というわけで、アイテムに固執しても仕方がない、とそのままDFに突っ込むことに。
 幸い一度くらいは危険な音を聞いたものの、止まることはなくエンディングを迎えられますた。めでたすめでたす。



2003年6月22日(日)

 バイトから帰ってくると、ママンの用意した夜食がテーブル上にある。
 あると思って帰ってくるとないこともあったりするが(爆
 で、そういう時にかぎってコンビニとかに寄ってなかったりして、仕方なくまた買いに出たり、インスタントラーメンでもないかとアサることに。

 今日は久々に短時間で切り上がった。ここのところ日付が変更されてからの帰宅が相次いでいたから、えーと、三週間ぶりくらい?(死
 なんにせよ、ダイニングに行くとお好み焼きが目撃された。
 手にとると、温かかった。

 うちの親の生活サイクルでしくと、晩飯は7時前くらいである。
 私の本日の帰宅は10時。
 ということは。
 わざわざ9時過ぎくらいになってから、作ってくれたわけで。

 ただ一つ。
 文句垂れつつ仕方なく、愛情を示すことを義務のように感じながらでないことを願う。
 本当にただ、「少しでも出来てから時間のたっていないものを食べさせてやろう」と思ってくれたのなら、ちょっぴりでもいいんだ。いつもでなくてもいいんだ。そんな贅沢なんか言わないから。
 それだけくれりゃ、文句なんて言わないサ。



2003年6月23日(月)

 ちょっとアホなゲームを一つ紹介。
 「美輪さまの正負の法則ゲーム」と私が言い、アホかと友人を呆れさせたものの、その実、けっこう知的でマヂメでハイソ(?)な遊びである。

 やり方は簡単。二人で向き合う。難易度を上げたければ三人、四人で輪になってもいいし、「親」一人と他のメンバーが向かい合ってもいい。
 「親」は「問題」を出す。
 それはたとえば「俺には一人も友達がいない」「昨日彼女にフラれた」「臆病でここぞという時に決断ができない」「バイクでコケて入院した」といった不幸な出来事とか情けない要素。あるいは逆に、「宝くじで一等が当たった」「ものすごく美人の彼女ができた」「テストでただ一人100点をとった」といった幸福・良いこと。
 これをポンと一つ言う。……なにも自分の真実でなくてもいいが、つい真実になりがちではある……。と、ともかく、思いついたことを一つ言うのだ。

 それに「子」(たち)は答える。
 たとえば「親」の出した「問題」が「一人も友達がいない」だとすると、「人間関係にわずらわされることがない」「人を見る目があるということで、その目にかなう人に出会っていないだけ」「金を貸せと言われない」というように、マイナスのことのプラス面を挙げるのである。
 「親」が「美人の彼女ができた」と言えば、「つりあわなくて笑われる」「ちょっかい出す男の心配をしなきゃならない」「金目当てで近付いてきただけ」というように、マイナス面を挙げる。
 二人でやるなら一問一答。交互に問題を出し合って、三秒間のうちに答えられなかったら負け、とやる。複数人でやるなら、一番面白い答えをした者が勝ち、とか。

 酒飲みながらゲラゲラやっていた。もともとは、「出がけに財布落としてさぁ」と言った奴に「命に落としたんじゃないからいいっしょ」と言い返した奴がいて、はじまったことだ。そこから、困ったこととか不幸な例を挙げるごとに、それぞれが勝手に反論して遊びはじめた。
 これは日常生活にも役に立つ。
 なにか嫌なこととかあった時に、そのプラス面のほうを考えるよう、頭を切り替える、ということだ。いいことがあった時に、浮かれすぎてバカをしないように戒めることにもなる。

 「宝くじで一等が当たった」→「泥棒に入られる」「急に友達が増えるが全員が『おごれ』と言いワリカンという言葉が消える」「金銭感覚がなくなって、1000万使い切った後には借金が2000万になる」
 「臆病で決断ができない」→「慎重なのだから決断は誰かにしてもらえばいい」「決断はイヤでもしなきゃならなくなるから、その時までにじっくり考えておける」「やっておけば良かったということもあるが、やらずにおけば良かったということも多い世の中だ」
 「入院した」→「病院の飯の不味さにママンの手料理が美味いと気付いた」「健康のありがたみが分かった」「見舞いにきてくれた友達がいて嬉しかった」
 「一人も見舞いにこなかった」→「しょせんその程度の付き合いしかしていないと自分を振り返ることができた」「入院中の姿はけっこう恥ずかしいものがある」「『友達がいない』のと一緒」
 「テストで100点をとった」→「次は同じか低い点しかない」「次も100点をとることを期待される」「一人だけ先生に褒められやがってとやっかまれる」
 「恋人にフラれた」→「付き合うために使っていた時間を手に入れた」「つまり合わなかったということで、付き合うことは無理をすることに他ならなかった」「新しい彼女を作れる」
 「趣味がなくて時間の使い方が分からない」→「寝る時間がたっぷりとれる」「金がたまる」「趣味の話題ででしゃばりすぎて嫌われることがない」
 「金がない」→「金がなくてもできることはけっこうあると気付ける」「やりくりを覚える」「金を貸せと言われない」←「おまえはそんなに借金させてくれと言われてんのか!?」
 「美人じゃない」→「外見目当ての男はセックス目当て」「どうすればそんな自分が一番可愛く見えるかいろいろと考える楽しみがある」「変な男にからまれない」
 「美人だ」→「近付く男はそこしか見てない」「お定まりの美しさにしかなれない」「夜道で襲われる確率が高い」
 「目が悪い(近視)」→「遠くの汚いもの・気持ち悪いものを見ずにすむ」「老眼の心配がない」「メガネというおしゃれができる」
 「太っている」→「美味しいと思えるものが多いせい?」「身長ではないのだから調整ができる」「俺的にはカマキリみたいな女よりぽっちゃり型が好きだ〜ッ!」←「叫ぶな!」
 「要領が悪い」→「器用さだけで誤魔化せないものは山ほどある」「逆に要領がいいと他人の仕事まで押し付けられる」「手先でこなせるものではなく芯に届いたものだけがしっかりと残るということ」
 「新車を買った」→「傷が目立つ」「ローンを考えると金に意地汚くなる」「浮かれて交通事故」「備品なんかで更に金が出る」

 ……などなど。おおよそ覚えているものでこんな感じ。
 はっきり言って、価値を逆転させられなかったものは、一つもなかった。
 これはあくまでゲームだから「金を貸せと言われない」というようにボケたものもあるし、「だからといって」というものもある。
 だが、大事なのは気の持ちようだ。
 私がPCのフリーズを逆手にとっているのと同じ。視点をかえてしまえばさほど気にならなかったり、逆に利用することもできる。
 柔軟にいきましょ。



2003年6月24日(火)

 先日のことだ。バイト中に、20才前後と思われる、金髪の若い男のお客さんから、「四桁くらいの足し算引き算が乗ってる問題集はないですか?」と聞かれた。
 お店でお金の計算をする程度に使えればいい、ということなので、小学校2〜3年生くらいの、計算の問題集を探してみる。
 そうしながら私が考えていたのは、「この人が使うんだろうか」ということが一つ。どこかに就職したり、あるいはバイトすることになり、そこがお金を扱うところで、とっさにそれくらいの桁の計算ができないからかな、と。
 それとも、妹とか弟に? しかしそれだと、「店でお金の計算」などという言葉はちょっと噛みあわない。まあ、実家が小売店で、弟などに「家の仕事」を教えるということもないわけではないと思うが。
 ここでは、彼自身が計算練習をするのかもしれない、と前提にしておこう。

 人によっては、そんな年になってその程度の計算もできないの? とか思うのかもしれない。だが私は、そのお客さんを非常に好ましいと思った。だから、できるだけ望みどおりのものがないか、かなりマヂメに探してあげてしまった。
 今からでも勉強しよう、練習しよう、という心がけに比べれば、計算ができないという「今の事実」なんか大したことじゃない。なにより、物腰が柔らかく、決して横柄な人ではなかった。見た目は今時のその年頃の男、という感じなんだが、人当たりに関しては、ずいぶん「上」の部類に入る人だという印象だ。

 それに対して、四大出だろうなと思えるホワイトカラーでも、「ちょっと、○○どこにあんの?」とかいう口の利き方する人はいるし、来るたびにアニメ関係の雑誌とか、マンガしか買っていかない人もいる。
 ドカチンな格好でも、資格の本を探していたり、分かりやすい経済の本ないかと言ってきたりする人もいる。
 もちろん、マンガしか買っていかないとしても、毎日ニュースを見て、それについてあれこれと意見を持っている人もいるだろう。資格の本を買ったはいいが、ろくに開きもせずにやめてしまうこともあるだろう。
 そのことは考慮しても、……いや、そのことも合わせて考慮するとなお、人の程度なんてものは、見かけからは絶対にはかれないよな、と思わずにいられない。

 計算問題を買っていった彼が、もし自分で使うためにそれを求めたのなら、頑張ってほしいと思う。名前も知らない赤の他人で、二度と会わないかもしれないが、応援してあげたい。



2003年6月25日(水)

 一昨日のネタなんだけど、書き忘れていたのでここで。
 ゲームとしての無双に触る理由がなくなりつつあるせいか、またぞろPSOなぞやっていたりしている。
 中途半端で止めていたマグたちを一斉に育てたりもしている。
 そんな時にはマルチプレイで放置することもある。

 というわけで、先生とG兄を動かして、同時に四匹のマグを育てていた。
 マルチプレイの場合だと、必ずしも販売しているわけではないアイテム、今回はソルアトなんだが、これを購入しやすいという理由もある。
 そうして二人して店の前に陣取って、育成。

 今更気付いたことが一つ。
 ひょっとして先生ってGより身長低くねぇ?(汗
 一応話のネタとしては2m10cmほどはあることになっている先生。666ネタで更に小柄になっていることもあるが、ゲームの中に作った先生は、そこまで小さくするつもりはなかった。
 ただ、ハンターズ引退後の科学者ver.として、若干小柄で細くしただけのつもりが、Gより低いとなると、190ないことになる。
 ……230cmもあるタイラントとは頭一つ違うのか……(←そこで何故次兄を出すか

 そうしてもう一つ。
 お店の前に二人して並んでいる先生とG。たまたま立ち位置がベストな場所になってしまい、おててつないでいるように見えることにも気付く。
 ……な、なんか……ものすごい光景……?
 つか、どういう理由でそんなことになっているのか、謎すぎかつシュールすぎ。
 あの二人が手ェつないで店の前に陣取って動かないなんて、強盗に銃つきつけられるより怖いよネ?



2003年6月26日(木)

 見栄や虚勢なんていうもので飾った外側は、それをそうと見抜けない限りにおいては良く映る。
 見抜けた途端、たぶん素のままよりもみっともなく映るだろう。
 そして、見抜けない人というのは目が悪いのだから、そんな目で高く評価されても意味がない。
 見抜ける人というのは目がいいのだから、素のままの貴方を出せば、良いところをちゃんと見出してくれるだろう。



2003年6月27日(金)

 唯一「ファン」といえるバンドのベストアルバム(入門アルバム)が出ていたのを見つけてしまい、つい買ってくる。全て持っている曲ではあるが、ラインナップがなかなかツボを心得ていたもので……。
 つか、今はもうこれくらいだよなぁ、と思う。音楽関係で、半ばコレクションするように出ているもの全て買ってしまうもの。

 同時にジプシー・キングの1stアルバムが特価扱いで安くなっていたので迷わずゲットし、一緒に三国志戦記2も買う。
 しかし妙に頭が痛いのでぼへらーと半日ぐらい寝て過ごしてしまったり。
 もそもそと起きてきて三戦2は触ってみたけどさ。
 ああ、インソムニアも見なきゃ……。



2003年6月28日(土)

 魔法のランプを拾ったら、ランプの精が出てきて、「お願いを三つだけ叶えてあげよう」といったらば、今の私が願うことは分かりきっている。
 最初の二つの願いは、最後の一つの願いを危険な叶えられ方をしないための布石として使う。「三つ目の願いが叶うことによって生じる災いが私に降りかからないようにすること」と「三つ目の願いを叶えたために極端に不幸になる人が存在しないこと」。
 後難の憂いを断った後に、願うことは一つ。
 それは才能でもなければ容貌なんぞどうでも良い。才能なんて他人から与えてもらったって嬉しくない。自分自身の持って生まれたものを、自分で磨いて認められるから嬉しいものだ。容貌なんて、たとえば病気とか先天的なもので、ものすごく気になるのでないかぎり、私はどうでもいい。十人並みで充分。ヴァンパイア並に紫外線に弱いのは、昼間出歩かなければOKだしぃ。
 お願いは一つ。

「20億円ちょーだい」

 ……そこ! 即物的だとか、もう少しレアなものを願ったらどうだとか、なんだその半端な金額はとか言うんじゃない!!
 金額は、2億くらいは使う気になれば、人生残り50年ほどあるとして、使いきってなくなる可能性があるように思えるからダメ。かといって「一生楽して暮らせるほど」という曖昧さでは、「明日死んだって一生じゃん」というツッコミかませるのでダメ。
 そんなわけで、まあこれくらいなら、私には使い切る才能はないだろう、ということで20億。
 そーすて、何故「金」かといえば。
 金があれば「時間」が買えるからである。

 もっとシンプルに言えば、働くために時間をとられなくて済むからである。
 これはもう、やりたいことのある人間にとっては、ものすごく大きなことだ。
 生活の不安なんかまるで無視して、自分のやりたいことに思う存分打ち込めるんだから。
 やりたいことのない人間、金の使い道のない人間には無意味だろう。だが、やりたいことがある人間にとっては、物よりも時間を手に入れられるという点で、金ほどほしいものはないのである。

 健康とか寿命はいいよ。それは、たとえば天によって決められているとか、あるいは偶然とか、理由なんかどうでもいいけど、自然に任せる。明日死ぬなら死ぬでいい。そういう運命になってるとか言うんだったら、それでいい。そんなところをいじりたいとは思わない。
 ぼーっとしたい時にはぼーっとして、話書きたくなったら書いて、音楽聴きたければ聞いて、旅行したくなったら旅行して、んでまた話書いたりして、行きたいところには行くし、やってみたいことはとりあえず手を出してみる。
 私には、とにかくモチベーションとやらはあるのである。テンションもある。ほしいのは、とにかく時間。私が好き勝手に使える時間。ただそれだけだ。

 「時間」を買いたいから「金」がほしい。
 そう言いきる時、なんかけっこう己ってかっこいい? と思ったりする。
 金の使い道も時間の使い道も見えない人生って、悟り開くためでないならものすごく虚しいと思うから。
 正直、ほしい服とか車とかたくさんあるから金ほしい、っていうのも、ほしいものなんかなにもないって人より、充実してるんじゃないかとは思う。

 最後にものすごく真面目に質問作っておこっと。

 20億あったらなに買うか、思いつきますか?
 10年間、働かなくても生活が保障されていて、なんでも好きなことができるとしたら、なにをしますか?
 最初の三日くらいはいいでしょう。一年後、その状態を持て余している可能性は、どれくらいありますか? ほしくもないものを、ただお金を使うためだけに買うようにならないと言えますか?

 あちしはもう、まず旅行する。もう世界中行く。通訳とかはいくらでも雇えるんだから、とにかく世界中行って、いろんな景色と文化を見てくる。できるならそれぞれの場所に二年ずつくらいは住んでみたい。そうじゃないと見えないものもあるはずだから。ちなみに、全てネタだ。そのためだ。あとは、感覚と意識のリセットをするためだ。
 そうしながら、ぼーっとしたり話書いたり、話書いたり音楽聴いたり、こんなザレゴトも書きつづけていたいし、やっぱりゲームしたりとか本読んだりとか、絵見に行ったりとか、一日寝倒したりとか、どれだけ時間あったって、テンション上がればいくらでも徹夜するだろう。
 どれもこれもありきたりで特別なことはないかもしれないけど、10年くらい余裕で続ける自信はある。
 そういうものを持ってる自分、ということについては、誇れると思うし、そういうもの見つけられて良かったなぁ、とココロから思うのであった。



2003年6月29日(日)

 医者の使い方を根本的に間違っているような気がする我が家。
 薬の使い方は正しいのに、なんでなんだろう??

 医者も薬も、体(あるいは心)がどうにかなってしまってから使うものではない。おかしくなりそうだとか、なんかおかしくなったんじゃないかとか、そういう状態で使うものだろう。
 薬は、それにのっとって使っている。風邪かなぁ、という気がした時に飲んで、食って寝る。ひどくならないうちに対処する。
 が、医者はにっちもさっちもいかなくなるまで利用しないのである。

 現状の私がまあいい例で、ここ二週間ばかりも、妙な吐き癖が続いている。実際に戻すことは稀なのだが、吐き気はしないのに吐きそうにはなる。
 たぶん、体重が10kgくらい落ちるとか倒れるとかものが食えなくなるとかするまで、医者には行かないと思われる。
 ……完璧に間違ってるとは思うんだけどネ。
 大したことはない、ほっときゃいずれなんとかなるだろう、と高を括ってるのが一つ。
 そしてもう一つ。医者(医療)に対する不信感というものもある。

 最初に断っておくと、全ての医師が信用に値しないというつもりは、まったくない。
 ただ、信用に値しないのが混じっていることを考えると、不安が拭えないのだ。

 医者に行けばちゃんと原因を教えてくれて、どうすればいいか教えてくれる、と無条件に信じられるほど、私は人間そのものを信用していない。
 下手すると、わけも分からないまま理由も説明されないまま、なんかよく分からない薬出されるのがオチだとか、大したことがあろうとなかろうと、適当に片付けられることさえありかねない。

 子供の頃、「先生」は特別な存在だと思わなかっただろうか? なにかそういう肩書きのある人は「ちゃんとした人」「立派な人」だと錯覚しなかっただろうか。「先生」にはなりたくてなって、一生懸命やっていると思い込んでいなかっただろうか。
 実際に大学に入り「先生」になろうとしている連中を見れば、そんなものがただの錯覚に過ぎないことは嫌というほど分かる。「あいつムカつく」とか「やってらんねぇ」とか「とっときゃなにかになるっしょ」と言いながら教員免許とっているのが大半だ。
 「先生」も結局は「人間」だ。だから、子供が好きで教育がどうのと真剣に考えている人もいて、教師はどうあるべきかということに本気で取り組んでいる人もいるが、酒の席で無遠慮に「うちのクラスに○○ってガキがいてさ」とか名前だしてケチつける阿呆もいる。

 「医者」になるハードルはもっと高いから、まさか「先生」ほどてけとーになれるわけではないが、それでも彼等も「人間」だ。
 面倒くさいとかやってらんねぇとか、なんかこいつムカつくとかダリィとか、当たり前に思ったりする「人間」のしていることである。
 ちゃんと自分の職業に誇りと責任を感じ、そういった私情はきれいに整理して、一所懸命に取り組んでいる人が多いと信じたいが、そういった個人の思いを台無しにするのが「組織」でもある。結局、真っ当な人さえ志を台無しにされることがあり、また信頼のできる相手の数が減る。

 医療技術的な面はもちろんとして、人として信頼のできる医師がいる、とはっきり分かっている病院・医院でなければ、悪化予防として行く気には到底なれない。
 しっかりした医師・病院を選ばなければならないわけだが、選ぶったってそう簡単にはいかない。実際にかかってみて、その医師と多少話をすれば見えてくるものはあるが、あっちはなかなかいい、こっちはダメ、と選べるほど四方の病院を行脚するわけにも……。
 結果、どうしようもなくなる前になんとかなってくれることを期待して、放置プレイである。

 ……つか、それ以前に医者にかかる金ねぇよ……T▽T(←最低



2003年6月30日(月)

 昨日分(医者不信)の補足、および修正連絡。

 あからさまに、あれは書き方間違ってました。
 修正しているので、なにか興味とか関心とか覚えた人は、もう一度読み直してください。

 私としては「医者なんざ信用できるか」と言うつもりはなかったのだが、完全に言葉が抜けていて、どう読んでもそんなふうにしか読めなかったことに気付かされたり。
 全国のお医者さん。
 「ンなわけあるかよ!」と思ったなら、それはきっと貴方がちゃんと責任というものの分かっている医者で、多少ダレたりやる気なかったりする日はあるとしても、根本的なところでなんか間違ってる腐れ医者じゃないってことでしょう。
 また、他のザレ読者さん。
 人の言うこと鵜呑みにしても仕方ないやね、と再三書いてきているし、こんなものを面白いと思うかたは、なにかを考えることが苦痛ではない人ばかりだと思うから、まず心配はしていないが、まかり間違っても「医者なんかクソ食らえ」とは考えないでクダサイ。

 私にはオンで一人、オフで二人、医者をしている友人がいる。
 オフの二人は現在、海外に出てしまっていて傍にいない。オンの一人はちょっと離れたところに住んでいて、そこまで行くのも時間的にも経済的にも楽じゃない。
 もし彼等の中の一人でも私のすぐ傍にいてくれているのなら、私は安心して頼っている。
 医者としての腕がどうという以前に、友達として心配してくれていれば、決していい加減には看ないから。
 そういうふうに、「この人に看てもらえれば」と思える医者が、身近な病院にほしいものである。


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