烏の足跡



2003年5月16日(金)

 きのこ好きである。
 椎茸が嫌いな人ってのはけっこういるが、私は椎茸もえのきもまいたけもエリンギも、とにかく平気。きのこスパとか、きのこのてんぷらなんて、基本中の基本にしているくらいだ。
 が。
 どんなに好きな食材でも、不味く調理されれば別である。
 現在食ってるこのうどん、バイトから帰って来たら具入りのだしが用意されていたのだが、まいたけが入っている。ただし、だしの味はと言えば濃い目で、きのこの味なんて完全に殺されて、なんの意味もない。
 こんなくらいなら、そのままとっておいてくれれば、レトルトの中華肉団子と一緒に炒めて食うんだよよ、ママン……。



2003年5月17日(土)

 バレ掲示板でのカキコで、ものすごく良いことを書いていただけたので、そこからつらつらと。
 レスで言いたいことは言ってしまった気もするんで、興味のあるかたは5/16付のさき様のカキコと私のレスでも見たってください。

 知っているつもり。
 分かっているつもり。
 そして結局、「あんたはこんな人」というイメージや成果を実現することを押し付けていたりしないだろうか。
 本人がなんとも思ってなくて、平気でそれに応えた「自分」でいられる時はいいけれど、ぎりぎりでつらくて仕方がない時に、本当の自分を見せないままで自滅してしまったり、する人もいる。

 上っ面の、とまでこき下ろす気はない。気軽に気楽に付き合える、何も負わないトモダチも大切だし必要だ。
 けれど、自分に都合がいいからではなく、欠点だらけでさんざん苦労させられても、それでも「好きだ」と思え、いざという時には手を貸してやりたい、と思える友達。自分の身を犠牲することはないけれど、貸せる手ならすぐ貸すぜ、と言える親友。
 いることはつらいだろうけれど、つらさに見合うだけの喜びも、きっとあるんだろう。

 なにげなく書いた「ここに在る理由」だが、そういったことを全体のテーマとして、ちゃんと一貫したシリーズにするのもいいかな、と思ったりした。
 ただし、思うのは簡単でもやるのは非常に難しいものである。
 実現すれば赤飯ものだな(ぉぃ



2003年5月18日(日)

 見えるとこしか見ないままで、「それ」の何について偉そうに語れるだろう。
 自身の反省も含めて、そう思う。
 たとえば仕事のことなのだけれど、自分に見えている部分だけのもので判断して、見えないところにあるものをまるで考えもせずに、非難してしまったり。
 たとえば昨日分に引き続き、周囲にいる人のついてもそう。もちろん、言動に表れているものも少なくないけれど、表れていないなにかがないと、どうして言えるだろう。それとも、言動から完全にその人の人となりを読めるとでも? そんなものは思い上がりか勘違いだ。私らは神サンじゃない。

 見えないところまでしっかり考えて、ものを言え、付き合えというんじゃない。
 そんなことしてたら大変だ。それに、考えたそれが合っているかどうかも分からない。
 ただ、見えないところになにかがあるかもしれない、と思えば、不用意になにかを非難したりはせずにすむ。
 人の悪いところを指摘してなじって、それで優越感にひたっているだけということもあるのが人間だが、そんなものは自分独りでこっそりと、心の中ですればいい。外に出して自分の株を下げることはない。
 優越感を感じたいがための非難に、「おおすごい、こんなことも見てるんだ」などと感心してくれるような人の薄っぺらい羨望より、「なにこいつ偉そうに」と感じる人の嫌悪のほうが圧倒的に大きいと思うぞ?

 他愛ないことを笑い話半分にちょいとつつくくらいならいいが、こういうことは大真面目にやればやるほど、内面の貧しさが暴露される。
 非難するだけでなく良いところも挙げての、「見える範囲での公正な批評」ならともかくね。



2003年5月19日(月)

 どこの店のなにと言うのはまずいだろうから伏せておくし、聞かれても答えるつもりはないが、プロモ用のサンプルCDなどをもらったりする。一応、これは「返却してね」ということでメーカーから借り受けているもののはずで、本当に返却している店がどれくらいあるのかはともかく、まあ、そういうサンプルCDをもらったりするわけである。
 今回はフジコ・ヘミングのトロイメライとか、ピアノ曲やバラード系のオムニバスと、ホイットニー・ヒューストン、エイス・オブ・ベイスなんかをもらえた。

 これは中古店とかネットオークションに転売はできないが、どうせタダだし。それに、いらないとなると捨ててしまうらしい。もったいなや。
 こういう特権は、ありがたいものである。



2003年5月20日(火)

 ちらちらとゲーム雑誌を見ていたら、セガ「Shinobi」の第二弾(?)として「Kunoichi」というのが夏頃に予定されているとか。
 ……Shinobiは面白かったが、このネーミングセンスといい……あまりやりたい気持ちにはなれない感じ。
 むしろ6月予定の三国志戦記2のほうが……。
 シミュレーション系はやりはじめるとキリがないから、デイスガイアも見送ったけれど、魏・呉・蜀に並んで呂布軍あるんじゃやるしかない気が……ッ!!



2003年5月21日(水)

 家の周りには田んぼが目立つ。別に農村というわけではなく、郊外ではあれど市街地なんだが、目の前あるので、目立つのである。
 田植えなどとは無縁に「町」の暮らししか知らずに今まで生きてきて、ようやく、少しずつ育っていく苗というものを見ている感じだ。
 バイトに行くたびに見ているが、ふと気がつくと、だいぶ大きくなっていたりして、驚かされる。
 今は下の土と水が見える段階だが、これがやがて緑一色になり、更には一面淡い褐色に、そしてきれいに刈り取られていく。

 ……とまあ、季節の移ろいなどを感じる一端ではあるのだが、農薬まいたり刈り取ったりする機械音の壮絶なやかましさは、勘弁……。



2003年5月22日(木)

 今更気付くなという気もするが、2001年の6月1日に開設し、一度移転して200くらいの数字は切り捨てたものの、二年経過する前に一応4万hit越えたのね、この巣……。
 特定ジャンルの品物が目当てならTOPに入る必要がなく、ブックマークやお気に入りはTOPにネ★なんてケチなことも言ったことがなく、塾・PSO・ルキズではそれぞれの個別TOPにリンク張ってくださっているかたが多数を占める―――という状況でこれって、けっこう驚く。
 ザレゴト読者が100人とかいるってことなのカ?(←それはない
 それとも、生真面目に総合TOPから入ってくるかたがけっこういらっさるということなのカ?(←これはある
 まあ、キリリク狙うなら、総合TOPから入ったほうがいいわけだけどさ。

 そんな話を昼に友人とした。
「試しに、今動いてる無双のトップにもカウンター置いてみたら?」
 と言われたが……そんなことをセコく気にしたくないなとも思う。ある時間から翌日の同じ時間までの二つのカウンターの差を見れば、何人が無双直通で来ていて、何人が総合TOPに足を踏み入れているか分かるが、そんなこと知ってなんになるか、と。

 カウンターだけ回ったって、中見ずに出て行く人もいる。
 励みにするなら、総合カウンターでも充分だ。特定ジャンルにピンポイントで来ていて、ここに立ち入ってない人もいる中で、それでもこれだけ回ってんだなぁ、真面目な人、あるいは私の出す言葉そのものに興味持ってくれてる人ってのもけっこういるんだなぁ、と思えればウフフのフ(←阿呆
 変に個別カウンターとか置くと、同ジャンルの他のサイトさんの数字も気になりだしてしまう。私は俗なナマモノだから、「ああ、ここは一日で1000回ってるのにぃ」とか思ってしまいそうなのだ。
 これだけのペースで更新してる自分とこと、五日に一度とか十日に一度くらいしか更新されないところと、一日の来客数に違いがなかったら、やる気激減するのは目に見えてる。自信なくすぞ、マジに。萎えるし拗ねるぞ?
 そういうことを、「私は私、他人は他人」とあっさり達観できない上に負けず嫌いな己について、ちったぁ自覚してるのさ……。

 もし、相応の数が来てくれていたとしても。
 そんなことで勝った負けたを考えたくない。そんな俗な自分をモロに感じたくなどないわけで。
 それよりむしろストイックに、「みんなの中で一番とか二番に選ばれる」んじゃなく、「私自身の到達できるかぎり高いトコ」を目指したほうが、かっこいい自分であれる。

 来訪者の絶対数が増えれば、その中に、物好きにもこのザレを読み始める人もぼつぼつといたりして、結果、カウンターの平均回転数もちょびっとアップすることになる。
 それで充分。
 調子に乗りやすく目一杯俗物な己としては、「品物見るためには必ずカウンター回すことになる」たいていのサイトと、そんな数字で競争して、負けてへにょ〜となるのも、勝って天狗になるのも、怖いのである。
 感性とか嗜好が七割まで影響するフィールドだ。他人と勝負することに意味はない。ましてや天狗になればただのバカだ。ただひたすら、少しずつ変化する己がいつも常に「よっしゃ!」と思っていたい。で、以前のものを読み返した時、「ここは甘い」とかチェック入れられるようにしていたいのであーる。

 ああ、なんかここ、いつも以上に我が身の切り売りした気がする……。



2003年5月23日(金)

 今のバイト先、けっこう好きだったりする。
 仕事が自分の趣味の範囲にがっちり合ってるのもあるし、なにより、人が面白い。
 もちろん、全面的に「こいつサイコー」とか思ってるわけじゃなく、腹が立ったり勘弁しろよと呆れたりすることもあるが、そんなのは私に対してもあることだ。
 全てひっくるめて、面白い人が多いし、嫌いな人はいない。
 仕事と同僚。これに文句ないなら、まあ、嫌なバイト場のはずはないね。

 今度新しく導入されるシステムについて、閉店後、店長と、残っていた四人のスタッフであれこれと話し合ったりしたんだが、冗談混じりにバカ話しながら、あれはどうだ、これはどうなるんだ、とわいわいやれる。
 特に今日のメンツはノリにいい連中二人+おとなしい女の子(入って一ヶ月くらいか)一人に私で、店長のかますツッコミどころが不明なボケもなんとかさばきつつ、ぎゃーぎゃーと一時間くらい話していた。
 無理をして「テンション上げていこう」とか「仲良くやってこう」とかしなくても、極自然にコミニュケーションがとれて、楽しく真面目に話せる、というのは、実はかなり珍しいこと。それも、店のトップを交えて、だ。
 ところどころで「胡散臭せぇ〜」とか店長の発言に対して口走っても、ちゃんと話し掛ける時には「でも、これはどうするんですか」ときちんと節度は保つ。そういう、いい具合に大人のメンツだったためもあるか。

 なんにせよ、「真面目にしよう」などと考えることもなく、皆が自然に、仕事に対して積極的になっていた時間だったと思う。
 こういう時間をもっと作っていき、意識的に生み出せれば、店全体が更に活気付くだろうな、と思うのであった。



2003年5月24日(土)

・なにを思ったか、寝ればいい時間になって、突然ウィルスバスターの体験版なんぞをダウンロードしはじめる。
 これがまたエラーばっかり起こすPCの上にアナログ接続なわけだから、途中で青画面になって中止すること五回、かかった時間は余裕で2時間半。
 何故急にこんなことを、というと、ここのところやたらと妙だからである。
 なんにも入れてないのにEドライブ(でいいのか? CD-ROM入れるとこ)が空で回転するし、そのせいで音楽CDは途中で止まって聞けないし。
 他にはなんにも起こってないし、入った様子もないんだが、もしやと思ってのインストール。
 結果、ウィルスは検出されず。
 いったいなんなんだ、こりゃ……。

 なお、あやしいと思って入れるものではなく、あやしくなる前に入れておくべきものだということは、一応分かっているのであるが……。

・ここ数日、500mlペット入りコーラばかり飲む。
 あれである。週間少年ジャンプに掲載されている漫画の、キャラクターフィギュアがついているから。
 私がほしいわけではない。
 「カカシがほしい」とか「チョッパーがいい」とか「手塚ほしい」という人が周りにけっこういるから、飲むものなんてどれでもいいし、だったらコーラにして、出たらあげよう、と。

 こういうフィギュアって、本当にほしくて熱心に集めた人ならちゃんと一年とか二年、とっておくんだろうが、なんとなく集めてみただけの人のところでは、間もなくゴミになることは目に見えている。
 ……ああゴミ問題……。



2003年5月25日(日)

 気まずい瞬間。

 店で落し物の財布を拾う。中に店のカードとか入ってれば持ち主が分かるというのがあるので、失礼ながら、中身を拝見させていただく。
 出てくるカード類を見ると、だいたいその人の趣味嗜好が分かる。
 入っている金額も推測要因になる。
 でもまあ、そんなことでいちいちあれこれ言うほどお子様でもない。

 ただ、「なにか持ち主へ連絡つける糸口ないか」と、しっかり管理されていると思われるカードなどを探していると、ぽろりと出てきたコン○ー○。
 ……まあ、いろいろな意味で所持しているほうがいいには違いないが、(襲われた時に「するのはいいけど外はイヤ、したいならさせてあげるけど、これ使いなさいよ」と強姦魔に言ったというツワモノの友人がいる己……。なお、相手は怖気づいて逃げたそうな)なんというか……他のスタッフと一緒に確認してる時にそんなものが出てきた時のあの微妙な空間は、いかんともしがたい。



2003年5月26日(月)

「あと五分くらいでつくから」
 といきなり言って寄越し押しかけてきた友達。
 来たかと思うといきなり、
「財布いらない? あげるよ」
 とプレゼント攻撃。輸入雑貨店に勤めていて、ちょっとしたブランドもののバッグとか財布とかも扱っているんだが、何故突然財布かな。まあ、使わないバッグよりはいいけどさ。というわけでプラダの三つ降り財布ゲット。シャネルやヴィトンじゃなくてほっとしたりする。……いや、一時期に比べればプラダ持ってる人も増えたなぁ。

 これで終わったかと思えばまたいきなり、
「ところで来月の二十日前後って暇? 暇なら手伝って」
 と尋ねながらもう半ば勝手に話は進められている。
 私の友達の中に稀にいる、「きっぱりノーと言わないでいるといつの間にか話がケツまで進んでいる」というデンジャーな一人なのだ。そして話が終わるとさっさと次の話にとりかかり、断るチャンスを見事に喪失するのである。

 一ヶ月先のことなぞ分からない生活だが、逆に言えば、今からそれを優先に予定を組むこともできる、お気楽極悪な生活でもある。
 別にいいか、と引き受けたが、ライヴなんて三年ぶりだ。
 未だに弾けるんだろうか。
 手元に山盛り残されたスコアと、押し入れから引っ張り出してきたベースを眺めつつ、ちょっと怖くなってみるのであった……。



2003年5月27日(火)

 今のこのPCはいただきものである。
 いただいたその時に、いろいろなものを入れた状態で受け取っている。
 その中に、ブラウザとして「Opera」があったりする。
 普段は「Donut」(これもやっぱりもらったもの)を使っていて、もうすっかり馴染んでしまった。タグの表示状態もIEと全く同じだし。

 今日なにを思ったか、ふと、Operaなど起動してみる。
 ……うひゃあ……(滝汗
 IEでは適当に判断してもらってるタグどもが、ものすごく如実に「ここちゃうねん!」と自己主張。

 htmlファイル制作には、私はHomepage Managerを使ってる。ドリームキャストとMy Room時代には、タグは全て手打ちで、それに比べれば格段に早く編集できるようになったわけだが。
 もう余計なタグがざくざく突っ込まれて、なにがどこでどうなってるのか、醜いこともしばしば。たまにテキストでいじると、一ヶ所にフォント色の指定が三回くらいされていたりして……。
 これで無駄に容量食うわけネ。

 まあ……せめてIEとネスケで問題なければいいと思ってるけどさ。



2003年5月28日(水)

「どうすれば貴方のような話が書けますか」
 と尋ねられた。

 私のような、というのは「私には貴方の文ほうが私より上手く感じられる」ということだと、可能な限り確実な部分だけで解釈するとして。
 要するに、「もっと上手くなりたい、どうすればいい」ということだ。
 私のふと思うところなぞを、小説書きのかたがたの刺激になればと、書いてみる。

 結論から言えば、それがパロディ小説であるなら、最大限に気をきつけるべきは二点かと思う。
 一点は5/26の無双戯言に書いているんだが、自分にとって心地良く都合良く面白い妄想の結果に過ぎないものでよしとするか否か。
 一点は、登場人物の「関係」を中心に作るか、個々の「人間」を中心に組み立てるか。
 この二つについて「どうでもいいや」と書き流していると、自分の好みの人物が自分好みの相手と自分の好みの関係を築き自分好みの展開に到る、という実に小さいものができる。
 浅く小さい上に薄いという始末だ。
 しかし、その小さな世界に共感できる「同志」にとれば、そんなことは関係ない。面白い上質の作品には感じられるだろう。だが、その世界の外にいる人には踏み込みたくもないヲタクな空間だ。

 自分の見たいものを自分で書く、というだけでは、自慰に等しい。
 「うおー、好きだー、かっこえー、かわえー」というだけで、自分好みの言動をとらせているのでは、自己満足の域を出られない。
 私が「自分も書いてるくせに」ということを棚上げして、ただの読者としてパロディ小説なんぞを読む時に思うことか多いのは、「その点においてはどれも似たり寄ったりなものが多い」ということだ。
 ありがちな設定、ありがちな展開、ありがちな関係。いかにも誰かが妄想しそうな話、関係、展開、台詞。ツボを作るのではなく、分かりやすいツボを狙ったもの。
 ありがちなだけに読者の中でもそれぞれの妄想ができあがりやすく、簡単に共感できるが、ちっとも読者の意識を、これまでには向いていなかった領域へと拡大はしない。

 決して、それが悪いとかつまらないとは言わない。この道では、楽しいことこそが唯一の無二の正義だ。限られた空間の自慰の結果でも、面白いなら正しい。
 だいたい、そういうものを楽しいと思っていなければ、パロディなんか書くはずも読むはずもない。
 肝心なのは、それだけで良しとするか、それ以外のところにも手をのばそうとするか、それを選択することができる、ということなのだ。

 ……などと何様なことを考えた後で自分はどうかと振り返れば、つい陥ってしまう上記の罠に、我知らずまんまと引っかかっていることもあり、あえてその罠に飛び込んでいることもあり、なんとか回避しようとしていることもあり。
 成功しているか否かではなく、回避しようという涙ぐましい(?)足掻きの跡が、少しは抑制となって働いていることもあるように感じる。

 私の感じること、私のしたいと望むこと、しようと足掻いていること。そこから鑑みて、なんか何様なことを書いてみたが、どんなもんだろうね。
 少しはモノカキさんへの刺激になりましたかね。



2003年5月29日(木)

 サイトに置いている品物。
 どんなもの置いているか、ということ。

 褒め言葉は半分だけ聞いとけ、というありがたい教訓に従って、決して真っ向から受け取ることはなくとも、喜びはしている私。
 うちにある小説群について褒め言葉を出してくれるかたの、その言葉から考えてみる。
 もし、うちにあるものにそれなりのクォリティがあるなら、それは何故か。才能とかいう問題じゃなく、それ以前のこと、あるいはそれ以後のこととして。

 たぶん、HPには二通りあるのだ。
 ものすごく極端にたとえれば、「吐瀉物を撒き散らした場」か、さもなければ「商品を陳列した店」か。
 私は、後者でありたいという意識がある。だから、人に問うところ、伝えたいもののまったくないゴミは決して置かない。これを読んでなにか感じてもらえたらいいなぁとか、飢えを満たしてちゃるぞ! とか、とにかく、常に来訪者にとってなにかになればいい、というのがあって、置いている。
 そういったものを作り出す内に、私自身の楽しみとかがある。商品に触れてくれた人と、またそこに楽しみが生まれる。

 「こんなん書いたから見てよ」というだけでは置かない。
 特に小説なんてものは、その度合いが強い。
 楽しませよう、笑わせよう、泣かせよう、考えさせよう、etc。
 そういった動機もあり、それをなんとか形にしようとし、できたと思えて置くから、気合も入る。その気合が、いくらかの研磨につながっているのかもしれない。

 結局、片手間に見えて片手間じゃなく、サイトにアップするかどうか以前に、私にこれは本業だということだ。
 仕事とか生活とか、そんなことこそ片手間で充分だ(←待っとけ
 こんな人間失格コースに突っ込んでまで、「書く(描く)」ということに真剣になれば、あとはアインシュタイン先生の台詞だ。「私は天才などではなく、ただ、一つのことに長く時間を費やし、関わってきただけだ」とかなんとか、そんな言葉が残ってるんだってさ。
 どこまで到達できるかは人それぞれでも、その人ごとに、少しずつはちゃんと高いところに行けるだろう。 



2003年5月30日(金)

 しょっちゅうやること。
 夜中に(私にとっては昼間に当たる)腹が減ったとカップラーメンなど用意し、お湯を注いだまではいいが。
 ついそのまま更新作業とか書き物に入り、ラーメンのことを忘却する。

 ……ふ……のびきってるさ……。

 などという現在進行形ネタはともかくとして。
 何故か今、手の甲が痒い。ぼりぼりと掻いて、なんなんだと見てみれば、ものの見事に発疹が。
 半ば水ぶくれになりかけである。

 そろそろ嫌な季節だ。
 日差しの強い季節は大っ嫌いだ。
 なにせ陽光に弱い。
 単に「夜型」とも言っていられない、マジな話で、ダメなのである。

 そりゃあ触れれば火傷するとか、ものすごいことになるといったことはないが、年々その傾向は強くなっている。
 今朝、ほんの5分ほど、自転車に乗って近所のマックまで朝飯を買いに行ったらことがあるし、けっこうさんさんとお日様も輝いていたから、もしかしてこれ、それで出てきたのかと思ったりする。
 だって他に手の甲に触れさせたものなんてないよ、太陽光線以外には……。

 勘弁してヨ……TT



2003年5月31日(土)

 「己の欲せざるところ、人にほどこすことなかれ」。
 論語の中ではかなり有名な言葉であるが、これを思うにつけ、そこはなんと狭い世界かとも思わざるをえない。

 己の欲せざるところ、人もまた欲せざると思うことなかれ。
 己の欲するところ、人もまた欲すると思うことなかれ。
 人は均一な存在ではない。

 以前あるかたとの真面目なお話で出したこともあるのだが、もし孔子の格言(?)を適用するなら、その解釈は、「自分がされたら嫌だなぁってことは、人にもしない」という程度ではどうしようもない。
 「嫌だなぁって思いをするのが嫌だから、人にもそんな思いはさせないようにしよう」くらいまでは広げないと意味がない。
 しかしこれは、簡単ではない。

 相手がなにをされたら喜び、なにをされたら嫌がるか、それをちゃんと分かっていなければ実行できないのだ。
 そのため、前提として「相手を知る」必要が出てくる。
 そこまで到って、はじめて「思いやり」が語れる。
 相手の心情や好み、気分を知るには、見るしかない。聞くしかない。丁寧に推測するしかない。それが「思い遣る」ということだろう。
 果たして学校で教える「論語」では、ここまで教えているんだろうか。そこまで考える、ということを教えてこその学校だと思うんだが……。


Made with Shibayan Diary