烏の足跡



2003年4月16日(水)

 たしかに前の日寝てなかったが、今日起きたら、ものの見事に12時間が経過していた……。
 ここのところずっと、睡眠時間は6時間程度、まとまってあったんだが、その間に必ず二度くらいは目を覚まし、また寝るということを繰り返してた。
 それが12時間、一度も起きた記憶がない。
 今の6時というと、朝も夕方も明るさはあまりかわらない。そのため、起きた時に時計を見て、「寝てなかったはずはないから、ひょっとして時計が止まってるのか」と思ったくらいだ。
 何度間寝るにしても、その途中で目を覚まさないかどうかと、どれくらい深く眠るかで、眠りの質と恩恵は格段に違う。
 それにしても、どうして今日にかぎってこんなんだろぉ……。



2003年4月17日(木)

 年々、ゴミの分別について細かくなってきている。
 ここまでくると、もう逆効果だと思わざるをえない。
 萌えるゴミ、燃えないゴミ、ビンとカン、雑誌やダンボール、それにペットボトルくらいまでなら分ける気にもなるが、見分けづらいプラスチック製品や発泡スチロール製品まできっちり分けて出せとなってくると、普通思うだろ。「やってられっか」と。
 結局、「いいや、適当で」になる。だって皆さん、ペットボトルの本体と蓋と、商品名などがデザインされたロゴシート部分、分けて捨ててます?? 家の中でならともかく、自販機で買って外のゴミ箱に捨てる時にまでは、100人中99人は分けてないでしょ?

 ゴミとして回収される部分に使われる素材を、消費者が「蓋と本体」なんてふうに分けなくてもいいように同一素材で作るとか、あるいは一社だけでなく業界全体で「これはこういう素材で作る」と統合するほうが先のような気がする。
 レトルト食品のパッケージ、トレイ、スーパーの惣菜のトレイ、こういったものを、とにかく素材を統一して作らせれば、ゴミを出すほうだって簡単になる。
 やるのが簡単なら従う気にもなるが、細かくなったり複雑になったりすれば、いちいち分けるのは面倒になる。規制の効果なんて上がらんと思うんだがね。

 これはなにもゴミの話だけじゃない。
 何事にも、どんな場所にでもルールはあるが、あんまり厳密に細かく言い過ぎると、かえって従ってもらえなくなる。結果、その場所そのものを利用しない、という選択肢も選ばれるようになる。
 ルールは使う側のためのもの。管理する側は、その次だ。管理側の都合で作るルールというものは、たいてい身勝手で小うるさい。
 ゴミ関係もそうだし、サービス業になる商店もそう。サイトだってそうだし、掲示板もそう。まず第一に利用する人のためを考えて決める。第二に管理する側のことを考える。利用者への制限や束縛を増やしてまで管理側の便宜をはかるなら、それは三流の証じゃあないかと思ってみたりする。



2003年4月18日(金)

 叱って躾るか、褒めて躾るか、それとも自主性に任せてなにも言わないか、という話を、バイト先の若いお母さんとする。
 子供の性格によってウェイトは違うが、両方とも使うのが一番いいんでないかと思う。叱ってばかりでは反抗してかえってやらなくなったり、あるいはストレスになって心がつぶれてしまう。なにか悪いことをしても、するべきことができてなくても、なにも言わないでいると増長したり、あるいは「べつにどうでもいいことなんだな」と勘違いしてしまったり、あるいは気にかけられていないと疎外感を感じてしまうこともある。

 しちゃいかんこと、やめたほうがいいことをしたり、しておくべきことなどをしていなかったりしたら、最初は軽く言い聞かせる。いきなり強くは咎めない。自分のしたことがどれほどのことかなんて、子供は、それをはかる物差しもってないんだから。それをいきなり怒鳴ったりしてしまったら、怯えるか、怯えの反動で噛み付いてくるだけだ。
 仏の顔も三度というし、一度、二度くらいまでは軽く注意しておいて、三度目で、次はもう駄目、ときっぱり突き放す。四度目では、厳しく叱ればいい。
 そのかわり、もし途中で、他のことでもいいから、言い付けを守るとか、良いことをしたら、必ず褒めてあげなければならない。して当然のことでも、それをちゃんとしている、ということを褒めてやるの。良いことをしたなら「えらいね」とか持ち上げてやり、して当たり前のことをちゃんとしただけなら、「そうよ」「そうだぞ」と笑いかけてやるだけでいい。
 それまでちゃんとできていたものを失敗した時には、それがどんなに重大なことでも、いきなり叱ったり、不機嫌になったりしてはいかん。ちゃんとやろうとして失敗したなら、やろうとした、ということを認めてあげて、結果は軽く扱ってやる。やるべきことを一度くらいやってなかった程度で、「どうしてしてないの」とか目くじら立てるなんて言語道断。常に完璧なんて、機械じゃあるまいし。二度、三度と怠け始めた時に叱ればいい。
 なんにせよ、いいこと、ちゃんとできたこと、ちゃんとしてることについては、大人の目から見れば当たり前だろうと、褒めてあげる。褒められることがあればこそ、叱られることをするのはやめて、褒められることをしよう、という気にもなれるだろう。

 子供の能力とか才能はそれぞれだから、下手すると全てが平均以下にしかできないという子もありうる。そうなると、「できて当然」「やって当然」のことをするので精一杯になってしまう。「当然」なんてのは大人とか、同じ歳のほかの子供と比べての言葉だ。そんな言葉を押し付けて、「どうしてできないの」なんて言ったって、子供は傷つくだけだ。その子自身の過去と現在を比べて、前よりよくできるようになった、と褒めてやらないといけない。
 逆に、なにをやらせても平均以上という子供もいる。そうすると親は、人がしてることは貴方にはできて当然、とまた「当然」を盾にしはじめる。できないことがあるのを許せないみたいになってくる。「貴方には能力がある、やればできるんだから」とか言うこともあるかもしれないが、そんなものは勝手な思い込みだ。平均程度はできて当然と思えば、よほどの結果を出さないと褒めなくなる。下手すると、1やれば5、5やれば10、20やれば50。そんなふうに常に「したこと」以上の成果を期待して、なにをやっても褒めてはやらない親ってのもいる。できてしまえば「できて当たり前、それだけの能力があるんだから当たり前」にされて、できないと「やらなかった」と見なされて叱られるだけ、なんてのじゃ子供はどこかでキレるかグレる。実際こういう親いるんだよ。……うちにな。

 必ずしもそうなる、とは言わないが、「叱ることがあるなら褒めることもなければならない」とは言えるんじゃないかと思うのである。



2003年4月19日(土)

 懐が寒いからといって自粛するかといえば決してそうではなく、中古落ちした浜崎のバラードなんて買ってみたりする。他のアルバムはまったく聞いてないんだが、まあ、一枚くらいはね……。

 バイト中には「このあたりで美味いラーメン屋ってない?」という話をしていた。それで教えてもらったところへ、帰りに立ち寄る。まあ、メンマの味が濃くてバランスを少し崩し気味なことは気にかかるが、他には特に問題もなく、まあ、美味いと言えるほうだろぉ。
 ラーメンについては……別に食べ歩くつもりも食い比べるつもりもなかったのに、気が付けばあちこちでいろんな店に入っている始末。おかげで好みがうるさくなってしまったわ。
 それはともかく、ラーメンだけでは微妙に足りないので、春巻きなんぞも一緒に頼んでみる。これもまあ美味くて良かった。
 バイトの少年たちの愛想も良かったし、いい感じの店なんで、また行ってもいいかな。少し遠いけど。

 で、うちに帰ってきたら。
 ……しくじった。夕飯が春巻きだったか……っ。



2003年4月20日(日)

 一昨日分からの続きで。
 人の陰口や悪口はよく聞くが、本人のいないところで人を褒める言葉というのはほとんど聞かない。叱るけれど褒めない、というのと一緒。
 叱るのも陰口叩くのも愚痴言うのもいいけど、だったらやっぱり、その同じ口から褒める言葉を出せと思う。
 それはその人本人の人間性につながるだけじゃない。
 聞かされるほうにとっても、確実に影響が出る。

 親は子供に、人の悪口を言うところを聞かせないようにしないといかん。
 悪口というか、愚痴を零してしまうなら、同じ人のことについてでなくていいから、人を褒める言葉もちゃんと聞かせてやろう。
 子供では「人の悪口ばっかり言って、嫌な人だ」なんて思ったりはしないが、そうして軽蔑するならまだしも、十中八九、平気で人の悪口を言う子供になるんじゃないかと思う。それが育てば、平気で人の心を傷つける人間にもなりそうだ。

 お子さんのいるかたに、あるいは結婚されていてお子さんをもたれるつもりのあるかたに、何様と思われるだろうがあえて言いたい。
 子供の前でできるだけ愚痴は零さないようにしたほうがいい。零してしまうなら、絶対に、他の人を褒めるところも同じように見せてあげたほうがいい。
 幼い子供は貴方を見てそれを模倣するように育っていく。人への不満とか文句ばかり口にしていると、確実にそんな親の影響を受けて不満の多い人間になるか、さもないと、親を軽蔑し軽視するようになる。

 他人との付き合いでもそうだろう。陰口くらい日常茶飯事でつまらないとさえ思わないかもしれないが、「いや、あいつのおかげで助かってさ」とか、「○○さんって細かいところよく気が付いてくれるの」とか、そういう話題で身近な人を褒めあうと、光と影。当たり前だと思ってる影がどれくらい暗いか、よく分かるぞ。
 無闇に褒めることはない。「ここはちょっとなんだけど、こういうところもあって、そこはすごくいいんだ」とかいうのでいい。とにかく、たまには陰で人を褒めてみよう。
 人の貴方を見る目も変化するし、友人関係も円満になってくるかもしれない。
 陰口しか言わない人なんて「自分のことについても陰でなに言ってるか分からない」と信用できないだろ? 褒めることもあれば、「見るとこは見てんだなぁ」と思える。どっちの人と付き合いたいかは、明白だ。
 ……まあ、褒めたり頷いたりしかしない、とまでいくと、それはそれで「腹ン中は別だろう」と思われかねず、やっぱり信用できないが。



2003年4月21日(月)

 また「美味い」らしラーメン屋に行く。だから己は今懐寂しいんだろ!?というツッコミは今回にかぎって無用。おごりだから♪
 バイト終わった後、仲のいい社員と話していて、じゃあ帰りにみんなで寄っていこうという話になったのだ。
 それはそれとして、なにがオススメかという話になると、行ったことのある人たちがそれぞれ違うことを言った。こうなったら、とスープについては店員に聞くことにしてみる。
 実はこれ、その対応で店のレベルってものが分かる。

 「うちのオススメはこれです」と言えるなら、ちゃんと教育している。「これがオススメなんですけど、これもいいです」と言えるなら、そのスタッフはかなり仕事慣れして、接客が身に染み付いていると言える。そこから更に、味について一言、こういうのが好きならこっちのほうが、とまで言えれば、よほどちゃんと、真剣にそこで働いているということだろう。
 しかしその店、時間が夜中でバイトくんがほとんどおらず、調理している店主のみ。仕方ないので一番確実な人に聞くと、さすがに愛想良く二、三品教えてくれた。

 豚骨スープにしたんだが、まあ……普通。麺は少し私の好みよりは柔らかめか。一人で行って時間つぶしにのんびり食ってられる麺じゃないのは確か。なんにせよ、太目のツルツルした麺に普通の濃度では、あまり「味」が入ってこない。もう少し濃い目にしてもいいんじゃないかと思ったり。だって味そのものが薄ければ「豚骨なのにあっさり」も当たり前だわさ。
 少し冷めてきて塩気の強くなった頃合に飲んだスープが、ようやくはっきりと口の中で自己主張するというのは、つまり味がぼんやりしているということだ。
 食通気取るつもりもないが、事あるごとに足を運びたい店ではない。

 それよりむしろ、最近ではインスタントラーメンのほうが美味いんじゃないかという気さえしてきている。
 一軒の店にどうしても十種類くらいは並ぶから、その中から選んでもらい、何度も食べてもらうためには熾烈な競争がある。この点において、ラーメン屋よりも製品の錬度は必然的に高くなる。気を抜けば一週間目にしか売れず三週間目で店頭から消える、なんてことにもなるわけだから。
 科学調味料だのと健康のことを考えるとインスタントものはどうかということになるが、味だけ求めるなら、かえってインスタントのほうがよく研究されている気がしたりしてしまった……。



2003年4月22日(火)

 GWを前にして、新人スタッフが増殖している。
 しかしいくらなんでも、半月くらい前に入って、まだ十日分も働いていない人と、今日が三度目なんて人を、まとめて私一人で面倒見るのはかなり無理があるかと(滝汗
 それも一人は接客業はこれが初めて。
 果たして時間内に仕事が終わるのかと思ったが、そこはそれ、なんとかなって良かった……。

 ところで、プレイボーイで連載してるキン肉マンU世なんだけど。
 雑誌では読んでないし、コミックも飛び飛びで立ち読みするくらいだったんだが、先日出た最新刊見てちょっと驚いた。
 ファンの人はもうコミック買ってると思うけど、一応白字で。

 クロエの正体がウォーズマンだったとは……。

 肉サイトの管理人さんで、クロエの正体についてあれこれと「美少年説」みたいなものを考えておられたかたがいたことを思い出してしまった。
 あの大きめの目とか、全身タイツに裾を詰めた上着とか、かなりお色気キャラ(謎)だと言われているのは、読んでも納得できた。なんていうか、すごいデザインの衣装だもの、あれ。
 その中身が彼ですか。いくらロボ超人で歳とらないってことにしたって、スグルとかロビンと同年輩、もうおっさんデスヨ!?
 ……いや、だったらなんで「少年時代」があるんだ、彼に……?
 そこはツッコミ不許可かナ?(どきどき
 でも、ウォーズマン好きだった私としては認可します(←偉そう



2003年4月23日(水)

 知ってる世間は広いほうがいい。
 狭い世界の少ない情報だけで、それが世界の常識や当たり前の姿なんだと思い込むのは情けない。

 自分の知ってる範囲のことを「常識」と思って、その外にある「常識」を非常識と決め付けている現場を見てしまうと、そんな小さい人間なんぞどうでもいいから、もっと違う世界を見に行きたいと痛烈に思う。
 それは外国だったりもするが、観光なんかじゃ意味がない。しばらくその国に住んでみないと。
 自分の持ってるものさしをどんどんぶっ壊して、大きくしていきたいと思う。
 細かいものは、はかる必要なんてない。そのまま飲み込めば済む。

 外国とかまで考えなくてもいい。
 ずっと親元で暮らしている人なら、一人暮らししてみるとか。
 田舎にいるなら都会へ、都会にいるなら田舎へ。
 冒険するのが億劫になる歳になる前に、少しでも遠くへ行ったほうか良いと思うよ、きっと……。



2003年4月24日(木)

 ちょっと勘弁してほしいPSOの体験話なので白字。

 自分の分は一つとれたし、できるなら、ほとんどやる時間のないU氏にあげるためと、あと中華鍋用に、合計で三つくらいとれたらなぁ、と思って、今日は仕事も休みだしと昼につなぐ。
 さすがにガランとしてる。
 人のいないブロックへ行き、いちいちキーボ持つのも面倒だし、パッドで入力も慣れてないから、と部屋名は「……」、鍵はなし。
 LV27のRActを使ってハード神殿を繰り返していると、突然、入ってくる人がいた。
 鍵かけてないし、まあ仕方ない。
 「卵探しなんで、出たら譲ってくれるというのでないなら、すいませんが」と言うと、さっさと出て行ってしまった。一言くらいなにか言っていけばいいのに、とも思うが、こんなことでガタガタ言ってちゃやってられん世界だ。

 7匹ばかりのラッピーを倒し、「出ないなー、やっぱりJ連れてくるか」とかアホなこと考えつつ、ロビーへのテレポーターに行くと。
 卵で埋まってた
 ……親切っつーより、これは嫌がらせだぞ……。
 もし親切のつもりで、喜ぶだろうとか思ってやってるなら、とんでもない勘違い野郎だ。
 一個くらい置いてあるだけなら、コピーだろうなとは分かっても「大きなお世話寸前の親切」と思えないでもないが、これは嫌がらせ以外の何でもない。

 あのなぁ、期間中に一個も手に入らなければ、やるというならもらおうとも思うが、あくまでもそれは、自力でやって駄目だったらの話だ。
 萎えるよ、まったく……。



2003年4月25日(金)

 突然バイト先の店長から電話がある。
 なにかと思うと、「店に某バンドのライヴチケットを二枚もらったから、スタッフの中で行きたい人がいないと確認してる」とのこと。
 けっこう好きなバンドだし、心は動いたが、問題は交通費。聞けば、片道は出るという。
 片道であれ、東京までの交通費出してまで行きたいと思えるほどじゃなかったので、断ることにした。

 ここ何年も、ライヴなんて行ってない。
 でも海外のバンドのライヴは、日本でやるのを見ても仕方ないと思ってる。
 完全にやる気が違うマ○ンナとかもいるし、一生懸命やってくれても、日本でのライヴは観客のうほが型にはまりすぎてて、アーティストたちがノリきれてないように感じることが多いから。
 たまたま二つほどの大きなバンドで、現地でのライヴと日本でのライヴを体験したことがあるんだが、どちらが良かったかといって、断然現地ver.

 ふー……でも、もし他に誰も行きたい人がいないなら、見に行ってもいいかなぁ。ついでに少し足のばして大学時代の……とか考えるんだが、そうなるとやっぱり問題は$。チクショウ!!



2003年4月26日(土)

 GBA用の「RPGつくーる」を買ってきた。
 しかし作るのは当分先になりそう。
 昔っから私は、「鉄は熱いうちに打て」。
 要するにまあ、熱中してる時に最大限のことをしてしまわないと気が済まず、その時には他のことが一切後回しになるタチで。
 そのために大学も「勉強しなくていいところ」と選んだほどだ。その時には友達と合作していた小説を完成させることが第一だったから、それを後回しにしなきゃ入れない大学なんか、行きたいとも思わなかった。
 だいたい、こういう熱意なんてものはチャンスと同じで、その時を逃したらまた巡ってくるかどうかは分からない。
 今どれほど愛していても打ち込んでいても、来年にはどうでも良くなっているかもしれない。一年たってどうでも良くなるものなら、今の時点で適当にしていてもいいだろう、と思う人もいるかもしれないが、そのかわりに打ち込めるものもないのになんとなくダレてナマヌルく過ごすのは、私の性に合わんのだ。
 ……まあ、つまり今は三国志関連で。
 無茶な企画も自分で思ってたよりは好評だし、私自身にとってもものすごく刺激になって楽しいし。
 これが一段落つくまでは、たぶんネタは考えても制作はしないな、つくーる。



2003年4月27日(日)

 ものすごく好みの素材屋さんを見つけた。
 正直に言えば、「タイル壁紙」としてあるものもあまりそれに適したものではなく、一枚絵にしたほうがいいものを無理に境目を消して並べているような感がないでもない。ボーダー壁紙とかは多くないし。
 が、とにかくその「絵」がきれいで神秘的で良い。
 デスクトップの壁紙用とか、背景固定で使えそうなものとか、とにかく気に入ったものを片っ端から保存していたらかなりの数になってしまった。

 なにより、あまり細かいことをぐだぐだ言わないところで好きになれる。
 最低限これだけは守ってね、という当然のことは主張してあるが、それは実に最低限だ。
 気遣いもあって、デスクトップ用のものはHPでの素材としては使わないで、と言うと同時に、素材に同じものがあれば「ここにあります」と書いてある。
 ページ構成も分かりやすいし、階層が深くて目当てのものを出すのがつらいということもない。
 それに、素材の一つ一つがものすごく軽い。どーでもいーよーな己のヘタレ線画のサイズダウンすらろくにできない私から見れば、これで「2kbってなに!?」みたいな。

 まだ新しいサイトのようだからかもしれない。
 ヒット数がのびて利用者が増えるとフザケタ輩も増えてきて、うるさくなってしまうのかもしれない。
 できれば、今のままのおおらかで、素材やアートワークの雰囲気そのままに、たゆたうようであってほしいと思ってしまう。
 眺めているならいいが、使うとなると「素材を使ったページ全てから当サイトにリンクを」とかいう指定があってとても使う気になれんところも多い中で、使ってもよさげだしコレクションして眺めていても素敵。
 ファンタジック、ロマンティック、淡い夢、幻想が好きなおかたは一度覗いて見てください。癒されます。「トリスの市場」さん。「その他」コンテンツのリンクからいけるようにしました。



2003年4月28日(月)

 外来語の話。
 新聞に、無駄に使われている外来語を規制(?)して、日本語を使おうとかいう動きの話が載ってた。
 それを読んでて、アホかおまえら、と思ったりする。
 たしかに、十人に聞いて八人が首をかしげるような言葉とか、専門用語みたいなものはもっと分かりやすい日本語(漢字とか見ればだいたい分かるからさ)使えばいいと思う。
 けど、なんでもかんでも日本語にすりゃいいってもんでもないだろう。
 アイデンティティなんて、自己同一性、なんつったって意味分かる人、そういないぞ。どっちにしたって一緒だ。
 「ケア」を「手当て」とか「介護」と言い換えるとかいうが、そのままで分かると思うぞ、これは。むしろ手当てなんて言ったほうが違和感ある。

 分かりにくいものは分かりやすくする。
 それは結構。
 だが微妙に、分かりやすいものを分かりにくく翻訳してるような気もして本末転倒という言葉をぶつけてみたい。
 どうしても日本語にするというなら、なるほどと違和感なく感じられる言葉に訳してくれ。

 そしてバイトの休憩時間、一緒にそんなことを話していた同僚と、「カタカナ言葉使わないで話せって言われたらけっこうつらいよね」とかバカ話する。
 プレーヤーとしての「ステレオ」なら「音響機器?」とか言ってるわけだが、「じゃあ、モノラル音声、ステレオ音声のステレオだとどう言うわけ?」とか、戦時中に外来語を禁じた政府みたいなことをしてバカにしてみる。
 なんでもかんでも日本語に直すぞ、という話でないことは承知しているが、発表されていた言葉を見るかぎり、そういう気配はしっかりと漂っている気がしたのであった。



2003年4月29日(火)

 壁紙チェンジャーを探していたが、やっとこ、簡単で使いやすくてそこそこ軽いものを見つけた。
 さっそく登録登録……♪
 先日「トリスの市場」からもってきたものの他、無双のとかー、ゆえふぁさんのとこからもってきたのとか〜。
 そんなわけで、デスクトップ用の壁紙を探して素材屋さんをうろついてみる。
 が、それを一コンテンツとして分かりやすく置いてあるところの少ないことにちょっとげんなり。
 ホント、やたら階層の深いとことか、ただでさえ画像多いのに、サイトそのもののデザインにも画像使いまくってやたら重いところとかもあって、えらい目に遭うことも。
 で、たいていそういうとこの素材というのは、無難であれイマイチだったりすることが多い……。



2003年4月30日(水)

 やっとこ、「ピンポン」を見る。
 まあ、面白いとは思うが、私にとっては、何度も見たいと思えるようなものではない感じ。繰り返すなら原作のコミックのほうがいい。
 ただ、VFXを駆使した卓球シーンは映画ならではで、最後のドラゴン戦でペコがいきいきと動き出すところなどは、なかなかいいと思う。
 ……まあ、本当の卓球であんなオーバーアクションしてたら、着地までに球戻ってくると思うが(←身も蓋もなし

 原作のコミックは、分かりやすくいえば「小説ふう」のもので、マンガ特有の丁寧な説明などなく、あくまでも人の仕草や表情、台詞だけで読ませ、彼等の内面を解説することをしない。それでいて、それぞれの人物の心理を描き出しているところが傑作と言われる所以なんだろう。
 すごく微妙で曖昧で、出てくればすぐに分かるようなものではない、「自分の中のヒーロー」を思う、スマイル本人も自覚していないような気持ち。ペコ自身がなんとなく感じながらも、その正体に気付くまいとして遠ざかり、認めまいとして目を背けている気持ち。
 下手な小説だと、確実に地の文で説明したり、分かりやすすぎる独白なんかを入れたりしてしまうところだ。
 ざっと読んだだけでは「は?」と思われそうな、分かりやすいダイナミズムのないコミックだが、スルメのごとき、じっくりと味わうほどに見えてくるものがある。

 そういった原作の持ち味を、損なっていないだけでも映画は合格と言える。
 斬新な角度や視点、アレンジでもう一つの世界を打ち出して成功するものは稀にあるが(ブレードランナーはそうだろう)、たいていは原作以下になりやすい。特に、あちこちをカットしてちぢめた場合。
 映画「ピンポン」は、これをカットされちゃ意味ないな、というところは盛り込んであるし、「映像化」にはほぼ成功したのではないかな。
 ……まあ、私はもともと「曖昧な心情を丁寧につづる」なんて青春映画とか恋愛ものは苦手なので、アレなんだけどネ……。


Made with Shibayan Diary