烏の足跡



2003年1月16日(木)

 どうやら現在、映画見たい病らしい。
 メジャーリーグ1〜3を返してきたついでに、またふらふらと借りてくる。
 「トータルリコール」と「キンダーガートンコップ」、「エースベンチュラ」。タイトルを並べると、どんなものが見たい気分なのかは一目瞭然。シュワルツェネッガーはもちろん好きだが、「ターミネーター」や「シックスデイズ」なんかじゃないあたりが……。
 「ミセスダウト」も借りようかと迷ったが、微妙にずれているので断念。「ナイトメアビフォアクリスマス」は貸し出し中だった。

 劇場に見に行くのは、距離とか時間とか経費とかで、今はほとんど諦めざるをえない状態。
 それにしてもレンタルビデオ店って、どこいっても邦画だとヤクザものとドラマは充実していても、それ以外のジャンルはかなり薄い。需要が乏しいからだ、と言われてしまえばそれまでだが。
 あとDVDの品揃えは薄くてたまらんね。



2003年1月17日(金)

 夢を見た。どうということもないんだが、めいっぱい現実が反映されているなー、という夢。
 Shinobiチックな高低差の激しい山道を、馬で走っていくというWAチックな夢である。
 それはともかくとして、そのとき私(他三名)が乗っていた馬というのは、全て他の獣とのあいのこらしい。私のジョーイは豹かなにかが混じっているらしく、まだら模様のふさふさ毛。バーヴォという黒毛のはバッタァローだったし、名前は忘れたが他に二頭いたのも、白いのは鳥が混じってるのか鼻面がちょっと変形していて、もう一頭は……よく覚えていない。
 なんにせよ、そのふさふさの手触りがあまりに心地良かったのと、その馬たちがテレパシーみたいなもので喋れたのが面白かった。この時だけの相棒じゃなく、また一緒にいられたらいい、みたいなことをお互いに言い合っていたり。しかし彼らは貸し馬らしく。
 私が思ったのは、今は本当にお互いにそう思っていても、またなにかあって自分がここに来たとき、本当にジョーイは私を覚えていて、今と同じように思ってくれるんだろうか、ということだった。
 ファンタジックなくせにリアルで、ちょっぴり切ない(阿呆)夢であったとさ。



2003年1月18日(土)

 ふと思ったこと。
 唐突すぎてなんだが、神社で投げるお賽銭。
 あれって、どうしてるんだろう? 決まったときにあけているのは間違いなくても、そのお金はなにに使われているんだろう?
 神社の維持費なんかが一番適当な気はするが、では、神社の維持費とそこに所属する団体の給料は、いったいどこから出ているんだろう?
 だれか知ってる??



2003年1月19日(日)

 以前にも書いているが、私はブランド品というものには興味ない。
 が、世の中にはそれが大好きな人もいて、そんな人のために専門の雑誌さえ何冊も出ている。
 読んでいくのはいい。いいが、ある程度もとのところに返してくれるならともかく、とったままの出しっぱなしで去っていく客を見ると、そんなんでブランド品持ったって、品物が泣くんじゃないか、と思わないでもない。
 誇りや信念をもって作られ、それが価値あるものだから、ブランドとして続いている。だったらそれを持つ者も、その信念や誇りに恥じない、最低限のマナーくらい実践してほしいものだ。
 ブランド品を買う前に、使って恥ずかしくないだけのマナーというものを身につけたらどうだと思う今日この頃であった。だから日本人は「金だけはもってるイエローモンキー」扱いされるんだよ、まったく。



2003年1月20日(月)

・相変わらず映画みたい病にかかったままで、また借りてくる。
 「アヴァロン」「ポケモン ルギア」「バットマン(ジョーカー)」「バットマン&ロビン(Mr.フリーズ)」。
 頭使わない娯楽作品がいいらしい。
 ちなみに、ルギアの声はたしか山寺氏だったと思ったが、異様なくらいにマイツボスマッシュヒットな声だった気がする。山寺氏は太目の声も出せるし、声優としてはかなり芸達者かつ実力者だと思うんだよなぁ。

・久々にPSOオンに行く。前半はGCの不調で、「止まる→切れる→つながらない」のコンボを連続してくらうハメに。
 後半調子は戻ってきたので、ふらふらと徘徊。
 話の流れで、βをつれてきてもらうことになる。
 後の展開は、言うまでもない(ぉぃ
 βとJ兄弟の三角関係(違)にエッヂがからみ、それはもう大変なことに!?(嘘
 ちなみに、ネタはネタと割り切っている玄武氏のほうが、とてつもない発言をかます確率が高いことが判明。
 ネタの宝庫となった一日であった。
 記念写真もしっかり撮ったことは言うまでもない。



2003年1月21日(火)

 とりあえずバットマン二本をたて続けに見た。
 ジョーカー役のジャック=ニコルソンはさすがとしか言いようがない。これに比べるとブルース=ウェイン(バットマン)役のマイケル=キートンはどうもいまいち。好みじゃないというのもあるが(まて
 ちなみにこれ、日本語吹き替えで見ると、ジョーカーの声をデーモン小暮があてていたりする。彼が好きな私としては日本語音声で聞きたいが、声優としてみると、演技に関してはやはり難があるのは言うまでもない。それよりはニコルソン本来のしぶい声で演じられるジョーカーのほうがサマになる。が、言葉の意味が考えないと分からない、というのはやはり大きなネック。

 ビデオ好きには字幕派と吹き替え派がいる。字幕派は、役者本来の声で堪能したい、という理由。吹き替え派は、字幕を「読む」ことなく内容をもっとダイレクトに楽しみたい、という理由。他にも理由はあるだろうが。
 私は字幕と吹き替え、気分によって両方とも借りる。というのは、文字で内容を表現しなければならない字幕は、台詞をかなり省略していることが多いからだ。時には「それを省略しちゃつまらんだろ!?」ということまである。
 その点吹き替えは、字幕に比べれば再現できる情報量が多い。声優さんの配役によっては、本家に劣らない演技をしてくれることもある。ただ、やはり演技している俳優の本物の声、演技力には及ばないことも多いし、キャスティングの際には声を理由に配役が決定することもないわけではない。となると、オリジナルの声で聞かないと、ちょっとずれたところから楽しむことになってしまう。

 というわけで、DVDで借りてきたバットマン二本は、「日本語音声・日本語字幕」でとりあえず見てみたりした。ずっとVHSばかりで、字幕と台詞との違いがどれほどのものか、はっきりと理解していたわけではなかったが、DVD利用してみると、ものすごくて驚いた。はっきり言って四分の一くらいは省略されている。
 もちろんそれは、似たような内容を短い言葉と長い言葉で繰り返しているとか、あいづちだとかいう理由だろうが、作る側からすれば、その「ああ」という一言が生み出す呼吸や間、これが無意味ではないことだってあるんだから大変だ。
 で、英語字幕で少し見てみると、やはりこれも省略が激しい。
 英語を感じるままには理解できない以上、日本人は格好つけずに葺き替えで見たほうが、内容は堪能できるような気がしてみた。

 ちなみにMr.フリーズの出てくるほうだが、スーツの装着シーンでお知りのアップが必ずあるあたり、この監督、あるいは演出家は尻フェチなんだろぉかと思わずにはいられなかった(ォィ
 シュワちゃんの怪演したフリーズは、役柄そのものが妻への愛と悲劇を背景に敷いているから、人らしい心と、その心ゆえに歪んだ心とをもっとうまく見せられれば、アクション娯楽作品以上の物語になったのになぁと思わんでもない。
 ただ、なんにでも言えることだが、あれもこれもと欲張ると、能無しは潰れる。どっちかに徹して、調味料として別のものを付加する程度にしておいたほうがいいものだ。監督や脚本が誰だか忘れたが、時間や費用その他の理由でこうなったのか、それともこれで妥協したのか、この程度のもので「サイコー」とか思ってたのか……。
 ま、氷から削りだした奥さんの小さい氷像を、時計の歯車に乗せて、オルゴールの飾りのように回して眺めているシーンはちょっとファンタジックで良かったなぁ。



2003年1月22日(水)

 バイト場の社員で、もういい年(50代)くらいで、勤務歴も20年をこえるというベテランの人がいる。店長を経験したこともあるんだから、決して無能な人ではない。
 ただ、その人の他愛ない場合の言動を見ていると、どうも配慮に欠けて見える。
 今現在、インフルエンザの流行で、アルバイトが日に一人二人、必ず休むような状態だ。それが店にとって困ることであるのは当然だし、少しくらい頑張って出てきてくれれば、という重いがあるのも分かる。
 はっきり言って、誰か休めばその分の仕事がこっちに回ってきて忙しい、というのは、現場にいればいるほど切実だ。私もあっちにこっちにと借り出されて、余計な気疲れをしたりもする。
 が、「風邪ひいて自分が苦しいのは勝手。店が困る。だから風邪ひくな」なんてことを口に出して言うほど阿呆じゃない。
 本音はそうでも、「店も困るけど、自分だって苦しくて嫌だろうにね」と言っておくのが、管理責任のある社員の立場のような気もする。

 バイトと社員というのは、責任の量がまるで違う。発言の重みも格段に違う。バイトが言えばただの思いつき次第でばらまかれる愚痴でも、社員が言えば「評価」となってしまい、その言葉はなんらかの力をもって、当人に影響しうる。
 極端な話、バイトが「おまえ絶対クビだって」とか言ってるかぎりには、なんの根拠もなかったり、単なる口先のいじめだが、社員からそう言われれば、「本当にそんな話が出ている」可能性が格段にあがる。いや、「クビにしたい」と思っている人がいる、という事実になってしまう。
 そういった言葉の重みを考慮せず、アルバイトをただの手ごま扱いする発言を平気で口にできる以上、大したことのない人なんだな、という気がしてならない。
 アルバイトが実際にただの手ごまだとしても、それをうまく使いこなす力量はないと見ざるをえない。
 年とってりゃそれだけ分別があるわけじゃない、といういい例だね、まったく。



2003年1月23日(木)

 喋りが売りのコメンテイターやコメディアンは、それだけですごいと思うことがある。
 昨日分の「発言の重み」と関連するんだが、顔を知られ名を知られ、人におよぼす影響が大きくなればなるほど、ささいな一言でも、それを耳にし、あるいは目にし、影響される人が出てくる。
 また、一つの言葉でも、人それぞれに解釈のしようがあるのだから、とんでもない誤解をされたり、あげあしをとられたりすることも起こりやすくなる。
 そういう中で、生放送でどんどん喋っていけるタレントというのは、本当に喋りのタレント(才能のある人)なんだと思う。公然の秘密でもあえて口にしてはいけない一言とか、トークの相手が本気で不愉快な思いをしそうなネタとか、そういうものをその場その場で選択し、場の空気を素早く読み取り、「楽しい番組」にしなければならないんだから、そりゃあ大変だ。ただのおしゃべりでは絶対にできない。

 つい先日引退した、元横綱・貴乃花関は、とにかくインタビューには答えないで現役を通した。本人は「相撲に集中していたから」と言うが、それだけでもないような気がする。影響力をもった人間が、不用意な言葉を自粛すれば、自然無口になる。下手なことを言ってきわどいツッコみくらいたくないとか、愚痴めいたこと零してそれを誰かの悪口だととられたり、自分の人品を貶めたりしたくないとか思えば、喋らないほうが絶対に賢い。
 彼は本当に相撲しかできず、しかしその相撲で、なまなかの人間では絶対に到達できない高見に辿り着いたのだから、敬愛すべき相撲人だろう。喋りまでこなせなんて思わないし、引退したからとべらべら喋りだして、求道者のように自己に厳しいという美徳(と人がいうもの)を台無しにしてほしくもない。
 舞の海はスポーツ番組のコメンテイターや司会として活躍しているが、貴乃花に彼のような真似ができるかといえば、疑問だ。舞の海は相撲はそこそこ(もちろんプロの中で、という意味)だったが、人前で話す才能もあったということだろう。
 貴乃花は相撲しかできない。それでいい。そのかわり、相撲で横綱になったのだから。親方になって弟子を導くならともかく、彼にはテレビ番組にひょいひい出てほしくないなと思うのだ。

 ……なんか話の主旨が途中ですっかりかわっているが、まあいいか。



2003年1月24日(金)

 自他ともに認める(?)ルパン3世ファンの私。原作は幼少時代からこっそり読み、近年には文庫で全てそろえたし、アニメもほぼ全て見ている。
 ……はずだった。
 借りてきたのは赤ジャケットルパンの第一話〜第六話が収録されているものだったんだが、なんと、これは今までに一度も見たことがないことが判明。
 いかん、これではいかんっ。

 それはさておき、現在、ルパンもののネタがちらほらと頭に浮かんでいる。なかなか形が定まらないんだが、いくつかのシーンが出ている感じだ。まとまったら書き上げて、またアップするかねぇ。



2003年1月25日(土)

 人の悪口なんてものは、言わないにこしたことはない。
 が、ふと思ってしまうものをあえて飲み込みつづけるのもストレスだから、たまには「イエス」とうなずいてくれる相棒を相手に、好きなだけ並べるのだって、人間ダモノ、悪くはないでせう。
 私も、人の陰口悪口愚痴嫌味、言わないかといったら、ノーなナマモノだし。
 ただね、大勢の前で「ああいいよ、気にしなくていいよ、うんうん」と笑ったのなら、それと同じ人たちの前では、その建前を思いっきり覆すような本音ははかないほうが美しいと思うんだが? にこやかに電話では応対しておきながら、切った途端「もう嫌になる」とかなんとかぶつぶつ文句を言い始めるとか、はたから見ていると、あまりにもその人の「高」とか「程度」「お里」なんてものが知れてしまう。

 口先だけでも好意的な、あるいは肯定的な対応をしたのなら、とりあえずそのこと、その相手に対して、いきなり態度を翻すような言動はしないほうが良かないかと思う。
 嫌なことは嫌、嫌いなものは嫌い、とはっきり自己主張することは大切だが、裏表ありまくりで、それもあまりにも嫌いなものは許せないものが多いと、たいていは単なるワガママ、ジコチュー野郎ということになる。(狭量だとかケツの穴が小せぇとか、他にも言いようはある。)
 一点に突き詰めた美学というものがあり、それに反するものが許せないとしたら、それは常に堂々と表替えして、いついかなる時、どんな場合と相手にも貫きとおせるもののはずだ。裏返ったりすることはない。
 また、美学は己に課した枷であり、それで他人をはかることはできない。押し付けるものじゃない。他人のやりようについては、「ふふふん、バカじゃん」と腹の底で笑っていても、表面上は「それが君の思うことならそうすればいい」といたって公平な(無責任なとも言う)立場をとるものじゃなかろかね??



2003年1月27日(月)

 鳥山明氏が童話の本を出した。
 読んでみた。
 ………………。
 面白くないとは言わないが、「童話」ではないな、という気もする。
 偏見かもしれないが、童話というものにはなんらかの教訓が含まれている。それは、オリジナル版は残酷だというグリム童話などから、日本の昔話なんかでもそうだし、近年描(書)かれたものでもそうだ。
 まだ幼い子供に対して、なんらかの「こういうふうにするといいよ」とか「こういうことは大切だよ」という方向を教える要素があり、かつそれが物語りとしても面白いものが傑作なんじゃないかと思う。もちろん私の場合だが。
 鳥山氏のものは、カラフルでビビッド、「絵」は彼独特の完成したものだし、お話も、落ちこぼれ天使の勘違いな善行修行、みたいなもので面白い。
 が、物語は物語として終わっても、後に残るものがなにもない。
 「何を伝えたかったのか」が極めて曖昧だ。
 「人の喜んでもらえることをするのは楽しいことだよ」とでも言いたいのかもしれないが、だとしても、幼児や小学生の低学年の子供が、あの話からそこまで読み取ることはまずできないと思われる。
 あくまでも「鳥山ファンのための童話チックな作品」であって、童話ではない気がした。

 個人的には、鳥山氏の作品には好きなものが多い。熱烈なファンではないが、Dr.スランプにせよドラゴンボールにせよ、一通りは読んでいる。短編もざっとくらいは見ているし、中には気に入っているものもある。
 彼の作品が好きだからこそ、こういう「童話」として疑問が残るような、どことなく半端なシロモノを発表されるのは、あまり嬉しくない。
 もちろんこれは、私の定義する「童話とはいかなるものか」を前提とした話だから、子供向けの大きなひらがなカタカナで書かれた絵の多い絵本=童話、というならそれでもいいがね。



2003年1月28日(火)

 なんだかぼちぼちとオンしてたら、PSOでまだ書きたいことがでてきたので、もうしばらくはPSOザレも続けることに決定。
 しかしなんというか、濁流をいかに泳ぐか、になりつつある気がするねぇ、修正前ver.のレアアイテム界は……。



2003年1月29日(水)

 横溝正史の生誕何年だかなんだか知らないが、ぼつぼつと著作が復刻されている。捕物帳好きな私としては、なにより嬉しいのがすっかり手に入らなかった「お役者文七」シリーズと「人形佐七」シリーズの復活だ。
 それプラス、テレビではまた剣客商売が放送されるようになったので、バイトも休みだし、とさっそく、珍しくテレビの前に座る。
 原作を知っているだけに、どうアレンジされているのか、比較しながら見ることができて、またそれが面白い。今回は「約束金二十両」で、私も好きな一遍だったから、なおさらだ。
 原作とは異なるところもいくらかあったが、大筋をかえたりすることはなく、うまくまとめてあった。テレビ時代劇お約束の「殺陣」が、至極あっさりと組み込まれているのも良かった。

 暴れん坊将軍とか水戸黄門とか、派手な大立ち回りが必ず挿入される時代劇のほうが多いが、「見せ場は作っても必要なだけの割合」というほうが私は好きだ。殺陣にこだわらず「物語」に重点を置いていた、第一回シリーズの「御家人斬九郎」とか、ビデオ化、あるいはDVD化したら買ってそろえてもいいというくらいに。
 剣客商売は、原作にも必ずといっていいほど、一遍につき一つは刀をとっても立ち回りシーンがある。秋山親子の、胸のすくような強さが魅力の一つでもあるのだから当然だが、下手にテレビ化すると、意味もなく長く激しい殺陣が入れられたりしそうで怖くもあった。
 私が剣客商売(原作)を気に入っているのは、秋山親子を中心とした人間模様の中に、現代ではとうてい通じないと思われるような、義理や人情が生き生きと書かれているからだ。恩を受けたら忘れない、というだけでなく、本当に心からありがたいと思い、相手に尽くす。無理をするのでもなく、建前や見せかけ、イヤイヤながらというのではなく、温情を決して忘れず、おろそかにしない。
 それには秋山小兵衛の人柄や人徳も大きく関わっているが、なんにせよ、ここにあるのは、ありそうもないほど温かく密接で、血の通った人間関係だ。一種のファンタジーのように見えてしまうのは、現代が殺伐としてきたせいだろう。ま、そのへんのことについてはどうでもいい。

 物語は上手く脚色されていても、やはりテレビの剣客商売は、私のイメージとはことごとく違う配役だったりする。
 秋山小兵衛はもっと小柄で「ちょこん」としたおじいちゃんのイメージがあるんだが、藤田まことは少しすらりとしている。品はなかなか良いが、「かわいらしい」というような愛嬌には欠ける。
 おはるはもっと泥くさく、太めの女のような気がするし、佐々木三冬は瓜実顔でもっときりっとしているような。秋山大治郎はもっとがっしりした、若い頃の緒形拳あたりのイメージ。山口馬木也では、ちょっとあくのない男前すぎる。
 とかなんとか、知ってる人間にしかまるで分からない話になってきたので、今日はこの辺で。



2003年1月30日(木)

 今日(正確には29日)の最高気温、−1度。最低気温、−3度。
 ……寒いデス。
 これだけ気温が低いと、降る雪も細かく粉雪のようである。
 そして一日でしっかり積もってしまい、せっかく溶けたと思ったところで雪景色。
 しかし寒くはあっても、夜の雪景色というものは好きだ。
 バイトからの帰り道は、普段は街灯も乏しくかなり暗いものなんだが、行きが積もっていると、その反射で非常に明るい。
 歩きで来ている人は車持ってる人に送ってもらえ、とのことだったが、そんな勿体無いことは辞退して、ふらふらと歩いて帰った。
 ずっと降っていた雪はちょうどやんで、空には薄いグレーの雲と、その向こうの星空が見える。
 車の中にいたら、きっとこんなもの、見ないままになるだろう。



2003年1月31日(金)

 デビルメイクライ2の発売日(30日)である。
 予約しておいたのを、バイト帰りに買って帰ってきた。
 フライングで手に入れた人が同僚にいて、話を聞くと、4時間でダンテ編クリアした、1より簡単、とのこと。
 しかしルシア編もクリアすると新しいミッションが追加されるんじゃないかとか、いろいろと不明なところもある。
 攻略本も出ているが、ミッション7までしかろくに説明してもいないのに1200円。さすがにこんなものを買おうという気にはならない。
 しばらくはダンテさんでトレジャーハント(まて)する予定。


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