烏の足跡



2002年11月1日(金)

 レジカウンターで接客していて……というか、同僚と話していて思うこと。
 「あの客ムカつく〜」という話なら、どこにいてもどんな店でも耳にするが、逆は聞かない。
 ムカつく客がいるのは事実として、それを零すのもいいとして、それしか言わんのではなんだか狭量というか、小さいところだけが目立ってなんだかな。
 数は少なくても、店員のほうが恐縮するくらい丁寧なお客さんとか、愛想のいいお得遺さんとかいるんだから、「俺あの人くるとほっとするんだよなぁ」というような話をしたらどうだね。

 人をけなすことはしても褒めることはしない。
 実はこれ、日本人の最大の欠点という気もする。
 面と向かってのことだけではなく、この場にいない人についても、たまにゃあ聞いて暖かい話しようよ、実際。



2002年11月2日(土)

 早十一月。
 そろそろ暖房器具のほしくなる季節である。南のほうはまだ暖かいんだろうけれど。
 しかし現在この部屋には、そんな気のきいたものなどない。
 うー、さむさむ……。



2002年11月3日(日)

 仕事の時間が夜であるため、日記の更新その他は深夜から明け方に行っている。
 しかし現在、寒い。
 暖房器具がないままでは、どーしよーもなく、寒い。
 寒いのでモニターの前にいるのが億劫で、ついつい布団にもぐりこみ、携帯ゲームやったり小説読んだり漫画読んだりになっている。

 手元にお金がある時になんらかの「店」にいれば、ついついと買い物してしまう哀しいサガ。
 GBAの「なりきりダンジョン2」と「モンスターファーム2」を同時に買ってきてしまい、この手の、さして頭使わずともコツコツ続けていればどうにかなってしまうゲームは、つい「区切り」を見失って延々とやってしまう。
 まあ、ついでにセーブし忘れて二時間分がパア、なんてこともあったりするが。

 そんなことはともかく、話書く気が大幅に減退してしまうのはまずいので、とっととストーブでも確保せねばなるまいよ……。



2002年11月4日(月)

 思いがけず仕事が長引いたものの、社員やバイトの同僚なんかと無駄口たたきつつ、作業である。
 小さい穴に紐を通す、という作業でえらく手間取ってる少年がいたりする。
 そーゆー時には、紐の先をセロハンテープなんかでくるくるっと巻いて、補強してやれぱ簡単である。「まあ、誰か言うだろ」と私は私で店内の掃除なんかをし、終わって様子を見に行くと、まだやってる……。
 誰も彼の悪戦苦闘ぶりに気付いてないのか、それとも誰もこういう方法を知らないのか。
 なんにせよ、それで少し長引いて、さて帰ろうかと外へ出ようとしたら、突然、屋根を叩き始めるものすごい音。
 雨かと思いきや、霰。
 さくさくと積もる程度に降っている。
 そろそろ本格的に、部屋に暖房器具がほしくなった……TT



2002年11月5日(火)

 あまりキャラクターグッズには興味ないんだが、最近どーも、「なごみまくり」が気にかかる。
 あの、のぺら〜とした存在がなかなか心地良さそうだ……。
 バイト先にもいくつか置いてあるんだが、「夏のなごみまくり」はもう完全に季節遅れだから、年末年始には70%OFFにして処分してしまうという。
 その時まで残っていたら、こそーりとグラスでも買ってみようかと考えていたりする……。



2002年11月6日(水)

 本人に「いじめられている」という自覚がないだけで、こりゃあいじめだろう、と思った今日。
 現在の仕事場には、どうにも社員や同僚にウケの悪い人がいる。
 他の人のしたことなら「まあ仕方ないから、気をつけような」とにこやかに終わるところが「なにやってんだおまえは」とその人の場合だけは強く咎められる。
 のみならず、誰がやったか分からないなんらかのミス(レジの誤差とかなんとか)が出ると、「あいつだろう」と決め付けられてしまう。

 その背景には、その人がそういったミスを今までに多くしてきた、とかいうこともあるんだろうが、なんでもかんでも「誰がやったか分からないならとりあえずあいつのせいにしておけ」で、他の人間には悪意を向けずにやりすごす。
 本人が悪い場合でなくても、悪者にされる。そして他の人間はそれでうまくまとまる。
 ものの見事に、典型的ないじめのような気がする。

 社会人、大学生の集まりでさえこれなんだから、もっと若い年齢層のところでいじめがあるのは、無理もない、というより当然のような気がするね、実際。



2002年11月7日(木)

 手前ミソ〜、な小説講座もどき。

 なんだか「具体的にどうしてるの?」という質問がちらほらと来たりしたので、そんな物好きさんのために、修正前と修正後の文章を並べて、何故そうしたか、を少し解説してみようと思う。
 それが正しい、というのではなく、そういうふうに考えて修正することもできる、という一つの思考拡張材料にでもしてもらえれば幸いである。

 モルモットにするのは、PSOでアップした『Imprison(仮)』。

・あからさまな誤脱字
 いちいち例を挙げても仕方ないのが割愛するが、「体勢」とすべきところが「態勢」になっていたりする……(死
 類義語は調べて使う癖をつけようネ★ 誤脱字なら「うっかりさんメ」だが、それで正しいと思って使っているとすれば、言葉の塊である文章を操る者としての能力を疑われるぞ、ともすると、たぶん、ひょっとして。

・言葉の重複 part1
 1ページ目の頭のほうに「たしかレイン博士より10歳ほど若かったはずだから、今年で70ほどになるはずだ。」という文章がある。これは「ほど」という言葉が間近で二つ重なっているので、よろしくない。こういう時には「たしかレイン博士より10歳ほど若かったはずだから、今年で70かそれくらいになるはずだ。」とでも直してしまう。
 同じようなミスが5ページの中ほどにもあった。
 「バランス性能にさいた分、パワー出力は平均程度、あるいはやや劣るようだ。だがそれでも、岩が下敷きにした細かな破片が車のかわりをしたの、なんとか押して動かすことはできた。
 「か」が近距離で重複しているのが鬱陶しい。ここは最初の「さいた分か」の「か」を削除してしまい、「バランス性能にさいた分、パワー出力は平均程度、あるいはやや劣るようだ。だがそれでも、岩が下敷きにした細かな破片が車のかわりをしたのか、なんとか押して動かすことはできた。」にしたほうが違和感がない。

・記述の統一
 数字を英数字で表記したり漢数字にしたりではみっともないので、他の部分をチェックした上で、どちらかに統一するのが適当でもあったりする。

・伏線&微調整
 1ページ目の後半にさしかかるあたりに「そんな頼りになる護衛を雇いはしたものの、私たちはエネミーに会うことすらなく、目的の場所に辿り着いた。(改行) ここからは、私の仕事だ。」という部分がある。
 これは後に出てくるアクションをふまえて、二つの文の間に「バリアフェンスが存在している」ということを書いておくほうが「ご都合主義」にならずに済む。
 つまり、こんな具合に。
 「そんな頼りになる護衛を雇いはしたものの、私たちはエネミーに会うことすらなく、目的の場所に辿り着いた。(改行) 薄青く輝くレーザーフェンスは、主任のチームが張っていったものである。教えられたコードを入力してフェンスを解除した途端、辺りは闇に沈む。天井に簡易照明はとりつけてある、との話だ。視覚センサーを切り替えて壁を見ると、古臭いスイッチが一つ見つかった。(改行) ここからは、私の仕事だ。
 「天井にある照明」は主任が備え付けていったもの、という解説まで突っ込んでみたりしている。これがないと、「それまで誰も入ったことがない場所」であるはずなのに、他の場所と同じように照明が整っていたような情景を思わせてしまうのである。こうしておけば、人によっては「きちんととりつけられたものではない照明」というところから、裸電球に照らされた部屋のような、頼りなげな空間、というイメージを持ってくれることもあるだろう。

・知識の食い違い
 作者の頭の中にはあることだが、読者にはまだ説明されていないこと、というものがたくさんある。それと類似したもので、地の文では解説されているが、登場人物には知らされていないことなのに、登場人物はそれを踏まえて行動している、というミスもある。
 それを忘れて書いてしまっていたのが、4ページ目の後半入り口付近にある、ラッシュの台詞。
 「つまり、誰かが通りかかる、ということは期待できない。だから待つしかない
 これだけ言われたのでは「なにを待つのか」となる。その後すぐにフェンリルが「それは分かるが」と答えているのはどう考えてもおかしい。
 ここは「つまり、誰かが通りかかる、ということは期待できない。だから誰か、私たちを案じて様子を見に来てくれる者が現れるのを待つしかない」にしなければならない。
 前のほうでラッシュの思考として「彼か私の安否を気遣って〜」という文章が出ているから、作者も読者も不自然に感じない(理解できる)が、登場人物であるフェンリルにはなにも説明されていないのだから、こうしなければならないはずなのである。

・リズム
 これは私のこだわりにすぎないんだが、音読してもスムーズに読める文章、というものにしたいと思っている。だから、実にささいなところで一文字削ったり入れたりすることもある。
 5ページ目中盤の「一度固定した思考だ。よほどのことがないかぎり、私の意思の外で勝手に変化したりしない。」だが、ここは最後のところを「変化したりしない。」にしたほうがいいと思っている。
 声に出して読んだときにはそのほうがリズムがいいと思うし、黙読している時も、頭の中ではみんな音読しているのが一般的である。意味がどうの、というだけでなく、こういったチェックも、私は入れることがある。
 あと、登場人物の口調を考慮して変化させることもあったりする。

・正確ではない文章
 5ページ目、上の文のすぐ後に「差し迫ってくれば恐怖も覚えるのかもしれないが、それなら私は、寝ているだけだ。(改行) 自分の寿命をきっちりと計算できる、アンドロイドの特権だろう。」という部分があった。
 これは二つ目の文(改行の後の文)が正確ではない。計算できることが特権というより、計算した上で、さてエネルギー切れで死亡する、という瞬間に、意識的に眠ってしまっていることができる、ということのほうが便利なところである。
 「差し迫ってくれば恐怖も覚えるのかもしれないが、それなら私は、寝ているだけだ。(改行) エネルギー切れが一種の餓死だとすれば、いつその時が来るのかを計算し、その前後を意識的に眠って過ごせる私、アンドロイドというものは、幸いなのだろう。迫り来る死に怯えずに済むのだから。」とでもしたほうが正しい。
 ただし、こうするとどうにも説明的でくどい、という感もある。
 もっと簡潔、かつ正確な記述を思いつけばそれに直すだろうし、あるいは、いっそ二つ目の文章をカットしてしまうのも、まずい選択ではない。私の書いたPSO話を読んでいる人ならば、「寝ている=意識をカットしてしまうことができる」と理解してくれそうでもあるし。
 ただ、そんな「分かってくれるだろう」に甘んじていると、独り善がりになっていくのも事実である(痛い

・無駄な文章
 同じく5ページ目、二人の言い争いのシーンで、
「連れて行く。出さえすれば、帰り道で技師に会うかもしれない。そうすれば、なんとかしてもらえる」
「そんな可能性がどれほどあるというんだ」
「間に合うかもしれない」
間に合わないと言ってるんだ。私のことだけが問題なら、連れて行くのもいい。いちいちまたここにボディを回収しに戻ってくる手間が省けるからな。だが、そのせいで君まで出損ねたらどうするつもりなんだ」
「待っていれば、助けが来るんだろう。出損ねたら、待つ。だからあんたは、連れて行く」

 というパートがある。これは、太字にした部分は、まず一つには間違い。間に合わない、とはラッシュは一言も、まだ言ってなかったりする(死)。 言っているのは、自分を連れて行くと階段が崩れる、ということである。
 連れて行っても間に合わないだろう、ということは少し前で出ているが、この問答での焦点はそこにないので、間違いなのである。
 ちなみに、ここにいるのがラッシュではなく、「言ってないことを言ったと錯覚する人物(すなわち一般的な登場人物)」ならばそういった錯覚も間違いではなくなるが、よりにもよって、そういった論理的な矛盾はおかしそうにない奴の台詞なので、これはしっかりと間違いなのである。
 また、カットしてしまったほうがいい、というのにはもう一つ理由がある。
 一刻も早く行動に移さなければならない、という差し迫った状況下での言い争いであるから、いちいち受け答えるような台詞を入れるより、「相手の言葉は無視して自分の言いたいことを言う」といった台詞にしたほうが緊迫感が出る。ラッシュというのは、非常時にまで冗長な喋り方をするほばバカじゃないキャラクターである。

・句読点
 またも5ページ目、終わりのほうに「彼はどれほど「ツール」に似ていてもそうではないのかもしれない。」という部分がある。
 これは一行におさまる程度の文であるし、このままでも読みづらくはないかもしれない。
 だが、後のほうは平仮名が連続している、ということもあるので「彼はどれほど「ツール」に似ていても、そうではないのかもしれない。」としたほうが見やすくなるだろう。
 句読点は、文の切れ目をはっきりさせたり、意味を明確にしたり(よく例示される、句読点の位置によって意味の変わってしまう文章、というヤツである)するのに使われるが、それだけではない。
 音読する場合なら息継ぎの位置にあたるし、似たような文字が並んで読み取りづらくなる時、見やすくする目的でも入れられる。たとえば、「ある程度模範的行動であれば」というのは音読すれば一息だし、意味が途切れるほどのこともないが、漢字が7つも連続して見づらい。「ある程度、模範的行動であれば」にしたほうが見やすくなる。まあ、こういう時は「ある程度模範的な行動であれば」とするとか、「それなりに模範的行動であれば」とか、とりうる手段は一つではない。

・言葉の重複 part2
 同じ言葉が重なるのは、離れていればいい、というわけではない。
 同じような状況が二度起こった場合、それを同じ言葉で表現したのでは、これはちょっと作者の表現能力を疑ってしまう。
 1ページ目ラストに「感じたのは地割れに巻き込まれていく圧力ではなく、引力。」という部分がある。
 そして6ページ目には「彼の腕から逃れようと私が動いたのが決定打になったのか、支えていた力の感覚は失せて、引力を感じた。」。
 二度も「引力を感じる」という言葉によって「落ちかけている」ことを表現しているが、頭悪すぎる(←我ながら容赦ないな
 いや、書くのには読む時よりも時間かかるし、一気に書いたわけではなかったりするし、とにかく時間はたっているわ、その間いろいろと他のこと考えたりしてるわで、「同じ表現を使っている」とは気付かないものなのであるよ(言い訳
 ここは「無駄な文章を省く」ということも合わせて行い、「彼の腕から逃れようと私が動いたのが決定打になった。」だけにしてしまったほうがマシだろう。なにの決定打になったのか、は読んでいけば自然と分かるはずである。
 「まあ分かるだろう」で描写がテキトーなのは困りものだが、では丁寧に書けばそれでいいとも限らないのが難しいところ。しかしまー、ここはすぐ後の部分がアクションの描写になっているし、「お約束」な展開でもあるということで……。

 はて、うだうだとてめえの文章ネタにしてきたが、「推敲段階でどういったことを見ておくといいんだろうか」という疑問に対する一つの答えにはなったんじゃあないかと期待してみたり。
 ちなみに、全ての小説について、ものすごーーーーく厳しい姿勢で推敲していったら、一日に一本仕上げてしまう、とかいうバカな真似は絶対に不可能である。日がたって、切り替わった頭で見なければ見えない点もあるからだ。
 それに烏屋は、そこまでギリギリに引き絞って仕上げた「作品」と呼べるレベルのものしかアップしない、というサイトではない。とにかくいろんなものをホイホイと展示して、萌え〜♪でもなんでもいいから楽しんでもらうのが第一である。
 だから、『Imprison(仮)』も含め、どれもこれも、何度か読み返してどうにも気になったところを直しているだけに過ぎない。もっと厳密に見ていけば、チェック入るところは山ほどある。ありすぎてまるで印象の違う話になりかねない(ぉぃ
 プロになろう、自分の書いた話で金もらおう、と思うなら、私としては、ギリギリチェックのものを書いてもらいたいところだ。まあ、そこまでしなくてもプロにはなれるんだが。

 書くことそのものが楽しみでもあるから、こういったチェックをするべきだ、とは言わない。書き流して、サイトに置いて、あるいは同人誌にして、楽しいと思う人にだけ楽しんでもらえればいい、というのもいい。
 けれど自分が楽しむだけでなく、人を楽しませたいと思うなら、読者に不親切な部分はないか、独り善がりになってないか、見つめる目は必要だろう。
 こんな巣で遊んでる私でさえ、この程度のチェックは入れているんだから、プロを目指す人はさらに客観的に、読者の目を持って、自分の書いたものを突き放して見つめなおさねばならんと思うよ、うん。



2002年11月8日(金)

 冬の楽しみ。
1.おでん。
 コンビニおでんもよし、スーパーなんかで売ってる、鍋に出して温めるだけというものでもよし、もちろん手作りでもよし。
 大根と卵とつくねとこんにゃくと〜……♪
2.風呂上りのアイスクリィム。
 夏に食べるより好きだ。

 ……ただそれだけだよ?



2002年11月9日(土)

 起きてから思い出してみれば、どうということもない夢を見た。
 時間がたってしまえば忘れてしまう程度の夢である。
 だからこれを書いている現在、もう夢の内容は忘れてしまっている。ただ、子供が出てきたということと、その子供がひどく泣いていたらしいことだけ、おぼろげに覚えている程度だ。
 だが、起きた直後は、夢の中の緊張をそのまま持ち出してきたように、やけに落ち着かなかった。
 そんな状態でふと思い出したのは、今からだと20年ほども前になるんじゃないか、という昔のことだった。

 今は室内遊戯ばかりやっている私だが、昔はとにかく外で遊んでいたし、いろんなスポーツも楽しんでいた。
 保育園時代から小学校の半ばくらいまでは、スイミングスクールに通っていたこともある。
 週に一度だったか二度だったか、もうすっかり忘れてしまったが、学校が終わってから、電車で通っていた。
 水着や着替えを入れたバッグには、母があまりものの毛糸で作ったコインケースがくっついていた。その中に電車賃と、スクールが終わった後のお楽しみ、アイスでも買えばいい、といくらかの小遣いが入っているのが常だった。
 だがある日、入れ忘れたのかそれともなにか他に理由でもあるのか、中に入っているお金がいつもより少なかったことがあった。
 しかしそんなことをいちいち確かめることはなく「いつもと同じ」つもりで私は、スイミングスクールの中にある売店でアイスを買った。
 駅について、切符を買おうとして、お金が足りないことに気付いた。
 困り果てていたら、親切なおじさんだかおばさんだかがいて、足りない分を出してくれた。

 困ったら泣けばいい、という思考の子供ではなかったので、その時の私も泣いたりはせず、「どうすればいいだろう」としきりに考えていた。
 線路ぞいに歩いていけばいいだろうか、とか、でも道が線路から離れてしまったら、間違えずに辿れるだろうか、とか、そんなことを考えたことを覚えている。
 だから、「泣いている子供の夢」で思い出すには少し縁遠い過去なのだが、何故かこの出来事を思い出してしまった。
 とるに足りない、どうでもいい夢だったが、あまりにも他愛ない小さな過去を呼び覚ますきっかけにはなった。
 思い出したからといってどうということもない小さな過去には違いない。劇的な出来事なのに何故か忘れていた、とか、人生の転機だった、というわけでもない。
 それでも、私にはネタだ(マテコラ

 大人になると、子供の時の思考や感情というものが分からなくなって、かなりウソっぱちな「子供」を書いてしまうからね……。



2002年11月10日(日)

 久しぶりに、話を書いていて眠気を感じなかった。
 それだけ一気に集中して書いたことになるんだが、出来がどうかは考えていない。
 ただ、さらりと流してしまうわけにはいかない問題を扱っているから、重い人にはものすごく重い話に感じられるのかもしれない。

 そのことに関する本はたくさん出ているし、私も何冊か読んできている。
 実際の友人、知人の中に、そういった経験のある人もいる。
 だから「まるで他人事の世界」というほど遠い現実ではないが、それでも、実際に体験していない人間の想像する苦痛(心身の)など、本物とは違うものなんだろう。
 私の書いた話はあくまでも私の脳内で展開した物語で、実際こんなふうに思える人がいるのかどうかは、私には分からない。「私が実際にそうであったからそう書いている」、というのではないのだから。
 「こんなわけないじゃないか」と鼻で笑い飛ばしたくなる、体験者もいるかもなー、とは思いつつ、アップしている。

 それにしても、この話は最終的にはハッピーエンドにしないとちょっとまずいよね、と思う話であることよ。



2002年11月11日(月)

 飲みに行きたい……というか、遊びに行きたい……っ(切実

 生活サイクルは夜型、そしてここは田舎。
 夜中にやってる店なんてほとんどないが、それ以上に、夜中に家を出て行くとモロ白眼視というヤツである。
 はあ……。

 あーそーびーたーいーーー。



2002年11月12日(火)

 整頓術に関する本がある。
 そんなものは読まずとも、なんとなく分かっていることがある。
 「スペースがないと片付かない」ということだ。

 それは「収納スペースがある」ということではなく、それにも使わない余裕のことである。
 ものすごく簡潔に言えば、所定の位置に置くまでに、いったん保留しておけるスペースのことであったり、手や体を通せる余裕のことである。
 それがないほど「きっちり」とおさまってしまっていると、その時は片付いているが、増えたものを追加していくことが難しい。取り出して入れ替える、ということにも手を入れる隙間はほしいし、取り出したものを「よっこらせ」とひとまず置いておくべき「脇」というスペースが手近に必要である。
 片付けようと思ったら、その周辺に空白のスペースを作るのが先決だと私は思う。

 それはいらないものを捨てることであったりする。
 いらないものがない、となると、整頓はいっこうに進まない。
 「部屋」というほど大きい単位であれば、余分スペースはそれなりにあるからいいが、「机」とか「引出しの中」という単位になると、だんだん厳しくなってくる。

 ちなみに私の机の上はかなりカオティックである……ウフTT



2002年11月13日(水)

 うちの巣には、塾、PSO、ルーキーズ、オリジナルその他、という四つの分野があるが、総合トップもまた、それに類していない一つのジャンルというか、そこにしかない、このザレゴトがある。
 だから目当てのエリアの更新はされていないけれど、と読みに来てくれる鳥さんたちのおかげで、なんだか普通にカウンターが回ってしまっている。
 というか、一日に動いている数字=ザレゴト読んでる人の数、と思ってもいいんじゃないかと。だって移転以来キリリクきたことないってことは、キリ番狙いでトップに足を運んでいる人はいないということだろうし、となると目当てのエリアの個別トップをブックマークしている可能性が高いし。

 読んでるよー、と教えてくれている鳥さんの数もそれなりにいるが、まるで私の知らないところでここをこっそりと見ている鳥さんも、けっこういるかもしれないのである。
 当たり前のことだが、今更そんなことに気付いて少しわたわたしてみた。

 今更のこと、というのはなにかなければ気付かないものである。
 それでは何故気付いたかというと、「はじめまして」でスタートする、ザレ読者のメールをもらったからである。
 数日前に書いた「寝ずに書いた話」をきっかけに、PSOを覗いてくださったかたが他にももう一羽おいでだが、「はぢめて」のそのかたは、オリジナルとザレゴトを目当てに通ってこられていた、というかなり希有な鳥さんである。
 それでも、「そこまでして書いたというなら力作だろう」と期待してくださったのか(気合入っていることと力作かどうかは無関係なんだが)、PSOのほうまで足をのばしてくださった。

 問題はそちらの話のほうではなくて、その内容そのものについてのことだった。
 児童虐待、ということについて思うところが胸にあったということで、その思いを私に見せてくれたのである。
 それについての詳細はプライベートなことなので書かないが、それを読んでまた、私にも思うところができた。
 うむうむ、良いことである(は?

 それはそれとして良いことなのであるとしてからに良い(謎
 良いのは良いが、たまに各エリアごとのお客さんからも勘違いされるのだが、私は同人誌というものには一切関わっていない。
 なんというか……来場者を楽しませるために書いているのであり、自分が楽しむために書いているのであり、いわば全て、私の娯楽であると同時に、玩具である。
 世界の中に入り込んで堪能する、というより、外側から世界をいじって遊ぶ、という楽しみかたをしているので、イベントだのなんだのには、ほとんど興味ないといっていい。
 どのジャンルも、ネット上で見られるサイトさんだけで満足できてるし。

 だから、まかり間違ってもこのザレを本にしたりはしません(汗
 だいたい受注生産にでもしないかぎり、こんなワケの分からんタワゴト、「きっと買ってくれるさ」なんて思うほどドリーマーではありませぬし、なにより$がありません(死



2002年11月14日(木)

 昨日分の話のラストにちょっと関係するけれど、たまにいる困ったちゃんについて。

 「見てくれて当然」「気にしてくれているわ」と言わんばかりの態度。
 以前、とあるかたからメールで「困ってるのよね」とうかがったこともあるんだが、自分のサイトの更新の宣伝を、人様のサイトのBBSでもする人がいる。
 もちろん、相手の管理人さんが「できたら教えてね」と言ってくれているなら、それはいい。
 だが求められてもいないしそんな約束したこともないのに、「今回はこんなものをアップしました。見に来てください」と書き込んでいく。
 それは好意の押し売りというヤツで、相手には迷惑なこともある。

 悪意がないのは分かるし、「この人に私のかいたものを見てほしい」という、それは純然たる好意かもしれないから、その行動そのものを悪いとは思わないが、「見てくれて当然」と言わんばかりにも見えて、ちょっと自意識過剰じゃないか、という気がしてならない。
 相手のかた、あるいは不特定多数のお客さんたちが、自分のつくりだすものを「待っていてくれている」と思い込みすぎるのは、どんなもんだろう。
 自分のつくったものにそれほどの魅力があると、そこまで自負するからには、なんらかの理由があると思うが。

 少し話は脇道に入るが、私は、お客さんや友達に、感想をほしいとは言わない。
 全ての話が面白いわけではないだろうし、全てを読んでくれていると思い込むのは自惚れだし、面白いと思ってもそれをうまく伝える言葉が見つからないこともあるだろうし、なにより、「面白かった」の一言でも、告げるのには手間がかかる。
 どうしても伝えたい、と思ったり、あるいはなにかのついででないかぎり、感想というものは、もらえなくても仕方がないと思っている。
 それでも、もらえれば嬉しいのは言うまでもない。
 楽しんでもらえた、と分かるのはいいことだし、そこで初めて、自分の書いたものが、いくらかはお世辞を含んでいるとしても、「面白かったよ」と言ってもらえるだけのものであった、と自信を持てるから。

 自負というものは、そういうことの積み重ねで持っていくものだと思う。
 それに、褒め言葉は半分だけ本気にして聞いておかないと、世の中にはお世辞に社交辞令というものもあれば、「喜ばせてあげたい」という好意もある。本当は「うーん……」というものだったけれど、友達だし、好きだし、だから「うん、良かったよ」と言ってあげたい、という……。
 言葉半分に聞いておけ、というのは、それだけが理由でもない。
 自惚れればそこで止まってしまうからだ。
 これでいい、と満足してしまったら、そこから先がなくなる。「まずいところはないか、おかしいところはないか」と常に自分の作ったものを振り返り、どこか×印をつけられる目を養っていかないと、すぐに駄作連発になる。
 言葉半分はちゃんと受け止めて、ありがたく聞いて、喜んで、励みにすればいい。いや、半分というのが相手に失礼なら、八割までは信じればいいが。

 自信は持てばいいが、「自分の作品はみんなを楽しませられるだけのレベルにある」とまでいくのは、行き過ぎだ。そんなつもりはなくても、頼まれもしないのにわざわざ宣伝に押しかける行為の裏には、過剰な自信があることは否めない。
 見て欲しい、と思うのはいいが、見てもつまらん、と思われているかもしれない、とは思わないんだろうか。
 「こんなものを押し付けられても迷惑かな」とかは思わんのだろうか。
 ……思わんからやってるんだろうが。
 そんなふうな思いが少しでもあるなら、「もし良かったら見に来てもらえると嬉しいです」とか、なんか態度に出るだろう。以前にうかがったことがある、というその困ったちゃんは「書けました★」だからな……。もう、見に来い、見に来て当然、と言わんばかり。

 私は「傲慢か謙虚かどっちに入るか」と言われれば傲慢なほうに入るだろうが、それでも、「自惚れちゃいかん、面白いはずだ、なんて思い込んじゃいかん」とくらいはわきまえている。
 楽しんでもらいたいし、楽しんでもらえるだろうと思えばこそアップしているが、そんな自分の思惑が外れていることもある、くらいちゃんと分かってる。
 だからメールの返事なんかでよく書くのだ。「楽しんでもらえれば(あるいは、「楽しんでもらえて」)幸い」と。
 まるで面白くなくて、時間を無駄にさせてしまうこともあるから、せめて費やした時間分、無駄でない程度に楽しんでもらえれば、それでほっとします、と。
 この私以下、というのは、ちょっと社会的に問題アリ〜なレベルと思ったほうがよろしい、うむ(謎

p.s.
 誤解が生まれそうなので一言だけ最後に。
 以前、「ぜひ貴方に見てほしいから」と、作品のアップを教えてくださったかたがいる。そこまで思っていただけるとは、と私には嬉しかった。ほとんど私へのメッセージのように素敵な作品を作っていただいて、嬉しいやら勿体無いやらで、しばし放心したものだ。
 また、私はだいぶ前、移転前の日記で書いているが、心にもないお世辞は言わないことにしている。今回の内容にも関わるが、そんないい加減なお世辞で、本人が自分の実力以上の自信を持ってしまっても、ちっともいいことはない。
 全ての作品が、ではないにしても、一度でも「面白い」「次を見たい」「新作見たい」とはっきりと告げたことがあるなら、その作品に関しては、私にとって本当に面白い作品だった、ということ。
 「できたら見せれ★」とまで言ったなら、本当に見たいと思っているということ。
 まあ、私のメールのやりとりをしたことがある管理人さんというのは、ほぼ全員、大変面白い作品を次々と作り上げられておいでだし、私よりよっぽど、節度というものをわきまえていらっしゃる。
 今日のネタは、「自信持つのはいいが、持ちすぎると滑稽だぞ」ということで、ほとんどのかたには無用の話と心得ておりますです、あい。



2002年11月15日(金)

 週刊ファミ通の浜村通信がお気に入りだ。
 ゲーム雑誌のライターの書く文章なんてものは、ほとんどが駄文ばかりで、それでも攻略記事なら、意味が分かればいい、という程度だ。
 けれど、「コインジャーナル」に連載していた、元ゲーメスト編集長の石井ぜんじ氏のコラムと、この浜村さんの(なんか「氏」というイメージがないのは、柴田亜美さんのマンガのせいだろう……)コラムは、非常に面白い。
 読みやすく分かりやすいという、文章の最低限のルールをクリアしているのはもちろんとして、書いてある内容も、辺に居丈高になったり見識ぶったりすることもなく、それでいて業界の、あるいは日常のゲーム体験の、とても大きな部分にさらりと触れていく。

 石井氏のコラムのほうは、なにせアーケード業界誌のものだからむリとして、浜村通信は一冊の本にしてくれないかなぁ、とか思ってる。


Made with Shibayan Diary