2002年9月16日(月)
小説作法についてまたしても。
先日、男塾のパロディ小説である『花籠の城』を読み直し、書き進めていて思ったことだ。
その話は「原作には書かれなかった物語」という設定で、原作の一部としてもそう間違いではないように、書いている。もちろんそこには、私のキャラ解釈や設定、肉付けがあるから、宮下先生の意図とは離れているだろうが、それでも、「原作のように」をモットーにしている。
そうして書こうとしているのだが、どうにも「よし」という手応えがない。
そんな時、「じゃあこれがそのままマンガとして書かれているものだったら」と思った。
小説独特の、くどいような情景描写もなく、心理描写もなく、マンガの画面から判断できることだけを書き写すつもりで書けばいいのかもしれない、と。
つまり、少し前に書いた「マンガのワンシーンを小説になおす」というやりかただ。
それを、そのマンガそのものも自分で想像して、行う。推理作家の森ヒロシ(漢字出すの面倒……)さんは、小説を書き始める前まではマンガを描いていた、ということもあって、ご自分の作品はまずマンガのように頭の中に出てきて、それを文章に直しているのだそうだ。
もし自分の考える物語を「マンガだったら……」と想像できるなら、くどいような描写を省き、より映像的な小説が書けるのではないかと思う。
私は、本当に良い小説というものは、目に見えないものを言葉で説明しようとするようなものではない、と思っている。登場人物の心や場の雰囲気を、言葉にしてしまうというのはあまりにも安易なのだ。
「彼は悲しかった」だの「烈火のような怒りが身の内を焦がすのを感じた」だの、そう書けば分かりやすくはあるが、はっきり言って、頭は悪い。
それより、その時点において「彼は悲しい」と分かるように書き進め、その哀しみを、隣に立つ誰かが見て感じるように、読者にも感じさせるのが「良いもの」だと思っている。
想像力を喚起し、それにより物語の内部へと読者を巻き込んでしまう能力、だ。言葉によって無理やりに想起させるのではなく、問答無用にシンクロさせてしまう、そんなパワーのあるものが、いい作品なんだと思っている。
そういった点でも、マンガ→小説、という変換は、有効な面があるように思う。
マンガというものは、「絵」がメインにあり、それを補うのは効果音(オノマトペ)や台詞だ。だが台詞というものは、小説のように無制限に長くはできない。その点、言葉に対する感覚というものを研ぎ澄ます必要もある。
小説では、枚数制限がある場合には、言葉や文、文章の取捨選択というものが差し迫ってくるが、アマチュアが制限もなく書いていると、そこにはなんの制約もない。だから無駄な部分がどれだけでも入り込めてしまう。
自分で制限を課すのもいいが、もしマンガをよく読む人ならば、自分の考えているストーリーがマンガだったら、を想像してみるといい。コマ割なんかはうまくできなくてもいいが、だらだらとキャラを喋らせると、ページは巨大な吹き出しに支配され、何コマも連続して同じ奴の姿が出てきて……、とつまらなくなるのが分かるだろう。
映像が浮かぶような小説を書きたいなら、その映像を自分の目(脳)で見ることが肝心だ。
そんな視点に立って、前述の『花籠の城』を読み返してみると、……ダメだ。全ッ然ダメ。
言葉費やせば雰囲気や景色を詳しく表現できるってもんじゃない。
そんなことに、私自身があらためて気付いたりするのであったとさ。
2002年9月17日(火)
第何回目かも知らないが、物語作法。
その人が日常的にどんな言語を使っていて、どんな言葉なら知っているか、と書き手には分からないが、あまり馴染みのない言葉を濫用するのは、感心しない。
難しそうな言葉や画数の多い漢字で構成された熟語なんかはいかにも偉そうだし、雰囲気もありそうだが、意味が分かってもらえないのではならない。
前後の文脈や、その漢字そのものから「ああ、こういう意味かな」と分かるならいいが、そうでない時、そこで物語は止まってしまう。
小説にせよなんにせよ、自分の中にあるなにかを形にして表現しようという時、そこには表現することそのもので満たされる部分と、表現したものを理解してもらって満たされる部分が存在する。
ひたすら書く(描く、あるいは作る)だけで満足ならば、たぶんこういったwebなど、表現の場にそれを出すという努力はしないだろう。
むしろ、公開することによって受ける非難や否定のことを思えば、自分一人で隠匿しておくほうが健全だ。
だがたいていは、恥ずかしいとかいう気持ちはあるにしても、誰かに見て欲しい、認めてほしい、知ってほしい、受け止めてほしい、という思いもあって、なにかを形作ることが多いのではないかと思う。いや、確かめたわけじゃないし、知らないけどさ。
分かってもらうためには、分かりやすくある必要がある。
自己満足に終始してはいけない。
それは内容そのものもだが、それ以前に、文章や技法についても同じだ。
とあるところで、やたらと修飾的な……華美なというか派手なというか、とにかく、普段の会話や文書ではまず見ることのないような単語がばらまかれた小説を目にした。
それを読んで思うことは一つだ。「おまえ、自分に酔ってるな」。
酔えばいい。そうやって自己陶酔して、自分を認めてやることも大事なことだ。私なんか今でも酩酊状態だ(自滅
だが、それとは別に客観的な判断眼も持たないと、出来そこないの道化のまま終わってしまう。
笑ってほしくて、意図通りに笑われるために道化を演じて見せるのはいいが、その無様さを嘲笑されるだけのナルシストってのは、あまりにも情けないぞ?
2002年9月18日(水)
最近なんにでも「メーカー」は増えたが「ブランド」は減ったような気がする。
世間ではともかく、私の定義で言えば、「メーカー」というものは、消費者、購買者に気に入られるような商品を作るところで、「ブランド」は自らのスタイルを形にするところ。
誤解を恐れず端的に言えば、流行に乗るのがメーカー、作るのがブランド、ということだ。
今日、とあるゲームカタログ誌を見ていたら、「購入者の萌えを裏切らない展開で」云々、と書いてあったところからふと思ったんだけどもね。
要するに、その人物をどう表現していくか、いろんな状況や状態でどう反応していくかというリアルな動きより、一定の動き、購入者が期待する展開にしかせず、そんな言動しかとらせないことを念頭に置いているわけだ。
萌えに添うように添うように、とシチュエーションも限定し、言動はファンタジー気味にワンパターンにし、購入者の夢を満足させる方向で作る。もちろん、それも徹底してやればこそ一流メーカーとして名も通る。
だが、購入者の好みではなく、製作者の意図や表現したいものを、購入者の好悪感におもねることなく真っ向からぶつけてきて、更に一定のクォリティを生み出してくるような、一流ブランドはさすがにほとんどないね。企業もそうだが、作品タイトル一つだけを言っても、だ。
2002年9月19日(木)
うちの冷蔵庫には、いろんな1Lパック飲料が入っている。
全員の嗜好が違うから、それに合わせて揃っているのだ。
牛乳、コーヒーは常備として、あとは日によってコーヒー牛乳、紅茶、オレンジジュースなどなど。
今日の冷蔵庫の中身は、牛乳、コーヒー、飲むヨーグルトだった。
ところで、私はコーヒーはあまり飲まない。飲まないというか、飲めない。嫌いじゃないんだが、たとえカフェオレにしたとしても、5も飲むとすぐに胃にきてしまう。
それはパックものでも同じことなので、飲む時にはコーヒーを牛乳で割っているのか、牛乳をコーヒーで割っているのか分からないような配合にて、飲むことにしている。
いや、この際配合率はどうでもいい。
最近、連日の無茶なゲーム三昧のせいで疲れ気味だったんだろう。
なんにも考えずニ種類取り出して。
……そう。
賢明なる読者諸君にはもう分かっただろう。
白いモノは牛乳ではなく、飲むヨーグルトだった。
色合いはいつもと同じだが、どうにもとろみが違う。
もちろん、匂いも。
言うまでもなく、味も。
しかし飲めたものではなく、一口舐めて、捨てましたTT
2002年9月20日(金)
猿と化したゲーム三昧の日々から、ようやく普通に働く日々に戻る。
しかし、ついやってしまった気が付けばとっくに夜は明け、日は高くなる始末。
ここ数日、朝10時前に寝た覚えがない。
そして起きるのは15時。そして仕事へ。
……命削ってる気がするなあ。
でも、たとえゲームでもなんでもいい、「これやってると楽しい!」ってことがない人に比べれば、ずっと「生きた」時間を過ごしてると思う。
なにしてても、なにもかもがなんとなく、なんて、そんなの既に余生だよね。
2002年9月21日(土)
仕事中に見かけたとある男性の客。
年は三十後半から四十前半くらいだろう。
肩までくらいの少しウェーブがかった茶髪をオールバックにし、衣類は派手な柄ではあるが色彩的にはシックなドレスシャツと、茶系のパンツ。
それが「今」かっこいいかどうかはおいといて、私としては、「おお」と思った。
だが。
少し離れてみたところ、パンツの丈が短くて、歩いているだけで裾から水色の靴下が見えっぱなし。
……ダメじゃん、おっさん。
2002年9月22日(日)
脱・猿。
しかし突然、マンガを読み始める。
「面白いから」と知り合いの女性に勧められて読んでみたら、けっこう面白い。
大和和紀の「ベビーシッター・ギン」とかいうマンガ。
そういうと昔、この人の「ハイヒールCOP」も読んだなぁ。
「あきゆめみし」という一番でかいのを無視してそういうのを読んでいるあたりが私である……。
2002年9月23日(月)
先日ここで「けっこういい」と紹介した『輝ける子』という本を、やっと買ってきてちゃんと読んだ。
知っている人は当然知っているし、考えたことのある人は当然考えたことのあるようなことで、特にものすごいことや珍しいことが書いてあるわけじゃない。
けれど、それを誰か、他人の言葉として受け取る、ということが、大事なんだと思う。
本の中にも繰り返し書かれていたけれど、子供が荒れたりする背景には、自分を認めてほしい、受け入れてほしい、という思いがあることが多い。
親は、自分では親切のつもり、愛情表現のつもりで、気付かずに傷つけたり威圧してしまっていたりすることがあって、だから「どうしてこうなったの」と思うんだろう。自覚がないから。
頑張れ、と応援するより、頑張ってるね、と言ってやること。頑張れ、は励ましにならないこともある、という当たり前のこと。だって「頑張れ」ってことは、今のじゃ足りないってことでもあるから。こんなにやってるのに、もっとやらなきゃダメなの、まだ満足してもらえないの? という気持ちを呼び起こす。
やればできるんだから、という言葉もそう。理由はどうあれ、その時のその人には難しいことを、その人の能力を認めているふりで「やればできるんだから諦めないで」なんて言ったって、できない時にはできない。そうすると、「やればできるのにできない、ってことは、つまり『やってない』と思われてるってことなのか」ともなってくる。
あんたはいい子よ、と言って可愛がるのは、いい子でなければ可愛がってもらえないとも思わせる。
きちんとしなさい、としつけるのは正しくても、きちんとしてないことで叱りすぎると、きちんとしてなきゃここにいちゃダメなんだ、と……そのつもりもないのにおかしてしまったミスや過ちに怯える。怯えて怖がるだけになるか、それともそのミスを隠すために嘘つきになるか。
社会は、世間は、その子が社会のルールから外れていたら受け入れてはくれない。厳しいところはそこにあるんだから、家の中、親という存在は、子供の悪いところを否定する存在であってはならないと思う。
悪いところがあって、それが世間に出てまずいことになりそうなら、それがどうして悪いのか、どうすればいいのか、悪いところ、そんなところのある子供をそのまま受け入れてやったうえで、少しずつ治していってやるものじゃないだろうか。
私は。
悪いことをすることは許されなかったし、悪いことをするどころか、何もかも人並み以上の成果を出してやったのに、それでも期待に背くことをしたら「どうして怠けるの」と白い目で見られて育ってきた。悪いところを知られたくないから、嘘をつくことを覚えて、嘘のつき方ばかり巧みになってきた。
そう感じる。
事実そうであるか、とか親のつもりがどうだったか、ではなく、子供本人がどう感じ、どう受け取るか、が重要だとすれば、私のこれも、「そんなのはただの言い逃れのための思い込み」と否定される覚えもないものなんだろう。
ここにいてもいいんだ、と安心すること。
誰かに認められ信じられているということ。
そういったことが、その人を安定させている。
大人でも同じことで、とにかく自分の言動を押し通そうとする人、他人の意見を頭ごなしに否定してまで自分の正当性を主張しようとする人は、「自分は正しい」という安心感を、そうすることでしか手に入れられないのかもしれない。
誰かに認めてもらえないと、自分だけでは自信が持てないから、「そうだ」と他人に言わせようとする、というか。
期待に応えないとここにいてはいけない気がして、そんなふうに思いたくなくて「知ったことか」と言うことを覚えて道を外れた私には、そういう「俺が正しい」という態度に出る人のことを、簡単にジコチュー野郎、とは思えないでいたりする。
私も、自分の中だけで自分の信じることを信じて強くはあれないから、こういうところに公開して、時になんらかのリアクションを期待するわけだから。
2002年9月24日(火)
PSO(ネットゲーム)で知り合った人の中には、新妻、子持ちのお父さん、お母さん、孫のいるじいちゃん、なんて人たちもいる。
うちの親は「大人はゲームなんてしないもの」という人たちだから、30代、40代、果ては50、60、70 というお年でも、子供や孫と一緒にゲームを楽しんでいるかたと知り合うと、「いいなー」と思わずにいられない。
子供と同じ「好きなもの」「楽しいこと」を持つということは、それだけで家族の関係というものを、少し潤滑にしてくれると私は思う。
「これ面白いよな」という共感が、必ずそこにあるから。
「あんなことしてなにが楽しいの。まあ、あんたはあんたの好きにすればいいけれど」なんてお互いが思っているような関係と比べれば、一目瞭然だろう?
2002年9月25日(水)
バイト中、松下幸之助、といえば、松下電器の社長(創業者)かなんかだったっけ? とか思いつつ、氏の「人生心得帖」なるものを見る。
返品作業の途中に、そんなものを見ているとは不真面目なのだろうが、面白そうなものを見つけることもなく黙々とただ作業するなんて、よっぽどなににも興味ないんだろう、とも言えるわけで。
前書きがあるので、とりあえずそれを流し読む。こういう時、読書スピードの速さというものがものを言う。
ざっと読み通した中に、「これは買いかもしれん」と私に思わせた言葉があった。
あいにく持ち合わせがなかったので買ってきてはおらず、言葉そのものは覚えていないが、内容としては、まず最初のほうに「私は今年で(昭和58年)満90歳になる」という前振りがあった。そして本を出すにいたって経緯のようなものがさらりと書かれ、最後のほうに、「まだまだ(人生の)修行途中の私がこんな本を出すのはおこがましいが」という言葉があった。
……90歳で人生の修行途中だ、と思うということ。
あんたはいったい何歳まで生きるつもりなんだ、というツッコミはさておき、本気で「こういうことさらっと言えるじっちゃんが身近にいたら師匠と呼ぶぞ」と思った。
この言葉の受け取り方は、大きく二通りある。
一つには、氏が非常に謙虚であり、あるいは謙遜してこんなことを言ったのだ、という取り方。
たとえ謙遜でも、偉そうに居丈高になって「私の成功の秘訣」なんて言うより、よっぽど気がきいている。かっこいい。
そしてもう一つは、とんでもない向上心の持ち主だ、という取り方。
まだ今の自分で「良し」と思っておらず、改善できると思っている。まだ学ぶことがたくさんあると思っている。めちゃくちゃかっこいいじーちゃんだ。
「もう私も60間近だし」とか自分を「高齢」だと思って人生を締めにかかってるおっつぁんおばさん、たかだか20歳そこそこで「人生ってつまらん」とか「もう年だし」とか言ってるナリだけ若いおじんおばん。
このじさまの言葉に、なんとも思わんのだろうか。
私は、「すげぇじさまだ」と思うと同時に、安心した。
たとえ90になったって、人間として完成するなんてことはないのなら、今の自分に到らないところや間違っているところが多いのは当たり前なのだ。
90のじさまが、「まだ私は修行中なんだよ」と言うほどのものが人生なら、私なぞ、職人のもとに弟子入りして、やっと仕事を見せてもらえるようになったとこじゃなかろうか。実際の仕事になど携わらせてもらえず、使い走りや雑用をこなしはじめたところかもしれない。
なにかができなくたって当たり前。失敗したって当たり前。要は、そのできなかったことの中から、どんな小さなものでもいいから、なにかを見つけてくることで、それさえできれば、こんな若造としては親方から許される範囲なんだろう。
できないこと、間違ってしまったことを、↑な理屈で「仕方ないしぃ」と軽く受け流すのはバカだが、自分を責めるほどのこともない、ということだ。甘えれば落ちていくだけにせよ、な。
たいていは大人になると、年くっただけで立派になったとか、いろんなことを正しく知っているつもりになって、人生の達人、みたいに「これはこうするものだ」とか言い始めるだろうにな。
これほど柔軟で大きな人であればこそ、巨大な会社を生み出せたんだろう。……いや、松下電器の偉い人だったんだよね??(ぉぃ/本気で記憶曖昧デス
いわば幸サンは、人生という親方のところの兄弟子で、それも「俺のほうがちゃんとできる、偉いんだぞ」などと弟弟子を見くびることもなく、常に自分もまだ上を目指そうとする人だった、とも言える。
本の内容もざっと眺めたが、はっきり言って、こまごましたことよりも、この前書きの見開き2ページ、このほうが重大な気がしてしまった。
私が編集者で、これに帯をつけるなら、この言葉を帯に転載するね。
こんなことを言う人が教えてくれる人生の心得なんだよ、と。
本そのものは和風でシンプルで渋い造り。
他には「商売心得」「会社員心得」とあったが、これらにまで手をのばすと私自身の考える余地が少なくなりそうなので、こちらは素直に返品した。
ちなみに、似たような話なんだが。
以前PSOの掲示板には書いたことなんだが、コメディアンの志村けんさんの著書に、面白い話があった。
人生を80年とし、それを一日に置き換える。
で、生まれた瞬間を夜中の0時とする。で、80歳になったら、また0時になる、と考える。
それで自分が今、何時にいるかを考えてみよう、というものだ。
これでいくと、40歳で12時。
さて、一服して昼飯食って、また仕事(授業)だ、というところだ。
20歳なんて朝の6時。早い人は起きているが、たいていはまだ夢の中だ。
30歳で9時。いってきます、と家を出て、職場や学校につき、始業したところになる。
50歳で15時。オヤツの時間。ちょっと「余計なこと」を楽しむことに専念していい時間、とも言える。
60歳でやっと18時。家に帰ってきて、くつろぐ時間だ。だが人によっては、この時間はまだ同僚、同級生との付き合いの真っ只中だし、夏場なら部活で汗を流していることもあるだろう。
70歳で21時。そろそろ眠ってもいい時間になる。だが、これから面白いドラマがはじまったりもする。
80歳でまた0時だが、仕事が残っている人はまだまだ休めないし、試験勉強して徹夜していたり、あるいは余暇の時間を楽しんでいる人だっている。
そう考えると、まだろくに目も覚めていないような10歳、20歳のしてることは、これからの活動のための休養、というエネルギー蓄積の時間なわけだ。
逆に、50歳になったところで、「さて、もう余生」なんてのは人生って仕事をナメてる奴の態度だろう。「うわー、面倒くせぇ」と思いながらもあと3時間、頑張って働くことができるんだから。仕事が面白い人にとれば、「よし、あと3時間でやれるとこまでやるぞ」とやる気になれる時間でもある。
もうぼーっとしてるだけ、なんてのは、飯も食って風呂も入って、さて寝ようか、という21時、70歳以降で充分。
そして、「これがやりたいんだ」ということを持っている人にとれば、21時なんて、やっとそれが好き放題できるようになった、本当の自由時間だ。
日差しのイメージにしてみれば、さわやかで開放的ですがすがしいのは7時〜10時。20歳過ぎた頃から30代前半くらいだ。
一番日差しが強いのは13時〜15時。つまり40歳過ぎてから50歳くらいまでで、決して「斜陽」なんかじゃない。
と、たとえていくと、ちょっと面白い偶然もある。
昔の人は陽が出ると起きて、陽が沈むともうさっさと寝た。人生も、10歳くらいからもう働きはじめて、敦盛にあるよりに「人生50年」だったわけだ。
それが今は、やっとこ20代半ばで働きだして、まともな大人に扱われて、80歳まで生きる。
文明の進歩が人間の成熟曲線に関わっているのか?(マジにならんように
なんにせよ、90になっても、まだまだ知りたいこともあるし、素直に「分からないな」と思うこともある、という年のとりかたは、トッテモ素敵だと思うのだ。
2002年9月26日(木)
一昔前のバンドブームの時、いろんなバンドがいた。
その中で、その後十年以上活動していたバンド、今も活動しているバンドなんてものは極少数で、大半は二年ももたずに消えていった。
けれど、そういったバンドが作ったアルバムは駄作かというとそうでもなくて、私には気に入っているものがいくつかある。
AURA、というバンドがあった。
カラフルな四人のメンバーで、ビジュアル系というほどではなく、どこか道化師めいた明るいスタイル。
彼等のアルバムの中に「THESAURAS」というものがあって、実はこれは、かなり気に入っている一枚だったりする。
演奏はズバ抜けて上手いということもないし、楽曲も大ヒットするほどのこともないかもしれないが、まあ売りようによってはいくらでも売れてしまうのが現代でもある。
歌詞は陳腐といえば陳腐なのかもしれないが、変に格好つけて構えたりせず、素直に夢や愛を歌っていて、そこに好感が持てる。
「ガラスの箱に閉じ込められた俯いた人形」という言葉からはじまる「夢みる人形」という歌がある。
サビの「もしもこの足が自由に動き回ったら いろんな国を探検したい もしも両手が自由に動き回ったら 七つの海を渡りたい」というのを聞くたびに、一人の友人のことを思い出す。
そして、足も手も自由に動き回るのに、大きな夢を見ることもないとすれば、それはどれほど勿体無いことをしているんだろう、と思うのであるよ。
2002年9月27日(金)
久しぶりに友人Tに会う。
奴は毎度いろいろなものに凝っているんだが、今回は何故か「善行」に凝っていた。
凝ってするものが真の善行かどうか、というつまらん疑問はさておき、奴の言ったことが非常に面白かったので、ご紹介。
「毎日必ず一つ、昨日はしなかったなにか良いことをする」
Tは今、これを実践しているという。
肝心なのは、「一日一善」という部分以上に、「昨日はしなかったこと」にあると言う。
根っから善良で心身とも余裕に満ちている人なら、毎日必ず、なにか人の役に立つようなことし、それを習慣にしていくこともできるだろう。
しかし、習慣にして、それが当たり前になってしまうと、本人は良くなるが周りはダメになりやすい。要するに、「こいつがやってくれるから」と依存する気持ちが生まれてしまう。
だから、毎日行うのは本人だって窮屈だし、周りにしてみたって単純にいいことでもなくなってしまう、と言うのだな。
そして、「昨日とは違うこと」、できるなら「一昨日とも一昨昨日とも違う良いこと」を探してみることで、「考える」時間や「思いつく」という閃きが生まれる。
ただ、あんまり思いつめてやるのでは長続きしないから、「せめて昨日と違うこと」であり、「昨日もしたことは数に入れない」のだそうだ。
もし夜になっても思いつかず、なにしてないという時には、一昨日、一昨昨日にだけしたことを思い出し、それを繰り返してみればいい。
「良いこと」はどんなにささやかでもいいが、本人が心から「よし、いいことしたぞ」と思えることでなければならない。
なんでもいいから適当にやって「これはまあいいことだろう」程度のことではダメだし、後から考えてみて「あれは良いことだったな」というのではならない。誰かに喜んでもらえたりとか、褒められるようなことである必要はないが、とにかく「よし、これは良いことだな」と思ってから行うことでなければならない。
つまり、誰も見ていない道端で、空き缶が一個落ちていたから、それを拾ってクズカゴに捨てた、というのでもいいわけ。人のためになることでなく、自分のためになることでもいいらしい。「とにかくなにか良いこと」ならいい。
そんなTに、おまえは毎日なにしてるんだ、と訊いたら、極ありふれたことばかり並べてくれた。
家事の手伝い、ゴミ拾い、道に迷ってるっぽい人にこっちから声をかけてみた(勘違いだったんだが、助けてあげよう、としたこと事態が良いこと)、同僚の仕事を一つ手伝ってやった、犬の毛づくろいをしてやったetc……。
「して当たり前のこと、と誰かが言うことでも、俺は普段してないし」という程度の「良いこと」でいいから、毎日、昨日とは違うことを一つしよう、と頑張り、できなかった日のことは、カレンダーに×印だけつけているらしい。
で、「どれくらい続けてんだ」と尋ねたら、「一年くらい」だと。いろんなことが忙しくて疲れている日にはできないこともあるが、そういう時には、翌日二つするんだそうだ。「できなかった」と自分を責めたんじゃ意味がないから、とTは言う。
どんなささいなことでも、一日一つ良いことをしよう、という気持ちを一年間持ちつづけ、実行し続けているというのは、意識もせずにいつの間にか良いことを毎日しているより、よっぽど大変なことのような気がした。
しかしTは、「良い人になろう」としているのではない。
ここが面白いところで、奴にとってみれば、これはゲームだったりする。「さて今日はなにしてやろうかな」と朝思う。いつでもできるようなことなら、手帳にメモしておいて、そのとおりに実行することもあるし、ふとなにかを見つけて「今がチャンス」と思うこともあるという。
「昨日はしなかったこと」でなきゃダメだから、「昨日は犬の散歩行かされたし、手伝いもしたんだよな。飯の支度も後片付けも終わったし、なんか他に今からできることないかな」とか23時頃に頭を悩ませることもあるようだが、それも面白いスリルだそうな。
けれどTという奴は私の友人の中ではかなりすごい奴で、そうやってゲーム感覚ででもいい、なにか「良いこと」をしていくと、いざ必要に迫られてそれをしなければならなくなった時、当たり前のように気楽にできる、という利点がある、と言った。
気分は乗らなくても、実際に体験したことがある、というだけで「やりたくねーなー」という気持ちはやわらぐ。
そういった意味でこれは、とどのつまり、自分自身を磨くための「善行」なわけだ。
それを意識的に行って自分を磨こうとし、実際にやってるからすごい。
人のためを第一に考えて、とかあれこれ堅苦しくなってなんにもしないより、自分のためでもいい、そのおかげでTのお母上はたまには楽ができるし、同僚は残業時間が短くなることもある。町はたとえゴミ一個分でもきれいになるんだから。
2002年9月28日(土)
ビサラもの、待っててくださったお三方。
お待たへいたしますた。
やっとこアップいたしますた。
オリジナル版とも言うべきものは鴟典さんちで動かされるとして、うちにあるビサラの話のテーマは、「笑い」。
あからさまなくらいにはっきりと書いてるけどさ。
今回アップした話は、これまでの話、この話の中での前の部分を頭の中に置いて読んでもらうと、なにかオーバーラップするように、そんな個所を意識的に多く設けてたりする。
こんな時勢、戦う力を持つ者のほうが便利だが、人が本当に必要としているものは、戦乱ではなく、平和。
そして平和とは、心から笑える時間のこと。
ただ何事もなければそれでいい、というものでは決してなく。
オリジナルとは一種の別世界、パラレルとして、まだこれからもビサラ話はアップしていく予定でアリマス。
2002年9月29日(日)
ここのところずっと、たまに凍る以外にはおとなしかったおスミさんが、また反抗期に入ったらしく、頻繁に青画面になってみたり、強制終了を訴えてくる。
こうなると本気でおスミさんの機嫌とか気圧の問題とかを考えるぞ。
2002年9月30日(月)
もう十月目前である。
そんなわけで、さすがに肌寒い夜も増えてきた。
温かい飲み物なんかが恋しくなる季節である。
私がものすごい紅茶好きだということは、一部の人なら知っているが、これと並んで、冬場には必ず、インスタントのスープを大量に消費する。
人によっては「不味い」という、粉末にお湯を加えるタイプのクノ○ルなんかから出ているような、ホントのインスタントものだ。
いや、もちろん、せめて牛乳だけでも加えて鍋で作るようなもののほうが美味いんだが、お湯さえポットに常備しておけばいい、という手軽さが好きなのでもある。
それに、保存がきくし。
ごくフツーの保温ポットは、引越しの際にいつの間にか捨てられてしまったていたので、現在使用しているのは、ゲーセンでとってきたキャラクターつきのポット。たかが景品と侮るなかれ、ちゃんと役目は果たしてくれる。
しかし、春から夏の間は放置される運命のポット(冷水を入れるという利用方法はしないのである)。
怖いのは、久しぶりに引っ張り出してきて、中を覗いた時である。
無論、片付ける前には念入りに洗い、洗剤が残らないように徹底的にゆすぎ、完全に乾燥してから仕舞うのだが、それでも見落としがないわけではなく。
今回はなんともなかったが、以前、あれはある秋口のことだった。
遊びに行った友人宅で、夜、だいぶ寒くなってきたし、俺はコーヒーおまえは紅茶を飲むだろうから、とポットにお湯を溜めておこう、という話になった。
そうして引っ張り出したポットの中は、なんとなく青い部分があちこちにあったりして、それが金属部分を腐食しにかかっているのか、いくら洗ってもとれないのである。
「いや、ほら、熱湯消毒って言葉もあるし」
と友人は平気でそれを使っていたが、私には真似できない仕業であるよ。そりゃあ、それ飲まなきゃ死ぬほど切羽詰っていれば気にもしないが、選択できる時に選択しないほど、太平楽ではないのである、うむ。