2002年6月16日(日)
自分が読む小説ってのは、けっこういろんなジャンルに広がってるんだけど、一つ共通点がある。
それは「非日常の世界に通じるもの」ということ。
殺人事件が起こる推理物しかり、SF、ファンタジーしかり、時代物しかり。時代物にいたっては、歴史小説ではなく剣豪小説・捕物帳にかぎるくらいだから、顕著だ。
正直、最初の2ページで当たり前の名前と実在の地名が羅列され、平凡な主婦だのサラリーマンだのが出てきたら、もうそこで読まなくなる。
現代を舞台にした推理物なんだと、あらすじや後書き、そもそも「推理」というジャンルからして、なにか異常事態が起こると分かっているから、先を楽しみに読むくらいだ。
ジリジリと進行していく物語も苦手。
映画にたとえればアクションやホラーに当たるような、メリハリのきいた展開が好き。あるいは短い中にバシッと決めどころのあるようなショートショート。
ままならない現状や思いがけずに身近な罠、そんなものは実際に隣にあるわけだから、いちいち時間をさいてまで読みたくない。
ただでさえ面白いことと嫌なことがある現実で、嫌なことを連想して思い出してしまいそうな話なんてのは、言語道断だ。考える時には嫌でも面と向かって考えざるを得ないことを、わざわざ小説でまで見たくはない。
他人の恋愛事情を覗き見しているような、変にリアルな恋物語も好きじゃない。
そんな私とはまったく逆の嗜好を持っている人もいて、彼等に言わせれば、あまりにも突飛なことが起こりすぎると、いかにも作り物という気がしてしまってつまらなくなり、入り込めなくなる、とか、いろいろと理由はあるらしい。
本の好みなんてのは人それぞれで、面白いと思うもの読んでりゃいい。
そんなことで金きり声上げて論争するのはやめてくれ、と思った今日の昼下がりであったとさ。
2002年6月17日(月)
昨日の日記の続きのようだが、私は江戸時代あたりを舞台にしたヒーロー小説が好きだ。「ヒーロー」には剣豪、岡引など、なんでも入る。
あまりややこしい筋立てをズルズルと引き伸ばしたようなものではなく、時代劇的な明快さと、小説だからこそできる精緻さが合わされば、それが私にとっての名作。
好きなのは連作短編が多い。
池波正太郎氏の「剣客商売」とか都筑道夫氏の「なめくじ長屋シリーズ」、柴田錬三郎氏の「御家人斬九郎」、笹沢左保氏の諸作あたりがお気に入り。他にも多岐川恭氏とかも好きだ。
それ以外にも、読みやすそうなものを見つけるとついついと買ってしまったり借りたりしているが、やはり上に挙げたような著名な作家のものに比べると、細部の描写や雰囲気、ストーリーの展開なんかに粗が目立つ。
登場人物の造形・個性が立っていれば、それだけで面白く読めてしまうのだが、やはりたまに、こんなんでプロを名乗るなと言いたくなるようなハズレもあり。
そんなハズレ氏についてあれこれ言うつもりはない。
私の趣味に合わないというだけのこともあるだろうし、じゃあおまえに書けるのかと言われれば一言もない。
ただ、どんな名人、大作家の書いた話でも、どうにもピンと来ない話もある。
ストーリーや展開、オチなんかは面白いが、人情を描いた話であるのに、どうも染みてこない。
もちろん、私の感性にも関わることだが、それだけでもないように思う。
顕著なのは、「心中もの」。
江戸時代も後半に入ってから、近松の浄瑠璃が一世を風靡したりしたのは事実だが、この「心中」というヤツ、現代に生きていると、どうにも理解しにくい行動だ。
心中するのは「大店のお嬢さんと手代」とか、「武士と遊女」とか、身分に隔たりがあって、絶対に一緒にはなれない恋人同士。
思いつめて、思い余って、「この世で添い遂げられぬなら」とあの世へ旅立つわけだけれど、これほど「恋」で追い詰められるということが、現代には、まずない。
皇室とか、王制の残っている諸外国の王族・貴族と庶民の恋愛、とかになれば可能性としてはあるんだろうが、現代の風潮からして、身分というものでそこまで雁字搦めにしてしまうのは、なにか「悪い」ことのような気配がある。
そんなわけで、身分違いの恋にも、いくらでも道がある。
「この世では無理」とまで思いつめるほど、当時は身分の差というのが激しく、そして、身の回りにあった。
大店の娘と小さい店の手代とか、同じ町内に暮らしていても、「釣り合わない」相手とは絶対に一緒にはなれない。
いっそ武士と町人のように、関わることも稀ならば恋にも発展しないだろうが、同じ町内の平吉さんとお初ちゃんがどうにも身分違いで、なんてことがままあったわけで。
出会って惚れあったはいいが、会うこともままならず、所帯を持つなんてとうてい無理。
結婚相手は親や親類が決めるものでもあったし、世間の目というのは、今よりずっと密で、厳しかった。
そういった時代の背景を感じ取らないと、心中事件というのは、どうにも上滑りだ。
実際、あんまり感じ入ったことはない。
なんかこう、それを現代の人間にも突きつけるような名作って、ないものかね。
2002年6月18日(火)
最近、うちにいるのが嫌だ。
まあ、PCがあったり本があったりするのは家だから、自分一人でいる分にはいいんだが。
そんなわけで、あえてバイトは夕方から深夜の時間帯で提出し、できるかぎり一人でいるか、あるいは外にいるようにしている。
それでもどうしても昼間なんぞに顔を合わせなければならないような休みの重なり具合の時には、さっさと出かけて、帰って来ないことを選ぶ。
明日……というか、日付的には「今日」は、そんな日になるはずだ。(書いてるのが夜中の2時)
そんな時には、大き目のバッグに遊び道具を詰め込んで、一日だけ流浪するのだ。
しかし今日は雨らしい。
晴れていれば、公園でも川沿いの堤防でも、適当な場所に転がって昼寝するのもいいが、雨となっては、屋内でないとのんびり座っていられない。
図書館や、ファミレスなんかが候補にあがる。
しかしどちらも、客が長居して平気なような作りにはなっていない。
ファミレスは当然として、図書館にしても、あの固い椅子ではリラックスなんぞできやしない。金のある図書館には、リクライニングシートと簡単な個室(ついたてで仕切られてるだけでもいい)があるが、そんなところは稀だ。
私は、読書は「きっちり」した姿勢ではできない。
枕もとに本棚がほしい、というくらいで(一人暮らししてた時はそういう配置だったが、今は違う)、椅子にきちんと腰掛けて、なんてーのは逆立ちして飯を食えというのと変わりない(ぉぃ
もし本当に今日が雨だったら、どうしよう。
濡れるくらいはどうでもいいんで、昼寝なら雨の中でもできるが(変人だと思われるだろうなァ)、遊び道具は紙やCPUを多用しているので、雨にさらすわけにはいかない。
どこか屋根のある東屋みたいなところを探してみようか……。
2002年6月19日(水)
今朝(日付に関わらず、ここ書いてるのは18日である)は朝も朝、5時半頃に家を出て、ふらりふらりと彷徨っていた。
近所の山にのぼってみると、その山頂近くの広場に、おっちゃんおばちゃん以上くらいの年齢の人が集まっていた。
何事かと思えば、ここでラジオ体操をするらしい。
おいおい、町の中の公園じゃなくて、山の上だぞ。ここまでのぼってくる手間もかかってるんじゃないか? 元気なこった。
などと思いつつ、近くのベンチに腰掛けて、その模様を眺めてみた。
「新しい朝が来た〜♪」とラジオから歌が聞こえ始める。
ラジオ体操と言えば、小学生くらいの頃の夏休みに強制的に行かされた以外、気にしたこともない。
しかし今あらためて見てみると、この体操って、どんな意味があるんだ? などという疑問を持ってしまった。
一日の始まりに際して、軽く柔軟体操でも、ということなんだろうか。
そしてふと、このラジオ放送はいったいいつまで続くんだろう、なんてことを考えた。
いつはじまったのかは知らないが、少なくとも30年くらいは毎日やってることだろう。これからも、朝6時半になるとはじまるんだろう。
もしかすると今から100年先、世界がSFチックに発達しても、その中でも連綿と続いていることだってありうる。
ドラえもんのいる22世紀(だっけ?)のような町の中で、人工的に作られた公園なんかがあり、6時半になると、やはり「あーたーーらしーいーあーさがっきたっ」と……。
ある物事がずっと続いていく時、それはもしかすると、続けることややることに大きな意義があるからよりも、やめることに意味がないからなのかもしれない、などと考えてしまったではないか。
大した意味も意義もなくても、やめるほどの理由もないから、なんとなく。
朝っぱらからなにアホなこと考えてるのか、己。
それはともかく、山の上で一休みしていたはいいが、7時頃から雨が降り出した。
傘なんてものは持ってきてないので、屋根のある休憩所のようなところで一休み。
8時半頃には雨が上がったんで、フラリフラリと下山した。
そして遊歩道めいた公園の日陰のベンチに転がって、10時から15時くらいまで、寝ていたんだったり。
だって寝ないで出かけたんだもーん。
おかげで昨日の夕方からまる一日、飯食ってないじゃないのさ……。
2002年6月20日(木)
…………\(T▽T)/
なにを泣いてると言われても。
嬉し泣きが98%、悔し泣きが2%というところで。
ちょっと掲示板で「更新やチェックが〜」と書いてるワケと関わりがござります。
昨日、これはホントに19日のこと(この日記、日記というより雑記なんで、日付はあんまりアテにならんのだが)、ハニィ★からPC譲っていただいてしまいましたのです。
これまで使っていたものも、バイト先の人から譲り受けたもの。「モデムはないから自分で買ってね」と言われていたのだが、それすらも、もってきてくれた時に「買ってきちゃったから」と付属してくれたような、元手ゼロの頂き物でござんした。
そして二代目まで、ええ。
いつか体でお返しを……(ヤメトケ
いろいろと、メールソフトとか、いろんなオマケもついていて、ウハウハです。
なにより、メモリ容量が一代目、今名づけてしまいますが「ミーちゃん」とは格段に違うわけで、それだけにさまざまな動作が速いのなんの。
にゃ〜♪ と小躍りしましょうか? しますよ?(スルナ
は、いいんだが、ネットにつなぐとなった途端、ものすごい遅さに現在死苦刃苦……四苦八苦しているのだったり。
そりゃーうちはアナログ回線さ。けど、今まではそれも気にならないくらい、画像や広告なんかもさっさと表示されたのに、DCより遅いっつーのは何故によアイラちゃん?(またも命名
というわけで、ひどい時には接続すら失敗しまくるし、速攻で「表示できません」の画面になったり。おい、読み込む努力すらしねーってのはどういうことだい?
文字だけのページすら出てくるのにえらく時間がかかるということで、とてもじゃないが掲示板のチェックなんかしてられん、となったわけであります。
それでも、DCがあるんで、そっちで数日に一度くらいは絶対に見るつもりでいるけどね。
気にしない人は気にしないんだろうが、私は、せっかくのカキコにはすぐに返事をしてあげたいタチなんで。
幸いなのは、更新はスムーズにいった、ということ。
同じくらい時間がかかるか、と覚悟していたんだが、これはあまり大差なく、ちゃんと送信できた。
メールの受信は……やたら遅かったんだが、つい先刻は、さっさと受信。
ただでさえ無知なのに、理由なんぞ分かるか〜!
まあいいさ。
更新ができて、文書扱えれば私の役目は果たせる。
チェックだのメールだのは、DCでもできる。
贅沢になっちゃいかんよね、うん。
命名の理由?
両方とも、元の持ち主の名前からつけてマス。
2002年6月21日(金)
昨日に引き続き、今日もアイラちゃんと格闘。
しかしどうにもダメな感じ。
ミーちゃんは、できることは少なかったし、作業ペースも遅かったけれど、運転手としては年のわりに手際が良かった、という感じ。
アイラちゃんは、いろんなことができるしすべてテキパキとこなしてくれるけど、運転は苦手なんだろう。
しかしそんなものは、伴侶がしっかりしていればいくらでも改善できることなんだが、私が無知だからなぁ……。
ごめんよ、アイラちゃん、悪いのは君じゃなくて僕だ。
……なんて呼びかけていると、かなり怪しい鳥だと思われそうだ。
というか、名前がいかんね。「おミヤさん」に「おスミさん」にしようかな……。
いや、だって二台とも、それぞれに今からだと6年、4年は前のものということだし、お古だし、つまりは「ご隠居さん」なわけで。
ご老体なんデスよ、二台とも。
それはともかく、元の持ち主さんに「どーすりゃいーのー」と泣きつき、いろいろと教えていただいているわけだけれど、どうにもうまくいかん。
私にもうちっと知識があればいいんだろうが……。
そんなわけで、web閲覧とその他作業とで、使用媒体をきっぱりと変えてしまうのも手かな、と思い始めた。
そんなことをメールに書きつつ、ふと、人付き合いと大差ないな、とか思ってしまった。
自分が変わろうともしないまま、相手にだけ無理を言ったって仕方ない。
できることとできないことがあるのは当たり前で、大した知識もないまま、偉そうに「すべてこなせ」と命令したって仕方ない。相手を上手く動かしてやるのも、自分の腕というものだろう。
「言うこと聞いてくれないんだよ」と相談されるほうだって、いろいろと考えたり調べたりの手間をかけなければならない。
そんなくらいなら、自分の足りない知識分、他のことをすりゃいい。
それはたとえば、調べるとか勉強するとか、自分が変わることかもしれない。が、そういうことにのんびり時間をさくより、今の状態のまま、なんとか切り抜ける方法をとったっていいはずだ。
そんなわけで、おスミさんには在宅ワークを担当してもらい、お出かけの運転手はデシ子さんにお願いしたっていい、と思うのである。
デシ子さんは、おミヤさんに比べれば手際も良くないし、できることも少ないが、おスミさんよりは速く走ってくれる。
ただ、おスミさんってば、ヒステリー気味なのか、けっこう頻繁に仕事放棄してきたり、パニック起こすんだよネ……。まあ、もう一度お願いしますと言えば引き受けてくれることがほとんどだけど……。
あんまり長いこと、いくつもの仕事させるとまずいらしいヨ。
2002年6月22日(土)
おスミさん(前日の日記参照)は、嫁入り道具にスキャナを持ってきてくれた。
ペンタブまでだ。
そんなわけで、これからはもう、ハニィ♪に造作かけなくても済むのである。
もちろん、ちゃんと自分で取り込んで、調整できればの話だ。
というわけで、今日はせっせと練習。
フォトショ・エレメントもおスミさんは持っているから、それを使って頑張ってみる。
ちなみに、私は取説(取り扱い説明書)というのが、苦手だ。
読まないとどうしようもないくらい初歩的なことはさすがに読むが、だいたいのところさえ分かれば、あとは自分で勝手にいじってみて覚えるタチである。
そんなわけで、取り込んだ画像をアレコレといじりまわしてみる。
私の絵は鉛筆書きの線画がほとんどで、ペン画はめったにないから、これをうまく加工することができれば、その時に使用したモノだけでどうとでもコントロールできるということになる。
とりあえず片っ端からやってみる。
いかにもそれらしいのは当然として、意味が分からないものは、やってみりゃどうなるかだけは分かる。だからとにかく面白そうなのもやってみる。
そうしていろいろとやっていったら、できましたヨ、ちゃんと。
しかし、メモをとりつつやってたわけじゃないんで、かなり偶然っぽい上に、もう一度やれと言われたらできるかどうか微妙。
ま、まあ、こうやって覚えていけばいいさ、うん。
色塗りに到達できるのは、果たしていつの日やら……。
2002年6月23日(日)
15時40分。
バイトに出かけた。
いつもと同じように何事もなく店に入る。
事務所に行く。
「はようござーす」とテキトーに挨拶しつつ、バッグや上着をロッカーに突っ込む。
事件は、その時起きた。
ったって、なんのことない、停電である。
店の電源を管理する部分がイカれたらしく、その店だけが完全停電。
レジが止まり電気が消えるのは当然として、非常灯も消え、表の自販機も止まる。
雷のひどい時などに、30分程度停電することなら、珍しくない。
その程度のことなら、これまでにいた店でも経験したことがある。
だが今回は、延々と続くのである。
聞けば、13時過ぎくらいに一度停電したが、それはなんとか復旧したらしい。そして15時45分頃、再び。
レジがとまっているものだから、当然すべてが手作業である。
まあ、そんなことはどうでもいい。
ただ、時間が時間だ。
時が過ぎるにつれ、外は次第に暗くなる。
やがてキャンプ用の電動ランタンみたいなものが置かれる。
しかし、そんなものを数個置いた程度で、どうにかなるものではない。
この店になにをそんなに義理堅くしているのか、「これじゃあお客さんが帰ってしまう」とかやけに深刻ぶっているアルバイトもいるが、そんなものは、私は知ったことじゃない。
だいたいそう思うなら、来てくれたお客さんに、この状況をマイナスに思わせないための接客を心がけるほうが賢明というものだ。
音楽も一切合財消えているのだから、いつもより頻繁に声を出したほうがいいに決まっている。それも、地味な暗い声では、余計に店内が暗く感じられるだけだ。活気というものは、目よりも耳にダイレクトに伝わる。景気のいい声で「いらっしゃいませー」とか言ってれば、店内の暗さによる雰囲気なんてものは、いくらでもフォローできる。
しかしまあ、光源の乏しさによる視覚的な暗さだけは、そんなものではどうしようもない。
手元は見にくくなってくるし、店の奥は商品を探すのも苦労するほどに暗い。
このまま20時頃になってしまうとすれば、臨時閉店もやむをえないだろう。
が、幸いにして19時20分頃、無事に復旧した。
しかしそれからが、手書き伝票の入力だのなんだのと慌しい。
ただでさえ忙しい土曜だというのに、仕事が余計にあるのである。
しかしまあ、停電にせよそういう忙しさにせよ、その程度の逆境は、楽しんでなんぼだと私は思っている。
ブツクサ文句言いつつ、深刻な顔で根暗にやるより、ここが腕の見せ所とばかりに楽しんでしまえばいいのだ。
面白いじゃないか。
薄暗い店内。ランタンの明かり。隅のほうでは万引きくんもいるかもしれない。そんなのを捕まえるのもスリリングだ。カウンターに置かれたランタンの明かりにぼんやり浮かぶスタッフの姿なんてのも、なかなかよろしい。いっそお化けのコスプレでもして、これをサービスにしてしまえ(いや、それは無茶
私はしょせんアルバイト。
こんなトラブルくらい、たまにはあったっていいさ。
店の中でやくざに発砲されるよりは何百倍もマシだっつーの。
2002年6月24日(月)
この日記ソフトの「ヘルプ」を読んでみた。
ヘルプも取説のようなものだとすれば、「前と言ってること違うじゃねえか!」と言われるかもしれないが、なんのことない、「たしか画像登録ができたはずなんだけど、どーやったっけなぁ」と初歩的な疑問にぶつかったからである。
そんなわけで、大して期待もせずに見てみた。
何故かPC関係のヘルプが、分かりやすかったためしはない。
言葉足らずで説明不足なのがほとんどだ。
なんなら画像入れて、頭で言葉を解釈するんじゃなく目で見て分かるようにしたらどうだよ、と思うんだが、ソフトの製作には力は入れても、ヘルプはどうでもいいのか、たいてい分かりづらい。
まあ、WINDOWSそのもののヘルプからして言葉足らずなんで、これは宿命なのかもしれん。
そんなわけだから、まっっっったく期待していなかった。
が、認識をあらためねばなるまい。
笑わせてもらった。
説明すべきことに関してはそれなりに説明している。完全に説明しきっているとは言えないが、まあ、実際に動かして覚える私にとっては、許せる範囲だ。とっかかりさえきっちり見せてもらえればいいんだから。
それで、つまりはこんなふうなのだ。
勝手な引用になってしまうが、これを見て、「しばやん日記って面白そう」と思った人がいれば、宣伝になるわけだから、しばやんさん、許してください。
――――――――――――――――――
読み返すことによって,精神状態を不安定にしたり,穴があったら入りたい気分を味わうことができます。そのような気分を味わうことによって,平凡な日常生活にアクセントを付けることができるという,画期的な機能です(特許出願準備中)。
――――――――――――――――――
今後の追加予定機能
10000年問題対応(モニター募集中【条件:長生きできる方】)
3日坊主防止機能
自動日記作成機能
起動しなくても誰かが日記を書いてくれる機能
仮想の相手と交換日記をする機能
あらかじめ書いておいた日記と同じ出来事が現実に起こる機能
日記を書かなくても親や先生に怒られない機能
日記を書くと恋人ができる機能 等
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アンインストール方法
レジストリを使っていませんので,インストールしたフォルダごと削除して下さい。
削除することで,自分の過去も削除できればいいのですが,残念ながらその機能は次回のバージョンアップに持ち越されました。
――――――――――――――――――
こんな具合である。
「レジストリ」のところは、クリックするとその意味が出てくるようになっていて、言いっぱなしのそのへんの製作者に比べれば、はるかに親切だ。
なんとなく、人柄が想像できる。
人に注目されたり、人をからかったりするのが楽しい人で、それがストレートに外に出ていれば、エンターテイナーや芸人タイプ。冗談好きで、お喋りで友達も多いだろう。逆に、そういうことを人前で表現するのが苦手だとすると、無口でなにを考えているか分からず、こういうところで一人ニヤけつつ楽しんでいるような、暗いタイプかもしれない。
なんにせよ、頭の中では面白いことを思いつき、考えて、それを楽しんでいることには違いないと思う。
それで、それをヘルプとして作り、丁寧に単語の解説までちょこっと出してくれているところを見ると、サービス精神は旺盛。あるいは、職人気質なのかもしれない。それとも、実はものすごく真面目で、頭もいいのかも。
冗談好きの明るい人か、それともエスプリの効いたジョークの言える知的な人か。それとも、せっかくのそういう資質をうまく出せないために陰にこもってしまった不気味な人か。
いや、製作者の性格診断なんかしたってしかたないだろ己。
ともかく、たかがヘルプと侮っていたものに、楽しませてもらってしまった。
web上で日記つけようと思ってる人、また、日記ソフトは更新履歴としても使えることもあるし、もし良かったら「しばやん日記」、試してみると面白いかも。
ものすごい機能が盛りだくさん、ということはないし、私のように何日分もの日記をまとめて1ページに表示させる場合、HTML出力スタートする日付をいちいち変更しなければならないなど、小さな不服はあるが、日記としての基本的な機能はすべて揃っている。インターフェイスも見やすい。
ページの一番下にあるリンクからサイトに行けるようになってるヨ。
2002年6月25日(火)
一気にイラストアップ。
おスミさんの嫁入り道具のおかげです。
元の持ち主の代わりに大事に愛してあげようと思います。……はっ!? 元の持ち主に代わって、です、はい。
ふー、危ない危ない。
日本語って難しいネ(死
どれもこれも、描いたのはだいぶ前。
日付の入っているのもあるけど、一年以上は前のものばかりのはず。
長官の絵にいたっちゃあ、何年前だよオイ……。これっていつの時の衣装だっけ、と考えると……最低でも5年くらい前か? って、よくそんな昔の絵を保存してあったな己。
それにしても、バストアップばっかりで、動きのないものばかりだよな……(自滅
2002年6月26日(水)
仮面ライダー。
リアルタイムでしっかり見たことはない。
が、たまたま見かけてしまった「仮面ライダーSpirits」というマンガ、……不覚にも、面白い。
ついついと1巻と3巻、買ってしまった。お金ないのにネ(死
え? 2巻は回った本屋に売ってなかっただけだヨ。
仮面ライダーというと、昨年、ついついと(このフレーズ好きだな己)クウガをビデオで全部見てしまったことが記憶に新しい。
いつの間にかアギトも終了し、今度は龍騎とかいうのになっているらしいが……なんだか仮面ライダーっぽくないビジュアルになりつつあるような。アキトが龍をモデルにしてたんじゃなかったのか? 今度はなにがモデルなんだ?? 龍騎って名前だから龍なのかとは思うんだが……ううう、なんか変だ……。
それはともかく、この仮面ライダーというシリーズ、1、2号の頃は「悪の集団に無理やり改造されてしまった人造人間が、その悪の組織相手に戦う」というスタイルだった。
つまり、正義だのなんだのに燃える青年が、望んで力を手にして戦うというのではなく、どちらかといって復讐に近いような中で、自分の大切な人たちを守るためにその力を使う、という設定だったわけだ。
V3は家族を殺されて、自分から1、2号に頼んで仮面ライダーになったみたいだが、それにしたって動機は暗い。
その辺を前面に押し出していけば、かなり大人向けの娯楽になるんじゃないかなー、と思う。
超人的な力を持っていたって、はっきり言って彼等はバッタ怪人ですヨ? 後にはトンボ怪人だったりカブトムシだったりトカゲだったりしてるけど、確実に初期の彼等は、怪人と同じ体を持ってるバケモノよ。
それを人のために使えばこそ正義と言われ、ヒーローとして受け入れられるけれど、「人間じゃない」と生理的に受け付けられない人もきっといるわけで。
人のために戦っていても、身近な存在となると嫌われてしまうような、バケモノ戦士。
うーん、クウガが延々と、敵の一種と同じような扱いで「未確認4号」(だったっけな)と呼ばれていたあたりは、秀逸かもしれんねぇ、などと思ってみたり。
私の頭は、オリジナルよりパロディ向きで、ふとこんな設定を考えたりする。
ネタへGO!
……誰か止めてやれ、この無節操な頭。
2002年6月27日(木)
愚痴と泣き言。
つくづくと、もう二度と言いたくねーなー、と思う。
たとえば仕事の愚痴くらいならまだいい。その程度のものだったら、文句や不平を零す自分の器の小ささを暴露しているだけだから、相手をさして不快にすることもないだろうから。まあ、酒の席なんかで笑って聞き流してもいいようなもの、とも言える。
その類似品として、泣き言も人には言いたくない。
……困ったことに、そこにはジレンマがある。
愚痴にせよ泣き言にせよ、自分の内側をさらけだすような言葉というのは、やはり信頼できる相手にしか言えはしない。聞いてくれる、分かってくれる、あるいはアドバイスをくれる、と思える相手に言うのでなければ、かなり無駄だ。
だが反面、そういった信頼する相手、気を許している相手、つまりは「友達」だと自信を持って言えるような相手には、そんなことはとてもじゃないが言う気になれない。
こっちが深刻なのをさらっと流されたら、そこからせっかくの関係にヒビが入るかもしれない。いや、まだそれなら、その程度の奴だったんだと見限ってしまえばいいわけだが、真剣に心配されたり、考えられたりすると、そんなことをさせちゃ申し訳ない気になる。
だいたい、それぞれの人に与えられた時間というものは限られていて、いろいろと縛りも多い日常の中で、貴重な自由時間を私のためにさいてくれるなら、その時間は、楽しんでもらいたいと思うんだ。
貴重な時間の内に、私自身の評価まで落とすような愚痴だの泣き言だのを聞かせたくはない。
それこそサラッと笑い話にできる程度の、軽いものならばともかく。
なんとなく鬱で、誰かに連絡でもとって気晴らししようと思った時、そんなことを考えている自分に気付いて、少し笑えた。己もまだ捨てたもんじゃないな、という感じ。
鬱に入っていようと、いつもの自分のノリで自然に振る舞えればいいが、もしそれが上っ面のものでしかなくて息苦しいばかりだったり、ついついと深刻な愚痴になってしまうくらいなら、誰にも会わないほうがいい。
嫌いな奴がどうなろうと知ったこっちゃないが、好きな人には、少しでも多くの時間、楽しい思いをしていてほしい。私にその時間が提供できないなら、せめて邪魔だけはするまいと思うのさ。
2002年6月28日(金)
たいてい私は、目当てのものがあって初めて買いに出かけるほうで、「いいものないかな」と探すことはあまりない。というか、根気がないので、片っ端から物色していく、というのは苦手なんだが。
しかしまあ、仕事となればそうはいかず、健全な暇つぶしとして、端から端まで本の整頓、なんてことをしてみたりする。
そんな時に目に付くタイトルとか、ちらっと覗いてみる中身だが、これを見て思ったことが一つ。
内容が正しいかどうか、もっともかどうかなんて、買う側には関係ない。
啓蒙に関するような本(というと堅いが)の場合、特に顕著だ。
自分が求めている言い訳や理屈がそこにあれば、それは正しいことが書いてあると思い、それが一般的に正しいことなんだと思いたがる。
が、どうもピンとこなかったりすれば無視。
自分の気持ちを否定するようなものだと、これは著者が間違っている、としたがる。
実際に真実かどうかなんて、誰も気にしちゃいないだろう。
肝心なのは、自分の心がそれで奮い立ったり、慰められたりするかどうかだ。
だが、それでいいんだと思う。
真実なんてものは誰にも分かることじゃないだろうし。
なにかを言い分けや後ろ盾にして、それでプラスに動けるならばそれでいい。
必要なのはいつだって、他の誰かに認められること。
そうすれば、間違いじゃないと信じられる。
それを本に求めることもある、というだけのこと。
なんか今、あやしげな新興宗教にハマッてしまう人の気持ちも少しわかったような気がする。
彼等はそこに、自分にとって都合のいい理屈を見つけて、踏み込んだのかもしれないな、とね。
2002年6月29日(土)
面白い(?)質問をしよう。
・あなたが今持っているCDのことを考えてください。
その中の一枚を除いてすべて処分しなければならなくなったとしたら、どれを手元に残しますか?
音楽に興味がない人は、「本」でも「ビデオ」でもなんでもいい。「服」「香水」「ゲーム」……嗜好品に近いようなもので、手元にかなりの数あって、それが好きだと言えるようなものなら、なんでもいい。
その中で、「どれか一つだけを残して処分するとしたら」を考えてみよう。
「どっちも捨てがたい」はナシだ。絶対的に、最終的に一つだけ残すとしたら、で考えてほしい。
暇があるなら、いろんな身の回りのもので考えてみよう。
「友達」なんかでも、面白い。
絶対的に捨てられないたった一つのもの、をはっきりと知っているということは、贅沢なのかしもれない、と思う。
その一つに他にはない価値を見出しているわけだから。
そうそう。CDとかビデオとか、一つのソフトに寄せ集めでベストを作れる場合、そのベストを一つと数えてもいい。ただしその時には、大容量のものは考えてはいけない。そんなものは、ただの誤魔化しで、逃げだ。
CDなら市販されているものとだいたい同じ長さの70分から、長くてクラシックの90分の間におさめてもらおう。ビデオなら、2時間が普通のテープだから、3倍速でせいぜい6時間分だ。
今の自分にとって絶対に捨てがたいものを探すためだから、そういった枠を取り払ってあれもこれもという卑怯な発想はダメよ?
そしてもう一つ。最後に意地悪な質問をしよう。
・身近な人の中で一人だけ、こいつにだけは死んでほしいと思う人の名前を挙げてください。
誰か一人、絶対に挙げてみましょう。
自分の心の光と闇が見えるネ……。
2002年6月30日(日)
どうでもいい話。
ココスに行く。なにげなくメニューを眺めつつ、腹具合と財布の中身と相談し、選ぶ。
「ドリグラ」という名前がある。常識的に考えて、「ドリア&グラタン」であることは間違いないし、そう付記してもある。
頼んでみる。
しかし……一つ言っていいか? これはグラタンじゃなく、ラザニアというんじゃないかと思うんだが?
どうでもいい話2。
ここ数年……どころか10年近く、履いている靴はもっぱらブーツ系ばかりになっていることに気付いた。
もちろんロングブーツなどではなく、踝の上くらいまでの丈のものだが。
なんでこうなったんだろう、と考えてみる。
おそらく、私の好みの問題だ。
ズボンの裾と靴との間、ここに見える靴下が、全体のコーディネイトをぶち壊しにしていたり、やたら貧乏くさく見えたりすることが多い。
いや、御託を並べんでも、つまり、好きじゃないということだ。靴下が見えるのが。
特に私の格好はスポーティとかいう言葉には縁のないものが多いから、おかしな靴下なんかを合わせると、非常に野暮ったくなる。ただでさえセンスないのにな。
だから、靴はもっぱら冬に探すことになるのであった。