2002年6月7日(金)
日記ソフトを探してる。
書きやすい、見やすいが基本。
2002年6月8日(土)
めっきり文字を書くことが少なくなった。もっぱら打つばかりである。
手紙を書くことなど年に一度あるかどうかで、もっぱらメール。
それでも、ネットで知り合った何人かのかたたちと、郵送物をやりとりすることはある。
そんな時には、たとえメモ用紙のようなものでも、自筆の文をつけることにしている。一種の礼儀といえば、そうなのかもしれない。ただし、正しい手紙の書き方という「作法」については、私はまったくノータッチ。
それはともかく、そんな時にはルーズリーフなんてのはつまらないと思う。
シンプルにいくにしても、ちゃんとした便箋を使いたいもの。
相手が女のかただと、レターセットというものにも少しこだわる。
自分が持っているものを使うことが多いのだが(万年金欠だしな)、大きな文房具店などに入ることがあると、ついついそういうコーナーへ向かうようになってしまった。
今日の昼はちと用事があって出かけ、帰り道、小奇麗な事務用品店があったので立ち寄ってみた。
そして什器一つ分を占める便箋やレターセット、絵葉書なんかを眺めながら、「これなんかあの人好きそうだよなぁ」とか考える。
渋い和風のものとか、色合いの綺麗な雄大な景色、可愛い動物ものから、キャラクターもの。
自分の趣味を言えばシンプルかつビビッドなタイプなんだが、送る相手のことを考えると、どうしても女性が多いので、柔らかめのものなんかに目が行ってしまう。単純だが。
シンプルなものほどセンスがバレてしまうので、既にデザインされた無難なものに走りたがる、ともいえるが。
これだけメールというものが発達しても、けっこう場所をとってある手紙の道具。
なんだかんだいって、「文字」というだけでも確実に本人に触れられる手紙のほうが、メールよりも人間的に見られているんだろう。
しかしいつか、この世から郵送による手紙というものも消える時が来るのかなー、などとたわけたことを考えてこるのであったとさ。
2002年6月9日(日)
人が人に求めること。
1.分かってくれること
実際に、本当に理解しているかどうかは、お互いがそう信じるかどうかにかかっているから、「分かろうとしてくれること」と言ったほうが正確かもしれない。
何故そうしたのか、するのか、なにを求めているのか、望んでいるのか、なにが嫌なのか、好きなのか。
そういった諸々のこと、つまりその人の人となりを理解しようとしてくれること。
2.信じてくれること
真実かどうかは関係ない。偽りかもしれないし、嘘かもしれないけれど、それでも信じてくれること。疑うことがあるとして、それでも、騙されても構わないと、信じることを選んでくれること。
適当な偽りについては深刻ではないかもしれないけれど、どうしても信じてほしい事実、自分自身どこまでが真実でどこからが思い込みや勘違いなのかは分からなくても、そうだと自分自身も信じたいなにか。
3.認めてくれること
実力でもいいし、努力でもいい。なにかをプラスの価値として受け止めてくれること。
結果は出なかったけれど必死になって頑張ったこと。自分では満足している結果。価値。
なんとなく思いついてみた。
他にも求めることはありそうだけれど、そう大したことじゃない気がする。
この3つは、アイデンティティとかいうものに関わってくるから、外せないように思う。
ということは、それをされるとたまらない、というのはこれらの逆のこと。
無視・無関心、猜疑、否定・拒絶。
それから、自分のありようを歪めてしまうような、強制。
いろんな人がいて、人付き合いというのは楽じゃないから、会う人みんなにこんなこと考えてたんじゃたまったものじゃないが、自分にとって大事だと思う人、好きな人には、理解と信用、承認(というと偉そうだが、うんそうだね、と頷いてあげること)をもって接したいもんだ。
時には厳しく意見することも大切なのかもしれないが、それはあくまでも提案。理解しようとする行動の一環じゃないかと私は思ってる。
理解する意思のない意見は、単なる強制、自分好みに都合のいいように変化させようとする、傲慢に過ぎないんだよ。
2002年6月10日(月)
猫好きである。
無類の、というほどでもないが、犬より猫、鼠より猫、兎より猫、魚より猫、蛙より猫である。
そんな私の夢は、一軒家かそれに準ずるくらいの空間で、あまり外出することもなく、猫と一緒にだーらりだらりと暮らすこと。
家の中にドアなんてものはまず必要ない。せいぜいトイレと風呂場にあればいい。猫を入れない、貴重品なんかを保管しておく書庫のような小部屋があればベストで、そんなものがあるなら、そこにもドアが必要だ。あと、台所はドアがないと、家中にカレーの匂いが充満したりして大変だろう。
あとの、自分の部屋や居間なんてところにドアは必要ない。
猫は一匹でもいいが、二匹いてもいいかもしれない。長毛種は手入れが大変だから、短毛種。私が見て「うむ、かっこいいorかわいい」と思えれば、雑種でもいいが、もし品種名を持っているような猫にするなら、ボンベイやアビシニアン、トンキニーズかロシアンブラック(ブルーしか認められてないっぽいが、こういうのもいる)あたりがいい。
二匹いるなら、一匹はソリッドのブラック。つまり、まっくろけっけのクロスケくん(クロコちゃん)にする。
目の色は贅沢は言わない。ただ、あんまりぼんやりとしたカラーよりは、グリーンならグリーン、ブルーならブルーとはっきり分かるほうがいい。
飼うなら、ルールはルールとして猫にも守ってもらうが、対等な同居人のつもりでいたい。
惚れたほうが負けだから、たぶんに飼い主が折れることになりそうだが。
去勢や避妊については、考えるところだ。発情期にひたすら相手を求めてニャーニャー鳴いているのも可哀相だし、かといって孕まれちゃ子猫が生まれてくるし、オスはスプレーしはじめるし……。
しかし、こっちの都合で体を作り変えてしまう、というのも、なんだか人間側の身勝手がすぎるような気もしてならない。元に戻せないから尚更だ。
そんな生活を実現させるためには、金持ちと結婚するか、外に出て働かずとも良い状況にならなければならない。
外で働きつつ、では私には無理だという自信がある(ぉぃ
帰ってきて飼い猫に出迎えられると……などというエピソードもよく聞くが、外で余計な人間と付き合ってきたストレスが、にゃんこ効果で消える前に外に出て、面倒臭いとほったらかしになったりしてしまいそうだからだ。
そう、理想はあくまでも「だーらりだらり」なのである。
2002年6月11日(火)
けっこうこの日記ソフト、気に入った。
めちゃくちゃ使いやすい、というわけじゃないが、かなりいい感じ。
PSOのほうで使っている日記は「日々日記」というヤツで、Homepage Managerを手に入れた時にオマケでついてたCD−ROMに入っていた。
そっちは極めてシンプルだが、非常に使い勝手がいいのでお気に入り。
これは「しばやん日記」というヤツで、フリーソフトのダウンロードサイトから拾ってきた。
いろいろとあるもんだと感心しつつ、しかし掲示板と同じで、自分が文句なく気に入るようなものを探そうとすると、かなりの時間がかかる。
軽くて速くて必要な機能が揃っている、となると、かなり腰を据えてとりかかるしかない。あるいは他のサイトで「これだ」というのに出会えれば、たいてい生みの親サイトに飛べるようになってるから、それに期待する。
まあ、あちこちのんびり見て歩けるようになれば、そういうのも楽しみになるかもしれない。
あと、自分の気に入ったソフトや掲示板の供給元へのリンク集なんてものも、いずれ作りたいなー、と思っていたりして。
入れるとすれば、絵を展示するのに利用してるPhotohighwayと、掲示板はUIC、rokket、日記は今使ってる二つ、人様のところで見かけてかなり動作が速くて気に入ったけど、身近な人のサイトでのことなので、一緒なの使うのもなー、という気がしているものとか。
あんまり高度なCGIなんか扱ってるところだと私の手には負えないから、基本中の基本みたいなリストを作れたら面白いやねぇ……。
2002年6月12日(水)
近頃どうしたことか、やけに記憶が飛ぶ。
五分ほど前に言ったことやしてたことを忘れているのなんてのは毎度で、たまに一時間くらい、自分がなにしてたのかまったく記憶にないことがある。
……危険すぎるぞ、己。
日常生活はともかく、せっかく思いついたネタを忘れるのがたまらん(ぉぃ
その場で即座にメモができればいいんだが、仕事中で手が離せないときとかは最悪。
今日も、なんか「これだ」という日記ネタを思いついたのに、きれいさっぱり忘却してしまった。
またいずれ思いつくのかもしれんが。
ボケかかっているのか、ひょっとして?
というより、それっくらい上っ面のもので過ごしてるってことなんだろうな。
口に出しているのも聞こえてくるものも、自分の中心から出たものではないし、届いてもこない。
まさに日々を「しのいでいる」という感じ。
だから「話を作る」という世界に入り込んでいる時には、記憶もしっかりしてる。
集中して充実している間のことは、しっかりと覚えている。
一日の密度ってのは、平均するといつも同じなのかもしれない。
だいたいなんとなく一日中充実している時もあれば、一部の時間に気持ちが凝縮され、その分、他では稀薄なこともあるのかも。
なんにせよ、日々が繰り返されていくことには変わりないが……。
2002年6月13日(木)
己が欲せざるところ人にほどこすことなかれ、と孔子センセイはおっしゃった。
が、この格言には巨大な落とし穴がある。
自分がされても平気なことは、人にもしてしまう、ということだ。
自分が気にならなければ、他人も平気だろうと思ってしまうということだ。
なにを嫌がるかは人それぞれ。
自分にとっては嫌なことが、他人にとってはなんでもないことがある。その逆もある。
だから、具体的な話になると、この格言は全然役に立たない。
「嫌な気分になるのが嫌なら、他人をそんな気分にさせるようなことはしちゃいけないよ」くらいに総括的にならないと無駄だ。
しかし、どんなことをされると嫌か、気に障るか、というのはやはり人それぞれで、それを見抜くのは難しい。
自分のつもりとしてはなんでもないことなのに、相手はひどく嫌がる、ということもある。
なんでもないことのつもりでやっていることが、実は相手にそのたびに我慢させている、なんてこともあるんである。
自分が平気だから他人も平気、というのも、自分の物差しで他人まで計っているのと同じこと。
なかなか難しいやね、人間ってのは。
2002年6月14日(金)
RPGの罠。
他のゲームに目移りするなどして、途中で保留したRPG。
さて、と久しぶりに続きをはじめてみると、どこまで進めてあって、次はなにをするつもりでいたのか、記憶にない。
次の目的のキーワードみたいなものを喋ってくれるNPCなんかがすぐ傍にいればいいが、そうでないと、思い出すのに一苦労する。
まして、何かのイベントの途中だったりすると、そのイベントの途中であることはわかっていても、次の手順についてまで詳しく話してくれるNPCなんかはいなかったりして、立ち往生する。
PS版「デビルサマナー ソウルハッカーズ」なんてものを久々に取り出してやってみれば、案の定これだった。
SS版で一度クリアしているんだが、PS版は途中まで進めて保留しておいた。それを……一年ぶりくらいで取り出してみれば、天海モノリスのR39Fからはじまる。
ものの見事に、次になにをするつもりだったかなんてことは忘却し果てている。
そういえば、ゼノギアスもちょっとだけやって、鍾乳洞に入ったところで放り出してしまったが、あれもあと半年くらいすると、完全に忘れ果てそうだ。
2002年6月15日(土)
どっちを向いてもサッカーサッカー。ワールドカップ、決勝トーナメント出場の話題ばかり。
今回は番狂わせばっかりで、イタリア・アルゼンチン・フランスは負けるし日本は勝つし。負ければいいと思っていたわけじゃあないが、まさかロシアに勝つとは思っていなかった。
もともと私はサッカーに興味なんてさほどありゃしないんで、「勝ったのか、頑張れよ」くらいには思うけど、狂喜乱舞するほどじゃない。
そもそも、昔っからのサッカー好きで、勢いではなく、本当に日本代表を応援している人間って、あの青い群集の中に何人いるんだ? という気がするんだが。
「同じ日本人」というだけで熱くなれる心理構造は、私には体感できません、ハイ。