烏の足跡



2001年6月6日(水)

「ver.2」

 いよいよ明日に迫った発売日。
 思えば去年の12月、発売日の1週間くらい前までは、PSOには別に注目してなかったんだよなぁ。

 買った時には、ネットでやるつもりなんて全くなかった。
 詳しくは「渋柿」に書くけれど、私にとってゲームってのは「一人でやるもの」で、アーケードで格ゲーやったって、対戦相手に話し掛けるつもりなんかは全くなかった。
 そもそも、出会う人が多くなれば、当然ながら好きな人も増え、嫌いな奴、苦手な人も多く出てくる。
 嫌いな奴は無視すれば済むし、苦手な人とはなるべく会わないようにすればいい。むしろ問題は、好きな相手。
 付き合っていきたいと思うと、あれこれと気を遣うことも多くなり、また、相手の言動に不安になったり喜んだり、左右されまくる。これが結構しんどい。
 人が自分をどう思っているか、ということを全く無視して、「私は私、どう思われてたっていい」と達観できるか、あるいは傲慢になれるならともかく、私は凡人だし。

 そういうのもあって、私にはわざわざ鬱陶しい人間関係増やす気なんてまるでなかった。
 オンに行ってみたのも、無料期間に惹かれて、試しにやってみたかったからでしかない。
 実際、1月中はオン3割、オフ7割ってとこだった。

 2月のはじめ、Roar(今のTyrant)やU-SAMたちと出会わなければ、それから一ヶ月もしないうちにやめてたんじゃないかと思う。
 彼等との出会いは最高で、毎日のように会って、一緒に遊んで、楽しいことばかりがあった。

 しかし、楽しさに目を奪われて考えるのを忘れていた「面倒なもの」が、4月頃から目立ってきた。
 前述のようなこと以外にも、いろいろと。

 せっかくのver.2発売だし、楽しめる要素もソニチから提示されてきたが……。
 アルティメットのパワーアップした敵には挑みたい。だが、オンでレアの争奪なんぞは決してしたくないし、見たくもないし、聞きたくもない。
 バトルモードはおそらく、卑怯だのハメだのという衝突を見せるところもあるだろう。単なる嫉妬や不満、負けた悔しさを巧みに正義にすり替えて、間違ってるだのルール違反だのと罵る軽薄な連中が公式BBSを跋扈しそうだ。
 チャレンジモードに到っては、トラップなどの仕掛けはともかく、それそのものは、自分たちでルールを作り枷を課すことで、これまでのものでもできたわけだ。そのモード自体には、今更取り立てて熱くはならない。

 懸念通り、楽しさの背後で渦巻いていた人間関係の厄介さが滲み出してきた上に、システム的にも「それでもオンにいく」という理由には程遠い。

 とは言え。
 ここでやめたら、単なる面倒くさがりの臆病者だ。
 第一、気の合う友達と遊ぶ楽しさにはなんら変化はない。
 また、面倒なルール設定や準備をせずともスリルが味わえると思えば、チャレンジモードこそ私が求めていたものだ。
 新アイテムを前に意地汚くなる奴がいれば、それを理由に、こっちからきっぱりと付き合いを断るいい機会でもある。
 バトルモードは、逆に考えるなら、一緒にやって心から楽しめてわだかまりの残らない相手がいれば、本当に気の合う友達だと確信できるチャンスでもある。

 何事も同じだ。
 ゲームシステムも、環境も。
 用意され与えられものに甘んじていれば、楽しみには限界があり、不満は解消できない。
 システムや環境に頼って流されるか、それらを利用し使いこなすか。
 それが何よりの問題だ。

 ……って、なんでこんな話に。
 まあいいか。
 ともかく、私にとってver.2は、都合のいい天秤だってこと。
 だからやる。
 そして、やる以上は楽しまなければ損だから、面倒なことはあえて考えず、思いっきり遊ぶつもりでいる。
 というわけで、オン行く前にみっちりオフって、アイテムごときに左右されなくて済むよう、下準備をする所存。
 なので、7日にはオンには行かないかもしれんな。



2001年6月13日(水)

 ここ二年くらいの間だったか、他に二つ、自分で笑えるくらいリアルな夢を見たことがある。仕事というか、この趣味絡みで。

 一つ目。
 何処かの一戸建てのようなところに住んでいる私。
 突然、震度6くらいはありそうな地震にみまわれて、家は大きく傾いてしまう。
 余震が続く中、一刻も早く逃げ出さなくては、いつ倒壊するかもしれない状況で、なくすと困りそうなものを持っていこうとするんだが……。
 傾いた家、低いほうへ滑り落ちたテーブルの上に、フロッピーディスクの入ったケースが、乗っている。取りに行けば、傾いた家屋にトドメの一撃になりかねない。
 まして、柱は折れかけている。
 すぐさま取りに行くことはしなかった。
 だが、迷ったが、結局は取りに行った。
 身の安全よりは、書きかけの、あるいは書きあがった話、そのネタのほうが重要らしい、己。

 二つ目。
 あと半年くらいの命です、と宣告されてしまう夢。
 考えたことは、二つ。
 書きかけの話を全て書き上げるには、半年は短すぎる、ということと。
 これまでの人生の中、無為に過ごした時間がある。こうなるなら、どうしてその時に書いておかなかったのか、ということ。
 この二つだけ考えて、どうしようもなく悲しくなった。
 死ぬことは別に怖くもなかった。
 家族だの友人だの、そんなことは微塵にも考えなかった。

 夢の中の自分はいつも、こうありたいと現実で望む自分からはかけ離れている。夢の中の状況が切実であればあるほど、理想とする行動なんか到底とれはせず、本性が剥き出しになる。
 太刀打ちできない大惨事や化け物に襲われれば、それなりに格闘の心得はあるにも関わらず、人を押しのけてでも逃げたりするしな。
 そんな夢の中での行動だ。
 たぶん、現実に同じことが起こっても、そうするんだろうと思える。

 他人にとってはともかく、私自身にとっては、何かを書いていく、一つの話を作り上げていくということは、単純にただ生きてここに在るということよりは重要らしい。
 だいたい、熱しやすく冷めやすく、なんにでも興味は持つが長続きしない私が、かれこれ15年ばかりも飽きずに好きでい続けている、数少ないものの一つだしな。

2001/6/26
「素材屋めぐり」
 やすらぎのひとときを求めて、ふらふらと素材屋さんちをめぐる。
 ……やすらぎ求めたはずなのに、なんでこんなのになったかなぁ。
 というわけで(?)日記ページの壁紙をホラーなのに替えてみた。

 それにしても、各素材屋さんちには、いろいろと「これは守ってね」という最低限のルールが記されているのだが、その書き方が一つでなくてなんだかな。
 よーするに「お願いしますね」調とか「これはヤメロ」調とかってことなんだが、守って当たり前のマナーでも、それを人に向けて主張する時には、尊大な態度はイカンね。

 己が思うに、どんな文章にも、その人の人間性ってものが出る。
 はっきり言ってしまえば、極論かもしれんが、その人が直筆で書いた1000字程度の主張文を読めば、その人の性格ってのはある程度分かっちまうもんだと思う。
 主張している物事についての姿勢だけじゃなく、その姿勢を生み出すに到る、その人の人間性ってヤツが。
 それで全てではないから、「垣間見える」と言うなら誇張ではないかな。

 ステキな素材を作って、それを素材として提供することで、自分の「作品」を発表しているわけだから、そこにはいろいろルールがあり、マナーがあり、それを守ってくれというのは当然だ。
 が、その言葉の中に、「俺はすげぇんだぞ」みたいな傲慢さが覗くと、かなり興ざめ。はっきり言えば「おまえ、自分の作ったもの、自分自身に酔ってるだろ?」と、まあ、ね。

 そういう自己陶酔型のサイトってのは、素材屋さんにかぎらないが、えてして見づらい。
 自分の作品を見せつけることを第一にしているから、利用者が訪れた時、素材を探しやすいかどうかについては全くと言っていいほど配慮していない。
 そういうとこの素材は、使う気がせん。

 サイトそのもののデザインセンスや項目配置は、この巣にも言えることだから、あまりデカイこと言うと墓穴掘りそうだが(汗)
 ……いんだよ。分かってなくて、気付いてなくて見づらいとか利用しづらいなら、指摘してやれば済むことだ。
 その指摘を受けて「あ、そっか。そりゃそうだ。教えてくれてありがとな」と謙虚に……つか、普通に対応するか「うるせぇんだよ」と言うかが問題なわけで。



2001年6月27日(水)

「変拍子の交友」

 十年以上も前、とりあえず「友達」という関係を築いたかもしれない、とある人から、今年の二月、葉書をもらった。
 「友達」だったかもしれないが、いろいろとすれ違いも行き違いも、誤解も嘘も見栄も欺瞞もあって、私が電話をかけたのを最後に、一年以上音沙汰のなくなっていた相手だった。
 それまでは、私の誕生日などには手紙の一枚でも寄越し、ちょっとしたプレゼントなどを送ってきてくれていたから、「ああ、こりゃあの電話でいい加減、俺に見切りつけたんだな」と了解していた。

 私がその人を、あれこれとさんざん振り回したことは、自覚していた。
 だから、そういった形で「友達」めいた関係が終わるのだとしても構いはしなかったが、それで終わったとばかり思っていたところへ、いきなり葉書を寄越されて、何事かと思ったのは事実だ。
 自身を取り巻く環境の急変に戸惑ったためか、逆に、その変化ゆえに手紙など書いている余裕はなかったか、それとも何か他に理由があるのか、そんなことは私には分からない。
 些細なことにこだわって、幼い意地を張るほどガキでもないし、と、その人の近辺が少しは落ち着いたと思われる五月になって、返事の手紙を出した。
 書くことといっても昔と大差なく、繰り返すのは「相変わらず」という言葉だけ。
 実際、私はこの十年ばかり、特に何が変わったというわけでもない。
 相変わらず好き勝手やっていたし、相変わらず生活の雑事よりは己の趣味を優先してきた。
 付き合いの続いていた高校、大学時代から「相変わらず」、私はものを書いて夢を食いつつ生きているし、ゲームだのなんだのに現を抜かしている。

 返事を出してから、一ヶ月ほどたった今日、郵便受けにその人からの葉書が入っていた。
 子猫の写真がプリントされた絵葉書で、宛名書きの他には、シールにして貼られた差出人の情報しかない。
 妙な厚みがあったから、それがただの葉書ではないことはすぐに分かったが、私がもう少し短気なら、内容のない意味深なだけの、物言いたげに私の反応を試すための、くだらない紙片だと捨てていたところだ。
 ともあれ、そうなることもなく中を開いて、読んだからいいのだが。

 特に何か、真剣に考えねばならないようなことが書かれているわけでもない。おおむね、ただの近況報告だ。
 ただ、先月の手紙の中に、「月の棺」さんのとこにPSO小説を置いてもらっている、という話を書いたものだから、それを読んできた、という報告だけが、少し特殊な内容だった。
 どうやら「黒ロボ兄弟」の話がそれなりに面白かったらしい。
 PSOというゲームを知らなくても、あれは勢いとノリだけでそこそこ読めるコメディだから、しごく妥当だ。

 今の自分たちの関係をなんと言うのか、それが分からない。
 いや。そもそもかつての付き合いの中ですら、「友達」と言えるのかどうか、曖昧だ。
 話をした。行き来もあった。一緒に飯を食べに行ったりもした。
 だが、「友達」というには、お互いが無理をしていたような気がしている。
 私はただ、自分の信奉者が欲しくてその人を近くに置いていただけかもしれないし、その人にしてみれば、自分のことを構ってくれる者ならば誰でも良かったのかもしれない。

 これで終わりか、と私が私なりに納得した後で、どういうつもりで一年間なんの沙汰もなかったのかも分からないまま、ぽつりぽつりと復活していくような曖昧な関係。
 少なくとも、私がその人をさんざんに振り回し混乱させたのは事実で、それが束の間の沈黙になんらかの形で影響していることは間違いないだろうと思っている。
 いろいろと身辺で変化が起きたせいか、それともその人なりにいろいろと考えて出した結果ゆえかは分からないが、今あらためて、私の連絡をとりたいと思うなら、その理由がどんなものであれ、かつて勝手に振り回したことへの詫びとして、私はそれに従おうと考える。
 だが、これもまた、「友達」とは言えない関係には違いあるまい。

 何を望み、何を思って、動くのか。
 言動の裏にある真意なんてものは、どう足掻いても確かめられるものじゃない。
 その真意を作り出す過程に何があり、どんな思いがあったのか、になるとますます分かるもんじゃない。

 ってのに、ガキの頃は、分からないことを分かったつもりになって、自分のものではない言葉を語って、自分自身の姿も見えないまま、闇雲に突っ走っていた。その流れに何人もの人間を巻き込んできた。
 思えば、本気の告白を真剣に受け止めるふりをしながら、さして深刻には考えていなかったこともあったっけな。

 我が儘放題、好き勝手にやってきて、そしてここにいる己だが、今は、あの頃よりは分かることも増えたし、その言葉が自分のものになっているのか、他人のもののままなのかくらい、判別できるようにもなった。
 今ここにいる己には、本当の意味で誰かを受け止めて、理解できるだけの力があるんだろうか。
 フるよりひどいいい加減さで傷つけた人を、今は支えてやることができるんだろうか。

 ……なんて、珍しくガラにもないことを考えてみたりした、蒸し暑い昼下がり。
 しかしまあ、こんな殊勝なことを考えてみたところで、そもそも理解してやる気もない相手にまで「理解せねば」と思うような善人じゃあないわけで。
 優等生にも聖人君子にも、なろうとするだけ生き苦しいもんだからな。



2001年7月1日(日)

「夏」

 暑さ寒さそのものには滅法強いので全く平気なんだが、太陽光線が嫌い。
 太陽光の熱が嫌い。
 なにせ10分も日の当たるところにいたら、確実に火傷したうえに蕁麻疹が出てくる。

 あと、無駄にききすぎたエアコンも嫌い。
 気温と室温の差が激しすぎると、意識が飛ぶ。
 というのに、バイトに来てると、そりゃもうとんでもなくエアコンがんがんで、たまったもんじゃない。
 まったく、おまえらみんな修行が足りん!(何)

 そもそも多少の暑さなんてもんは、それを拒まずに「こんなもんだ」と受け入れてしまえば、汗もかかずに済むもんだ。
 なんて言うと「そんなことできるのはアンタだけ」ときっぱり切り返されることは分かってるんだがね。



2001年7月3日(火)

「筆禍・舌禍」

 私の業。
 毎回、これで悔やむことになる。
 言わなくていいことを言い、書かなくていいことを書き。
 そしてそのたびに思う。
「だったらいっそ、自己主張しなきゃいいんだよな、己」と。
 そう思いつつ、やはりまだこんな日記書いてるあたり、業が深いというより単なる馬鹿?

 バイト場のゲーセンでの、大会レポート。
 誰か一人でも不快にしてしまうものを書きかねないなら、いっそ廃止しようかって気分。
 だって、頑張ってプロ並の仕事してやってもさ、原稿料にははるか及ばない時給しかもらえないんだし、十人の人の「なかなか面白いよ」という軽い好意に比べれば、一人の人の「これヤだな」という不愉快のほうが、私には重い。
 何もわざわざ、筆禍振りまく機会増やさんでもいいよな、己。
 そう思ってみたり。

 でもさ、軽くない「なんで。やめないで。ホント楽しみなんだよ」という言葉は、さらに重い。
 「そこまで楽しんでくれているなら、もっと慎重になって、時間もかけて、いいものを作らんとならんな!」という気にもなれる。
 これって、小説とか書いてる人になら、分かる気持ちだと思うが、どうだろう。



2001年7月7日(土)

「七夕」

 七夕。
 ……もはや、「だからナニ?」というくらいにどうでもいい行事。
 むしろ望むのはタナボタ。うむ、よし(何が「よし」だ)

「裏側」

 事に際して時折、「他人の考えてることなんて読めたもんじゃねえな」と思う。
 相手の言動をどう解釈するかっつーのは、非常に難しいことで、切実であればあるほど、間違いもおかしやすかったり。

 なんて書くと立派なこと書いてるようだが、要するには、あれだ。
 建前社会って怖いネ。

 裏じゃめちゃくちゃに、ボロクソにけなしている奴と、はちきれんばかりの笑顔で話していたりするのを見ると、「こいつ、ホントは俺のこともどう思ってるか知れたもんじゃねえな」と思う。
 ある意味、感情がすぐ表に出てしまい、隠せない奴っていうのは、迷惑だが分かりやすくて、扱いやすいともいえる。

 それと同じような理由で、私は、何を頼んでも「うん、いいよ」としか言わない人とは、イマイチ付き合いづらい。
 「OK」と引き受けておきながら裏じゃ何言ってるか知れたもんじゃないってのもあるが、そんな奴のことは慮ってやる価値もない。断らないテメエが悪い、とばかり押し付けておくんだが、問題は、愚痴もこぼさず全部自分で溜め込んでしまう人。
 好意を持っている相手に負担なんざかけたくないのに、かけてしまっているかもしれないから、怖い。

 だから、たとえば「遊ぼー」と誘った時、「今日は見たいテレビあるからごめんな」と言うこともあれば「OK」と言うこともある人のほうが、「友達」として長続きする。
 何か他にやりたいことがある時には断ってくれる、と思うから、安心して声をかけられる。
 で、まあ、「NO」と言ってもらえない以上、変な遠慮があるわけで、「友達」じゃないんだな、とも判別するんだが。

 他人の思惑を無視してマイペースすぎるのもなんだが、他人の思惑に追従しすぎるのも、実際はかなり信用のない行動だっつーハナシよ。



2001年7月9日(月)

「愛されてるネ」

 給料日前日には、所持金三桁が当たり前、というかなり無謀かつ阿呆な生活っぷりの己。
 本日、バイトの同僚(ぷそダチ)から、「昨日パチンコで勝ったから、ウェブマネーカード奢るよ」と2000円いただいてしまったヨ。
 今度飯食いに連れていくから、という話にもなったり。
 儲けた金額からすれば大した額面ではないとしても、何より嬉しいのは「こいつ困ってんなら余裕ある時には面倒見てやっか」というキモチ。

 そうして、ほんわーとカード買って帰ってみれば、ダチが侵入しており、何故かそこには作りたての夕飯が。
「どーせおまえ、食うだけの金なくなってんだろ」
 と白い目を向けながら、ご飯をよそってくれました。
 それから奴が仕事に向かうまでの30分、目に余る現状に対する小言を聞きながら、美味しい料理をいただいておったよ。
 さすが板前。プロは違う。
 それにしても、すまん、Tよ。米まで買わせちまったネ。でも、10kgのクソでかい袋、置くトコねえよ(汗)

 しかし、これ。
 ひょっとして、愛されてるっつーより、憐れまれてる?
 いーんだけどさ。シアワセだから(←反省しろよ)



2001年7月18日(水)

「己に惚れる瞬間」

 とりあえず、記憶は定かでないんだが。
 最後に寝たのいつだっけな?(爆
 17日はバイトで、16日は一日飲んでて、15日はバイトから帰ってそのまま打ち合わせ行って、14日は大会で「寝てねぇ」とほざいていた記憶があり、帰ってから打ち合わせしてたし、13日は……2時から19時まで寝てたのがこの日だっけな。
 ということは、13日の19時に起きて以来、寝てないらしい。
 ……すまん、丸四日たってるのか??
 それで、何故眠くないかな、己。

 昨日バイトから帰って来て、真陸さんとコンタクトとれたんで喜々として『見舞い』上げて、そのまま『夜の庭・S』『憂闇』上げた上に『猫』書いて上げて、ふらふらと掲示板見に行ってはーりさんのカキコに狂喜乱舞して、「よっしゃ、キミのために黒ロボの続き大急ぎでアップするぜハニィ」と(死ネ己)……気合入れて、なんで男塾のキャラ絵描き出したんだろう??
 もはやここまでくると、思考回路どっかで狂ってるとしか思えませんな。

 こういう「極集中状態」に突入したら、もうどうしようもない己。
 生命維持行動放棄してでも、描き(書き)続ける。
 飯食ったのすら、今朝9時が最後だヨ(阿呆

 気に入ったCDを延々とかけつづけながら、三連走のプレイヤーが何周したかも記憶になく、ただひたすらに机に向かうのである。
 で、何故か今かかってるのは「Raphael」「カブキロックス」「レスプリ」。
 そんなわけの分からん選曲に浸りつつ、今のところうちの巣の塾ものでメイン張ってる二人を描いてみたり。

 私の小説だと、センクウがヒジョーに優しくて、ともすると女性的に表現されているように思えるのかもしれないが、私の中では、あくまでも「綺麗な色男」なのである。
 ヲトコマエなのである。
 つかまー、そもそも女のよーな男ってヤツが描けんので、どう頑張っても華奢にはならんのだが。

 で、気合入った戦闘モードのセンクウさんを描き、「伊達を描かずにいては片手落ちってヤツだろう」と己勝手に納得し、描きはじめてみる。
 なーんも考えずにアタリをとってただけなんだが、気がつきゃ……なんだかこの人、キレてるっつーより、狂ってるんですケド??(汗
 完全にシチュエーションは不明。少なくとも原作にあったシーンではない。
 となると、己で書きたくなるんだよな、性分として……。

 頭の中では既に構想をまとめつつ、三枚目に突入。
 普通に、「らしく」笑ってる伊達を描き、意味もなくツーショットにしてやろうと左下半分はセンクウさんを描くも、またなんつーか、曖昧で微妙な表情に。
 怒ってるような、憂い顔のような、よく分からん顔。

 それにしても、髪型描くたびに思う。
 面倒臭ェから、下ろしてくれ! と。
 で、気まぐれに下ろした絵にしてみると、己の絵であるせいもあるが、どーしよーもない優男に。
 こんなのイーーヤーーッ(T.T) と嘆きつつ、やっぱり立てたヴァージョンに描きなおす。

 せっかく描いたもんなんで、バイト場のオネエサマが、スキャンくらいしてあげてもいいよ、と言ってくれるのに甘えて、近いうちにお願いしてしまう予定。



2001年7月25日(水)

「ビデオ鑑賞」

 いい天気になった。
 曇ってて湿度か低くて風がある。
 日光に弱い夜行生物としては、気温よりなにより、曇りという天候が嬉しい。
 真夏のクソ暑いさなか、長袖長ズボンに手袋まではめて出かけるのは、そりゃあツライんだヨ。
 さらにいえば、エアコンのない室内にいてもしのぎやすいし、今日でバイト三連休も終わりだし、一気にいくつかの話を転写してしまおうかと思っていたり。

 の前に、ビデオ見てたり。「仮面ライダー・クウガ」の10巻と「バックドラフト」。
 クウガはともかく、バックドラフトのほうは、私の好きな映画ベスト10に入る。
 この映画の何が好きって、ラストの語り方。

 映画でもゲームでも小説でも漫画でも、想像力を喚起して何かを伝えようとするエンターテイメントにおいて、私が常々思っているのは、「テーマは作品を通して語るもので、台詞や地文にするもんじゃない」ということ。
 力量のない三流は、言いたいことをそのまま言葉にしないと伝えられないが、いいものは、全体を通した展開の中で感動させる。

 バックドラフト、実は途中の展開はどうでもいいんだ、己としては。あまりうまく描けているとも思えないし。
 クライマックス、弟くんが一念発起するありきたりなシーンでそれなりに盛り上が……らせたいんだろうが、私の目には、どうも兄弟の間にある感情や確執が見えてこないままここに到ってるんで、淡々と見てしまうし。
 が、それを経たラストの展開は、一本取られた、と思った。
 父と兄の遺志を継ぐように消防士になり、仕事に向かう車の中、かつて自分が先輩にされたように、後輩の防護服を直してる。それを見て助手席の先輩が「こいつも一人前になりやがったな」という顔で笑う。夕暮れの車外を見やる主人公の顔が、次第に微笑んでいく……、という、この無駄な台詞のない動かし方がいい。
 台詞は、主人公の「そうじゃない」(防護服の着方を直すところ)だけで、あとは無言。他の台詞もなければ、変なモノローグもない。

 なんでもかんでも言葉にすればいいってもんじゃない。
 うまく沈黙に語らせながら、主人公の心情を滲み出させているこの演出のためだけに、マイベスト10入りさせてるのは問題かもしれんが。
 ちなみに、他に好きなのは「ブレードランナー」「フック」「グッドモーニングベトナム」「柳生一族の陰謀」「新幹線大爆破」「用心棒」などなど。
 かなり無節操だったり。



2001年7月29日(日)

「天下一のバカ」

 本日バイトより帰ってくると、ファックスが届いていた。
 友人Oからのものだったのだが、その内容が……。

 今日の昼間、彼はベランダの窓を開け放して掃除をしていたそうだ。
 いつの間にか入り込んでいた、コガネムシだかカナブンだか分からないが、親指の先くらいの大きさの虫がいた。
 ちょいと残酷な気分になった彼は、その虫目掛けて至近距離から殺虫剤を吹き付けた。
 驚いた虫は慌てて飛び立ち、よりにもよってOの顔面に向かって飛んできたらしい。
 思わず「うわあっ」と声を上げてしまったO。
 なんとその瞬間、果敢なる虫は彼の喉の奥まで突入し、吐き出そうとするより早く、飲みこまれてしまったのである!

「腹の中で暴れてるのが分かるんだよ。最初は吐こうとしたんだけど、なんか面倒になってきたから、そのままほっといたら、いつの間にかおとなしくなってて、『勝った』と思ったさ」

 阿呆!!

 それ以前におまえ、その虫、殺虫剤を頭から全身に浴びてんだぞ……(汗



2001年7月30日(月)

「オママゴト」

 仕事場にて。
 向かいのアパートの、二階通路のところで、そこんちの女の子と、友達らしい男の子がママゴトをしている。
 今でもこういう遊びする子いるんだな、などとしみじみ思ってしまったり。
 それにしても、女の子の「ございますわよ」という口調、何処で覚えてきたんだよ(苦笑

「机が狭い」

 PCのせいで、机にスペースがほとんどない。
 私は椅子と机がないと作業が続かんタチなので、床にテーブルを置いて、では30分ともたない。
 しかしこのPCのせいで、現在、机の上にはほとんどスペースがない状態になっている。
 これで絵を描こうとすると、かなりきっついもんがある。

 高校時代の友人が、文集の表紙を描いてくれというので引き受けていたんだが、ようやく今日、マヂメな文集に似合いそうなマヂメな絵が描けそうな気分になったというのに、スペースが、ない。
 油彩ならイーゼルとカンバスがあるからいいんだが、水彩では絶対に無理。具体的にいうと、縦20cmしか幅がないんだヨ。
 仕方ないので、色鉛筆を使うことにしたが、そもそもこの幅では紙が置けんっつの。
 仕方ないんで近所の友達の家に押しかけてみたり(ぉぃ
 ラフ画くらいならこのスペースでもなんとかなるが、マヂメに描こうとすると問題のあるこの有り様、いったいどうしようね……。




Made with Shibayan Diary